これまでの日記 プロフィール

 

2019年7  July 2019

7月13日 土曜日

 三時半に起床。四時半に家を出て職場へ。小一時間ほど机上の整理などをしてバスで出発。花巻までは二時間弱。長い一日の中心は十五時頃から始まった。結果的には目標は叶わなかったものの、悪い闘いではなかった。職場に戻ったのが十九時前。それから自宅に戻ったのが二十時。明日の夜には慰労会があるが、それまではゆっくり休みたい。

7月12日 金曜日

 報道からは選挙の情報が隠蔽されているとしか思えない。この国を覆った闇は深い。午後には清浄な空気の流れる部屋で一時間を過ごすことができた。一週間はあっという間だった。毎日が勉強とはよく言ったもので、毎日何か頭を使う局面が訪れる今日この頃である。毎日毎日ギャグのようなエピソードがこれでもかと繰り返される。その馬鹿さ加減に当人だけが気づかない状況は不思議で仕方ない。属人的な問題が進むと最後にはその当人の首が締まるのだろう。

7月11日 木曜日

 朝に二時間ほど籠って文書を作成した。学ぶべきはこちら側だということを学ばぬ隣人に感じ取らせるためのものだ。昼には打ち合わせを持ったが、思うようには進まずにほとんど流れた状態になった。午後は午後で学習の機会があったが、進行役の失礼な振る舞いに気分が悪くなったのは自分だけだったろうか。自信が過ぎるとああも横柄な態度になってしまうのだろうか。夜には二時間の学習会に参加した。時々眠気が襲ってきて困った。

7月10日 水曜日

 一時間も空きがない一日だった。一応は先人の実践に倣って進めたものを見ていただいて指導を受けた。利用させてもらった資料の優れた点のみが指導者の関心をさらったが、その由来がどこなのかについては全く聞かれることはなかった。そして、技術的なことについては何一つ話されることがなかった。こういうのを拍子抜けという。

7月 9日 火曜日

 未来を作る仕事という割には、古い人間たちに翻弄されてばかりの毎日だ。自信を持ってそれしかないというような顔で大きな声でがなりたてるその声は、聞けば我儘としか取れないことばかりだ。説得と納得、傾聴というキーワードについて、全く学びがないらしい。

7月 8日 月曜日

 通常業務の合間に会議が二つ。実質的な仕事は隙間時間にやるしかない。つまり隙間時間こそが仕事の本質なのかもしれない。原案が甘いと会議自体の意味が薄れる。それに気づかないまま年をとることの哀れさ。少しは早く帰れるかと思ったところにまた声がかかり、そこから一時間の話し合い。情なのか熱意なのかは知らないけれど、狭小な心のままでは何も伝わらない。声の大きな者が大声を出せば、声の小さな者の声がますます弱くなる。そのことに気づかないのがふしぎだ。いくら正論を振りかざしていても、強者の論理というのか、弱者の声を封じ込め、排除するようにしか見えない。今年度に入り、この職場で仕事をする中で日に日に強くなる、どうしようもない思い。かなしいけれども、のびきったおとなはもう変えられない。変えられるのは、やがて手に届かないところに行く前の未来ある者たちと、自分自身のみである。

7月 7日 日曜日

 朝から晩までご奉仕の一日。四時五十分には職場に行き、三十分くらいは仕事をした。六時から一時間は外で作業をし、そのあとはおきまりの週末の仕事で気仙沼まで車を走らせた。終了したのは十六時三十分。道の駅で野菜を買って帰ると十八時。この日はたまらず二十一時頃に就寝した。

7月 6日 土曜日

 朝起きて、久しぶりの自由な時間にパソコンに向かい、頭が回り出したら頭痛がしてきた。考えると頭の痛くなることばかり。午後には組合の会合に出ることになっていた。片道四十五分くらいかかるところを徒歩で往復した。会場は初めて行くところだった。真面目な人々の真面目な会合で、開始前に前に映し出されていた映像は、ある人物の人となりがわかる番組だった。それに、前に出てきた人たちの話も誠意のあるいい話だった。しかし、同じ業界の中からの目線で、同じ業界の中だけをどうにかしようという風にしか見えなくて、それだけでいいのかという疑問が残った。従来通りおきまりの流れでやっていたのでは、結果は目に見えている。生活者として、この国の主権者として、人権をもった一人の人間として、考えなくてはならないことが目の前に置かれているのではないか。そして、そのことを自らの言葉で訴える声だけが自分の耳に届くのだろう。声を聞くだけではいけない。自分もそのような本物の声を発しなければならない。

