4月の日記


3000.4.30
  写真ができたんだけど、思ったようには仕上がらなかったよ。いちおうページ増やしましたけど…。桜が空と見分けつかなくなってしまった。もちろん腕のせいもあるんだろうが。光が強すぎたのかな。やっぱり一眼レフのカメラが欲しくなってきたな。巷を賑わしているLOMOってのはどうだろう。なんかよさそうだよな。(→もりおか散歩


3000.4.29
 おはようござんす。きょうはゆっくり寝で起きだじゃい。空は曇りだども気分は晴ればれじゃい。
 10時から定期大会。13時から部活。緑の日も1日予定があるじゃい。自転車で行きてども、そせば学校さ間に合わねぐなるだし、しかだね車で行ぐさ。早ぐ行がねば駐車場なぐなるじゃい。1時間早ぐ行って川だの銀行だの公園だの写真撮るべがな。芝生で寝るには寒がべし、桜もまんだもちょっとなんだよな。んでもいろんたな花あればよぐ見て写真撮るべしな。
 お彼岸以来家さ帰ってねんだ。今夜あだり帰れるがな。朝にそう思っても疲れればやんだくなるっけしな。明日も大会で朝はえしな。どうすっかな。わがんねえな。よしと、おらそろそろ用意する。んだば、まんず。

-12:35
 途中で大会を抜けてきたよ。今大急ぎで飯食って部活に行くところ。出る時知ってる人に挨拶したら、大会の日はクラブやらねえもんだと言われた。そんなことはこっちだって百も承知だ。いつもだったらそうしてるよ。でも大会前日にやらないというわけにはいかんだろう。悔しいなあ。すごく悔しい。それじゃ最初っから委任状出してればよかったかな。ちくしょう。本当に悔しくてしかたがない。

-23:25
 今朝は岩手公園をゆっくり散歩したよ。天気予報がはずれて、雲が切れて青空が出た。あたたかな日になって、きょう一日で桜の花がだいぶほころんだようだ。公園では、学生たちがゴムボールにプラスチックバットで野球をしていた。露店の準備のにいさんたちやおばちゃんおじちゃんが働いていた。懐かしいアイスクリーム屋のばあちゃんが暇そうに座っていた。午前8時半ころの話。ばあちゃんの話をしばらく聞いていた。アイス屋を始めてもう45年だそうである。いろんな話を聞いて、しまいにはただでアイスをごちそうになってしまった。公園に来た時にはまた寄るからと言ってわかれた。
 いろいろあったが、総じてきょうはよい休日であった。皆様に感謝である。



3000.4.28
 午後八時半帰宅。なぜか涙が出てきた。悔しくてしかたない。
 平等とか、公平とかいうものはない。
 全てが空しく、悲しい。
 また始まった…。
 これが僕の思い描いていた未来の真の姿だ。


3000.4.26
 「迷子郵便の供養」というのをニュースで見た。転居などで宛先不明になった郵便物をお寺で供養して燃やしていた。手紙って確かに供養するに値するものだよな。
 たまった未使用の年賀はがきを処分しようと、プレゼントの雑誌に載っているクイズに片っ端から応募しようと思った。けれど、書き始めて5枚ぐらいでやめてしまった。
 プロ野球のナイトゲーム、9回裏逆転サヨナラのチャンス。これはおもしろいと思いながらも、眠気に負けて結果を見ずに寝てしまった。聞くとそのゲームは5時間半にも及び、引き分け再試合になったということだ。
 今年のゴールデンウイークは1日も休めないかもしれない。30日と7日に大会が入り、やっぱり練習しないわけにはいかないということで部活を入れざるをえないという感じだ。なんで大会が入るんだよ、休めねえじゃねえか。子どもたちが一生懸命やっていることにつきあうのが教員のつとめだろう、といわれればその通りだが、けっこうつらいものがあるよ。生徒たちもこりゃつらいよな。こんなのは初めてだ。明日生徒たちと話し合って、3〜5日のうち1日は休むべという話をもちかけることにしよう。さて生徒はなんというか。休みは休め、という言葉がなぜ言えない…。おかしいよ。


