二〇一二年九月

 

 きょうは手術の前日で、朝から食事の制限を強いられた。以前通院した時に病院の売店で買ったエニマクリンという検査食を食べなければならなかった。そしてそれ以外は取ってはいけなかった。父親の命日なので本当なら実家に行くべきところではあったが、うまいものを何も食べられないのでは気の毒だというので、来なくてよいと母から言われた。それに、昨年は十三回忌の法要をしたが、今年は叔父叔母が来るだけだし、彼岸の時に行って泊まってきたから今回はよしとしてもらったのだ。父親はグルメというほどではなかったが、デパートの地下などでうまいものを買ってきては家族に喰わせるのが好きだった。その父が病で自由にものを喰えなくなったのは、気の毒なことだった。

 台風が近づいており、日中は雨が周期的に降ったり止んだりしていた。どこにも行かずに、テレビを見たり、パソコンを見たり、本を読んだり、うとうとしたり、ラジオを聞いたりと気侭な日曜であった。明日は7時台の新幹線に乗る。台風の速度は思いのほか速く、明朝には通り過ぎそうだ。今は退院後にうまいものを食べることが楽しみだ。

(九月三〇日日曜日)

 

 土曜には旅に出た。横手城の天守閣から市内を見下ろし、クラフトフェアを見て回り、石坂洋次郎の記念館を見学した。神谷という店で焼きそばを食べてから南下し、道の駅で果物をいくつか購入。湯沢ではうどん関連のイベントをしていたが素通りして小安峡に向かう。小雨の中遊歩道を降りて名物の大噴湯を見た。どういうわけか間欠泉があるものと思い込んでいたが勘違いだった。須川温泉を通って一関に帰還した。昼下がり、しばし眠って目を覚ますと日が暮れていた。時間を忘れてTEDを見た。本を読むよりも効率よく、人間から直接さまざまなことを学ぶことができるのかもしれないと思った。

(九月二十九日土曜日)

 火曜から木曜までの三日間、深夜まで働いてようやく休む準備ができた。ゆっくり休むためにはその分多くのことを済ませなければならないという不均衡。それでも終わって帰って来れば、しばしの解放感に浸ることができた。そうして休みの金曜には結局のところ何をしたのか。朝から少しだけ何かを読んで、パソコンに向かって、外に出ては車を走らせて、帰るとうとうとして、というように、何も益のあることなどしなかったのであるが、それも休みの過ごし方のひとつと言えるだろう。

 人生は修行なり。この言葉を素直に受け止め受け入れてきたのだが、どうも最近ほんとうにそうなのかという疑いが頭の中に広がってきている。何のための修行か。仮に人生の半分忙殺されてきたのであれば、後の半分は楽に生きればいいではないか。そもそも自分に負荷をかけるのは何のためか。肩の力を抜いた方が力を得られることも場合によってはあるだろう。

(九月二十八日金曜日)

 

 仕事の不平を書こうとすれば話題には事欠かない。そしてある程度書くと落ち着いてまた次の仕事に向き合えるのかもしれない。しかしそれでは読む人もつまらないだろう。書くことは他の人が読むことが前提で、話すことは他の人が聞くことが前提である。とすれば、受け手のことをどれだけ考えることができるかが、その言葉の価値を決めることになるのではないか。読みたくない言葉を如何に書かないか。如何にして読みたくなる言葉にするか。そこの視点はきっと不十分だ。

 やれどもやれども終わらぬ仕事の山を前に、時々息を抜きながら、山の話などをする。自然の山はいいものである。今度の日曜に山に登らないかと誘う人がある。往復七、八時間というから自分にしたらかなりの山だが、今度の日曜日は手術の前日で、ほとんど絶食状態にならねばいけないので登れない。

 ところで、20時を過ぎた頃に変なセールスの電話がかかってきて同僚が受けたのだが、経緯は知らぬが電話の主は「ふざけているのではありません」と言ってきたそうだ。ふざけた話もあるものだ。

(九月二十六日水曜日)

 土曜の朝には床屋に行った。その後ガソリンスタンドで給油をし、百円で五分間使える掃除機で車内をきれいにした。スーパーマーケットのパン屋で買い、家で食べてから出直した。

