7月の日記


3000.7.27
 いよいよ明日の朝、旅に出ます。
 まずはタイのバンコクに行きます。
 3日目の夜カオサン通りで、
 日本からのボランティアのメンバーの皆さんと合流する予定です。
 その翌日、シェムリアップ入りしてから2週間は、
 スケジュールに従った活動になります。(→Angkor Wat
 帰国は16日の夕方の予定です。
 英語でのコミュニケーションなど、
 たいへん不安な点はありますが、
 行ってしまったらもうやるしかありません。
 一生懸命やってこようと思います。
 各方面の方々に御迷惑をおかけしますが、
 何とぞ御理解をよろしくお願いします。
 なお、旅の途中でインターネット・カフェなどで
 アクセスする機会ももてるかもしれません。
 hotmailのアドレスを取得しましたので、
 メールはこのアドレスに送って下さい。
 暑い盛りです。
 お互いに健康に気をつけて過ごしましょう。
 それでは皆さん、行ってまいります。


3000.7.24
 終業式の日にステージで発表する詩を作ってほしいといわれ、ここ三日くらいうんうんうなりながら考えていた。予めいろんなイメージを書きためていたのを、先ほど22時過ぎから一気に組み立てていった。すっかり胃の調子がおかしくなって、どういうわけか食欲が増してきた。あれほど大量に晩飯を食ったのに、そのあとバナナなんか詰め込んでいる自分に気がついた。冷えた緑茶なんかも飲み過ぎて、少々腹が下りぎみだ。
 詩を作るということは、オレにとっては未だに特別極まりないことである。それに、「学校」をテーマにして作れというのだから正直苦しかった。だいたいにしてこれが詩になっているかどうかも甚だ疑問である。第一に中学生が耳で聞いて難しくないこと。第二に親が聞いて少々ほろりとくることを意図して書いた。心の叫びとは程遠くなった感じだが、関係者の皆様にはどうか許していただきたいと思う。
 せっかくなので、その詩(?)を掲載する。学校関係者でない方々にとっては、意味不明な点や違和感を感ずる点が多々あろうかと思われるが、よろしければ感想を寄せていただきたい。
 ちなみに、我が校の夏休みは26日から8月20日までの26日間である。冬休みもだいたい同じ日数。北国では、冬休みが長いかわりに夏休みは短いのである。
 
  『夏休みを前に』

 一学期もきょうで終わり。
 この4ヶ月、
 毎日君たちとともに過ごしてきた。
 けして退屈などしなかった。
 嫌なこともずいぶんあったけれど、
 そんな日を含めて、
 どうでもいい日なんて一日もなかったはずだよな。

 遅刻する者がいる。
 ベロシャツだったり、
 裾が破れていたり、
 服装のだらしない者がいる。
 鳴ってるベルを気にもしないで、
 廊下でしゃべる者がいる。
 授業中、居眠りをする者がいる。
 給食や掃除のとりかかりが遅くて、
 頭にくることも多かった。
 けして君たちが憎いわけじゃないけど、
 そんな時言わなくてはいけないことがある。
 朝の会の合唱だって、
 はじめは合唱なんてよべるものではなかった。
 姿勢は悪く、壁に寄りかかったり、
 下を向いて、口を開いているかさえ
 わからなかったり…。
 「そんなんじゃ意味がねぇ。やめろやめろ!」

 …また、怒鳴ってしまった。
 僕のやり方がいけないんだろうか。
 どうすれば、ちゃんとやるんだろう。
 何度思ったことかわからない。
 だが、
 どうであれ、
 よくないことをよくないと言うのは僕らの仕事。
 無理難題を押し付けているのではなく、
 君たちの無限の可能性を信じたいから。
 正直に生きていく力をもってほしいから…。

 いいこともたくさんあったよ。
 「おはようございます!」と
 大きな声であいさつをする者がいる。
 係の仕事をどんどん手伝う者がいる。
 掃除で人の嫌がることでも黙ってせっせとやる者がいる。
 クラブでくたくたになるまで汗を流す者がいる。
 いろんなところでそれぞれに、
 いい顏してがんばっていた。

 楽しい気持ちでいられる時はいつも、
 そばに君たちの笑顔があった。
 どんなに下らないギャグにも
 あたたかい反応をかえしてくれる、
 そんな君たちの思いやりが好きだ。

