2002年2月

■けして彼らのようではなく(2.28)
 きょうある洋品店に注文していたものを受け取りに行った。
 申し込んだ時に応対してくれた若くて元気な店員はおらず、
 代わりに五十過ぎの表情のない店員が応対に当ったのだが、
 それがどうも客商売とは思えないような無愛想な人だった。
 やる気のなさが滲み出ていて欠伸も出るかと思ったほどだ。
 あの日にこの店員だったら買う気にはならなかったはずだ。
 きっとこの人はこの間の若い店員の上司に違いないだろう。
 年齢以外に何が上なのかわからないが彼は若者に向かって、
 商売上の大切なことがらを伝授したりしているのだろうか。
 若者はこのおじさんをいわゆる反面教師としたに違いない。
 その店は以前はとても買いづらい雰囲気のある店だったが、
 この頃は気軽に入れるし相談できるような雰囲気になった。
 相当な企業努力があったことを認めないわけにはいかない。
 だがしかし彼のような古いタイプの店員もまだいるわけで、
 一日何時間と店に出ては客と向き合い物を売っているのだ。
 変わらなきゃって騒いでるのはほんとはごく一部なのかな。
 大きな変化と思ってることも実は大して変わってないのか。
 ニッポンには似たようなおじさんが何百万人いるのだろう。
 変わることを実践している労働者はどれくらいなんだろう。
 時代の趨勢とか新しい潮流とかってどれほどのものだろう。
 自分自身の目で見て耳で聞いてホンモノを手に入れていく。
 そういうこと以外に彼を超えていくことはできないだろう。
 ああいう生き方も一つだがこんな生き方もまた一つなのだ。
 ただ自分はけして彼らのようではなく生きていくのである。
 
■不要物(2.27)
 要らないもの、
 それはテレビ。
 毎晩やるのは、
 ムカつく番組。
 政界財界官界。
 腐り切ってる、
 我国のトップ。
 ニュースなら、
 見たくないよ。
 いいニュース、
 教えてやるよ。
 ここに来いよ、
 耳を貸しなよ。
 要らないもの、
 それは冷蔵庫。
 食べ切るまで、
 あともう少し。
 どんどん喰え、
 どんどん喰え。
 冷蔵庫の中身、
 なくなるまで。
 伊予柑喰った。
 三個も喰った。
 眠気も疲れも、
 吹っ飛びそう。
 冷蔵庫の中身、
 ほとんどなし。
 卵とキムチと、
 パックの納豆。
 それと緑茶と、
 烏龍茶だけだ。
 腹が立つほど、
 腹が減るので、
 烏龍茶飲んで、
 腹膨らまして、
 今夜のところ、
 我慢してやろ。
 買物するにも、
 もう遅すぎる。
 一旦外に出て、
 少し歩いたら、
 ゴミ捨場には、
 でかい洗濯機。
 誰が捨てたか、
 わからないが、
 ずいぶん迷惑、
 莫迦にしてる。
 要らないもの。
 誰かの洗濯機。
 違反ゴミなど、
 置かないでよ。

■勉強の理由(2.26)
 ずいぶんあったかかったなと思ったら10度を越えていた。
 この気温はお彼岸のころと同じくらいの気温だったそうだ。
 地球の温暖化のせいだとしたら喜んではいられないことだ。
 けどテレビではきまって暖かいのはいいことだという論調。
 大流行だったインフルエンザはいつのまにか下火になって、
 嬉しいことに今週わがクラスは無欠席が二日間続いている。
 明日からは期末テストなのでおそらく誰も休まないだろう。
 テスト前だから勉強するのが当り前と思ったら大間違いで、
 近ごろじゃ最後の最後まで何にもしない人も珍しくはない。
 何のための勉強なのかというのを理解していないのだろう。
 日本人は地球を救うために行動しなければならぬのである。
 だからそのために君たちは勉強しなければならぬのである。
 このごろでは勉強の理由をこんなふうに言うようになった。
 どうやら自分に返るんだからというのは説得力ゼロらしい。
 もっと遠回りして回り回ってようやっと自分のためになる。
 そう考えてみたほうが自分自身納得できるような気がする。

