12月の日記


3000.12.29
 まどろっこしい表現に自分自身嫌気がさすこともある。でも、言葉って自己完結するものじゃないとずっと考えてきた。言いたいことを言ってしまって終わり、ではなく、言いたいことが相手に伝わって初めて言葉は意味をもつ。だとしたら、相手が聞くだけの100%受け身ではいい状態とはいえない。聞いた人がそれを噛み砕いて飲み込んで自分の糧として取り入れる。それだけの猶予をもたせないと。うまいかどうかを判断するのは常に相手の方なんだからね。いつも流動食じゃつまらないよ。 
 偶然テレビで耳にした言葉。「神様は乗り越えることができる人にしか試練を与えない」のだそうだ。苦しいか。楽しいか。今は試練の時かどうか。幸せ、不幸せ?ここ数年そんなことは判断がつかなくなっている。いい時がくれば悪い時もくる。だが、いい時だからといって全てがうまくいくとはかぎらない。いろんな角度から見れば、同じものでも違った光りかたをする。いつでも陰の部分と対峙する努力が必要なのではないだろうか。汚い部分嫌な部分と逃げずに向き合える人こそが、試練を乗り越えて成長していける人なのだろう。
 西暦3000年の旅ももう終わりに近づいた。この1年間日記をつけてきたことがよかったのかどうか。実をいうとよくわからないのだけど…。(正確に表現すれば、日記をつけること自体はよかったんだけど、それを公開したことがよかったのかどうかはよくわからない)この日記はあくまでも個人の「日記」であって、これが自分のやりたいことじゃない。たしかに読んでくれた人たちからいろいろなメッセージをもらったことで励まされたことは多かったし、生きる希望もわいてきたことは事実で、その点感謝でいっぱいだ。しかし、この1年僕はいったい何をしてきたのかというと…、空っぽだったんじゃないかなあと。
 考えることが目的ではなく、何かを成すために考えるのだろうと思う。
 というわけで、きょうで「西暦三○○○年 まるゆの日記」は終了します。これまで御愛顧ありがとうございました。また僕は明日から旅に出ます。この次は記念すべき21世紀最初の年、2001年の日本から発信します。どちら様にもよい新世紀が訪れることを心からお祈りいたします。
      宇宙のエレベータで
  ずっとずっと空高く上がっていって
  ずっとずっと高いところから下を見ると
  地球はすでにひとつの黒い点となり
  その点にびったりとはりついて
  だぶついてがちゃがちゃやってる
  無数の生き物なんてものは
  いるのだかいないのだかもわからない
  それでもずっとずっと下がっていくと
  たしかにそこには僕らの美しい星があって
  木やら草やら獣やらが
  それぞれけなげに
  せいいっぱい暮らしている
  宇宙のエレベータで
  上がったり下がったりしながら地球を見れば
  生き物の心にはそれが
  冷たく感じられたりあったかく感じられたりする
  そしてきっと
  いちばんちょうどよい高さのところに
  いちばん平和な空の国があって
  みんなで仲よく地球を眺めているのだ
  だから僕らは夏がこようと冬がこようと
  思うぞんぶん
  地球を跳ね回ることができる
  どんなに苦しい夜もつらい朝も
  乗り越えていくことができる
  あんなに遠くはてしない宇宙の闇も
  いつでもそばにいるだれかの愛も
  このエレベータでつながれているんだから


3000.12.28
 きょうもたいして何もしない。3時間くらいはキーボードたたいてたかな。これもひとつの生産かな。誰の耳にも残らず消えてゆく泡沫のようなものかな。
 カンボジアでは三期作なんかが行われていて、トラックの荷台から見ていると、ここでは田植えの真っ最中なのにすぐ先の田んぼでは稲刈りしてるなんてことをよく見かけた。そして、稲刈りの田んぼではみんな興奮して、通りかかると騒いで僕らに手を振るのだった。命の糧を得る収穫の喜びというのはそれほど大きなものなのだろう。昔は日本でも普通に見られた光景だったはずだ。さんさ踊りだってもとはそういう踊りだよね。
 この百年で日本の風景は一変した。日本からはもうそういうアジアの匂いは失われてしまったのだろうか。もはや生産が命と直結する実感は薄れてしまった。農業を粗末にしてきた我が国。だが、時代が変わっても全てのプロダクツは僕らの命を養うためにあるはずだ。生まれては消える、それだけではないと信じたい。
    鹿    村野四郎
  鹿は 森のはずれの
  夕日の中に じっと立っていた
  彼は知っていた
  小さい額が狙われているのを
  けれども 彼に
  どうすることが出来ただろう
  彼は すんなり立って
  村の方を見ていた
  生きる時間が黄金のように光る
  彼の棲家である
  大きい森の夜を背景にして 
        「亡羊記」(1959)より


