みやげばなし(2002.1.12〜1.14)

その1


三連休キップは前日までの発売。
ある程度計画的でなければ使えないということ。
そう、ある程度。
一日目の始発に乗ることと、三日目の最終で帰ることだけは計画して
とにかくこの冬最後の旅を楽しもうということだけ考えて。

鉄道好きの人々の間には「乗りに行く旅」というのがあるそうだ。
鉄道は好きだが、乗り物はあくまでも手段。
バス、タクシー、船、そして徒歩。なんでもあり。
僕にとって大事なのは、旅で何かに出会うということ。
偶然の積み重ねで、変わっていく自分、変わっていく世界。
全然関わりなかったものどうしの結びつきが、
必然へと変わっていく過程。
旅という短い時間でそれは、ドラマティックに行われていく。

もし誰かが僕と一緒に旅に出ることになったら、
半日もたたないうちに喧嘩してしまうに違いない。
それほど気まぐれに思いつきで歩き回る。
ときには無駄もあり、強行軍もあり。
それが僕のつくりあげてきた旅のスタイルだ。
このスタイルは日常生活のいろんなところにも反映されていて、
いつもいつも僕は誰かに愛想を尽かされているのだろう。
そんなことはどうだっていい。
旅無しでは生きていられない。

長岡。バスの時間まで少し間がある。
観光案内所で40分で回れるところはときくと、ここを紹介してくれた。
山本五十六の記念館。
軍人は誰も好きになれなかった。
戦争に加担したからにはそれはやはり許されないのだと、漠然と考えていた。
連合艦隊司令長官をつとめた山本は、最後まで日米開戦に反対していた。
開戦してからも、できるだけ早く戦争を終わらせようと考えていた。
はなから、日本に勝ち目はないことはわかっていた。
本意に反して戦争の道を歩まねばならなかった彼の思いはいかばかりか。
記念館のおじさんと話したり写真を撮ったりして、予定の時間をオーバー。
おまけに雨も降ってきた。
慌てて駅まで戻り、出雲崎行きのバスに駆け込む。
長岡からバスで約1時間、出雲崎に着く。

長岡では積もっていた雪だが、峠を越えると消えた。
駅で降りたが、海までは遠いことを知り、タクシーを使うことに。

新潟県でも沿岸は暖かいのか雪は少ないのだそうだ。
雪が多いのは、長岡、湯沢、高田、そして十日町あたりだそうだ。
今年は、というか最近じゃめっきり雪が少なくなって、
もう昔のような大雪は降らなくなったのだという。
ここは妻入り造りの家々が海沿いに4キロくらい続いている。
これだけ残っている場所は珍しいそうだ。
そして、日本一夕日がきれいなところとしても有名らしい。
ここからの眺めはほんときれいですよと、
出雲崎タクシーの運転手さんは控えめに自慢していた。

良寛堂の前でタクシーを降りた。
さっきのバスの終点が、ここから目と鼻の先だったことを知る。
そのままバスに乗っていれば目的地まで来れたのに。
だけど、タクシーに乗ったおかげでいろいろな話をきくことができた。

通りにはほとんど人影はなかった。
たまにすれ違うおばちゃんたちにあいさつすると、
きまって「はあい」と言って応えてくれた。
おじさんに道を尋ねると、土地の訛りが新鮮だ。
語尾に「〜スケ」というのがつくのが印象的だった。
玄関に「年賀非礼」のはり紙をしている家が異常に多いのが気になった。
ハリセンボンを吊るしている家は僕の見た限りでは一件だけ。
ふぐ(福)よ来いということか。
ほかに魚を干している家を数件見た。
バスも鉄道も接続が悪くて、寺泊に行くのはあきらめた。
海のアメ横で昼飯に日本海の幸を喰おうというのは果たせなかった。
通りを隅から隅まで往復したので疲れた。
2時を回っていいかげん腹も減ったので、
少し離れたところにある道の駅まで歩いて鮭イクラ丼を喰った。
曇りだったのが、日が差して、青空が見えるようになった。
缶コーヒーを買おうと自販機に200円入れたら、280円おつりが出た。

バスで長岡へ戻ったのは4時前。
長岡駅の地下道では「ゆず」に影響を受けたような若者たちが
等間隔に陣取って、ギターを鳴らしながら歌っていた。
その数、10組は下らないだろう。少し気味が悪かった。
MICHIRUという名の喫茶店でコーヒーを飲みながら時刻表を眺める。
「十日町」 響きがいい。きょうはそこに行ってみよう。

列車の接続の関係で、越後川口というところで待ち時間が1時間ほどできた。
もうすっかり日は暮れて、駅前には何もない。
ここまで来ると雪はかなり深くなり、
道路脇に積もった雪は背丈を越えるところもある。
唯一開いていた店、「鮨政」の暖簾をくぐることにした。
店は夫婦で切り盛りしているらしく、
奥さんが、何もないとこでしょうときくから、
ここしか開いてませんでしたといって笑った。
カキ酢、味噌のかかったカニ、そして焼物はブリカマ。
酒はもちろん熱燗で。「長者盛」という酒だった。
店のだんなといろんな話をした。
キップのこと。
雪のこと。
新潟訛りのこと。
駅前が寂れてしまったこと。
ここの飯山線も半分以上が無人駅になってしまったということ。
日本全国数えきれないところで同じようなことが起きている。
数えきれないほどの悲哀を、数えきれないほどの人たちが感じている。

新幹線ができたおかげで、
より速くより遠くに行けるようになった。
だからこんな旅もできるようになったのだけれど、
特に東北や上越の新幹線は、東京に行くためのもの
あるいは、東京から帰ってくるためのものという意味合いが強いのかな。
東京一極集中。
これは忌々しい問題だと思った。

十日町到着は7時前。思ったほどの雪はなかった。
駅前の看板で早々に宿を決めて電話をした。
商店街はすべてアーケードが付いており、煌々と明かりが灯っている。
しかし、人通りは少なく、半分以上の店はもう閉めていた。
蕎麦屋が多い。
そこで、蕎麦を喰うことにする。
舞茸の天ぷら蕎麦。
天ぷらのでかいこと。
さっきの酒も手伝って、満ち足りた気分で宿に戻った。
ああいう酒があるとそれだけで旅は成功だと思う。

宿では洗濯をした。
旅の荷物は少ないにこしたことはない。
どんなに長い旅も下着は二日分持てば十分。
ここ数年の旅で学んだことだ。

その後は「世界ふしぎ発見」を見た。
今夜はフィジー諸島の特集。
僕までフィジー諸島に行ったような気分になって、就寝した。



 

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