3月の日記


3000.3.31
 なんか久しぶりだ、日記書くのが。春休みは疲れるよ。この間から夜は酔っているし朝起きるのはつらいしで、何も書けなかった。夕べからきょうにかけて、組合の反省会に参加した。温泉で一泊。一年の垢を落とした気分だったよ。きょう午前は今年度の総括の話し合い。とんでもなく問題は山積していると思った。何も発言できなかったけれど…。とにかく、今年も終わり。明日からまた新しい一年が始まるのだ。でも、もうすでに早くゴールデンウイークが来ないかななんて考えてしまっている自分である。


3000.3.25
 夕べは職場の送別会だった。写真係だったオレ。やってしまったぜ。なんとカメラの電池が切れてしまったのである。それだけならよくあることではある。オレはそれを見越して予備電池をしっかり持ってきていた、ハズだった。オレは慌てるそぶりもなく、持ってきていた予備の電池を入れようとした。そしてその時たいへんなことに気づいた。なんと、電池のサイズが違うではないか!どうしても電池ホルダーに電池が入らない。オレが用意していたのはひと回りデカい電池だったのだ。結局、会場のマネージャーに買いに行ってもらい大事にはいたらなかったのだが、いくつかのシャッターチャンスを逃してしまったことは悔やまれる。みんなに申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
 きょうは全くの休日。午前中は、先日届いたプレステ2で「マトリックス」を見た。おもしろかったなあ。オレはああいう未来ものというかSFというかが好きなんだ。現実離れしているストーリーと映像は現実逃避にピッタリだ。なんかスカッとしたよ。さらにメイキング映像まで見ちゃったよ。映画を作るなんて楽しいだろうなあ。それに、俳優業というのもいいよなあ。いろんな人物になることができるんだから。職業がら、「演じる」ことと無縁ではないけれども、俳優のほうがずっと影響力がありそうだよな。
 それにしても今朝から雪降り、まだ春は来ないのか。ああ、どうも変な天候だよ。気がつけばもう2時を回った。仕事のことを考えなきゃならんかな。考えたくないな。きょう明日は休みだからいいかな。あさってからやりゃいいかな。すぐ4月が来るぞ。んー、重い腰が上がらない。いち、にの、さん。よいしょ。


3000.3.22
 風邪はもうすっかり治ったと思っていたが、きのう一日中稼いだら目が回ったような感じがして具合が悪くなった。ある同僚によると、それが今年の風邪の特徴だそうである。長引くのだそうである。
 確かに、今年風邪で休んだ生徒には、治ったと思って登校したのに再び不調を訴えて早退するとか欠席するとかいう者が非常に多かった。とすれば、オレの風邪も同類か。夕べはテレビを見ているだけでも気持ち悪くなったので9時頃には寝てしまった。
 学年末は送別会シーズン。今夜から3日連続で飲み会が続く。おまけに来週も月曜日から送別会である。お世話になった方々との別れ。大切な会である。そして、別れのシーズンは酒飲みのシーズンでもある。別れの盃を汲むといえば雰囲気はあるが、実はなかなかたいへんである。体のことを考えて、あまり飲まないようにしよう。