3000.12.27
 ずいぶんとのんびりしたもんだ。今年の仕事が終わってみれば部屋ではだらけてばかりで、やろうと思っていたことのひとつも満足には済んでいない。いまジョニ・ミッチェルのライブを見ながらビールを飲んでいる。彼女の描く絵には一枚一枚味がある。ステージにそれらの絵があしらわれているなんて素敵じゃないか。英語がもっともっとできたならいい。そしたら詩を直接感じることができるのに。アメリカのミュージシャンの中ではプリンスと並んで一番好きだな。詩がわかったらジョニはもっと好きになるだろう。プリンスは逆に嫌いになるかもしれない。
 350ml缶の半分で苦しくなる。おそらく今年最後のビール。こんなにうまくなかったっけ、ビールって。
僕はもう酒は一生飲まなくても構わないような気がしてきた。
 高校時代の化学の先生は宮澤賢治の研究家で、授業中にヴァイオリンを弾いて聴かせてくれたり、賢治の作品に出てくる宝石や結晶を見せてくれたりした。理科なのか国語なのか、音楽なのか美術なのか、なんなのかわからない授業だった。この、枠をはみだしてるってことが重要だ。既成の枠におさまっているなんてそれだけで興醒め。20世紀の学校スタイルしかも日本の。そんなの蹴散らした彼の授業が好きだった。その先生は、賢治は全世界で500年に1人出現するかどうかの天才だと言った。その彼を生んだ同じ土地に生きることを誇りとせよと言った。現在その先生はある楽団の主宰をしている。
 枠を蹴散らそう。既成のカテゴリーにこだわる必要はない。賢治の詩を詩と呼んでしまうのには抵抗があるのだが、便宜上やっぱり詩ということになるのかな。心象スケッチはスケッチだから、絵なんじゃないかな。いやもしかしたら音楽…?だからもうよそうって。なんでもいいじゃないか。
 なんなのかわからないけど胸を打つもの、僕らにはそれだけが必要なんだ。
     春と修羅(mental sketch modified)      宮澤賢治
  心象のはいいろはがねから
  あけびのつるはくもにからまり
  のばらのやぶや腐植の湿地
  いちめんのいちめんの諂曲(てんごく)模様
  (正午の管楽よりもはげしく
   琥珀のかけらがそそぐとき)
  いかりのにがさまた青さ
  四月の気層のひかりの底を
  唾(つばき)し はぎしりゆききする
  おれはひとりの修羅なのだ
  (風景はなみだにゆすれ)
  砕ける雲の眼路(めぢ)をかぎり
   れいろうの天の海には
    聖玻璃(せいはり)の風が行き交ひ
     Zypressen※    春のいちれつ
      くろぐろと光素(エーテル)を吸へば
       その暗い脚並からは
        天山の雪の稜(りょう)さへひかるのに
         (かげろふの波と白い偏光)
        まことのことばはうしなはれ
       雲はちぎれてそらをとぶ
      ああかがやきの四月の底を
     はぎしり燃えてゆききする
    おれはひとりの修羅なのだ
    (玉随の雲がながれて
     どこで啼くその春の鳥)
    日輪青くかげろへば
      修羅は樹林に交響し
       陥りくらむ天の椀から
        雲の魯木※(ろぼく)の群落が延び
         その枝はかなしくしげり
        すべて二重の風景を
       喪神の森の梢から
      ひらめいてとびたつからす
      (気層いよいよすみわたり
       ひのきもしんと天に立つころ)
  草地の黄金(きん)をすぎてくるもの
  ことなくひとのかたちのもの
  けら※をまとひおれを見るその農夫
  ほんたうにおれが見えるのか
  まばゆい気圏の海のそこに
  (かなしみは青々ふかく)
  Zypressen しづかにゆすれ
  鳥はまた青ぞらを截(き)る
  (まことのことばはここにはなく
   修羅のなみだはつちにふる)
  あたらしくそらに息つけば
  ほの白く肺はちぢまり  
  (このからだそらのみぢんにちらばれ)
  いてふのこずゑまたひかり
  Zypressen いよいよ黒く
  雲の火ばなは降りそそぐ
         「春と修羅(第一集)」(1924)より              
                        ※Zypressen    イトスギ。  
                              ※魯木 蘆木。古生代石炭紀の隠花植物でトクサ類。

                              ※けら 南部地方の方言で蓑のこと。
     


3000.12.26
 岩手山青年の家で合宿に引率者として参加し、夜7時頃帰宅した。遠征での宿泊というのは以前もあったが、純粋な「合宿」というものは初めてだった。コーチや保護者は朝に来て夜帰るという感じで、生徒と4日間寝食を共にしたのは僕一人であった。二百名を越えると一晩でもハードだが、十数名の引率というのは精神的にゆったりとできた。食事も三食規則正しく、バランスのいいものをとることができた。それに、外では吹雪いていたが館内は半袖でもいいくらい暖かかった。おかげで体調がすこぶるよくなった。そして、空いている時間を使って仕事を思いがけず進めることもできた。これもラッキー。
 子供達はほんとにバレーが好きで一生懸命練習していた。コーチもコーチですごいバイタリティだ。こんなコーチと出会えるなんて彼らは幸せだとつくづく思う。僕はこれほど好きなものに出会ってないんではないかなと思ってしまった。
 帰宅してみると部屋は冷えきってるし、喰うものすらない。さびしさも一入である。
       お父さんの出張報告     野長瀬正夫
   むかし、道は人のためにあった
   いまは、道は車のためにある
   人は車をよけながら
   道路のはしを歩かねばならぬ
  こんな前おきをして、
  出張先から帰ってきたお父さんが
  ぼくとお母さんに話すには―──

  仕事が 予定より一日はやくかたづいたので
  久しぶりに ふるさとの村をたずねてみたが
  むかし、道ばたの木かげで弁当をひろげ、
  ひと休みして また歩いた道、
  そんな道は もうなくなっていた
  わらじばきで てくてく歩いた石ころ道が
  二車線にひろげられ、鋪装されて
  車や、バスや、トラックが
  ひっきりなしに走っていた
  でも、山と空だけは
  まだむかしのままだった
  すきまもないほど星をちりばめた
  プラネタリウムのような夜空を見てきたよ
  銀河もはっきり見えたし、
  流れ星がスーッと
  青い尾をひいて飛ぶのも見た
  うすよごれた都会の空では
  星は かぞえるほどしか見えないが
  ほんとうは 空いちめんに出るものなんだ
  いくら公害国日本でも
  駅から百キロもはなれた山あいの空までは
  スモッグや排気ガスも 手がとどかないようだ
  だから昼間の空ときたら、
  いまにも熱帯魚がひらひら泳ぎだしそうな
  ウルトラマリン(紺青)の青天じょうだった……
  
  お父さんは そういって
  なにかを追いもとめるように
  目をとじ、口をつぐんだ。
              「小さなぼくの家」より



3000.12.21
 考えなくていいなんてことを考えてたところを見ると、きのうはまだ本調子でなかったらしい。やっぱり人間である以上考えることをおろそかにしてはいけない。
 きょうはずいぶん仕事したという感じだった。ノーマルな一日ではあったけど、快い疲れが残った。いよいよあと1日を残すのみとなった今学期。本当にお疲れ様と自分に言いたい。とはいえ、今年の仕事が終了なわけではない。あすの晩から泊りがけで忘年会。次の日から三泊四日でクラブの合宿がある。帰宅するのは26日の晩になる予定である。
     わたしが一番きれいだったとき  茨木のり子
  わたしが一番きれいだったとき
  街々はがらがら崩れていって
  とんでもないところから
  青空なんかが見えたりした