 このままでいい、なんていう人間はいない。
 もちろん僕たち教師だって完璧じゃない。
 自分を磨き続けることを忘れたくはない。

 みんな一個一個のダイヤモンドの原石だ。
 いつかきれいに磨かれて、
 光り輝く時がくる。
 でも誰かに磨かれるのを待つだけじゃ、
 いつまでたっても光は出ないよ。
 なぜならみんなはただの石じゃない。
 生きている石だからだ。
 自分で自分を磨いていける、
 心を持った石なんだ。

 明日から夏休み。
 僕らは、君たちの力を信じる。
 自分で自分を磨き続ける夏であってほしい。
 そして、誰より君のことを思っている
 お父さんお母さんに感謝しながら
 毎日を過ごしてほしい。

 僕らはほんの少ししか
 手を貸すことはできないけれど、
 君たちをけして冷たい石にだけはしたくない。
 熱い血の通ったダイヤになることを、
 ほんとうに夢見ています。
 きっと君たちのお父さんお母さんも、
 おんなじ気持ちだと思うよ。
 これから先、どんなことがあっても、
 これだけは忘れないで。
 僕らはいつも君たちを
 愛しているんだということを。



3000.7.22
 また夜中に目が覚めた。夕べは疲れてわけがわからないうちに眠っていた。気がつくと、テレビも電気もつけっぱなしだった。よくあるなこのパタン。なんの新鮮さもない。この生活。日常ということ。この日記自体新鮮味がなくなってきているような気がしてならない。おもしろくない。それだけ底が浅いってことか…。
 旅立ちまであと一週間を切った。だが、日常のいろいろ、はっきりいえば仕事のことで精一杯で、旅の準備もままならないという感じだ。この連休で、完全にモノの準備は終えたい。気持ちの整理もつけたい。
 地雷を踏んだらサヨウナラ、って洒落になんない。この世界には1億1千万個の地雷が埋まっているんだって。1億1千万だよ。なんなんだよそれ。これをなくすなんて途方もないことだ。
 こないだ天気がいい日、風向きの関係だと思うんだけど、近くの自衛隊の演習場から響いてくる砲弾の音がどどんどどんとものすごい勢いで校舎にぶつかっていた。校舎全体が揺れるんだよ。恐ろしかったな。
 自衛隊だって武器を使って練習してるわけで、武器を作っている工場が世界にはたくさんあり、おそらくは武器の市場というものもあり、武器を売って生活している人間もたくさんいるのだろう。爆弾工場やミサイル工場では日々新しい武器が製造されていて、武器の新製品だって研究され開発されているのだろう。条約ができたとはいえ、地雷工場で地雷を作っているところが世界のどっかにまだあるのかもしれない。きのうのニュースじゃ、沖縄の米軍基地を1万数千人の人々が包囲して基地反対をアピールする行動が出ていたが、基地があるお陰で生活が成り立っている人だって大勢いるのだ。実に微妙。一筋縄ではいかないとはこのこと。
 つまり、武器や戦争がオレたちの生活にすっかり食い込んでいるってことじゃないのかな。涼しい顏して歌ってるけど、この国にだって立派な軍隊があって、日夜訓練をしてお金をもらっている人もいっぱいいる。ただ実感がないだけで、ほんとはオレたち一人一人かなり密接に戦争と関係しているんじゃないだろうか。オレは戦争反対、それ以上は知りません。なんてことは言えない。
 我々がしなければならないことは、戦の火種を消すことだろう。でも、その火は水をかければ消える単純なものじゃない。消そうとしても消えずに我々を取り巻いていて、ケロイドのようにぐちゃぐちゃに膿んでしまっているような、そんな感じを想像してしまったよ。


3000.7.20
 海の日。大槻ケンジのインド旅行記を読んだ。かなりのインパクトがあったな。日本の常識なんて、世界からみれば当たり前でも何でもないんだよな。常識を鵜呑みにしてしまうことの危なさを思った。きまりをきまりだからといって疑うこともしないとしたら、それはやはり危ない。
 〜諦めないことの大切さか。その通りだと思う。やっぱり身の回りから作っていくしかないよね。自分自身の存在さえも、いいのか悪いのかわからなくなることもあるけど、自分を諦めることは、すべてを諦めることと同じなんだよね。じゃ、自分に何ができるのか。一生のうちにできることなんてちょっとしかないよ。二生も三生も必要だ。あ、だから続いていくのかな〜


