2018年6月  June 2018

6月30日 土曜日

 今日で半年が終わった。だが、今年度ということでいえばまだ三か月しかたっていない。この後がずいぶん長いように感じられるが、あと一か月、二か月過ぎた時に、もう今年も終わりかという気分になればいい。毎年思うことかもしれないが、今年ほど徒労感に襲われる年もない。充実しているとプラスの表現ができるのかもしれない。けれどそれももう聞き飽きた。暑いせいか、忙しいせいか。不思議だ、なぜこうも物事は望ましい方向とは逆にばかり進むのだろう。

 この夜盛岡で行われるクラムボンのライブに行く予定でチケットを買っていたのだが、昼過ぎに帰宅するともうどこにも行きたくなくなった。仕事はたくさん溜まっているし、溜まった疲れは取れないし、それに加えて盛岡までの往復というのはきついだろう。それで、やめることにした。やめたからといって仕事が進んだり、疲れが取れたりするものではなく、少しは休憩できたか、という程度。

6月29日 金曜日

 急に気温が上昇し、これまで付けていたネクタイも外そうという気になった。クールビズという言葉はほとんど普及した感があるが、それは実に格好悪くみえる。以前はそれほど気にならなかったものの、オランダから帰ってきてからはさすがに目に付くようになった。西洋のものを着こなすでもなくただ身につけているのなんて、ネクタイがあってもなくてもとんでもなく格好悪いことのように思えるのだが。イギリスのラジオを日本で聞きながらそんなことを考えた。

6月28日 木曜日

 仕事は苦にすることばかりだが、音楽は楽しいことしかない。創作には苦しみがつきものだとはいえ、その苦しみは全てが楽しい。教育は違う。人を育てることは大いなる喜びには違いないし、携わっていることは価値のある素晴らしいことだと言えるけれど、もう何をやるにも苦しみにしか感じない。この国を覆う黒雲は何十年経っても一向に晴れず、ますます厚くなるばかり。そのせいにするからというのではない。それに自分が加担しているという見方をすると、いたたまれないのである。

6月27日 水曜日

 前にカナダで作った曲を、あるウエブサイトに登録した。幾つかのサイトと契約し、ダウンロードやストリーミングが行われるとこちらに現金が振り込まれる仕組みである。驚いたことに、ダウンロードが一回、ストリーミングが三回行われ、百三十円ほどの利益が上がったという連絡がきた。わずかとはいえこれは少し喜ばしいことである。今後も創作してみようかという意欲につながりそうが気がする。

6月26日 火曜日

 音楽についてどっぷりと考える時が楽しい。音楽を聴いている時も楽しいが、そればかりではない。頭の中で音が鳴ったり、書いた文章を読んでみて、音楽のように感じられたりするのは素晴らしい。夢の中で音楽が聞こえてくるのも素敵である。自分の頭の中で組み立てられた音楽に、もう一人の自分が耳を傾けている。次はどうなるのかとわくわくしながら聞いている時間は、夢が覚めないでいたらと思うほどである。

6月25日 月曜日

 腹立たしく思っても仕方のないことばかりで、それはどこにでもあることだと自分に言い聞かせる。それはこれまで在籍していたどの職場でも感じていたことかもしれない。場所が変わっても、時代が変わっても、人が変わっても同じことかもしれない。しかし、ふとした時に、それは場所さえ変われば、時代が違っていれば、その人でなければ、起こらなかったことかもしれないと思ってしまうこともある。仕事の問題の多くは属人的なものであるとも思うし、政治的な問題とも言えるし、原因は自分の心にあると捉えることもできるのである。

6月24日 日曜日

 日記を書いているふりをして、もう二週間も書くのを怠けているのだった。六月後半から七月初めにかけて、仕事は超がつくほど忙しく、しかも八方塞がりの難題ばかりで、SOSを出しても受け止めてくれる者はなく、家人に当たり散らしては仕事も手につかないほど眠くなって、気がつくと朝になっているという毎日。「あんたの仕事なんだから、あんた一人で解決しな」と言われているような気になる。それはもちろん、自分の担当だし一人でどうにかしなければならないのは確かなのだが、では昨年までの担当がどんな仕事をしてきたのか、それを考えると腹立たしく思うばかりである。

