2018年2月  February 2018

2月28日 水曜日

 二月もつごもりか。今年度も11ヶ月が終わった。質の高い仕事をと思い、日々続けてきた。誰もが心を解放し、楽しく穏やかな気持ちで学べる時間を提供することが、自分なりの理想である。黙っていれば終わるような時間ではない。ましてや、黙らせるために圧力をかけたり、無関係だからと言って心からの言葉を封じたりするのは、この理想に反する。

 台詞を暗記してよどみなく読み上げれば良いスピーチなのかというと、そんなことはないだろう。台詞の元となる伝えたい気持ちを熱をもって伝えることが大切だ。それが声だけでなく表情や身の動きに表れて初めて、良いスピーチになるはずだ。相手の心を封じて、相手から良いものを引き出すことはできない。

 平成も終わりか。この30年で世の中が大きく変わり、仕事のあり方も大きく変わった。自分の思う原因は二つある。多忙化やさまざまな矛盾は多くが政治の責任だと思っている。もう一つは、コンピュータの出現による社会の変質である。コンピュータは、これまで手作業でやってきたことを効率化することにより、余暇を生むべくして導入されたのではなかったか。その余暇を、自分のしたい趣味などに振り向けることができると。その時点でコンピュータのある未来は明るかった。だが現状は、人間一人が単位時間でできることが増えた分、やらなければならない仕事を増やしているのではないか。コンピュータを活用するのではなく、コンピュータに縛られている生活。近い将来迎えると言われるシンギュラリティ。人類は滅びるのかもしれない。

2月27日 火曜日

 「ハーメルンの笛吹き男」13世紀のドイツで実際に起こったことがこの話の土台になっている。子供達が連れ去られたという結末は、遡るとどうも東欧への移民の歴史と関わりがあるらしい。物語が姿を変えて伝えられるということがあるのだ。13世紀の末のことだというから、かれこれ700年以上前の話。一人の人間の命の長さを基準にすれば、相当長い時間のような気もするが、尺を違えて考えてみれば、ほんの一瞬と言っても良いくらいである。様々なことが、一瞬で変わったり壊れたりする姿をなんども見てきた。人間のちっぽけさが、だんだんに身にしみて感じられるようになってきたとあわれに思う。

2月26日 月曜日

 新川和江の「わたしを束ねないで」 詩を味わおうとした時に、必要となるのはその人のこれまでの体験だ。海を見たことのない人は海の広さを具体的にイメージすることは難しい。八百屋の店先、昆虫の標本箱、牛乳瓶(パック)や徳利の酒など、身近なところから本質に迫っていく手法は常套ではある。しかし、体験がたとえばテレビの映像だったり、人とのふれあいに乏しかったりしたら、イメージそのものの解像度が低くはならないだろうか。日常の言語体験、人間同士の関わり合いの質を上げることが、詩の味わいにとっても大切だろう。学力学力と、テストの点数が伸びれば良いような風潮が広がっている。その陰で、日々、一刻一刻その瞬間の言葉のやりとりや、働きかけが蔑ろにされてはいないか。学習とは本来、詩を深く味わうためのものであるとも言えるのではないか。学びこそ、人生を豊かにするための方法である。それを置き忘れたままの授業になっていないかを反省する。

2月25日 日曜日

 スーパーマーケットは混雑していた。お年寄りも多かった。買い物を終えたおじいさんが、入り口付近の傘売り場のところにもたれかかり、動けなくなっていた。顔は土気色で、夫人が心配して「救急車呼びますか」と聞いたが、おじいさんは首を横に振り、駐車場に停めてある車までどうしても行きたい様子で、ふらふらしながら歩き始めた。見ていられないので店員さんに声をかけ、店員さんと夫人とで周囲を守りながら駐車場まで付いて行った。やっとのことで運転席に座ると、ハンドルに突っ伏してしまった。しばらく休んでからのほうがいいですよと言ってその場を後にしたが、あの老夫婦は無事に家に着いたろうかと、しばらく気になって胸がとかとかしていた。この日はその後夜まで気分が優れなかった。同じような光景が毎日のようにあるのだろう、ただ自分が見ないだけで。

2月24日 土曜日

 まるまる一日の仕事。3時半起床で5時20分に職場に着き、途中移動した先で9時間くらい立ちっぱなし。帰宅したのは19時半頃だった。こういうことを好むと好まざるとに関わらず30年もやってきたのだから、今さらここで何を言うつもりもない。目的の達成を目指しただ淡々と職務に専念するのみである。寒い体育館で、インフルエンザが未だに尾を引いている中、うがい手洗いと手指の消毒を繰り返しながら乗り切る。今日も具合悪くならずに済んだことを感謝。夜にはネットをモニターにミラーリングしてカーリングの三位決定戦を見る。平昌オリンピックも明日で終わり。国際社会の難題が見え隠れするけれど、楽しませてもらっている。

