2002年3月                                                                     

■終わりと始まり(3.31)
 最後の日曜日が終わってしまった。明日からいよいよ……。まずはまっさらな気持ちで向き合うしかないんだろうな。よく見てから、行動に移すことだろう。きょうは今まで預かりっぱなしだった使い古しのはがきの束を、福祉協会に寄付してきた。いわば現任校での最後の仕事だった。
 新しい職場ではどんなことが待っているのだろう。なんか胸ときめくような出来事を期待する気持ちなどことさらもっていないけれど、せっかくリセットされるわけだから、一つ一つ納得しながら生活を築いていきたいものだ。

■年度末(3.30)
 年度の終わりが土日というのはいいようでどうもたいへんそうだ。来週からのことを考えると、ああ忙しくなるなと気分は消極的。きょう一日かけて部屋の整理がついた。前のアパートから持って来た書類の3分の2くらいはゴミになった。どうしてこんなの取っておいたんだろうばかじゃないかと思った。所有するってどういうことなんだ。モノを所有しておきたいってのは人間の性なんだな。それに嫌気がさすと同時に、いいモノだけ周りに置いておきたいなんていう考えも出たりするのだ。明日一日はせめてのんびり過ごしたい。なんてこともいっていられないか。

■町民Y(3.29)
 午前中アパートを引き払い、午後には役場に届けを出して、きょうから○町民となった。夕方には警察署にも行って免許証の住所まで変更してきた。もう帰るところはない。ここが僕の家なのだ。夕食後から本格的に部屋の片づけ開始。いつまでたっても全然メドが立たず、疲れた。
 二部屋のアパートに入っていたものを、一部屋に入れてしまおうというのだから片づくわけがない。したがって、ゴミにしたり、他の部屋を間借りして置かせてもらったりするしかしょうがなくなる。

■盛岡から最終(3.28)
 今回の引っ越しは自家用車でせっせとモノを運んだ。そして、きょうで最後になった。全部で7、8回だったかな。初代プリメーラの容量は恐ろしく大きくて、一回にずいぶんたくさんのモノを運ぶことができた。何とも頼もしいやつだ。でも、どうしても運べないモノが残った。ベッドに、本棚に、洗濯機、それに自転車。それらは明日、赤帽にお願いすることにしている。モノを運び終えたら、向こうのほうの整理。これもきつそう。
 部屋の中が空っぽになって、音が妙にこだまする。ここに5年も住んでいたか…。やっぱり、長過ぎた。
 盛岡の街は僕にとってはいい街だ。それは僕の中にかなり濃密に地図ができあがっているからで、この街の本質がいいのかどうかそれはわからない。その人にとって気に入ったのならそこはその人にとっていい街になるのだ。この際、そんなことはどうだっていいか。
 イワテライフ日記というホームページをほとんど毎日覗いてたのだが、それが終わってしまうらしい。主宰者の転勤が理由だが、あの掲示板の書き込みを見ていると、どれだけそのページが愛されていたかがわかる。ああいう感性がもてたら、どこに住んでも素晴らしいものをつくることができるんだろうと感じた。僕も4月からは新しい生活です。お互いがんばりましょう。って、まるとさん見てないか…。
 ただ、明日から住む町が、ほんとに故郷らしく思えるようになれればいいと思う。35歳にして初めて実家に住むことになる自分。このパターンはたいして珍しいことではないらしい。けど、違和感は大きそうだ。まあいずれは海外生活者だし(笑)、違和感を楽しむ、くらいの余裕をもっていこうと思う。
 今までの職場の皆さんにも、ほんとにお世話になりました。感謝です。これからも、どうぞよろしく。

■転機(3.27)
 この1週間の心の変わり様は大きい。転勤という局面で学ぶことは多いということか。きょうは新しい職場に挨拶へ行き、元の職場に別れを告げた。一言では言えない感慨があった。
 この街で最後の夜だ。一人暮らしからもしばらくは遠ざかる。それも大きなことだ。
 いろんなことが頭に渦巻いているが、言葉にならない。言葉にするべきなのかもしれないが、もう眠い。
 