6月23日 土曜日

 早朝から仕事を進めた。意外と早く必要な文書が一つ出来上がった。午前中は職場に出かけた。大いに声を出し、汗をかいたのだったが、それで仕事をしていると思ったら大間違いだった。何もできていないくせに、何でもできるような顔をしなければならないことにはもう我慢ができない。毎日自分をだましだまし生きている。どうしようもない。

 午後にはまた家に戻り、仕事の続きをした。夜までかかって残りを仕上げた。休みの日に何をやっているのか。この職業は休みでなければできない仕事ばかりだ。こんなことをもう三十年もやっている。どれだけの無駄が積み重ねられたことか。だがそれもどうという時間ではないのは知っている。これから何をするか。仕事ではないことに、生きがいを見出せる人生にしなければならない。そうでなければ浮かばれない。

6月22日 金曜日

 朝に二時間通常業務をしたあとは出張で江刺まで出かけた。車で出かけるには良い日和だった。着いてからしばらくは会合中も眠かったが、途中の意見交換からはあれこれと話さなければならず目が覚めた。身近なところで、様々な実践をされている方々がいるのだと思い、刺激を受けた。それと同時に、今自分がかけている労力の先が、本来の業務とはかけ離れているのだということを感じさせられた。これも力のなさと言われれば否定しようがない。しかし、本当に自分の本分にもっと集中できる環境で仕事を続けてきていれば、こんな状態ではなかったはずだ。非効率もいいところだ。こうやって多くの労働力が無駄な時間と労力を費やされているのが今だ。働き方改革というけれど、大事なことは、人間を大切に、時間を大切にするということだ。何のための人生か、何のための政治か、何のための国家か。人々に失望を与えることを、為政者は好んで推進してきている。普通の人間が、普通に生きているのに、こんな風なことを感じさせてしまうような国なんて、何の意義があるのだろうか。

6月21日 木曜日

 小規模な会議はソファに座ってということが多い。クッションが柔らかすぎるので、しばらく座っていると腰が痛くなる。会議をやっていて困るのはそのことだけではない。本当に何一つ新しいことは決まらない。変えようとすることへの労力は計り知れないものがある。変えるということだけを決めてしまって、それまでのプロセスについては誰も責任を取ろうとしないのであれば、何も変わらない。それが、昨年度の状況であった。そのあとにポッと入った人物が全責任を押し付けられるというのが、よくある例だ。ご多分に洩れず、ここでも現在同じことが展開されている。初任の頃、退職間際の同僚が、よく馬鹿くさい馬鹿くさいと漏らしていたのを思い出す。何をやっても馬鹿くさいというのが不思議だったが、今では良くわかる。

6月20日 水曜日

 昨夜のサッカーの試合を見たからか、数日ぶりの仕事だったからか、今日は眠かった。眠いところに、様々な情報が積みかさなり、楽しい気分とは程遠かった。日中に電話をするときに、大概相手はつかまらない。話したい人に限って、今は出払っている。今日もそんな悪いタイミングでこちらは電話をし、悪いタイミングで先方もこちらに電話をよこした。

6月19日 火曜日

 今日も休日。午前中は集中して仕事をした。こういうのを世間では休日とは呼ばないだろう。だが、働いておかないとまた大変なことになるから腹を括って取り組んだのだ。あと二割程度で完成できそうなくらいまで進んだ。それは本当に馬鹿らしいことだと思う。午後から車を走らせた。高速のサービスエリアの食堂で冷やしたぬきそばを食べた。券売機で食券を買うときボタンに誤って触れてしまい、食べるつもりのないソフトクリームの食券を買ってしまった。だからそばのあとにソフトクリームを食べた。目的地はあったにはあった。着いたには着いたが、降りる気分には遠かった。それで、一歩も降りずにまた家路の方に向きを変えてそのまま走り出した。往復三時間半のドライブは何も実質的な意味を持つものではなかった。

