二〇一四年七月

 昼過ぎから雨。夕方に企業の方と打ち合わせがあったので早めに出る。高速に乗って余裕で到着日と思われたが、出口を間違えてしまい、十数キロ余計に走ることになってしまった。高速道路は発達しているが、一度インターを間違えてしまうとなかなか出られない。初めて行くところは要注意だと思ってはいたのだが、実際に行くのとではまた違うのだった。

(七月二十一日 月曜日)

 

 昨夜は帰宅が少し遅かったので、朝はゆっくり起きた。考えてみれば、昨夜のイベントからの帰り道で、暗くなってから運転するのはここに来て初めてのことだった。朝目覚めた時にはすでに明るく、夜眠る時刻にもまだ明るさが残っているというのは、白夜みたいなものだ。

 自転車で床屋まで行った。ここに来て2度目のことだ。前回はIDの写真を見せて、このようにと注文したのだが、今回は特にその必要はなかった。洗髪は無いから、ドライヤーで髪の毛を吹き飛ばすだけ。慣れればどうということもないとは思うが、帰宅してすぐにシャワーを浴びた。

 午後から車でマウデン城というところまで行った。車で20分のところにある小さな港だった。運河を行く船の人々は裸だった。ガイドに従って内部を見学したあと、城内や庭園を1時間くらいかけて見学した。庭園で鷹匠と鷹匠が操る鷹を初めて見た。町をふらっと見て、隣の町で買い物したり、いくつか見て回ってから帰宅した。

(七月二十日 日曜日)

 

 ここ数日で最も暑かった一日。午後からの動きは凄まじかった。うまくいくことがあり、うまくいかないことがあり、だがその起伏の差は微細で、一晩するとどうでもよくなる程度のものでしかない。ただ、漢字の送り仮名を間違っていたことに気づかなかったり、文章を読むのを途中で止めて話し始めたら止まらなくなり、文章のことは忘れてそのままにしていたり、などという、今までに無いことが続いたりすると、それは年の所為なのか、準備不足の油断の所為なのか、いずれにせよそれはどうでもよいという性格の問題ではないだろう。

 野球とサッカーの違いは、試合時間の差についてが大きい。サッカーは基本的に終わるまで止まらないが、野球は終始始まっては止まり、始まっては止まりしている。また、サッカーは終了までの時間が正確に予想できるのに対して、野球はまったく予想がつかない。その差を痛感した一日。

(七月十八日 金曜日)

 

 スキポール発クアラルンプール行きのマレーシア航空機が撃墜されたというニュースが、長い時間放送されていた。全員死亡ということだ。機上の人々のその瞬間を想像して、心が冷たくなる。

 いつもいつも、その瞬間を想像している。ミサイルが打ち込まれた瞬間。爆発に呑み込まれた瞬間。衝撃の速度に、神経遷移を通過する信号が追い付かないうちに訪れる終末を、僕は毎日想像する。

(七月十七日 木曜日)

 

 この国では、手を挙げて乗る意志を示さなければバスは停まってくれない。午前7時15分、家の前の停留所からバスに乗ると、12、3分で駅に着く。そこからホームまで歩きメトロに乗ると、4つめが職場の最寄り駅。いくらかかっても8時前には到着する。

 気温がぐんぐん上がり、昼過ぎにはおそらく30度近くまでになっただろう。上がった気温が下がらぬまま夜を迎える。夜と言っても午後9時を過ぎてもまだ明るく、夏至を過ぎてしばらく経った今頃でも日の入りは午後10時近い。子どもたちは遊びに出たくてしかたない。ヘッセの「少年の日の思い出」の描写がごく自然に感じられるところ。

(七月十六日 水曜日)

 

 果たして良い仕事というのはどんなものを指すのだろうか。同じことをしているようでどうも違う。対象が違えばアプローチの仕方が変わるのは当たり前のことだが、物わかりがよいとこちらが楽だとか、人数が少ないから短い時間で済むとか、そんなこともないだろうにと思う。パワーハラスメントという言葉が良く聞かれるけれども、聞く耳をもって受けとめればすべてを否定をする前に自分の糧となることを発見できる機会でもあるだろうにと思う。もちろん肯定しないけれども。その後でも、不当だと思うならば出るところに出ればよい。はじめから人のように思うけれど、はじめは誰しも人ではない。人でなしが何を言ってもダメなのだ。

(七月十五日 火曜日)

 

 きのうはフォーレンダムという風光明媚な町の写真館で撮影してもらったのだった。民族衣装を着た姿で写るというのが、この町にある何軒かの写真館の特徴らしい。世界各国から訪れる観光客たちが利用するらしい。予定の時刻を少し過ぎてから内部に通された。あれよあれよという間にスタッフが衣装を着けてくれて、気がつくと娘の姿になっていた。