■飲みはきょうで最後です(3.26)
 きょうも片付かないまま一日が終わった。何やってるんでしょう毎日。そしてこれから泊りがけの学年離散会だよ。んだば。

■かおる花束(3.25)
 部屋中花のいい匂いに包まれて、送別の日は終わった。話したいことは話せたし、挨拶をしたい人にすることができた。「癒され」系の俺としては、きょうはみんなのあったかい気持ちにふれてありがたかった。自分ももっと優しい気持ちがもてれば、道は違ったものになるかも。

■明日からも連チャン(3.24)
 送別会が二日続いて、今朝は少し気持ちが悪い。きょうは一日何もないので、自分のことをしよう。6時には起きて、片づけを始めた。アパートも、職場も片付き方が中途半端である。少しずつ少しずつやっている。そしてどちらも何とかめどがついたかなというところまできた。燃えないゴミを一気に出したら、スッキリした。
 送別される側というのは嫌なものだが、何が嫌かって挨拶が一番嫌だ。明日は離任式で生徒たちに、夜にはPTAの送別会で保護者の方々に、何を話そうか。挨拶は短いがいいに決まっているので、短くできればいいとは思うのだが、どうなることやら。
 
■リサイクル(3.23)
 朝から部屋の片づけ。昼過ぎに中古品業者に買い取りにきてもらったが、たいした値にはならず。何よりも、査定外ということで引き取ってもらえなかった物が多くて残念だった。冷蔵庫は買ってから5年で見た目も新しかったから、いちばん高く売れるだろうと思ったらゼロだった。「買い取ります」なんていって、その実なかなか査定は厳しいぞ。
 どうも昨今のリサイクルブームというのは怪しい。消費に関していえば、何より一度買ったら壊れるまで使う。本当に欲しい物でなければ買わない。これが鉄則だ。飽きたら売ればいいやとか、安易に考えずに、ほんとにいい物だけをじっくり選んで買う賢い消費者になりたいと思った。

■黄砂(3.22)
 今までこんなにひどい黄砂はなかった。1日で車はすっかり砂をかぶってしまった。後ろも横も見えないくらい。中国から空を飛んできたのだ。砂漠化の影響か。地球は一つ。つながってることを実感。

■少し焦り(3.21)
 うかうかしてはいられない。いろいろと忙しい。さらに、明日から送別会の日々が始まる。やっぱりばたばたとやるしかないか。

■3月の記憶(3.20)
 みんなばたばたと後片付けを始めています。今年の勢いときたら凄まじいものがあります。これも4月から始まる完全週5日制と関係あるのでしょうか。土曜日が休みになったぶんほかの曜日が忙しくなっているという感じは強いです。これは、ゆとりとは全然違ったものみたいです。
 もう何年も前のことですが、自分が担任した学級が全員志望校に合格したその日に、職場の御苦労さん会に出席できなかったということがありました。詳しいことは忘れてしまいましたが、何かの仕事が残っていてその会場に行かれなかったのです。でも実は、それを口実にして自分から行かなかったといったほうがいいかもしれません。それはなぜか。担任としてはできることをすべてやり切ってそれが全員合格となって報われたのですから、それは最高の喜びでした。今までやってきてよかったと心から思ったものです。しかし、そんな私に対して職場の人たちはねぎらいの言葉一つかけてはくれなかった。今となっても、あのときのあの人たちの状況、というか雰囲気は納得できません。確かに担任としては皆にそうとうな迷惑をかけたし、こちらのほうが皆に世話になったのですから、「おかげさまで合格させることができました。ありがとうございました。」とこちらから先に頭を下げるのは当然でしょう。でもその次には、「苦労したけど、よかったね。」とかなんとか、一言ぐらいあってもいいと思いませんか。ところが、あの時はそんな言葉の一つも、私は聞くことができなかった。あの時の悔しさときたら、その後たびたび感じたいろいろな悔しさとは比べものにならないほど強烈でした。自分はいたらない人間だというのは重々承知です。だけど、自分がどれほどいたらない人間なのか、自分自身理解できなかったのです。
 それほどの仕打ちを受けなければならなかったほど、自分はひどい教師なのだろうかと、今でも考えます。そして、できるだけ客観的にみようとすればするほど、いったい本当にひどいのは誰なのだろうという疑念を抱かずにはいられなくなるのです……。
 そこで私が出した結論は、「自分が生きる場所は自分で選べ。」ということです。そこに辿りつくまでには紆余曲折があるのですが、機会があったらまた書きたいと思います。
 