3000.4.24
 おとといの夕方には飲み会があった。長かった一週間が終わった解放感からか、店まで歩いてみようという気になった。久しぶりに母校の小学校の通学路をゆっくり歩いてみた。白梅、紅梅、連翹、白木蓮、紫木蓮…。色とりどりの花が一斉に咲き始め、雨上がりの小道は甘い香りに包まれていた。昔と変わらない懐かしい家々と、すっかり建てかわった新しい家々。ここは○さんの家だった。この路地を曲がると○君のアパートがあって…。と、不思議なことに、小学校時代の同級生たちの名前が次々と蘇ってきた。20年以上昔のことが、まるできのうのことのように思い出された。
 昔住んでいた通りはずいぶん狭く感じた。近所の寿司屋のおやじが歩いているのを見た。全然変わっていなかった。教会も、自転車屋も、薬屋も、向かいの洋食屋の建物も、米屋の建物も昔のままだった。でも、全部ミニチュアに見えた。歩幅の違い、視点の違い、スピードの違い、リズムの違い、許容量の違い…。
 確かに僕はその頃に比べて大きくなったが、それと同時にずいぶんせっかちになった。歩く速さでしか見えないものを、長い間見過ごしていた。これを、本当に成長とよべるのか。
 あすから家庭訪問だ。広大な学区は車なしで移動するのは難しい。3時間半の間に10件回らなければならない。大忙しである。こんなにせっかちになって、私たちは何を見聞きしようというのだろう。


3000.4.22
 眠っている間になんとかメドが立てられた。何度めかの目覚ましのベルで起きたのは5時半。wordで作ろうと思ったが、縦書きでやったためか3回連続フリーズしたのでキレそうになった。コンピュータにしてから仕事に時間がかかり過ぎだ。結局古いワープロでプリント作成。きのうのうちにサイコロも借りていたし、なんとかなるんじゃないかな。
 きょう1日が大きな山だな。これが過ぎるとすぐまた次の山が来るんだけど。山登りの人生だな。やっぱりオレの場合「航海」ではないんだよな。育った環境によるんだろうけど。
 夜の気分と朝の気分、同じ人間なのにこれだけ違うんだよね。体と心はほんと一体のものだとつくづく感じるよ。


3000.4.21
 日記なんて書く暇あるのか?きょうは寝る暇さえないんじゃないか?
 「ちゃっかり」してるところが全くない自分。損得勘定なしで、やっぱもう寝ます。
 堪えられんもの。眠いもの。明日早く起きてやるよ。
 それにしても、自分のやってきたこと、意味がなかったのかなあ。などと、かなりがっくりきてしまう事実。きっとオレのせいではないんだが、ホントのところは永遠に霧の中。
 ああきょうも楽しい一日だった。嫌というほどドラマチックな日々。オレはどれだけすばらしい星のもとに生まれたのか。神様に感謝だよ。うれしくって涙がでらあ。
 まじめにやってる者がいい思いをする世の中って、いつか来ると思う?


3000.4.20
 今さらながら、自然の大切さに気がついた。まだ街の中の自然が豊かだった頃。小川はコンクリートなんかで囲まれてはいなかった。子どものこぶしくらいの大きさのカエルがたくさんいて、僕らはカエルたちにいろいろと残酷なことをして遊んだ。爆竹でカエルの巣穴を破壊した。カエルの肛門に爆竹をさして、破裂させたこともある。カエルのほかにも、トンボやチョウの羽を引きちぎったり、クモの足を一つ一つ抜いて最後は胴体だけにしたりと、今考えるとずいぶんひどいことをしたものだ。だが、それらは成長のための大事なステップだったはずだ。きっと僕らは、自然の動物や昆虫を犠牲にして、命がはたしてどんなものであるのかを体験的に学んできたのだろう。
 だが、自然が身近に感じられなくなった現在では、命の尊さもはかなさも感じ取ることは難しい。そんな中で育つ子どもが精神的な発育不全に陥るのは当然かもしれない。矢の刺さったカモ、毒入りシューマイを食べて死んだ犬、目玉をくり抜かれたネコ。最近の、いたずらとよぶにはあまりにもひどすぎるいくつもの例は、僕の経験とは次元が全く違うと思う。
 今や、新聞やニュースに殺人事件が出てこない日はない。傷つけることの残酷さを知らない者は、人間さえ平気で殺めるようになるのではないだろうか。かつて尊い命を弄びながら学んだはずの自然の厳しさや残酷さを、いつまでも忘れずにいたい。


3000.4.19
 今夜の満月は気持ち悪かった。でかくて赤い春の夜の月、この恐怖に似た感情は何だろう。心の深層に眠る記憶が蘇ってくるような。


3000.4.16
 タイヤをはきかえようと思っていたのに、きょうもまたしないでしまった。まいったなあ。きょうも晴れてはいたけど風の冷たい一日で、ひょっとしたらまだ雪が降ることがあるかも、なんて、言い訳にもならない。まあそんなことはどうでもいいのだ。
 晴れの日がとても大事だということがわかったのはごく最近のことだ。その晴れをオレは無駄にしてしまっているんだな。まるで、お金のように無駄遣いしてしまっているんだな。きょうは晴れたのに、昼寝なんかしてしまったのだ。
 実をいうと病気になりそうだ。これはどう考えても異常なんだ。
 けして精神ではない。肉体がどうにかなっている。そう考えることも、ただの逃げだったりして。


