2003年4月                                     
■4月も終わり(4.30 Wed)
 ここに来たのが6日だから、3週間ちょっとか。朝夕の風景には見慣れてきた。仕事についていえば、子どもたちと接する時間はほとんどなくなったが、毎日新しいことがあって、知れば知るほど目が回るような感じだ。早く帰れていいと思っていたのはつかの間で、仕事が終わらなければ帰るわけにはいかない。
 まとめようと思ったが、全然まとまらない。まだ導入段階のまっただ中である。

■グリーンデイ(4.29 Tue)
 日本ではみどりの日のきょう、カナダでは平日だった。いっしょうけんめい仕事をした。
 汗ばむくらいに暑くなって、柳の芽などはあおあおとしてきた。もう少しで、すべての樹木が爆発的に芽を吹きそう。ここでは春は短くて、あっという間に夏がくるという。短い夏が。

■CNタワー(4.28 Mon)
 休日はすっかり観光客と化している私ですが、きょうはオンタリオ湖に面したクイーンズ・キーというあたりを散歩してから、CNタワーの展望台に登りました。やっぱりトロントに来たら一度は登ってみようとは思っていましたが、さすがに世界一、上からの眺めは壮観といいますか、正直私は怖くて足がすくんでしまいました。
 展望台の低い方は346メートル。東京タワーのてっぺんよりまだ高いところから見下ろします。しかも、CNタワーは、東京タワーのように下からじょじょに細くなる構造とは違い、地上からほぼ直角にのびているので、タワーの下の部分が見えません。
 なんと恐ろしいことに、この展望台の階段を降りると、グラス・フロアという床が透明のガラスでできている場所があるのです。他のお客さんたちはけっこう平気でその上に乗って、歩いたりしていたのですが、私はしばらくは怖くて怖くて下を覗き込むことさえできませんでした。でもせっかく来たのだからと、壁につかまりながら少しだけガラスの上に立ちました。まじめな話、恐怖でめまいがしそうでした。
 さらに、そこよりも100メートル高いスカイポッドという展望台があるのです。私はよせばいいのにそこまで登れる券を購入していたのでした。中央のエレベータに乗って、出るとそこは地上447メートルの世界。私は恥ずかしながら怖くて腰が引けてしまって、壁伝いに一周するのがやっとでした。
 早いうちに登っていてよかったと思いました。もう二度と登らないかもしれません。皆さんトロントにいらした際は必ず登ってみることをお勧めします。
 
■ミュージカル(4.27 Sun)
 日本では観る機会がなかった「ライオンキング」を観てきました。非常によかったです。

■熱が出そうなくらい(4.26 Sat)
 2回目の授業日。前回よりはわかったが、やっぱりなんだかわからない。カナダに根を下ろして暮らしている人たちに共通する輝きがある。どうしてそんなに強くて優しい目をもっているのだろう。日本でもっていたものが必要なくなったのか、ここで必要になったものを身につけたのか。日本の抱える問題の大きさ。お上がそんなに大事か。仕えるべきは誰なのか。日本で宗教に代わるものは何なのか。熱が出そうなくらい頭が無駄に回転し続ける夜。
 身の丈に合った物をもつ。自分らしい物をもつ。だんだん高価になっていくわけでもなく、だんだん大きくなっていくわけでもない。だんだん純粋になっていき、だんだん透明になっていく。自分にないものがわかってきて、本当に求めるものがはっきりしてくる。手に入れることが目的なのか、もち続けることが目的なのか。それとも変わり続けることが目的なのか。それは人生の代謝だ。ほんものだけを呼吸して、ほんものだけを吐き出して、ほんものだけでできたからだになっていく。

