二〇一三年十二月

 

 早朝橋まで散歩してから、コンピュータの中の整理をした。机の中と同じだった。どれほど広げても画面に収まるからと広げっぱなしだった。仕事の書類は分野別にしていたから苦労はなかったが、写真が酷かった。合間に川崎の産直に行き、林檎や豆腐を買った。夜は旨い蕎麦を食べた。オンデマンドで「街道を行く」を観て気持ちを新たにした。御蔭様で二〇一三年も無事終了することができた。

(十二月三十一日 火曜日)

 何枚か年賀状を書いて投函した。銀行は人が多かったのでやめた。午後から東山と大東の産直の店を梯子して、年末年始の食料を調達した。だらだらと過ごしていると休みはすぐに終わる。以前パチンコ好きの同僚が言った、俺の稼いだ金をどう使おうが俺の勝手だろという言葉を思い出した。たしかにそうだが、いつも引っかかる。自分は自分で人間としてほんとうに良い使い方を追求したい。

(十二月三十日 月曜日)

 午前は関口宏の特別番組を見た。中韓と米国、欧州のリポートを見て、各者の意見を聞いた。若いジャーナリストや活動家がわかりやすくコメントしており頼もしく感じた。ナチスと「悪の凡庸さ」の話から、「ハンナ・アーレント」を観てみたくなった。さて自分はどうするのか、何ができるのか。考えたことのひとつは、自分の頭で考え論ずることの大切さ。それを次の人々に説くことだ。

(十二月二十九日 日曜日)

 早朝の列車を乗り継ぎ11時前に帰宅した。途中またひとつ原点の町を散歩した。午後には車で産直の店に行き、野菜などを買ってきた。雪で辺りの山々には色がなくなり、まるで水墨画のようだった。前の時とは時間の使い方が違う。すべてを調えることは無理でも、できることはしたい。年末年始は絶好の機会だ。それで金融関係のIDとパスワードをまとめたら意外と時間がかかった。

(十二月二十八日 土曜日)

 電車やバスに揺られながら、本を読み考え事をし、風景を眺めてボーッとしたり人々の様子を観察したりした。これからどうしていくのか、何をしなければならないのか、まだ形となっていないあやふやな事ごとを、組み立てていくための広場を頭の中に作って戻ってきた。バスで祖母の実家近くを通った。私鉄の終着駅では親しげに声をかけられた。そこかしこに自分の原点がある、と感じた。

(十二月二十七日 金曜日)

 明日は先月の出張分の振替休日を取ったから、きょうが一日早い仕事納めになった。早朝に起床して書類作り。午前中は数件の面談等。午後はほとんどが救急救命講習への参加だった。退勤後に一件訪問して、晴れて今年の仕事は終了した。年末年始の休日のうちに進めておく宿題もあるけれど、とりあえずは少し解放感を覚えた。今夜はここ数日のことを思い出しながら日記にまとめておきたい。

(十二月二十六日 木曜日)

 「はじめよければ終わりよし」は知っているけれど、「終わりよければすべてよし」を知らなかったり、「井の中の蛙」は知っていても「大海を知らず」を知らなかったりする人が多いと感じた。大きな節目の一日。考えてみれば毎日が大きな節目であり、日が昇ったり沈んだりを繰り返しながら一日一日が過ぎていく。それが「暮らし」というものだ。きょうは谷川俊太郎の「成人の日に」を読んだ。

(十二月二十五日 水曜日)

 ここに来ることが決まる少し前に、同僚がここについての不安を話してくれたことがあった。どうしてそんなことを言うのか、その時には解らなかった。しかし、3年近く過ごしてみると解ることも増えてきた。少なくとも手放しで喜んでいられる状況でないのはたしかだ。甘やかし合うではないけれど、淀みの中で伸ばし合う風土が失われたと思わせる件が、身のまわりに日常的に存在するのだ。

(十二月二十四日 火曜日)

 午前中に少しだけ仕事を進めたが、以後はすっかり停滞した。メールに添付されていた文書をいくつか読んでいたら、考え事が浮かんで、それがあちこちに飛んで、とても仕事を進める状況ではなくなった。新しい生活は自分が選び取ったようにみえてそうではない。なぜなら自分の選択だけでは選びきれないほどの事柄が、不思議とまるで誰かから与えられるようにして実現されるからである。

(十二月二十三日 月曜日)

 冬至の朝は薄暗く、実家の部屋は暖房が故障していて寒かった。押し入れの中を片付けたり何かしているうちに昼になった。帰る前に墓地に寄った。墓前の空の茶碗の中に、一匹のイトトンボが入っているのを見た。外に出そうと摘むと脚が僅かに動いた。寒さを避けようとしてか、水を飲もうとしてか、迷い込んだのだろう。せめて水を飲ませようと草の露のあるところに運んだ。

(十二月二十二日 日曜日)

