2018年7月  July 2018 デビューシングル発売中

 

7月21日 土曜日

 朝に新聞を買ってきて、二時間かけてゆっくりと目を通した。部屋にいて、仕事のことは何も考えずに過ごした。このような土曜日は実に稀である。なぜなら、多くの場合は仕事が入るからだ。この、仕事に関して何もしない、何も考えないひと時がもてるかどうかが、仕事の効率に関わってくる。つまり、ゆっくり休むことが、良い仕事を続けるには大切なことなのだ。それを、世界の多くの人々は知っているし、実践している。なぜか日本ではそれが理解されないし、実践しようとする機運も広がらないのはとても残念なことだ。

 午後から電気屋に行った。実家の壊れたエアコンを新しくしてお盆前の帰省に間に合わせようと思ったのだが、お店の人に聞くと一ヶ月待ちだという。思いつくのが遅かった。これだけ暑い年が続いているからエアコン需要も頭打ちだろうと思っていたら、まだまだそんな状況では無いようだった。それでエアコンは諦めた。アマゾンのエコー・ドットというスマートスピーカーを買ってみた。先日職場の隣席の方からお話を聞いて面白そうだと思ったのだった。声に反応して、様々なことを教えてくれたり、やってくれたりする。ラジオとかタイマーとか、喋るだけで簡単に操作ができるし、これから機能が増えてもっと使えるようになりそうだ。未来的なイメージだったが、導入してみるとこれは未来ではなく、もはやあって当たり前の現実的デバイスだった。

7月20日 金曜日

 きのうにも増して暑さがひどくなる予報が出た。ラジオでは原則運動は禁止という言葉まで流れ出した。それで昼からの計画はほとんどが中止となり、土曜日の予定もぽっかり空いた。残念がっている人たちも多いだろうが、疲れが蓄積している者にとってはありがたい休息時間が得られた。総じていろいろなことで予定を埋めがちな社会なので、カレンダーに穴が開くと不安になる輩がいるかもしれない。我々はこれまで無理をして多くのことを企画しながら何も無い日をなくしてきた。だが、それを見直す良い機会だと捉えるといいのかもしれない。

7月19日 木曜日

 暑さがひどい。きのう休んだ分、きょうは余計につらかった。ラジオでは熱中症予防の呼びかけが飛び交っている。かつてはエアコンなんて必要がなかったから、無いのが当たり前だった。それが、今ではエアコンが無いと生活できないほどに変わってきている。以前岩泉から盛岡のアパートに引っ越した時、アパートにはエアコンを設置してはならないという規則があった。夏になるとどうしようもなく暑かったので、大家さんに手紙を書いてエアコンを認めてもらった。あれは平成九年の夏のことだ。それから二十余年、気候は予想通りに変化してきた。しかしできる限りの対策が進められるわけでなく、やっていることは二十年前と何ら変わっていない。こうやってゆでガエルのように死んでいく様が目に浮かぶ。地球はいずれ金星のようになってしまうだろう。

7月18日 水曜日

 振替の休みを取った。平日にこんな風に休みを入れることは稀である。気温が高くなり、冷房をつけていないと具合が悪くなるほどだった。日中はスーパーマーケットや金融機関に出かけたが、少し歩いただけでクラクラしてくるのだった。実は休みとはいえ、ほとんど部屋に閉じこもって仕事の文書を作成していた。これを翌日使わなければならない。

7月17日 火曜日

 三連休を休めなかった身には暑さの中での労働は苦しかった。朝にはどう見ても自分のせいではない部分で問題が発生し、調整を図らなければならなかった。それぞれの部署が責任をもって一つ一つのことを成し遂げなければならない。確かにその元締めは自分ではあったのだが、よくわからないことに翻弄されて非常に残念な気持ちになった。

 黙っていると雑談が聞こえてくる。大昔のどうでもいい話や地域の話、そしてあろうことかクライアントの悪口や汚い言葉での罵りが聞こえてきたりすると具合が悪くなってくる。その中で真っ当に仕事を進めようとするその心根が、やはり世間とは乖離しているのかと感じられてくる。乖離していたらしていたで自分は構わないが、それなら何のために働くのかということだ。

7月16日 月曜日

 この日まで三日間、良かったのは冷房の効いた屋根の下で日中過ごせたことだ。きのうと同じく、七時半に集合して、解散したのは十六時近くだった。その後、自宅に戻って一時間ほど休むと、今度は別の会場に出かけた。十八時から二十一時までぴったり三時間の会合は、いつもの通り全体的な雰囲気は悪くなく、楽しい話を聞くことができたのでありがたかった。だが、自分の話したこと、自分がこの三日間のうちに考えたり書いたりしたのと同じことを考えている人は、誰もいないようだった。あれだけ語気を強めて話したことが見当違いだったかのように、かれらには届いていなかったのだ。マイノリティは自覚しているけれど、これからもこれまでと同じようにやっていくのには限界を感じる。この社会への参画ということが、果たして自分が生きる上でそれだけ重みのあることなんだろうか。