  わたしが一番きれいだったとき
  まわりの人達が沢山死んだ
  工場で 海で 名もない島で
  わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった

  わたしが一番きれいだったとき
  だれもやさしい贈物を捧げてはくれなかった
  男たちは挙手の礼しか知らなくて
  きれいな眼差しだけを残し皆発っていった

  わたしが一番きれいだったとき
  わたしの頭はからっぽで
  わたしの心はかたくなで
  手足ばかりが栗色に光った

  わたしが一番きれいだったとき
  わたしの国は戦争で負けた
  そんな馬鹿なことってあるものか
  ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた

  わたしが一番きれいだったとき
  ラジオからはジャズが溢れた
  禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
  わたしは異国の甘い音楽をむさぼった
 
  わたしが一番きれいだったとき
  わたしはとてもふしあわせ
  わたしはとてもとんちんかん
  わたしはめっぽうさびしかった

  だから決めた できれば長生きすることに
  年とってから凄く美しい絵を描いた
  フランスのルオー爺さんのように
                ね
           「茨木のり子詩集」より



3000.12.20
 腹痛もだんだんとやわらいできて、給食もおいしくいただくことができた。健康とはありがたいものよ。感謝の心を、僕は忘れていたよ。夜にはすっかり痛みも消えて、スパーの弁当食べました。ほほ。そうしてなぜだか机の上を片付け始めて、おかげで山の高さが半分にまでなった。ふ。感謝、感謝。ゴミをこれだけ溜められるというのも才能のひとつよの。なんで?ひひひ。それにしてもさ、体のどこにも痛みがないって、快感だったりして。へへへへ。ありがたや、ありがたや。ふはは。思わず体温を測る。35.9℃。うーん。オレこんなに平熱低かったっけ?ちゃんとしたもん喰ってないと、低体温になるのかもしれませんな。子どもといっしょだね。
 しかし今回熱にうなされてよくわかったのだけれど、うなされているときってのは、頭の回路によけいな電流が流れっぱなしになるんだね。ぐるぐるとムダに脳細胞を信号が右に左に行ったり来たりしていたよ。おかげで10時間寝たなと思って目覚めるとまだ1時間しか経ってないなんてことになったのだ。具合悪いから朝は来ないほうがいいんだけど、それでも気持ちのいいもんではなかったな。頭の中は考えることって最小限でいいな。流れる電気はちょっとだけでいいよ。風邪じゃなくても、熱に浮かれているような状態になることはある。でもそれはいいもんじゃないや。もっと冷静に脳の活動ができるようにしたいもんだ。ふだんからもよけいなことは考えないようにしたほうがいいのかな。ひらめきこそが大切で、大切なひらめきを書き留めておくほうがよっぽどいいのかもしれないと思った。
    ひからびた心   中原中也
  ひからびたおれの心は
  そこに小鳥がきて啼き
  其処に小鳥が巣を作り 
  卵を生むに適してゐた

  ひからびたおれの心は
  小さなものの心の動きと
  握ればつぶれてしまひさふなものの動きを
  掌に感じてゐる必要があつた

  ひからびたおれの心は
  贅沢にもそのやうなものを要求し
  贅沢にもそのやうなものを所持したために
  小さきものにはまことすまないと思ふのであつた

  ひからびたおれの心は
  それゆゑに何はさて謙譲であり
  小さきものをいとほしみいとほしみ
  むしろその暴戻を快いこととするのであつた

  そして私はえたいの知れない悲しみの日を味つたのだが
  小さきものはやがて大きくなり
  自分の幼時を忘れてしまひ
  大きなものは次第に老いて
  
  やがて死にゆくものであるから
  季節は移りかはりゆくから
  ひからびたおれの心は
  ひからびた上にもひからびていつて

  ひからびてひからびてひからびてひからびて
  ―──いつそ干割れてしまへたら
  無の中へ飛び行つて
  そこで案外安楽に暮らせるのかも知れぬと思つた
                      (1937)



3000.12.19
 きょうは結局午前中年休をとってしまいました。早朝からまた熱が出てきて寝汗をかいて、7時ころには吐き気も催して、おまけに下痢と腹痛で、冷や汗びっしょり、こりゃだめだと思いました。で、寝返りをうったら背中を変にねじってしまい、心臓の裏あたりがいつまでも苦しかったです(これが一番つらかった)。で、午後から出て三者面談を無事こなして、ラーメン食って帰宅したというわけです。夜にはずいぶん楽になりましたが、何か食べるとすぐ腹が痛くなってしまうのが困ったものです。明日はきっと大丈夫だと思います。いやはや、今世紀最後の風邪には参りましたよ。
    猫      萩原朔太郎
  まつくろけの猫が二疋、
  なやましいよるの屋根のうへで、
  ぴんとたてた尻尾のさきから、
  糸のやうなみかづきがかすんでゐる。
  『おわあ、こんばんは』
  『おわあ、こんばんは』
  『おぎやあ、おぎやあ、おぎやあ』
  『おわああ、ここの家の主人は病気です』
         「月に吠える」(1917)より


3000.12.18
 風邪を引いてしまい、無表情に腹痛を我慢して、3組の授業では終了3分前、挨拶もしないで教室から逃げ帰ってきた。あすちゃんと謝罪する。もう体を信用してはいけない。病いを宿す存在。いつ発現するかわからぬものなり。病気とうまくつきあうことが大切ですね。僕はいままで気さえ張ってれば風邪は引かないと思い込んでいました。でも、これからは、いつ、どんな病気が出るかわからない。脳卒中。胃潰瘍。心臓発作。胸がとかとかするんです。心臓が止まっても仕方ありません。頭がずきずきするんです。血管が切れても仕方ありません。それだけのことをしてきたんですから。
    木   高良留美子
  一本の木のなかに
  まだない一本の木があって
  その梢がいま
  風にふるえている。