■つれづれ(4.25 Fri)
 8時50分頃になると、校舎内に朝の放送が流れる。当番の子どもが進めるのだが、最初に必ず「立って歌って下さい」と言って、カナダ国歌"O CANADA"のテープをかける。日によって英語バージョンだったり、フランス語バージョンだったり、カラオケだったりするのだが、これが実にいい曲なのだ。テープのアレンジがとてもさわやかだというのもあるだろうけれど、メロディ自体みんなで元気に歌えるような歌なのだ。カナダに移民する条件の一つに、この"O CANADA"を歌えるという項目があるらしい。
 英語に囲まれた生活も3週間が経とうとしている。慣れれば買い物くらいはどうということはない。だが、必要に迫られなければ英語など使わずとも生活はできるのである。そんなことを考えるようになると、ちょっと危険信号だ。意識して、学習するパタンを確立する必要がある。車よりなにより、この英語を学べる環境づくりが急務だ。
 SARSによる死者がまた増えたようだ。WHOの渡航延期勧告なんかも出されて、おかげで昨日はいろいろとたいへんだったのだ。だが、今のところ現地校でも子どもたちは元気に学校に来ているし、まだまだ大丈夫な状況である。きょうもニュースではトロントと中国のSARSが中心だった。市長が出てきて「トロントは安全だ!」と半ば叫んでいた。きっと3月まで担任した子たちはいろいろと考えているだろうなと思うと、市長と同じように叫びたいような気持ちになる。それにしても、いまこの時にこんな病気が蔓延することには、どんな意味が込められているのだろうか。あなたはそこに、いったい誰のどんな意志を見いだすだろうか。
 日本でも食べたことがあるものはたくさんあるのだが、中には未体験の味覚というものもある。きょう買ったポテトチップスは、酢がきき過ぎという感じでとても酸っぱかった。クランベリーのジュースを飲んだが、これは酸っぱ苦かった。コーラによく似た色の炭酸飲料で、味はすっかり湿布薬というのがある。最初飲んだときは一口で具合が悪くなったが、今では悪くないと思えるようになった。

■出会い(4.24 Thu)
 さまざまな出会いがある。すれ違うだけの出会いから、人生を左右してしまうような出会いまで、毎日が出会いの連続だ。ただそれが自分にとってほんとうに重要な出会いとなるためには、こちらの心が開かれていなければならない。
 カナダで生きる素晴らしい日本人たちとお会いすることができた。それぞれが心を自由にして、大いに語り、表現していた。おそらくは日本にいてはできないような生き方を、彼らは謳歌していると思った。

■「無事」ということ(4.23 Wed)
 今朝は気持ちよく晴れ上がったが、冬のように寒かった。一瞬ではあったが風花も舞うくらいだった。職務上知り得た事柄については守秘義務があるのでそれを守らなければならない。したがって、仕事上のさまざまな出来事をありのままウェブ上に発表することはできないのである。いろいろと、みんなに教えたいことは山ほどあるのだけど、そうはいかない。もしかすると、これだけみている人には、何しに行ってんの?と思われてしまうかもしれないのだが、ここに公開する日記には、書けないことというものもあるのだ。守るべきものを守らずして、職務を全うすることなどできないのだ。
 したがって、テレビジャパンによるNHKニュースの同時放送で、松井やイチローの映像が見られなくてもしかたがないと、我慢するしかない。どうも話がつながらないかな?
 WHOにより、トロントにも渡航延期勧告が出された。この広がりようではやむを得ない措置だと思う。それにしても、中国や香港の映像を見ると、皆マスクをしているのだが、ここトロントではマスクをしている人を見かけるのはごくまれだ。テレビや新聞ではかなり深刻に、時間や紙面を割いて報道しているのだが、道行く人々はそれほど恐れているようには見えない。たしかに、病院や企業で閉鎖されているところもあるし、チャイナタウンに行く人も減ったそうだし、市民生活には影響が出ている。でも、いたずらに騒ぐような雰囲気は見られない。SARSによる死亡率は3パーセントだという。もしかかっても、ほとんどは治るのだそうだ。死亡するケースは今のところ体力のない老人などに限られるようだ。つまり、体力さえ保持していれば必要以上に恐れる病気ではないのだということを、人々はわきまえているといえそうだ。
 自分もこんな病気でくたばってたまるかという強い気持ちだけは持ち続け、もちろん手洗いうがいはこまめに行っている。とにかく早くこの病気が下火になるよう、祈るばかりである。

