2002年11月
■襟を正そう(11.30)
 ゆうべは教育を語る会に出たのです。といっても私は語らず、講演を聴いただけですが。講師の新妻二男氏は岩手大学教育学部助教授で、現在「30人学級を実現する岩手の会」の代表としても活躍されています。最近氏の講演は人気でこの手の会に引っ張りだこのようです。お話は軽快で楽しかったのですが、かなり核心をついたことをおっしゃっていたように思います。いい講演会に参加できてよかったです。
 その中で印象に残ったことは、現代の家庭や学校には知的文化的刺激が乏しいということでした。親や教師が口にする話題があまりにも知性に欠けるのではないかということです。これでは文化など生まれないとおっしゃっていました。また、モノがあるから子が育つのではない。人が人を育てるから人になるのだということばにはまったくその通りだと思いました。
 今まで学校も社会も、子どもたちに「善意」を押しつけ過ぎていたのではないか。善意の結果なのにオーライじゃないとしたら、自分たちの行いを省みてなおす必要があります。人間と人間の関係性をどう広げて、どう豊かにしていくか。「ねんごろな人間関係」ということばを使っていましたが、それを作っていくためには、越えなければならないハードルがいくつもあるなと感じました。
 今の子どもたちは、やった実感や手応えを求める傾向が強いのだといいます。その実感を大事にして、もっと自分で自分を認めていけるような社会に変えていきたい。それには、学校だけではもちろんなく、家庭でも社会でもやっていくことがある。政策的にも制度的にも修正が必要である。笑いの絶えない講演会でしたが、私が先生のお話全般で感じたのは、大人たちよ襟を正せという強烈なメッセージです。

■節電しよう(11.27)
 今年の冬の訪れは異常に早いですね。今も窓の外では雪がどんどん降り積もっています。きっと朝にはまた車の雪下ろしがたいへんでしょう。師走を前にこの雪です。もうすでに年の瀬の雰囲気も巷には漂い始めているみたいです。先日の朝刊には、この時期おきまり、おもちゃ屋の多色刷りのチラシが入ってきました。今でもそんなものを見るとやっぱり胸がわくわくするものです。
 最近よく目にするようになったのは、住宅地に灯されている電飾です。樹木に豆電球を巻きつけたものや、窓に蛍光色のランプを施したものなど、鮮やかに競うように飾りたてています。ただの住宅地が、このシーズンには灯りのテーマパークに変身すると言ったら大げさかな。去年聞いたニュースによると、どこかの住宅街の話では、その灯りを見に来る車で渋滞が起きていたとか。
 年末の電飾といえば、仙台の光のページェントや震災後に始まった神戸のルミナリエが有名ですね。東京でもそれに似たミレナリオなるものがあるそうです。それぞれに願いのあるお祭りで、歴史は浅いもののどれも人々の協力に支えられ発展しているイベントらしいです。僕はそれらを見たことはありませんが、きっと素敵な空間なのでしょう。観光客もたくさん来るのでしょうね。
 夜景の好きな僕ですからいつか行ってみたいとは思います。でもそれと同時に思うのは、電気がもったいなくないかということです。金持ちの国の一時期のイベントという気がしてなりません。また、なぜこれだけのエネルギーが世界に平等に行き渡らないのかと思います。さらに、その華やかなイルミネーションの三分の一は原子力からできてると思うと、複雑な気持ちになります。