3000.3.20
 きのうは一日中腹痛と激しい下痢が続いてつらかった。どういうわけかガスが異常に溜まり、ぐるぐる音を立てていた。苦しかった、腹が。夕べはぐっすり眠って、今朝起きたら8時だった。夜中に目を覚ますことがなかったのは久しぶりだ。きょうになったら具合はだいぶよくなっていた。午前中、きのうやろうと思っていた仕事を片付けるのに2時間。意外と速く終わり一安心。それと平行して、HPの音楽ページの更新を行う。音質を落としても容量が相当食うので驚く。結局10MB増量して対応する。
 彼岸の中日。午後は墓参りに行った。雪が降ったり止んだり、おまけに風も強いという荒れ模様だったが、墓地に来たら不思議と雪はおさまっていた。実家にはちょうど叔父夫婦も来ていて、最近のことなど少し話した。それから夕飯を食い、母や祖母としばらく話をしたりテレビを見たりしてさっき帰ってきたところである。
 曲は今まで作ってカタチになったものが20曲程度。古いのはもう10年くらい前のものだ。それらの中から自分が気に入っているものを何曲か選んだ。正直なところ、最近じゃ、まとまった曲にならないまま終わるものばかりだ。なにせ曲を作るには集中が必要である。キーボードに向かってパラパラとやると、かつての調子のいい時には作曲時間は0秒であった。頭の中のイメージが直でカタチになっていったものである。すべてが瞬時にできあがる。あの快感ときたらなかった。だが、ここ7年ぐらいそんな芸当は一度だってできたためしはない。集中できないのか、頭の中のもやもやが昇華しきれないのである。もしかしたら違うもの(??)に昇華しているのかも知れないが…。思うに、何をするにも基本がなってないとダメだ。オレの場合、音楽の基礎というものが全く備わっていない。楽譜は読めないし、第一ピアノの引き方を知らない。人前でなんてとてもじゃないが恥ずかしくて音を出すことなんかできるかこのやろーってなくらいである。他人にはとうていわかるまいが、自分の中ではここらへんの劣等感が非常に根深いのである。(深度10)
 もし音楽の専門家が、いや専門家でなくてもいい、とにかく誰かオレ以外の他人が、ダウンロードの時間の長さにも音質の悪さにもかかわらず自分の曲を聴いてくれて、それに対して「ここがこうだったよ!」(この場合褒め言葉である必要は全くない。どんなに手厳しい言葉も大歓迎である)というように具体的な反応を寄せてくれたりすると、自分としては泣けるほどうれしい。(喜び度数10)


3000.3.19
 きのうは卒業式。3時に帰宅。吐き気。嘔吐。悪寒に襲われ布団に入る。体温37.9℃。その後朝7時頃まで寝込む。現在も腹痛、激しい下痢が続いている。卒業式を終えて直後、体調を崩すのは毎年のパタンだ。
だが、すべてが終わったわけじゃない。まだまだこれからが忙しい。
 3月17日はセントパトリックデイだということを先日初めて知った。パトリックとは5世紀にアイルランドにキリスト教を伝えた聖人だそうだ。三位一体を説明するためにクローバーの葉を使ったことから、後にこの日には葉と同じ緑色のものを身につけると幸運に恵まれるということになったのだという。


3000.3.17
 33歳になった。感覚としてはもう折り返しである。今までオレは何のために何を試みてきたのか。オレは何もしてこなかったのか?気が遠くなるくらい小さい人間。毎日毎日昼間10何時間起きていて、夜になると疲れて眠る。ただそれだけの人間だ。これからオレには何ができるのか。青春なんてどっかにすっかり置き忘れたまま、夢だけ見てる。ただそれだけの人間だ。


3000.3.15
 穏やかな朝である。いよいよもう大詰め。勝負の時だ。360日かけてもぜんぜんダメだったことが、残り5日でどうにかなるということだってある。最後の1日で、今までの苦労が報われるということがある。
一発大逆転があり得る。揺れ動く存在。変わりゆく存在。だからおもしろい。


3000.3.13
 昨日は遠出をした。花巻の賢治詩碑に立ち寄ってから、ビブレの開業で渋滞している北上市内を避けて、西の農道を通り水沢へ抜けた。国道343号沿い、黒石寺と正法寺を訪れる。蘇民祭で有名な黒石寺は意外と小さいつくり。正法寺は「日本一の茅葺き屋根」というだけあって見事。5月から大規模な補修工事を行うため、もうじき中に入れなくなるという。工事が終わるまでには実に10年はかかると、若いお坊さんは話していた。
 そのまま東山町へ。「石と賢治のミュージアム」と東北砕石工場の跡地を見た。賢治が晩年土地改良用の石灰を普及させるために、ここを拠点に東奔西走したのだ。こじんまりとした展示室だったが、『グスコーブドリの伝記』の解説やさまざまな鉱石の実物は見るものがあった。工場の跡地では実際に坑道の中にも入ることができた。休日というのに、人がまったくいなくて寂しかった。当時はもっと活気があったのだろうか。
 そのまま南下し、川崎村へ。北上川沿いの曲がりくねった狭い道を飛ばす。県境を越えてさらに進み、宮城県登米町へ入る。明治の初めに水沢県の県庁があった町だ。この「みやぎの明治村」は1時間もあれば歩いて一周できる。こういう小さな町を、建物を見ながらゆっくり歩くのが好きだ。
 その後、西へ進路をとる。伊豆沼に来た。白鳥や鴨などの水鳥がいた。夕暮れ時で風が冷たかった。沼の向こうに沈む夕日を眺めていた。
 休日に、自由にこういう旅ができる幸せ。休日に、自由にこういう旅ができない不幸せ。オレはどっちも知っている。休日に自分の自由な時間を過ごすことができるのは、なんて素敵なことだろう。