3000.7.19
 夜、眠くて眠くて早くに寝てしまった。起きたら午前1時過ぎ。テレビでは「太陽にほえろ」の再放送。石原裕次郎の魅力に初めて触れたような気がした。そして、それぞれのキャラクターの面白さ。ゴリさん、山さん、殿下、マカロニ、長さん…。みんな男臭くて、正義に燃えてる。古きよき刑事(デカ)たちの姿がそこにあった。
 子供の時から刑事ドラマが好きで、よく見ていたものだ。番組の数自体現在よりも多かったと思う。正義の味方の警察官、お巡りさんを尊敬し、憧れていた。でも、危険を犯して悪と戦う勇敢な彼等のようにはなれっこないと、警官になることは考えなかった。それから何年たったのか。刑事のカッコよさが社会の健全性のものさしになるのだと気づいた頃にはもう遅かった。今や日本の警察は地に落ちてしまった…。
 「太陽にほえろ」のあと、刑事物は少しずつ変質していった。「噂の刑事トミーとマツ」「あぶない刑事」などは毎週腹を抱えて笑っていたが、あれはもはやドラマではなく、コメディであった。オレの高校時代、友達どうしではアホな「トミマツ」談義に花が咲いたものだ。でも、あれを見て刑事になろうという子供はあまりいないだろうな…。あぶない刑事の柴田某は今も現役で情熱刑事を演じているが、あれはどうも受け入れられない。なんか見ていてひじょうに自分勝手なのだ。組織的に優れているのが日本の警察の自慢だったはずだが、今のドラマにはそれが欠落している。泣いたり怒ったり説得したりはいいけれど、チームを逸脱した行動は避けてほしいものだ。周囲と連係をとれない人間は結局自己満足に過ぎないんだよな。情熱系はいいけれど、実はああいうのがいちばん迷惑だったりする、といういい典型だと思うのだが、どうだろう。


3000.7.18
 自分の子供を薬物で殺し、保険金を取ろうとした母親が捕まった。この女性は3年前にも同じ手口で長男と二女も殺害したらしい。母性の欠如か、それとも人間性の欠如というべきか。だが、考えてみれば金のためにわが子を殺すなんて、人間以外はやらない。人間だから為せる業?だともいえる。「人間性」の恐ろしさに身震いがしそうだ。
 おとといの朝テレビをつけたら、アグネス・チャンがカンボジアの話をしていた。ポル・ポト政権のもと行われた大量虐殺では、国民の約3分の1が殺された。「新しい国を作るために、技術を持っている人は協力して下さい!」という嘘の呼びかけに応えた人々は、そのまま連れ去られ帰らぬ人となったのだという。ポル・ポト政権下のわずか3年8ヶ月の間に、伝統的な社会システムは破壊され、人々はあまりにも深い「精神的外傷」を負った。アグネスは、そういう事実を知らないということが、気づかないうちに人を傷つけているのだと言っていた。
 よかれと思ってやっていることが実はとんでもないことだった、ということはよくありそうだ。個人レベルでも、国家レベルでも同じ。これは人間の持つ性だろう。人間が人間を知り、人間の性を乗り越えることこそが、人間の叡智といえるかもしれない。