2月23日 金曜日

 どんな局面においても判断することは厳しい。その時点で考えられるすべての要素を勘案して、決めるべき立場の者が決定を下す。しかし、その決定が吉と出るか凶と出るかは、やってみないとわからないというところがある。うまくいったらラッキー。逆に、もしダメだったら、その時はその時でまた次善の策を考える、それしかない。ダメだった時に、後から「だから言わんこっちゃない」とか、「自分はそうなると思っていた」とか、思う人もあるだろう。でも、それを口に出してはいけない。感情を出して怒ったとしても、現状がどう変わるわけでもない。冷静に、できることをできるだけ進めることだけである。と、きょうはそういうことを学ばせてくれる一日であった。職場はほぼ定時で退勤。その後、翌日の会場準備に向かい、19時過ぎに帰宅した。

2月22日 木曜日

 何のための業務なのかを常に問い続けていれば、あまりおかしなことにはならない。それが、自分本位に偏ると、相手に狙いが伝わらなくなる、あるいは、本当に大切にされているのは自分でなくその人自身なのだという「真意」が伝わってしまう。そうすると、どんな手段も効力を発揮しなくなる。「見透かされる」ということである。やがて、何をやってもうまくいかないと感じる状態に陥るだろう。それが昂じると、何でも他人のせいにみえてくるのかもしれない。

 いくら当人が「善意」と思っていても、自分本位の善意など押し付けの迷惑行為でしかない。自分の言動が周囲にどのように伝わっているのかを思いやることは、とても重要なことではないかと思う。

2月21日 水曜日

 臨機応変な対応というのは、ある程度どんな困難が訪れるか予測しておくのが前提である。例えば、何か情報があるのとないのとでは周囲の可動範囲は変わる。たまたまその場に居合わせたために、足りないところに気づいて動けたということがあった。それは多分全体にとって有益なことだったと信じたい。もしもたまたまその場に誰もいなかったとしたら、どこに攻撃の矛先が向くかと問えば、答えは想像に難くない。自分の反省点とすれば、やはり予測が足りなかった。人のせいにしてはならない。人のせいにすればそれはしまいに自分にかえってくる。

2月20日 火曜日

 感情が顔に出てしまっている人たち。イガイガした個性を、包み隠さずに回転しながら振りまき続ける人たち。配慮のない言葉を辺り構わず投げつけてくる人たち。いつの間にかそういう人々が増えてしまったように感じるのはなぜだろう。

 それに比べて、オリンピック・アスリートたちの姿は美しい。冷静さを保った身のこなし、理性的な振る舞い・口調、素朴で穏やかな表情・笑み。一流の一流たる所以は、一流の結果を残したからではない。その人の生活そのものがよどむことなく、一つの流れをきれいに形作っているということではないだろうか。

 もちろん人知れず苦悩があり、感情が煮えくり返ったり、心冷たく落ち込んだりということがあっただろうけれど、それらを噯気にも出さず目標に向かって突き進む姿はやはり胸に迫る。

 国や社会のあり方、様々な事柄に人は多かれ少なかれ影響を受けている。しかし、どんなことがあっても、個が何を考えてどうするか。つまりは自分がどう生きるのか。人生は常に自らにそれを問い続けている。かれらはその問いにしっかりと耳を傾け、常に答えようとしているのであろう。

2月19日 月曜日 

 月曜日の朝に嫌な気持ちになるということはあまりない。正直なことを言えば仕事に出るのは嫌なことであるが、その状態に慣れたということなのだろうか。こんな感じで30年やっている。何を今更という思いがある。でも、麻痺してしまっているとも言える。本当は毎日が喜びと悲しみの繰り返しで、その振幅のために我々は生きている実感や幸福感や、前に進んでいる感じを味わうことができるのだろう。嫌なことがあればその後には良いことがある。そう思えるから朝を迎えられる。だとすれば、今の思いにもう少しまっすぐに向き合ってみることが必要かもしれない。

2月18日 日曜日

 朝、わりと早い時刻に母親に電話をした。81歳の誕生日だったのでお祝いの言葉を伝えた。近所の親戚たちがお祝いを兼ねて盛岡でご馳走してくれるということで、楽しみにしている様子だった。ほとんど毎週、運動を兼ねて、盛岡に電車で出かけては母の妹とあちこち散歩して帰ってくるという休日を過ごしている。その歳にしては驚異的な元気の持ち主は周りの人たちに支えられて幸せな老後を暮らしているようで、大変ありがたいことだ。