■この道を往こう(11.24)
 小春日和の休日。お昼に少し車を走らせてきました。風のない陽気にうっすら遠く霞んだ早池峰山。太陽が反射してきらきら輝く北上川の水面。イギリス海岸にたたずんで、しばらくひなたぼっこしてました。芝生では親子連れがボールをけって遊んでました。
 ふらっと産直のマーケットに立ち寄ってリンゴを買ったり、途中店でネギラーメンを食べたりと、気ままなドライヴです。きょうは人も車も少ない道路を選んで走り、たどり着いたのがここでした。水が多く、賢治がドーバー海峡に面した白壁をイメージしたという泥岩は見えませんでした。
 この三日間、仕事のことをほとんどなんにも考えずに過ごしました。ゆったりとした時間でした。明日からはまた慌ただしい日常に戻るとはいうものの、今の僕は休日の穏やかな余韻を残して、いい具合にやる気の満ちた状態になっていて、こういう休み方をしてよかったと思います。
 忙しいのが当たり前だったり、いつも仕事のことで頭がいっぱいだったり。僕は先輩から、それでこそ教師だと教わりました。力もないくせに休もうなんて考えるな。それが子どもたちのためなんだからと。今の僕にそれを否定することはできないけれど、積極的に肯定もできないなあ。
 そんな日の記念に、ラジオから流れてきた懐かしい歌の歌詞を載せることにします。
  
      WHAT'S GOING ON       Marvin Gaye
  Mother,mother
  There's too many of you crying
  Brother,brother,brother
  There's far too many of you dying
  You know we've got to find a way
  To bring some loving here today,yeah

  Father,father
  We don't need to escalate
  You see,war is not the answer
  For only love can conquer hate
  You know we've got to find a way
  To bring some loving here today,oh

  Picket lines and picket signs
  Don't punish me with brutality
  Talk to me so you can see
  What's going on,what's going on
  What's going on,what's going on

  Mother,mother
  Everybody thinks we're wrong
  Oh,but who are they you judge us
  Simply 'cause our hair is long
  Oh you know we've got to find a way
  To bring some understanding here today,oh

■休みをとろう(11.22)
 きょうは平日ですが、私は休みをとりました。先週の新人戦の振替休日としてとったのです。きょうはテストの一日目で授業がなかったので、思い切って休みますと言って休みをとりました。月曜日もテストがあるので、何年ぶりでしょうか、なんと今回は部活なしの三連休です。
 同じように振替休日をとる権利がある人は何人もいるのですが、こんな場合たいていは、一日ずっと休むことはせずに少し早めの退庁ということでなんとなく済ませてしまう人が多いのです。私もこんなふうにちゃんととることにしたのは、もしかしたら初めてかもしれません。
 一人休むと必ずほかの人たちに迷惑がかかります。よほど体調が悪いときを除いては、休むのははばかられます。だけど、サラリーマンなら一人欠けてもなんとかなるものです。自分一人の力なんてたいして大きくありません。カバーし合うのはお互い様。きょうは私がカバーしてもらう番です。
 民間ではサービス残業が増えているというニュースも耳にしますし、学校でも週五日制になって却って忙しくなったと言われます。現実には休むのが難しい職場は多いと思うのですが、だからこそあえて、できる範囲で、積極的に休みを「とる」ことを実践していきたいものです。

■物語をうたおう(11.20)
 先日ある歌番組で、美川憲一と小林幸子が共演するコーナーがありました。紅白歌合戦でもお馴染みの二人が、例のごとく豪華な衣装に身を包み、トークに歌に熱演しておりました。バックダンサーにも趣向を凝らし、「蠍座の女」では、なぜかガイコツの衣装の人たちまで登場して踊っていました。コミカルな演出と美川憲一のキャラクターがマッチして、なかなかおもしろかったです。
 さらに、二人で歌った「お祭りマンボ」。リオのカーニバルさながらのダンサーたちが華やかにステージを埋めつくし、間奏のところでは「ブラジル」のメロディーに替わったりして、アレンジも凝りに凝っていました。テレビをみながら思わずいっしょに曲を口ずさんでしまいました。こういう楽しい雰囲気を作り出す仕事というのは素晴らしいものですね。
 ところがしかし、その凝った演出の陰で「お祭りマンボ」のストーリーが無視されていたことはちょっと残念でした。途中が割愛されて、エンディングになってしまいました。きっと初めて聴いた人たちには、歌詞の意味がわからなかっただろうなあと思います。おじさんがお祭りに夢中になって火事に気づかずにいる場面がカットされたのに、最後に突如として「家を焼かれたおじさんと〜」と出てくるのですから。
 限られた時間でどんなエンターテインメントに仕上げるか。きっとスタッフはギリギリのところで仕事をしているはずですから、そんなささいなこといちいち気にするなと言われそうです。けれど、歌詞にしっかりと物語が存在していたことが、古き良き日本の歌謡曲の良さではなかったでしょうか。歌詞を大事に歌う、物語を歌うということを忘れてほしくないなと思いました。