6月18日 月曜日

 振替休日の月曜日。朝にゆっくり過ごしているとラジオから緊急地震速報が流れた。大阪の地震で犠牲になった方々の冥福を祈る。今日は午前中に床屋に行ったが、そこでもテレビはずっと地震の報道だった。床屋の洗髪では機械か手洗いかどちらが良いかを聞かれ、どちらでも良いと答えた。それは手洗いの方がいいに決まっているが、手洗いが良いと希望するほどのことかどうか。そうすると自動的に、機械でということに決まる。洗髪ロボットも慣れるとどうということはない。こうやって、人間が機械に置き換えられていくのだと実感した。自分もいつか機械に置き換えられてしまうかもしれない。自分の仕事なども、人間がやろうと思うから難しく感じるだけで、機械に任せてしまえば全てうまくいくだろう。

6月17日 日曜日

 二日目もだいたい昨日と同じ予定で、同じようなことを続けた。最後の最後までわからない勝負だったが、結果的には悔しさのにじむものとなった。これまでのことを振り返ると関わった人々は皆それぞれに努力をしてきたし、自分もようやくほっと胸をなでおろした。そして、少なくともあと一か月は今のような生活が続くことになることは大変だが、これまで同様できることを一つ一つやっていくだけである。夜には夜で慰労会があり、大人の方々の価値ある話を聞くことができた。できると思った時点でそれはできなくなってしまう。何が何でもやるという気持ちにならなければ、なるほど思うようにはいかないのである。

6月16日 土曜日 

 三時に起きて四時半に家を出る。この土日は大きな節目の仕事だった。このための準備だったとしても、本番当日の心境はまた嫌なものである。いつものことだが、数時間過ぎれば、あと一日過ぎればなどと考えてしまうが、そんなことを考える前に今目の前のことに専念せよという声がどこからか聞こえてくるのだった。

6月15日 金曜日

 通常業務は午前で終わり。午後一時には出て、二時から始まる土日のイベントの準備会に参加しなければならなかった。時間厳守で到着したものの責任者の姿はなく、要員が集合して開始の挨拶をするでもなく、ただなんとなくだらだらと始まり、わかっている風の人がわかっている風の人とばかりコミュニケーションをとり、こちらはなんだか取り残されたような気分だった。これは毎度のことなのだけれども、どうかしている。この一件だけをとってみてもうんざりである。

6月14日 木曜日

 十年前にあった地震の節目にあたるということで朝から避難訓練を行った。時々ある避難訓練は面倒といえば面倒だが、あの地震前後から自分や他の人々の参加する意識が変わった。思えばあの地震も東日本大震災の前兆だったかもしれない。十二日は宮城県沖地震からちょうど四十年の節目だったという。大きな時間軸でみれば、活動期に入っているとは言えそうだ。これから起きる大地震も、ここ四、五十年のまとまりの一つに数えられるものなのかもしれない。


6月13日 水曜日

 今日中に印刷できるだろうと目論み、昨日のうちに起案し回覧していた文書が却ってきた。かなり踏み込んだ内容だったのでチェックが通るか心配だったのだが、誤字の指摘くらいしか書き込みがなかった。それで、今朝の打ち合わせで本当にこれでいいのかと確認したら、ちょっと待って確かに、もう少し検討してみて、ということを言われた。それで手直しをして再び回覧したが、これでは難しいということになった。その日三度書き直してようやく通った。その時点ではもう夕方だったので、結局のところ今日のものにはならなかった。それらのやり取りの中で、様々な人々への対応の難しさを学んだ。そうして、誰からも文句の出ないものにするには、当たり障りのないものにする、ということもまた必要なのだということもわかった。しかし、その間隙を縫ってでも文字にしたい事柄というのもまた存在するのであり、そのために今年は常に果敢に挑戦し続けているつもりなのであった。これでめげてどうするということである。

6月12日 火曜日

 再任用制度が始まってから何年か経つ。組合の言葉では義務的再任用だそうだ。退職したけれど継続して勤務する。どの業界のどの職場でもそういう方々が多くいらっしゃるようである。年金支給開始が六十五歳になり、それまでのつなぎという意味合いが大きいのだろう。いずれは定年が六十五になり、この制度も消えるのだろうか。人生百年時代だそうである。年を取っても元気で働こう、だそうである。少し前まで人生五十年と言われていた時代があったのを知っている。それがここ何十年かで倍に伸びた。自分がその一人になったからいうわけではなく、今の五十代は自分が子供の頃の五十代と比べると実に若々しい。見た目も若いが頭の中も絶望的に若々しくて涙が出るほどである。何を言いたいかは伝わらないか。でもその方がいいか。