3000.3.12
 ジャン!!六時に起きた起きた。掲示板見て元気が出た出た。うれしいうれしい。きょうは旅しよう旅しよう。イーハトーヴの世界を回ろう回ろう。仕事はまだ、終わってないけどけど…。
 雪のないところに行きたい。春を求めて南に行きたい。「北国の春」にはまだ早いが「春よ来い」にはちょうどいい。春にはなんかむずむずと痒い感じがある。地中の虫の蠢きが足の裏を伝わってくるのか。去り行く仲間や新しい大人たちがあちこちで世界を振動させるからか。とにかく春はむず痒い。その証拠を切り取るために、オレはきょう旅に出る。この間までは休みも家でごろごろしていたのに、こんな気持ちになったのはやっぱり春が来たからかな。


3000.3.10 (→タイムカプセル)
 小学生の時、周囲に内緒で「タイムカプセル」を埋めたことがある。家で使っていた青色のポリバケツを勝手に一つ拝借して、中に宝物のキーホルダーやらお菓子のおまけのおもちゃやら、その頃残したかったものをごっそり詰め込んだ。長期保存できるように、ちゃんとビニール袋でくるんで入れたのだ。それに、誰が埋めたのかがはっきりわかるように、自分の写っている運動会の時の写真と、住所や電話番号を書いた紙も入れておいた。誰もいなくなった日中、その頃住んでいた借家の中庭に、当時の自分の感覚では充分と思われれるくらいの深い穴を一人でせっせと掘り、そこにバケツを入れ、土をかぶせてすっかり隠した。あとで母親からは、「バケツがなくなったの、知らない?」と聞かれたが、もちろん黙っていた。
 表のバス通りに面して、二件続きの建物が一つ。同じつくりの建物が裏通りにも面していて、その区画には全部で四件が暮らしていた。我が家はバス通りに面したほうの半分で、隣には子ども好きのおばさんが暮らしていた。裏には高山さんという野菜の行商をしている夫婦が暮らしており、おじさんは「高山のおっちゃん」とよばれ、近所の子供たちに親しまれていた。みんなよく高山のおっちゃんの家の前の道路で、おっちゃんからべった(メンコ)だの竹とんぼだのいろんな遊びを教えてもらったものだ。オレはおっちゃんに竹馬を作ってもらい、その竹馬で足を地面につけずにどこまでも歩くことができた。それからおっちゃんはニワトリを何羽も飼っていて、オレたちは毎朝その鳴き声で目を覚ました。そういえば、いつかおっちゃんが自分のニワトリに催眠術をかけてみせたことがあった。とうがらしを水に解いたものをなめさせて仰向けにすると、不思議なことにニワトリはぴたっと動きを止めてしまうのである。
 当時家の中には水道がなかった。中庭は四件が共有しており、ちょうどその真ん中にあった一本の水道から毎日バケツで水を汲むという生活だったのを思い出す。
 その後ほどなくして、そこに住んでいたみんなはそれぞれ引っ越しをし、住み慣れた古い家はすべて取り壊された。今ではきれいに整地されて、駐車場になってしまっている。
 あれから二十数年、高山のおっちゃんたちはどうしているだろう。そして、あのとき埋めたオレのタイムカプセルはいったいどうなったのだろう。今ではもう知る由もない。


