2002年12月
■仕事納め(12.28)
 きょうで今年の仕事は終わりでした。
 とはいってもきょうの仕事は、
 仕事であって仕事ではなくて、
 いうなればボランティアみたいなもので。
 いやけしてボランティアではないですけども、
 けっこう近いんじゃないかなと考えています。
 ボランティアとは最近ずいぶんよくきかれることばですが、
 その意味をちゃんと理解しているわけではないと、
 感じます僕に関していえば。
 地震や重油漏れの時などに、
 活躍されていたことを思い出しますが、
 何かあった時にする活動を指すものではないでしょう。
 ましてや外国でなければできないものでもないし、
 特別な休暇をもらって行うような仰々しいものでもないはず。
 もう三年前のこと、海外ボランティアに行きますと言ったら、
 校長先生は「ありがとう」と右手を差し出してきました。
 その「ありがとう」はどういう意味なのか。
 あの時のことを思い出すとちょっと恥ずかしいのですが、
 僕の中にも完全な誤解があったと思います。
 きょうの仕事だかなんだかわからない仕事は、
 とうていボランティアとはよべないけれど、
 ボランティアスピリットなしではできないことだと思います。
 少なくとも嫌々やったのではないと言い切れる。
 たいへんではあるけれど人のために進んでした。
 その意味でもお疲れ様でしたと自分に言いたい。
 ボランティアスピリットはまるでカウンセリングマインドの兄弟みたいに
 僕には聞こえたりするのです。
 それはかなり勝手な解釈ではありますけれども、
 今の僕の中ではけっこうしっくりきていたりします。
 考え方一つで、
 自分の仕事の内容を広げることもできるし狭めることもできそうです。
 あの、あくまでも広い意味でとらえていただきたいのですけど、
 誤解を恐れずに言うならば、
 仕事というのは生きることそのものではないのかと。
 こういう充実感だか希望だかよくわからないけれどもこんな心境に至ったのは、
 きっと明日から休みというのが理由だと思います。
 限られていることを意識すると生き方が変わってくるようです。
 この連休のためにこれまでやってきました。
 また旅に出ます。
 どちら様もよいお年をお迎えください。
 
■メイプルリーフ(12.27)
 その国でもっとも大きな街の名前は、
 先住民の言葉で「出会いの場」を意味するそうです。
 さまざまな民族が共存し、
 それぞれの文化が花開き、
 多様性の中で人々が助け合って暮らしている。
 そんなきれいな大都市で、
 僕はいったいどんな日々を送ることになるのか。
 生きていくことは偶然を必然に変える営みであり、
 そのつみかさねこそが人生のページとなるのです。
 ふるさととふるさとは光で結ばれ、
 そこには距離も国境もありません。
 新しい自分のふるさとがまた一つ。
 にわかに気持ちが高ぶってきます。
 ほんとうに輝く日々にしたいと思います。
 
■マイグローブ(12.24)
 地球儀を買おうと思って、
 店を何軒もまわりました。
 けれど気に入ったものは見つからず、
 結局買わずに帰ってきました。
 デザインの問題なのか、
 雰囲気の問題なのか。
 どれもこれもイメージと
 かけ離れているような気がしました。
 僕にとっての地球とは、
 ただの球ではないのです。
 国別に色分けしているとか、
 山脈が幾分盛り上がっているとか、
 そんなことは関係なくて、
 地軸が23.4°傾いているのは当然としても、
 緯線と経線だけではまったく不十分です。
 都会と田舎。
 生活と旅。
 過去と未来。
 少数派と多数派。
 金持ちと貧乏人。
 美しさと醜さ。
 個人と組織。
 モノとココロ。
 子どもと老人。
 男と女。
 そんな対になることがらが、
 すべてまじわって一つになったら、
 理想の地球儀ができるでしょうか。
 誰もが理想の地球儀を、
 手に入れたいと思っているでしょう。
 でもてっとり早い買い物で、
 済ましてしまっているのかもしれません。
 難しいかなあ…。
 僕は自分の地球儀を
 自分でつくることにしました。
  