■お休みなさい(2.25)
 喉の痛み。
 眠い眠い。
 鼻づまり。
 まだ月曜。
 あと三日。
 最終週だ。
 もう少し。
 ファイト。

■日本語(2.24)
 国語と日本語という表現の間には雲泥の差がある。
 子供たちにこれ以上曖昧なニッポンを刷り込んで、
 はたしていいのかという素朴な疑問がわいてきた。
 一つの言語として扱ってこなかったかもしれない。
 あまりに主観的で独り善がりな解釈で語ってきた。
 そんな自分自身のこれまでの仕事に反省をこめて、
 これからは日本語として扱っていきたいと考えた。
 世界の6千前後の言語のうち約半数が消滅の危機。
 ユネスコが各国に対策を呼びかけているとのこと。
 すべての言語はひとしく認められるべきであって、
 生きる宝として保護されなければならないそうだ。
 こんな記事が今日の朝刊の片隅に小さく載ってた。
 知らなければならない情報に限って知らされない。
 そんな不公正があの日以来鼻を突いてしかたない。
 解決しなければならない問題の本質を知るべきだ。
 そのために日本語をもっと学んでいきたいと思う。
 コドモをとるか、カネをとるか、セカイをとるか。
 イノチをとるか、イエをとるか、ミライをとるか。
 ジブンをとるか、クニをとるか、ヘイワをとるか。
 
■ココロノカゼ(2.23)
 ポツンと寂しい気になって、
 きのう買った本を読んでた。
 土曜日の午後の静寂の中に、
 寒々としたこれまでを思う。
 ありえたかもしれない人生。
 いくつ通り過ぎていったか。
 無口な人が一度口を開くと、
 初め周りの人は耳を傾ける。
 けどそれが耳障りになると、
 彼のことを悪く言い始める。
 出る杭は打たれると言うが、
 出てる杭と引っ込んでる杭、
 高さを変えることは難しい。
 正直を言うと討論は嫌いだ。
 どう足掻いたって仕方ない。
 運命は決まってる気がする。
 そんな諦めに襲われている。
 本当の真実が言葉になると、
 困る人がたくさん出てくる。
 そんな人々を困らせるほど、
 神様は人をよく見ていない。
 死に物狂いで何十年働いて、
 その後にいったい何が残る。
 そんなことを考えていたら、
 宗教家が呼び鈴を鳴らした。
 交通事故で死ぬ人の数より、
 職場で死ぬ人のほうが多い。
 あなたは大丈夫ですかって。
 続いてセールスマンが来た。
 とうもろこしの先物取引き。
 まず話だけでもと言うから、
 勉強のつもりで聞いていた。
 そしたら語調が強くなって、
 一口だけでもどうかだって。
 彼らには何か悪意があって、
 僕にこんな話をしてるのか。
 結局話のウラは何なんだよ。
 そんな疑いが心に渦を巻く。
 そんな話に騙されないぞと、
 かたく心を閉ざしながらも、
 精一杯の笑顔で応える馬鹿。
  
■20020222(2.22)
 帰りには、通りで唯一生き残った本屋に立ち寄った。
 いろんな本が欲しくなって5000円分買物をした。
 こういう週末の過し方もけして悪くはないと思った。
 いろいろあった一週間もこういう形で締めくくれた。
 
