二〇一四年八月

 気がつけば八月も終わり。ほとんど日記を書かずに終了することになった。こちらでは月初め辺りから、夏は終わりだと言わんばかりの涼しい風が吹いて、後半は雨の降る日が多くなった。すでに街路樹は葉がところどころ黄色くなり、落葉も始まっている。

 月の前半は仕事場に行くことはわずかだった。三泊ほど旅に出たり、英語の学習を行ったりした。日本から二週間も短期留学するのはたいへんなことだが、ここならそれほどの困難は無い。一度仕事上抜けられないことがあって欠席したが、それ以外は続けることができた。自転車や公共交通で市内に通うのも刺激的だった。昼休みや下校時にあちこち歩き回ると、初めて見るものばかりで、この街に来たことを嬉しく感じた。そして、欧州各国の人々と仲良く学べたことは素敵な体験だった。実際にどのくらい力が付いたのかはわからない。ただ言えるのは、今後学び続けなければ意味が無いということだ。

 昨日は一人日帰りで近郊を旅して来た。雨が降ったり止んだりするあいにくの天候だったが、うまく雨を避けて移動した。チーズで有名なゴーダは、オランダ語読みではハウダとなる。バスと電車を乗り継いでも一時間せずに到着した。ゴーダ・ウインドウという、聖ヤンス教会のステンドグラスを見て、旧市街のひっそりと静かな町並みを歩いた。

 昼前の列車でロッテルダムに向かった。十五分足らずで到着。アムステルダムとは全く異なる町並みを散歩した。伝統的な建築物はナチスドイツにことごとく破壊され、現存するものは皆無である。その代わりに近代的である意味実験的な建築物が、街の至る所に造られ、今もその数が増えている。これまで来る機会が無く、アムステルダムや他の小都市に見られるレンガの古い建物に見慣れていた所為で、建築の面白さに目を奪われた。と同時に、戦争の爪痕の深さを逆説的に感じさせられた。何十年経っても、戦争で壊された町並みは還らない。歴史の厚みの無い街はどうしても面白みに欠ける。いくら新奇な建物を建てたところで、一時的な物珍しさを超えることはできないだろう。そう初めのうちは感じたのである。

 たとえばアムステルダムでは、十六世紀に立てられたものが未だ現役でそびえ立っている。しかもそれらはどこも普通に市民によって利用されている。その事実に圧倒された来蘭当初の浮ついた気持ちはやや影を潜めて、少し落ち着いて眺められるようになったからこそ、却ってロッテルダムの建築群が訝しく目に映ったのかもしれない。だが、これはまるで東京ではないか。日本の他の年と同じではないかと思ったら、見方が変わって来た。

 五百年六百年と存続して来た物が形を奪われたとき、人々は復興を期し、どうにかして街の息吹を吹き返そうと必死で建設を始めたのである。材質は木材やレンガでなくコンクリートに代わっても、建設に傾ける情熱は変わらないはずだ。そして、人々がそこに暮らしている。

 景観が人を作る作用をもつということもあるだろう。そしてまた、人が街をつくることも事実である。つまり、理念が街を作り、未来に形を与えていく。歴史に依拠するのではなく、自らが歴史を創造する。ロッテルダムのような都市に暮らしていたら、そんな気概が育つかもしれぬと思ったりした。夕方まで散歩したり、美術館を巡ったりしながら過ごしたら、この街もなかなか素敵だと感じるようになった。また来て歩き回りたいと思った。

 それにしてもこの国の狭さにはいつも驚く。中央駅から最速の列車を使ったら、最寄り駅まで二十四分で着いた。

(八月三十一日 土曜日)