■ノザキに寄せて(12.22)
 家の仏壇には過去帳が掲げてあります。
 日付ごとのページがあって、
 その日に亡くなった御先祖様の名前と
 亡くなった年の元号が書かれてあります。
 古いものでは三百年以上昔の人の名前もあって、
 ある年より前の人からは名字が違っています。
 僕の御先祖様が名乗っていた姓が「ノザキ」です。
 どうしてノザキから今の名字になったのか。
 今では知る由もありません。
 けれど、昔はノザキだったんだなあなんて、
 なぜか感慨深く思うときもあるのです。
 そのころこの地方はきっと、
 なんにもなくて寂しくて貧しくて、
 そこで家族が苦労して耕作して、
 二年に一度は凶作だったりしたのでしょう。
 米のメシなんか口にすることもできず、
 親戚縁者に餓死者もあったことでしょう。
 どこからここにやってきたのかなんて、
 詳しい記録はなにも残っていませんが、
 原野をこつこつと切り拓き、
 寄り添いながらけなげに生きてきた
 そして大事な真実を子孫に手渡してきた
 ほそぼそだけども確かな営みが、
 名前の文字から見てとれるような、
 そんな気持ちがしたのです。

■夜の冬(12.20)
 僕が好きだったことば。
 苦あれば楽あり。
 朝の来ない夜はない。
 冬来りなば春遠からじ。
 ただ、
 死ぬまで楽にはなれなかったり、
 二度と朝を迎えられなかったり、
 永遠に春がやってこなかったり、
 ということもあるのです。
 心静かにして、
 明日を待つしかない。
 そんな夜に身を置いてみると。

 いろいろ勝手を言いました。
 約束をふいにするような人だから、
 僕はあの人を信用できない。
 でもみかたを変えると、
 周囲を裏切っていたのは自分です。
 約束をふいにするような国だから、
 僕はこの国を信用できない。
 けれど自分は何もせずに、
 不平をこぼしていただけでした。
 
 苦しみの中でどう生きるか。
 暗闇の中で何を見るか。
 寒さに凍えながらどこをめざすのか。
 待つことは歩むことであり、
 変わらないことというのは、
 人との約束を守ること。

 これまで大切にしてこなかったものすべてが、
 復讐しています。 
 これまで関わってきたすべての人のために、
 何をするかです。
 たとえどんな未来が訪れるとしても、
 未来は平等にやさしいものです。

■疑問(12.19)
 夜ごとイルミネーションの数が増えてきて、
 住宅街はクリスマスムード。
 デパートでも観光地でもないところで、
 競うように飾り立てられる普通の民家。

 楽しいですね。
 素晴らしいですね。
 僕にはそうしたくなる気持ちが理解できません。
 
 日本の化石燃料の輸入率はほぼ100%。
 原子力発電の割合は3分の1。
 エネルギー消費量は米、中、露に次いで世界第4位。
 上位10カ国で世界全体の65%を消費。
 地球には190以上の国がある。
 
 気分が盛り上がるからいいじゃない。
 クリスマスだものステキじゃない。
 僕にはもうよくわかりません。
 豊かになった日本の家族は、
 いったい何をすればいいのでしょうか。
 親は子に何を伝えているのでしょうか。
 願いって、
 どんなことなんでしょうか。
 できることって、
 こんなことなんでしょうか。

■うたかた(12.16)
 光陰矢のごとしとはよく言ったもので、
 あっという間にもう年末です。
 年賀状を書かなきゃ書かなきゃと思っているうちに、
 また新しい年になるのでしょうか。
 やりたいこと、欲しいもの、
 たくさんあったけれど、
 それらのいくつかは時間が経つうちに消えました。
 消えました。
 今ではなんにもなくなって、
 今ではなんともなくなった…。
 そのときの気持ちが唯一無二の真っ正直な本音
 だったはずなのに。
 いいことなのか、悪いことなのか。
 いったいどうしてくれましょうか。
 やっぱりあわのようなもんなのか。
 
■たった一人の人間として(12.15)
 誰でも自分の希望をいえば、
 素敵な人生を送りたいわけで。
 それでも人は困難を抱えて、
 望まなかったことに直面するわけで。
 そのときどんな顔でいれるか。
 そのときどんな気持ちでいれるか。
 いつわりもごまかしも、
 すべてはそこにあらわれるのでしょう。
  
 夢を見られる季節はそろそろおしまいで、
 これから考えなければならないことが、
 次から次へと押し寄せてくるでしょう。
 楽しいことはたしかにあって、
 それでも悩みは尽きないでしょう。
 思い描いた通りの人生を送れる人、
 送れない人。

 「彼はけして諦めはしませんでした。
 いつまでも希望をもち続けていました。
 歳をとるまで強く信じていたのですけれど、
 結局彼の人生は不遇でした。」

 目を向けるべきことがある。
 背けてはいけないことがある。
 国も制度も超えたところで、
 いのちとして向きあうことがある。
 
 望まぬ道を進むしかなかった人間の
 どれだけ多いことでしょう。
 たとえそれがどんな道であっても、
 これまで歩んできたことを
 誇りに思えるようであったなら。
 たとえ救いようのない境遇にあっても、
 たった一人の人間として
 胸を張って生きれたら。
 
