二〇一四年五月

 毎日が慌ただしく過ぎていき、いくら日が長いといっても夜は眠くなる。そうして、その日のことを何一つ綴ること無く一日が終わる。この繰り返しは、どこにいても同じことだ。

 だが、その繰り返しの中で自分を省み、社会を見つめることができれば、昨日と同じように見えてまったく違う一日が過ごせるはずだ。しかも、今の自分に与えられているのは、いくつかの別の社会と比較する機会だ。それはいま、自分らしくあるための力となっている。

 日本との差異は大きなものだが、やはりどちらかが良いとか悪いとか言うのは意味が無い。それぞれに良く、それぞれに発展や変化を続けている。北米で見たものと似ているところは多々あるが、それらが同じ根っこにたどり着くと思えば、歴史の重みを感じずにはいられない。

 この間、ライデンには二度行く機会を得た。レンガが敷き詰められた古い道を歩いた。シーボルトハウスでじっくりと彼の運んできた品々を眺めたり、大学の植物園で大洋を渡ってきた多種多様な樹木を見上げたりした。

 ハールレム、デン・ハーグ、アルクマール、ブルック・イン・ウォーターランド……。訪れた町の規模は様々だが、どの町にも水があり、緑がある。そして、どの町もどの村も息を呑むほど美しい。そして、そこに美しく住みなす素朴な人々がいる。風景のどこをどう切り取っても絵になる。こういう国に来て、自分も絵を描かなければ罰が当たる。まずは絵筆を探すことから始めるしかない。

(五月三十一日 土曜日)

 

        14/06/14 8:51 am