5月の日記


3000.5.31
 五月は今日で終わり。明日から衣替えである。日本全国一斉に衣替えなんて実に馬鹿げていると思う。暑かったら脱げばいいし、寒かったら着ればいい。そんな当たり前のことが、制服なんかで規制されるのはおかしい。五月の真夏日と八月の真夏日。同じ服装をして何が悪いというのだろう。伝統だとしたら、悪しき伝統だと思う。以前から気になっているのだが、九州や四国のような南の地方でも衣替えは六月、なんだろうか。東京あたりではどうだっけ。沖縄はどうなんだろう。一年中夏服なのだろうか。
 中国語の話。事情により開講は一か月ほど延期だと。どどっ。何となく脱力。どこで確認したっけか…。どうもこのごろ「聞いてないよ〜」てなことが多すぎる。話聞けなくなってしまったのかな。その他もろもろ今日はいろんなことがあったため、気が立って怒鳴り散らしたりした。許してね。
 チャターの話題をテレビで見た。たいしたもんだ。テイ・トウワの音楽でしか知らなかったが、大きな可能性を秘めた技術だということが今わかった。こういう技術が当たり前になる日も近いんだな。


3000.5.30
 ほめもせず怒りもせずでやってきすぎたかなと、少し反省した。おそらく、語気にメリハリがないんだろう。こっちでそのつもりでも、受け取る側がそう感じなければ意味がない。ひとりよがりというやつだ。生きた言葉や表情を立て直そう。とその前に、心を磨こう。シェムリアップの人々も英語はあまりできないらしい。どこであれ、最後には、心と心のコミュニケーションだけが頼りだ。自分の考えていることが、相手に正しく伝わるように。相手の考えていることを、正しくつかめるように。何ごとも日々の努力からか。正直、サボってたよな…。
 Happy Manの高校時代。朝の5時、校舎の裏扉をこじ開けて侵入した部室で、僕らはラジカセから流れる「サムデイ」を聴きながら、古いベリカードを手当りしだいに暗幕に張り付けていた。そのとき密かに僕は、初めて聴く元春の音楽にその若い心を震わせていたものだ。ずっと求めていたのは、あの頃のときめきである。だが、そんなものはもうありはしない。きっと、享受するだけの時代はとうに過ぎている。生き方も音楽も、既存のものでは物足りなくなるのは当然。「まだ何者でもなかった僕ら」の影は姿を消した。もう、創造することでしか次に進めないんだな。


3000.5.29
 自転車に乗ろうと思ったら、タイヤの空気が抜けていた。しかも、前後とも。数日前に使ったときにはぱんぱんだったから、これはきっといたずらだろう。抜けているだけならいいけど、パンクだったらたいへんだ。修理に金がかかるし、だいたい帰りが遅いと修理にさえ出せない。
 アジアやらボランティアやら中国語やらの本を買い集めてきた。今週の土曜日から僕はなんと中国語講座の講師である。といっても選択教科の一講座を受け持つということで、けしてどこかの講師になるというわけではない。中国語といいながら、その実中国を含めたアジアのお勉強をみんなでしようという魂胆である。実は十年前、選択教科で中国語をやったときがあったのだが、そのときはさんざんであった。結局、こちらが語学ということをなめてかかっていたわけで、学生時代にサークルで少しかじっただけの僕は、50分をどう消化するかで四苦八苦していた。だが、今回は同じ轍は踏まぬ意気込みである。語学にこだわらず、楽しく、飽きず、ためになる、そして満足できるような講座にしようと思う。乞う御期待。


3000.5.28
 ワークキャンプの話。まさかと思っていたがホントに決まってしまった!受け入れ通知が今日メールで届いたのだ。たいへんだ。呑気に五月病やってる場合じゃなくなってきた。あと二か月。あっという間だ。休んでる暇はない。なんとかしなければ。


