2018年11月  November 2018

11月30日 金曜日

 霜月晦日の金曜日には何事もなく終わりたかったがそうもいかず、幾つかの報告でノートのページが埋まった。落ち着かない職場に落ち着かない人々が毎日何かを起こす。責任を追及することは大切だが実際にやろうとすると難しい。それよりも今この瞬間に何ができるのか、体制のためにマイナスに転ずるのを許すのか、それともゼロで維持するのか。あわよくばプラスに転向させたいとしても、嘘偽りのない形でお願いしたい。

11月29日 木曜日

 夜には某会議があったので十八時には退勤した。会場に十八時半前には入り、二十時過ぎまで参加した。何が良かったのかはわからないが、今になってやめようとか、サボろうとかは考えることはない。やめようと思う分続けようと思うし、サボろうと思う分、人一倍一生懸命やろうと思う。

11月28日 水曜日

 どんな時でも人前で話すのは難しいが、話すことが決まっていればそれもわりとポイントをずらさずにできる。コンセプトとかテーマとかを意識して考えれば考えるほど、内容は焦点化されていき、いわゆるいいものに一歩近づく。

11月27日 火曜日

 慌ただしさの中に僅かの静寂がある。その静けさの中を多くの言葉が飛び交う時に、未来の形が紡がれる。基本を基本と意識した時から、当たり前のことが当たり前にできるようになった。むしろそれをしないことがはばかられ、恥ずかしいと思うように。

11月26日 月曜日

 印刷などに時間がかかったので、帰宅は遅くなった。昨夜注文したポットの配達が来たらしかったが、受け取ることができなかった。二十四時間もかからずに配達されるのが、日本の宅配というものか。本当は各地の小売店が充実して、店舗で実物を見て品定めできることが良いのだが、それはもう叶わないか。

11月25日 日曜日

 コーヒー用のポットが急に冷めやすくなった。いいものを買おうとして近くの店を探したが見当たらなかった。午後から平泉に蕎麦を食べに出て、そのあと水沢まで足を伸ばして探すことにした。晩秋の日曜日はこれ以上ない快晴で、ドライブするには最高の小春日和だった。金鶏山をぐるっと回って、途中ところどころ普段走らない農道を通った。水沢でも見つからず、手ぶらのまま帰ってきた。結局夜にネットで注文した。

11月24日 土曜日

 来週使う書類の作成に一日費やす。チェックと印刷を繰り返して、ある程度の精度のものを仕上げた。これまでよりも時間をかけずに済むようになった。そのため、かかりそうな時間の見込みも少なくてよくなった。ただすこし集中を必要とする。だから目などが疲れる。

11月23日 金曜日

 勤労感謝の日には仙台に出かけた。一日いっぱい学びのための出張であった。見えることと感じること、感じたことを伝えること、わかることとできること、できることとそれに本気で取り組もうとすること、条件が必ずしも良くない中であっても、継続的に何かを実践していること。自分は今そのどれでもないところで、立ち尽くしているのかもしれない。うずくまっているのかもしれない。

 帰りは少し寄り道をして、アップルの店をのぞいたり、デパートを見たりした。三連休初日、暗くなってからの商店街には客が多く、消費活動が盛んなこの街の活気を否応なく感じさせられた。何を求めてさまよっているのかと、少し目眩がしそうだった。地下の店で味噌ラーメンを食べた。高速のサービスエリアで、ソフトクリームを食べ、職場への手土産を調達して帰宅した。

11月22日 木曜日

 急にコメントを求められても断ることができない、どうにか頭の中で必死にまとめて、何事もなかったように振る舞わなければならない、そんな歳になった。誤魔化すでもなく、あっさりと片付けるでもなく、濃厚なかけがえのない一瞬、一期一会の出会いとしてのコメント、なんら過不足なく、最も効果的で、他には代理が効かない唯一無二の言葉を、いつでもどこでも投げかけられるだけの力を持たなくてはならない。それは自分自身のことであり、三十年後のあなた自身のことでもある。

 二十四節気の小雪だったことを過ぎてから知った。夕方からのまとまった時間に、気がかりだった仕事を一気に進めた。夜にはまた別枠の仕事があった。動かないから体力は使わないが、気は使う。気苦労ばかりが多い。

11月21日 水曜日

 挨拶など、シンプルな一言だけが、相手と心の通い合う手段である。こちらの目を誤魔化そうとするから、却ってこちらも注目してしまうのだが、彼はそのことには気づかない。

 もう四半世紀も前に、つれづれなるままにワープロに向かって綴った言葉たちは、フロッピー・ディスクの中に封印されてしまい、今となっては開こうにも開けない。 

11月20日 火曜日

 午後から出張。前半は眠い講義。ほんとうに聞きたい話は皆無。後半はグループでの情報交換。最後には各グループの発表。なぜか自動的に発表者になる。マイクが回ってくると断れないということか。損して得とれ。嫌なことでも避けてばかりというよりは挑戦してできるようになった方がいい。早めに帰宅できたものの、しなければならない仕事は手につかず。

11月19日 月曜日

 全体にとっては重要なことであっても、個々の目ではどうでもいい瑣末なことにしか捉えられない人もいる。毎日流されてばかりいると、流れをつくる張本人であることを忘れてしまう。一人一人の在り方そのものが、世の中の流れをつくっているということ。それがこの社会を、この国を形作っているということ。