3000.3.9
 スーパーで買い物。レジで会計を済ませカゴを持ったまま外へ出ようとしてハッと気づいた。でもそんなこと、きっと誰にもあることだろう。何も珍しいことじゃない。それともそんなのオレだけ?〜なんかこんな話題つまんねーな。いいじゃん。べつに…。
 本当に書きたいことって何だ。飽きることもあれば飽きられることもある。本当のエンターテインメントは難しいんだ。学びの必要性。襲ってくる睡魔。寄る年波には勝てぬってか、うそだろ。ずっと無駄な時間を過ごしているような。無駄な時間は何のため。誰かの役に立つことなんてできるのかいな。やる気あんのかいな。ない。元気がない。いつも元気といわれるが、いつも元気じゃない。誰だって自分以外の人の方が楽に見える。でも楽じゃない。誰も楽じゃない。楽あれば苦あり。苦あれば楽あり。山あり谷あり。凹んでばっかり。スパイラルな人生。ぐるぐるぐるぐる。また朝が来る。外は真っ白、春のどか雪か。いやまだ春じゃない。いつまでも明けない冬の時代。氷河期。超・氷河期。終わる前に死に絶えちまうぞ。
 あ、たまにはビール、飲もうかな。


3000.3.8
 自己矛盾。裏腹な自分が隣り合わせで同居している。さまざまな同居人との共同生活はきょうも続く。
 夕べは飯を食ってすぐ寝た。今朝は4時に起きたが、ぼーっとしているうちにもう5時になろうとしている。やらなければならないことを積み残したまま、また朝が来てしまう。頭の整理がつかない。
 何にでも首を突っ込んでしまい、知らないうちに自分を縛り付けているという感じ。うまく回っているときには、全てが正しい選択で、積極的な生き方をしているなんて思えてくるものだが…。気分や体調や周囲の状況によって光の当たり方は変わるものである。
 高校野球で不祥事から出場辞退。当然と言えば当然だ。だが、無免許で事故を起こしたのは一人だろう。そいつ一人が辞退すればいい話じゃないか。不祥事→出場辞退という図式が当たり前のように言われるがそれはなぜなのか。いったい辞退が決まるまでにどんな議論があったのだろうか。オレ自身はわかるようでいてほんとはわかっていない。世間の高校生たちはどう考えているのだろう。当人たちはこの決定をどう思っているのだろう。いっそのこと、不祥事があった時点でその年の大会は中止ということにしたらいいんじゃないか。
 もし高校野球が、いや高校野球でなくてもいい、学校対抗の各種大会が、純粋に生徒たちの育成を目指すものであるならば、生徒たちにプラスになるやり方が議論されなければうそだろう。単なる体面上の措置だとすれば、その生徒を切り捨てているのと同じだと思う。マスコミの報道の仕方だって変わってくるはずだ。個人を取るか組織を取るか。本日午前五時現在、オレは組織というものに懐疑的になっている。 


3000.3.6
 きょうは失敗した。たいへんなことをした。ばかやろうものだ。だが、みんなは笑って許してくれた。というより、けしてオレのせいにはしなかった。「お互い次に生かしましょう」とそんな声が聞こえたようだった。ありがたやありがたや。これが本来の人間世界の有り様じゃ。なむなむ。
 ところで、イスラム圏ではなんでも神の思し召しで決まるそうだ。4時に待ち合わせの約束であれば4時に家を出るのが普通。遅くなってもそれは「神がそう望んだからだ」という。台風でリンゴが全滅したときにも、「神が決めたこと」だからどうということはないのだ。神は偉大だ。ここでいう信じるというのは、どこまでも信じ抜くということだ。それだけの覚悟をもつことなど、自分にはまだまだできないと思う。日本人のいったいどれだけの人が、信じ抜く力をもっているだろう。よくわからん。
 外資系企業のCMに出てくる日本人の顔は軽薄だ。どいつもこいつも何も考えてませーんというようなツラをしている。マクドナルドとかバドワイザーとか、消費することだけで満足しているようなどうしようもない間抜けヅラ。あのツラは、咀嚼せず深く味わうこともない、いってみればげろ飲みとでもいえるような消費のしかたを盲信している私達日本人の姿を反映しているのではないだろうか。思想も哲学も剥げ落ちた後のカタチばかりが日本をのみこみ、いつしか日本の神は姿を消した。神がいないところには感謝もいたわりも生まれない。だから当然人間どうしのつながりも疎になっていく。他人を信じられない分さらにモノとカネを信じるようになる。どんどんでかくなっていくエコノミックアニマル。…そんな悪循環があちこちに見える。
 今夜は自分自身胸に手を当てて謙虚に反省するとしよう。そして、こんなオレに温かい言葉をかけてくれた人たちに感謝しよう。明日はよき日でありますようにと祈ろう。そんな小さな営みからしか、人間の復活はあり得ないという気がする。


