二〇一四年十月

 

  何か月かぶりに毎日の記録を書いて、アップしようとしたとたんに変なことになった。そして、気がつくとすべてが消えていた。グーグルのキャッシュに残っていた6日までの日記だけが救出された。休日を3日くらい費やしてまとめたものが一瞬にして水泡に帰した。すべてがばからしくなって、自棄を起こしてすべてを消去してしまうところだったが、それは免れた。僅かに理性が残っていたようだ。
                                               (十月三十一日 金曜日) 

 土曜が出勤だったので、きょうは珍しく月曜の休みだった。朝はコンピュータをいじっていたらあっという間に過ぎてしまった。空には暗く雲が立ちこめていた が、雨が降り出すことはなかった。昼からきょうも散歩に出た。アウダーケルク・アーン・デ・アムステルは自宅から至近の村だ。車だと数分で着くところを、 ゆっくり歩いた。途中には牧場があり、運河があり、入ったことのない路地があり。車や自転車では見えないものがいくつも目に入ってきたことが新鮮だった。 肉屋でハムのサンドイッチと肉団子を買い、川沿いのベンチで食べた。先月母親と叔母が遊びに来たとき連れて行ったカフェはすぐ近くだ。ちょっと鶏に似た感 じのおばさんが水鳥に向かって無闇に餌を投げていた。そこからバスに乗って東に向かった。サッカーチームアヤックスの本拠であるアレーナの周りは大きな商 店街となっている。これまでじっくり見て回ることはなかったが、ここは黒人の比率が高く、黒人対象の店が多かった。たとえば生鮮食料品の品揃えが違ってい たり、鬘屋があったりした。異文化と遭遇した時に覚える興奮を久しぶりに感じることができた。アムステルダムのこれまで見てきたのとはまったく別の側面を 垣間みた気がした。ほんとうにこれまでこの街の何十分の一も自分は見ていなかったのだということを痛感させられた。

(十月六日 月曜日)

  昼からバスとトラムを乗り継いでヨルダン地区に出かけた。バスには客が一人も居なかったがトラムの座席は西洋人で埋め尽くされていた。こぎれいな商店の並 んだ通りを通って西教会の前に出た。アンネフランクの家の前を通って運河の通りを歩く。飾り気の無い住宅地はどこを切り取ってもそのまま絵になる景色。秋 のやわらかな日差しを受けて、色づいた木々も運河のさざ波も人々の表情も輝いていた。イタリア系と思しき通りの角の狭い店でサンドイッチを買った。カ ンツォーネがラジオから流れる店先では、皆が自然に寛いでおり誰が客で誰が店の主人かしばらくわからなかった。この国の人はいつでもオランダ語と英語を自 在に切り替えて対応してくれる。しかもこちらの拙い英語を酌もうとしてくれるので意思疎通で困ることはほとんどない。「パストラミスペシアル」を 街頭のベンチに座って食べた。きょうは無目的の散歩だった。そもそも散歩に目的などあろうか。通ったことの無い通りがまだまだたくさんある。すべて行き尽 くすのは不可能ではないことだが、おそらくやらないだろう。チーズとパンとワインの店で、バゲットと、干した果物や木の実を固めた菓子を一切れ、そしてそ れに合ったチーズを選んでもらった。その後は、バスを降りてすぐの店でソフトクリームを食べたり、気になっていたフリッツ屋まで自転車で行ったりと、気侭 な休日を過ごした。

(十月五日 日曜日)


 本当に評価すべきなのは対象の価値ではなく、自らの仕事の価値であろう。誰よりも自分が自分に厳しく振り返らなければ、浮かばれないのはいつも対象となる新しい人々である。

(十月四日 土曜日)

 あすの日のための準備が半分以上を占める日が一か月間続いた。これまでしたことのないことを経験できたのは楽しかったし自分なりに勉強にもなった。けれど、時間と手間をややかけ過ぎた。

(十月三日 金曜日)

 生き方にもさまざまある。消費者としての見方もたまには面白いが、そればかりに偏ると何ら深みの感じられない日々になる。損得勘定で動く人とか、常に上質を求める人とか、まあいろいろだ。

(十月二日 木曜日)

 至る所で自己嫌悪とぶつかるものだがそれはそれで悪いことではない。希望と現実の差を誰に言われる前に気づくことだから。気づいた者には次が巡ってくる。挽回する機会が巡ってくる。

(十月一日 水曜日)