■修了!(3.19)
 きょう3年生のみんなは卒業してしまいました。それに、自分の学級もきょうで解体です。さようなら。なんというか、力が抜けたというか。いつもこの日の午後から熱が出たりするのですが、今年はそんなこともなく夕方になりました。ただ、依然として咳が止まらない状態が続いていて、げほんげほんとたいへんです。早く治ってほしいものです。
 今夜は一人でお祝いしたい気分なので、何かうまいもんでも喰おうかと思います。そこで、台所の戸棚を開けてみたら、いろんな食料が入っていました。ところが、よく見るとみんな賞味期限が切れておりました。いちばん古かったのが、1990年製造のハウスジャワカレーでした。その他牛肉の缶詰めとか、中華丼の具とか、全部20世紀の産物でした。まいったなあ。冷蔵庫にももうほとんど食べ物が残っていません。あったのは冷凍タコ焼き。レンジであっためて食べたらけっこういけました。でもそれだけでは足りません。仕方がないので、外に食べに出ることにします。どこというあてはないのですが、この雰囲気からすると茶畑ドライブインか、めしっこ本舗あたりになるんではないかと思います。ちゃんとしたおかずとごはんに味噌汁。それで文句はありません。では行ってきます。チャオ!
 
■何じゃらホイ(3.18)
 現在ニフティはメンテナンス中で更新もできません。内容はどうであれ日記はここしばらく続いているので、とにかく何か書いておくことにしましょう。更新は19日の夜かな。悪しからず。3月は別れの季節といいますが、ほんと嫌な季節ですねえ。と、僕は3月が大嫌いなのですが、学校というところに勤めていると、この時節の嫌さかげんというものを否応無しに実感させられることになります。3年生は卒業して去って行ってしまうし、1、2年生も進級してしまう。学級だって解散したりします。送る会やら卒業式やら、最後を飾るイベントというのが行われて、締めくくりをいい形でやりましょうということになります。無論、学生にとって卒業ほどめでたいことはありません。すべての課程を修了するということですから、最高の喜びです。けど、別れというのはやっぱりさびしいものなんですね。そして、感慨にひたる間もなく年度末の事務に追われてばたばたするというのも、3月が嫌いな理由の一つだったりするのです。まだまだあるんですけど、きょうのところはこのへんで。