■謙虚になろう(11.18)
 昨日の大会では念願叶って見事に優勝を果たすことができました。すごいです。さすがかれらは立派です。一歩一歩努力して力をつけてきた子どもたちの姿を見るのは楽しいことです。そして、たまに今回のような特別なステージの片隅に立てるこの商売も悪くないと感じています。
 ところで、ここ何日かの自分の気持ちをちょっと客観的に見つめてみて、おもしろいことがわかりました。それは、心の中の欲望の存在です。特に一つ勝つごとに襲ってきたのは名誉欲というものでした。そんなことには無頓着だったつもりなので、これほどまでに強く感じたのは意外でした。
 実質的な指導はすべてコーチに任せている身ですから、自分が活躍したかのように浮かれてしまってはいけませんね。自分のしてきた仕事はほんの少しだけで、けしてひけらかすことなどできないのです。ささやかにお祝いして、また次へと地道に歩を進める以外にはありません。
 今後他のチームからは打倒○中といわれることになりますし、誰にとっても他人の勝利など気持ちがいいわけはなく、少なからず妬みやっかみが生まれます。こちらの言動によってはいつどこで要らぬ諍いを引き起こすかもわからないのです。恐ろしい世界に足を踏み入れたという感じです。
 
■○○の日を笑おう(11.12)
 きのう11月11日は鮭の日だったそうで。なんでも鮭という字は魚へんに十一十一と書くからということらしいです。そういえば、給食にも鮭が出ていたことを思い出しました。鮭の日だから鮭を食うか。なるほど。そんな調子で、毎日が何かの日になっているようですね。きょうは何の日かというと、12日でひいふうだから、なんと皮膚の日なんだそうな。今朝のニュースでやってました。ちょっとびっくりです。
 びっくりといえば、きのうは鮭の日のほかに、ポッキー&プリッツの日でもあったんですね。子どもたちの中には、きのうはポッキーを食べなかったから悔しいとか、来年はきっと忘れずに買うぞとか、真面目に言っている人もいたりするのですよ。では少しここで新しい日を考えてみましょう。明日11月13日はいい遺産で遺産相続デーとか、あさってからはいい人よで善人週間だとか、こうなるともうなんでもありですね。
 もともと鮭の日もポッキーも、なんとかかんとかこじつけて消費拡大を狙おうということで、特に後者などは一企業の策略に過ぎないわけですが、それにまんまと乗せられる若者もまた多いようです。新しく設定された記念日は枚挙に遑がありませんが、昔からある記念日にこじつけて商売しようとする例も多いですね。クリスマスやバレンタインデーなど、厳かな宗教行事だったはずの日が、今やすっかり商売に利用されちゃっています。
 このような日本の状況をどうすればいいのだろうかなどといって、オレなんかはすぐ批判的なモードでとらえてしまうわけです。いったいそういう売り方をするのがバカなのか、それともそれに引っかかるほうがバカなのか。はたまた、そんなことをいちいち書き立てているオレがいちばんバカなのか?なんか実にバカバカしい感じがします。ところで、皮膚の日って何をどうしようという日なのでしょうか。誰か教えてください。
 
