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2014年12月

26日(金)
 クリスマスの二日目。オランダでは25日が第1クリスマスでその翌日が第2クリスマスということになっている。26日をボクシングデーという国もある。カナダではボクシングデーはバーゲンの日みたいになっていたことを思い出した。だが、オランダは静かだった。氷点下まで気温が下がり、わりと寒い朝になった。日の出前の快晴の下、家を出た。
 ライデンの国立民族学博物館で開催中の芸者展を観てきた。充実した展示がされていた。京都のよし冨美という置屋が全面的に協力しているようだった。御茶屋と置屋について、着物について、舞子・芸子の仕事についてなど、初めて知ったことも多かった。展示には日本語が無かった。しかし、モニターの映像は日本語による説明だった。わかりやすかった。その他は、常設展をさらっと回って外に出た。ほぼ10時の開館と同時に入り、出たのが13時半だった。そこから中心部を散歩した。市役所の裏手には小さな遊園地ができていた。運河の上に小さなスケート場もあって、多くの親子連れで賑わっていた。ちょうど日本の正月の一日二日のように、家にいてもつまらないという家族はこういうところに出てきて子どもを遊ばせるのだろう。その周辺のカフェがいくつか開いており、外でビールを飲んだり食事したりしている人もいた。そのほかケバブ屋などもいくつか開いていたが、どこにも入らず駅に戻った。結局駅近くのJUMBOでサンドイッチを買い、駅のホームで食べたのが15時過ぎだった。
 電車を間違えて、スキポールではなくハールレムまで行ってしまった。そこからバスに乗り換えて、帰宅したが17時前だった。

25日(木)
 きょうから年末年始の休暇に入った。気持ちがゆったり緩んでリラックスしている。昼前から出て、アムステルダムの北、KNSM島方面を散歩した。メトロ51番でWaterlooを降り、歩き始めてすぐに勢いよく雨が降ってきたので、目の前の食堂に入り昼食を取った。クリスマスで多くの店は閉まっていたが、幸いそこは開いていた。そして、そこを逃したらどこで昼食を食べることができたかわからない。

 雨が上がると気温は下がったが、青空が出て散歩にはちょうど良くなった。古くからある建物と新しく造られた建物。新しいが古い意匠を活かした建物。古い建物の意匠を活かして、用途を異にしている建物。いろいろな建物があった。そして、その建物の間には公園のような道や道のような公園があった。それらを眺めながら歩くのが楽しかった。
 町は人が暮らすところだから、人にとって快適な場所でなければならない。家一軒一軒にしても同じ。当たり前のことだが、日本ではたぶん難しいのだ。家はそれぞれきれいでも、それらが集まったときの調和が無い。調和させようという発想をどこかで無くしてしまったのではないか。京都の町屋や日本海のたとえば出雲崎の建物群が素敵な調和を保っているのは、大切なことを忘れずに大事にしているからではないか。和の国というけれど、それは失われたことを取り立てて言うから和の国なのであって、日本の多くの部分で実際は失われている。

24日(水)
 いつもより20分遅いくらいに家を出た。8時頃に職場に着くと、トテモハヤイと言われた。ほんとうは9時からで良い。でも、朝はいつもと同じリズムで移動したかったのだが、ニュアンスが伝わったかはわからない。
 日の出前はかなりの勢いで雨が降っていた。日中気づくと青空になっていた。午前中は机周りの片付け方を中心に行った。合間には普段なかなか話せないようなことをいろいろと話し合ったりした。考えていることはそう遠くはないのだから、もっと思い切って声を上げるようにすれば良いのだろうと思った。午後には誰もいなくなり、一人気ままに仕事を進めた。今年の業務は本日で終了。明日からは年末年始の休業日なので、施錠して鍵を持ち帰った。

23日(火)
 午前中は何をしていたのか思い出せない。昼もだいぶ過ぎてから職場に向かった。明日までにしなければならない仕事が一つあったが、きょう中に済ませることができたのは良かった。いつもより少し早く退勤したら、道路はどこも軒並み空いており、20分もかからないうちに家に戻ることができた。時刻のせいなのか、それともこの時期のせいなのかはわからない。こちらの学校でも、今週からはクリスマス休暇に入っているので、子どもたちは休みらしい。そして、職場でも休みを取っているところは多そうである。
 夜にはOuderkerk aan de Amstelの町まで行き、食事をした。バスから降りて店に行くまでの通り沿いにはクリスマスの電飾が輝いておりきれいだった。それに、店の中も明るく、暖かい飾り付けがしてあり、雰囲気の良いところだった。夏に母や叔母を連れてきたときには、運河に開けた外の席に座ったのだが、今は冬なので店の中での飲食となる。アウトドアの夏にインドアの冬、太陽の下で過ごす夏と明かりの下で過ごす冬。こんなにくっきりした対照もない。