6月11日 月曜日

 毎日考えること腹をたてること諦めること矛盾すること。子供には腹をたてることはない。何一つない。朝昼晩これでもかというほど腹がたつのは全て大人。どうしようもなく大人。どうしようもない大人。諦めては未来がない。未来をつくる子供。子供が未来そのもの。未来をつくれない大人を諦めたくなる自分。毎日諦めたくなる。

6月10日 日曜日

 逃避行動なのかとにかくひたすら南に車を走らせた。昼食は宮城のスーパーのイートインで済ませ、知らない農道やら県道やらを通って帰ってきた。弱い雨の中を、何を求めることもなく、運転だけしているのは馬鹿みたいだ。ただその中で、まるで眠っている時のように脳内が自然と整理されていったのではないか。雑多な物事を組み立て直して次につなげられるようにしたのではないか。などと気取って書いてみる。確かなことは、何もしない時間、一見意味のない時間が必要だということ。

6月 9日 土曜日

 一週間前ということで、OBの方々がたくさん訪れ応援や助言をしてくださった。これまでの集大成に向けてこの時期の助言は値千金だった。自分は専門的な見地からは何もいうことができないが、生活の一環として扱うときには自分なりに理解もできるし言語化することもできるつもりでいる。どんな物事にも共通する真理というものがあって、経験的に見出されたことについて伝えることはできる。だがそれだけでは不十分で、物事にはその内容に踏み込んだ特別な言葉や指導が必要なこともあるのだ。

 今日は午前だけだったので、早々に帰宅し、十五時頃から出かけて世田米の集落を見に行った。古い建造物は少なかったが、川から見た蔵のある景色には往時を偲ばせる雰囲気を感じた。満蔵寺というお寺に立ち寄ると、親しみ深い顔に出会った。

6月 8日 金曜日

 頭にくると腹がたつは同じかどうか。どちらでもいいが、毎日そういう状態になってしまうというのは何がおかしいのか。自分の方がおかしいのか。相手の方がおかしいのか。基準が違えば答えが変わってくるということでしかなさそうだ。対象は日替わりだが、だいたいが年長者だ。多分何も考えていない。考えられていないことが多すぎる。あと十年経つと自分もああいう風になってしまうのだろうか。だとしたらそれも下の人たちには申し訳ないことだけれど、あの方たちはきっとそのようなことすら感じていないのではないだろうか。

6月 7日 木曜日

 午後に待望の休みを取る。朝から暑いことにより、それぞれの思惑が生じ、最後まで翻弄される。十二時からの休暇は実際には十五分ほど遅くなった。洋服を買いに行こうかという目論見もあったが、暑いので行きたくなくなった。高速道路の乗り口を素通りして、コンビニの駐車場に止め、おにぎりを買って車内で食べた。その後、たらたらと国道を南下していたが、馬鹿らしくなったので北上して帰途に着いた。一関で必要なものを少し買って帰った。

6月 6日 水曜日

 暑い時は暑いなりの服装をすればいいだけのことではある。それがうまくできないのが現代っ子の特徴といえばそうなのだが、自分のことを思い返せばやはり同じようなものだったように思う。原則に基づいて考えさせるのは当然だとしても、その後の対話の機会を奪うかのような決定には疑問を呈さざるをえない。とはいえ、それなりの立場に立てば疑問を感じつつも実行しなければならない施策もあるわけで、取り組むことの全てが納得のいくものであるということはない。