3000.7.16
 今朝の天気予報でも最高気温は30℃と出ていた。暑い日が続く。きょうは時折雨が降ったりして日差しはないのだが、少し動くとじっとりと汗が滲んで気持ち悪い。以前はこれほどまで暑くなかったよな。地球の温暖化を文字どおり肌で感じているようだ。ところが、老人たちの話を聞いても、それほどの深刻さが伝わってくるわけではない。若い頃とは皮膚の感覚自体が違うのではないだろうか。暑いとか寒いという温度の感覚も、思ったほど記憶に残らないのかもしれない。気象庁の「平年気温」そのものも十年に一度だったか見直されるというし、実際のところ昔に比べてどのくらい「暑く」なってきているかは、簡単には判断できないらしい。
 皆既月食があるという。これを見逃すとあと1787年見られないというから、夜には晴れてほしいものだ。月と、太陽と、地球の関係は、太古の昔から変わっていない。月食が偶然の産物だとしても、古代人はそれを恐れ、神の人間たちに対する戒めとか、何か悪いことの起きる前兆などととっていたかもしれない。それに比べれば、何時何分に月が欠け始めて何時何分に皆既に至るとすべて正確に計算し、予知できてしまう現代は、なんと味気ない時代だろう。せめて1000年昔の人々の気持ちになって、突如月が赤黒く見え出した時の恐怖を想像しながら、今宵の月を眺めてみたいものである。
 1000年代末期。科学は世界を劇的に変えてきたし、これからも今まで以上にどんどん世界を変えていくだろう。しかし、どれだけ数字が変化して、どれだけ重要な事実が明らかになったとしても、我々人間にとっていちばん重要なのは人間の「実感」だということにはかわりない。データによって価値観が変化するのではなく、結局は、自分の感性によって自分の価値観を創造していくのである。
 人間が恐怖や苦悩、悲しみに出会った時、神の姿が見え隠れするのは当然のことだ。この時、人間の作ったものは何の役にも立たない。ましてや、武器によって人類が救われたためしはただの一度もない。(「国破れて山河あり」という言葉を思い出した。)本当に人間の力になるのは、祈ることだったり、願うことだったりする。科学的かどうかは関係ない。その人自身がそう感じていることが出発点なのである。そこから人々の共同が生まれ、平和が育まれる。科学が真実なのではなく、科学が真実の一部を担っている一つの価値に過ぎないということを、忘れずにいたい。


3000.7.11
 日によって鼻歌の曲調は変わる。きょうの昼休みは、「津軽海峡冬景色」、「北の宿から」、そして新沼謙治の「ヘッドライト」だった。暑かったせいか、みんな北国に関係する歌だった。南の国の人たちにきかせたら、涼しい気分になるだろうか?さらに、掃除時間に口から出てきたのは、演歌調の「ほうきを〜もて〜よ〜」「ぞうきん〜持ったか〜」「そうじを〜しろよ〜」というオリジナルソングであった。少し頭が痛かったからか、我ながら異様な節回しで、子供達は気持ち悪がっていたようだった。オレの歌がききたくなかったら、ちゃんと掃除しろよな。 


3000.7.8
 午前2時半。蒸し暑くて目が覚めた。台風が接近中である。一日中雨だという。きょうの行事は延期になりそうだ。2学期に延期だって。早く終わってしまいたいのに。どうもこういう無駄骨みたいなことが多すぎるよな。こないだ母親からも言われたんだ。ある占いによると、仕事じゃお前は一生苦労するらしいよって。十年もやってりゃそんなこと、言われなくたって感じるよ。タイミングが悪いんだよな、すべてにおいて。でも苦労しなけりゃ得られないものってあるだろ。早い遅いや長い短いは関係ない。苦あれば楽ありだ。
 制汗剤のスプレーでむせ返るような夏の日。現代人の病理をみた。嫌なニオイは化学物質でごまかしてしまう。それで「清潔」になった気でいる。消臭剤の類いがずいぶん出回っているが、所詮「臭い物には蓋」でしかない。人間は汚い部分をもっている。それを覆い隠すのではなく、受け入れながら心身共に「清く正しく美しく」を目指していければいい。明るい部分、きれいな部分のみがもてはやされて、暗い部分、汚い部分が否定されてしまっているような気がしてならない。これは人間否定、自己否定につながる。自分をまるごと受け入れられない者が、他人を受け入れられようか。現代の中学生の姿を見てると痛々しいよ。マスメディアの影響なのかな。無責任に情報を垂れ流す大人の責任は大きいよな…。
 人間はいつもいつも清潔でいられるわけじゃない。人前ではいくらこぎれいに着飾って明るく微笑んでいたって、一人になった時には誰だって否応無しに真顔で暗い自分と向き合うものだ。だから、日記にはその人間の暗い部分が登場してきて当然である。きれいでつるつるした面もありゃ、汚くざらざらした面もあるのだ。実をいうと「この日記暗い」といわれて内心ほっとする自分がいる。その反面、そんな日記を公開することの意味を自問自答する自分も。日記に対する意見をメールでもらった日は、とてもうれしくてしかたない。
 自我はたくさんの人々によってつくられる。自分は自分以外の人々のおかげでできている。そんなことを感じる。