3000.3.5
 つかの間の休息。疲れを残して新しい週に入る。夕べの飲み会ではビールを飲み過ぎた。今朝は9時に起床。昼過ぎからまた3時間くらい寝てしまった。休日とはもっとアクティブに楽しむものであったのに、最近ではゆっくり寝ていたいと思うことが多くなった。寒いからか、それとも年だからか。
 夕方から本屋に行ってぐるっと本を眺めてきた。本屋とCD屋と電気屋を回って飯を食って帰るのが、毎週の楽しみの一つだ。でもきょうは何も買わずに帰ってきた。そろそろまたどこかに旅をしたいと思い始めている。夏にはマレー鉄道の旅をしてみたい。そのためには金を節約しなければと思ったのだ。
 しかしこの倹約、どうもうまくいかない。最近プレイステーション2の話題が巷を賑わしている。家庭用テレビゲームにハマった経験がないオレであるが(正確に言うと、20年くらい前にブロック崩しのテレビゲームをやっていたくらいで、それ以来、ゲームセンターでたまにやることはあっても、家でまでやろうなどとは思わなかったのだ)そのオレでさえPS2を手に入れたいという逆らいがたい欲望がわきおこり、ついにきょう、ネットで注文してしまった。おまけに、「マトリックス」のDVDまでつけて…。しめて4万いくらか。んー。やってもうた…。DVD が見られるというのと、ニュースでやっていた車のゲームがおもしろそうだったからというのがオレを動かした主な理由だ。だが冷静に考えてみると、この1年間ビデオを一度も借りずに会員証が期限切れになってしまったこのオレが、DVDのソフトを買ってまで見るだろうか。夜にはテレビつけっぱなしの生活している人間が果たしてテレビゲームをするだろうか。だいたいゲームやっている間はテレビ見れないんだよね……。
 結局今回の衝動買いは、ストレスが購買欲となってあらわれたと言えるかも知れない。ストレスが食欲に向かってないだけでもよしとしよう。


3000.3.3
 耳の日だ。オレはいつも、不思議なことに左耳は熱いが右耳は冷たい。それに真夜中など、モールス信号のような音が聞こえることがある。トトトツーツーツートトト(ふ、古い…)。以前は耳たぶを引っ張るとなぜか耳の中でぱりぱり音がしたものだが、最近では鳴らなくなった。オレを呼ぶ声が聞こえるので振り返るが誰もいない、ということもある。空耳というやつだろうか。人の言ったことを聞き返す悪い癖もある。テレビの音量も大きくしていないと、声が聞き取れない。部屋で音楽聴くならヘッドフォン。大きい音の聞き過ぎで、2回ほど「突発性難聴」で医者にかかったことさえある。
 中学2年生の時の音楽の時間。頭の中で誰かが話しかけてきて、それに必死で答えようとして気絶した経験がある。音楽室の五線譜の書かれた机に頭をぶつけた。友達の話では、倒れるとき何かぶつぶつ呟いていたそうだ。
 その後はしばらくそんな症状はなかったのだが、二十歳の時、大学の書写の授業で同じように気絶して、医務室に担がれた。誰かが頭の中で話しかけてくる感覚。その場所がその場所であってその場所でなくなるおかしな感覚で、白い半紙に吸い込まれていった。あれはいったい、何だったんだろう?
 昔サンビルの屋上にぐるぐる回るコーヒーカップがあって、それに乗って酔ったことがある。児童公園の回転モノも乗れば気持ちが悪くなったので、怖くて近寄らなかった。生まれつき三半規管は強い方ではないらしい。たぶんあの感覚もオレの耳の弱さから来たものではないかと思う。
そんな弱き両耳をいたわりつつ、きょうもお気に入りの音楽をがんがんかけまくるオレであった。


