二〇一三年五月

 五月も最後まできた。金曜日に月が終わるのは節目としてはちょうどよい。こういうきっかりとした終わり方が好きだ。きょうはボスから重要な期日についての連絡を受けた。二週間しか猶予がない。

 山では藤の花が盛りである。最近では藤が増えているのだそうだ。ウィキペディアには、「山林に自生するフジは、つる性であるため、樹木の上部を覆って光合成を妨げる他、幹を変形させ木材の商品価値を損ねる。このため、植林地など手入れの行き届いた人工林では、フジのツルは刈り取られる。これは、逆にいえば、手入れのされていない山林で多く見られるということである。近年、日本の山林でフジの花が咲いている風景が増えてきた要因としては、木材の価格が下落したことによる管理放棄や、藤蔓を使った細工(籠など)を作れる人が減少したことが挙げられる。」とある。山には藤がこんなに多いものかと感心していたのだが、実情はあまり喜ばしいことではなかったのだ。

 夕方には、怒鳴る場面があった。ここに来てからもっとも激しく怒鳴りつけた。考えてみれば同じ状況はいつものことではあるが、ここ数年はたまたま僕の前ではみられなかっただけであった。あまりに激しかったので、その後に頭が痛くなり、その頭痛は夜まで続いた。

(五月三十一日 金曜日)

 

 一週間のサイクルが早すぎる。少し前までは、一週間というのは人間のもっとも適した生活サイクルなのだという実感をもっていたものだが、そうではなかった。当然のことながら、年齢とともに人の感覚は変わるのだ。一日の労働や休息の長さについて、理想との齟齬が拡大する一方だ。

 夜にはトマトと小松菜を使ってパスタを作った。パスタは何をどうやっても大概うまくいく便利な食材だ。出汁が出るのでトマトも使用頻度が高い。トマトといえば、厳しい環境で育てるとうまくなるという話が有名だ。翌朝には一言話をする機会を得たので、その話をすることにしよう。

(五月三十日 木曜日)

 

 面倒なこともいくつかあったが、終わってしまえばどうということはなかった。必要な資料は間に合った。自分で作成したり、人に作ってもらったり、原版をメールで送ったりした。限られた時間に必要なことを割り振りして、計画した時間内に終わらせる。中には誤りに気づいて修正することもあったが、大きなことではなかった。明日使うものは先週のうちにできていた。後は印刷をするだけだ。

 夜にはある人と話をしなければならなかった。着替えて、小雨混じりの外に場所を移して、小一時間程度をそのために費やした。気にかけていたことを終えて、また職場に戻って仕事を片付けた。きょうのことをきょうのうちに処理できたことにほっとした。帰りが遅くなったので、途中のラーメン屋で夕食を食べた。帰宅するとすぐに入浴して就寝した。

 日常というのは、たいていのことが淡々としている。小説や映画とは異なる。しかし、淡々とする日常の中にこそ人生があり、何気ない日常の積み重ねが、人の歴史を作る。いったいどのような模様が編み上がるのか。最終形をみられないのは自分だけ。それが人間の本質だ。

(五月二十九日 水曜日)

 

 昨日に比べれば気温は低かったが、湿度は高かったので動きにくかった。眠そうな人や怠そうな人が多かった。これからしばらくはこんな日が続くのか。暑いことでなく、多湿なのが苦手なのだ。この時期は毎年そんなことを書いているような気もする。春と秋だけの国あれば住みたいものだ。

 パソコンの修理が終わったと連絡が来た。一週間という話が一日で済んだのは驚きだ。今週末に都合をつけて引き取りに行くことにしよう。先週は携帯電話、今週はパソコンがおかしくなった。機器の不具合というのは不思議と重なるものである。次は何が故障するか。

(五月二十八日 火曜日)

 

 計画的に仕事を休んで妻のお供をする。長い待ち時間には本を読んだが、眠気が襲ってきてときどきうとうとした。用事は昼過ぎに終わった。きょうの用事は終わったが、ほんとうの用事は7月になるのだった。今年の夏の過ごし方はいつもとは違うものになりそうだ。