7月15日 日曜日

 勝利至上主義の黒雲が支配しているために、本来の目的がぼやけてしまっている。きょうはまったく意味のない涙が多くの人々の目から流れ落ちるのを見た。感動なんてそんなに安っぽいものなのか。たいして努力もしていなかったくせに、悔しいなんて言わないでほしい。生まれてたかだか十余年の幼い子供を前に簡単に涙を流さないでほしい。かれらやあなたがたが苦労するのはこれからだ。そう書いた自分が真に苦しむのもこれからだ。情に流されて、理屈がどこかに引っ込んでしまっている。一億総子供社会。大人は大人の役割を知り、大人として振る舞おう。まず自らが与えるべきものをもって子に当たれ、そして子に話を聞かせよう。決して熱くなってはならない。歴史が物語るものに向き合おう。世の中がこれまで培ってきたものは何だったのか。ボールは銃剣、コートは戦場。ユニフォームは軍服に、横断幕は千人針に、簡単にすり替わる。我々の心はそういう政治の下で操られているということを、冷静に見つめ考える必要がある。

7月14日 土曜日

 きょうから三日間は勤務日。今朝は五時半に家を出て、帰宅は二十時近かった。その、時間の長さということはさておき、内容に問題があった。期待していた結果が出なかったのも残念なことだが、それ以外に幾つか気になることがあり、帰宅してからも気分はすぐれなかった。暑い日だったが、暑さの中にいた時間は短かった。冷房の軽くかかった快適な環境の下にいたからだ。

 だが、本当はあんなところからはすぐにでも出て行きたかった。いいことも悪いこともある。矛盾の中で一日一日を生きる。様々な人とすれ違う。その中で、自分は自分ができることをするだけである。きょう最後に思ったことは、一つ所に安住してはならないということだ。

7月13日 金曜日

 人の気持ちを荒立てるのもやる気にさせるのも言葉の為せる技。せっかく言葉をかけるなら前向きな言葉だけを使いたい。とはいえ、この眠気、毎晩机に向かうけれど、何も浮かばず眠ってしまうということが続く。毎日言い訳ばかりして、何も進んでいない。

7月12日 木曜日

 なんだか愉快犯みたいな輩が登場して、そのことで一日中翻弄された。だが、そういうことはいつでも可能性があることだろうと思った。人の心の機微について考える時の心構えとして、言葉の厳密な意味にこだわることが求められる。曖昧な分析からは曖昧な判断しか得られず、曖昧な判断からは何一つ有効な処方はできない。

7月11日 水曜日

 きのうの三分の一の人数に対して、また話をした。きのうあまりに力を入れ過ぎた反動か、今朝は何も用意せず、思いつくままに話した。最近はっきりと自覚していることがある。相手は自分が考えているほどは自分の話を聞かないということだ。それはいつでもどこでも変わらない。たとえ、手応えを感じることがあったとしても、期待に沿うようなことはない。もし百伝えたいことがあったとしたら、だいたい0.1〜0.2ほどしか伝わらない。それは相手の聞く力が育っていないこともあるが、それは問題でない。伝える側に伝える技量が足りないことをより重く受け止めた方がいい。

7月10日 火曜日

 朝から二百人の前に立って話をする機会があった。そのために言葉を選び、間の置き方一つ考えた上で話すことすらこれまでの技能の集大成のつもりでやっているのだが、それが若き同僚たちに伝わったかどうかはわからない。いつも他人事だと捉えていると、変革には繋がらない。要するに、学ばない人間は自己流のやり方で殻に閉じこもってしまい、変わりようがない。

7月 9日 月曜日

 何があったかすでに覚えていない。とにかく空き時間もなくひたすら本業に取り組んでいたのだった。二十五年前に僕が先輩から教わったことは、その地域に向き合い、課題を見定め、そこに焦点を当てるということだった。専門性や技術の大切さはいうまでもないが、それ以前に、人間である、いやむしろ人間になることを要求された。そのためには人権など認められるわけがなかった。今は人でなしが人権を主張して憚らない時代だ。自分が受けてきた教育を、今の時代に同じように進めようとすると、角が立つ、無理が生じる。そこをなんとかしなければならないのだが。