■週明け(4.22 Tue)
 朝から雨。休み明けの火曜日には家を早く出た。さすがに地下鉄も混んでいない。ストリートカーもがら空き。でも、45分くらいはかかった。窓から見える西洋の町並みにも慣れてきたみたいだ。8時前には学校に着いた。メールチェックが朝一番の仕事となっている。
 昼休み、水の話題。水道水には、虫歯予防のためにフッ素が含まれているのだそうだ。そのため、虫歯の子どもたちは少ないらしい。いいことなのかどうか、よくわからない。
 テレビのリモコンが壊れていたので、交換しに行った。電話のときもそうだったが、一回でうまくいくということはあまりない。岩泉に転勤したときと、状況は似ているかもしれない。

■連休4/4(4.21 Mon)
 中途半端になっていたパソコンをいじってインターネットにつないだ。どこをどうやったらうまくいったかわからないのだが、とにかくうまくつながったのでよしとしよう。それに船便の荷物も届いたので、箱から出して整理したら衣料も意外とすっきり片付いた。送ったつもりだったがなかったものもあった。必要なものはこれから買い足していかなければならない。今は電子レンジの入っていた箱を引っくり返してテーブルにしているのだが、やっぱりちゃんとしたのが欲しい。座布団かクッションのようなものも必要だ。本の入った箱はそのままだ。本箱もあったほうがいい。机もいる。
 きのうもらったテレビのリモコンがどういうわけか使えないので、電池を買って来て新しいものに取り替えてみた。ところがまったく作動しない。仕方がないのでまた、電話で交渉ということになった。これもなんとかかんとかコミュニケーション成立。明日近くの店で交換してもらえることになった。向こうも英語の下手な人への対応を心得ているからかもしれないが、電話が終わった時には自然とガッツポーズが出ていた。

■連休3/4(4.20 Sun)
 イースターの祝日で主な店は全部休みだ。きょうは午後にロジャースというケーブルテレビ会社が来ることになっている。部屋で本を読みながら時間を潰す。きのうのベルカナダの人は靴を脱がなかった。きょう来たら、「靴を脱いで下さい」と言おうと決めていたのだが、きょうの人はちゃんと靴を脱いでくれた。テレビの接続はすぐに終わったが、コンピュータの設定のところで彼は苦戦した。「日本語なのでわからない」「マッキントッシュはわからない」ということで、彼は結局できないまま帰ってしまった。今度はこちらが苦戦する番だ。英語の取り扱い説明書と格闘。ケーブルテレビは、テレビジャパンという局も入れたので、NHKの番組も見ることができるようになった。ちょうど日曜日の午後8時。久しぶりに「武蔵」を見た。当然のことだが、日本語の意味が耳にダイレクトに飛び込んできた。スポーツニュースもやっていた。松井やイチローの活躍を知る。ところが、松井やイチローの動く姿は「放映権の都合」で、残念ながら観ることができなかった。そのときだけ、静止画像に差し替えられてしまうのだった。隣の部屋の住人は香港の人らしい。いつも大音量で広東語の放送が聴こえてくる。せっかくカナダに来ているのだから、日本語のテレビはほどほどにして、英語に耳を慣れさせるようにしよう。

■連休2/4(4.19 Sat)
 きのうと同じ道を電話機を背負って歩いた。電話機をチェックしてくれというとそれはできないという返事。ベルカナダに電話してみたほうがいいということだった。しゃくなので、電子レンジを買ってそのまま担いでアパートまで戻った。学校から借りている(持たされている)携帯でベルカナダに電話する。どうにかこうにか会話が成立し、この後回線をチェックしに来るという。なんだ。初めからそうすればよかった。でも、英語で電話というのが自信がなかったのだ。何事も、やってみるもんだ。
 さっそく電子レンジを使って買ってきたパスタを温めて昼食。電話会社が来て見てくれると、やはり回線がつながっていなかったらしい。晴れて、やっと僕の部屋の電話がつながった。
 その後は、地下鉄を乗り継いでインド人街に行ってみた。すると、インド系の人々をたくさん目にすることができた。ちょうど土曜の夜市みたいな感じで、いろんな店が出ていた。焼きトウモロコシなんかもあって、食べてみたかったがやめた。スピーカーからがんがん聴こえてくるのは、インド系のクラブミュージックという感じである。とにかく音量がとんでもない。でも、すごく楽しかった。
 その道をまっすぐ歩いて行くと、今度は前に行ったところとは別のチャイナタウンになった。ショッピングセンターに立ち寄ったら、ここは香港かと思うほどの店の雰囲気と、人々の顔であった。チャイナタウンのパン屋で、いくつかパンやマントウを買って夕飯にした。
 トロントに来て2週間足らずだが、ここはおもしろい街だということがわかってきた。なかなかいい街だ。 