 パソコンの調子が悪かったので、見てもらおうと思って店に行ったら、診断には予約が必要だという。15時半なら空いているというので、パソコンを預けて出直すことにした。イタリア料理の店で食事をし、その周辺でいくつか買い物をして、またパソコン店に戻り、あれこれ検査してもらうとやはり故障だった。直るのに一週間くらいかかるという。取りに行くのも大変そうだが、そのときにはまた休みを取るのもいいか。

 何だか人が生きるということはほんとうに短時間で、いくらあがいてもたいしたことはできないと思った。素晴らしい業績で名を残す人も、無名の一般人も、さしたる差はない。

(五月二十七日 月曜日)

 

 大型連休後から日記が滞り、書こう書こうと思っているうちに何日も過ぎてしまった。同じようなことを何度も繰り返している。調子が悪い時にはどうしようもなく言葉が出なくなるし、調子が良くなると二度とスランプはあり得ないとまで思う。しかし、どちらの気持ちも一時のもので、そんな気分はほどなく消えてしまうのである。人の気持ちなどほんとうに浅はかなものだ。

 久しぶりに見た日曜美術館は「貴婦人と一角獣」にまつわる話題だった。話そのものは面白かったが、あえて見たいとは思わなかった。いま六本木の国立新美術館に来ているのだそうだ。この番組は巧妙に展覧会への観客動員の役割を果たし、番組を見た時間と暇を持て余した六十歳以上の有象無象が美術館へと押しかけるのだ。公共性の高い種々の設備が、庶民から金を巻き上げて金持ちに送るシステムに成り下がっている様があまりに露骨である。

 午後には日曜喫茶室だった。昔話についてがテーマだった。市原悦子の朗読した話には身につまされた。面白かったのは、多くの昔話が改変されているということだった。よかれと思って変えたことが、昔話を壊してしまいかねないということもある。昔話は自然や人間、そして命を描いており、次の世代に伝えなければならない口承文芸であるという話も印象に残った。

(五月二十六日 日曜日)

 

 土曜日の仕事は昼前に終わる。きょうは少し離れた別の場所で3時間過ごしてから、職場に立ち寄って書類を整理した。13時には終わって職場を出ることができた。外は気温こそ低かったものの、日が照って山々がきれいに映えていた。ちょうど藤の花が開く時期であり、山道はどこを見ても薄紫の花が咲き乱れていた。山桜の時期には山桜だらけになり、藤の時期には藤だらけになる。それだけ山に生えている植物は多種多様だということなのだろう。昼にはコンビニで買ったものを車の中で食べながら帰ってきた。あまりよくないパターンだ。そして、帰宅すると2時間半ほど眠った。夜は珍しく何も食べずに仕事をした。殊の外捗り、火曜に印刷する予定のものがすべて完成した。

(五月二十五日 土曜日)

 

 意外と大きな節目の日だった。しかし、終始かなり楽観的に構えていられたのがよかった。年に三度このようなイベントがあるが、その中でもっとも簡単でやりやすいものだということを、やってみて初めてわかった。来週からも細々としたことが続くが、節目をそれなりにしっかり迎えることができたので、気持ちは楽だ。

 携帯電話の修理が終わったと連絡がきたので、帰り道に電気屋に寄って引き取ってきた。二つ折りの電話機の画面のある片側がすべて新しくなって還ってきた。しかも無償だった。スマートホンが気になったりもしていたのだが、もう気持ちは固まった。少なくとも年度内は買い替えることはないだろう。

(五月二十四日 金曜日)

 

 職業柄毎日いろいろな学びがあるのだが、当然それらはすべて自分自身の学びである。きょう確認したのは、「相手の立場に立って考えることが相手に伝わる表現を生む」ということである。大人にとっては自明のことではあるが、それを実践するとなるといつまでたっても難しい。すべての表現には相手がいる。いくら自分ががんばったつもりでも、相手に伝わらなければ価値のないただの自己満足に終わってしまう危険があります…とある文書に書いたが、その後を続けようとすればこうなる。「相手に伝わらない表現は、すべて意味のないゴミです。」しかし、そのゴミにも存在理由がある。食べ物と同様に考えれば、ゴミとは滋養となるものを毎日のように身体に取り込んでいる証なのである。心の滋養はエコロジーとは無縁。無駄の中からいいものができる可能性はいくらもあるというもの。若き者の無駄を僕は奨励したい。