3000.5.27
 気分転換に出かけた。和賀岳までの悪い道をひたすら登っていったら、途中残雪で進めなくなった。和賀川の上流では川の水がごうごうと音を立てていた。自生の石南花がところどころに咲いていた。真夏のような暑さの中、少し川沿いを歩いた。その後、碧祥寺の博物館を見た。4時間ちょっとの旅だった。


3000.5.26
 吾輩は猫である。名前はこれから自分で決める。20年来飼い猫としてやってきたが、すっかり飽きてきた。隣の御飯も食べてみたい。海の向こうも見てみたい。この汚い鈴にも愛想がつきた。主人の顔をよく見ると、ほんとに醜い顔をしている。今まで吾輩はどうして気づかなかったのか。いくらなんでもこりゃひどい。あんまりだ。長年こいつに食わしてもらってきたかと思うと、20年分へどが出そうだ。若いというのは罪である。それは、誰に対してでもなく自分に対して罪である。本当に自分自身この狭い家の中でよく満足してきたもんだ。気がつけば、腕も足ももっと広いところを飛び跳ねたくてうずうずしている。目をつぶってだってこの家の中だったら自由に歩き回れる。どこに何があるか、主人の出発や帰りの時間も、どういう時ににゃあと鳴いて、どういう時に主人の膝の上に上がればいいのかも、もうすっかりわかりきっているのだ。それが飼い猫の務めだとしたら、そんなのはもうほかの誰かにやらせておけばよい話だ。
 そろそろ飼い主に別れを告げるがよさそうだ。何の未練もない。ばいばい。さよならだ。とりあえず今夜は隣の家に忍び込んで、今まで食べたくても食べさしてもらえなかった甘そうなお菓子に、思いきりかぶりつくとしよう。


3000.5.25
 やっぱり忙しすぎるよ。ゆとりなんてこれっぽっちもないじゃないか。やらなきゃならないというのはわかる。自分だってできるだけのことをやってるつもりだ。でも、やっぱりおかしいと思う。どんどんオレたち忙しくなってるぞ。周りの多くの人たちもそう言ってる。20年くらい前から比べてもどんどん忙しくなってるって。それじゃ、子どもたちはそれに連れてどうなってるかというと、どんどん幼稚になってきてるって。どんどん勉強しなくなってきてるって。オレも感じるよ。学ぶことの楽しさのこれっぽっちも感じてない子どもが多すぎる。勉強嫌いだっていいけど、遊び中心でもいいけど、やるべき時に観念してやろうという覚悟がなくなっていると思うよ。ほんとまいるぜ。彼らにはなんの責任もないけれど。
 このところたて続けに起きている十代の凶行は、起きるべくして起きているのだ。オレたち教師もそれに加担してるわけだよな。オレたちがそいつらをつくってる。そんな見方だってできるわけだよな。そして、そのオレたちの無能な首領が、高いところで涼しい顏しているわけだ。そういう仕組みをもう根底から見直す時が来てるんじゃないだろうか。
 ただのまじめじゃだめだ。もう、一抜けた。したい気分だ。


3000.5.22
 変な言葉遣いをするあんちゃんに出会った。店でオムライスを頼んだのだが、注文の品を運んできたそのあんちゃんは、「はい、こちらオムライスのほうでございます。こちらはサービスのサラダのほうでございます。」と言い、さらに、「お水はこちらのほうになります。」と言って、ポットを持ってきた。帰り際、レジでもそのあんちゃんは、「こちら、オムライスのほうは700円になります。はい。おつりのほう300円です。」と言った。すでに五回だ。「ほう」って何だよ。僕以外客がいない店内に、やけに威勢のいいあんちゃんの「ほう」が鳴り響いていた。踊るあほうに見るあほう、同じあほなら踊らにゃ損。店をあとにした僕の頭には、エプロン姿のあんちゃんがステンレスのまるいお盆を上にあげてクルクル回りながら踊る姿が、浮かんできた。
 たしかに最近よく耳にする「ほう」という言い方。遠回し、直接言うことを避けたい気持ちのあらわれなのだろうか。自分に自信のもてない時代を反映していると言えそうだ。「ほう」がとれると、実にスッキリすると思うのだが、どうだろう。
 浄水器を売りつける詐欺まがいの訪問販売で、「水道局のほうから来ましたが…」という手口があったが、あれとはちょっと違うかな。


