2017年12月  December 2017

12月28日 木曜日

 月曜日に終業式が終わり、冬季休業が始まり三日目。初日はまるまる職場で仕事をし、昨日は午後から休みを取った。昨日の朝の通勤は大雪のため道路が混乱し、いつもより50分近く余計に時間がかかった。妻の伯父が亡くなり、通夜に出かけるために喪服を着て家を出たのだが、国道も高速道路も予想以上の渋滞で車がなかなか先へ進めなかった。普段なら1時間もかからないところが5時間経っても着かず、17時開始というのに高速を降りたのが19時半を回っていた。かくして通夜に参列することはできず、うどん屋で夕飯を済ませてまた自宅にとんぼ返りすることになった。念のためとかなり早く出たつもりがそれでも全く間に合わなかった。もっともあれではさらに1時間早く出ていたとしても着かなかっただろう。あとで知ったが、この日は各地地吹雪で数百台の車が身動きが取れなくなったそうだ。雪の時には気をつけよう。

12月23日 土曜日

 一昨日の冬至に古い太陽が死に、昨日新しい太陽が生まれた。忘年会明けの土曜日だった。宇宙的な大きな節目の記念に、朝からカレーを作った。その合間に、クリーニングを出し、コンビニで公共料金を支払い、新聞を買い、スーパーで食材を買い、ホームセンターで新しい温風ヒーターを買ってきた。同時に、古いヒーターを引き取ってもらったので、処分のことを考えずに済んだのはありがたかった。昼には、山形のこんにゃくそばを使って、おろし蕎麦もどきを作って食べた。

 年忘れとか忘年会とかよく言ったものだ。都合の悪いことや耳障りなことは一切口に出さずに笑って忘れてしまおうというスタイルをみていて、水に流すという言葉が浮かんだ。何でもかんでも水に流す。その水がまためぐりめぐって自分の口に入ったり、上から降り注いだりするのが目に見えるのだが、それをもみないふりをして、有耶無耶にして、深くは考えない。カラオケボックスのような密閉された空間で、他には言えないことを言い合うのかと思いきや、そこでも何一つ触れられることなく、順番に古い歌などを歌い合うのであった。NHKではないけれどまるで紅白歌合戦のような光景が広がっていた。

12月17日 日曜日

 もっといいものをつくりたい、もっといい仕事がしたいと誰しもが考えることだろう。いいものをつくるためには、つくる人の気持ちにゆとりがほしい。毎日あくせく働いて、家に帰ればご飯を食べて寝るだけで一日が終わり、気がつくと週末。きのうきょうのように予定を入れなかった週でさえ、身体をゆっくり休めるだけで終わってしまう。ましてや二日間とも仕事が詰まっているなんていう週には、いくら自由な時間とはいえ、勉強や趣味になど使う時間にはならない。そうやって、何十年も人生の時間をやり過ごしてきた。意図したものではなく、気づかぬうちに否応なくさせられている。まずはこれを知ることが大切だ。

12月16日 土曜日

 オランダにいる頃から感じていたことが、帰国してからますます鮮明になって、毎朝毎晩同じような愚痴が口をついてばかり。この国に生きるというのはたいへんなことだという思いが日に日に強く深くなる、まるで底なし沼のように。ところがここで行われている事ごとに対してあからさまに反対することは憚られることらしい。逮捕者も出るし、死者も出る。弱者は叩かれ、被害者は排斥される。だいたいそういうことらしい。この国だけではなく、大国の論理というのがそうだというのは、これも最近になって立体的に見えるようになってきたことだ。ここでまともにやっていくには、少なくとも少数派で、異端でなくてはならない、ということは確信に至った。

 かつての仕事場にあった状況と似たようなことが、一事が万事、この国のいたるところに蔓延しているのをみる。つつがなく暮らしてきた我々の身体から、まごころや誠実さが掠めとられ、代わりににせものの魂が植えつけられていく。毒気のある空気や食べ物を知らず知らず摂取するうち、身体の反応が鈍ってくる。雑音の中に身をおくうち本当の声が聞き取れなくなってくる。

 きのうは少し咳が出たので、途中からマスクをつけて過ごした。それは自分としては無くても良いものだったが、放っておくと周囲からヒステリックな反応があるかもしれないことを恐れた故である。早々に失礼して床屋に行った。きょうも活動は計画されていたが、出る気持ちにはなれなかった。出なくて済むものなら出なくて良い。だが、それがまかり通るほどは事態は単純ではなく、ある程度周到に準備や根回しをしておく必要がある。小狡くやらないとこちらの身がもたないなどという、計算である。

 面白く価値があると思ったものが、他人にとってはどうでもよく優先順位の著しく低い事柄だということは、日常茶飯事だ。感じ方も考え方もそれぞれ違うからこそ、この世界には存在する意義がある。最後に残るのは自分の意識。どう捉え、どう動くかがすべてだ。面白いことが面白くあるためには、面白くないことを面白くないと思う気持ちが必要だ。怒りは爆発させるためにあるのではない。苦悩は沈むためのものではない。疲れも、堕落も、停滞も、行き着くところが嘆きや喚きであってはならない。まだもっと先に求めるものがある。そのために言葉があり、絵画があり、音楽が鳴り響いているのではなかったか。そのために宇宙があり、森林があり、海洋が広がっているのではなかったか。

12月10日 日曜日

 昨日は朝から体の調子が悪く、頭も回らなかった。一日中寒い体育館で過ごしたため、熱も上がったような気がした。頭の中には様々な考えごとが巡っていたが、それをうまく出力できなかったことが悔やまれた。休日でない休日を過ごしながらもほとんど四半世紀が過ぎた。どうにか折り合いをつけてやってきたことに対して、よかったなどと口が裂けても言えぬ。できるなら関わりを持ちたくないと思いながらも、どうしようもなく続けてきたまでである。個人の力が及ばないのはもちろんだとしても、体制を受け止め自分なりに納得しながらやるのはもう馬鹿らしいとしか言いようがない。こうやって、平成時代には生活が悪いものへと変わってきた。社会に貢献なんて気のいいことは言えない。社会を悪くすることに、積極的に加担してきたのだから。

12月 2日 土曜日

 この一週間も息つく暇なく働いた。働きながら未来について考え、自分なりにベストの表現を試みた。それは一千年という時間を超えるための表現であり、死後の世界への橋渡しであった。毎回毎回ベストを尽くす。それで悔いはない。働く自分の中に遊びをもち、故郷を走りつつ世界を夢みる。心に音楽を奏でることで邪悪から守り、季節の移り変わりに委ねながら、為政者の傲岸不遜には屈しない。

 明け渡すものはこれがすべて。晴れやかなほどに、もういつでも何も思い残すことはない。