■Good Timing(2.21)
 きょうはいろいろとタイミングのいいことが続いて、
 それは僕にとってはとっても珍しいことだったので、
 疲れたことや嫌な思いをしたことやさせたことなど、
 きょうの自分の思いがすべて吹き飛んだようだった。
 初めて来た分かれ道でどれだけ確かに道を選べるか。
 笑えもしない下らない毎日の中でたえず試されてる。
 きょうはいい道を選び続けることができたのだろう。
 人生は訪れる無数の瞬間の選択肢で成り立っていて、
 でもどの道だったからダメとはいえないのであって、
 きっと目指すところにはどこを通っても辿り着ける。
 こんなときにはいつも思い出すドラえもんの第1巻。
 ドラえもんがのび太にタイムマシンを説明する場面。
 どんな道を選ぼうと確実にゴールには近づいている。
 だからほんとはすべてがグッドタイミングなはずだ。
 そのことを納得できるにはまだ時間がかかるかもね。

■Good Night(2.20)
 きょうは非常に疲れた。
 残ったのは自己嫌悪と、
 やり場のないいらだち。
 どうしようもない感覚。
 今夜はダメな気持ちだ。 

■免許更新の日(2.19)
 午後から休みをとって、運転免許の更新をしてきた。
 5年ぶりの免許センタはそれなりにおもしろかった。
 受付のおじさんは前任校のあった集落近くの出身で、
 変更前の住所を見て、学校の先生すかと訊いてきた。
 3年後には駅前のビルに新しい施設ができるそうだ。
 だから次回の更新はここに来る必要はないですよと、
 そのおじさんはやけに元気のよい声で教えてくれた。
 県証紙を買って、書類を記入して、視力検査をして、
 それから30分の講習を受けて、その後免許の交付。
 講習の初老の先生はさすがに毎日やってるだけあり、
 たいへん言葉が淀みなく、一つの名人芸に聞こえた。
 後半見た教則のビデオには三笑亭夢之助が出ていた。 
 元々落語家の彼がなぜにこんな仕事をしているのか。
 というのは、台詞が死んでいるように聞こえたから。
 ただ読むだけの役に落語家を起用したことは疑問だ。
 それから最後には案の定SDカードの宣伝があった。
 これを作っている○○協会も特殊法人の一つだろう。
 優良運転者の誇りと自覚を忘れない、はいいけれど、
 そのためだけにわざわざこれを買う気にはなれない。
 いろいろな店で割り引きがきくという話もあったが、
 それがどれくらいのものなのかは疑わしいと思った。
 できてきた新しい免許証はクレジットカードサイズ。
 はっきりいうと安っぽく、ありがたみなど感じない。
 今までの免許入れに入れたら隙間があいてしまった。
 とりあえずあと5年は免許のことは考えなくていい。
 まあそんなことはどうだっていいことなんだけども。
 終わったのは3時近くで、そのまま帰宅して休んだ。
 帰りの車の中からとてもさわやかな解放感があった。
 こういう日がたまにはあってもいいと思っていたが、
 夜になって、ある人から相談の電話がかかってきた。
 そのあと2件の家に電話しなければならなくなった。
 夕食前の1時間、受話器を持っていたというわけだ。
 こういう日に限って嫌な電話がかかってくるものだ。
 そしてこういう夜にはこの仕事がつくづく嫌になる。
 とにかく明日からまた気分を一新してやっていこう。
 
■オリンピック新世紀(2.18)
 どろどろとした思惑どうしがぶつかりあって、
 ときおり変な事件となってそれが表に現れる。
 純粋な気持ちをもった一流のスポーツ選手が、
 自らの思いのままに競技に参加するその陰で、
 何が行われているかを僕たちはよく知らない。
 スポーツ文化の象徴のような顔をしているが、
 実はとても偏った行事のように僕には見える。
 世界の姿はこのために歪められてはいないか。
 地球市民のいったいどれだけの割合の人間が、
 この競技大会に注目しているというのだろう。