(五月二十三日 木曜日)

 

 午後からは出張だった。毎年この時期おきまりの会議への参加だったが、これまでとは専門部が異なるために参加した面々のことは誰一人知らなかった。会場となった場所までは道路の便が悪く、地図上では家より近いのに、辿り着くまでには家に戻る以上に時間がかかった。それにしても、開始予定時刻に始まった会議だったが、どうでもいいことに時間を割いて終了予定時刻を過ぎるのはどの部も同じだと思った。中央に住む人間は周辺のことまでに思いを致すことはなく、周辺に住む人間は中央の人間の至らなさを半ば諦めの気持ちで遠巻きに見つめるのであった。不便な生活を強いられる者は、常に忘れ去れる側にある。だから、声を上げたとしてもたいていの場合その真意は届かない。

(五月二十二日 水曜日)

 

 今週は火曜日からの始まり。きょうは二十四節気でいうところの小満。ウィキペディアによると、万物が次第に成長して、一定の大きさに達して来るころなのだそうだ。気づくと木々は芽吹いて緑色になっていた。通勤時に見た国道の温度計は21度だった。小満というのはあまり馴染みがないので、日中もついぞ話題に上せることはなかった。朝には土曜日のイベントの片付け作業が行われた。分担さえはっきりしていれば、後はそれぞれで作業が進む。昨日までは憂鬱な気分があったのだが、いざその時になってみると、誰が何をしなくても自動的に進んでいくのだった。特に今年度ここまでは後から考えて杞憂だったと感じることが続いている。それはひとえに対象がしっかりついてきてくれるためであり、それについては感謝の気持ちしかない。だが、だからといって今後が同様に進むかどうかはわからない。むしろ、ほんとうにたいへんになるのはこれからなのだ。

(五月二十一日 火曜日)

 

 月曜日の休日だったので気楽だった。しかし、やらなければと思っていたことには何一つ手を付けることができなかった。朝にはゆっくりと起きて、近くの市場内にある店に妻と出かけて食事をした。店内には市場に出入りしている業者風情の男性たちがいて、大声であれこれお喋りしていたが、しばらくすると皆店を出て行った。テレビでは朝の情報番組でPTAについての話題が放送されていた。世の中が変化しているのに何十年も同じやり方を変えてこなかったのが、役員のなり手がないという昨今の問題につながっている。それを変えてこなかった張本人は学校の教職員である。実態に合うようにシステムを変えようとするのではなく、自分がいるうちは手を付けずにやり過ごそうという気持ちが組織の硬直化を招いた。PTAだけでなく、さまざまなところで立ち行かなくなっているのが学校の現状だ。

(五月二十日 月曜日)

 

 昨日は大きなイベントがあって、朝から夕方まで一日中太陽の下で過ごすことになった。また、夜には夜で反省会があって、帰宅するともう22時を回っていた。準備が入念に行われたため、当日は何も不安なく進んだ。これについてはやはり対象の素直な努力に対して評価せざるを得ない。こちらがどれだけやったかということではなく、それに尽きるのではないかという思いである。

 今朝はゆっくり起きてから職場に出て、机周りの片付けを行った。それから、文書を印刷した。刷らなければならないものは大量だった。しかし、コピー機の高度な機能を使って相当簡単に原版を作ることができ、しかも印刷機を独占できたため、それほどの時間や手間をかけずに終わらせることができた。休日出勤の良さと呼べるかどうかわからないけれど。昼食が遅かったこともあって、夜には何も食べずに眠ってしまった。

(五月十九日 日曜日)

 