■連休1/4(4.18 Fri)
 電話機が故障しているのかどうかを確かめようと思い、買った店まで行ったが休みだった。きょうはグッドフライデーという祝日で、多くの店が休業だった。仕方がないので、いろいろと歩き回る休日にした。ギリシャ人街に行ってみた。たしかにちょっとギリシャ語らしき文字があった。だが、どこがどうギリシャ風なのか、よくわからなかった。まだ自分は、西洋という大ざっぱな捉え方しかできていない。イタリア人とスペイン人の見分けはつけられないし、アメリカ人とイギリス人の違いだってやっぱりよくわからない。その後で、コリアンタウンに行ってみた。この間のチャイナタウンほどの規模はないけれども、町中ハングルだらけで、道行く人々も韓国系と思しき人たちが多かった。ただ、よく見ると、ジャパニーズレストランや寿司屋もいっぱいある。どうもここでは韓国料理と日本料理の店がごっちゃになっているところが多いようだ。西洋人に韓国と日本が区別されなくても当然のことだ。地下鉄の中で韓国から来ている青年に声をかけられた。初めは韓国語で話しかけられたのだが、日本人だというといろいろと英語で話してきた。彼はひと月前にソウルからこちらに来て、キリスト教の伝道師をしているらしかった。こちらもかなり必死だったが、彼の言っている言葉の半分くらいは聞き取ることができなかった。岩手出身だというと、近くに座っていた白人の娘さんがいきなり、五所川原って知ってますかと聞いてきた。その人はかつて五所川原市に住んでいたそうだ。その二人とはそのまま別れてしまったが、なかなかおもしろいひとときだった。
 ここに来て感じることだが、いろんな民族、白人も、黒人も、黄色人種も、それぞれに魅力的だ。女性はもちろんのこと、男性もそれぞれにカッチョいい。異国の地で暮らすには素敵な友人が必要だ。そのためにも英語を勉強する必要がある。

■少しずつ(4.17 Thu)
 帰ってきて、電話がつながっているかと思ったら、つながっていなかったのでがっくり。さて、この後はどうすればいいのだろうか。ベルカナダに電話しなければならないのか。英語で何と言えばいいのだろう。いや、もしかしたら電話機の方が壊れているのかもしれない。電気屋に相談した方がいいか。あるいは、部屋にジャックはついていたけれど工事が必要だったのかもしれない。また道が塞がった。ああ万事こんな調子だぜ。でもしかたない。ちょっとずつ進んでいこう。そしてその経過を楽しもう。管理人に話しをしたのだが、結局答えが何を言っているかわからなかった。この英語力のなさ!とにかく電話してみなければならないということだろう。だけどもう遅い。それに金曜からはイースターで連休らしい。電話が使えるのはまだ先になりそうだ。
 きょうは総領事館に挨拶に行って来たのだ。そしたら話題はSARSのことが中心だった。カナダは中国、香港に次いで死者の数が多くなっているのだという。全く勢いは衰えておらず、むしろじわじわと拡大しているらしい。この数日間、メディアから遠ざかっていたので何も知らなかったが、まじめな話、かなり深刻な事態になってきているみたいだ。予防には手洗いをこまめにすること、人込みに出ないことというのだが、こちらには手を洗う設備が少ないような感じがする。学校にも、水飲み場なんていうものはないのだ。食事はハンバーガーなど、手で食べるものが多いのだが、そのわりには手洗いの習慣というのはそれほどないのかもしれない。ベトナムはヴィンでのことが思い出された。食事の前に手を洗うということは、教育によって習慣化されるのである。その点日本の衛生面の教育はかなり優れているのではないかと思う。で、SARSのために閉鎖している学校もあるという。来週の授業がどうなるのか、予断を許さぬ状況である。