 こちらは毎週だいたい仕事である。この日は仕事を片付けるとだらだらと過ごし、車で少し買い物に出たりしているうちに一日が終わった。

2月17日 土曜日

 午前中は少し時間があったので、仕事を進めることができた。昼からは別会場での仕事だったが、自宅の近くだったので歩いて出かけた。雪が降る中だったが、歩いて20分の仕事場は、車で40分の仕事場よりはずっと労力がかからなかった。会場では、その道で一流の方の話をじっくりと聞くことができた。その考えは十分に理解できることばかりだった。立場は違うので100パーセント受け入れられるものではないけれど、何かを徹底してやり続ける以外に、物事に対する自信を得る道はないというのはその通りだと思った。

2月16日 金曜日

 この日のことについては幾つかの疑いを持っている。出会いの場面からの対話の積み重ねが、すれ違いを広げている節もある。出会いということについて言えば、対象とのもっともはじめの出会いが誤った理解を与えてしまったのかもしれない。この手の不幸は巷に溢れている。誰のせいということではないが、あとあとまで備えてことに当たっている人があまりに少ない。精神生活の貧しさといってしまえば終わりだが、その根っこはどこにある。その根っこはどこにある。

2月15日 木曜日

 この二日間の業務はわりと頭を使わずにできそうと甘く見ていたのだろうか。そこに付け込まれるように幾つかの出来事が発生し、それに対処しなければならなかった。何でもそうだが、取り掛かりのもっとも早い局面で、最大の効果を発揮させる手立てを取らなければならない。最初から労力をかけて最高水準の技術を投入しろということだ。安物を使えば、すぐに綻ぶ。繕っては使い繕っては使いを繰り返すよりは、最初で決めるところを決めてしまうのが効率が良いし、何よりあとあとが楽である。損して得とれ。必要な出費は遠慮するな。

2月14日 水曜日

 対象との距離感を測るのは一筋縄ではいかない。共有する時間に比例して伝わる言葉も浮かんでくるようになるのだろう。例えば年齢や人生経験の違うと、当然共有する時間は減るばかりだから、相手に言葉がなかなか届かず、隔たりはどんどん広がっていく。年寄りは生きづらくなる一方だ。これが、時間だけでなく、空間のことを考えに入れると、いわゆるシニアの方々のご苦労が思いやられる。

2月13日 火曜日

 5日ぶりの職場で朝から晩までなんとなく仕事をし、18時になったところで退勤した。取り立てて面白いことはないし、取り立てて行き詰まることもない。と言えば幸せなことのように響くが、救いようがないほど事態は変質している。はじめはボタンの掛け違いだったのかもしれないが、今ではボタンなど全て壊れてしまっている。厄介なことを乗り越えるのが喜びだというが、相手が社会だったり国家だったりしたらやる気なんてどこかに吹き飛んでしまう。愚痴とため息の日々。

2月12日 月曜日

 朝のうちに仕事はひととおり終わらせた。雪の降る寒い一日。昼から車で出て川崎の蕎麦屋・麺工房いよりで天ぷらそば。真っ白な雪景色を眺めながらすする熱いそばはうまかった。千厩、摺沢、東山と回って帰る。東側は雪があまり降っていなかった。コーヒーの豆を買って帰った。

2月11日 日曜日

 この日はホームページを立ち上げた記念日だ。しかし、そんなこととは関係なく、朝から部屋にこもって仕事の文書を作った。八割方できたあたりで飽きてきて、車を走らせた。宮城県北は雪がほとんど解けていて、ここらとは違った色が見えていた。好きな音楽をランダムにかけながら走った。それだけで気分転換ができるものだ。

 夜には近くの中華料理屋で五目焼きそばと炒飯と春巻きを食べ、就寝前に小さな缶ビールを飲んだ。

2月10日 土曜日

 実家を後にして、車で国道4号線を避けて慣れない道をゆっくり南下する。産直の店を梯子し、野菜を購入しながら移動する。途中金ヶ崎で武家屋敷の通りを見つけた。雪が積もっていたのでよく見ることはできなかったけれど、春になったら改めて見学に来よう。金ヶ崎橋を渡って江刺に入り、水沢は迂回して前沢に抜け、平泉も迂回して舞川から一関に入った。三連休ではあるが、仕事が残っている。

2月 9日 金曜日

 昨日からの研究発表会の続き。朝は雪で真っ白になっていた。早めに行ったが、会場前の道路には車が長蛇の列をなしており、右に寄せずに右折待ちをしたり、雪で道が狭くなっているにもかかわらず路上駐車していたり、いろいろだった。ああいう風に人の迷惑にはならないようにしたいものだと思った。午前中は幾つかの発表を聞く。終了後は宮澤賢治記念館を見学した。改装されてから3年くらい経っていたらしかったが、展示の方法にはそれほどの違いが感じられなかった。帰宅してからは、母とあれこれ話しながらテレビで平昌オリンピックの開会式を見た。