■自業自得(12.11)
 珍しく学生時代の夢を見ました。
 大事な単位を取るための集中講義を受けていました。
 仲間たちとは和気あいあいで、
 僕はなぜだかヘラヘラしてて、
 生温い気分が蘇ってきました。
 ところが昼にもたもたしてて、
 午後の講義に遅刻してしまう。
 この単位を落としたらもう資格は取得できなくなる。
 お腹が痛くて遅れましたとか、
 別の先生に呼ばれてましたとか、
 いろいろ言い訳を考えながら自転車をこぐのですが、
 そのペダルの重いこと。
 いくら急いでもなかなか進まないのです。
 そしてようやく行きついた教室。
 がらんとしていて誰もいない。
 僕は青くなって辺りをさがしていました。
 
 どう考えても自分が悪いのに、
 人のせいにしようとしている僕のココロ。
 今こんな夢を見る意味はわかるけれど、
 正直がっかりしました。
 
■やあそれにしても(12.10)
 やあそれにしても寒いです。
 空気を吸い込むと咳きこんでしまうほどです。
 冬来りなば春遠からじとはいいますが、
 やっぱり今の寒いのはたいへんです。
 ああ春が待ち遠しいなんて、
 でも春になったら僕はさよならです。
 冬にしか味わえないことがあって、
 そいつをしっかと味わうことです。
 嫌だといってやり過ごしてしまった季節は、
 もう二度と戻っては来ないのですから。
 やあそれにしても遅いです。
 待ちくたびれて待っていることを忘れるほどです。
 待てば海路の日和ありとはいいますが、
 やっぱり来るものは早く来てほしいです。
 ああ早く教えてほしいなんて、
 でも春になったら僕はさよならです。
 ここでしかできないことがあって、
 そいつをしっかとやり遂げることです。
 今はけしてただのつなぎの日々ではなく、
 一日一日がかけがえのない真剣勝負なのですから。
 
■雪と書物(12.9)
 ほんとうのことに近づくには、
 どの本を読めばいいでしょう。
 誰よりも先にわかることには、
 どんな意味があるのでしょう。
 遠まわりで歩いているうちに、
 なぜだか君のそばにきていた。
 けれどもまた遠ざかっていき、
 再び近づくことはないだろう。
 もっとずっと前に気がついて、
 まっすぐ行こうとしてたなら、
 今ごろどこに着いていたろう。
 過去からの光に憂いがまとい、
 希望を覆い隠そうとするけど、
 それは命の淵にひそむ歓びだ。
 人のいる所に降る雪のように、
 あたたかく包み込んでくれる。
 たとえ最後の一人になっても、
 笑顔で迎えてくれるでしょう。

■一つのレッスン(12.7)
 最近の授業についてです。
 さあ間違った答えを書きましょう。
 自分にしか出せないような、
 世界でたった一つの答えを出しましょう。
 受けをねらうのもかまいません。
 人を思わず唸らせるような、
 気のきいた答えを考えましょう。
 間違ってはいけないと、
 そんな観念に凝り固まっている子どもたちを、
 解きほぐしてやりたいと思います。
 正解じゃなきゃダメと、
 彼らを無意識に萎縮させたのは、
 誰でもない教育の責任です。
 間違っていいんだと教えながら、
 それを許さない教師の、親の、大人たちの、
 なんと多かったことでしょう。
 だけど授業の中で迷わず正解にたどりつかせる必要なんて、
 これっぽっちもないんですから。
 あんたのやってることは間違いだと、
 そう言う人には言わせておきましょう。
 正解ばかりの人生と間違いだらけの人生。
 あなたはどちらが本物だと思いますか。
 いつのまにか、
 「正解」なんかつまんないと思うようになりました。
 目が「サメル」を漢字に直しなさい。
 「覚める」と正しい答えを書かせて、
 マルを付けてそれで終わり。
 そんなそらぞらしい時間にはしたくありません。
 「鮫る」とか「佐目留」とか書いた子たちを、
 僕は抱きしめたくなりました。 
 寄り道あり、失敗あり。
 誰だってそんなふうなんですから。
 肝心な時、うまくいきゃあいいんですから。

■ありがとね(12.6)
 よかれと思ってやっていることが、
 実は人に迷惑をかけていたというのはよくあることで、
 ほんとうは迷惑をかけどおしなのが、
 生きているっていうことかもしれなくて、
 「人に迷惑をかけなければ何やってもいい」とはよく言われるけれど、
 人に迷惑をかけずに何かをやることなんて不可能なわけで。
 そんなふうに考えると、
 気持ちが小さくなってしまうかな。
 それともこれがおごりというものなのかな。
 