 花泉まで人を乗せて、その足で古川の実家に向かった。久しぶりにお寺に行って、お墓参りをした。稲刈りの最中で皆忙しく、実家では枝豆を枝から取る作業をした。そして、バケツに半分位の枝豆とその他いろいろな野菜を貰ってきた。天気が良く、日差しも暑かったが、さすがに先日までのような真夏の暑さはもうなかった。ようやく普段のお彼岸の時期の気候に戻った。

 ケーズデンキで新しいiPhoneを見て、お店の人にあれこれと質問をした。料金設定が単純になっていて、話がよくわかった。スマートフォンに変える必要性は感じないが、アップルの製品は魅力的だ。

 帰宅して、枝豆などを茹でて食べたらうまかった。それでこの日は終了。

(九月二十二日土曜日)

 きょうはかつての土曜日のような過ごし方をした。いわゆる半ドンで、午後には3時間くらいゆるゆると仕事をして、早めに帰宅して、1時間くらいうたた寝した。夜には近所の中華店で食事をした。

 一週間はまたあっという間に過ぎた。先週末は仕事で炎天下外に突っ立っていた。スポーツにしても、その他の文化活動にしても、言葉の力が重要である。本分にしろ、それ以外にしろ、その言葉の力の向上という一貫した狙いが明確になったために、仕事がやりやすくなった。むしろ、今まで気づかなかったことが不思議なくらいである。日曜の夜にはいつもの飲み会があったが、欠席した。

 敬老の日には朝から晩まで部屋に閉じこもって文書を作成した。これができないことには安心して休むことができない。休むために休みにも休まず働くのは矛盾だが、現状ではやむを得ない。火曜には午前中平泉で狂言と能を鑑賞し、昼から実家に帰って墓参した。一晩泊まって午前中に帰宅した。午後には残りの仕事をと思ったが、疲れて使い物にならなかった。

 木曜には朝には職場に出たものの、そこから40分かけて一ノ関駅まで行き、新幹線で盛岡へ向かった。そこで若者たち18人の意見を聞いたのだが、予想以上の素晴らしい発表に感動した。自分の考えを自分の言葉で伝えることの価値。誰かがつくったものではなく、自らがうんうん唸ってつくりだしたものであれば、それを素直に出すだけで人の心を打つことができるのだ。ここでも、言葉の力について考えさせられた。結果も予想以上だったので満足である。関わることができてありがたかった。

 夏のうちに取らなければならない休暇が4日ほど溜っていた。名目上消化したはいいけれど実際は職場に来ていつもどおり働いたというのはよくある例だが、そうはしたくない。来月はじめに手術するので、入院の2日間と、来週の月曜、金曜を休むことにした。それ以降のことはまだあまり頭にない。

(九月二十一日金曜日)

 

 書くのは希望がある証拠だとどこかで読んだ。書かないのは、時間がないからというのは本当だが、時間がないことを言い訳に怠けているというのもまた本当なのだ。それから最近は、暑さのせいというのもある。失望と希望の間は途方もなく大きな隔たりにみえるが、実はそれほどの差異はない。橋を架けるとか渡るとかいう話ではなく、一歩踏み出すか踏み出さないか程度の違いに過ぎない。

(九月十三日金曜日)

 

 この土日は福島の方に出向いており、自分の時間は皆無に等しかった。帰宅したのは日曜の夜。洗濯と入浴をして、それから駅近くの中華料理店で食事をした。そしてこれから出勤だ。

(九月十日月曜日)

 

 休みなく働いた反動からか、先月の終わりから無気力な状態が続いている。林檎畑を訪れた。傾斜は緩やかだったが、直射日光が容赦なく照りつけ、少し歩くと汗をかいた。すでに早生品種は色づいており、収穫まであと数日となっていた。畑の周囲には野生動物撃退用の電気柵が張り巡らされ、鳥を追うための発砲音が周囲の山々に時折鳴り響いていた。無気力なのは暑さのせいだけではないけれど、いい加減涼しくなってほしい。

(九月二日日曜日)