2017年11月  November 2017

11月26日 日曜日

 勤労感謝の日の前日は定時で職場を出て、ほっと一息ついた。久しぶりに近くの中華料理屋でかた焼きそばとタンメンと春巻きを食べた。翌日は朝から部屋で書類を作成した。午後三時を過ぎてから車で出て、隣町の産直で野菜を買い、洋菓子店でケーキを買った。近辺ではここがいちばんではないかと話した。それからホームセンターやスーパーで買い物をして帰宅するともう真っ暗だった。夕飯は弁当屋の弁当を食べた。金曜日には大きな問題がなかったので穏やかに一日を過ごすことができた。前日に作った書類をすべて印刷して折ったので、月曜には帳合いするだけだ。昨日は研究会で仙台まで行ってきた。車で会場まで行き、終わってからはどこにも寄らずに高速に乗った。3年間離れていたが、スタッフ一同相変わらずにパワフルに動いており、ますます進化を遂げているのがわかった。刺激になったが、それをどう生かすかというのはかなりの難問である。できることはすでにやっている。これ以上頑張れとは誰にも言わせない。できていないのは、十分休息したり、十分余暇を楽しんだり、十分趣味に没頭したりということではないか。今午前8時40分、これから文書の作成に取り掛かる。できれば午前中に仕上げたい。そのあとは自由な時間にしたい。

11月22日 水曜日

 文化の日のつかの間の休息以降、今日まで息つく暇はなかった。仕事ばかりの日々。しかし最も効率よく働けるのは、休憩時間の10分間だったりする。しかもその10分のうちの5分が1時間にも相当する中身の濃い時間である。

11月 3日 金曜日

 久しぶりに何の予定もない一日。四時に起きて一週間くらい前に聞き逃したラジオを聞いた。コーヒーを飲み、洗濯をして外に干して、ワイシャツにアイロンをかけて、ネットで銀行関係を済ませてもまだ十時半だ。部屋に響くフェデリコ・モンポウのピアノ。空は快晴で風もない。なんていい日。

 昨日は研究会があって、文化祭が終わってからここ二週間はそのことを考え続けてきた。話し合いというこれまであまり取り組んでこなかった分野にじっくりと向き合うことができたのは大きな成果だった。読むことばかりに偏るのはいやだし、間に合わせでお茶を濁すようなこともしたくなかった。このところ毎年この時期には公開しているけれど、これまで学んだことのまとめになるようなものにしたかった。それは、こちらが余計なことを喋らないという時間だった。主役ではなくあくまでもファシリテーターに徹するということだ。こちらが主導していたら、いつまでたっても「主体的」なんてできっこないのだから。ピンチはチャンスとはよく言ったもので、やりたくないことや面倒なことは本当はやっておけばいいことばかりだ。流したり、逃げたりするのはもったいない。

 アイディアが浮かんで、それを形にすることができたのは、自分の脳がまだ生きている証拠だった。言葉にしながら、言葉を受け止めながら、目覚めると少し先のことが明瞭に見えてきた。全てうまくいったというわけではなく、反省点も山ほどあるが、それは挑戦したから得られたものであり、回避していたら何もわからずじまいのことだった。幸運といえばその通りだが、確かにこの手で手繰り寄せた利益だという自信もある。近頃「損して得取れ」という言葉が好きになった。