22日(月)
 冬至のきょう、日の出は8時48分だった。夏以来の平日休みは午前中だらだらと過ごし、昼から車で出かけた。書店で来年の手帳を買い、La placeでサンドイッチを食べた。La placeは至る所にあるが、入ったのは初めてだった。なるほど注文も簡単だし、ひとたび座席に座ると気兼ねなくいつまでもいられるのが楽だ。この店に限らず、こちらのカフェやバー等では、客が完全に放っておかれるのが心地よい。
 IKEAでキーボードの台になる家具を探したが、良い高さのものがなかった。ショールームを回っていると気分が悪くなった。いつもここでは店内を一回りして帰る頃には気分が悪くなっている。均質で安価なこれらの商品が、全世界の家庭に同じようにあるのかと思うと、気分が悪くなるのだろうか。
 KNSM島は元東インド会社の倉庫街だったという。90年代からの再開発で、近代的で魅力的な街に生まれ変わった。変わった形の建築物が多い。夕方だったので周辺を一回りしただけだったが、日中にゆっくり歩くとおもしろそうだ。一口にアムステルダムといっても、まだまだ知らない場所がたくさんある。そして、どこをとってもそれぞれに魅力的な街である。なぜこんな街に来ることになったのか。そして、せっかく来ているのに、その魅力に触れる機会をみすみす逸してばかりいるのはなぜなのか。不可解極まりない。

21日(日)
 朝から寒々とした空の広がる日だった。暗くなるまで家の中に籠もり、だらだらと過ごしていた。仕事が一段落ついたので、仕事のことは考えなかった。夕方から2時間ほど散歩に出かけた。トラムとメトロを乗り継いで、アムステル駅まで。そこからRAI駅まで歩き、ザウト駅からバスに乗った。風が冷たかったが、気温は10度近くあり、おそらくこの時期にしては高過ぎる気温だったろう。その割には着込んでいたから、歩いているうちに暑くなった。
 夕食後にiTunesで「るろうに剣心」を観た。三部作の一作目、噂には聞いていたがまだ観たことがなかった。スピード感溢れる青春冒険活劇という感じで楽しかった。若者たちが観たら熱中するだろう良い作品だと思った。

20日(土)
 昨夜は忘年会だった。日本料理の店はほとんど日本にある店と変わらなかった。ただ従業員が西洋の人々だったのと、料金がかなり高かったことが違った。きょうは一日中頭痛があって冴えなかったが、午前中は郵便局に行き、自動車の名義をディーラーから自分に変更する手続きをした。その後、トラムとバスを乗り継いで、通ったことのない通りを歩いた。途中、オランダの産直の店や、クリスマス前の市場を見た。昼は屋台のサンドイッチを食べた。風が冷たい日だったが、開放感も手伝って楽しく歩くことができた。

19日(金)
 きょうで一段落。午前中の3時間はあっという間に過ぎ去ったが、その中でかけがえのない多くの関係が確認できたことが良かった。きょうでここを離れる人が3人いるが、場所が広がると思えば寂しさはない。

18日(木)
 夕方からクリスマスパーティが開かれた。一応係だったので、準備をしたりした。進行では何の役割もないのが申し訳なくて何かすることがないかと言ったら、始まる直前に、司会のオランダ語を言う役になった。ぶっつけ本番ではあったが、発音を褒めてくれた方がいたので嬉しかった。

17日(水)
 懇談の最終日であった。全体的には順調に過ぎ、特段問題も起きなかった。反省点としては、自分の目で何もかも確認するべきなのだということを思い知らされた。チームで仕事をするということは、割り当ての部分だけに責任を持てば良いということではないのだった。

16日(火)
 電話やメールでらちがあかなくても、顔を向き合って話せばすぐに理解し合えるということもある。きょうは自分でも不思議なくらい気楽に構えていたのだが、肩すかしを食らうほど簡単に終わってよかった。

15日(月)
 朝からメールや電話での対応に追われてリズムがおかしくなった。簡単に済ませるつもりでかけた電話が長くなり、明日に持ち越す結果となった。できることはやっている。こちらが迷うことはない。

14日(日)
 きのうとは別の道を通って、散歩がてら買い物に出た。きのう買わなかった防寒着を購入した。
 どこに行こうとか、何を食べようとか、あまり計画的に考えることがない。偶然というのがもっとも大切な価値で、偶然から生まれるものが多いということを学んできた。良いことも悪いこともある。その中からどういうことを抽出するかによって、受け取り方は変わる。

