2018年10月  October 2018

10月31日 水曜日

 10月はあっという間に過ぎ去った。今年度はあと5か月になった。大きな節目。毎日不満や腹の立つことばかり。

10月30日 火曜日

 不安定な天気。夜中は相当雨が降ったらしい。早朝、鶴岡経由で山形市に向かう。結局昨日買った柿が朝食になった。シベールのラスク工場と、そこに付随する遅筆堂文庫の山形館と母と子に送る日本の未来館の見学。ニッカの醸造所見学。試飲と買い物に時間をかけ過ぎ、帰りのことを忘れる。バスを逃し、山の中の停留所で日暮れの一時間待っていたら寒かった。

10月29日 月曜日

 振り替え休日は社会見学の旅。また酒田へ。「世界一の映画館と日本一のフランス料理店を山形県酒田につくった男はなぜ忘れ去られたのか」を読みながら。昼前に到着。昼食はアルバのカレー。宿で自転車を借りて、土門拳。オランダせんべい、酒田米菓の工場。本間家旧本邸の見学。そして、今回の最大の目的、カクテル「雪国」を飲みにバー「ケルン」へ。ところが、店の前で会った店員さんに、「きょうはもう終わりました。お客さんが少なかったので…」と言われ、入店することはできなかった。伝説のバーテンダー井山計一さんから、本のことについて聞こうと思っていたのだが。日が悪かったのかもしれない。今日は大火の日だった。果物屋で庄内柿を買い、ラーメン屋で夕食。店を出た頃から雨が降り出す。

10月28日 日曜日

 大きな仕事の一日とはいえ、前日までがそれなりにできればあとは黙っていても流れる。その、黙っているところで何をするかが腕の見せ所なのだけれど。夜にはおきまりの慰労会。皆が酒を飲む表情を見ているのは面白いが、その中で自分が酒を飲むのはたいして面白いこととは思わない。

10月27日 土曜日

 一年で最も自己嫌悪に陥る一日だったことを思い出す。それはそうだ。力がないから、何をさせることもできないのだ。今ではその力があるかどうかさえ、確かめる機会は与えられない。

10月26日 金曜日

 しなければならないことは決まっている。時間さえ確保できればそれだけで良い。

10月25日 木曜日

 出張先で以前一緒の職場だった方の姿を見かけた。会議が終わった後には職場に急いで戻らなければならなかったものだから、挨拶もせずにそそくさと出てきてしまったことを後悔。

10月24日 水曜日

 六時間立ちっぱなし。こういう日も珍しい。誰とも話す時間が無いというのは悪くない。好きなようにできる。

10月23日 火曜日

 自分のための大切な日。何の準備もなく十五分の面接に臨む。法規や論文の筆頭試験ならいざ知らず、問われたことに即答できなければ全く資格などあるわけが無い。今考えられることをすべて絞り出して表現する。

 昼前に職場に入り、通常通りに職務を遂行する。夜には夜で体を動かす。

10月22日 月曜日

 焦るような状況には無い。確かに少し遅れ気味ではあるが、ここはそういうリズムで進むことが多い。良いとは思っていないが一人で改善できるとも思っていない。そこに労力をかけるつもりは無い。

10月21日 日曜日

 この二日間は朝から晩まですっかり仕事。休めないのもさることながら、準備もままならぬうちに新しい週を迎えてしまわなければならないことの口惜しさ。

10月20日 土曜日

 バレーボールの「バレー」は"volley"のことだ。これはボレーシュートの「ボレー」と同じ。バレーボールをやる子供たちのどれくらいが、それをわかってプレーしているだろう。「バレエ」と「バレー」を取り違える人は、日本語話者以外にはなさそう。

 「あんたのバレーじゃだめだ」と言われたことがある。俺のバレーなんていうのは無い。今でもそれを言われているような気がする。その度に俺のバレーなんていうのは無いと叫びたくなる。

