2002年6月

■明日から7月(6.30)
 今年もきょうで半年が終わり。長かったワールドカップの期間もきょうのブラジルの優勝をもって終わり。紅白歌合戦のあと、ゆく年くる年を見てる時と似たような気分になっている。終わりは始まりでまた次を目ざしてスタートを切ったところなのだ。
 それにしても、きょうの決勝でもそうだったがチームメイトが国と国に分かれて対戦するということがよくある。世界のあちらこちらに国籍など関係なしのチームがたくさんあって、互いに切磋琢磨している。なんておもしろいんだろう。
 話し変わって、田舎道を走りふと目にするのが廃車になってそのまま放置されているバスたち。はじめオーナーは何か目的をもってそのバスを手に入れたはずである。物置き小屋とか、休憩室とか、よく見るとその放置している意図がわかるものも中にはあるが、時間が経ち朽ち方がひどくなってくると、ただの邪魔な粗大ゴミということになってくる。このまま放置していればいつか化石になるんじゃないかという気さえしてくる。バスの化石、なんてちょっとおもしろくない?
 そんな放置されているバスたちに哀愁を感じて、ちょっとしたページをこさえた。単なる写真だけだけど。それとその時の空があまりにも美しかったので、空の写真もいっしょに。

■ホリデイ(6.29)
 きのうは三時半に起きて、ある行事の計画書を作った。オレがやる筋合いではないと思ってはいたが、自分がやらなければ誰もやらないだろうと思い、テストの採点は後回しにして必死で作った。どうだざまあみろ。
 ところがその後、顔を洗おうと洗面台に向かって腰をかがめたとたんに、腰に激痛が走り、動けなくなってしまった。それほど重症ではないが、これは世に言うところのぎっくり腰である。しばらくすると痛みもいくらかおさまり、なんとか出勤には間に合った。だが、一日中たいへんだった。何か悪いことをしたろうかと恨みがましく思ったが、ざまあみろというのがいけなかったのだろうか。
 一晩寝たがまだ少し痛い。それゆえどこにも出かける気になれない。だから、きょうはこれからテストの採点をしよう。とにかく今日中には終わらせたい。作文を含めて記述問題が多いし、細かく評価しなければならなくなったし、異常に時間がかかってしまうのだが仕方がない。休日返上だ。

■テスト(6.27)
 きょうも感情の起伏が激しくて大いに疲れてしまった。落ち込んだりほっとしたりと忙しい精神生活。テストが終わったのだが、テストというのは生徒を試すのと同時に自分が試される機会でもある。今回の結論、やっぱりまだまだ、である。
 捨てる神あれば拾う神ありというけれど、視野が狭くなるとそれがわからず苦労する。そして苦し紛れにあれこれ吐き捨てる言葉が邪魔して、ほんとの心をみえなくしたりすることもある。
 だが気がつけばいろんな所に神がいるもんだ。救いはこのすぐ目の前にある。近頃ありがたいと思うのは、人間に宿る神の存在。人間の姿に形を変えて僕をどこかへ導こうとしている。

■未来世紀ブラジル(6.26)
 昨夜は眠気が起こらなかった。まるで秋の夜長。肌寒いから身体が秋と勘違いしたのだろうか。おかげで仕事がはかどった。
 日曜日に買ったCD。朝日美穂のミニアルバムと、それからHARCOの。かなりよい。音楽にどっぷりと浸かっていたいが、そうもいかない。
 昼に、PTAの広報に載せるというので趣味を訊かれた。答えにくい質問だが、音楽鑑賞と答えておいた。常に頭の中で鳴りっぱなしの音楽。
 たとえばきょうありがとうを何度言ったろう。おはようを。お願いしますを。すみませんを。日々次から次へと新しい場面が訪れる。けど、その次もその次もたいして代わり映えのしない瞬間だったりするのだ。スクールカウンセラーの先生の言葉によると、30代半ばはもはや中年期に差しかかっているのだという。終わりのわからなくなった現代の思春期が危ないように、現代の中年期もそうとうヤバいらしい。いわゆる反抗期がはっきりしなかった人は特に、だそうである。その自覚あり。覚悟せよということか。ところでいつ僕は思春期を終えたろう。
 東北新幹線が開通したのは20年前。友達と二人で駅に見に行ったのを思い出す。その時の自分と今と何が変わったのだろう。そして、こんな感じで20年後も同じことを考えてるんじゃないだろうか。この取り残されていく感覚は何だろう。これぞおっさんの感覚なのか。時間は、限られている。なんか、もったいないよな。とにかく表面的には穏やかに見えて、その実内面は毎日が嵐の日々。
 最悪というのはどんどん更新されていくものなり。苦あればさらに苦が積み重なるものなり。どんどん追い込まれていくばかりなり。
 みんなそうなのだろう。みんなそうなのだろうか。そんなことはないだろう。そんなことはないだろうか。