3000.5.21
   絵日記を最後まで仕上げた記憶がない。思いつきでちょっと描いてみた。子どもの絵である。子どもの絵というのは、子どもを描いた絵という意味か、子どもが描いたような絵という意味か。どちらの意味もあるだろう。ほかには付ける言葉はない。


3000.5.20
 土曜日の夜のワイドショー。マスコミの人間が丸くなっちゃもう終わりだな。どんなに凶悪な事件も、右から左に聞き流し、ただのソースの垂れ流しって感じ。だから何なんだよって。何を伝えたいのかさっぱりわからない。ただの評論家はもういいから、ほんとに世界を変える気がある奴を使ってくれ。
 こんなにぎりぎりな状況になっても、人間は自分のことで精一杯で、国の将来よりもやっぱりきょうの楽しみのほうがずっと大切なのだ。そんな楽しみを見失った僕がまたきょうもかりだされて、2時間ちょっとの政治集会と、1時間ちょっとの企画会議に顔を出す。いつもそうだが、政治絡みの会合のあとは嫌な気持ちでいっぱいになる。くそまじめな僕が魂をすり減らしてやっていることが、僕や僕以外の人たちにいったい何をもたらすというのだろう。「やめてしまえ」と言われた。僕だってできることならやめたい。
 こんなゴミみたいな日記を、残したり公開したりすることの意味。どう考えよう。僕としては「書かない」人々の気持ちを知りたい。一人一人がほんとはどう感じているのかを確かめてみたい。そんな素朴な欲望を叶える方法の一つにできないだろうか。人に見られているということは自分がものを見ているのと同じこと。自分の気持ちを伝えることは人の言葉に耳を傾けること。自ら行動することは他人を受け止めること。
 瀬戸内寂聴はかつて「物書きは毎日書いてこそ物書きだ」というようなことを言っていた。毎日歌を作ってこそミュージシャン。毎日詩を書いてこそ詩人。毎日旅をしてこそ旅人。はてさて、僕は毎日何をしているのだろう。僕はいわゆる物書きではないが、それでもできれば「毎日」書きたいと願っている。今考えていることは、文学志望の高校時代に考えていたこととそう変わりない。僕は今も僕の夢の階段を一歩ずつ確実に登り続けているはず。
 「継続は力なり」は好んでノートに書き込む言葉。でも、雨が降るだけで、気持ちがこんなに揺れ動く。この矛盾を抱えて、丸めて、ぐしゃぐしゃにして、やっぱり今夜もゴミ箱に投げ入れるのだ。
 櫛引彩香。特に「アタシのためのうた」がいい。すごくいい。う〜らららら〜ら〜ら〜、らら〜らら〜ら〜ら〜ら〜。きょうは20回くらいリピートした。