■クリーム色の2月(2.17)
 これほど風邪が流行っているのに、
 約束どおりに練習試合を決行した。
 これで文句ないだろうと思ったが、
 終わったのは案の定13時過ぎだ。
 家には帰らずに、昼飯も喰わずに、
 まっすぐにいつもの床屋に寄った。
 髪を切っている間目を閉じてたら、
 いつの間にか何度か眠りに落ちた。
 首がかくっとしてしまうこと5回。
 床屋さんは何も言わないで続けた。
 床屋を後にしたのは15時近くだ。
 近所の小さなラーメン屋に入った。
 前から気になっていた薄汚い店だ。
 店内に置いてあった雑誌はすべて、
 パチンコ必勝法の類いの物だった。
 考えればここはパチンコ屋の隣だ。
 さらにテレビは競馬中継放送中で、
 客の若者達が画面に注目していた。
 ラーメンはあまりうまくなかった。
 早々に店を出て少し車を走らせた。
 やや春のにおいのする午後だった。
 夕べ寄ったところとは別の本屋へ。
 そこに舟越保武の画文集があった。
 それからきれいなデザインの雑誌。
 2月のイメージに合致した選択だ。
 せっかくの日曜日の記念に買った。

■惜別(2.16)
 なじみの本屋に別れを告げたのは、雪の降る夜のこと。
 あの店はなぜか僕に買いたい気持ちにさせる店だった。
 いつもそれほど読みもしない本まで買ってしまうのだ。
 そんな店がまた一つ、この街から姿を消してしまった。
 あの夜は近くの喫茶店で本を読みながら夕食を食べた。
 名物は喉の奥まで痺れそうなくらい辛いカレーライス。
 山椒の粉がたっぷりとかかったチャイニーズコーヒー。
 ちょっと薄暗い店内に禿頭の客が一人いただけだった。
 たまに訪ねるとすごく落ち着いた気分にさせてくれる。
 買ったばかりの本をそこで読むことも、もうないかも。
 今夜は車でこの街の郊外の大きな本屋へ出かけてみた。
 だけど買いたくなる本を見つけることはできなかった。
 おそらく、しばらくはそんな気持ちが続くことだろう。

■決めた!(2.15)
 2月ももう後半か。
 時のたつのは早い。
 全然関係ないけど、
 納豆はいいらしい。
 故にこれから毎日、
 必ず納豆を喰おう。

■若い人(2.14)
 若くて悩み多い君に、焦らないでと僕は言いたい。
 目の前のことに捕われて、周囲が見えなくなった。
 そしたら風に当たって、頭を冷やしてみたらいい。
 きっと悩みの原因は、それを抱えた君自身にある。
 それはつらいことでも嫌なことでも何でもなくて、
 君自身が大きく空に羽ばたくチャンスなんだから。
 十分なほど助走して、やっとのことで飛び立って、
 そしてそれでも消えない悩みがまだあるとしたら、
 それこそ君が闘って勝たねばならない本当の敵だ。
 何のために生きているかなんてまだわからないよ。
 けど君が真剣に生きている証拠はきっと見つかる。
 一人で胸に手を当てて、こころの声をきいてみな。
 ぎゅっと目を閉じて、黙って耳をすましてみたら、
 きっとたしかにわかるはず、君が本当に望むこと。
 その希望に向かって、まっすぐに突き進んでゆけ。
 歩みを続ければ、いつか必ず勝利の道は開かれる。
 
■眠いや(2.13)
 きょうは眠いや。
 早く起きたから。
 少し走ったから。
 たったそれだけ。
 もうこのへんで。
 おやすみなさい。
 
■1年後(2.12)
 きょうは旧暦の元旦、春節である。
 中国や韓国ではこちらの方で祝う。
 奇しくもきょういい知らせがきた。
 手放しで喜んでもいられないけど、
 希望に近づけたので、ほっとした。
 変わる一年を自ら課すことになる。
 この変化は劇的でなければ無意味。
 ちょっとやそっとじゃ実現不可能。
 技術ではなくて、体力でもなくて、
 オリンピック選手の精神力の強さ。
 そこから少しでも学びたいものだ。