7月 8日 日曜日 

 多くのことが破綻しており、考え出すと気分が悪くなる。国家の上層部が行っていることと、自分の身の回りで起きていることとが、奇妙なまでに相似な関係に見えるのは偶然ではないだろう。よもやこれほどまでに腐敗するとは。それに気づかないのか確信的なのか、人々の気持ちを逆撫でするような事ばかりが行われる。それに加担するではないにしても、あのような人たちの下で働く我々のなんと情けないことか。

7月 7日 土曜日

 朝七時には目的地に着いて鍵を開けていた。仕事が終わったのは十六時半頃だった。その間じゅう多くの事を考えたが、それらは通常の業務とはまた違った色をしていた。出張するいつもとは違って地元での仕事だった。外からの客人を迎えるという事もたまにはあると刺激になる。そしてすべての人はこちらが敷いたレールの上をひたすら前に走っていくだけなのである。誰かが敷いたレールを走るよりもある意味楽ではある。そうすればやがて一日が終了し、爽やかな疲労と充実感の中で眠りにつく事ができるのである。

7月 6日 金曜日

 この一週間は長かった。暑くて体力が消耗したのが主な原因だったが、それ以外にも無理難題を突きつけられ、どうしようもない状況に追い込まれた事による精神的な負担も相当なものだった。同じような事は以前にもあったのだが、立場の違いによって、また捉え方が異なるのだった。当時は自分の目の前しか見えていなかったが、今では全体の中のこの部分という捉えなので、その分冷静ではいられる。しかし、好転する見通しはない。

 今夜は二十一時を過ぎ、誰もいなくなった職場で、今日締め切りの文書を作るためにパソコンを叩いていた。一応は終える事ができたが、来週見直しが必要かもしれない。帰り道の途中、コンビニでおにぎりを買って食べる。帰宅して少しゆっくりしたが、一息つくとまた明日も仕事だった事に気づく。

7月 5日 木曜日

 今週は一つの山であるとはいえ、その山もいくつもの小山から成り立っているのであった。特に一つ、何をどうしても何も決まらないという案件があって、山を越えようがない。打開策が見つからないまま週末を迎えてしまいそうだ。要は、ある程度長い時間をかけて人間関係や信頼を築いていかなければ何も作り上げる事ができないし、何も先に進まないのだ。今となってはもう遅過ぎの話である。今がそれらを作る段階であってはならないのだが、それでも少しずつ積み上げていかなければならない。誰かのやり残した仕事を自分が引き継いでいる。誰でもそうなのかもしれないけれど、考えると気分が悪くなる。

7月 4日 水曜日

 今週は空き時間がほとんどなくて、いつもは空き時間でこなしているような瑣末な仕事さえやる時間が確保できなかった。そういう場合、大概は夕方に時間をとって終わる目処が立つのだが、ここ数日はその時間すら取れない状況が続いている。

 今年は事あるたびに自分が何かを伝えたり受け付けたり受け止めたり整理したり調整したり創造したり決断したり考案したり吟味したり構成したり発表したりする事ばかりだ。これでもかこれでもかと襲ってくる。そのような仕事を与えてくれる事をありがたいと思う反面、かれらは敵ではないかと見まごうばかりにである。自分を伸ばしてくれる機会というものは、必ずしもいい顔をしてくれない。悪魔のような顔をした天使がたくさん飛んでいる。天使のような悪魔もたくさん飛んでいるけれども。中には、悪魔のような顔をした悪魔も潜んでいるような気がして、吐き気がする。

7月 3日 火曜日

 朝には起きてラジオを聞いた。ワールドカップのサッカーはどこか他人事で、小耳を挟むという雰囲気で情報を得るに止まっている。テレビもないから、あまり盛り上がりようがない。もっともテレビがあってもネットで中継が見られても、時間が深夜なので遅くまで起きていることなどできない。職場には、いつもと同じ時間にずいぶん人が多かった。そのうちの多くは朝にテレビを見てそのままの勢いで出勤しているようだった。

7月 2日 月曜日

 午後から体育館でイベントが予定されていた。昨日くらいの高温となり、そこで二時間もじっとしていることは異常なほどの苦行だった。午前のうちに準備をしようと思っていたのだが、そんな時間が全く用意されておらず面食らった。他のスタッフにすっかり厄介になり事なきを得たのだが、こういうところでも荒海に投げ出されたような気分になった。

7月 1日 日曜日

 今日も暑い日だった。体育館の温度計は三十七度を差し、もはや体温をすら超えているのだった。昨日と同様に、昼頃まで仕事をして、余力を残して帰ったつもりだったが、何もできないまま夜になってしまった。