13日(土)
 冬用の靴がないので買いに行くことにした。いくつか店を歩いて気に入ったものを一足買った。その後、洋服の店をいくつか見て回った。やはり冬用の防寒着が足りないので、一つ欲しくなったからだ。でも、yこうは買わなかった。地図の専門店で、欧州の地図と棒と留め具を買って、部屋に貼れるようにした。ケバブ屋で遅い昼食を取り、バスで帰宅した。夜になってからまた先週と同じバーに行ってビールを飲んだ。

12日(金)
 降って沸いた話に戸惑ったまま、確認のメールを送って週末に入る。一筋縄でいかないことが多い。それはいつでもどこでも同じ。何ともえげつない感じを覚えることが増えてきて、虚しさを噛みしめる。

11日(木)
 午後2時間続きの取り組みは、最初の1時間はすんなりと進んだのだが、後半は予想以上に収拾が付かなくなり苦労した。それでもあとは1月までないので、しばらくは考えずに済む。

10日(水)
 あの日から3年は岩手県の最南端で過ごした。そこでの被曝は少なくないだろう。そしてその後の3年はオランダに住むことになる。この放射能から離れる3年が、吉と出るか凶と出るか。こちらが望むと望まざるとにかかわらず命の現実は厳しい。人の死はドラマチックではない。死ぬときは全部中途半端で死ぬ。それは自分だって例外ではない。メメント・モリ。とにかく毎日考えることは生と死と音楽だけ。

9日(火)
 原発の爆発の時、かなりの被曝があったと思われる。僕はあの年に何度も福島を訪れ、土の上で一日中過ごしていたので、吸い込んだ量は多いと思う。それに伴う癌がそろそろ目立ってくるかもしれない。命の終わりについてはそれ以前から毎日想像はしているが、いよいよ現実となる日も近そうだ。

8日(月)
 午後2時間続きの取り組みの第1弾で、こちらも要領を得ないから滑り出しまでは手探り状態だった。後はやるべきことをどんどん推し進めるのみ。終わるとどっと疲れが出た。

7日(日)
 一歩も外に出ずに仕事をした。朝から、書類の下書きを進めて、週明けの流れを作った。できあがり次第散歩に出かけるつもりだったが、雨が降っていたので断念した。

6日(土)
 ハーグまで衆議院選挙の投票に出かけた。天気が良く、気温も高めで、車を運転するのは気持ちが良かった。投票後には楽器屋に寄って、キーボード用の台を購入した。街をぶらぶらと散策して、スーパーで食料品を購入し、中華街の店で昼食を食べた。
 寄るにはアムステルフェーンの劇場でミュージカル「サウンド・オブ・ミュージカル」を鑑賞した。当然言語はオランダ語だったが、まったく問題ではなかった。帰りにはバーによってビールを飲んだ。

4日(木)
 朝から4時間続けた後に、午後にわりと大きな行事が入った。休みなしで夕方を迎えることはいつものことだが、果たしてきょうが実のある一日だったろうかと振り返ると、単なる消化に終わったと反省する日も少なからずある。

3日(水)
 朝のラジオで流れてきた合唱曲は、「深い河」という名の黒人霊歌だった。これまで書かれてきた曲の中でもっとも美しい曲のひとつと書く人がいた。たしかにそう思えるような旋律にしばらく心を奪われた。
 この年になっても、すべての人が自分より年上に見えて仕方がない。それは子どもに対しても同じだ。先輩後輩の別を厳密に区別して、それによって言葉遣いを切り替える人がいるけれども、自分にはそれがよくわからない。相手が自分より早く生まれたか遅く生まれたかは、言葉を選ぶときそれほど重要ではない。

2日(火)
 それぞれの人のもつ常識が、実に狭い範囲のものであることを痛感させられる。同時に、これまで行っていたことがそれほどおかしいわけでもないという気持ちも強くなる。
 「えげつない」という言葉は好きではないけれど、そういう言葉で表現せざるを得ない場面を見ることは、暮らしの中で増してきているように思う。それは違うだろうと言いたくなるけれど、それもこちらの常識に照らし合わせて考えてみれば言えるだけで、相手の常識ではそれが正しいことなのだ。

1日(月)
 師走になった。きりが良く月曜日からの始まり。日の出は8時半頃なので、出勤時はまだ真っ暗で寒い。今朝は通りの一角で事故なのか工事なのか通行できないところがあり遠回りさせられた。しかも、トラムの車両がところどころ電気が消えた状態で停車しており、気味が悪かった。停電だったのだろうか。
 昨日あたりからいつ雪が落ちてきてもおかしくないような空に変わった。少しの時間でも外に出るときにはコートが要る。夕方4時前の気温は1度だったという。それでも今の岩手よりは高いし、おそらく例年と比べてもずいぶん高いのだろう。冬の寒さはこんなものではないが、風邪を引くのはいつもこんな時期だ。