  一枚の青空のなかに
  まだない一枚の青空があって
  その地平をいま
  一羽の鳥が突っ切っていく。

  一つの肉体のなかに
  まだない一つの肉体があって
  その宮がいま
  新しい血を溜めている。

  一つの街のなかに
  まだない一つの街があって
  その広場がいま
  わたしの行く手で揺れている。
       「見えない地面の上で」より



3000.12.17
 朝からだるい。少し熱もありそうだ。関節痛、そして悪寒。こりゃ風邪だ。あと一週間あるのに、そしてそのあとは合宿もあるのに。夕べ久しぶりに風呂に入ったんだ。湯舟の中でしばらく眠った。そのせいかな。午後から部活がある。どうしよう。
 部屋の中にはゴミが増えてきた。片付けなければ。仕事もたまっている。でもこれじゃしょうがない。あ、ヒーターの灯油が切れた。買ってこなくては。ああ寒いなあ。外はいい天気。放射冷却現象。だから寒い。
 くだらねえ日記。停滞してる。生あくびばっか。言葉の世界から遠ざかってゆく。悪い空気の中で夢を見る。今朝も5時に起床して、音楽の世界で遊びました。
    新しい人    佐藤伸治
  夜明けの街まで 歩いていったら こんなにもきれいなんだね
  何もない グルッと見回せば イライラも 歯がゆさも
  
  音楽はなんのために 鳴りひびきゃいいの
  こんなにも静かな 世界では
  心ふるわす人たちに 手紙を待つあの人に
  届けばいいのにね
  
  驚きの顔 しみわたる声 飛び交う歌
  ホラ こんなに伝えたいのに ねえ
  
  新しい人 格好悪い人 呼んで 呼んで 呼んでよ
  やさしい人 みっともない人 呼んで 呼んで 呼んでよ
  
  夜明けの海まで 歩いていったら どんなに素敵なんだろうね
  何にもない グルッと見回せば 何にもない 何にもない
                「空中キャンプ」(1996)より
                                                  渡航   
                                        フライトレコーダーが回収されましたって
ニュースで言ってる
海に沈んだあの人たちは
笑顔も苦しみも一つになって
見えない塊になってしまった

恐竜図鑑を抱えて一人旅に出た少年が
最後に考えたこと
どうして絶滅しちゃったのかってさ
ページを繰っては窓の外を覗き込んでた

あたたかい国で年をとろうか
冷たい人たちから顔を背けてさ
うまいもんばかり食べ続けるさ
涙の海に溺れないようにさ



3000.12.16
 橋本一子は素敵だ。女性ミュージシャンの中で一番かっこいい。クラシックからジャズ、ポップスまで、ピアノもギターも何でもやっちゃう。ジャンルなんてない。「ミュージック」として全部つながってる。こういうスケールの大きなミュージシャンがもっと活躍できればいいのに。
    こもりうた    橋本一子
  やさしくて すこし冷たい あなたの言葉は
  悲しくてすこし痛い あなたの心が
  にじんで 溶け出しているのでしょう

  強くて すこし弱いあなたのまなざしに
  苦しくて すこし切ないあなたの想いが
  にじんで 溶け出しているのでしょう

  悲しみも 喜びも 夢の中ではおなじ言葉
  静かな心で すこしだけ眠れるように

  冷たくて すこし凍ったあなたの心を
  白くてふわふわで柔らかな生き物のぬくもりで
  あたためてあげましょう
  
  何にもわからないままに いつまで生きたらいいの
  つかまえれば逃げてゆく
  言葉も 心も ここにある

  いつでもそばにいて いつでも遠くにある
  気づくか気づかないくらいのやさしさで
  あなたに わたしに あの人に 触れるように
  ねむりなさい…
    「UNDER WATER〜水の中のボッサ・ノーヴァ」(1994)より



3000.12.15
 ある治療施設の先生からお話をきく機会があった。1時間ちょっとの講演だったが、ひとつひとつ示唆に富んでいて、とても感激した。この先生には僕が前任校にいたときにもお世話になっていて、5、6年ぶりの再会だった。その頃は若くてなんの働きもできなかったので、名前を覚えていてくれたことがうれしかった。
 本当の優しさって何なんだろうってあらためて考えさせられたよ。相手のこころを受け止めるって訓練がいることなんだよね。僕はちょっとサボってたよな…。一番衝撃だったのは「街のほっとステーション」がどうしてローソンになっちゃったのかって話。施設の子どもが週末に家族のもとに帰る。そして、最寄りのコンビニでフライドポテトを買って食べるときが、「家に帰った」って実感できる時だ、なんて。講演会から帰ってきてニュースを見たら、コニシキ離婚だって。ショックだな。…現代の親子とか夫婦とかって、ほんとに成り立ってるんだろうか?親子や夫婦のつもりでいながら、実はなんもつながってないんじゃないか。
 ほんとは夫婦でもなんでもない男女が子どもつくって、親のふりしてる。だから、育てる気なんてない。うるさかったら殴るんだ。お湯かけるんだ。ごはんあげないんだ…。時代が変わっている時だから、今までのサイクルの世代交代には無理が生じているのかな。若くして結婚して破綻するのはそのため。もちろんうまくいっている人たちのほうがずっとずっと多いんだろうけど。家をつくる資格のないやつもいっぱいいる。もちろんつくってからともに成熟していくことは大事。でも、せっかちになってる男と女が増えてるんじゃないかと思う。僕はまだ親になる資格がないと思っているから、まだ結婚する意志はない。もっとちゃんとした人間になりたい。何年かかってもいいから。もし一生かかってなれなければ、それはそれでしかたない。すごく、ぐるぐると最近頭の中で渦巻いていたことだけど、書いてしまいました。御先祖様には申し訳ないんだけどね。
    空気    まど・みちお
  ぼくの 胸の中に
  いま 入ってきたのは
  いままで ママの胸の中にいた空気 
  そしてぼくが いま吐いた空気は
  もう パパの胸の中に 入っていく
  