3000.5.19
 給食の残りのオレンジがビニル袋いっぱい。冷蔵庫に入っていたのを全部食べ切った。4分の1にカットされたそれは、ざっと20切れ以上はあった。手が汚れるから、汁が飛び散るから、子供たちは食べたがらない。リスクを負うことを初めから避けてるのかもね。なぜか唇がびりびり痺れて、まるで感電しているようだ。冷蔵庫の奥には、先週のグレープフルーツもあった。表面がかさかさに乾いていて、食べる気も失せたので、もったいないけど捨てた。果物は新鮮なのが一番さ。
 給食といえばね。きょうのりんごシャーベットは青森県。こないだのプリンは山形県。節分の時には九州産の豆菓子で、過剰包装のケーキは埼玉県。りんご畑を見ながら学校に来るのに、誰がそのりんごを食べるのか知らない。プリンは半解凍が食べごろで、豆菓子の袋には聞き慣れない九州弁が書いてあったりする。(「よか×(ばってん)」だったかな。)苦味しかしない中国産の冷凍ライチ。スプーンでもすくえないほどがちがちの、まだ熟れてないキウイは産地がどこだかわからない。給食のは2週間くらい置くと食べごろになるのを僕は知ってる。いくらなんでもこれを食えだなんて。ライチもキウイも、子供たちは大嫌い。本物に出会う前にそうさせられちゃった。『満足なのか。不満なのか。そんなことよくわかんないよ。だって。楽しかったことなんて一度もないんだもの。』声にならない声が聞こえてくるよ。なんて不憫な子供たち。生まれてきたことをせめて幸せだと思えるように…。
 肝臓に血液が不足すると、こむらがえりが起きやすくなるのだそうだ。酒も飲まないのにどうしてだろ。さっきは右の太ももに激痛が走り、止まらなかった。やっとのことで治ったと思ったとたんに今度は左足がつった。始まったらもう我慢するしかない。ひ、ひ、ひ、ひどい痛みは何のためだろう。おお神は我に何を教えてくれようとしているのか。か。か。弱り目にたたり目。泣きっつらに蜂。踏んだり蹴ったり。七転八倒。こんな夜は睡眠中にも足がつって、痛みで飛び起きるのがオチなんだ。オレンジの食い過ぎかな。

3000.5.18
 もう8年も前のこと。テレビのない生活を1か月ほどしたことがあった。就職後しばらくは、20年来実家で使ったテレビを譲り受け、一人暮らしのアパートで使っていた。だがなにぶん古いもので、プロ野球で黒人選手が出てきても白い歯しか見えないくらい画面が暗く、ひどく見づらかった。だから、転勤を機に処分したのである。引っ越してきた山間の教員住宅にはFM電波は全く届かず、AMもNHKの地元局がやっと入るくらいだった。新聞も、その日の昼に郵便で前日の夕刊といっしょに届けられるという所だったので取らず、雑音まじりのラジオだけを情報源として暮らした。
 窓を開けて目に入るのは山だけ。朝、窓の外を見ても空が見えないから、晴れているのか曇っているのかさえわからなかった。そういう土地で、しかもテレビがないことで、僕は時代から取り残されているような寂しい気分になった。たまらず5月の連休には大型のテレビを購入し、衛星放送まで導入した。久しぶりに見たテレビの映像は刺激的で、僕はとても感激した。
 その頃から特に、僕はニュース番組をよく見るようになる。ニュースを見ていると、その時代に生きているという安心感を覚えるのである。こんなに進んだ世界の一端に僕もいるという所属感。これがいいのだ。今でも僕は毎朝毎晩テレビをほとんどつけっぱなしでニュースを見ている。
 きょう授業で生徒たちに、テレビが家に何台あるかをきいてみた。驚くことに、家にテレビが1台と答えた生徒は38人中たった一人しかいなかった。ほとんどの家庭ではテレビが2台以上あるということである。
5台以上あると答えた者も数人いた。一部屋に1台、一人に1台ということだろうか。あるいは、ゲーム専用になっているテレビがあるのかもしれない。それにしても、たいへんな普及率である。しかしこれでは、一つの部屋にみんな揃って家族団欒という風景も消えつつあるのかと懸念してしまう。さらに、もう一つ生徒のこんな反応を聞くことができた。「家族の団欒のためにテレビは必要だ」という意見に対して「必要でない」と答えた生徒が半数以上いたのだ。子供達の中では、テレビは個人的なもの、一人で見るものという意識が強いようである。個別化、多様化の波はこんなところにも見てとれる。
 街頭テレビでみんながプロレスに熱狂した時代を僕は知らないが、今でも電気屋の前では高校野球や大相撲の熱戦に人だかりができている光景を目にする。また、サッカーの熱烈なサポーターの集まる店ではスタジアムの熱気さながら大声をあげて応援している。一つの映像に向かって、みんなで拍手したり声援を送ったりするような感覚が、僕は好きだ。壁掛けテレビも登場し、街のあちこちに超大画面のテレビが広告を映し出す時代。テレビのそんな「熱い」使われ方が、もっとあってもいいんじゃないかと思う。寂しい時代といわれる現代でも、いたるところでいろんな熱いドラマがもっともっと展開されているはずだ。それをみんなで共有できたらどんなに楽しいだろうと、考えただけでもわくわくしてくる。


