二〇一四年九月

 

 当たり前のことを書くけれど。いつも同じようなことを書くけれど。日々何をしたかを記録していないと何をしたか思い出せなくなってしまう。それは至極当然のことだ。一か月間記録しなかったら、その一か月何をしたかは残らない。それを僕は一か月生きていなかったのと同じことだと受けとめる。言い方を換えればその間死んでいたのと同じ。いくら何か可笑しなことを話していたとしてもそうだ。残らなければ意味が無いと、受けとめる。これはこれまでの暮らしで染み付いたことだ。

 一か月が過ぎて、また今月も慌てて文字を打ち込んでいる。きょうは父親の命日で、早いもので十六年。ということは十七回忌。早いかどうか、ようやくここまできた。しかし、十七年も経つと、細かなところは忘れてしまう。だが逆に、以前は気づかなかったことにあれこれ気づくということもある。どうして父はああだったのかと疑問に思っていたこともあったが、同じような年になると、なんだそういうことかと問題にもならないということもある。たしかに年を取るとみえかたが変わる。それはただ時間を重ねたからとか、考えが深まったからということもあろうが、身体が変わってしまったことに由来することも多そうだ。たとえば二十歳の時には考えてもみなかった身体変化が訪れている。

 いま何と闘っているかというと、もっとも大きな相手は「老い」だ。その後ろにすでに「死」が潜んでいて、日に日にその陰が大きくなっている。だけど、それほど大げさなことではなく、生きていることと同じようにそれは自然なこととして感じられる。死の無い人生なんて生きている甲斐がない。

 先日上司が仕事中の自分の姿を写真に撮ったのを見せてくれた。ずいぶん父親にそっくりな人だと思ったら自分だった。それはかなり新鮮な体験だった。鏡の中の自分の顔を見れば、在りし日の父の面影にそっくりだ。それぞれの表情をするときの、それぞれの感情も、理解できるような気になる。

 溜息の出ることには、このような個人的な体験とはまったく異なり、世の中がおかしくなっている。こんな世界に、新しい人々が生きていく。その意味が正直わからなくなってしまっている。鏡の中の自分は笑っているように見えてけして笑ってはいない。晩年仏に帰依しようとしていた姿が懐かしい。結局のところ、彼も我と同様に相当悲観的な考えの持ち主ではなかったのかと思う。

(九月三十日 火曜日)