 天気が良かったのは普段の行いが良かったからだということにしておこう。一年に一度のイベントは、泣いても笑っても一年に一度きりだから、終わってしまえばもう来年まで来ることはない。そういう意味では、きょうが滞りなく終わったということは非常に素晴らしいことであった。夜の反省会では二度何かを話さなければならなかった。一度目は挨拶だった。これは頭の中で組み立てた通りに喋ることができた。しかし、二度目の方では何を言えば良いのか解らないままに話し始めたので支離滅裂な言葉になった。若者たちはなかなか楽しそうにしていたが、僕はそんなことがあったので座席も移動せずに近くの人とぼそぼそ会話するに留まった。話がそのうち昨年度のことになってきて、よせばいいのに3月までのことについて愚痴っぽくなって語り出しているのが自分でもわかった。夜の会でそんなことがあったので、日中は楽しく過ごしたのにもかかわらず後味の悪い一日となった。

(五月十八日 土曜日)

 

 金曜日の朝には少し早く起きてパソコンで文書を書くことが習慣となっている。それはいつも週末に出す簡単な通信を作るためであり、そこには毎週タイムリーな詩を一編掲載することにしている。文書のほうはここ一週間のことを振り返って綴るだけなのでそれほどの時間はかからない。だが、最後の詩を見つけるということがけっこう時間のかかることなのである。今朝もうんうん唸りながら手持ちの資料をみたり、ネットで検索したりしていると、これぞぴったりという詩が向こうから勝手に目の前に出現した。こういう瞬間がたまにあるとたまらなく嬉しい。今朝のは、高見順の「われは草なり」という詩であった。それで夕方職場の人に、「今日は何が良かったかって、朝にこの詩と出会えたことが一番嬉しかったんですよ」と言うと何の反応もなかった。その話を妻にして、僕は変だろうかと問うと、たしかに普通ではないと言われた。だが、僕はそういう瞬間だけを探して生きたい。

(五月十七日 金曜日)

 

 朝方まで雨が降っていたので予定変更かと思ったが、意外と雨が少なかったようで予定通りに土曜日の予行を行うことになった。午前中はずっと外に出てプログラム通りに流していたが、昼前になって急に雨が降り出した。それからは予定を変更した。それで、夕方は少し早めに終了することになった。月曜日からの疲れを引きずる人も多く、正直早く帰りたいという人も多かったようだったから、そのような人たちにとってきょうの雨は慈雨となったに違いない。

(五月十六日 木曜日)

 

 仕事でもそれ以外の活動でも、ローカルな水準とワールドワイドな水準とがある。その場その時によって外から求められる水準というのは自ずと違ってくるけれども、基本的にはすべてを世界のどこにいても通用するワールドワイドな水準がクリアできるくらいのものにしたいとは思う。しかし、誰もがそう考えているかというとそんなことはないわけで、それぞれがそれぞれにばらばらな要求水準をもっていることはよくある。そして中には日本国内で通用するかどうかすら考えず、ましてや世界のことなど夢にも思わないような同業者も世の中には多数存在する。そんなことよりも土日の仕事のほうに精を出すような人たちも少なくない。寝言言うなと言いたくなることもあるが、その言葉に別な意味で寝言言うなと言い返してきかねないような人たちと、仕事を共にすることもあるだろう。仕事というのは共同作業であり、総合力が試されるのだとはいうけれど、その意味ではなかなか難しいことだ。

(五月十五日 金曜日)

 

 つくばの最終日に隣に座ったのは非常に若い元気な方だった。今年度になって常勤の職に就かれたとのことだったが、臆せず発言する姿を見るとなかなか優秀な方だとお見受けした。こういう方々が未来を背負って立つのかと思うと頼もしい限りだが、それでは自分がこんな研修を受けることがどれだけの影響力をもつのかと考えると、よくわからない。勉強も遊びも結局は自己満足に過ぎず、高額な受講料を払って、新幹線代やホテル代を払ってまで連休の時間をそれに費やすというのは道楽そのものではないかと疑ってしまう。特に、ここでそこまで要求されることがどこにあるのだろう。相当に公私混同が許されるような職場にあって、この志向に対して広く理解を得ようなどとは思わないけれど、果たしてこの県での存在価値なんて今後のことを考えてもどれほどの期待ができるというのだろう。

(五月十四日 火曜日)

 