■仕事(4.16 Wed)
 昨日は真夏かと思うほど暑かったが、今日はまた息が白くなるほど寒くなった。これほどまで変わるとは思わなかった。昨日は50分かかった道のりが、今日は10分早く出たら35分で着けた。明日はもう少し早く出てみようか。
 赴任してからたいした仕事もしてなかったのだが、どうも雲行きが怪しくなってきた。それを覚悟でここに来ているのだから、受け入れるしかない。忙しくなってきたと喜ぶべきだろう。自分をもっと高めるために、できることをしよう。それしか道はない。いつ途切れるかわからない道だけれど、歩き続けることに意義があるのだろう。
 20世紀には誰ひとり考えつかなかったことが、21世紀では皆が考えることができるようになって、実際にやってみることもできるようになる。なんて、そんなことを想像してみたら、とても楽しいじゃないか。きっとできないことはないだろう。
 ケーブルテレビの契約もうまくいった。日曜日にはいよいよテレビとインターネットをつなぐことができそうだ。 

■生活(4.15 Tue)
 地下鉄とストリートカーを乗り継いでの初出勤。家から職場まではちょうど50分。けっこうかかるものだ。
 昼休みに近くの銀行へ行って、マネーオーダーを作ってもらった。外はもう暑いのなんの。つい先日の寒さとは打って変わって、雪はすっかり解けてしまい、なんときょうの最高気温は27度になるという。
 仕事の方は、少しずつ本格的になってきて、一日かかってもなかなか進まなかった。5時を過ぎても続けようと思ったのだが、ボスが帰れというので途中にして帰途についた。そして、昨日の店に寄り、電話の新規契約を果たした。ところどころわからないところはもちろんあったが、きょうは意外とうまくいった。木曜日には電話が通じる。うれしくて声が大きくなった。
 それと、ベッドに合うシーツを買って来た。こうやって一日一日、少しずつ生活が整備されていく。でも、モノがそろうことが、生活かというとそんなことではなくて、この商店街やスーパーマーケットを見ていると、そこを誤解しそうになる。物質的な豊かさの限界を、日本で暮らした自分はわかっているはずだ。その先を、求めなければ来た意味がない。本当の豊かさがもたらす本当の幸せ。
 三日間、テレビも新聞も見ていない。テレビはあるけど映らない。情報から隔絶されて、この部屋にはいま、ノラ・ジョーンズの歌声だけが聴こえている。これがなんとも心地よく、涙さえ誘うようだ。

■休日(4.14 Mon)
 テレビを買った。車がないので、タクシーで帰って来た。アンテナ線をつないだが映らなかった。すべてケーブルテレビということらしい。契約が必要だ。それと、電話機も買った。これももちろん契約が必要。夕方にはベッドが来る。それまでにと思い、街へ出た。電話会社やケーブルテレビの代理店に行ってはみたのだが、失敗だったのは身分証明書など一切持たなかったこと。英語がやっぱりうまく話せないし聞き取れないので、会話が通じない。何と言うもどかしさ。アパートに戻って、ベッドの届くのを待つ。しばらくすると、インターホンから、トラックが来たという知らせ。行ってみると、運送会社の方は日本人の二人の男性だった。部屋に運んでもらい、設置してもらった。その間、いくつか言葉を交わした。もちろん日本語で。なかなかいいところですよ。という言葉。日本語っていいな。日本っていいな。いろいろな業種で、海外で働いている日本人がたくさんいるのだと思った。自分もその一人だ。胸を張って歩こう。
 夕方遅くなったが、意を決して再度電話の申し込みに出かけた。ところが、今度はデポジットの200ドルが必要だという。しかも、現金ではダメで、マネーオーダーをもってこいという。どうもそれは為替のことらしい。どこで手に入るかと聞くと、郵便局や銀行ですぐに作ってくれるという返事。だが、もう6時になろうとしているのできょうのものにはならない。あきらめて帰って来た。
 夕飯は赤坂という日本料理店に入った。いらっしゃいませ。という元気のいいあいさつ。顔を見ると皆日本人の顔だ。ところが、そのあと口から出た言葉はすっかり英語だった。内装もまったく日本と変わらず。僕は思わず、アサヒスーパードライを注文してしまった。そして、野菜サラダと海老フライと、一度食べてみたかったカリフォルニア巻きを食べた。なんというか、普通過ぎて不思議な気持ちだった。
 ここで働く人たちは、きっと日系2世とか3世とかだろう。いらっしゃいませとか、かしこまりましたとか、ありがとうございますとかは発音ばっちりだが、それ以外の日本語は聞かれず、あとは英語で話しているのだった。こうやってほかの土地に移り住む人もまたたくさんいるのだ。
 さっきの運送会社の人たち、また、この料理店の人たち。そして、自分。国と個人ということを考えさせられる。国って、思っていた通り、いやそれ以上に自分の心に根を下ろしているものなんじゃないかと思った。もしかしたら、homeととても似た意味を持つ言葉かもしれない。