■時はカネではない。(3.17)
 午後から晴れるという予報は外れて、一日雨だった。昼過ぎには雷鳴が轟いて、テレビがちらついたりもした。古いファイルを片付けていたら、なぜか1万円札の入った封筒が出てきた。有り難い。有り難いけど、ただそれだけ。空の暗い日曜日。
 隣に人が越してきた。丁寧に挨拶をもってきた。「僕は東北じゃないところから来たので教えてほしいんですけど、ここの人たちは暖房はどういうの使ってるんですか」ときいてきたので、温風ヒーターがいいと奨めた。そしたら今度は「ホームセンターはどこですか」ときいてきたので、近くの店までの道のりを教えた。「つまり道なりに行けばいいんですね」と言うから、そうですと答えた。「道なり」という言葉は僕の辞書にはなくて、自分ではけして使わない言葉だ。そんな言葉を使っただけで、どこか西方の珍しい町から来た人のようで、有り難い感じがした。ちょうど盛岡市の地図の古いのがあったから、よかったらどうぞとくれてやったら、その人は嬉しそうにしていた。
 すれ違いのストレンジャーはお互い様で、僕も再来週にはタオルでももって挨拶に行くことになるのかな。5年間住んだこのアパートも、去る日が近づくと思うと感慨もひとしお。押し入れのカビも、少し剥げたフローリングも、みんな自分の所為か。何にもしないうちに5年が通り過ぎた。生きる価値のなかったようなこの5年。全部ほったらかしてここまできた。それがこのざま。
 そんな日々に対して1万円の値がついたのだとしたら、喜ぶべきか否か。可笑しくて涙が出そうになる。
 僕の失ってきたものって、いったいどれだけのものだったんだろう。
■夢(3.16)
 嫌な夢を見て、夜中に何度も目が覚めた。これからも、この日を迎えるたびに悪夢は蘇ってくるのだろう。命のずっと奥の方に刻み込まれた記憶。忘れてもけして忘れない。そんな記憶が夢を支配している。

■人でなしの夢(3.15)
 自戒と反省を込めて次の年を生きる。繰り返す季節の中でもう二度と同じ失敗はしない。それが理想。だけど、人は失敗を繰り返す。失敗という経験がもつ複雑な要素を完全に分析できないうちは、繰り返してしまうのだろう。つまり、反省が足りないとまたやってしまうのだ。
 見慣れてきた風景に別れを告げ、新たな風景の中に自分を歩ませていこうというその時に、いつかと同じ風景がまた頭をよぎる。人でなしの夢。僕も人間になりたい。
 
■春の憂い(3.14)
 我が儘な性分の人がいて、引っ込み思案の人がいる。疑念を抱きながら黙っている人がいて、開き直っては大きな声で喋る人がいる。春のむずがゆく軽やかな憂いの中、諦めにも似た、ある意味投げやりな気持ちになった。そしてやっぱり寂しさを伴いながら、人知れず心をシフトさせていく。
 誰でもそうだが、いつも人に迷惑をかけながら生きてきた。そうして、自分のいない世界が訪れるとしても、それは普通にいつも通り続いていくに違いない。人間世界を俯瞰してみると、日々の営みは厳格だ。そこにセンチメンタリズムが入り込む余地はない。
 人は他人を喰わずには生きてはいかれないもの。みんな血だらけになりながら生きているのだと、そう思ったら、さまざまな表情を浮かべているたくさんの人々が健気でいじらしく感じられた。
 
■人生おやじ(3.13)
 なんかこうじっくりと落ち着いて物事を考えるってことがないなあ最近。学年末のばたばたした慌ただしさの中で次々消費されていくだけの時間。
こういうふうにして忙しくさせることが、いったいどんな人生をつくっていくのだろう。
 「愛燦燦」という歌の歌詞はいい。小椋桂の感性に改めてびっくり。そして、こういう歌を歌い上げた美空ひばりはやっぱりすごい人だったんだなと思った。「人生」についてもっとじっくりと考えることができれば、道は変わっていくかもしれない。家に帰れば疲れて眠るしかないような生活が続いている。毎日の生活の中でみんなはどれくらい自分の人生と向き合うことができているのだろう。

■からくり(3.12)
 S議員の証人喚問にまつわるさまざまなからくりがニュースに取り上げられていた。彼は離党を余儀なくされているようだ。とかげのしっぽを早く切りたくて仕方がない与党。利用するだけ利用して、都合が悪くなると容赦なく切り捨てる。嫌だねえ。