 スタッフが全員揃わないことがままある。そんなとき誰かが臨時で全体を取り仕切らなければならない。今年度は自分が一番の若手となってしまったので、誰も何も言わないうちに自分にお鉢が回ってくるということもよくある。それに対して何も文句を言うつもりはないが、溜息をつきたくなることはある。ほんとうならもう少し事前の準備をして、抜かりなく進められればいいのだけれど、時間もないし、そこまでの要求度が周りからあるわけでもないし、ということを考えるとかなり妥協した部分の多い取り組みになってしまうことも否めない。それは偏に自分の力の無さだ。

(五月十三日 月曜日)

 

 一連の研修の最後の日となった。きょうは朝から何度も作文を書いた。書く前には多少の自信があるのに、書いて提出して添削を受けたものを見返すと意気消沈した。日本語の作文にはない「パラグラフライティング」の練習も行ったが、いくら書こうとしてもうまく書けないのだった。理屈は解るような気がする。しかし実践ができない。慣れが必要なのは言うまでもないが、実はそれだけではないのだと思う。言語的なセンスの有る無しも大きく左右するものかもしれない。

 昼にはまたつくばフェスティバルの会場を歩いてみた。そしてきょうはスリランカのナンカレーを食べた。それからグアテマラの売り場の人と少し話をして、グアテマラナッツのコーヒーを試飲させてもらった。国際都市つくば、なかなか面白いところだ。今年度あと何回この街に来ることができるだろうか。研修が終了したのは18時。それから宿に急ぎ、預けていた荷物を取って、電車に乗り込んだ。日曜日だからか電車はかなり空いており、乗り換えをうまくやって最短の時間で上野まで戻った。上野では文房具を見て、ゆっくり食事をして、ベーグルやあんみつなどを買って新幹線に乗った。

(五月十二日 日曜日)

 

 六日以来のつくばには昨夜遅くに到着した。週の疲れが取れないままに研修に突入したので、頭痛と肩こりがあった。天気がよくなかったことも原因のひとつかもしれない。朝には霧のようなものが降るだけだったのが、昼が近づくにつれて少しずつ雨脚が強くなってきた。それで昼休みには傘を差して出かけた。中心部を散歩していたら、つくばフェスティバルというイベントの会場に辿り着いた。各国の料理の屋台が並んでいて、雨の中ながら多くの人でにぎわっていた。タイラーメンとケバブのサンドイッチを買って立ったまま食べた。

(五月十一日 土曜日)

 

 全部に目を光らせることなどできない。ある程度は担当を信頼して、すべて任せることが必要になってくる。進捗状況を聞きながら全体を調整していければまずは良い。その辺りの、まるで鵜飼が何羽もの鵜を操るような感覚が今までなかなかもてないで来たのだが、実際に携わってみるとたしかにそれと同じように遠隔操作することが大切なんだなと納得できるようになった。これがいわゆる手綱捌きというものか。でもこれは複数で行うプロジェクトにはどれにも共通するものであって、いままでこんなことをやったことがなかったというのは、ちょっと大きな声では言えない恥ずかしいことなのだと思う。

 まずは初めの一週間が終わった。まだ明るいうちに職場を出たときの気分は清々しかった。なぜならその後、先週に続いてのつくば行を控えていたからだ。今回は荷物をコンパクトにして新幹線に乗り込んだ。座席のテーブルに原稿用紙を広げてかなり集中して課題を仕上げた。ほんとうなら平日の夜にでもやっておけばよかったことなのだが、結局この日にやることになってしまった。夕飯は北千住の駅前で牛めしを食べた。それからつくばエクスプレスに乗って、宿に着いたのは日付が変わる頃だった。

(五月十日 金曜日)

 

 それもやらなければならないと、今週になって初めてわかった仕事があった。資料をひっくり返してみればたしかにはっきりと書かれてあるのだが、それを誰も何も指摘してくれないというのはちょっと酷いと感じた。しかし、もっと高いところからぼくらを俯瞰している立場の方からすれば、まだ黙ってみていてもいいくらいの余裕をもって眺めていてくださったのかもしれない。もう少し経ったら一言助言しようかなどとも思っていてくださっていたのかもしれない。だが、それでは神様と一緒で、神様はむろん何も言わないが、信者が自分たちの行いを自ら制したり良き行いに自分たちを向かわせたりということと似ている。わたしたちは一つの宗教にしたがっているわけではない。ほんとうならもう少し余裕をもって物事を進めたい。欲しいのは、その目をもっている方がその先をもっと自由に語ってくれることだと思うのだけれど。