3000.5.16
 心当たりのない請求明細書が届く。睨んでいるうちに思い出す。2か月前はもうずいぶん昔の話。欲しい物を次々と変えつつ生きている。当時欲しがっていた物は今すべて我が手の中にある。だが、それがどうしたというのか。いったい、オレは何が欲しいんだ?
 このところの夜のバカ食い。先輩に話したらそれはストレスだと言われた。食欲が止まらない。抑えようとしてもだめなんだ。こりゃ過食症だろうか。いったい、オレは何やってんだ?
 「地雷を踏んだらサヨウナラ」を見た。浅野忠信っていい役者だな。もっと写真を撮りたくなった。インドシナのことをもっと知りたくなった。アンコールワットに行ってみたくなった。もっと言葉の勉強をしたくなった。そして、戦争というものがますますわからなくなった。いったい、国って何なんだ?
 カンボジア行きの申し込みをした。登録料として2万5千5百円も払った。この金は、もし選ばれないとしても戻ってこないのだそうだ。それってもしかして、ヤバい?
 今の首相は失言連発。この国は神の国だそうだ。おいおいホントにか。「憲法違反も甚だしい」と野党の人たちは怒っていた。選挙に利用される前総理の葬式。与党の支持率は10年前より上昇しているそうだ。愚民政策は奏功している。この国にいて、オレの欲しいものはいつか手に入るだろうか?


3000.5.13
 IT革命だそうである。こんなこと予想もしてなかったな。1年前のヒット曲を聴いたら、ずいぶん古く感じたよ。情報の波の周波数が急速に小刻みになっている。こんな調子でどんどん世の中が劇的に変わっていくんだな。今までの固定観念なんてすべて捨て去らないといけない。今までやってきた仕事へのプライドを食べて生きているようなやからはもはや生きてはいけないだろう。「古きよき時代」なんて言葉はもう使わない。これからほんとに楽しいいい時代になるんだ。