■連休初日(4.13 Sun)
 ここに来て初めての休日。朝、近くのファーストフード店で朝食。ジムの自転車型のマシンで30分ほど汗を流す。必要なものを紙に書き出して、スーパーへ。トイレットペーパーなど、生活品は2つ3つ買っただけ。それと、チーズとソーセージとパンとオレンジジュース。それから、リンゴ1袋。ここオンタリオ州産のマッキントッシュという小さな赤いリンゴ。けっこう甘くてうまい。電話を引きたいと思い、ベル・カナダに電話したが、さすがに日曜日は営業していない。ケーブルテレビにも加入したい。インターネットにもつなぎたい。ケーブルテレビのサービスが一番安くて速いということだった。何はともあれテレビは必要だ。そして、電話機。それから、アイロンもないと困る。午後から街に出た。商店街はあるのだが、どこに何が売っているのかわからない。結局歩き回るだけで、何も買うことはできなかった。チャイナタウンでは電話機が安いというので行ってみた。そしたら驚き。ここはほとんど中国と変わりない。この広さはバンクーバーよりも広いと思った。電話機は見つからなかったが、雑貨屋でパンを切るナイフと、竹の箸を買った。で、ちょっと横道に入って行くと、そこはまた違った表情の通り。ここはヨーロッパかと思うような通りが続いている。何という街だ!トロントは一日で世界旅行ができる街とは聞いていたが、本当にすごいところだ。歩いているとさまざまな人種がいるのがわかる。それに、言語もさまざまだ。英語、フランス語はもとより、広東語、スペイン語、イタリア語、アラビア語…。いろんな言葉を目にするし、耳にする。ニューヨークは人種のるつぼだと言われるが、ここトロントはたくさんの人種がごちゃごちゃに混ざっているのではなく、うまく住み分けがなされているということらしい。
 あれだけ歩いてたいした買い物はできず。日曜日は店が閉まるのが早いらしく、18時にはアパートの近くのスーパーももう閉まっていた。明日は連休二日目、しかも日曜と月曜。平日休みがあるのはうれしい。朝から時間を有効に使おう。

■アパートへ(4.12 Sat)
 朝、6泊したホテルを出た。きょうは初めての授業日。そして今夜からはいよいよアパートでの暮らしが始まる。
 生徒の来る土曜日。僕は何もしないで終わってしまった。いろいろと目にし、耳にし、考えた。自分に何ができるかわからなくなった。必要以上に自分を悪く思わないようにするのが、大切かもしれないと思った。まだ一日目だ。
 暮らしが始まるといっても、今あるのは手荷物だけで、船便や航空便で送った荷物はまだ届いていない。つまり、ほんとうに何もない状態からのスタートである。真っ白な部屋。ここから僕のトロント生活が始まるのだと思うと、ここまでの道のりがあっという間だったように感じて、なんでここにいるのかと不思議な感覚に陥ってしまった。
 まずは、ネットをつなぎたい。それから、テレビも欲しい。でもその前に、トイレットペーパーが欲しい。シャワーカーテンも欲しい。服もないんだ。アイロンもなかった。タオルもなかったっけ。と、いろいろと必要なものがある。
 明日から連休。少しずつ少しずつ。必要なものだけを必要なだけ買うようにしよう。いつかのように、異常なほどの購買欲にとらわれることのないようにしよう。
 ベッドが来るのは月曜日。それまでは校長から借りた毛布が役に立つ。