10月19日 金曜日

 午後からものすごく眠くなる。土日の準備ということで十七時半に召集がかかっていた。それで十七時過ぎに職場を去ったが、三十分では到底到着しない。十分の遅刻を詫びて、作業に合流。しかし、日中に大部分を終えていてくれたおかげで十八時過ぎには終了。職場に戻る案も浮上したが、周囲にやめとけと言われて目が覚める。帰宅して少しゆっくりして早めに就寝。

10月18日 木曜日

 一つ落ち着いたと思うとまた一つ何かが起きる。緊張感のなさからか、そういう時期なのか。だが、考え方によっては、いろいろと目に見えた方が後につながる。何がよくて何がよくないかはわからない。

10月17日 水曜日

 嘘の上塗りの苦しさは嘘をつくことで学べるのだろう。それでもこんなことがかれらのどんな学びになって、将来どんなことに生かされるのかは疑問だ。遠い未来のように思える自身の姿にだって、あれよあれよという間に向き合わなければならなくなるというのに、それに気づかずに悠長に日々を消化するだけである。若き日々のバカさ加減。

10月16日 火曜日

 警察じゃない。たとえ警察でも嫌気のさす事例ばかりだろう。職務上必要に迫られて登録したメールには、不審者情報など力の抜ける情報が毎日届く。必要に迫られてというけれど、これっぽっちも必要ないのではないか。

10月15日 月曜日

 この週は種々の事情聴取が続き、問題への対応で明け暮れた。特に情報端末の扱いという点で、勉強になる事例が相次いだ。インターネットというものが存在する社会は、それ以前の社会とは比較にならないほど問題が複雑で困難になる。

10月14日 日曜日

 何をしたか忘れた。思い出した。週末にあった様々な問題について、時系列で書き出していたのだった。午前中いっぱいかかった。だるかった。昼になって、だるいまま、車で南に行った。パンを買って、車内で食べた。酒屋でウィスキーを買った。

10月13日 土曜日

 午前中はいつものごとく仕事。昼には早々に帰宅し、そばを茹でて食べた。何もしないうちに夜になった。

10月12日 金曜日

 今週も金曜日までこぎつけた。あわよくば夕方早めに退散しようと目論んでいたのだが、仕事場に着いて十分でその希望は打ち砕かれてしまった。自分はこの職業に就いてからというもの、大した怪我や病気をしたことがない。それは病気を患って手術して入院ということもあったけれど、それは突発的なものではなく、前からの計画的な治療だったわけだし、思い切り走って肉離れをしたこともあったが、それで仕事を休むほど重症でもなかった。だが、これからどうなるかはわからない。要するに、お互い様である。

10月11日 木曜日

 午前中は家にいて、にわか勉強をしていた。論文を一つ試写してから、一つ自分なりに初めから書いてみた。時間はそれほどかからなかったし、何を聞かれても書く段取りは似たようなものだろうからと、大丈夫なような気がしてきた。それよりも大変なのは頭に入れる方で、条文のようなものをかたっぱしから頭に放り込んで覚えるみたいなことは、どうも苦手だと感じてしまう。苦手だということは、伸ばせる部分であるということだけれど、それを伸ばすことは今回はできなかった。残りの時間のことを考えると、どの方向に向かうべきなのか、その都度考えがくるくると変わってしまう。どんな道をとるにせよ、今よりも無責任で楽にできることはありえないので、それが悲しさであり、覚悟を持たせる理由なのかもしれない。では、お前は覚悟するのか、と問われると、もうちょっと待ってほしいという気になる。

10月10日 水曜日

 体育の日ではなかった。目の愛護デーだったが、目を大切にすることはできなかった。これまでの毎日と同じように、目を酷使して、疲れさせてしまった。明日に向けてやっておきたいことがあったのだけれど、眠くてそうもいかなかった。二十年来使い続けているコンタクトレンズは、焦点が合わないということはないのだが、老眼のためか近くがずいぶん見えにくくなってきた。特に左目の視力が極端に悪いので、左の首とか肩とかが凝って苦しい。先日ラジオで言っていたのだが、扱う情報が多すぎるから、首のところでその情報が目詰まりを起こすのだそうだ。それで凝りが起こるのだと。この頃は敢えて情報に接しないようにしている時も多いけれど、それでも体に影響が出てしまうのだ。