■HP開設記念の日(2.11)
 きのうからきょうにかけて一気に部屋を片付けた。
 ここに引っ越して来て5年で一番の大掃除だった。
 モノを減らすことには挑戦したけれど限界はある。
 今ここにあるのは最低限手放したくないモノだけ。
 でもきっとしばらくたてばこの中からゴミが出る。
 その間にまた新しいモノが部屋に入っているかも。
 部屋も新陳代謝を繰り返しているというわけだな。
 このHPも少しずつ変化を繰り返して今にいたる。
 自分の趣味や志向が現われる部屋のようなものだ。
 これからも捨てながら増やしながら続けていこう。
 自分の部屋が持てることはそれだけですばらしい。
 自分のHPが持てることは同じようにすばらしい。
 訪れる人がいるのなら自ら鍵をかける必要はない。
 それほどお客さんが訪れる部屋ではないけれども、
 来てくれた人にはぜひゆっくりしていってほしい。
 そんなふうに部屋とHPとは共通点が多いと思う。
 以前はもうHPをやめようと思うことも多かった。
 だけども今となっては積極的肯定派となっている。 

 ■探し物(2.10)
 突然テレビのリモコンがなくなった。
 部屋中探してもどこにも見当らない。
 正直こういうことはよくあるのだが、
 今回のはあまりにも度が過ぎている。
 まさか冷蔵庫とかに入ってたりして。
 っていくらオレでもそこまではねえ。
 部屋から一歩も出ていないんだから。
 茶でも飲んで一休みしてから探そう。
 10分くらいしてようやく見つかった。
 何とパソコンの陰に隠れていたのだ。
 実に情けない日曜日の夜更けである。

■パートナーシップ(2.9)
 街というものが、実は小さな個人個人の集合体であるというそのことに面白みがあり、一つの方向づけに価値が生じてくる。
 街づくりに興味があることはあるのだが、いざ行動を起こそうとするととんでもない障壁にぶち当たるのは目に見えている。
 ある自治体で始まった、住民を巻き込んでの環境基本条例づくりの取り組みで活躍されている普通のおじさんの話を聴いた。
 彼は販売業に従事する一般の地域住民で、特別な知識や技能があるわけでもなく、ただ環境のことを考えて応募したという。
 もっとも大きいだろうと思われる障壁は、そこに多くの人々が住んでおりそれぞれ多様な考え方をもっているということだ。
 利害得失だけでなく、様々な価値観や人生観の間隙を縫うようにして、住民の意思を取りまとめていくことの途方もなさよ。
 そこに必要なのは、どんな困難をも乗り越えていけるバイタリティと、ウイットに富んだコミュニケーションのできる力か。
 きょう聴きに行った講演でキーワードとなったのは、行政と事業者と住民たちとの「パートナーシップ」という言葉だった。
 地球環境問題の原因がこれほどまで個人の日常生活に絡んでくると、街づくりを個人レベルで実践しないわけにはいかない。
 できることからはじめませんかとよく耳にするけど、それを継続してしかも底辺を拡げていくことが求められているわけだ。
 取り組みをしている小学校の先生の話によれば、やればやるほどそれを人々に発信することが重要になってくるそうである。
 発信しては評価され自信をつける。その繰り返しが大きな力のみなもとであり、世界を変えていくことにつながるのだろう。
 
■プリンスと共に(2.8)
 状況を打破したいと考えて、きょう所属長に問い合わせしてもらった。
 ところがその回答ときたら、極めて曖昧ではっきりしないものだった。
 これほどまでに日本の役所というのは不親切だということがわかった。
 希望からは遠ざかったともいえないし、近づいているともいいにくい。
 つまりこれを打破するのは自分自身で、誰に頼むこともできないのだ。
 週末の午後しばらくは力が入らなかったのだが、ようやく呑み込んだ。
 世を厭う気持ちもないし、世の中から身を遠ざけようとする気もない。
 気まぐれなこの感情が言葉となり歌となり、こなごなに壊されていく。
 プリンスの新しい音楽に乗って、休みを控えた僕の心は快く浮遊する。
 
