2012年4月

 眠気の中の一日。春の陽気からか、どことなく満ち足りた気持ちで昼寝した。夜からは仕事のことを考えた。できるだけ具体的に先のことを想像してみる。この葉っぱ一枚の人生は、すでに秋に差しかかり、そろそろ収穫の季節を迎える。多くは実るまい。佳きものがいくつか成れば良い。

(四月三十日 月曜日)

 昨夜は酒を飲み、就寝は一時半を過ぎていた。すべて勉強だからと話を聞いたが、正直耳を塞ぎたくなる話だった。なぜここに自分が来たのか。解決するべくもない疑問が渦を巻く。だれもやりたがらないことをやる。だれも行きたがらない所に行く、ペシャワール会の中村哲氏を思い出した。

(四月二十九日 日曜日)

 午前三時起床。四時半に出発して八時前に到着。行楽シーズン。春らしい一日を太陽の下で過ごした。夕方から一時間ほど時間が空いたので、施設の見学を兼ねて散歩する。何事も環境を整えずには力を発揮できない。その環境とはけして根性や気持ちではなく、もっと具体的なものである。

(四月二十八日 土曜日)

 一週間が終わり一か月が終わった。大型連休の前になるといつも、休める日を待ち遠しく思ったり、休めない日を恨んだりする感情があったが、今年はそんなものがまったくない。ただ疲れ過ぎないようにロウパワーで動くことと、本質を探るための分析を怠らないことを自らに課そう。

(四月二十七日 金曜日)

 相手を変えようとしたら誰よりもまず自分が変わらなければならない。それを自明と思えるまでには歳月がかかる。仕事を通して変わることの大切さを学んだ。変わることこそ活きること。そうして、苦手なモノ・コト・ヒトこそ自分を活かしてくれる大切な存在だということ。

(四月二十六日 木曜日)

 通常業務は半ドンで、午後からは自宅に至近の会場での会議であった。日中は気温が上がり、近所の桜は満開となった。終わりが早かったので展勝地まで車を飛ばして夜桜見物と思ったがまだ莟だった。役所近くの中華の店で食事し、帰宅した。熱に浮かされたような奇行だった。

(四月二十五日 水曜日)

 昨夜仕事のことを長く書いたら頭が疲れて寝付きが悪くなった。恩師との交信はいいものだが、それに費やすだけの時間やエネルギーは十分ではない。今回書いてみて、フェイスブックは公的な、つまり仕事関係の記録に相応しいメディアだといえるのではないかと思った。

(四月二十四日 火曜日)

 春の遅いのと天候が不順なのとで今年のこの時期の面白みは半減した。とにかくきょうで一区切りがつき、明日からまた通常の日程に戻る。ところで言葉の大海原は人類に共通で、英語とか日本語とかいうものは末端に他ならない。丸い地球の上に立って、言葉の無限の可能性を見いだしたい。

(四月二十三日 月曜日)

 力のつかない授業は生徒にとって時間の無駄であるばかりか害悪である。あなたは何を学んだかと問われて答えられない人が多いという現状に、授業者はどう立ち向かうのか。何万人教師がいても状況は変わらない。問題意識を共有する人間を増やさなければ若者達は救われない。

(四月二十二日 日曜日)

 言語技術の基礎講座を受講。続編参加の気持ちが強まる。ランゲージ・アーツを学ばなければ仕事を続ける意味はない。学ばざる者は去るのみ。同じ土俵に立たず、立とうとする気すらない現状。知らないのは罪。そして知っても何もしないのはさらに罪深い。刺激的な二日間が終わった。

(四月二十一日 土曜日)

 大宮経由でつくばに向かう。途中埼玉県立近代美術館で草間彌生の生き様と言葉に触れる。新宿でひょいと入った床屋の主人が不思議な縁のある方で話が弾む。夜には紀伊国屋サザンシアターで「闇に咲く花」の芝居。井上ひさしの演劇を初めて観た。人混みには疲れたが、佳き日だった。

(四月二十日 金曜日)

 四十を過ぎて絵本に感動するなんて、見方によっては異常なのかもしれぬ。例えば中学生に絵本を薦めるのは理にかなっていると考えるのは一つの見方だが、反対に何寝ぼけたこと言ってるのだという声も少なくない。そして実はどれが上位とか偉いとかいうこともないのだ。

 (四月十九日 木曜日)

 ようやく花が咲き始めて、日中車を走らせるのが楽しくなってきた。水仙が咲いて、レンギョウが咲いて、梅が咲いて、こちらではカタクリの花なども斜面にたくさんみられる。しかし、背中には相変わらず痛みがあり、日に日に増していく。とりあえずあと一日で休める、それまで。

(四月十八日 水曜日)

 走行距離は100キロを越える。今週はこの調子で車に乗ってばかりだから、腰や背中が痛くなってしかたない。どんなにシートが改良されても、座ること自体が自然に反する行為なのだろう、不具合は出てしまう。とはいえ素敵な出会いがあり楽しい。とある花卉農家の方の生き方に魅せられた日。

(四月十七日 火曜日)

 週末休んでいないため、金曜のような感覚だった。このまま木曜まで進んでいく。ところで、全部意図して理想に近づける手法よりも、偶然性に頼んで工夫や発見を繰り返しながらやるほうが楽しい。そして、自分という一個人の存在意義もそこにある。でなければとっくに辞めてる。