■評価(6.25)
 テストが近づいている。中間テストから約三週間。しかも、その間に行事があり実質的にはもっと短かったので、授業もそれほど進んでいない。だから、範囲もずいぶん狭いものになりそうだ。今年から評価が「絶対評価」へと完全に移行した。今までの相対評価は、他人との比較でできるできないを判断していたのだが、絶対評価は他人と較べるのではなくある一定の基準に照らし合わせて個人を評価する。しかし、自分のところではいまだにその一定の基準というものが定まっていない。かりに基準が決まったとしても、はたして複数の教科担任が同じ目で生徒を見れるのかというと疑わしい。そもそも絶対評価なんていうことが可能なのだろうか。そんなことをして許されるのだろうか。子供達にとっていいことなのだろうか。
 そうすることに決まったのだから、したがうしかない。難しいができるとか、やらねばならぬとかよく言われること。できなければ勉強しろ。たしかにその通りなんだろうけれども、全部投げ出したい気持ちになっている自分である。

■勝者(6.22)
 雨の土曜日の朝にはマリナーズの試合を見ていた。"Take me out to the Ball Game"を歌う観客の表情はめいめいが自由で晴れやかだった。イチローが三試合ぶりにヒットを打って、チームはアストロズ相手に8点差をつけて勝った。画面では今現在のきれいな月が浮かび上がっていたが、こちらでは雨脚が強くなったり弱くなったりしながら、天気はきょう一日回復しそうもない。
 テレビを消して、表通りを車が過ぎ去る音に耳を傾ける。けだるい午後を前にして、どこか遠くへ出かけたい気持ちとここに埋もれていたい気持ちが交錯する。そして、しなければならないことが頭をかすめながらも、できるだけそれを意識から遠ざけようとしたまま。
 こういう日にはじっくりと本を読むのもいい。本との出会い。偶然手にした本によって自分の中のすべてが再構築されることもある。だがそんな世界に入り込む前に眠気が邪魔をした。何かを変えようとする時にはエネルギーが要るものだと、眠りのふちでふと思いついたのは当然のことがら。
 何と闘うか。スポーツ選手たちはたとえどんなに苦しみながらも、プレー自体が楽しくてしかたないのだろう。そして勝負というのは言い変えると関係の再構築であって、理想を実現していく過程をあやまたず、そこなわず進んでこれた者が勝者になるのか。

■バスケ観戦(6.20)
 応援ということで、バスケットボールの試合を観戦した。7分間×4セット(って呼ぶのか?)。ルールもよくわからなければ、審判のアクションから、試合前後の選手たちの挨拶の仕方までバレーボールとは全然違っていた。コートには合計4個の電光表示があり、計時の係の生徒がこまめに時計を止めていてたいへんそうだった。3秒ルール、5秒ルール、8秒ルールに24秒ルール。バスケットは時間の枠で厳密に規定された競技だと思った。現代的というか、未来的というか、システマチックというか、メカニカルというか、そんな雰囲気だった(?)。
 女子のゲームはなかなか点数が入らず間延びした感じだったが、男子のゲームは目まぐるしく攻守が入れ代わり、点数もどんどん入るのでおもしろかった。こういう競技もあるんだな。今までNBAのゲームなどそれほど見たことはなかったが、今度じっくりと見てみよう。

■郡中総体(6.19)
 きょうはバレーボールの試合に興奮した。熱戦に次ぐ熱戦で、朝から始まった試合は6セットで夜7時頃までかかった。我がチームは健闘むなしく県大会に進むことはできなかったが、それでもすごい試合をした。生徒たちに拍手喝采である。ほんと御苦労さんでした。わお。
 明日は中総体の2日目。バレーは今日で終わりで、明日は野球の応援だ。授業がないのが何よりラッキーだ。わお。