■厭世感(2.7)
 いいなあと感じて微笑ましく思っていたことがあるとき急におぞましく感じられるようになった。
 僕らが本当に求めていたものはこんなところにはありはしないということがこれではっきりした。
 たとえ個人が一時のシアワセを感じることができたとしてもそれは薄っぺらな幻にすぎないのだ。
 もっとも効果的な処世術を皆さんにお教えいたしましょうそれは夜のニュースを見ないことです。
 嗚呼安らかなるかな我が人生よ夢と希望をもって前向きに前進していける21世紀の日本よ万歳。
 
■燈台下暗し(2.6)
 味の素クックドゥーのCMでノリタケは韓国料理をうまそうに喰う。
 そんなのを見ていると、グルメの旅というのもよさそうだなと思う。
 近くのスーパーで、本物の韓国海苔が一パック百円で売られていた。
 今までここいらへんの店では本物の韓国海苔を見たことはなかった。
 買ってきて食べたらやっぱり本物で、ごま油の風味が香ばしかった。
 この間久しぶりの友達と一緒に、大通の老舗のラーメン屋に入った。
 名前は前から聞いていたのだが、そこに入るのは全く初めてだった。
 生れ故郷のこの街ではあるけれど、実のところよくわかっていない。
 うまいものを探す旅というのならば、まずはこの街をよく知ろうか。
 アパートそばのゴミ置き場前に、いつも同じ車が路上駐車している。
 ゴミの日の朝その車のボンネットの上にゴミが山積みになっていた。
 あんたの車はじゃまだからどっかに行ってくれという住民の抗議だ。
 よく見たら、ゴミ収集車の妨げになるという張り紙までされていた。
 その後その車の持ち主は、ゴミの日だけはそこには置かなくなった。
 おそらく同じアパートの住人の一人だとは思うが、よくわからない。
 
■「信用創造」(2.5)
 中学の時の社会の先生が教えてくれた言葉がこれだった。
 若いその先生は黒板いっぱいにでかでかとこれを書いて、
 これは世の中でいちばん大切なことだから絶対忘れるな。
 あれ以来、僕は一度もその言葉を聞いたことはなかった。
 どうもそれは金融用語で、預金で金を増やすことらしい。
 預金したって利息なんかつかない時代になってしまった。
 経済学の理論がいちばん大切なこととはとても思えない。
 けれど、先生が言いたかったことは痛いほどよくわかる。
 人と人が信頼し合うことこそが、社会を創っていくのだ。
 そのことを伝えたくて、この言葉を言ったのではないか。
 枠からはみ出そうにして自分の信念を語った若い先生よ。
 あの先生の姿がなぜだか今になって鮮明に浮かんでくる。
 僕は職員室でその先生が泣いているのを見たことがある。
 先生は、先輩の先生から何か指導されて泣いていたのだ。
 今のこんな僕にだって、若かった先生の涙はよくわかる。
 涙のない職員室が当たり前になって何年たったのだろう。
 ウソを教えてはいけない。もちろんそれは当然のことだ。
 だけど何が真実で何がウソか、本当にわかっているのか。
 笑いの絶えない仕事場で、ぬくぬくと暮らす毎日の中で、
 僕の言葉はウソなんじゃないかと不安になることがある。
 今僕はいちばん大切だと思うことを胸を張って言えるか?
 かけがえのないことを教わったと感謝の気持ちがわいた。
 僕はあの先生の言葉をこれからもけして忘れないだろう。
 たとえこのあと一生あの言葉を聞くことがないとしても。
  
