2012年5月

 大型連休明けの一週間も過ぎてみればあっという間だ。何もなかった。しいて言えば、毎日が、つまらない日々だ。進路の問題として一つ決めた結論がある。たぶんこの希望は変わらない。

 新年度になり、座席が電話に近い所に移った。そのため必然的に電話の応対の機会が増えた。先日電話に出るといきなり相手が「それでですね」と言ってきたものだから面食らった。その他、自分の名前を言わない人もわりと多い。それが地域性なのか時代性なのかわからないが、困ったものだと思う。

 昨日は終わり3時間の年休を取った。金融機関などを回るつもりが間に合わなかった。何かと手のかかることが発生して、出るのが遅くなったのだ。帰宅するといつもより少し早い程度だった。

 何のための労働か。馬車馬のように働かされるという表現はしっくりこないけれど、人間扱いされていないことは間違いない。都会とか鄙とかは関係なくて、この国を支配している労働観、それに基づいた個々の労働の質というものが、その程度なのだ。それが当たり前と思っている人は疑問に感じない。だが僕みたいな者は、常に爆発寸前、一触即発という感じで日々を過ごしているのだろう。

(五月十一日 金曜日) 

 昨日に続いて予定がなくなり二連休となった。一日中携帯電話を傍らに置いていたが、きょうは一度も鳴らなかった。昨日のうちに連絡を済ませていたから当然ではある。携帯電話のなかった時代のことを考えれば、顔を合わせている時点ですべての段取りを決めていたのだろう。そうでなければ何事も実行することが困難だった。それが携帯電話の登場で、物事を最後まで考える必要がなくなり、何事も中途半端に放置してしまうようになった。それで却ってだらだらと時間や精神が拘束される。

 何もせずゆっくりとしているようで心は解放されず、疲れもなかなか取れない。それはまるで通話しなくとも絶えず通電している携帯電話のようである。

(五月五日 土曜日)

 降雨のためきょうの予定はなくなり、ほとんど家に閉じこもっていた。各方面から何本も電話がかかってきて、こちらも何本も電話をかけなければならなかった。読書に飽きてうとうとしかけた頃に決まって呼び出し音が鳴るので、気が休まらなかった。電話番という仕事も楽じゃないと感じた。

 この雨で桜はすっかり散ったろう。この花が日本中の至る所に植えられており、新たに植えられる所もたくさんある。たしかに桜の時期は見事だ。しかし、桜以外の木花も素敵だし、できれば年中様々な植物を愛でたいものだ。だから、もっと多種多様な樹木が植えられれば良いのにと思う。皆横並び、どこでも同一。どの町にも、どの里にも、好んで植えられる桜。「日本人は桜が好き」そんな表現をやすやすと使って悦に入っている。考えると僕は気持ちが悪くなる。

 「みどりの日っていつだっけ」という話になった。「きょうだよ」「え、そうだっけ」たしかに以前は違った。かつての昭和天皇の誕生日である4月29日を、天皇亡き後国は自然を愛した裕仁天皇に因んで「みどりの日」と名付けたはずだ。そのみどりの日は、法改正で07年から5月4日に移り、4月29日は「昭和の日」という祝日になった。最初の願いや目的などいとも簡単にすり替えられてしまう。

 僕は以前祝日の意味について噛み砕いて伝えることを意識していた。だがいつの間にかそうでなくなった。ハッピーマンデーなどと騒がれるようになってから、余計忙しくなってきた。連休には自分の時間を過ごすどころかこぞって皆同じことをするようになった。理想的なのは、個人であるいは家族で休みたい時に気兼ねなく休めるような社会だ。だが、日本はそういう理想とは正反対の方向に突き進んでいる。

(五月四日 金曜日)

 朝からいくつも電話をやりとりした。早いうちに雨のため中止と決断すればよいものを、主催者が中途半端な判断をしたものだから、その後の予定がまったく消化できず、結果的に多くの人々を混乱させることになった。いくつもあるシナリオのうち、もっとも悪いシナリオが採用されてしまった。それだけならいいが、何の予告もなかったことが突如提案されたために、午後からは予定にない行動を取らざるを得なくなった。スポンサーの意向なのだろうか、よくわからないけれど。もしそうなら、スポンサーというのがどれくらい偉いというのか。相手のことを何ら考慮せず、自分たちの利益優先で無理を押し通す様を見ていると、反吐が出そうになった。まず最初に、声の大きい人が困ると声を上げた。それに続いて不満の声がいくつも出た。それでも何も変わることはなかった。あれはまさしく権力による強制だ。

 この構造は、戦争中の日本の軍隊と似ていると感じた。こうやって、勝てるわけのない戦に多くの名もなき人々が駆り立てられ、死んでいったのだ。大戦中の常識と今の常識は何ら変わっていない。この国は危ない。井上ひさしの戯曲「闇に咲く花」を思い出した。

(五月三日 木曜日)

 ところで日本日本と国を大きくとらえずに、小さな国々の集まりだととらえてみたらどうだろう。僕は毎日国境を越えて隣国まで働きに出ている。向こうの国とこちらの国とはさまざまな面で勝手が違い、そのため僕もこれまで戸惑うことが多かった。しかし、国が違うのだとしたらそれは仕方ない。

 ペシャワール会の医師中村哲氏の著書を読んでいるうちに、レベルこそ全く違うけれども自分の状況と構造は似ていると思ったのだ。次々と迫り来る困難に立ち向かいながら、常識の異なる異文化同士が距離を縮めていく。少しずつ理解し合える部分を増やし、ともに活動していく。時には全くの平行線ということもある。誰もが行きたがらないところに行き、誰もがやりたがらないことをするという信条とはかけ離れているかもしれない。だが、似ていると思うと十分の一くらいに負担が軽く感じられるのだった。

(五月二日 水曜日)

 

 多くの人々の眠そうな表情をみているうちにこちらも欠伸が一つ二つ。きょうが出勤というのは間違っていると冗談を言う人がいた。年度の始まりが四月で、一月もしないうちにこんな連休があって、それが過ぎると五月病などと呼ばれる時期になる。休みだからといって忙しく遊び回ったり、忙しいからといって休むことをためらったり、変なリズムに支配された国だ。

(五月一日 火曜日)