■炎の火曜日に(6.18)
 きょうテレビで見たのは韓国とイタリアの試合。今まで見たサッカーの試合の中でいちばん興奮する試合だった。国なんか関係なく興奮した。サポーターの応援もすごかった。その場にいたならどんな風に感じたろう。アジアの雄として素晴らしいプレーを見せてくれた韓国チームを心から祝福したい。次の韓国戦にも注目だ。
 日本チームは惜しかった。最後の試合が見られなかったのは残念だったな。今回負けはしたが、これからの日本チームの動向を楽しみにしたい。ワールドカップといえばラグビーのアジア予選も行われているようだ。テレビでやるなら見てみたい。サッカーにはサッカーのおもしろさがあり、ラグビーにはラグビーのおもしろさがある。いろいろなスポーツの見方がわかれば、楽しみもぐんと広がると思う。明日は郡中総体で一日中バレーボールを見ることになる。テレビ観戦とは全く違うどきどきがありそうだ。
 逮捕前夜、鈴木氏の弁解が放送されていた。でも、最後の悪足掻きにしか聞こえない。何を言っても、キャンキャンとしか聞こえない…。あんたがほんとに国益を求めるのならば、これから大切な仕事があるはずだ。この期に及んで人のせいにしてもしかたがないんだから、潔くすべてを明らかにしてくれ。

■大一番(6.17)
 ここ数日は二百キロ離れたここらへんの電光掲示板にもスタジアム周辺の渋滞の予想が出ている。きっとその時間は何も知ろうとせずに、何も気にせずに、一生懸命仕事をしているにちがいない。そっちも大一番ならこっちも大一番で、世界中毎日それぞれの大一番があって、誰も代わりに勝負に出ることはできない。健闘を祈る。こっちも悔いのないようにやろう。

■「中村哲医師とアフガニスタン」(6.16)
 パキスタンやアフガニスタンで医療活動を行っているNGO、ぺシャワール会の福元満治氏の講演会が盛岡で行われた。当初は会の中心的人物である中村哲氏が講演する予定であったのが、アフガニスタンのロヤ・ジルガをめぐる情勢が不安定なために帰国できず、広報担当の福元氏が代わりに講演したものである。「誰も行かないところに行く。他人がやりたがらないことをやる。」という方針に貫かれた中村氏たちの活動は、他のNGOが次々と撤退していく中で、着実に現地の人々に理解、信頼され、18年間も続いているということだ。数々の戦乱や旱魃に翻弄され世界から見放された国の人々を救おうという意志の強さを感じ、では自分は何ができるのかという問いがまた突きつけられたような気持ちになった。
 現在のアフガニスタンは、メディアが伝えるような、タリバンの支配から解放され「復興されつつある」というような状況にはなく、むしろ事態はたいへんに流動的になっているという。メディアが報じる国の姿は、フィクションに近いとまで福元氏は語った。そして、現在国連で進めようとしている民主化の方向は西洋的な価値観の押し付けであり、もともと農村主体の国には不自然なものだとも言っていた。 さらに、昨年の同時多発テロにも言及した。それ以前の歴史の中で、アルカイダの前身であるアラブ義勇軍に武器を供与したのはアメリカであり、そのアメリカがアフガニスタンをテロ支援国家と呼んで経済制裁を行い、テロ後には激しい空爆を続けている。(誤爆も相当に意識的で、戦略的誤爆と言われているらしい。)つまり、テロを育てたのはアメリカなのだが、そのアメリカがテロとの戦争といって荒れ果てた大地を攻撃しているのだという。多くの人から聞いた言葉を、ここでも聞くことになってしまった。
 聞いてきたことをまとめて掲げるには時間がないのだが、いずれまた関連したことを書いてみたい。最後に福元氏が言っていた「本流の中にいては真実はみえない」という言葉が印象に残った。
 今回来ることのできなかった中村哲氏の講演会は8月5日に岩手県民会館で開かれるということである。