■「普通の生活」(4.11 Fri)
 テレビではイラク戦争のニュース。バグダットは落ちたが、戦争は終わっていないという論調(のようだ)。ここに来て、物質的な生活の豊かさを感じている。東京などでも同じなのかもしれないけれど、田舎育ちの僕なんかは圧倒されっぱなしだ。きょうは午後からアパートの鍵をもらいに出かけてきた。冷暖房完備、その他生活に必要なものは大概ついている。ここでは暖房設備の設置は義務づけられているのだという。そして、道路は雪が降っても除雪が行き届いているので、冬場でも普通のタイヤで大丈夫なのだそうだ。(そのかわり、どこもかしこも融雪剤が雪のようにばらまかれているのには驚いた。)
 これを贅沢と呼べるかというとそういうことではなく、その土地その土地の「普通の生活」というのがあり、それが当たり前であれば、その土地の人々にとっては贅沢でも何でもないのだ。そういう生活が当たり前になっている国というのはやはりすばらしいといえるのだろう。それと、感じるのはカナダ国旗がいたるところに掲げられていること。車に旗を立てて走っている車もよく見かける。あの旗に親しみを持っているようだ。

■大リーグへ(4.10 Thu)
 午前中は会議など。午後はそれなりに文書を作ったり、ファイルを整理したりして五時には退庁。校長の車でホテルまで一時間。車の購入を考えようと、雑誌やカタログ等の購入を思いつく。そして、バス、地下鉄を乗り継いでダウンタウンへ。CNタワーが見える。そしてその向こうにスカイドーム。どうやら試合が行われている模様。チケットは、2階席で7ドル。600円というところ。ひょいと入って、野球見物。ドーム内は暖か。試合は対レッドソックス。7対8で惜しくも負けたが思いがけず楽しめた。

■街を歩く(4.9 Wed)
 とにかく生活基盤を確立しなければならないということで、きょうも免許証発行手続きをしたり、運送会社の倉庫に、安い家具を探しに行ったり、先生方の車に乗せてもらって自分の生活のことを中心にやりました。その合間にほんの少し会議に参加したり、文書を整理したりしただけで、仕事らしい仕事はまだ何もしていません。ホテル暮らしももう少し 続くことになります。
 きょうはきのうまでとは打って変わってとてもいい天気になりました。すっかり快晴です。風もなく、外を歩いていて暖かく感じる、コートのいらない一日でした。そこで、ホテルに帰ってから少し散歩してみることにしました。通りが縦横に伸びているので比較的わかりやすく、バスや地下鉄などの公共交通が発達しているようです。
 バスに乗って、地下鉄の駅に着きました。するとそこには大きなショッピングセンターがありました。ぐるっと回ってみましたが、広いのなんの。そこでネクタイを一本買いました。
 そこから地下鉄を乗り継いだところに、僕の住むことになったアパートがあります。その界隈を散歩しました。すると、周辺は市庁舎やら図書館やらさまざまなビルがあって、都会の真ん中という感じの場所でした。先日初めて来た時には、建物の中しか見なかったのでわかりませんでしたが、改めて便の良いところだということがわかりました。「香港の人なんか良く好みます」という話でしたが、なるほどと思いました。ただ、自分はそういう物質文明の中にどっぷりと浸かりたいというわけではありませんので、十分気をつけて暮らさなくてはならないと思っています。
 いろいろな国の料理店があります。イタリア、スペイン、インド、タイ、韓国、中国、日本…。これは楽しいです。こんな街に住むのかと思うと、自然と笑顔になってしまう感じです。で、結局は中国の店に入って(やっぱりアジアの店の方が入りやすい感じがします)、スープとチャーハンを頼んだのですが、その量の多いこと。「僕にとっては多すぎるよ」と言ったら、店の人が驚いていました。

■学校へ(4.8 Tue)
 校長の車に乗せられて学校へ。現地校の二部屋をオフィスとして、一部屋を図書館として間借している。土曜日だけ、この校舎に日本人の子どもたちがやってくる。きょうは2人の事務員の方がいるだけだった。挨拶をして、自分の机の周りを片付けたりした。文部科学省からの文書の名前の字が違っていたために、ここでもちょっとした混乱が起きていた。また、最初はローマ字の名前から、女性が来るとも思われていたらしい。
 午前中は総領事館に行って在留届を提出。運転免許を書き換えるための書類を出してもらった。初めてストリートカーに乗り、地下鉄に乗ってダウンタウンまで出たのだが、そこで目にした街は、洗練された都会という印象だった。これが北米的街並ということなのか。昼は近くのファーストフード店でハンバーガーにポテトにコーラという食事。昼休みの小学生たちがぞろぞろと店に入ってきて、めいめいここで食べたり、持って行ったりしていた。
 午後には銀行の口座を開設した。ここに手当が振り込まれ、ここから家賃が引き落とされる。カナダでは日本よりカード社会が進んでいて、多額の現金は持ち歩かず、クレジットカードやデビットカードを使うことの方が多いようである。円の札束を持って行ったのだが、額が大きいからというので手続きがえらく煩雑になり、時間を食った。
 