■資格より技術をもとう(11.11)
 日本漢字能力検定、いわゆる漢検の問題が余っていたので、職員室の机で、ちょっと本気になってやってみました。職業柄この資格はもっていたほうがよいとは思います。でも、これまで受検したことはありません。生徒たちと机を並べてというのにはやはり抵抗がありますから。
 きょう解いたのは二級の問題。難易度は高校卒業レベルです。問題の中には漢字の読み書きだけでなく、部首を抜き出すもの、四字熟語とその意味を問うものなどがあり、侮ることはできません。自己採点の結果ではなんとか合格点をクリアして、ほっと胸をなで下ろしました。
 こういう○○省認定の検定試験などには、学生時代からまったく興味がありませんでした。ところが今の子どもたちは、資格というものにけっこう敏感で、検定に挑戦しようという生徒は年々増えているようです。教師の目で見ると、これは悪いことではないと思います。
 しかし違う見方をすれば、資格をもっているから有利とか、資格さえあればそれでよしとかいう考えに陥っているとしたら危険です。何級かということではなく、技術なり知識なりがその人の個性として発揮されることのほうが、ずっと大事ではないかと思うからです。
 
■人生に悩もう(11.8)
 一週間があっという間に終わってしまいました。このところ毎週毎週ものすごいスピードで過ぎ去っていきます。日常の中で、これといって素敵な出来事というのはなく、不幸な出来事もない。毎日淡々と粛々と消化しているといった感じです。ですから、ああ仕事が嫌だなあなんてことは感じないし、何に対してもそう憂鬱と感じることもないわけです。
 以前は毎日毎日悩みの中にいました。とにかく一秒ごとにさまざまな悩みが襲ってきては、はらはらどきどきしたものです。ところが、近ごろの自分ときたら、泰然自若といえばかっこいいですが、ずいぶんドライな感覚でものごとを処理しているみたいです。幸いなことにそれだけ重大な事態に直面していないという、それだけかもしれませんけれど。
 たしかに日々絶え間なくいろいろと困難は訪れているわけですが、それと人生の根源的悩みとは別物という気がします。人生の問題に正面から向き合い、悩んで悩んで悩み抜くにはそれ相当の莫大な負荷がかかるのであり、若さとは悩むだけのエネルギーがある状態ということなのでしょう。なんて言ってしまうと、自分はもう若くない、ということになりますが、いやいやそんなことはまったくありませんよ。
 こんなことを考えるのは、今そういう心の状態だからなのであって、明日にはまた悩みのどん底に落ちているということもありえます。楽あれば苦あり、苦あれば楽あり。日々というのはそうやって過ぎていきます。悩み多き人生。素晴らしきかな人生。いくら悩んでも、どん底と感じたとしても、すべて勉強。感謝の気持ちを忘れずに、自分から諦めさえしなければおのずと道は開けるのではないかと信じます。
 
■いい夢を見よう(11.5)
 ここ何日かのことなのですが、眠りについてからしばらくすると頭が無性に痒くなるという現象に悩まされていました。それでかどうだか、見る夢もヘンな夢が多くなっています。で、よくよく考えてみて一つの結論に辿り着きました。それは、枕に問題ありということです。
 僕が愛用している枕は、物心ついたときから使っているものなので、かれこれ三十年以上たつ代物。蕎麦殻を入れた、このでかくてずっしりと重たい枕がお気に入りでした。頭をのせると、その部分から首の辺りがうまい具合にへっこんで、抜群の安定感をもたらすのです。
 ところがこの枕もいいかげん古すぎるので、やっぱり取り替えたほうがよさそうです。きっと、蕎麦殻になにかの虫がわいているに違いありません。気持ち悪いですね。ほんとうは一つの枕を一生使い続けたいなどという願望をもっていたのですが、これではやむを得ません。
 とりあえず家にある枕のうちで一番大きなのを出しました。今夜からはこいつでばっちり安眠だぜ!いつ雪が降り出してもおかしくないほど寒い夜です。温風ヒーターのタイマーも忘れずにセット、きょうは早めに就寝します。さぞかしいい夢が見られることでしょう。