■サッカーから(6.15)
 このごろどうにも疲れがとれないので休みが必要だと思い、一週間ほど仕事を休もうと思ったがそんなことは無理に決まっているので、仕事ではなく日記の更新を休んだ。だが、休んだ分おもしろいことを書けるようになったかというとそんなことはない。人間サボり癖がつくととことんサボりたくなる生き物のようである。書かない状態というのはとっても楽チンだ。今日も明日もと思っているうちに一週間が過ぎた。ところが文章というものは書かなければ書かないでどんどんまとまりがつかなくなってしまうものだ。そして軌道が修正されるまでにはかなりの時間を要するのである。修行がなっとらんと思っているところだが、この体たらく。これも自分自身の姿なり。
 「サッカーによせて」という谷川俊太郎の詩にぐっときた。授業やら学級通信やらで紹介したのだが反応がどうだったかはよくわからない。頭がワールドカップモードになっているせいで、冷静に判断できなくなっているのだろうか。一応こんなにわかサッカーファンも、開幕以来ずっとスポーツのことや世界のことやナショナリズムのことを考えながら日々を送っている。
 金曜日。日本代表の決勝トーナメント進出は、帰宅した7時前に知った。NHKニュース7では開始から45分、この関連のニュースが続いた。その間ほかのニュースは一切なし。人々を煽動?先導?するマスコミの力は強大だ。いいのか悪いのかは別として、素直にテレビの情報だけを受け取るのはとても危険なことなんじゃないかと、お人好しの僕でさえ感じた。シュートシーン、勝ちが決まった瞬間、街頭でのインタビューや知らない人たちがいっしょになって喜んでいる様子を見ると、やっぱり確かに心にじーんとくるものがある。でも、小泉総理が「涙が出るのなんでだろう、不思議だね」なんて言っているのを聞くと、ぞっとしたりもするのだ。
 選手たちといっしょに喜びを共有できるというのはありがたい。日本と共同開催国の韓国がそろって勝ち上がったので喜びも倍増だ。だが、いつもこういうところで僕はひねくれた見方をしてしまう。選手たちがここまできたのはそれ相応の計画と格闘と苦悩があったからなはずだが、実のところ僕らは彼らの苦しみを何一つ共有してきていない。彼らがどんなに過酷な道をここまで切り開いてきたかを乏しい想像力をはたらかせてありったけ思い描いてみたい。つらい練習。自分の中の葛藤。ミスを繰り返した子どもを部活の鬼コーチが頭をがつんと殴ったり、汚い言葉で罵倒したりする。レベルは全く違うけれど、厳しさというものは目的をもって活動するチームが経験する必然的な過程なのだろう。そこから逃げちゃダメなんだな、自分からぶつかっていかなきゃダメなんだな。
 苦しむ姿を見せないで、あれだけすごいことをやってのける。そして、多くの人々に喜びと感動を与える。これはどう考えても素晴らしいことだ。特に町中で派手に盛り上がった若者たちの心の中には、これから先も青春時代の美しい思い出として青いユニフォームがちらついたり、大合唱が響いたりするのだろう。
 大いに興奮結構。お祭り騒ぎ結構。ニッポンコール結構。でもそれを、単なるサッカー祭りで終わらせるのはもったいない。僕は単純なもんだから、テレビを見ていて思うのは、「次はオレが勝つ番だ!」ということなのだ。なんてめでたい性格でしょう。日本代表へのエールは同時にわたしたち一人一人へ向けられたエールでもあり、勇気と闘志を呼び起こしてくれるのではと思う。
 
    サッカーによせて  谷川俊太郎
  
  けっとばされてきたものは
  けり返せばいいのだ
  
  ける一瞬に
  きみが自分にたしかめるもの
  ける一瞬に
  きみが誰かにゆだねるもの
  それはすでに言葉ではない

  泥にまみれろ
  汗にまみれろ
  そこにしか
  憎しみが愛へと変わる奇跡はない
  一瞬が歴史へとつながる奇跡はない
  からだがからだとぶつかりあい
  大地が空とまざりあう
  そこでしか
  ほんとの心は育たない
  希望はいつも
  泥まみれなものだ
  希望はいつも
  汗まみれなものだ
  そのはずむ力を失わぬために