  同じ家に 住んでおれば
  いや 同じ国に住んでおれば
  いやいや 同じ地球に住んでおれば
  いつかは
  同じ空気が 入れかわるのだ
  ありとあらゆる 生き物の胸の中を
  
  きのう 庭のアリの胸の中にいた空気が
  いま 妹の胸の中に 入っていく
  空気はびっくりぎょうてんしているか?
  なんの 同じ空気が ついこの間は
  南氷洋の
  クジラの胸の中に いたのだ
  
  5月
  ぼくの心が いま
  すきとおりそうに 清々しいのは
  見わたす青葉たちの 吐く空気が
  ぼくらに入り 
  ぼくらを内側から
  緑にそめあげてくれているのだ

  一つの体を めぐる
  血の せせらぎのように
  胸から 胸へ
  一つの地球をめぐる 空気のせせらぎ!
  それは うたっているのか
  忘れないで 忘れないで…と
  すべての生き物が兄弟であることを!



3000.12.14
 アメリカは変わった国だ。民主主義って何なんだ。日本はアメリカにとっては51番目の州なのだという。韓国が52番目だそうだ。世界征服を目論むというと、ショッカーを思い浮かべてしまうのだが、世界政府を樹立させるというと、平和の極致のイメージもある。国境なんか、取り払ったほうがいいに決まってる。しかし、60億の人間をどうにかまとめるというのは途方もなく難しい。アメリカには無理だな。
    コレガ人間ナノデス   原民喜
  コレガ人間ナノデス
  原子爆弾ニ依ル変化ヲゴラン下サイ
  肉体ガ恐ロシク膨張シ
  男モ女モスベテ一ツノ型ニカヘル
  オオ ソノ真ッ黒焦ゲノ滅茶苦茶ノ
  爛レタ顔ノムクンダ唇カラ洩レテ来ル声ハ
  「助ケテ下サイ」
  ト カ細イ 静カナ言葉
  コレガ 人間ナノデス
  人間ノ顔ナノデス
          「原民喜詩集」より


3000.12.13
 毎日勉強することばかり。いまだに第一課が終わらない。
        魂病み    川崎洋
  すぐに
  治りますよ
  お医者さんの真似で
  書斎のわたしの椅子に
  ちょこんと座った繁樹が
  開口一番こう言った
  弟の直樹はその前で
  神妙にしている
  わたしは
  二人の孫のかたわらで
  まごまごしている
  すぐには治らなかったな
  中学生のころ病んでいたわたしの魂は
  それに
  病んでいたことに気がついたのは
  相当あとになってからだった
  この間から
  昭和二〇年の日記にこだわって
  いまも読み返していたところ
  おじいさんはね
  軍国少年だったんだよ
  ばりばりの


3000.12.12
 ニュースを見て腹立たしくなった。どのニュースということはない。出るニュース出るニュースいちいち腹立たしい。オレはこんな国に住んでいる。こんな国に住んでいるんだよ。情けない!
 きょうはずいぶんな一日だった。こんなに頭がぐちゃぐちゃすれば、それだけ物事は解決に向かう、なんて幻想をまだ抱いてるのは誰だ?僕だ。僕が書いた詩を紹介します。「珠玉の詩編」ではありません。ここらでひと休みです。5年前ある賞に応募したものでした。応募者全員の作品が冊子になって送られてきました。もちろん入選などしていません。僕が山に住んでいた頃のものです。森の中にぽつんといたら、ほんとに、声が聞えたような気がしたのです。その頃僕は樹木の種類を20種類くらいは区別することができたんですよ。もう忘れてしまったと思いますが。選者の一人が一行だけコメントをつけてました。最後の一行の気持ちを大事にしたいと、そんなようなことでした。いろんなところからパクってたことが、後になってわかりました。その時は、オリジナリティあふれる作品だと自画自賛してたのですが。
    声       
  夏の日僕は樹々に抱かれて
  ひとり人生について考えていた
  あるいは
  幻想とよべるものだったかもしれない
  
  最も暑かった夏…
  だが森はどこかひんやりとしていて
  太陽が樹々の葉に隠されると
  何度か乾いたくしゃみが出た

  腐葉土の地面は足を踏むたび柔らかく
  あたりには
  甘く心地よいにおいがひろがっている
  名も知らぬ鳥のさえずりと
  清冽な川のせせらぎ
  ここには無数のたましいの気配がある
  
  昔ここで人々は
  おおらかにそして自由に
  暮らしを営んでいたにちがいない
  季節はときに恵みにみちて優しく
  またときに白く鋭い刃(やいば)をみせた
  その中で彼らは生き続けた

  それからどれくらい
  樹々が生まれ変わったのだろう
  ミズナラの葉の刻みを眺めながら
  オニクルミの木漏れ陽を浴びながら
  その人たちは何を考えていたのだろう

  笑顔と祈り
  繰り返された愛
  
  語り伝えたかった物語を
  歌い継ぎたかった歌を
  今僕にきかせて
  この僕の体の奥底深くに眠る
  どこまでもまじめに生きた
  あなたがたの証しを
  今僕にきかせて

  どれくらいの時間か
  僕はじっと目を閉じて
  耳を澄ましていた

  ───青空
  ───積乱雲
  ───ときおり強く南の風
  
  そのとき僕は数限りない息づかいに囲まれ
  憑かれたように少し興奮して
  僕自身の生きる意味を
  かすかに感じた

  モリヲ、アユミタマヘ───

  この川の源流の
  できるだけ近くまで遡ってみよう
  巨大な倒木を踏み越え
  地面をすきまなく覆った蕗の海を漕いで
  ゆっくり一歩ずつ進んでいこう

  あちこちに落ちている
  僕のかけらを拾い集めながら



3000.12.11
 ガス栓が緩んでいてガスが漏れていた夢を見た。テレビをつけたらガス爆発のニュースだった。少年たちがカセットコンロのガスを吸っているときに、その中の誰かが火をつけたらしい。なんて恐ろしい…。
 ああ、眠いや。あとの仕事は明日にします。
    ゆずりは      河井酔茗
  こどもたちよ、
  これはゆずりはの木です。
  このゆずりはは
  新しい葉ができると
  入れ代わって古い葉が落ちてしまうのです。