3000.5.9
 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす…。
 寂光院が全焼した。放火の疑いが強いという。残念なことだ。心が痛む。今年の1月に初めて訪れた場所であるだけに、僕にとってはなおさらである。平家物語からはまだ800年も経っていない。人間の営みは実にはかなく愚かなものだ。1000年という歳月の途方もない道のりを思った。
 大原のバス停から寂光院までの道のりは、今でも鮮やかに思い出すことができる。狭くてかたちのいびつな田んぼ、そして山。僕にとってはなんということのない「田舎」の風景に、西洋から来た風の外国人がおもしろがって盛んとカメラのシャッターを押していた。
 その道端で小さな土産物屋を開いていた一人のおじいさんに出会った。寂光院に向かう時にはその土産物屋におじいさんの姿はなく、大原女の小さな人形や藍染めのコースターが並べられていたのが目についた。観光地の土産物屋は遠巻きに見るだけで立ち寄ることのない僕だが、その店はなぜかすごく気になった。たいして綺麗とか、欲しいものがあったとかいうことではなかったが、どこか惹かれるものを感じながら通り過ぎた。天気はあいにく小雨まじりの曇りという天候で、寂光院についた頃には雨も強くなり、本堂までの階段の両脇に立つ木々が、やけに黒々としていたのを思い出す。受付では九十になる門主の年賀はがきをもらった。きょう焼失した地蔵菩薩立像を拝んだかは、忘れた。
 帰り道、あの土産物屋にはおじいさんがいて、僕は立ち止まり、品物を眺めていた。すると、このおじいさんは僕にどこから来たかと聞いてきた。「盛岡」と答えると、おじいさんは懐かしそうに、自分は戦争中は一兵卒として盛岡に配属されていたのだと言った。そして、そこでの上司の娘と結婚したと言っていた。「盛岡には戦争中世話になった人がいっぱいいる。いつかそっちに旅してみたいと思っているよ」「あんた先生かい。先生もたいへんだね」そんな話をしてくれた。このおじいさんは終戦後、いろいろ仕事を変えた末、現在の土地で土産物屋を開いたのだそうだ。オリジナルの品物もあれこれ出したが、どれもたいして売れなかった。でも、最近開発したこの品物は絶対売れると思う。まず見てくれ。と言って、見せてくれたのが、寂光院の絵入りのブックカバーであった。「京都ではやっぱりここが一番だと思うよ」「この絵と同じ場面が去年これにも載ったんだ」と言って見せてくれたのは、時刻表の表紙の写真だった。自分の作ったブックカバーの絵と同じものが時刻表の写真に採用されたことを、おじいさんは誇らしく思っていたのだろう。そして、そういう自分の人生の選択に自信をもった。僕にはそんなふうに見えた。何も買わないで帰るつもりだったのだが、藍地のブックカバーを一つ、そのおじいさんから買うことにした。「これ丈夫だから。大事に使って」と言ってくれた。今そのカバーに包まれているのは、三浦綾子のエッセイ集である。
 あのおじいさんも、きょうの火事のことを深く悲しんでいるだろう。僕もやりきれない気持ちだ。
 出会いの不思議。僕は旅の途中で、そういうかけがえのない人たちにたびたび出会う。一瞬の出会いではあっても、それが今の自分をつくっているということは、紛れもない事実である。
 寂光院の放火犯には、きっと今までそういう旅の経験がなかったんだろうな。
 すべての人に旅を!心の旅をし続けよう。心を束縛から解き放つのは、やっぱり旅しかない。 


3000.5.8
 先送り。すべて先送り。借金の返済も、精神的成長も、めんどうな話し合いも、重要な仕事も、受験勉強も、申込手続きも、車内の掃除も、メールの返事も、スポーツクラブも、書道塾も、冠婚葬祭も、生老病死もとにかくぜんぶ先送り。それが当世の流行りです。喜びも、楽しみも、充実感も、満足感も、希望も、幸せも、みんなまとめて後にとっておくってか?
 テレビで見たのは、米内浄水場の枝垂桜。初老のエッセイストは、「盛岡名物」の山菜料理を口にしていた。そこにあるのは、こことは違う場所だな。幻想だか夢だかの中の風景だった。実在しない「田舎」のイメージをプンプン感じたぞ。盛岡のことをそういうふうに思ってるんだな。


3000.5.7
 したいことがたくさんあるけど時間がない。だとしたら睡眠時間を削るしかないか。知人のS氏は3時間しか寝てないそうだ。驚きである。そこまではいかなくとも、無駄に長く寝るくらいなら起きてたほうがよさそうだ。きのうもおとといも、何がよかったかって、昼間に眠くならなかったことがよかったよ。そしてきょうも3時に帰宅してから3時間かかって部屋の掃除をすることができた。下手すると疲れて眠ってしまって夜7時頃起きるというパタンにはまってしまうのだけれど、その悪いパタンからはもう脱却したいところだ。僕にはもう時間がないのだ。なんかそう思えてきた。とにかく、もっと濃く生きたいもんだ。
 カンボジアに行ってみようか迷っている。8月にアンコールワットの修復のボランティアがあるというのを見つけたのだ。ベトナムの経験を今年は選択教科で生かしたいと思っているのだが、やっぱり授業でなく自らがどうにかして関わっていかないことにはしかたがない。対象がベトナムであろうとベトナムでなかろうと、動きだしたからには動き続けるしかない。なんてね。カッコつけてるけど、ただどこか行きたいだけなのかも。確かに正直そういうところもある。一石二鳥を狙って?二兎を追う者は一兎をも得ずということもあるぞ。まあ思い立ったが吉日。どうなるかわからんが、申し込むだけ申し込んでみるか。


