い 「椅子」
 西洋はイスの文化といわれるが、椅子という言葉自体は漢語である。西洋は言うに及ばず、中国でも古くからイスを使うのが一般的だったのだろう。日本で椅子を「イス」とカタカナで書くことが多いのは、外国から入ってきた椅子が、椅子に座ることのない日本の文化を大きく揺さぶったことの名残ではないだろうか。正座という座り方が日本文化の象徴だとすれば、椅子は日本文化のあり方を大きく変えてきたものの象徴としてとらえることができるのではないだろうか。

 現代ではイスを使わない生活は考えられない。自分の生活を見回してみても、職場ではもちろんのこと、自宅でももっぱら椅子である。今のトロントの部屋にはカーペットが敷いてあるが、それでも下に座ることはめったにない。日本でもしばらく和室のないアパートに住んでいたことがある。今日本で立てられている一戸建て住宅の中には、畳の部屋が一つもない家も少なくないようである。

 正座をする機会はほとんどないが、いざしようとするとやはりきつい。たとえば、法事のとき長時間正座をしていると痺れが切れてしまう。自分の場合、それを過ぎるとやがて貧血状態に陥り目の前がくらくらしてくる。気分が悪くなり冷や汗をかいてその場に蹲ってしまい恥ずかしい思いをしたことも何度かある。ところが、カナダの生活では正座をしなければならない場面はまったくないので、その点ずいぶん楽ちんだ。今はいいが、いずれ帰国したときにはかなり苦痛に感じられるにちがいない。

 一昨年の秋、日本から学校に噺家の方たちが訪れて、特別に公演してくださったことがあったが、体育館の前方に和風のステージを設置しなければならず苦労した。そのときある方が、障子風のついたてと縦横1メートルほどの小型の畳幾枚かを貸してくださって、たいへんありがたかった。その方はトロントで外国人に日本文化を紹介する仕事に携わっているのだが、そこでは必ず着物を着用するそうである。着物を着て、畳に正座しながら、和の文化を紹介する。そうすることではじめて外国の方にとっても日本が身近に感じられるようになるのだろう。

 芸能、仏事、それに、武道、書道、華道など、古くから伝わっている日本文化には、畳や正座と切っても切り離せないものが多い。いくらカナダの地で公演するからといっても、まさか落語を椅子に座ってやることは考えられないだろう。椅子の生活によって日本人が忘れてしまっていることがたくさんある。しかも、ふだんは何かを忘れていることにすら気づくことなく生活を送っている。カナダにいてもテレビやインターネットで日本の情報はいくらでも入ってくる。だが、それらから日本文化が伝わってくると感じることは残念ながらない。ときどきでも、いや、たまにでも椅子から下りて床に正座をしてみれば、そこから忘れていた日本がふと思い出せるかもしれない。
(2005.4.3)