11月18日 日曜日

 一日ぽっかりと休日になった。朝には冷えて、天気もよくなった。そこで、深まりゆく秋の風景を写真に収めたいと、少し車を走らせた。こんな日は通勤路の途中のため池から湯気が上がっているのが朝日に映えて美しいので、それを撮ろうと出かけた。しかし、そこまでの気温ではなかったためか、湯気は上がっていなかったので素通りした。川崎の集落から山道に入ると、散りかけの銀杏や柿の木などがきれいに見えた。

 午前中は部屋を片付けて、押入れに夏物を仕舞い、冬物を手前に出した。袖の切れた古い背広や、釦の取れたずぼんなどは、機会を見て捨てよう。少しずつ物を減らしていこう。昼には平泉まで行くがいつもの蕎麦屋は臨時休業。戻って近くの蕎麦屋に初めて入る。駐車場が混んでいるので今まで機会に恵まれなかったが、味は悪くなかった。

11月17日 土曜日

 早朝から仕事。バスで北上へ。帰りは予定よりも早くなった。懐かしい顔に会った。正月の同窓会以来だったから、ついこの間も会ったよなという感じだった。思えば最初に勤めたのはこの土地だった。この地で元気に活躍している姿を見るのは嬉しかったし、こちらも見られていることを否応なく意識させられた。これからもかれらは心を引き締めてくれる存在となるだろう。

 翌日は休みに。それでほっとする正直な気持ちもあるが、今後を思うと苦しいところもある。夜は心に余裕ができて、とりとめのない話をした。

11月16日 金曜日

 管理職との面談があった。人事のことや仕事上の問題について話をした。それとは別に、朝と昼と夕方にまとまった話をしなければならなかった。心の中では迷いながら言葉を選びながらだったが、傍から見ればそれはできて当たり前のことだった。自分が新米だった時に見ていた先輩も、同じような心境だったのだろうか。それとも、自分が一番と思い絶対的な自信をもって話していたのだろうか。人によって違うだろうが、多くの人はどうも後者のような気がする。そして、自分のように臆病な、あるいは謙虚な姿勢を続けている五十代など、ほとんどいないというのが実感である。

11月15日 木曜日

 知らぬ間に霜月も半分が過ぎていた。先月も早かったが、今月も早い。あれよあれよという間に、一週間が過ぎていく。

11月14日 水曜日

 他人のことをからかったり馬鹿にしたりというのは昔からあるが、それに対する耐性は人によっても時代によっても変わるのだろう。そんなことくらいと一言で片付けられる問題ではないし、昔と同じように皆が我慢を強いられるわけでもない。

11月13日 火曜日

 どうだっていいような些細なことが大きく取り上げられたり、またその逆があったりする。人によって感じ方が違う。何がほんとうの価値なのかわからない。ほんとうはほんものがちゃんとありそうなのだけど。

11月12日 月曜日

 背広を新調したいと思っても、店に行く時間がなかなか取れない。どうにか時間を得て店に行っても、サイズが合わなかったり気に入ったデザインがなかったりすると、もう二度と来るものかという気分になって、それから毎日誤魔化しの中で生きることになる。今日は職場を十八時に退勤し、店に出かけた。まだ就職したばかりという風の青年が担当したが、彼の近くにいかにも指導役という方が一人ついて、安心感があった。この機を逃してはと思い、地味なものを二着購入した。

11月11日 日曜日

 久しぶりに実家の部屋を見回すと、おびただしい数のCDがあることに気づく。創作をしようと思って作った部屋も、できてから30年近くになる。

11月10日 土曜日

 お盆以来の帰省、タイヤの交換のため。夕方、母を台に連れて行く。帰りにはココスでハンバーグを食べた。

11月 9日 金曜日

 対話がないがしろにされる社会。話し合いが大切、などと言っておきながら本気でさせるつもりはない。気がついて、自ら声を発しないとならない。

11月 8日 木曜日

 思い通りにならないという場合、そもそも思っていないということが多い。願いのなかみを検討することそのものが、それを実現する道のりだ。

11月 7日 水曜日

 いろいろなところに気を遣って、とはいえ表情は一つも変えずに静かに笑いながら。今日は立冬だ。立冬にしては暖かいのだそうだ。感覚は曖昧で、時期と気温の相関など実はわからない。経験というのも心もとなく、毎日が出たとこ勝負。

11月 6日 火曜日

 大仕事を終えてひと段落か。ほんとうは毎日が大仕事だ。一瞬一瞬に本気で生きることが、生きるということだ。

11月 5日 月曜日

 当たり前のように家を出る。同じ時刻に同じ道。霧の中でヘッドライトを点ける車の少ないこと。惰性で生きている有象無象。その中の名もなき一人であること。次の瞬間死ぬかもしれぬ存在であること。

11月 4日 日曜日

 最高の秋晴れの一日であったにもかかわらず、朝のうちに仕上げようと思っていた仕事は後回しになった。気がつくと午後三時を過ぎていて、それから少し音楽を聴きながら車を走らせた。スマートフォンが欲しくなって電気屋をのぞいたが、本物を見ると熱が冷めてきたような感じになった。

11月 3日 土曜日

 午前中は体を動かして仕事。帰り道でクリーニング屋と床屋に立ち寄る。眠くて二時間ばかり昼寝。夜にはこの半月を振り返ってまとめ。毎日書くことが大切だとはわかっている。

11月 2日 金曜日

 今週は短かったはずなのだが、疲労のたまる一週間だった。

11月 1日 木曜日

 毎日よくも人の気持ちを逆なでしてくれるものだ。