■変化(3.11)
 どっかの職場のどっかの隅から、こそこそ話声が聞こえてくる。他人事ではあるが人事の話ほど盛り上がるものはないみたい。俄に蠢く春の虫。文句を言っちゃあ泣き笑い。正直な話、僕には十分楽しそうに見えるよ。はて去年はいったいどうだったんだろうと、振り返るけど思い出せない。それはある種の防御作用が働いているためだ。去年は去年で、格好のネタを提供したというわけさ。世の中には下らないことが多過ぎるよ。
 今日地元の社会○○協議会主催の会議に参加したら、懐かしい人たちに会うことができた。たった一時間の短い話し合い。実はやる意味もよくわからなかったのだけれど、そのことだけはとてもよかった。一緒に行った校長が、その場でいきなり会議の進行役を頼まれていたので笑った。前もって話通しとけばいいのに。それともう一つ、文書に誤植。「社会○○協議会」とすべきところが、なんと「釈迦○○協議会」となっていたのだ。いつから宗教法人になったっけ。ま、こんなこと、よくあるといえばよくあるのだが、そんな体質だからこそ、変化が求められているのかもしれないね。

■日曜日(3.10)
 連休二日め。体力使った。荷物運びで汗だくになった。部屋には本の類いも多いが、衣類も多い。それはけしておしゃれだからとかではない。一度も着ていない服があり過ぎ。そして悲しいことに、そのほとんどが現在の僕には入らないのだ。ストレスは欲望となって現れる。ある時はそれが購買欲だったり、またある時は食欲だったりする。サイズの小さいこの服たちは、着るモノばっか買ってた頃の遺産で、このサイズの大きくなった身体は、やたらと喰ってばっかだった頃の遺産だ。エントロピーの増大じゃないけど、人間の欲望も膨れる一方で、萎むということはないのだろうか。それにしてもおさまらない咳。咳にはダイエット効果があるだろうか。なんていうどうしようもないことを考えている雨降り日曜日の昼下がりである。

■びっくりだ(3.9)
 BOOK・OFFに本の買い取りを頼んだ。文庫本単行本など120冊ほどで3220円なり。教育関係の雑誌は値段がつかなかった。ま、こんなもんだろ。部屋に残ったおびただしい数の本。必要なものを厳選したつもりだったけど、それでも本があり過ぎ。すごいや。びっくり。驚いた。これが全部片付けばすっきりすると思った。これは、図書館を大いに利用すべきだね。で、図書館から借りっ放しの本が出てきてこれまたびっくり。あわわわ。どうしよう。返さなきゃ。…どうもすみません。

■通院記録(3.8)
 午後になって咳がますます激しくなる。喉の痛みも消えず。仕方がないので帰宅途中、国立療養所盛岡病院の時間外受付に寄って受診。5種類の飲み薬を5日分、処方してもらった。帰って夕食をとり服薬、19時過ぎに就寝。しかし、夢うつつの中、咳はいっこうにおさまらない。午前0時、再び薬を飲む。繰り返す咳のために喉の奥が切れたのだろう。痰に血が混じるようになってきた。情けないけど、こんなことは今までなかった。最悪の状態だ…。

■風邪→気管支炎→肺炎(3.7)
 咽喉が痛くて苦しくて、目が覚めた午前4時。咳が嫌になるほど続いて、そのうち鼻血が垂れてきて、しばらくは止まらなかった。
 窓を開けると雪で真っ白だった。春のどか雪。今日は早く出なきゃと思いつつも、結局いつもと同じ時間になった。
 出勤前、アパートの別棟に住んでいるおじさんと挨拶を交わす。彼は解けたと思ったら降るんだものいやんなっちゃうねと言って笑った。
 