3000.5.5
  朝4:30に起床。小岩井農場に向けて車を走らせる。桜はまだ一分咲き程度で、まだまだこれからという感じだった。この分だと来週に見ごろを迎えるだろう。小岩井を過ぎて網張あたりまで行くとまだ雪が残っていた。上丸牛舎前で写真を撮って帰ってきた。
 それから飯を食って部活へ。きょうは12時前に帰宅できた。天気もよかったので、自転車で市内を回ってみようと思いついた。まずアパート近くの県営体育館の周りの桜を見てから、高松の池へと向かった。久しぶりの高松の池はきれいに整備されて、芝生の部分がずいぶん広くなっていた。池を一周してから上田通りを通って本町へ。
 途中「丸岩」でとんかつ定食を食べた。15年ぶりぐらいじゃないかな。とてもうまかったよ。
 本町から上の橋を渡って河南地区へ。青龍水や大慈寺清水を見て明治橋から杉土手の川岸の道を通って菜園から開運橋へ。開運橋際の花壇は桜草とチューリップが見事だった。おばあさんが一人でせっせと草取りをしていた。
 材木町、光源社。ここは宮沢賢治が「注文の多い料理店」を出版した場所だ。きょうは人が多過ぎだ。来るなら平日に限る。
 その後、名劇で「グリーンマイル」を見た。劇場で映画を見るのは「タイタニック」以来、ということは約2年ぶり?じゃないかな。劇場は満員で、僕は偶然上映開始の10分前に滑り込み、余裕をもって座ることができた。隣でやっていた「名探偵コナン」の音が響いてきてちょっと気になった。でも、「グリーンマイル」自体はとても見ごたえのある映画だった。
 看守たちの制服は僕の制服でもあると思った。判決を下された囚人なら平気で死刑に処することができる。そのくせ、奇跡の力をもった男でさえ救うことができないのである。それが国家か。悲しいかな僕らはその制約の中でしか生きることができない。戦争時代の兵士たちは何の罪もない人々を殺さなければならない不条理に苦しんだことだろう。それと同じように現代でも、とうてい理解しがたい理由で命を落とさなければならない人間のなんと多いことか。ポールの罪悪感は他人事ではない。国家の一員であることは、国家の罪の一端を背負っているということでもある。私たち自身が「悪」を作り出している。そしてその罪悪感は崩そうとしても崩れない。ジョンは超能力をもちながらもきっと「自然に」生きていたのだろうが、その「自然」をねじ曲げる世界、人間の可能性を阻む世界を我々は建設してきたのかもしれない。もはや我々は「ほんとうの死」さえも失ってしまったのだろうか…。「正義」とか「善」とかを口にする無意味さを思い知らされた。むしろ深い闇に叩き込まれたような気になった。世界はどんどん悪い方向に進んでいると、耳元で誰かの囁きが聞こえたよ。きっと僕らも、見えない鎖に繋がれ、一生鉄の球を引きずりながら生きる囚人なんだよ。
 きのうの菜の花の写真ができた。思った仕上がりにはならなかったような。


