8月の日記


3000.8.31
 旅の前のスタンスにはもう戻れないのかな。どうも筆が(キーボードが)進まない…。
 きょうで8月は終わり。多くの土地では、明日から2学期が始まるのだという。また一区切り、一区切り。
ほんとうに相手の立場に立つことなんてできるんだろうか。なんだかんだいってもすべてエゴじゃないのか。
オレは身勝手な人間だ。この身勝手さのために今まで何人もの人が傷付いてきたのだ。鈍感に鈍感になっていく自分。嘘の上塗り。殻が厚くなるだけで、いつまでも外に出られない。この言葉だよ!この言葉のために僕らは途方に暮れてばかりいるんだ!!
 言葉を超える。言葉を超える。その向こうに何がある。その向こうに、何があった?


3000.8.29
 きのうの朝、痛くてたまらず病院に行った。右足首から膝にかけて包帯ぐるぐる巻にされてしまった。きょうも朝に入浴し、医者の言ったとおり薬用石鹸ミューズで殺菌消毒し、黄色の薬剤をガーゼにしみ込ませたものを患部7か所に張り付けてから出勤した。だが、今夜帰ってみたら、さらに8か所目が膿んでいるのがわかった。いよいよこりゃまいったぜ。オレが何したっていうんだろう。
 教室で、オレは今までケガをさせられたことは一度もないが、人にケガをさせたことは山ほどある、その罰が当たったかなという話をしたら、妙にしんとなってしまった。実はきょうも痛みで何にも集中できなかった。まさかとは思うが、突然ショック死したりしないかちょっと心配だ。(こんな話題おもしろくないですね、すみません…)
 テレビで細川たかしが歌っていた。その歌詞を聴いていたく感動した。涙が流れるほどであった。望郷じょんからである。演歌の歌詞の中にはいいものがたくさんあるかもしれないと思った。


3000.8.27
 たかが蚊とタカを括っていたのだが腫れも痛みもいっこうに引かず、きょうも歩行さえ困難な状態であった。こりゃまずい。情けないけど、明日もこんなだったら病院に行ったほうがよさそうだ。
 きょうは部活の後、近くで行われている「産業まつり」というのに寄ってみた。非行防止のための「巡回」なんて意識もなく、いろいろとゆっくり見て回った。地元の飲食店や農家の出店が多かったのだが、牛乳を飲み、プラム一パックを買い、焼そばを食い、焼き鳥を食い、ジュースを飲み…と、昼飯はここで済ませたよ。晴天のもと、競技場ではどこかのクラブがサッカーの試合をしていた。しばらくのんびりと眺めていた。のどかすぎて、このままだとおいてけぼりをくいそうな、妙な感覚に襲われた。そんなに長くいるところじゃないよとどっかから声が聞こえた。中学生にも何人か会ったが、みんなのんびりとかき氷を食ったり、お楽しみ抽選会に参加したりしているのだった。やっぱり村の子どもたちなんだなと思った。自分が中学生の頃は、こんな場所には絶対来たくないと思っていたものだが…。ちょっと気持ち悪いね。考えてみると、産業まつりなんておかしなまつりだな。物と金だけを追いかけてきた戦後日本の名残だ。まつりというからには、神が、哲学が必要だ。でもそんなかけらなんてどこにも感じられなかったな。本気でほんとの産業を興したいのなら、旧態依然としたやりかたは即刻改める必要があると思った。
 全く勉強しない中学生がこの四年で倍に増えたと、さっきニュースでいっていた。そんな実感は前からあったが調査でもそれが明らかになったらしい。こんなに恵まれた日本なのに(だから?)、勉強する意味を
失ってしまったのだろうか。恵まれた環境にある人間が、それを生かしていかなければ罰が当たると思う。
日本のような恵まれた国に生きる者が勉強する意味は大ありだ。それが世界にどれだけの大きな貢献をするか。受験のためとか、将来のためとか、そんなんじゃなくもっとすごいことが、きっとできるんだ。物や金じゃないことはもうわかってるんだから、大人たちはもっと本気で子供に勉強させなければだめだ。

3000.8.23
 熱帯の蚊は強力だ。蚊に刺されたところが化膿してきて、ひどく腫れ上がってしまった。それが非常に痛い。日に日に痛みが増している。その何か所かがちょうど靴の縁に当たっており、きょうは歩くことさえ困難に感じた。蒸し暑さに加えてこの痛み。発狂しそうになった。きょう一日はとても疲れた。精神的な疲れはそれほどでもないが、肉体的にはたいへんな疲労だった。


3000.8.19
 日本の道路はどこまでも平らだ。これは当たり前のことだが、実はすごいことだ。かけ過ぎというくらいに金がかかっている。きょうはすいすいと意味もなく車を走らせた。そして、久しぶりにハンバーガーなんぞを買いにドライブスルーに入った。買って道路に出ようとした時にエンジンが切れ、そのままエンジンがかからなくなった。それにしても迷惑なところに停まったもんだ。参ったな。と困っていたのだが、よく見ると目の前にガソリンスタンドがあるではないか。駆け込んで事情を説明すると、軽トラですぐ来てくれて、ケーブルをつないでエンジンをかけてくれた。なんてラッキー。バッテリーがもうだめですね。ということだったので、新しいのをつけてもらった。あ、来月車検だったな。愛車には10年乗っているが、買い変える予定はない。
 カンボジアの赤茶けた穴ぼこだらけの道で、ぎゅうぎゅう詰めのバスの中の僕らは、これでもかという揺れのため天井に何度となく頭をぶつけた。道路行政なんてこれっぽっちも感じられない。というよりも、政治や行政の影がどこにもみられないような国で、それでも人々は一見のんびりと穏やかに生きているのである。だが、内戦による痛手が癒えたとはいえないだろう。街では、片腕や片足のない人々や物乞いをずいぶん見かけた。
 2週間、風呂にも満足に入れないような生活をした。のどが乾いて乾いてしかたなかった。夜も暑くて眠れず、何十か所蚊に刺されたかわからない。それなりに楽しく、いや十分楽しく過ごしてきたのだが、それでも、あとには重いものが残った。
 貧しい中でも元気にやっているとか、希望があふれているとかいうのは、去年ベトナムで感じたことだ。だが、今回の旅では、そんな生易しいことはいっていられないと思った。
 貧しさは、解消されなければならない。だけど、人々が何を求めているのかを知らずに、援助もボランティアもない。NGOが、世界を変える大きな力になり得ることを感じた。選挙や政治活動にたよらなくても、政治を動かす勢力になり得る。けど、NGOは難しい。目がお上でなくて本当に民のほうを向いているかどうか、一人一人が判断しないといけない。そして、横のつながりをどれだけつくっていけるか…。
 旅の途中でメールをくれた方々にはほんとうにありがとうございました。どういう形で旅の報告をしようか。今はまとまっていません。写真もできましたが、なぜか満足のいくものは撮れませんでした。いずれ、HP上でお返しができればと思っています。