 複雑で微妙なことがらは誰もがいる場で皆に聞こえるような声で話をすること、それから、一部の人しかいないような雑談の場では何も決めないこと。この二つは大切にしなければならない。声の大きな人間の意見ばかりが通るようでは民主的ではないし、その方の戦略にまんまと乗せられてしまうことになってしまう。例えば、その方の意見と反対の意見を持つ人もいるわけで、しかるべき部署に事前に諮った上で総合的に検討した結果をどのような意見の人の耳にも入る形で伝達するというのが、結局は声の大きな方に釘を刺し、声の小さな方を守ることにつながる。こういうことばかり考えなければならないことが不思議でならないが。

6月 5日 火曜日

 木曜の午後に五時間の振替を取ることにした。それを励みに二日間頑張ればちょっと休んでまた金曜一日出て休みとなる。ただそれは体力的な側面についてが大きい。考えてみればこの頃は、時間も情報も消費してばかりで身に付くことなど一つもなくただ流されてばかりで何も残らない。数日過ぎただけで何をしたのかすっかり忘れてしまっている。思い出すための記録を振り返ってみても何も出てこない。出てくるのは政権への怒りとこの国に対する失望のみである。自分の生まれた国をここまで恥ずかしく思うことがあろうとは想像しなかった。個々の健気な努力や伝統的な価値観に基づいた奥ゆかしい営みの力を信じてきたこともばかばかしくなった。日本語であることが、論理を形成する上で実はすでに大きなリスクを伴うことだ。あるいは、これまでの日本語教育の不備が、百五十年かけて、議論を成立する土壌を剥ぎ取ってきたということだ。これに対する自らの責任については、誰が何を言わなくとも追及しなくてはならないことである。

6月 4日 月曜日

 四月の特殊業務に伴う振替休暇を十三時間取得しなければならないのだがそれが困難である。期限は六月中ということだが、まだ一時間も取っていない。これまでこの業務には何度も携わっているが、振替を取った記憶はない。本当に取っていないのか、取ったことを忘れているのかはわからない。昨今は働き方改革というので休め休めとうるさく言われるが、休もうと思えばそれだけ仕事を早く終わらせなければならない。きのうのような非効率な働き方、しかも休日に持ち帰り仕事をしているようでは話にならない。今日はせめて最後の一時間をそれに当てようと目論んでいたが、次から次と文書のバインダーが回ってきて、それを処理していると予定の時間が過ぎた。おまけに電話がかかってきたり、相談事があったりで、対応しているうちに一時間が経過した。上司に取り消しを告げてなお仕事を続けているうちに上司の方が先に帰ってしまった。なんとも面白くない週の始まり。

6月 3日 日曜日

 きのうほどの天気ではなかったが、穏やかな日和だった。外にいた人々にとっては、日差しが強くて大変だったようだ。こちらは朝から机に向かってきのうのまとめを作った。こんなことはあっという間に仕上げなければならないのだが、考えながら進めるから結果的に何時間もかかってしまった。楽しいか楽しくないか。楽しさの中には苦痛も含まれており、苦痛の中にも楽しさを見出すことは可能だ。仕事に向き合う場面なんて、一言で言ってのけるほど単純な感情ではない。ただ時間はかかる。頭も使う。それに見合った効果があるかはわからないが、受け止める顔を見れば値打ちがわかるし、次への意欲にもつながる。それを面白さ楽しさと呼ぶには抵抗はない。しかし、本来の業務とは程遠いところで日々あくせくしてきた自分の半生を振り返るに、なんと無駄の多い人生だったことかと愕然とする。こういう人生しか歩めなかったのは、自分の努力が足りなかったためであろうか。

6月 2日 土曜日

 天気の良い一日。早朝家を出て、江刺までの出張。先週の遠野は途中高速を使ったが、今回はすべて下道を通った。美しい農村の景色を眺めながらのドライブは快適で、いつまでも運転していたかった。目的地に到着したと思ったら様子が違うので近くの人に尋ねると、別の場所だった。それで、移動したらそこでまた意表をつかれることがあった。当然のことながら、変更点があるならしっかり連絡をよこしてほしい。人の振り見て我が振り直せ。自分の今後に生かそう。

6月 1日 金曜日

 六月に入る。目新しいこともなく。夕方、職場からしばし離れ、高台にある公園の自動販売機でジュースを買って小休止した。ここまでの二か月とは比べものにならないほど、ここからの二か月は素早く通り過ぎていくだろう。