3000.5.4
  国道から菜の花畑が見えた。近づいて車から降りたとき雲間から大陽の光が差した。金色に輝いた菜の花たち。僕は迷わずシャッターを押した。この日大陽が見えたのはこの瞬間だけだった。桜を撮ろうと出かけたが、きょうの成果はこの菜の花だった。
 桜は散り際が一番美しい、とか。学生時代、友人と二人で角館に桜を見に行ったことがある。有名な檜木内川沿いの桜をひととおり楽しんだのだが、同時にうんざりするほど溢れかえった観光客を目にすることにもなった。二人は人の姿のない小高い丘の上の児童公園を選んで、そこのベンチに腰を下ろして休んでいた。ブランコにすべり台、雨上がりのぬかるんだ地面に青空を映した水たまり。目の前には散り際の細いソメイヨシノが数本あった。少し強い風が吹いたと思ったら、その桜が一斉に花びらを散らし、まるで雨のように降ってきた。水たまり一面を薄いピンク色の花びらが埋めつくし、今まで映っていた空が見えなくなった。友人は「おお!俺はこんな情景が見たかったのだ!!」といたく感動していた。
 彼と花見をしたのはそれが最初で最後だった。桜の季節になるといつも思い出す話である。
 確かに散り際は美しいが、僕は目一杯花が開き切ってこれでもかというくらいたっぷりとしたボリュームで、しかも花びら一枚落ちずに保っている100%満開の桜が一番好きだ。後のことなんか関係なしで、何も知らずに咲き誇っている桜が一番好きだ。
 そういう桜に今年はまだ一度も出会っていない。車窓からちらりとは見えるのだが、意識して見ようという強い気持ちにまでいたらないのだ。昨日きょうの雨で近郊の桜はもう散り始めているのではなかろうか。
 僕のゴールデンウイークはもう終わってしまった。もし明日早く退けたなら、ちょっとその足で小岩井あたりに行ってみようかな。あそこならまだ間に合うかもしれない。ぜひ明日は一日中晴れてほしいものだ。


3000.5.3
 荷物が気になったので、S川急便のホームページの「荷物追跡システム」で検索したら、なんと「配達完了」の文字が出た。おかしいので問い合わせのメールを出したのがきのうの朝5時。午前0時過ぎ、飲み会から帰宅すると留守電に担当係長からのメッセージが4件入っていた。「荷物追跡〜」の入力ミスを謝罪したいということだった。翌日電話したら、しばらくしてその係長が荷物をもって現れた。そして、トラックのドライバーが持つテレビのリモコンのような形をした入力用の端末を見せ、詳しく説明してくれた。最後には、お詫びにと携帯電話用のストラップをもらってしまったよ。なんかかえって悪かったな。
 この日記はゴミ箱みたいなものだな。最近なんか尖ってるんだか凹んでるんだか…。読み返しても、なんじゃこりゃと思うことがある。読む人が不快になるようじゃ意味がないよな。誰一人傷つけることのない言葉、読む人全てが共感し感動をよぶ言葉。そういうほんとの力をもった言葉を使えるようになりたい。
 明日一日休みにしたので、きょうの午後から一泊でどっかに行こうと思っていたのだが、この雨だ。夕方ベッドに横になってそのまま7時まで寝てしまった。起きてテレビをつけたら、バスジャックのニュースだよ。馬鹿なやつがいる。腹立たしい。早く解決してほしい。


3000.5.1
 S川急便はウソつきだ。きのうアパートの郵便受けに「ご不在連絡票」というのが入っていた。連絡くださいと書いてあったので電話したら、夜6時以降に届けるということだったので、その日は外に出ないでずっと待っていたのだが、とうとう荷物は来なかった。きょう来るのかと思ったが、きょうも来ない。荷物が来るというから待っているのに来ない。こういうことはよくあることなんでしょうか?
 日記のページが重くなったので月毎に分けました。よくもべらべらと書いてきたもんです。無責任ですね。それにしても、インターネットにはインターネットの人格というものができあがってしまうということがありそうだ。この日記だけ読んでこいつはこんなやつだと判断されてもそれは困る。ここに書かれてあるのは全てではなくて一面なんだ。なんでもそうだと思うけれど。人間の多面性というか多様性というか、奥深いもんなんだよ。それを割り切って限定して判断しようというのだから無理があるわけだ。といっても判断しなければしかたないわけで、世の中は誤解で成り立っているとも言えるかもしれない。
 話は変わるが、テレビで大橋巨泉が日本はおかしな国だということを説明していた。やっぱりな。たった一度の人生、日本という国だけで人生を送るということは、もったいないことなんじゃないか。巨泉のようにいろいろな国を行ったり来たりする生活に憧れる。