3000.4.13
 以前から考えていたことはすでに中2の教科書に載っていた。実は14の時に読んだものが残っていただけだったりして…。形はいろいろ変えるけど、ホントは全然変わってないのかもね。結局すべておんなじもの。新しいことがいいことではなく、新しいことは新しいだけに視点が新鮮なんだ。だから魅力的。そこがいいの。新しい車。新しいパソコン。新しい広告。新しいお店。新しいモラル。新しい建物。新しいおもちゃ。新しい人間関係。
 とりあえず、はまってみようか。
 毎週毎週繰り返しながら高まっていく力を、確かめながら進んでいく。と同時に、失ったもののかけがえのなさが、少しずつ増してきて、時の方向が邪魔に思えてくるのだ。僕の中ではあちこちからあちこちに、まるで無秩序な動きをする羽虫のように、こんなにも自由に行き来できるのに、外の世界ではいつも一方通行なんだから。
 これは音楽とすっかりおんなじだ。
 LPレコードが2300円だった時代にさかのぼって、愛しい気持ちを抱きしめる。同級生の心無い言葉を何度も何度も復誦する。自習時間のソフトボールのけだるい攻守交代。踏みつぶされたタンポポの花。半分土に埋もれた古タイヤ。足の裏の砂粒のざらざらした快感。漠然としてただ幼い愛情。結局出すことのなかった手紙。一人の部屋の真夏の昼下がり。目覚める前に途切れた電話のベル。もうそれっきり…。
 古くなって捨ててしまったものがたくさんある。これからも、たくさんのものを捨て続けるだろう。どんどん捨ててしまって、最後は何も残すまい。住まいもお金も、お気に入りのCDも、想い出の写真も、一つ残らず捨ててしまおう。目に見える宝物なんて価値がないんだから、ね。


3000.4.11
 今朝は交通安全のたすきをつけて、信号のない三叉路に立っていた。通勤ラッシュの激しい時間帯、右に左にものすごいスピードで車が走ってゆく。子供達が道路を渡ろうとするが、なかなか車は止まってくれない。黄色い旗をあげながらオレは思った。こんなに危険な道路なのに、なぜ信号がつかないのだろうか。もし、オレが一人の親だったら、こんな道路、徒歩や自転車なんかで通学させたくないよ。車で送り迎えをしたくなる気持ちがわかったよ。こんなに危険なところを毎日通う子供達が健気に思えた。
 どうして信号一つつけられないのかと疑問に思う。まさかとは思うが、誰かが犠牲にならないかぎり重い腰は上げないということなのか。こんな危ない道路に誰がした?大人たちは自分達の無能を棚に上げて、子供達にヘルメットを押し付けて、よしとする。そんな道路行政の杜撰さをオレは許したくない。


3000.4.10
 するめの噛み過ぎで、あごが痛い。このごろどういうわけか、するめが食いたくなる。あのかたいやつをひたすら噛み続ける。しょっぱいもんだからのどが乾く。水分の取り過ぎで、体がだぼだぼなっているのがわかる。右足の踵からふくらはぎ、膝から腿にかけて、そして腰。右半身に痛みが走る。不思議と、痛いと思うとどんどん痛みが強くなってくる。それを理由に、何一つしたくなくなってくる。やろうと思っていたことの全てをやらずに、夜が更ける。
 みんな離れていきそう。遠ざかっていきそう。しのびよる孤独の影。もうそばには誰もいないよと言って笑っている。きょうはつらかった。悔しかった。自分で蒔いた種。自業自得。今まで犯した罪のむくい。悲しみの感情さえ、すり減ってしまった。
 未来に希望はない。こんなに疲れた夜に、未来を夢見る力などない。こんな気持ちは、眠りとともに捨ててしまおう。