10月 9日 火曜日

 思いがけず補欠に入ることになる。このような場合当然計画は無いから、朝から慌てて考えることになる。どうにか組み立てることはできるが、細部までの検討を加えようとすると破綻を来す。そんな時にはいつも、こちらが見ていない部分を見ている人がどこかにいてくれて、それでようやく仕事が成り立つことになる。休むなとは言わない。お互い様だから。でもできるなら一言が欲しい。謝罪や釈明ではなく、少しの気遣いを見せてくれるだけでいいのだから。

 夜には容赦なくまた別の仕事があった。印刷物を用意して持って行くと十八時半を回っていた。それから二十時まではあっという間だ。黙っている時には頭の中を働かせている。終えて帰ると、もう何もする気が起きなくなっている。

10月 8日 月曜日

 いつからかこの日が体育の日。この時期の競技会なら時期としては誰もが納得。だが、もはやいつだとしても多くの人には受け入れ難いものだ。再来年の夏にはここにいたくない。昼には皀莢庵でおろし蕎麦を食べてから、水沢まで足を伸ばして買い物をし、産直でソフトクリームを食べ、ガソリンを入れて帰宅。二時間ちょっとの運転で、その後は疲れて何もできなくなった。こうして貴重な三連休は終了した。

10月 7日 日曜日

 台風が接近してきたために、風が強い日だった。晴れの予報が出ていたが、曇ったり雨が降ったりと不安定だった。午前中には観念してテキストを使って勉強していた。昼は蕎麦を茹でて食べた。午後にも時間があった。時間はあったが無駄に過ごしてしまった。神様の采配とは書いたが、その意図を考えるとまた自分は試されているのだろうという思いに至った。いろいろと余計なことをした。二十年前に前九年のアパートで作った曲をネットに上げるとわずかに反応があった。そんなことで少し気を紛らわしながら、逃避ばかりしている自分に嫌気がさした。実はこの日記もその一環だ。この二十年というもの、新しいことは何も作れずにいるという、厳然とした事実が自分の前に大きく立ちはだかった。現状を打破するにはまた何かを生み出すよりほかない。

10月 6日 土曜日

 珍しくこの三連休には仕事が入らなかった。奇跡と言っても良いくらいだ。神様の采配ではなかろうか。朝から気分良く、ジャガイモの皮を向いて、なぜかジャーマンポテトなどを作ってみた。ビールがあれば最高だが、朝から飲むわけにはいかない。

 何もない休日には、心置きなく勉強に打ち込める。ところが、時間があると思うと気持ちが抜けて、やるべきことに集中できない。天気も良くないから遠出する気にはならないが、家の中で机に向かい続けるというのも飽きてきて、気がつくと別なことに熱中しているというありさま。まるで中学生の心境そのままである。こういう気持ちを振り返りながら、言葉を紡ぎ出せればいいのだろうか。だがこんな時に頭の中に浮かぶのは、言葉でなく音楽ばかりなのだ。

 昼前から車で出て、スーパーに寄った。土曜とはいえまだ人出が少なかった。宇都宮から来た風の餃子屋が店の中に特設の屋台を出し、お兄さんが餃子を焼いていた。通りかかった頃合いでちょうどよく爪楊枝のついた試食用の餃子を差し出されたので、思わず手を出した。あれこれと話のうまいお兄さんに乗せられて、高かったけれど五個買ってしまった。それとパックの焼きそばを買って昼食にした。ぼやき川柳アワーは聞かずに机に向かったが、それほど集中できなかった。