3000.7.7
 あんた失うもの何もないでしょう?!とある人から言われたことを思い出した。やりたいことやんなさいよってね。言われなくてもわかりますよ。言い古された言葉だけど、「自分探し」をするには時間がかかるんだ。一生、かかるんだと思う。見てろって。全部やって死ぬから。


3000.7.6
 最近早く終わってほしいと思うことがらが多い。それだけ無駄な時間を費やしているんだな。その瞬間に賭けるということもなく、嵐が頭上を過ぎ去るのをただ待つだけなのか。なんてネガティヴなんだ。
 こんなことを想像した。夜空にかかる透明な虹がある。たいていの人には何にも見えない。人によって緑が見えたり、黄色が見えたりする。ある人には、赤と紫と青が見えたりもする。七色すべてが見える人はほとんどいない。そして、みんなの願いはこの七色の虹が全部見られること、だったりする。
 美しいものなんて、そう簡単に見られるもんじゃない。心のあり方によって見えるもの、見えないもの。
今のボクには、何色の虹も見えない。


3000.7.2
 テストの採点に夕方までかかった。たらたらやっていたからだ。テレビを見たり、飯を食ったり、本を読んだり、その合間にやっていたという感じだった。きのうもきょうも夕方1時間ぐらいの外出しかしなかった。この連休、2日間とも仕事という同業者はたくさんいるだろう。オレの気紛れの文章を読んで腹を立てる人も多いかもしれない。たまに、世界を敵に回したような錯覚に陥ることもある。ヤバいことを書いてしまった日は、実をいうと一日中気が気でなかったりする。だがそれは小さなことだ。
 「7月4日に生まれて」を見た。最後は涙が止まらなくなった。戦争を考えることは、運動をすることだ。運動しないことは、無関心であることと同義だ。たくさんの問題が山積するこの世界で、自分がいかに呑気にやっているか。オリバー・ストーンのように緻密な計算と準備で全世界に発信するやり方に対して、オレはなんと行き当たりばったりで貧弱なことをやってるんだろう。…なんて、比較すること自体どうかしてるかな。
 Internationalというのは国を超えるということではなかったか。思えば自分がやろうとしていたのは、国なんか関係ない民と民との語り合いのはずだった。ネットというのはもっと広大無辺なもののはずだったのに、今のこのHPはこんなに閉ざされた空間でしかない。使い方をまだわかっていないのか。間違っているのか。言語の問題なのか。それとも、作成者の思想性の欠如が原因か。可能性というのはいつの時代も可能性であって、それを実現するかどうかは作り手がどうするかに100%委ねられているのだ。
 採点をしていて、あまりのできなさに腹が立ったりがっかりしたりすることが多かったのだが、自分もこの生徒たちとなんら変わりないじゃないか。「やればできる」なんて言ったって、やらないんじゃ意味がないんだよね。


3000.7.1
 七月は雨に濡れて始まった。
 じめじめとした休日の朝、
 僕は窓の外に何度も目をやった。
 アスファルトに無数に生まれては消える水の輪。
 電信柱でまだ点ったままの蛍光灯。
 
 重く沈んだ空気の底で、
 僕は一匹の深海魚になった。
 青色でもなく赤色でもない、
 誰も気づくことのない流れの狭間で、
 10kgの水圧に押しつぶされそうになりながら、
 見えない目をぎょろっと見開き、
 ぱくぱく口を開けて呼吸している。
 
 なぜだろう。
 こうしていると、
 なかったはずの記憶が細やかに蘇ってくる。
 焼けつくような昼下がりの草のにおい。
 額に汗したまま飲んだ冷たいサイダーの味。
 夕方の街の空に響き渡る祭り太鼓の音。
 手をつないだまま坂道を駆け出した君の笑顔……。

 …今度訪れるのは、僕にとって一度しかない季節だ。
 
 暗く雨に煙る休日の朝、
 ひどくうつろな空想のあと、
 僕はひとり頭を掻いてから、
 コップの牛乳を一気に飲みほした。