2002年8月
■残暑(8.27)
 電車通勤も悪くない。駅まで歩いてゆっくり10分。電車で10分読書タイム。駅から職場までも10分。朝夕の有意義な時間となる可能性もある。
 ただきょうみたいに蒸し暑いと、10分歩いただけで汗が出てちょっと不快だ。運動不足が解消するころには、もうすっかり秋だろう。
 きのうの部活ではしゃいだのが、今頃筋肉痛となってあらわれてきた。二日目だったら早いほう?幸か不幸かきょうは活動がなかった。
 駅から家までの帰り道。田んぼの道を抜けて狭い路地へ入る。家々から漂ってくる夕餉のにおい。子供達の笑い声や年寄り達のおしゃべりや。懐かしいのはその場面が、旅先の情景に似ていたからだ。シエムリアプの宿舎から見えた夕方の家々の雰囲気も、ちょうどこんな感じだった。

■雨の花火(8.24)
 大曲の花火大会と日を同じくして、オラが町の花火大会も行われた。雨が降っていたのだが、お盆から二回目の延期の末に強行したという感じだった。傘をさしながら見る花火だったが、近くだったので迫力はあった。雷も鳴って、稲妻と花火が同時に光るのを初めて見た。
 ただ、花火の最中にも誰がしゃべっているのかスピーカーから下品なアナウンスがだらだらと流れていたのには閉口した。やっぱり田舎だと思った。

■言論の自由(8.20)
 日曜日には最悪なことがあって落ち込んでいたが、いくぶん冷静になって自分の行動を振り返ることができるようになった。嫌なことというのは誰だって避けて通りたいものだが、時には必要なこともある。苦労は大切だ。
 まあ、何を苦労したわけでもないのだが、正直いうと実際、夢を自らの手で葬ってしまうところだった。危ないところだった。
 読んでいる人には何があったのかわからないだろうが、これ以上は書くわけにはいかないので悪しからず。
 最近どうもノートがすかすかだ。これといって世間様に発表することなどないのだ。何もしてないわけでないし、考えてないわけでもないし。でも、公表する必要はない。むしろ、公表していいことというのはほとんどないのではないかと思ってしまったりしている。したがって、旅について書くのもためらってしまう。受け取り方はいろいろで、すべての人にこちらが狙ったとおりに理解してもらえるだけの文章を書く自信がない。
 「旅をしている時の自分が本当の自分だ」などと言うつもりはないけれど、旅の大切さを説くにはまだまだ修行不足だ。今になって振り返ってみれば、僕の自慢話(自慢のつもりはなかったのだけど)が顰蹙を買い、ねたみを買い、結果的に自分の進路を思わぬ方向に変えさせたのではないだろうか。きっと幾人かにはこちらの真意が伝わったと思う。けれど、幾人かには伝わらず、誤解を与えてしまった。こちらの配慮が足りなかったし、表現しきれなかったし、要するに自分の力不足が不幸を招いたということなのだ。
 言論の自由とはいうけれど、これほど恐ろしいものはない。なんてことを思う今日この頃。

■送り盆(8.16)
 きょうも雨。花火も舟っこ流しも延期になった。暑中見舞いの返事を書いた。だが残暑見舞いとはとても書けないくらい、涼しいのだった。世界中で洪水が起きている。不思議なことに最近では、百年に一度といわれる災害が頻繁に起こるようになった。何もなく暮らすということがどれだけ有り難いことか。
 親戚回りの後、マルカンデパートの大食堂で昼食。20年くらい時代がさかのぼったような感覚。家族連れでごった返していた。もう盛岡やその他の都市からは失われてしまった光景がそこにあった。それは僕が忘れていた昔ながらの日本の姿だったのかもしれないけど、ここが違う国のような感じがした。

■お盆(8.14)
 気がつけばもうお盆に突入しているのだった。きのうまでの研修では四日間規則正しい生活をし、夜にはみんなと酒を飲んで楽しかった。日本全国みんな同じようにやってるんだなと思うとそれだけで元気が出てきた。これが今回の一番の成果だ。都道府県を越えた交流ってのがもっともっとあればいいと思うのだがなかなか難しいだろう。
 きょうは今にも雨が落ちてきそうな天気で、気温は上がりそうにもない。過ごしやすいのはいいが、このまま秋になってしまうのかと思うと寂しい。
 きのうの帰りに駅前通りでメスのカブト虫が転がっているのを見た。メスはよく見かけるのだが、オスはなかなかいない。都市化で虫も数が減っきている。それに反比例して昆虫の市場が広がっているそうだ。世界各地からさまざまな種類のカブト虫やクワガタが輸入され、日本で売られている。輸入の問題、生態系の問題と物議をかもしているらしいが、はたしてカブト虫をカネで買うことに何の意味があるのか。買う人がいるから売るんだとうそぶく業者もいるのだろうが、こんな商売は何か大事なことを踏み外しているんじゃないかと思える。
 小学校時代の夏休み。昆虫標本を作ろうと思い、とった虫の死骸に次々と虫ピン代わりのまち針を刺し、菓子箱の底に刺していった。ところが、カブト虫だけはまだ生きて動いていたので、これでは標本にできないと思い、僕はカブト虫が動かなくなるまで水攻めにしたり親父の酒に漬けこんだりした。そうして弱ったカブト虫にピンを突き刺し、知らんぷりをしてその標本を始業式の日に学校へ持参した。
 教室の後ろや窓側にはそれぞれ持ち寄った夏休みの作品が並べて置かれ、子どもたちが互いの作品を眺め合った。ところが、「おい、このカブトまだ生きてるぞ!」「わー、かわいそう!」そんな声が聞こえてきて僕ははっとした。見ると僕のカブト虫が、背中にまち針を付けたまま歩いて標本箱の中を這い回っていたのである。生きたままカブトにピンを刺す残酷なやつとみんなから非難を浴び、僕は最低の気持ちになった。
 夏休みの残りもわずかになったお盆のこの時期になると、よく思い出すことである。

■残暑御見舞申上げます(8.9)
 立秋を過ぎたので、もう残暑なのだという。暑いのは毎年のこととはいえこりゃ暑すぎる。いつからこんなに暑くなってしまったのか。ところが、お隣の朝鮮半島では大水害だというから、それも気の毒。
 きょう昼飯を喰っている時に蠅が何度も飛んできてうるさかった。思えばこんな暑い夏でさえ蚊の羽音の一度も耳にしていない。ボウフラのわく溜まり水など近所からは姿を消した。おかげで蚊に刺されて痒いなんてこともなくなったのは喜ばしいことか。金鳥の夏日本の夏は今となっては思い出の中。蚊取り線香のブタも情緒たっぷりなのだが現代では無用の長物。夏の夜のあのにおいが懐かしい。