  けっとばされてきたものは
  力いっぱいけり返せ

■ゲーム(6.9)
 先週の疲れが抜けないままに日曜日も終わってしまう。そして明日は授業参観だ。いろいろとある。いろいろとあるが、どれもたいして変わりがない。毎週同じパタンで過ぎていく。何も始まらないし、何も進まない。おもしろいけれど、まだまだだ。
 サッカー日本は地の利を生かして勝利。ロシアの人たちにとっては蒸し暑過ぎたのかな。これがあと三週間続くのか。エネルギー要るなあ。
 日米の教師のプロ意識に雲泥の差。そりゃそうだという感じがする。このままずるずるってのはかなりヤバいことなのかもしれない。いや、自分自身の生き方としての話。よく考えると、もっといろんな夢が見えてくる。そうして夢を叶えるためにだけ生きている。何かを犠牲にしてまでもそっちのほうに全力を費やすことが大事だよ。もし元気でいられるなら、あと十五年というのを区切りにして、具体的に動いてみようと思う。せっかくの人生なんだし、三十五年もこんな感じできてしまったんだし。もう捨てるものは捨てる。で大どんでん返しを狙うさ。

■昨夜のこと(6.8)
 盛岡で飲んだ。少し早く帰って車を置いて、電車で出かけた。運よく座れた電車の中では、疲れてずっと眠っていた。久しぶりの盛岡の街は緑がきれいで、どこかの外国の街のような感じがした。最高気温29.9℃。真夏ほどは湿気がなく、爽やかな暑さだった。二三日前、イングランドから来たサポーターが札幌に行く途中盛岡を訪れ、酒の酔いを覚まそうと北上川で泳いだ後そのまま眠ってしまったら、フーリガンかと怪しまれて警察に保護されたという話があった。たしかに、北上川の狭い河川敷きには草が茂り、ごろんと寝転がったら気持ちよさそうだった。途中で以前世話になった某校長とすれ違った。元気かと言ってなぜかオレの腹を触ってきた。
 中国のイメージで装飾されたこじんまりとした店で、中国料理だかなんだかわからないいわゆるアジア系創作料理が出ていたけど、食べ物はあまり食わずにビールとかワインとかをたくさん飲んだ。そのせいで今日の昼まで気持ちが悪かった。
 一次会で抜けて、同じく電車で帰る同僚と盛岡駅に来た。切符を買い、改札を入ろうとしたがどうも様子が変である。黒板には、信号故障のため列車が全て止まっているとある。まあそのうちなんとかなるだろうとホームに上がった。ところが、電車を待つこと1時間半、いっこうに電車は来ない。ホームは客でごった返し、みんな疲れた様子。飲み過ぎたオレも立ちながら半分寝ている状態だった。すると構内放送で、結局きょうは運転再開できない。タクシーで代行輸送をするからいったんホームを出てくれということだった。みんなぞろぞろと移動したが、対応が悪いと駅員に詰め寄る人もおらず、ハンドマイクの駅員の指示にしたがって、目的地別にみんな整然と並んでいたみたいだ。何百人の客がいたかわからないけれど、これみんなタクシーなんてJRも大損ですねなどと見ず知らずの人たちで話していた。三四人ずつタクシーに乗り合ったわけだが、タクシーの運転手さんは、こういうことはよくあるよと言っていた。新聞によると、二千五百人の足が乱れたらしい。帰ってきたのは午前1時頃だった。
 
■きょうもサッカー(6.6)
 毎日サッカーがおもしろくて目が離せない。なんて言ってるとほんとに何もできなくなるので、ほどほどにしとこうかと思っていたら、きょうはフランス対ウルグアイ。レッドカードも出たし、格闘技といってもいい激しく荒れた試合だったな。結局やっぱり最後まで目が離せなかったよ。でもどうしてサッカーの審判てあんなにも胡散臭い顔をしているのだろう。それは顔が胡散臭いのではなくて(当たり前)、審判の仕事が非常に微妙だということだな。今日のゲームの主審はイヤだったろうな。選手もそうとう疲れたろうが、一番疲れたのは審判の彼かもしれない。