(五月九日 木曜日)

 

 四月に訪れた第五福竜丸の船の側面の模様や色合いにはえも言われぬ味があった。それでカメラにそれを何枚かおさめたのであった。五月は自然物の一番美しく咲き乱れる月だ。しかし、明るいうちにそれらを撮影する機会がなかなか得られない。今ではこれほどまで大きな木造の船など製造されてはいないそうである。そんなわけで今月はこの写真を掲載することにした。撮影こそしたけれども、自分が描いたことではない。ただ切り取っただけ。それでも写真は芸術足りうる。我ながら気に入っている。こういうのも、自画自賛というのか。

(五月八日 水曜日)

 

 連休明けにはいくつかの書類を提出しなければならないことになっていた。だから宿で時間を見つけて書いていたので慌てることはなかった。しかし、ほんとうにたいへんなのはこれからで、前のように素直な気持ちで自分の思いを表現できるのかどうか、自分自身で不安に思うことも正直なところある。ところで、それにともなって上司がきょうある書類を見せてくれた。部下に見せる必要などまったくないものではある。だが、それをあえてこうして見せてくれたこと自体がありがたかったし、その行為そのものが自分への指導であることが伝わってきた。揺るぎないその態度こそかれから学ぶべきことなのだと思った。

(五月七日 火曜日)

 

 つくばでの四日間は天気に恵まれ、宿と研修場所との往復の道を楽しく散歩することができた。今朝は早めにチェックアウトを済ませ、鞄をフロントに預けて、樹木が生い茂った遊歩道を通って木漏れ日を浴びながら研修場所に向かった。昼休みには初日に隣に座った方と昼食をともにして、話を伺うことができた。ある分野で国をリードするほどの立場にあるすごい方だったが、その肩書きに似合わず謙虚で気さくで素敵な方だった。これまでの自分の仕事の中で少しだけ接点があったので、それをきっかけに対話ができた。終了したのは16時。駆け足で宿に戻り、鞄を引き取り、列車に乗り込んだ。東京駅周辺で少し買い物をし、夕飯を食べて帰りの新幹線に乗った。

(五月六日 月曜日)

 

 研修三日目もまた、参加者は何本かの作文を書き、添削を受けては落ち込んだ。しかも今日は模擬授業のコーナーまであり、各グループから選ばれた人が参加者を前にして授業まがいのことをするのだった。わたしはこういう時に選ばれてしまうことが多い。といっても特に話し合った結果ではなく、じゃんけんで勝ったのだ。運がよいのか悪いのか、わたしは困難を回避する道よりも困難に向き合う道を選択する、あるいはさせられることの方が多いような気がする。今日も、前に立って話さなければわからないような荒削りでいい加減なところが授業することで明るみに出てしまった。しかし、見方によっては、そのような機会を与えられたためにできていない部分を発見できたともいえるわけで、前向きに運がよかったと考えた方がよいのだろう。いずれにせよ過ぎてしまえばどうということもない。ようやくあと一日というところまできた。
 新緑の季節なので、朝と昼休みと夕方に外を歩くのが清々しい。すべてが計画的に整備された都市だから、建造物の間に程よく樹木が植えられていて、ところどころに公園もあって楽しい。
 夕方明るいうちに宿題を終えたので、一駅離れたところにあるモールに映画を見に行った。「藁の楯」。後味は良くなかったが、現代日本の病理が描かれている映画だと思った。果たしてカンヌでどう評価されるのか、興味深い。

(五月五日 日曜日)



