ろ 「蝋燭」

 こちらの住宅に引っ越してきてまず驚いたのは、照明器具が備え付けではないことだった。居間には小さなペンダントがひとつかかっているだけで、部屋の中がひじょうに暗かった。照明器具は自分たちの好きなものを自由にきめてつければよいというわけである。それはきっと、居住空間の雰囲気を大事にしようというこちらの考え方によるもので、出来合いのものを使うのではなく、自分が選んだものを使うのが当たり前なのだろう。照明だけでなく、壁なども自分の好きな色のペンキを自分で塗る光景を目にすることがよくある。しかしそのために、スタンドを買うまでのしばらくの間、暗い部屋でのなんとなくわびしい生活が続いた。
 
 カナダの雑貨屋をのぞいてみると、蝋燭がずいぶん並べられている。色も形も大きさもさまざま。蝋燭は一般家庭に常備されているものらしい。蝋燭は照明として効果を発揮する。たとえば、蝋燭だけをともして食事をする。あるいは、蝋燭と間接照明の組み合わせだったりもする。日本でも、レストランなどでそういうものを見たことがあったし、家庭で行われているのも知っていたが、やってみたことはなかった。日本では、蝋燭といえば毎朝仏壇を拝むときにだけ使うものだった。

 食卓だけではない。浴室の明かりを蝋燭だけにして入浴するのだという。昔のテレビ番組で見て不思議に思っていたバブルバスという入り方。湯船の中が泡だらけというあれである。スーパーでは専用の入浴剤がたくさん売られているが、一度も試したことはない。たしかに、ほのかな明かりの中、泡に包まれてのんびり風呂に入るのも悪くないような。

 ところで、2003年8月の大停電のときのこと。トロントでも全域でほぼ一昼夜電気が止まった。そのときの日記を読むと少々気恥ずかしい。というのは、電気の消えた真っ暗な街を見て、あまりに否定的なコメントしか書いていなかったからだ。「こんな真っ黒な夜はもうこれっきりにしてほしい」。ところがあの夜人々は、庭に出てはバーベキューを楽しみ、空を見上げてはいつにもましてきれいに輝く星空を眺めて楽しんでいたというのである。その様子をニュースで知り、なんて自分は心に余裕がないのだろうと思った。常備していた蝋燭を何の違和感もなくともし、いつもとは一味違った一家団欒をゆっくり味わった家庭が多かったのだ。未曾有の大停電のような逆境さえも楽しみに変えてしまうというのが、カナディアンの素晴らしいところである。あのとき我が家にあったのは小型の懐中電灯一個だけ。何の情緒を感じることもなく、ひとりいらいらした夜を過ごしたのである。なんともったいなかったことか…。

 逆境を楽しみに変えるといえば、厳しい冬もその通り。雪だるまは日本とは違って三段。しかし、こちらでは雪だるまはあってもかまくらは見たことがない。かまくらでは蝋燭一本だけで暖かくなるなんてことを、こちらの子どもたちは知っているだろうか。校庭にでもでかいのをこしらえてそんなことを教えてあげたら、大喜びするのではないだろうか。
(2005.4.11)