 昨夜は部屋で0時頃まで飲んでから寝たが、今朝は4時半には目覚め、布団の中であれこれ考え事をしているうちにまた眠った。変な夢の途中で6時のアラームに起こされた。少し温い一番風呂にゆっくり浸かった。この日泊まったのは一団体だったので、朝食会場ががらんとしてあまり居心地がよくなかった。夕方からは実家の母を連れてまた別の温泉に出かけ、今度は熱い湯に浸かった。

(十二月二十一日 土曜日)

 特別日程の一週間が終了した。朝から湿った雪が降り続けて、午前のうちに辺りが真っ白になった。車にも10センチくらい積もったが、誰かが雪を払ってくれていた。忘年会のために、職場からは1時間半くらいかかる山間の温泉宿に向かった。暗かったので、途中の道を間違えた。ビールなどを目の前にあるだけ飲んだ。疲れはあったが、精神的な負荷があまりかからない飲み会だった。

(十二月二十日 金曜日)

 冬至が近くなると、学生時代に聞いた比較言語学の講義を思い出す。洋の東西を問わず、この時期には古い太陽が死んで新しい太陽が生まれるという発想があるという。日輪を象徴するのがクリスマスツリーや松飾りを作る針葉樹の葉であり、この時期大量に獲れるニシンに代表される青魚なのだそうだ。違いを超えた人間の本質をみたいという思いは、その頃芽生えたのかもしれない。

(十二月十九日 木曜日)

 他から時間を押しつけられる生活と、自分が時計を見て動く生活とでは次元がまったく異なる。チャイムの鳴らない一日は、時間を意識して行動する気持ちが強まるためか、意外に全体落ち着いていた。しかし当の本人たちはそれほどの違いも意識できていないというのが可笑しい。自分たちを縛りつけているにも関わらず、それがないと不自然に感じるということは意外と多いのではないか。

(十二月十八日 水曜日)

 今週は特別日程が続くからか、火曜日を終えるともう金曜日が終わったかのような気分になった。風邪はほぼ治ったが咳が時々出るのでマスクをしている。不織布の毛が鼻をくすぐって痒い。これから書類の締め切り日が毎日のように続いていく。きょうは二つの書類を提出した。四半世紀で年の瀬の状況は一変した。踏み絵というか免罪符というか、昔のあれはいったい何だったのだろう。

(十二月十七日 火曜日)

 何の気負いも衒いもなく、淡々とこなしていく午後のひととき。今週は何組もの人々と面会を繰り返すことになる。初日のきょうは数が少なかったしそれほどの懸案もなかったから、あっという間に終わってしまった。話の進め方はもとより、机の組み方や採光の仕方まで20年来変わっていない。問題点があるかもしれないが、このスタイル以外にはできないというほど定着してしまっている。

(十二月十六日 月曜日)

 特にどこに行く宛てもない日曜日。午後から少し買い物に行った。ホームセンターのレジは、いつもは2つか3つしか開いていないのに、きょうはすべてのレジが開いて、どこも列ができていた。年末やクリスマスが近づいてきてどこも少しずつ気忙しく慌ただしい感じになってきた。多くの人はこんな季節が好きらしい。そして好き好んで何かを買いに行きたがり、列を作りたがる。

(十二月十五日 日曜日)

 朝から雪が降り続けた日。朝には散歩がてらクリーニング屋まで歩いた。学習塾になっているある建物の二階の窓に「苦手科目服克」という文字があった。「服克」という言葉があるのだろうかと調べてみたが、日本語には見つからなかった。きっと「克服」の間違いだろう。ところで、午後には業者の人が窓枠の寸法を測りに来た。来月にも二重窓の工事が入るそうだ。少しは暖かくなるだろうか。

(十二月十四日 土曜日)

 風邪が治りかけてきた。まだときどき咳き込んでしまうことがあるけれども、たいしたことはない。こじらせて長引かせたりすることもたまにはあるが、今回は無事に切り抜けることができそうだ。症状が出始めてから1週間くらい過ぎたが、この間症状の推移がはっきりとわかっておもしろかった。師走も半ばまで来た。やるべきことは決まっている、あとは進めるのみ。

(十二月十三日 金曜日)

 携帯電話は従来型で何の不便もない。業者が挙ってスマホスマホと宣伝するのは奇怪だと感じる。踊らされている人も多いのだろう。ところで、物事は良くなったり悪くなったりするものではなくただ変化するのだ。ところで、戦争の足音がする。このところ警告音がけたたましい。大丈夫と思っているうちに不意を突かれるより、危ないと思っていたけどそうでもなかったというほうがいい。

(十二月十二日 木曜日)

 先日から耳鳴りがしたり目の奥が痛かったりと、風邪のような症状が出ていた。それが少しずつ酷くなってきて、鼻が詰まったり鼻水が出たりして困った。仕事のほうは締め切りがあるので隙間の時間を使って進めた。しかし、夜には起きていられなくなるので21時過ぎには布団に入るという始末であった。しかし、朝の頭は夜の3倍くらいよく回るので結果的に効率は良い。