(四月十六日 月曜日)

 3時半起床。2時間半のドライブ。晴天の下で一日中お仕事。日没前にはすべて終わって帰途に就く。来た道を戻って20時半帰宅。こういう日曜をどうやって過ごすか、試行錯誤の上、何も悩む必要を感じなくなった。これは自然体、ではない。いわば現実主義的な態度とでもいおうか。

(四月十五日 日曜日)

 

 早朝に起きて手順を整理する。食事もとらずに必要な資料をなんとか調え、普通に出勤する。隙間の時間を縫って直後の準備をする。次々こなして夜を迎える。思えば理由をつけて宴席を断ったことがない。断るほどの理由があるわけでなく、それも学びと捉えるところがあった。

(四月十四日 土曜日)

 土曜の準備を終えぬまま金曜の夜を迎える。構想もまとまらず、まとまらぬうちに眠くなる。年度始めの一週間で、一年のかなりの部分は決まってしまうのだろう。その濃密な一日一日をくるくると過ごす。毎年のことだけれど、こんなふうにしなければ乗り切ることができない。

(四月十三日 金曜日)

 木曜夜にはまた難題を突きつけられる。自分に何ができるのかわからないけれど、そんなこととは関係なく、何かせよと命じられる。自分の意志とは関係なく、自分はいつも何かと何かの間に板挟みにされる。こんなことばかりでここまできた。宿命か。それとも誰もがそうなのか。

(四月十二日 木曜日)

 水曜日を越えると下り坂の感覚に変わる。とはいえ今度の下り坂は長くて、なだらかな坂だ。こがなくては先に進まない。人間には言葉を重視する傾向がある。言葉で生きている側面が大きいから。それはともすると言葉というシステムの貧しさを軽視することにつながってしまう。

(四月十一日 水曜日)

 きょうは車に黄色い粉がついていた。外套を着ずに外に出られるくらいだった。三日という時間を思えば悪くはない気はする。しかし、そういう時に限って、次には悪いことが起きる。常に初心者、何年経っても。むしろ、ベテランなどと言われた時には要注意、とそんなものだろう。

(四月十日 火曜日)

 黄砂が舞ったらしい。先週のように強い風が吹いたが、あまり寒くはなかった。自分好みの本棚が別の場所にできた。あらためて見渡してみると、これは自分の頭の中を表していることがわかる。正しさやあるべき姿など求めているのではない。ただ自分と似た存在をつくりたいだけなのかもしれない。

(四月九日 月曜日)

 

 昨夜は実家に泊まった。きょうは朝から近くで仕事だったからだ。本棚に納まったままの本をいくつもカバンに詰め持ち帰った。誰にも読まれぬまま赤茶けていくより誰かに読まれて手垢にまみれていく方が本にとっても幸せだろう。それにつけても寒い一日。十時間も外に立っていた。

(四月八日 日曜日)

 タイヤ交換など考えられないほどの天候が続く。こんなに寒いのは当然だと言う話を人伝に聞いた。農家のその方によると、閏年には二月が二回あるからということだ。なるほど。少し調べたら、太陰太陽暦ではそうらしい。雪が降ったり止んだりの一日。まるで年の瀬という感じだった。 

(四月七日 土曜日)

 教育が人間の手から離れて幾十年。ずっと前、新入生が温かな拍手に包まれるのが入学式なのだと教わった。歓迎の拍手があり、激励の拍手があり、感謝の拍手がある。それが学校という所だとずっと思っていた。でも今はどうか。手と手を打ち鳴らす行為、それこそ人間の人間たる所以ではないのか。

(四月六日 金曜日)

 いろんな見方考え方ができるのは、いろんな角度から物事を捉えているからだ。一つのことを信じて一つの方向にまっしぐらに突き進んでいくこともときには必要だが、それはたいてい個人的な都合による。組織や体制に関わる場合にそれをやると、何もみえていないことになり、失敗する。

(四月五日 木曜日)

 ラジオではこれまで例をみないほどの大風だと言っていた。昨夜から何度か瞬間的に電気が止まった。雪も降り出して、春とは思えない天候だった。会議やらデスクワークやらが続いている。文書が少しずつできて、新たな出会いのイメージもふくらんできた。でもまだ三日目か。

(四月四日 水曜日)

 二日目ともなるともうかなり打ち解けてくる部分は打ち解けてくる。昨年度とは構成がまったく異なるので関係性も変わっていて、そのため自分の性格や役柄について、今までとは違う面が表出するようだ。それから大きいのは、昨年とは違い、先がある程度見通せることだ。

(四月三日 火曜日)

 

 職場に出て一日過ごすとすでにぐったりである。いつものプログラムにはまだほど遠く、すべて準備段階だから、時間の区切りも不明確でだらだらと進めがちになる。そのためか、まだ初日かと気づいてはこの先の長い卯月の生活を思ってため息を洩らすのである。

(四月二日 月曜日)

 新年度の始まりは日曜日。些末なことどもを少しずつ行う。仕事あっての日々ではあるが、仕事だけするわけにはいかない。遊んでばかりもいられないが、遊びのない人生などあり得ない。せめてきょうなどは落ち着いて、頭の中を整理しながら心の準備を進めたい。

(四月一日 日曜日)