  こんなに厚い葉
  こんなに大きい葉でも
  新しい葉ができると無造作に落ちる、
  新しい葉にいのちを譲って───。
  
  こどもたちよ、
  おまえたちは何をほしがらないでも
  すべてのものがおまえたちに譲られるのです。
  太陽のまわるかぎり
  譲られるものは絶えません。

  輝ける大都会も
  そっくりおまえたちが譲り受けるものです、
  読みきれないほどの書物も。

  みんなおまえたちの手に受け取るのです、
  幸福なるこどもたちよ、
  おまえたちの手はまだ小さいけれど───。

  世のおとうさんおかあさんたちは
  何一つ持っていかない。
  みんなおまえたちに譲っていくために、
  いのちあるものよいもの美しいものを
  一生懸命に造っています。

  今おまえたちは気がつかないけれど
  ひとりでにいのちは伸びる。
  鳥のように歌い花のように笑っている間に
  気がついてきます。

  そしたらこどもたちよ、
  もう一度ゆずりはの木の下に立って
  ゆずりはを見る時がくるでしょう。
               「花鎮抄」より



3000.12.10
 どんよりとした雨の休日。朝からテレビを見ていた。20世紀にやり残したことって何ですか。いっぱいあるが、かといって次の世紀に実現できるかはわからない。だが、必ず果たされなければならないことはあるだろう。そういえば今は30世紀末だった。今は世の中が不易を忘れて、流行に流されているだけ。人間のこころの奥底にあるものは1000年たったって変わりゃしないんだよ。
 世の中がカウントダウンを唱える中で、僕はのろのろと暗い部屋を片付ける。今世紀中なんて言葉は、バブルがはじけちゃってから信用できなくなった。教室で、あの頃の異常なお祭り騒ぎをいくつか語って聞かせた。面接の新幹線代を会社が全額負担したとか、入社式をディスコでやったとか。子供達は呆れたという表情で聞いていた。君たちのような新しい人たちが、新しい時代をつくっていくのだ。冬来たりなば春遠からじ。もうすぐ苦しい時代は過ぎるから。そして君たちが社会に出る時にはきっとよくなってるから。
 矢野顕子のアルバム「オーエスオーエス」に収められている曲。ちょうどその頃、レンタルレコード屋が出始めで、僕も初めてこのアルバムを借りてきた。今まで小遣いをためて買っていたレコードアルバムを、たった数百円で借りてしまうことに、いつまでも罪悪感を拭いきれなかったことを思い出す。
     素顔      井坂洋子
  服のように
  簡単に顔をぬげなくて
  苦しい

  声をかければ 楽になるが
  瞬間に
  逃げてしまうだろう
  気持ちをこらえて

  目を中心に
  ものすごい速さで混み合う 
  あなたの表情を
  両手で支え 
  くるしんでいるうちに
  呼吸をするように
  ふっと
  素顔になる

  目を閉じる
  しきりに何か降ってくる
  真昼
          「GIGI」(1983)より



3000.12.9
 家を出たい子供が多い。衝動的に家出を口にするかれらは、潜在的に、いつも家にいたくない。泊まりに来るって?冗談じゃない。〜home sweet home〜やっぱり家がいちばん。そう思わせなくちゃ。
 キーボードの前に座って、鍵盤をてきとうに叩いていると、瞬間的に曲ができあがることがある。脳と指先が100%つながりさえすれば、曲になる。僕の場合は、脳と指先の間の障害があまりにも多すぎる。それを取り除いてこなかった怠慢を、技術は許してくれるだろうか。これは、何年か前に作った曲。
 きょうの詩は、ベトナム戦争に対する静かな抗議の歌。谷川俊太郎が武満徹のところに詩をもってきて、一晩で曲ができたのだという。反戦集会で発表されたのが1965年のことだそうだ。石川セリのアルバム「翼〜武満徹ポップ・ソングス」の中には、ボサノバ調のこの曲が収められている。このアルバムは名盤だ。
    死んだ男の残したものは   谷川俊太郎
  死んだ男の残したものは
  ひとりの妻とひとりの子ども
  他には何も残さなかった
  墓石ひとつ残さなかった
 
  死んだ女の残したものは
  しおれた花とひとりの子ども
  他には何も残さなかった
  着もの一枚残さなかった

  死んだ子どもの残したものは
  ねじれた脚と乾いた涙
  他には何も残さなかった
  思いでひとつ残さなかった
  
  死んだ兵士の残したものは
  こわれた銃とゆがんだ地球
  他には何も残せなかった
  平和ひとつ残せなかった

  死んだかれらの残したものは
  生きてるわたし生きてるあなた
  他には誰も残っていない
  他には誰も残っていない
  
  死んだ歴史の残したものは
  輝く今日とまた来る明日
  他には何も残っていない
  他には何も残っていない
             (1960)



3000.12.8
 久しぶりにワインを一本あけた。気持ちよくなって騒いですぐ寝た。クリスマスのような気分だった。夜中目覚めたら吐き気がした。そして頭痛。…酒にはすっかり弱くなった。
 日記と、アンソロジーにはなんの整合性もない。どうにかして関係をもたせられるかとも思ったが、これはなかなか難しい。無関係なものどうしを結びつけて、何かを生み出すことは可能だ。しかし、微妙なバランスを保てなければ、美しくはない。
    生命       高橋新吉
       胡弓の音が聞える
 