■深める前に 広げるために(3.6)
 きのう覚えた苛立ちも、きょう味わった感動も、すべてはこの枠の中で感じたこと。仕事をやってれば、きのうあれほどめちゃくちゃだった気持ちが、きょうは晴れやかで落ちついた感慨に変わっている、ということは日常茶飯事だ。ポジションとか、環境とかの所為にしてばかりいると、本当に大事なことを見失いそうな気がする。例えば僕が男だろうと女だろうと、若かろうと年をとっていようと、そんなことには一切関係がない。
 今、職場の飲み会から帰ってきて、いろいろと心の中に渦巻いていることがあるのだが、それは一言ではまとまらない。とにかく、不満たらたらという状況からは、何も生まれないと思う。少なくとも僕はもうそんなことは考えない。
 状況は刻々変わっていく。3月は古きを責める月で、4月は新しきを愛でる月だ。ここにいることを憂うなかれ。ここに生きていることを、もう嘆くなかれ。

■言葉(3.5)
 言葉によって彼らは動いた。でも、どの言葉がどう作用してそうなったのかはよくわからなかった。好ましい変化だったことはいいが、未だに謎は謎のままだ。
 風邪はそれほどひどくはならず、それほどよくもならず。明日は明日でいろいろあるし、今夜も早いとこ寝よう。

■風邪(3.4)
 風邪を引いてしまったみたいだ。熱もあるし、鼻は詰まるし、咳が出るし、だるい。熱をはかったら37.6度だった。風邪薬を飲んで早く寝よう。

■心のヤミ(3.3)
 仕事とは相対的なもので、何が「いい仕事」なのかというのは簡単にはわからない。みんなにとっての絶対的な価値をもつ立派な仕事をする人なんて僅かだろう。仕事をする中で人は成長していくというけれど、仕事をするうちに失っていくものの見方というのも実はあるのではないだろうか。
 安定を求めるなら、居心地のいい場所を探してずっとそこに居続けるのがいいだろう。でも、自分自身のものの見方を広げたいと思ったら、居心地のいい場所にはかなりの危険が潜んでいるかもしれない。ずっと同じ所にいると、外からの眺めがわからなくなるのは当然だ。ところ変われば品変わるというが、その場によって常識も考え方も異なるのはこれも当然。気を付けなければならないのは、その常識やものの見方が絶対であると誤解しないことだ。
 いい仕事がしたい。それは、周囲に自分を合わせるとか、自分の気持ちを押し殺すとか、そんなこととは正反対の気持ちがなければできないことなはずだ。つまり、自分というものを十分に生かせる状況にあって初めて、いい仕事というのが成り立つのだと思う。もし、そんな状況がないとして、できることは二つある。一つは自分を変えること。もう一つは、周囲の環境を変えること。どちらも密接に関わっているから単純に切り離して考えることはできないけれど、もしそうならとにかく一刻も早く手を打つしかない。
 一生井の中の蛙ならそれもいい。あるいは、おかしいとは思うけど居心地がいいからまだしばらくはこのままでいいというのならそれも一つの生き方だ。だけど、僕だったら違う道をとる。
 なんて、勝手なことを書いてみるのだが、そういう僕の心にも闇がある。解決していかなければならない課題をいっぱいに抱えているのだけれど、その中の多くのことに目をつぶっている自分がいる。心の闇に光を当てることでうまく回るようになるのかな。光の当っていなかった部分に光を当ててみることが大事なのかなと思った。かなりエネルギーの要る作業だけど。闇というのは「病み」なんだよな。

■週末(3.2)
 きょうは予定がぎっしり詰まって、帰って来たのは午後十時。仕事は仕事でへまをやらかすし、迷惑をかけてばっかりだったりするのだが、言われてもあんまり気にしない。意外と楽しいこともあった。悪いことばかりじゃないさ。土曜日はあと一回。もう少しだ。
 
■自由(3.1)
 2月はパズルのように日記を組み立ててみた。それが、脳みその今まで使わなかった部分を使うことができて意外とよかった。だけど、正直いうと2月からの解放感は大きい。字面にこだわったことにそれほどの意味があるとは思わないけれど、これも一つの実験ということにしておこう。
 さて自由になった。何をしようか?