■冬支度をしよう(11.3)
 みなさん冬支度はお済みですか。いつの間にか温風ヒーターをつけているのが当たり前の気候になってしまいました。この頃では、寝ていて肩のあたりが寒くて、朝方に目覚めてしまいます。そして、ヒーターのスイッチを入れるということが続いています。タイマーをセットしておけばもっと快適な朝を迎えられるはずですが、情けないことに、実はそのタイマーの存在をすっかり忘れていたのです。
 きょう学校では練習試合がありました。日中の体育館はものすごく寒かったので、応援にいらした保護者の方たちのために、今冬初めてストーブを出しました。この四月に今の学校に転勤してきた僕は、ストーブの在り処から灯油タンクの使い方までまったくわからなかったのですが、たまたまいらしていたほかの先生からすべて教えてもらって、なんとか準備することができました。
 先週の休みには、初雪のニュースを聞いて慌ててスタッドレスタイヤを買ってきました。四本のタイヤのうち、すり減っていた二本だけ替えようと思っていました。ところが、お店の人が言うには残りの二本ももうだめです、取り替えないと危険ですというので、全部新しくすることにしました。臨時の出費がかさんでしまいましたが、車の足まわりは準備OKという感じです。
 人の意識のスピードを越えて足早にやってくるのが冬将軍。去年は薄着で無理して風邪を引き、病院にお世話になることがありました。ずいぶん苦しい思いをしたので、今年はそんな失敗は繰り返したくはありません。冬物の衣服の大半はまだ押し入れにしまったままなのですが、きょう明日中に出しておこうと思います。万全な準備をして、冬を快適に過ごしましょう。

■音楽をしよう(11.2)
 一日中暖かい部屋にいてなんやかややっていました。音楽をやりたくてコンピュータとキーボードをいじっていたのですが、結局うまくいきませんでした。どうやっても音が出ないので、もう投げ出したくなってしまいました。
 貴重な休日を費やしても全然進めなかったので、とても残念です。こういうことがあると、コンピュータから音源から全部買い替えたくなってしまうのですが、そうもいきません。やりたいことはまた先延ばしです。このペースだといつになるのでしょうか…。
 うまくいかない理由の一つには、説明書のわかりにくさということもあるのではないかと思います。マニュアルがCD-ROMに入っているものもありますが、これもはっきりいって使いにくいです。私のようなド素人には、やっぱりまだまだ敷居が高いと感じます。
 情熱さえあれば乗り越えられる。がんばれ。と、ある掲示板にはまるでスポ根ものみたいなアドバイスが載っていました。ついていけない僕は情熱が足りないのかな。そういうコトもたしかにあるのしょうが、けしてそれだけではないよなあと思ってしまいます。

■釣りに行こう(11.1)
 飲み会の席で、こんどみんなで釣りに行こうという話になりました。海に船を出して、ヒラメやらカレイやらを釣るんだそうです。職場の釣り人口は意外と多いらしく、話を聞いていて、自分もぜひ行きたいという気持ちになりました。釣りにはその人の性格が表れるとはよくいわれることですが、それぞれの釣りの姿を見るのもおもしろそうです。それに、自分がいったいどのような釣りをするのか知りたくなりました。
 僕の釣りの経験というのはほとんどないに等しく、かつて渓流沿いに住んでいたときに、家の前の流れに釣り糸を何度か垂らしたことはあったのですが、一回も魚がかかったことはありませんでした。ひょいひょいと器用に竿を扱い、おもしろいようにイワナやヤマメを釣り上げる子どもたちを見て、すごいもんだなと感心したけれど、自分もうまくなりたいなどと考えることはなかったのです。
 昨夜は、釣りとその人の女性関係との相関についても話題にのぼりました。あなたは奥さんに釣られたんだとか、じっと待っていい人を釣り上げたとか。それぞれの顔をみながら話を聞くとなるほどという感じでした。そして、自分はどのような傾向の持ち主なのかを知りたくなりました。それにはやはり、まずみんなと同じ土俵に立ってみなければわからないことだと思います。
 どうも今の自分には、大物を釣り上げるようなイメージはまったくもてません。もしかするとすぐに飽きて、船上でのんびり昼寝なんてことになるかもしれないし、船酔いでそれどころではなくなっているかもしれません。いずれにせよ、やったことがないことをやれるチャンスというものはなかなかないので、この機会を大事に、楽しんでみたいと思います。釣りは、今月の下旬に行く予定です。