■国と国との対決(6.4)
 いやあサッカーおもしろかったねえ。日本対ベルギー戦興奮しました。そんでもって引き続き韓国対ポーランド戦まで、テストの採点そっちのけで全部見てしまいました。やりましたね韓国、初勝利おめでとう!!
 韓国選手の中にはJリーグで活躍している人が何人もいるんですね。そして日本にも中田や小野をはじめとして、いろんな国で活躍する選手が何人もいる。大リーグもそうだけど、世界の頂点を極めるチームには国籍なんて関係なく力のある選手たちが集まるんだな。それがひとたびワールドカップのような世界大会があると、国や地域に分かれて互いに戦うのだ。
 そんな興奮のかげで、予断を許さぬ状況が続くのは印パ関係。「すべての武器を楽器に」というのがあったが、それと同じように、すべての武器をボールにかえて、スポーツで物事を決めたらどうだろう。インドもパキスタンも核兵器なんかぜんぶ廃棄して、サッカーで勝負してみたらいいと思う。FIFAやIOCを国連直属の機関にして、スポーツを国際紛争解決の手段として取り入れるよう真剣に議論してもらいたい。なんて馬鹿げてる?
スポーツで世界を結ぼうというのならこんな提案もあり??あるいは、スポーツそのものが平和の中でしか成立しないものなのかな??

■末期症状(6.3)
 官房長官の発言やら、防衛庁の個人情報リストやら、もう終わってるとしか言い様がない。誤魔化そうとか、隠蔽しようとか、そういうレベルではないんだね。根本的な思想や理念てのが完全に欠落しているわけだ。あんなやつらに国のかじ取りを任せてしまっているのであれば、ほんとにとんでもないことになりかねないぞ。どうする?どうする?
 頭にくることといえば、やっぱりサッカーのチケット問題だねえ。みんなで怒ってあちこちで損害賠償請求するしかないか。ほんと人を莫迦にした話だ。バイロム社もバカだし、FIFAもバカ。日本の組織委員会もどうにかなんないのか。会場に足を運ぶ熱心なサポーターよりも、巨額の放映権料を払ってくれるマスコミの方が大事だということだよな。こんなんじゃ世界最大のスポーツの祭典も存続が危ぶまれるぞ。どうする?どうする?

■居場所はどこだ?(6.2)
 サッカーのチケットがもしかしたら手に入るかもと思ってFIFAのサイトに行こうとしたがつながらなかった。もし買えたとしても見になんか行けるのかというと行けるわけないんだけど。今日は中間テスト前日だというのに部活の大会だった。早朝から6時過ぎまでの拘束で、帰ればぐったりきて何もしたくない。子供達は大健闘の初優勝。僕も喜びを顔に出しはすれども、腹の中では矛盾を感じっぱなしだった。ベテランコーチの横で突っ立っている素人監督の居心地の悪さよ。なぜ僕が君たちの監督なのだ??
 中1の時の担任だった先生がすっかり偉くなってしまって、先日朝刊にインタビューが載っていた。「土日もなく過熱する部活動、ゆとりがなくなっている子供達が心配だ」子供達も大変だがこっちも大変だ。(贅沢言うなという声が聞こえそうだが、本音を言うとこの商売でいちばん辛いのはここだ、とオレは思っている。休めないことがもたらすストレスの大きさときたらない。鬱症状の始まりはいつもここからだ。)その先生はいつも作業服を着ていて、職員室にはいないで教科の準備室で道具の手入れなんかしていたのを思い出す。RCの歌みたいな感じだ。僕に関しても、職員室が居心地悪いのはどこに来ても同じ。かといって教室がそれほど気持ちいいわけでもないんだけどね。けして引きこもりはしないけど、いつでも覚悟して向かっているよ。職員室にも、教室にも…。
 先生、あなたの教え子はこんなになってしまいました。オレってさ、もしかしていわゆる負け組?ガーン!(頭をゴールポストにぶつけながら)
 どこに行ってもしっくりこないんですね。そこでどっか行きたくなるんやね。漂流したくなるんやね。悲しい色やね。ところが今夏の旅はかなりの確率で計画中止になりそうなので、かなり落ち込んでいる。あきらめるもんかといろいろと情報を収集しているのだが、案外これは一人旅はもうやめとけという啓示かもしれないので、なるようになれレットイットビーザロングアンドワインディングロードってとこかな♪

■真夜中のダンサー(6.1)
 僕の町の小さな商店街にも、真夜中に歩道で踊りを踊る人がいる。誰も通らない目抜き通りで、ラジカセで音楽をかけながら、朝の五時頃まで踊り続ける二人組。そういう楽しみ方もあるのだなあ。