       生命とは私一人のものではない
    私の生命などというものはない

  犬が水の中で泳いでいる
          「胴体」(1956)より



3000.12.7
 雪だ雪だ寒い寒いといいながらも子供達はよく遅刻しないで学校に来るもんだと感心した。マイナス5℃の旧体育館で顔を上げてちゃんとお話をきいている姿は立派だ。真っ白な息を吐きながらがたがた震えながらもまっすぐ前を向いてきいていた。体育館の暖房なんてこの村じゃ夢のまた夢。この間隣町の学校に練習試合に行ったら、体育館には暖房が完備されていて驚いた。悔しいかな自治体が違うとこうも違うのだ。新世紀を迎えるとはいえ教室の暖房は昔ながらの煙突付きの石油ストーブで、朝に日直がマッチで火をつける。中にはこれまで一回もマッチなど使ったこともない人間もいる。昨日は給油の当番がさぼったので、午後の授業の途中で灯油切れ。みんな少し寒い思いをした。今日あるクラスの給食当番がコロッケの入った食缶を手をすべらせてひっくり返した。コロッケは全部床に転がって、そのクラスはおかずが一品減った。気のきく女生徒3人が、せっせと後を片付けていた。その脇で、ひっくり返した張本人は声を上げて泣いていた。学校の日常はドラマにあふれている。そして、しかし、ドラマたちに埋もれて見えない日常というのもある。
    お礼       新川和江
  こころのありたけをかけて
  酬いられたことが 幾度あったろう
  それは ほんのかぞえるほど

  ただ 植えてあげた
  というだけのことなのに
  お水も忘れがちだったのに
  庭のシドミが
  この春つけて見せてくれた
  たくさんの たくさんの たくさんの
  蕾!
  
  とても
  いちどきにはお礼が言いきれなくて
  わたくしは どもってしまう
            「新川和江詩集」より



3000.12.6
 きょうも雪だった。きのう出るはずだった会合をすっぽかしてしまったことに、昼になってやっと気がついた。それほどまでに自分がぼけていることに腹が立った。僕自身とても楽しみにしていたのに、その日をすっかり忘れてしまっていたなんて。それに一晩たっても気づかなかったなんて。電話で謝った。本当に申し訳ありませんでした。受話器の向こうの斉藤さんの明るく優しい声で、僕は救われた。
    生命は       吉野弘
  生命は
  自分自身だけでは完結できないように
  つくられているらしい
  花も 
  めしべとおしべが揃っているだけでは
  不充分で
  虫や風が訪れて  
  めしべとおしべを仲立ちする
  生命は
  その中に欠如を抱き
  それを他者から満たしてもらうのだ

  世界は多分
  他者の総和
  しかし
  互いに
  欠如を満たすなどとは
  知りもせず
  知らされもせず
  ばらまかれている者同士
  無関心でいられる間柄
  ときに
  うとましく思うことさえも許されている間柄
  そのように
  世界がゆるやかに構成されているのは
  なぜ?
 
  花が咲いている
  すぐ近くまで
  虻の姿をした他者が
  光をまとって飛んできている

  私も あるとき
  誰かのための虻だったろう
  
  あなたも あるとき
  私のための風だったかもしれない
               「北入曾」(1977)より



3000.12.5
 一日中雪が降り続いて、外は真っ白になった。昼休みには、子供達が校庭で雪合戦をしていた。午後の日程が変更になって、掃除も部活もさせずに早々に帰宅させた。夜に大きな宅配便が届く。この間注文した折りたたみ自転車。なんてタイミングの悪い…。完全なる衝動買いだった。後悔してもしかたないけど。
 教師として生きるとはどういうことだろう。長い道のりだ。きょうも学ぶことがたくさんだった。僕がいつまでたっても気がつかないから、周りは業を煮やしてしまっていたようだ。気づくことを自分から避けていたのかと思う。それがすべてタイミングの悪さにつながっている。
 詩をいくつも読んでみて、おもしろくないものが多いような気になる。今欲している言葉がすぐに見つかることは少ないのだろう。もし気づくことを忘れないでいられれば、忘れた頃に気づけるのかもしれない。あるいは、本当のメッセージはいつも匿名で、遠回しに心に届けられているのだろうか。気がつくこともないままに、しかし確実に人を変えさせる。そんな力をもった言葉が、きょうも僕の頭上を飛び交っている。
    くらし       石垣りん
  食わずには生きてゆけない。
  メシを
  野菜を  
  肉を
  空気を
  光を
  水を
  親を
  きょうだいを
  師を
  金もこころも
  食わずには生きてこれなかった。
  ふくれた腹をかかえ 
  口をぬぐえば
  台所に散らばっている
  にんじんのしっぽ
  鳥の骨
  父のはらわた
  四十の日暮れ
  私の目にはじめてあふれる獣の涙。
                「表札など」(1968)より


3000.12.4 
 時折雪のちらつく寒い一日。雲間から真っ白になった岩手山がのぞいたりかくれたりしていた。火山活動は3年以上も続いており、楽しみにしていた夏山にも、しばらく登れないでいた。いつのまにか季節は秋を通りこし、冬になった。今年の秋、僕はこの街で夕暮れを見たことがあったろうか。見ないわけないじゃないか。でも記憶がない。きっと、何気ない瞬間はすぐに忘れてしまうんだろう。それは、書き留めようと思いつつも忘れてしまった世界一のフレーズのように、今はどこにもないけれど、その時には最も美しかった筈なのだ。
 このような一瞬をできるだけ書き留めていけば、一つの立派な地図になるだろう。それは力溢れるメッセージだ。本当のメッセージに宛先はない。誰もが目指すべき地の方角を指すのだ。
 なんの脈絡もなく、この詩である。一つの、規範という気がした。最後の一行が大いなるメッセージにきこえてくる。そういう涙を、とんと流すこともなくなった今の自分を少し情けなく思った。
    第一課―──ある「詩の教室」で   安西 均
  ある夜、テレビで観ました。遠い貧しい国の、飢ゑて
  しなびた子供が、自分の頬を伝ふ涙を舐めるのを
  まるで一滴(しづく)の塩水すら欲しがってゐるやうな小さな舌!
  で、床の広告ちらしを拾って、裏に書いてみました。
  近頃とんと書くこともなくなった、文字を一つ。
  ―――涙
  でも、文字一つでは何やらさびしくて、書き足します。
  ―――涙 一滴の海 
  だって涙はすこし塩っぽいものです。
  さて、涙と海を逆にしてみたら、どうなるでせう。
  ―――海
  と書いて、これも文字一つではさびしさうですから、
  ―――海 宇宙の涙

