二〇一二年十月

 木曜は夕方から元気にやるつもりだったが、調子が悪く早々に帰宅した。金曜は朝の途中から出張で、市内で行われたイベントを半日鑑賞した。毎年行われているものの、じっくりとしかも舞台裏まで見学する機会はこれまでなかった。今回はさまざまなパフォーミングアーツを比較的自由に見聞きし、それらについて自分なりに考えることができた。

 夜には1時間半ほど外で仕事をし、打ち合わせ等も済ませ、22時に帰宅。土曜には休んで自宅でコンピュータへのデータ入力をした。仕事上のデータとはいえ、家に持ち帰れば自宅のパソコンで仕事をせざるを得ない。これは極めて異常な現状である。

 日曜には4時半に自宅を出て出先に向かう。泊まりがけの仕事は真夜中まで続く。部屋では大人たちが夜遅くまでルールを無視して騒いだ。途中で僕は耐え切れなくなり狸寝入りを決め込んだ。その後宿所の管理人が堪りかねて部屋に注意しに来た。月曜は快晴の一日だった。15時前に自由になったので、来た時とは違う道を通って帰宅した。この運転の時間が週末唯一の自由な休み時間であった。

 そして本日火曜。森口博子という歌手のパフォーマンスを鑑賞する機会があった。今まで知らなかった側面をみることができ、いい時間を過ごすことができた。その後は別のことに関する研究会があって、多くの情報を短時間で畳みかけるように話された。経験を踏まえた話が素晴らしかった。

(十月九日火曜日)

 

 仕事に復帰しての一日目はいつもどおりに働いた。職場の人々はいつもどおりに接してくれたし、クライアントの方々もいつもどおりに賑やかだった。午前中には少し空き時間があったので、余裕をもって仕事を進めることができた。しかし、午後になるとほとんど休み無しで疲れた。それに、いろいろと聞きたくない逸話も耳にすることになり、疲れた。これがいつもどおりの仕事である。

 夕方何度か割と大きな地震があった。遠くの山から地鳴りがするのがわかった。それが近づいてきて揺れが大きくなる。もういい。しかし、いずれ来なければならないものなら、早く来た方がいい。

(十月三日水曜日)

 夜中に何度か地震があって目覚めた。看護師さんは夜中に3度巡回することになっていて、彼女は3度とも病室に入ってくるなり懐中電灯で顔を照らしたので眩しかった。6時には検温だった。朝方から雨が降っていた。窓の外にはきのうとは違って寒々とした灰色の雲が低くたれ込めていた。昨夜は風呂に入れなかった。せっかく病室に風呂が付いているのだからとシャワーを浴びてさっぱりした。少しお湯が温かった。7時過ぎの地震の時に、建てものが左右にゆっくり揺れているのがわかった。昨日の手術の執刀医の先生が病室に来てくださった。8月の検査では5ミリに満たないと聞いていた突起が、実は1.5センチほどもある大きなものだったということを聞いた。以前のを聞き間違えたのか、この2か月で大きくなったのかはわからないけれど、いずれにせよ取り除いてくださったのだから感謝するよりほかはない。切除した組織は病理検査をして癌化しているかどうかを調べるそうである。その結果は次回来院した時に説明してくださるという。その次回は、ちょうど3週間後ということで自動的に予約されていた。

 8時には朝食が運ばれてきた。冷や奴以外はおかずもごはんも味噌汁も作り立てのあつあつでうまかった。退院まで担当するという看護師さんが実習生らしき人々を引き連れて清算方法の説明に来た。その時、左手首に付けられていた名前入りとバーコードの入ったリストバンドを「手錠を外します」と言いながら鋏で切ったのがおかしかった。担当者は1日に2度変わるらしい。昨日の朝に入ってきょうの朝退院だから、3人の方にお世話になったことになる。10時前に1階の窓口で会計を済ませ、7階に戻って書類を受け取ったり説明を聞いたりして病院を後にした。

 雨の中を歩いて商店街に向かった。角のドトールでコーヒーを飲み、アップルストアであれこれ話を聞き、となりのジンズという眼鏡屋でパソコン用の眼鏡を買い、藤崎デパートで頼まれていた買い物をし、アエルの本屋であれこれ買った。エスパルの地下でピザを食べ、電車の時間まであれこれと歩き回った。帰宅は15時前。その後片付けや洗濯をし、スーパーなどで買い物をしてから夕飯の支度をした。具をたくさん入れて豚汁を作った。おかずはコロッケ。そしてケーキも買ってきた。

 とりあえずこんな簡単なことでも言祝ぐということは大切なのだ。

(十月二日火曜日)

 台風の影響はほとんどなく、朝にはすっかり晴れて秋の青空が広がっていた。
 いつもより少し遅い時間に家を出て、駅から新幹線で仙台に向かう。昨日は検査食しか食べず、今朝は絶食。たった一日でも自由に食べることができないのはつらい。ちょうどくりこま高原駅を発車したところで新幹線が急停止。地震のために停電したという。この頃また地震が多くなっている。
 病院に来てからあとは流れに乗って進むだけであった。9時半までに受け付けというので九時前に着いた。意外と待たされたので、早めに来ていて良かった。7階のナースステーションで血圧と身長、体重を測り、食堂で病室が空くのを待った。途中で2リットルの腸管洗浄剤を持ってきてくれたので、持参したコップで飲んでいると、しばらくして部屋が空いたことを告げられた。717号室は個室で、高いから窓外の眺めも良い。杜の都の杜のところを一望することができた。洗浄液は食塩水にレモンの風味がついたようなものでしょっぱくて飲めるものではない。これを二時間かけて飲まなければならない。半分ほど飲んだところで最初の便意。その後5、6回で便はほとんど水のようになった。その都度看護師を呼んで点検してもらわなければならないのは申し訳なかった。12時頃に検査着に着替え、右腕に点滴。本を読みながら手術の時間を待っていたが、なかなか呼ばれない。1000分間視聴できるテレビのカードを1000円で購入し、見ていると眠くなったのでひと眠り。15時過ぎに処置室へ。安定剤を注射され、意識が朦朧としているうちに手術は終了。車椅子で病室に戻り、目覚めると夕食がテーブルに置いてあった。24時間ぶりの食事。それをいただき、横になって、いくつかメールをしてこの日は終了。

(十月一日月曜日)