3000.3.2
 どうやら風邪っぽい。喉に痰が絡む。鼻水。鼻づまり。熱もありそう。心臓がトカトカする。おまけに腰がひじょうに痛い。20時過ぎ床について、よく眠ったと思ったらまだ23時だった。あああ、ちょっと休みてへなア。3月に入ったら、にわかに年度末という雰囲気になってきた。もう終わりだ終わりだと追い立てられるような感覚。きょうの教務部会によると、やっぱり31日ぎりぎりまで仕事に追われそうである。
我々に春休みは、ない。
 忙しいことはいいことだ、とはいうが、限界を超えた忙しさを強要されている状況が、どこでも少なからずあるのではないだろうか。時間の限界。能力の限界。システムの限界……。与えられた時間以上にやることがある。定時では片付かないから残業する。家に持ち帰る。ある程度仕方がないところもあるのだが、特に中学では5時を過ぎてからでないとできない仕事が多すぎる。それらを片付けるだけの時間が保証されていないのは問題だと思う。力を付けようと努力することはとても大切なことなんだけど、仕事が終わらないことを能力のせいにされるのは嫌だよね。この多忙化ってのはどこからきてるんだろう?社会全体に大きな構造的な問題があるんではないだろうか?それが個人の問題にすりかえられているのが、やりにくくなってる原因なんじゃないか?それをとらえようとすること、変えようとすることが必要ではないか?流されてばかりいるのはもうヤだ。なんでもかんでも自分のせいにされるのはかなわんよ。
 何年も前の話。真夜中までの研究会。その後帰宅してからも仕事、そのまま眠くなりこたつに就寝。4時ころ慌てて飛び起きて必死にワープロに向かい、朝一で提出。「お前が子どもの前に立つと子どもが悪くなる」「お前なんかいない方がいい」そんなことを言われる毎日。それがずいぶん続いたっけ。本当に死にたくなったよ。実際そんな状況下では、自己嫌悪に陥ってしまうのが普通だと思う。自分が悪いとしか思えなくなってしまう。でも、そんなことないよね。状況が異常なんだよ。そのときは文部省公開があったりして、みんながおかしくなってたんだと思う。その当時の職員室は緊張の連続だった。この言い方でいいか、まずい点はないか、相談しなくていいか、ほんとに子どものためになってるか…。頭が休まる暇はなかった。職員室は戦場に向かう前の作戦指令室だった。戦場では失敗は許されなかった。失敗はある意味、自分を殺すことだった。たくさんのオレが犬死にした。みじめ以外の何ものでもなかった。「給料泥棒になるな」「借りは仕事で返せ」なんて今思い出しても嫌な気持ちになる言葉だけど、それを言った人になんの恨みももってはない。むしろ、なかなかできない勉強をさせてもらったと今では当時の同僚たちとの出会いに感謝している。
 現在のところはそことは大違いである。楽しい雰囲気の職場。大きな声で笑える職員室。むろん、このほうがいいだろう。誰だって心休まる職場がいいに決まってる。でも、そんな明るい笑いの中でさえ、オレの頭にはあの忌わしい言葉がこびりついて離れないのである。


3000.3.1
 閏日は幻。きょうからはもう三月。いちばん嫌いな月。春は終わりと始まりの交差する季節。ほんとに?
ほんとは始まりも終わりも一つしかない。あるシミュレーションを我々はくりかえす。たった一つの本当の終わりのために。
 いつの間にか、ニュースではとんでもないことばかり報道されるようになった。ひどい時代になった。小1が同級生を射殺?!なんなんだそりゃ。アメリカという国は…。そして、後追いしている日本という国も…。
 この間、沖縄の旅行団の報告を聞いてから、沖縄に行ってみたくなった。基地とか、戦場の跡とかを見てみたい。戦争って何なんだろう。ベトナムでは戦争の傷跡らしきものは正直いってわからなかった。でも、人々の心の中にはきっと深く刻み込まれた傷があるに違いない。そういう傷の正体を知るためには、何が必要だろう。