  みなさん、書くことですね、まづ。書きさへすれば、
  狭い紙の上にだって、凪(なぎ)も時化(しけ)もひろがってきます。
  あなたの想像力(イマジネーション)が目を覚ましたのです。
  また、水の惑星といはれる、涙ぐんだ地球も、
  無限に暗い宇宙のなかに、ぽつんと浮かんで見えてきます。
  その時、あなたの瞼には、自分でも不思議な涙が、
  しづかにわいてくるでせう。さうです、
  詩はペン先を涙に浸して書くものです。
                   「晩夏光」(1991)より



3000.12.3
 12月の雨の日。車を走らせていたら、前の黒い車の窓から、ガムの包み紙をべろべろと捨てているのが見えた。こういうやつもまだいるんだと珍しく感じながら、追突してやろうかとも思ったがやめた。珍しくはないのかもしれないけど、やめてくれないと困る。そういうやつは事故にでも遭えばいいと、いけないことを想像した。自己中で事故中。なんちゃって。
 親にパソコンを買ってやった。これからは、こういうのいじれなけりゃね。IT革命の波は、戦前生れにも及んでいるようである。慣れれば簡単だよ、がんばって。そういう僕も、機械をいじるなんて全くの苦手人間だ。コンピュータを覚えようなんていう気持ちはさらさらない。ただやりたいことができればそれでいい。そんなものぐさでも受け入れてくれる、そんな時代になった。これは喜ばしいこと。
 土日は音楽系で迫ってみよう。中島みゆきは、やっぱりすごい。ずいぶん前の話だが、高校時代の担任の家に泊まりに行った時に、中島みゆきのアルバムをかけてくれて、ちょっと意外な感じがした。詩人でもあるその先生は、実は僕の人生に大きな影響を与えているのだが、その頃には僕も中島みゆきが好きだった。
盛岡でのコンサートに行ったことを思い出した。
    ホームにて   中島みゆき
  ふるさとへ 向かう最終に
  乗れる人は 急ぎなさいと
  やさしい やさしい声の 駅長が
  街なかに 叫ぶ
  振り向けば 空色の汽車は
  いま ドアが閉まりかけて
  灯りともる 窓の中では 帰りびとが笑う
  走りだせば 間に合うだろう
  かざり荷物を ふり捨てて
  街に 街に挨拶を
  振り向けば ドアは閉まる
  
  振り向けば 空色の汽車は
  いま ドアが閉まりかけて
  灯りともる 窓の中では 帰りびとが笑う
  ふるさとは 走り続けた ホームの果て
  叩き続けた 窓ガラスの果て
  そして 手のひらに残るのは
  白い煙と乗車券
  涙の数 ため息の数 溜ってゆく空色のキップ
  ネオンライトでは 燃やせない
  ふるさと行きの乗車券

  たそがれには 彷徨う街に
  心は 今夜も ホームに たたずんでいる
  
  ネオンライトでは 燃やせない
  ふるさと行きの乗車券

  ネオンライトでは 燃やせない
  ふるさと行きの乗車券
       「あ・り・が・と・う」(1977)より



3000.12.2
 きょうはいい話をきいた。とても勉強になったよ。大人を莫迦にしちゃいけないね。続けるってことはすんごいことなんだよな。さて僕は何を続けようとしている?
 なぜか、夏なんです。言わずと知れたはっぴいえんどの名曲だ。松本隆の詩ってのは絵がくっきりしてると思うんだよね。冬だけど、読むと、夏の色が、空気が、甦ってくるんだな。今授業で枕草子やってるけど、あの第一段「春はあけぼの〜」とおんなじ。イメージをわかせる力が豊かなんだよな。もちろん細野さんの曲や歌声も大好きです。
    夏なんです   松本 隆
  田舎の白い畦道で
  埃っぽい風が立ち止る
  地べたにぺたんとしゃがみこみ
  奴らがビー玉はじいてる
  ギンギンギラギラの
  太陽なんです
  ギンギンギラギラの
  夏なんです

  鎮守の森はふかみどり
  舞い降りてきた静けさが
  古い茶屋の店先に
  誰かさんとぶらさがる
  ホーシーツクツクの
  蝉の声です
  ホーシーツクツクの
  夏なんです

  空模様の縫い目を辿って
  石畳を駆け抜けると
  夏は通り雨と一緒に
  連れ立って行ってしまうのです
  モンモンモコモコの
  入道雲です
  モンモンモコモコの
  夏なんです
        「風のくわるてつと」(1972)より 



3000.12.1
 今月のテーマは詩にした。だらだらとした言葉ではなく、研ぎ澄まされた言葉たちに触れたい。温故知新の精神からである。新世紀を前に、今世紀の珠玉の詩編とまっすぐに向き合ってみよう。そして、新しいステージへと進もうというのである。この一ヶ月で、覚悟を決めようと思う。 
   レモン哀歌      高村光太郎
    そんなにもあなたはレモンを待つてゐた
  かなしく白くあかるい死の床で
  わたしの手からとつた一つのレモンを
  あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
  トパアズいろの香気が立つ
  その数滴の天のものなるレモンの汁は
  ぱつとあなたの意識を正常にした
  あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
  わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
  あなたの咽喉(のど)に嵐はあるが
  かういふ命の瀬戸ぎはに
  智恵子はもとの智恵子となり
  生涯の愛を一瞬にかたむけた
  それからひと時
  昔山巓(さんてん)でしたやうな深呼吸を一つして
  あなたの機関はそれなり止まつた
  写真の前に挿した桜の花かげに
  すずしく光るレモンを今日も置かう
            「智恵子抄」(1939)より