 昨夜は近くのショッピングモールやデパートを散歩して、久しぶりにフードコートで食事をした。フードコートには若者が多くて華やいだ雰囲気があった。夜のモールの通路には既視感を感じた。それはかつてカナダで見た場末のモールの暗さに通じる感覚だった。使われている言語こそ異なるけれど、こことあの国のモールの雰囲気はほとんど違いがないと思った。
 今日の研修二日目では作文を何本も書いた。そして、添削を受けては惨憺たる点数にがっかりした。模範例を読むと自分のとの差が歴然と感じられ、自分が低い点数しか取れなかったことを納得した。とにかく修業が必要だ。それを痛感したことも大きな成果と受け止めたい。
 四時過ぎに終わったので、エキスポセンターまで歩いてみた。展示室を駆け足で見学して、五時からはプラネタリウムを観ることができた。ネットの空席情報にはバツ印が出ていたので観られないかと思ったが、受付で問題なく券を買うことができた。上映されたのは、宇宙というよりも生命の歴史についての話だった。期待外れと思った人がいたかもしれない。だが、プラネタリウムを観ること自体久しぶりで、世界最大級のスクリーンに映し出される映像はかなりの迫力があったので、自分にとってはいい時間を過ごすことができた。

(五月四日 土曜日)


 つくば駅にほど近いところに宿を取った。今朝は10時からだったので、朝には周辺を少し散歩する余裕があった。大型の店舗がいくつかあって買い物には便利なところだが、ここに何日か滞在するだけでは街の魅力はわからないかもしれない。しかし、旅行者としてではなく、例えば、転勤族の一時居住者として考えた場合は違う。生活の基盤を構築していく過程、街の資源を少しずつ味わう過程、生活の基盤を取り払っていく過程とそれぞれを楽しむのが、暮らしの醍醐味だ。その意味では、施設の多いここつくば研究学園都市はなかなか面白い街だろう。
 ところで、一生涯同じ場所に住み続ける人の立場で考えるとどうか。自分自身では想像しにくいというのが本音である。なぜなら、これまでいくつもの土地に何年かおきに住んでは引っ越すことを繰り返して生きてきたから、これからもそうなるという感覚からなかなか抜け出すことが難しいのだ。だが、そろそろ終の棲家というものを考える時期に差し掛かっていることは確かである。それで少し考え始めると、たちまち暗欝な気持ちに沈んでしまうのが哀しい。

(五月三日 金曜日)


 四連休前最後の日は午前中だけ仕事をし、午後に入っていた研修をキャンセルして明日からの研修に備えた。昨年参加した講習の続きを受けるため、つくばに来た。この四連休と来週末の土日は、朝から夕方まで缶詰で勉強することになる。これまでしようと思っても時間的にできなかったこと。そもそも以前なら参加しようとも思わなかったことだ。しかし、ここ二年間の手ごたえを思うと、本物の技術であることは間違いなさそうである。先を見据えて考えれば、やらずに済ませることは到底できないだろう。それで、やってみようかという気になった。今年度は幸い連休中の仕事も他の方に頼むことができて、環境がととのった。そして、今年度を逃すといつ可能かという見通しも立たない。そういうタイミングでここに来ることになった。話によると、かなりきつくて作文の宿題も課されるので宿でもゆっくりできないくらいらしい。今さら辞退するわけにもいかないから、覚悟を決めてやってこよう。

(五月二日 木曜日)


 今朝は胃検診があった。会場に5時前に着いたが、すでに20人ほどの列ができていた。がらんとした車庫の隅にパイプ椅子が二列に並べられ、受診者はそこに座って順番を待った。気温が低く、少し薄着だったので寒かった。風がないことだけが幸いだった。

 終わって帰宅したのが6時前。それから普段通り朝食にありつけたのはありがたかった。いつもと同じ時刻、今日こそ早く帰ろうと思いながら家を出たが、何か心に引っかかるものがあった。夜に会議が入っていたことを道の途中で思い出して気が重くなった。

 そしてあっという間に夜。時間になっても集まる人はごく僅か。多忙なのはお互い様で、忙しいことはこの場合何の理由にもならないわけで。お互いに協力しなければならない相手同士だから、考える方向をできるだけ同じくして気持ちを強くもって、とは思う。だがしかし結構孤独。

(五月一日 水曜日)