 その後はエダムの町をちょっと散歩してから、マルケンというところに行った。昔は海に浮かぶ島だったそうだが、今では堤防が出来て周囲は淡水化されている。素敵な住居が建ち並んでおり、雲もちょうど切れて、いい日和になった。阿蘭陀はどこをどう切り取っても美しい。

 夕方からは自転車で少しばかり走った。アイスクリーム屋でアイスを食べて帰ってきたのだった。

(七月十四日月曜日)

 

 古民家を訪れて、その様子を拝見することができた昨日。太陽の下で酒も飲まずに半日過ごしたが、飲まないのはたいしたことではなかった。貴重な体験であった。そして、きょうもまた貴重な体験をさせてもらう機会に恵まれた。

(七月十三日 日曜日)

 

 人間が好きという感情はもちろん理解できる。しかし、自分の中に好まざる部分があることを認め、それが個人ではなく人間というものの一般的な性質かと思ってしまうと、手放しで人間が好きだとは言えなくなってしまう。同様に、子どもが好きかと問われれば、それは職業柄そういう部分もたしかにあるけれど、やはり嫌で厄介な側面も多分にあって、その部分は嫌いだ。

(七月十二日 土曜日)

 

 金曜日はあっという間に過ぎた。これで週末だとほっとする気持ちもあるが、また同じような一週間を過ごしてしまったと悔やまれる気持ちもないわけではない。しかし、それを掘り下げるまでいかないうちにまた次の週がやってくる。こうして何の成長もない日々が続いていく。というのは無意味だ。

(七月十一日 金曜日)

 

 昨夜の試合には破れたが、これも勝負なら仕方ない。すぐに相手チームを拍手で誉め称えた選手たちの態度が紳士的に映った。というのは、もう何年も前のこと、負けたあとにピッチに横たわって動かなくなった主将がいたのを思いだしたから。あれはあまりに未成熟な態度だったと言わざるをえない。

 今朝は一週間ぶりに自転車で出かけた。昨夜までの雨が止み、今朝はこれから暑くなることを予想させるような湿り気が辺りを覆っていた。7時過ぎの自転車道はそれほど混んではいない。今まで通勤時には通ったことの無い道を漕いだ。すると沿道から珈琲の香りや焼きたてのパンの香りが漂ってきた。通りの一角の店で休みたい気持ちがふとよぎる。だが、現実にそうすることなどない。それは誰かのための日常の一コマであって、けして自分の日常ではないということをどこかで自覚しているのだ。その数分後に僕は職場の机でパソコンを開き、昨日と同様の書類をタカタカと打ち込む。

(七月十日 木曜日)

 

 これからサッカーのワールドカップブラジル大会の準決勝、阿蘭陀とアルゼンチンの試合がある。こちらの時間で午後10時から。街の至る所にオレンジ色の旗やマスコットが掲げられ、道行く人々にもオレンジ色の物を身に付けたりしている人が多い。赴任してすぐにこのようなイベントで阿蘭陀が大いに活躍することは、とても楽しく胸躍る体験である。

 昨夜のドイツ・ブラジル戦は7対1でドイツが大勝した。いくらネイマールが欠場したからといってこれだけの大差がつくのは意外だった。そして、国民のスターだった者たちが一晩で国の恥みたいに扱われてしまうというのは、気性の激しい国柄だからだろうか。

(七月九日 水曜日)

 

 きょうで阿蘭陀に来てまる3か月がたった。この間の記録をすっかりサボっていたため、いつどこで何をしたのか、詳しいことはもう確かめることが難しくなった。そこで、やはり書かなければダメだという結論に達した。どんなに拙くても構わないので、何かを綴り続けることだ。

 10年以上前から、同じような結論を導き出しては忘れるというのを繰り返してきた。そうして近頃になって、書かないでいると以前気づいたはずの事柄さえ忘れてしまうかもしれないと思い始めた。些細な出来事や気づきであっても、書き留めておくことが大切だ。夜寝る前に10分間程度でも、パソコンに向かう時間を確保したい。その蓄積がかつての自分を夢に近づけてくれたのと同じように、これからもこれからの夢の実現へと自分を導いてくれるかもしれないから。

 案の定、加奈陀に行って3か月たった日の日記を読んでみたら、今考えていることとかなり似たようなことを考えていたのだということがわかった。町並みに関して言えば、こちらではどこかにお楽しみがふんだんに隠されていることを感じる。散歩をするたびに、さまざまな発見がある。町をつくる人の遊び心が、町そのものに体現されていると感じる。そんな思想のある町が、日本にはいくつあるだろうか。

(七月八日 火曜日)

 

        14/08/24 6:32 pm