■立春のビール(2.4)
 月曜日から仕事のごたごたがあって、夕方過ぎから気が気じゃなかった。
 問題発生の時は先手必勝で早期解決。いきなり家庭訪問それで一件落着。
 どんなことがわざわいで、どんなことが福となるかまったくわからない。
 急ぎ過ぎて取り返しのつかないときもあるし、機を逸してしまうことも。
 とばっちりを受けたといえばその通りだけど、そんなのはおたがい様だ。
 これをチャンスととらえて新しい関係を作り出していければいいことだ。
 そんなことを考えながら家路につく。春の嵐が吹き荒れるのはこれから。
 無性にビールが飲みたくなって、一缶飲んだらばたっと眠ってしまった。
 
■節分(2.3)
 きょうで冬は終わりで、明日からまた春のはじまりだ。
 朝の部活と一週間の疲れのせいか目の奥が痛くなった。
 天気のいい一日だったのに、僕は午後ずっと寝ていた。
 本当はカメラを手にどこかへ行こうと思っていたのに。
 一時間だけ昼寝のつもりが、気がつくと熟睡していた。
 鬼は外、福は内。怖い夢を見てはっとして目が覚めた。
 内なる鬼のほうが怖いもんだ。それがたまに夢に出る。
 
■土曜日のねむけ (2.2)
 正午を過ぎるころから眠気が甚だしくなり、
 午後には数えきれないほどのあくびが出た。
 土曜日の出勤はあと3回となってしまった。
 前から半ドンの午後の雰囲気は好きだった。
 でも最近の疲れ具合は楽しさを超えている。
 聞けば僕の周りに同じことを言う人は多い。
 それは身体が衰えているためなのだろうか。
 それとも文部科学省の矛盾のせいだろうか。
 明日は休日。いつものように朝から部活だ。
 自分が好きで選んだこの職業とはいっても、
 毎日いろいろと変なことが目について困る。
 情熱で押し切ろうという立場の人もいるが、
 情熱だけではやっていられないという声も。
 ごまかしながら日々をやり過ごしている人。
 何とか現状を変えようと思ってがんばる人。
 僕はといえば、きまった型に自らはまって、
 本質が二の次になっているのかもしれない。
 運動を組織することは一筋縄ではいかない。
 みんなそんなことはわかってはいるのだが、
 気づいて何かしようという頃に睡魔が襲う。
 正直な話これは当局の陰謀だと思っている。

■厳冬譚(2.1)
 寒い夜、道路はつるつるで、遅くに上り始めた月は赤くて不気味だった。
 生協で買い物をして駐車場から道路に出たところでエンジンが止まった。
 何度キーをひねってもエンジンは全く反応せず、無情な赤ランプの点灯。
 中途半端な位置で止まった僕の車は、思いっきり他の車の妨げとなった。
 こっちも本気で青くなって、心臓の鼓動もとかとかおかしくなってきた。
 「だいじょうぶすか?」見かねて誰かが車を降り、僕の窓ガラスを叩く。
 その人の顔を見れば、なんと去年PTAで世話になったある生徒の父親だ。
 彼はブースターケーブルを繋いでくれて、おかげでエンジンがかかった。
 こんなのお互い様ですよ。車なんてどこで止まるかわからないですから。
 彼は実は学校こそ違えど僕と同業者で、とても尊敬できる方なのだった。
 こんなところでまた世話になってしまった。本当に感謝の一言に尽きる。
 確かにバッテリーは寿命だった。それにしても妙な場所で止まるもんだ。
 もしこれが、踏み切りの上で起こったらと考えたら、背筋がぞっとした。
 すぐにガソリンスタンドに寄って、新しいバッテリーに変えてもらった。
 僕のアパートは踏み切りのすぐ近くなのだ。何度も同じことを想像した。
 あんな時あの人に会ったのも偶然なら、踏み切りでなかったのも偶然だ。
 もしかしたら、不慮の事故に遭っていたかもしれないと思うと恐ろしい。
 やっぱり僕は恵まれていて、きっと何ものかに守られているに違いない。
 助かった。無事で済んだ。ほんとにお陰様だ。そうありがたく思いたい。