3000.4.8
 ゆっくりと過ごした。好きなくらい眠って、好きな音楽を聴いて、好きな本を読んで、好きな場所に行って、好きな映画を見て、好きな物を食べた。しかもお金をあまり使わなかった。いいことだ。
 仕事のことは考えなかった。完全なる気分転換。オレにはこれが必要だ。自分の好きなことをするための仕事だ。仕事をするための自分の好きなことだ。どちらか一方じゃだめなんだな。オレは仕事人間にはならない。生活者として働くし、遊びもする。それだけです。そんなことするにも人の目を気にするようなことは本当はおかしい。休日に休むことをうしろめたいと思う必要はない。休日にも働いている人のほうが偉いわけじゃない。お互いたいへんだけど、認め合いながら日々を過ごしていきたい。できることとできないことがある。できる人ができない人より価値があるというのではない。できない人ができる人よりだめなわけじゃない。
    "shame"だったかな。〜誰かのエゴが見える。誰かにエゴを見せたくはない〜に共感。ただ、それがエゴに思える自分の感覚自体がエゴイズムかもしれない。みんな自分勝手。でも、人のせいにするかしないかで、世界の回り方は変わってくると思う。人のせいにはしたくない。本当の原因をつきとめたい。大事なことはなんなのか。本当におかしいことはもっと身近なところに隠れているのかもしれない。
 ○○式に現れた「来賓の方々」の数の多さに呆れた。少なく見積もっても40人は下らないだろう。きけばお祝ののし袋も持たずに来ているというではないか。(みんながみんなというわけではないと、思いたいが)ばかにしてると思わないか。「責任」が服を着てるような偉いさんが、何のために顔を出すかっていうと、エゴ以外の何ものでもないんだぜ。この村の教育予算が少ないのを承知のくせに、未来をしょった子どもたちのことをどれだけ考えてるというのか。金も包まずに弁当だけ食って帰るってのか?これって無責任じゃない?その弁当代はどこから出てるんだ?おかしいとは思わないか?(弁当出たかどうか知らないけどさ)〜I'm angry.I'm so angry.〜
 話は変わるが、ゴミの問題で頭にきていることがある。学校から出たゴミは全て学校で処理しろという。焼却炉はダイオキシンが出るから使用不能。各教室から出たゴミを袋につめて、それを小屋に保管して週に1回トラックで焼却場に運んでいる(らしい)。給食では毎日ゴミが出る。ゴミを出すなといわれるが、給食では必ず出てしまう。牛乳のキャップ、それを覆うビニール、パンを入れるビニール(安全のため一個ずつ袋詰めだ)、デザートのプリンやゼリーなどのカップとその蓋、デザートを食べるためだけについてくる「地球にやさしい」と印刷された使い捨てスプーン(ビニールの袋入り)、一人一人に渡される数グラム入りのソースやしょうゆのビニールの小袋……。これらのうち、業者に返却するのは、デザートのカップと蓋とスプーンだけである。その他は全て教室のゴミ箱に捨てられる。教室のゴミのうち一番かさが多いのが、給食から出るゴミである。ゴミを減らせ、過剰包装をなくせ、環境を守れ、地球にやさしくと言いながらこのざまだ。おかしいとは思わないか?処理するのは学校でいいのか?ゴミ減らしの努力をするのは果たして子どもたちの方だろうか?業者が責任持って回収したらいいじゃないか。
 先月、ひな祭りのときの給食にケーキがついてきた。その学級人数分のケーキが入っていた段ボール箱の表には、二人並んだ雛人形の写真が印刷されてあり、「切り抜いて教室に飾りましょう」みたいなことが書いてあった。あれを見て悲しくなったのはオレだけだろうか?日本全国の教室にあれが飾られているのを想像してオレは気持ち悪くなった。
 おかしいだろうか?こんなことは職場では議論にならずに片付けられてしまう。こういうことを口にした人が、「何わかんないこと言ってんだよ」って言われかねない状況があるような気がする。じゃ、どこでどうしたら問題がはっきりするのだろう?どうすれば議員さんが取り上げてくれるのだろう?どうすれば具体的に、世の中が変わっていくのだろう?そんな手段をオレはよくわからずに生活していることが、成人として恥ずかしい。


3000.4.6
 けさは嵐だった。新学期、嵐の始まりである。嵐の後には必ず穏やかな日が来る。そう信じて船出することにした。この緊張感、たまらない。逃げ出したい気持ちもあるけど、スタートを切るというのはすがすがしい。


