と 「時計」
 “Do you have a time?”と聞くと「お時間ありますか」の意味だが、“Do you have the time?”だと、「何時かわかりますか」という意味になるそうだ。冠詞の違いで文の意味がまったく変わってしまうのが、英語の不思議なところのひとつである。日本人は冠詞に無頓着とよく言われるが、これも文化の違い。こちらも気をつけるが、相手にも少々寛容になっていただけるとありがたい。外を歩いていて時間を聞かれることはよくあるけれど、聞いているこちらとしては“a”か“the”かなんて聞き取れない。相手の表情や仕草を見て初めて、時間を聞いているのだなと判断できるのである。だいたい手首のあたりを指でちょんと差して聞かれたら、たとえ一言も発しなくても察することができるというものだ。日本人はそういう言葉にならない気持ちを察知する能力は、カナダ人よりもよっぽど長けているのではないかと思う。

 これだけ多くの人から時間を聞かれるということは、時計を持つ習慣のない人が多いということだ。日本の街ではいたるところにデジタルの時計があって、わざわざ時計を持たなくてもそれほど困ることはなかった。だが、それに比べるとここでは街頭に時計をあまり見かけない。それでも時計を持たないのは、時間を知りたいときもあるが、だからといってわざわざ時計を持つまででもないというバランスの上のことなのだ。いずれにせよ、みんなあまり時間に縛られた生活をしていないということかもしれない。僕は、通勤途中に時間を知りたくなったときには、店の奥をのぞいて、壁に掛かっている時計を見ることがある。だが、時計が掛かっている店など数は少ない。最近になって気がついたが、パーキングチケットの発券機についた時計を見るのも一つの方法だ。ただし、その時計がずれていることもあるので、あまり信用はできない。

 日本でもカナダでも腕時計をつけることはほとんどない。ただし、ここカナダでは、土曜日だけは、仕事上かなり厳密な時間で動かなくてはならないのでしかたなくつける。しかも、少し遅れている学校の時計にわざわざ針を合わせることまでする。そういえば去年、学校の時計が壊れたことがあった。部屋によって時計の示す時間がまったく違ってしまったのだ。スタッフルームかどこかで全校の時計を集中制御する仕組みだから、一たびこんなことが起こるとなかなか直らない。たしか冬時間に変わったときに壊れて、翌春の夏時間になるまで狂いっぱなしだった。実に暢気なものだ。

 ところで、カナダは時計を合わせる回数が比較的多い国かもしれない。まず夏時間のことがある。サスカチュワン州を除いて夏時間を採用している。4月の第1日曜日に時計の針を1時間進め、10月の最後の日曜にはまた針を1時間戻す。だから、夏の間は日没が1時間遅くなって、その分アフターファイブを有効に使えるのである。実際にその中にいると、とてもいいものだ。6月など晴れた日には夜の10時くらいまで明るいのである。日本では慎重論が大きいようだが、一度やってみればいいのにと思う。年に2回家電の時計を合わせる手間がかかるのが、唯一のデメリットと言えるだろう。それから、時差のこと。カナダはロシアについで広い国だから、東西にも長く広がっている。西端のブリティッシュ・コロンビア州と東端のニューファンドランド・アンド・ラブラドル州までには6つの時間帯があり、最大で4時間半の時差がある。もしあなたが4月の初めか10月の終わりにカナダ横断旅行に出たとしよう。州境を越えるたびに時計をいちいち正しく合わせようとしたら、針を戻したり進めたり、わけがわからなくなってしまうに違いない。そんなときいちばんいい方法は、通りすがりの誰かに“Do you have the time?”とカナディアンのように聞くことだろう。(2005.12.12)