(十二月十一日 水曜日)

 夕方から会議があった。会議自体は1時間ほどもかからなかったが、それから後に報告のための電話を10件も入れなければならず、帰宅が遅くなった。それでも、100%思う通りにならないのはいつものことだが、そういう時でも納得を引き出せるだけの手を事前に打っておかなければならない。

(十二月十日 火曜日)

 昨日は午後から水沢にある写真館に写真を撮りに行った。そうあることではないので少し吟味して、少し離れてはいるが信用できそうなところを選んだ。実際印象の良い写真館で、先代が東京の神保町から疎開で越してきて以来こちらでやっているという気の良さそうなおじいさんが撮影してくれた。その後高速に乗って帰ろうとしたら知らぬ間に上下を間違えて進んでいて慌てた。

(十二月九日 月曜日)

 午前中に宿題を済ませる。文章とはいえぬ文書を九通。短くとは思うけれど、必要な情報を網羅しようとすれば、ある程度の長さになってしまうのは必定。容れ物は、そこに入るものの大きさに合わせて作られているに違いないから、小さ過ぎたり大き過ぎたりすることはまずない。要は、長い短いを問題にする必要はなくて、最低限必要なことがまとめられているかどうかが大切だということだろう。

(十二月八日 日曜日)

 宿題のある週末。朝から少し調子が悪い。時々意識が飛んで、時々がちゃんがちゃんと耳鳴りがする感じ。9時を過ぎた頃、クリーニング屋にシャツを出し、川崎の道の駅まで足を伸ばしてリンゴなどを購入。帰る頃、それまで晴れていた空は黒い雲に覆われて雪が降り出してきた。昼過ぎに再び外に出て、ガソリンスタンド等に寄ってからうどん屋で昼食。夕方から少し横になった。

(十二月七日 土曜日)

  

 「おくのほそ道」の平泉の章を読んでいたら、隣から「ハレルヤ」が聴こえてきた。何ともいえない調和。涙も歌声も人間の身体を伝ってこぼれ落ちるもの。無常観もキリスト教の思想も根っこはつながっているのではないか。なぜなら、どちらも生きて死ぬ人間の考え方だから。そして、古い太陽が死んで新しい太陽が生まれるこの時期には、大昔から人間は生き死にに思いを馳せていたのだろう。

(十二月六日 金曜日)

 早い一週間。ここ三日間は18時頃には職場を後にしている。何か懸案があるわけでもなく、年末の決まった仕事を淡々とこなすのみである。通常業務についてはかなり楽しくできている。これまでは考えたこともなかったような発想と自分自身の気づきにより、新しい展開を繰り広げることができていると、自分なりには思っている。立場は様々あれど、実践者であることが何事にも代え難い。

(十二月五日 木曜日)

 このような事態はまったく予想がつかなかった。新しく起きるものごとの中で、予めわかっていたことなど一つもない。この10年の軌跡を辿ってみてもそうだった。すべてが偶然の賜物で、たまたま与えられた道だった。どれもいいことかどうかなど今はわからない。同様に、今起きている物事が、これからいったい何をもたらすのかも、我々はまったく想像できないということでもある。

(十二月四日 水曜日)

 速達の分厚い封書が届いた。中には詳細に指示が書かれた文書が入っていた。時間を見つけて書類を調え、送らねばならない。ところで今日、大人になるにつれて勉強の意味が広がるという話をした。勉強せよという台詞はもっと声高に叫んでよい。どんなに立派な成りをしても、学ぶ意識のない者は大人とは呼べない。昼食時間に谷川俊太郎の「成人の日に」を読んでいたら、涙が出てきて困った。

(十二月三日 火曜日)

 井上と賢治の出会いは、22万冊の蔵書の第一号として井上が「注文の多い料理店」を通販で購入したことから始まった。だから、井上の原点は賢治だともいえる。その井上の書いた賢治の評伝劇は、圧倒的な対話を凝縮させ爆発させる。死者も生者も作者も作品の主人公も一つになって、ユートピアを追う人間の根っこに迫る。井上の芝居は日本語劇の金字塔だ。我々にはその価値を伝える役目がある。

(十二月二日 月曜日)

 昨夕公開研究会が終わった後は、仙台で何冊か本を買って山形に向かった。幸い雪はなく、寒くもなかった。宿の近くでうまいビールを飲み、サラダとピザを食べた。きょうは川西町まで行き、こまつ座の芝居「イーハトーボの劇列車」を鑑賞した。遅筆堂文庫、井上ひさしの22万冊の蔵書が保管された館内は彼の脳の中をのぞき見るようで、付箋を付けたままの本を手に取るのも楽しかった。

(十二月一日 日曜日)