 夜には稲村というラーメン屋で昔ながらの中華そばを食べた。帰りにケーズデンキに寄ると、オレンジの法被を着た人が近づいてきて、新しいスマートフォンを勧めてきた。手回し式のラジオを探したが、ほとんど北海道の地震の被災地向けに出てしまい、在庫は一つだけということだった。備えあればというけれど、災害があってから備えの大切さに気がつく。いつでもそうだが、常に今がその前夜だということ。

10月 5日 金曜日

 前の日は早く帰ったのだが、その後は何をするということもなく過ごし、早めに就寝した。よく眠り、疲労回復したつもりが、首のあたりが苦しくて一日中動きにくかった。やっとのことで六時間をこなすと、歩くのもふらふらした感じになった。夕方になったところで上司に呼ばれ、勤務のことについてのヒアリングが行われた。その後も長い時間様々な話を聞いた。夜には以前延びていた会合があった。十八時半から一時間超の話し合いは自分が進行役だったが、迷走気味になり、その都度上司に助け舟を出された。今日のことが、何か改善につながることを祈りたい。会合に出たスタッフと、まだ残っていた何人かでいっしょに職場を閉めた。車を出してから、建物の一角に電気が点いているのを発見し、また戻って開錠し、スイッチを切ってまた施錠した。こうして十月第一週は終了した。

10月 4日 木曜日

 通常業務は午前中だけで、午後は研修だった。ゆっくりと出かけて、夕方まで講義に参加した。たまにこのような機会が与えられて、新しい古いは関係なく、普段の自分の考えとは異なる角度からの話を聞くことは悪いことではない。成果として表れるかどうかはこれからの実践にかかっている。とはいえ、この国の近視眼的な政策をみるにつけ、暗澹たる気持ちになる。時代に合わせて変化することは大切だが、いつもそればかり。人間とはどのような存在なのか。そこに根ざした思想がどこにも見当たらない。おそらくそれは、江戸の昔から為政者が意図してきたことであり、庶民はすっかり飼い慣らされ、何も考えなくて良い、お上に従っていればそれでいい、という癖が染み付いてしまっているのだろう。おぞましいことである。

10月 3日 水曜日

 夜になると疲れて眠ってしまうけれど、朝になるとまた目覚める。人間は毎日、新しく生まれ変わることができる。まるで死んだように眠り、まるで生まれたように起きる。それを繰り返すのが人の一生だ。このことに気づいてから、毎日が愛おしく、一日一日を生きられることをありがたいと感じられるようになった。これは恵まれていることであるし、喜ばしいことである。日々たいへんなことがあるけれど、一人ではどうにもならないことばかりだけれど、それでも目覚めさせていただいた身としては、きょうを精一杯生きなければもったいない。明日も同じように目覚められるとは限らないのだから。

10月 2日 火曜日

 問題山積の毎日に、気をつけたいことがある。心配や不安を口に出すときの言葉それ自体が、事態を悪化させてしまうことがあるということ。問題の現象は一つ一つ別個のものなのに、それらを一緒くたにして全てを否定するような、身も蓋もない扱いをしていては、伸びるものも伸びない。それはむしろ伸びる芽を摘んでしまうことになる。

 残念ながら、敷かれた軌道の上を走っているだけでは、良かれと思ってやること全てが、相手の不幸を招く。人の不幸を招くのが仕事だとしたら、そんなことを続けていてはならない。消費の中で生きるだけの人間に、人の上に立つ資格はない。

10月 1日 月曜日

 台風のためにきのうの行事が中止となった。然る場で検討してもらった結果、延期も難しいということになった。それで、メールが配信され、こちらはほっと胸を撫で下ろした。今朝は風の影響を鑑みて、出勤が一時間遅れとなり、業務の開始が二時間遅れとなった。それで、午前中はあっという間に過ぎ、午後もあれよあれよという間に終わった。心配されていた台風も、幸いそれほどの影響はなく、結果的に無事にやり過ごすことができた。神無月に入り、今年度も後半に突入した。半年後のことはわからないけれど、この状態から脱することができるように、一つ一つまじめにやっていこう。