3000.4.4
 一国のあるじも病気には勝てなかったか。たった一人の人間の健康が、国の政治をも変えてしまうなんて。責任というのはこういうことか。(どういうことだよ?!)人は志なかばで倒れるものである。そうに決まっている。志が高ければ高いほどそうだと思う。現総理が志が高かったというわけではないけれど…。オレだって誰にも何の影響も与えずに倒れたくはない。惜しまれたいとは思わない。憎まれたって構わないけれど、そいつの心に自分を刻み付けてやりたい。
 自然はいいこと悪いこと表裏一体だよ。火山のおかげで商売やってこれて、噴火したらなんとかしてほしいだなんて、人間は身勝手なもんだ。こいつは人間の性だ。自分も身勝手な人間の一人。
 きょうは一日中雲一つないいい天気で、あたたかかった。山並みがくっきりきれいに見えたよ。こんな日には部屋の中で仕事をするのはもったいないね。きっときょう一日で木の芽もずいぶん膨らんだはずだよ。春だねえ。お昼寝もしたいねえ。それにしても、どうも行動が遅いんだね。朝考えて、やろうと思うと夜になってるんだ。で、あしたやろうと思っても、朝になると忘れてるんだ。だりーよな。
 そうはいってもこの日この時に集中しないとなんないというのはこの仕事のジョーシキで、神経も使うから疲れるんだよな。このごろ「疲れてますね!」と言われることが多くなった。自分ではそれほど自覚はないんだけど、そういわれているのであれば疲れているように見えるんだろう。疲れたくない。楽したいよ。


3000.4.2
 ふんぎりがつかないままに夜は更ける。明日からまた新しい1年が始まるというのに、あまりにも普通の休日を過ごしてしまった。静かな苛立ち。残り時間が惜しい。このまま、ただ年をとっていくのは嫌だ。
 どういうわけか、佐野元春の”VISITORS”を思い出した。This is a story about you.彼がNYで過ごした日々の心境はラジオでリアルタイムに語られていたっけ。月曜の夜のときめきは今でも忘れない。今じゃ無数の人間たちが、形だけは同じことをできるようになった。でもそれが何だというんだろう。大事なのは伝えるかどうかではなく、何を伝えるかだ。公開にたえられるだけの内容かどうか。また、ここに戻ってきてしまった…。ただ生きるのとはわけが違う。これはオレの「旅」の必要性と直結する。
 「グッドウィルハンティング」を見た。自分自身と出会うことがいちばん難しいのかもしれない。今まで向き合うことなく逃げてきた自分の本当の姿をオレは誰かに見せたことがあるだろうか。人に自分をさらけだすことと、自分自身の姿を見つめることは同じことかな、方向が違うだけで。親だろうがカウンセラーだろうが教師だろうが誰だろうが、オレは誰かに心から甘えたことが一度もない。最近このことが根源的な問題だという気がしてならないのだが。


3000.4.1
 きのうは○か月ぶりに布団を干した。だから寝心地がよかったよ。午前中掃除して、新しい学級の名簿作りをした。これがけっこう時間かかった。でもこれでエクセルの使い方が少しずつわかってきたぞ。新年度は使う機会が多くなりそうだな。
 午後から空は荒れ模様。なんと雪!ウソみたいなホントの天気。ま珍しくはないか。教育会館まで歩くつもりだったがやめて車にする。3時からの「学級づくり講座」に参加、正味2時間。出る前は少し憂鬱。終わったら少し元気が出て、やる気になった。今年もいっちょやったるかてな気分で雪の街を歩いた。本屋では仕事関係の本を1万2千円分も買い込んでしまった。手持ちがなくてまたカード決済。やった…。ほんとにカード破産に近いところにいるぞお前!と思いつつ、CD屋にも立ち寄る。こないだできた新しい店だ。んーたいしたことないな。オレのさがしていた椎名林檎は結局どこ行っても売り切れだったぞ。ま、どうということはない。明日には入荷するとのこと。
 そうだ、冷蔵庫の中が空っぽだ。食料を買って帰ろうと思い生協へ。なんということだろう、すごい人。まさにごった返しているという感じ。やっぱり年度始めは気合い入れて買い物する人が多いのかなと思いつつ食料をつめたカゴを持ってレジへ行った。いつものように店員が品物をカゴへ入れ終えた。すると「10%割り引きいたしまあす!」と元気に言うではないか。そう。なんときょうは全商品が1割引の大売り出しだったのだ。なるほどね。世間の人々はちゃっかりしてるね。オレも5千円くらいの買い物をしたので、500円得したということになるのか。こういうところ金銭感覚が鈍いんだよな。オレはいくら安くたって、人がごちゃごちゃいるところでは買い物したかないとさえ思うほうだ。でもきょうは気分がよかったので、得した500円で切り花なんかを買って帰ったよ。片付いた部屋に青い花瓶が一つ。渦巻き鉛筆を50倍に太くしたような花瓶だ。そこに黄色いバラとかすみ草をさした。美しい。「花が美しいと思えるのは、自分の心が美しいからよ」という言葉を思い出したー。(おいおい)