2月 8日 木曜日

 花巻での研究発表会のためにこの日からまる二日間の出張となる。朝7時過ぎに二人で家を出て、高速で北上する。会場前で妻を下ろし、そのまま実家に行く。雪で車を停めることができないので、近くの商店街の駐車場に停める。

 昼から出かける。会が終わってから、市内の書店や文房具店をゆっくり見て回った。運転中に携帯電話が二度鳴った。コンビニの駐車場に停めて確認すると仕事関係の電話だった。留守電を聞いて、先方とコンタクトを取ると、明後日の仕事上の勧誘の電話だった。土曜日までこちらにいる予定だったので即断りを入れた。その他にも思うところは様々だったので、その後は帰るまであまりいい心持ちがしなかった。

 今年は正月にも来なかったので、久しぶりの帰郷となった。台温泉の浴場まで母を連れて行き、市内のハンバーグ屋で夕食を食べて戻った。実家は部屋が寒いので居る場所が限られる。仕事道具を持ってきて広げたが、それほど進めることはできなかった。

2月 7日 水曜日

 木曜日と金曜日の不在を埋めるための文書を作らなければならなかった。現在の職場では通常は文書を準備する必要はなく、その点良いと思っていたのだが、よりによって自分が出張となる日に限って、他にも用のある人が多いらしく、例外的な措置が取られることになった。そのため夜の1時間30分がその準備に取られることとなった。さらに、来週帰ってきてから回収した文書のチェックのためにその3倍の時間が取られることになるだろう。

2月 6日 火曜日

 今週は木曜日から出張なので、気が楽だ。今日のイベントも様々な反省点はあるが無事終了したのでよし。明日出すつもりの文書を作成して、内容を吟味する。3連休を含んで5日間も不在となるので、その前の一つの節目として意識付けしておきたかったのである。そして、夜には寒い場所で小一時間程度立っていた。これも出張前最後なので気楽な気持ちだった。

2月 5日 月曜日

 雪が積もっているので6時45分には家を出る。車の雪を払うのに時間がかかるので、出発はさらに遅くなるのだが。仕事は何をしたのかいつもと同じように一日が過ぎていく。午後5時に出るつもりが、必要な文書を作成しているうちに遅くなった。結局は7時半くらいになってしまった。翌日のイベントをうまく乗り切るためだったので、完成した後はすっきりした心持ちだった。

2月 4日 日曜日

 朝6時過ぎに家を出て、夜の7時過ぎに帰宅する。寒々とした日。職場まで40分、その後南三陸町まで1時間。会場で昼食を挟んで7時間立ちっぱなし。そして、朝来た道をまた戻る。暗くなってからは雪が舞ってきて道が凍って滑った。とにかく大したことができぬまま就寝した。

2月 3日 土曜日

 今週末は土日とも仕事だ。午前中は湿った雪が断続的に降り、車の上に10センチほど積もった。それを払って、昼前に職場に出かけて行き、四時間くらい寒い場所に立っていた。体力的にも精神的にもどうということはない。見守ることにはそれなりの価値が確かにある。見守るというと聞こえはいい。我々がそれに費やしてきた時間、これまで本分に打ち込めていれば、この国の未来が変わるということは、火を見るよりも明らかなのに。

2月 2日 金曜日

 節分を前に本筋から外れた話を少しした。旧暦と月の話。鬼と神の話。本当のことをいうとむしろそちらの方が、自分としてはおもしろいし、ためになると思っているのだが、聞いている方はどうなのだろう。かつてのことを思い出すと、そんな話はされたこともなかった。もしかしたら、ためにならないとして忘れてしまったのかもしれない。教科書の内容やテストに出る問題なんて所詮人生問題のとっかかりでしかないのに、それらがすべてだと思わされてしまうのは残念なことだ。

2月 1日 木曜日

 業務縮小も本日が最後だった。途中で会議を入れたので、その資料を調えることで時間がかかった。年度末までの見通しが立てば良いと思っていたのだが、狙いは達成できたろうか。少なくとも、疑問やもやもやしたところのいくつかは解消されたのではないか。午後にも一つ会議があったが、こちらの方は先行きが不透明なままで、担当が苦労することになるかもしれない。だが本当のところを書くと、それほど苦労するところでもない。杓子定規に何でもかんでも高邁な理想を描く必要なんてない。力を入れるべきところと、抜きながらでもやってみるところがあって良い。曖昧な部分を残しながらやることを、頭ごなしに否定してはいけない。歴史も実態も鑑みず、思い込みだけの判断であればいいことはない。