 ごめんなさいなのか。
 ありがとうなのか。
 その違いはどういうところにあるのかな。
 僕はいつもあやまってばかりで、
 感謝の気持ちをことばにすることなんて少ないかな。
 みんなに迷惑かけっぱなしで、
 いっつもたすけられてばかりです。

 ごめんね。
 ありがとね。
 
■セルフサービス(12.5)
 どんどん便利になっていく僕らの生活。
 日本全国どこへでも、お好きな時間にお届けします。 
 おかげでドライバーたちは不眠不休。
 過労が元での事故も急増しています。
 それでもサービスには限度がありません。
 さらに便利に、お客様にとっていいように。
 エスカレータは止まりません。
 そうやって肥大してきた会社がきょうまたつぶれました。

 享受する側だって、あるときは提供する側にもなるのです。
 そのとき自分は自分を省みることなしに、
 理不尽な不平を漏らさないとも限りません。
 粗悪品ばかり並べ立てておきながら、
 受け手を見下して軽蔑してしまうということも。
 なによりそういう自分が現れることが恐怖です。
 モノにはココロが宿っていて、
 すべてのサービスはココロを授受する仕事です。
 ココロの授受というものは、
 上下の力関係で行われるのでもありませんし、
 ましてや誰かの犠牲の上に、
 成り立つものではないのです。

 ですから、
 もっと欲しいもっと欲しいばかりいうのはもうやめましょう。
 それよりこの世にたった一つ。
 自分にとっての最高のモノを手に入れることを考えましょう。

■人間になる(12.3)
 テストの点数によって小遣いがアップダウンするとか、
 百番以内だったら何か買ってもらえるとか。
 そんな約束をさせられている少年少女たちのなんと多いこと。
 そういう契約モドキを僕はえげつないと思ってしまいます。
 十二月は三年生にとって進路選択の大事な時期。
 三者面談を終えたある生徒が、
 あんな高校を選ぶなんて恥ずかしいと親に怒られた。
 そう言っていたのを聞きました。
 一方きょうPTAの会議の中で、
 新しい世代の価値観の多様化というのが話題になりました。
 保育園に勤めている人の話。
 あるスーパーマーケットで子どもが、
 売り物のお菓子の袋を開けて食べ始めたんだそうです。
 それを見たあるおばさんが何やってるのと注意すると、
 その子の母親がおばさんに向かって、
 あとでお金を払えばいいんでしょうって。
 ほっといてくださいあかの他人でしょうって。
 気がつけば、
 毎日毎日そんな話ばっかり聞かされるようになっていました。
 
 ある先生がこんなことを教えてくれました。
 「ひょっこりひょうたん島」の中のくだり。
 なぜ勉強するのか。
 それは、人間になるためなんだって。
 僕らは一生懸命勉強して、やがて人間になるんだって!
 あぁ、あぁ、
 僕も人間になりたいよう。
 
■ストーブ(12.2)
 部屋の乾いた空気のせいで喉が痛くなりました。
 眠っている間に風邪の菌が入り込んだのかもしれません。
 温風ヒーターはたしかにあったかいのですが、
 そのままだと湿度のバランスは悪くなってしまいそうです。
 
 我が家では反射式の石油ストーブをまた出しました。
 小さくて古いストーブもこれでまだまだ使えます。
 やかんをのせているとシュンシュンとすぐにお湯が沸き、
 加湿器代わりにもなるわけですね。
 温風ヒーターよりもよほど健康的な気もします。
 
 懐かしいにおい。
 よく父は南部せんべいなんかを上にのせて食べたものです。
 トーストだってストーブの上で焼いて食べました。
 僕は干し芋を焼いて食べるのが好きでした。 
 食べることと暖房は切り離せない関係だったのですね。

■君待ち月(12.1)
 十二月は昔から、詩人のものときまっています。
 けして教師のものではありません。
 あのときみんなでそろって歌った歌も、
 きょう一人でさみしく歌った歌も、
 歌には変わりないはずなのに、
 やっぱりどこか響きは違って、
 今は誰にも聞こえない透明な声が、
 通りに鳴り渡っています。

 カレンダーを買う習慣はもうなくなりました。
 しょっちゅう時計を見るくせもなおりました。
 ほんとは先月中に来るはずだった大事な知らせは、
 案の定ここへは届きませんでした。
 人を大事にしないこの国の仕組みの一端。
 現代ニッポンの若者みたいに、
 僕にもまだまだ辛抱が必要です。