7月 5日 金曜日

 今週は毎日何か特別なことが数件ずつ舞い込んできて、それらを片付けることに終始した。こちらの段取りには無駄がなく、限られた時間や体力を有効に振り分けてやったつもりだから、特に疲れは感じない。ただ、この日締め切りの本来業務がおざなりとなって、二十二時になっても完成しなかったことが残念だ。日曜の朝に進めるつもりだが、驚いたのは他の誰もがきっちりと締め切りを守って仕事をしていたという事実である。それは当たり前のことではある。しかし、その当たり前の感覚を自分自身が持てずに通常業務を後回し後回しせねばならなかった状況を再確認させられたのである。つまり、自分の仕事内容がいかに変則的であるかということである。そして、それはもっぱら誰かの仕事と誰かの仕事の隙間を埋める仕事だということにも気づいた。

 誰かの誰かに対する声を聞き、またその相手の声を聞き、その隔たりをなんとか埋める。そんなやり取りの多いことときたら、これまでにはない水準に達している。上の声を下に伝え、下の声は上に。右の声を左に、左の声を右に伝える。どれも直接やり取りをすれば済むことだろうに、何かが邪魔してそれができない。それらの間に立って、怒りや不満の籠ったほやほやの感情や個々の価値観を、透明なフィルターとして受け止めては翻訳し、整理して、耳障りの良い言葉にして返してやる。あるいは、相手に流してやる。そんなことばかりしている。

 ぜんぶばかやろうと言って蹴散らしたくなる。大人なんだからちゃんとやろうよと言いたくもなる。だがもうここまでくると、そういうギャップの間に挟まれることが自分の天性なのだろう、と思わずにはいられない。

7月 4日 木曜日

 朝一番からのスペシアルプログラム。準備に費やした労力たるや並々ならぬものがあったのだが、手ごたえとしては微妙なものとなった。主担当がどこなのか曖昧で本来あるべき計画書の一枚すら出ないという、担当部署の基本的な段取り意識の欠如によって、依頼される側(結局自分だが)との連携がちぐはぐしてしまったことが反省点だ。客観的にどうかは言えないが、自分にとっては苦労多くして益少なしという虚しさが残るプログラムであった。

 午後にはまた別のオリジナルプログラムを行った。作ったのは二年前。それを少し手直しをするのみだったから、準備の負担感は全くない。素材を最大限に生かせるかが勝負というものだった。さすがに初めてではなかったからこちらの説明はよどみなくできた。自分では及第点をあげたいのだが、最大の理由は話に耳を傾けてくれた受け手たちから感じた大きな「まごころ」である。

 午後には急な来客があり、対応を迫られた。その対応が終わってすぐ、また会議があった。この時間になるともう辟易した感じで、咳もひどくなってきて帰りたくなってきた。途中少し別の場所に出入りしなければならなかったが、会議に戻るとなんだかよくわからない議論が行われていて、波に乗れなかった。終わると先刻の対応の続きが待っており、出かけて戻ると十九時過ぎ、そこからの業務は、中途半端なまま帰宅せざるをえなかった。

7月 3日 水曜日

 この日も相談対応から始まる。ほとんど素人同然なのでかなり緊張する。四十分ほどで自分の担当を終えてバトンタッチする。その後は通常業務が夕方まで続く。大げさでなく五分の休憩も許されることなく十八時までその流れが続いた。とはいえ、それがこの現場の日常だということに改めて気づかされる。頭の中が五分割されて、それぞれ勝手に考えを進めているような感じ。相談以外に対しては今や心構えを作る時間は階段を上がる数十秒のみである。

7月 2日 火曜日

 きょうも通常業務の合間に会議が入り込んだ。必要性は十分理解できるが、今その目的が果たされているだろうかということはわからない。いずれにせよ今の現場には侃侃諤諤の議論などできる余地も度量もない。その後には来客との相談対応があった。信頼をどうつないでいくか。文月初旬をどう中旬へ、下旬へつなげていくか。来月、二年後、三十年後、五十年後、お祖父さんやお祖母さんが去った後の姿を思い浮かべる。世の中のことは大切だが、一人の人間の生き方のほうが大切だ。目の前の人間がどういう人生を送るのかのほうが大切だ。

7月 1日 月曜日

 朝一番からの会議のために少し早く出て資料の印刷。必要な資料を調えるのは当然として、会議が回るための一工夫を添えられるかどんな形を取れば良いか可能性を探ることが結構なコツである。にわか作りではあっても、プラス1のものがあることで会議の質が変わることを実感。しかし、毎年のこと、文月に入った途端に業務シフトがいきなり変動するのはなぜだろう。夕方にも長い会議があった。水が高いところから低いところに流れていくように、流れが大きく変わっているような印象。それがいいことなのか悪いことなのか、なんだかわからない渾然一体とした感じ。