■アパート探し(4.7 Mon)
 昨夜は9時過ぎに就寝。熟睡して目覚めたら2時頃だった。目がさえてしまって、しばらくはテレビを眺めていた。ケーブルテレビで50チャンネルくらい見られるのだが、どこの局をつけても英語が聞き取れないのでつまらない。ニュースやトーク番組のようなものを放送しているところが多く、歌番組は一つ二つしかなかった。ところが、ラジオをつけてみると、これは音楽番組が圧倒的である。AMもFMも数えきれないほどの局が入り、いろんな音楽が流れている。当たり前の話だが、アメリカ大陸に来たという感じ。英語ができるようになるというのは自分の中では絶対に果たしたい課題ではあるが、毎日聞いていれば本当にわかるようになるのだろうか。
 ここで何年か住むことになるのか。そう思うと、不思議な気分である。旅行の場合はいつも、次はどこ、次はどこと常に次の目的地というのがあって、そこに移動することがすべての営みという感じだった。だが、住むということになるとそれとはまったく違うのだ。早く宿が決まって、定住するという感覚を味わってみたいと思った。
 気がつけば朝7時。きょうは10時に不動産屋の方がホテルに迎えに来てくれることになっている。それまで近くを散策してみる。スーパーマーケットでパンと飲み物を買う。昨夜のサンドイッチにワインで2000円くらいの支払いになった。ずいぶん高すぎる。もっと倹約しよう。ということで、どうかとは思ったがマクドナルドで朝食をとった。ほとんど日本と同じだが、コーヒーの量が多い。スーパーでもマクドナルドでも、お店の人々はずいぶん人なつこい感じがする。物を買うときの抵抗感は思ったより少ない。
 10時。不動産屋の方と校長先生と教務主任の先生までが来てくれた。少し打ち合わせをしてから、先生方とは別れて、不動産の方の車で物件を見に。きょうは9件回るから大変だということだったが、実はそのうちの8件は同じ敷地内のビルだった。皆、コンドミニアムと呼ばれる賃貸マンション。日本と比べても結構高い値段だが、冷蔵庫、オーブンレンジ、洗濯機、乾燥機は備え付けだった。新しくて広くて、住人用のジムなんかもついているし、どこも僕にとっては素晴らしい部屋だった。8件のうちの1件はオーナーが直接来て説明してくれるということだったのだが、待ち合わせの時間になっても現れず、見ることができなかった。「カナダ時間」というのがあって、遅れるのは当たり前ということだったが、30分経っても現れなかったのだ。そして、少し離れたところにある最後の1件に車で移動。ビルの1階には大きなショッピングセンターがあり、映画館なんかも併設されている。そして、エスカレータを下るとそこに地下鉄の駅があるという非常に便利な場所だった。さっきのところと比べると部屋は狭いのだが、便利さで考えると数段魅力的だ。どちらにも駐車スペースが一台分ついている。やはりカナダも車社会で、何をするにも車は必需品だという。それに、冬場は寒いので誰も外を歩きたくないということだった。それは日本も同じか。ゆっくり考えてから結論を出すということで一旦は別れ、ホテルの部屋に戻ったのが13時ころだった。
 今朝買ったパンとコーヒーで簡単に昼飯を済ませた。午後からは自由に過ごしていいということだったが、外は雪が降り出して、風も強くなってきた。それに、時差ぼけなのか、どうしようもなく眠い。結局夕方までうとうとしていた。夜は近くの中華料理のファーストフード店で軽くと思ったのだが、ご飯もスープも量が多い。不足気味だった野菜はたっぷり補給できた。店内で食べたのだが、皿などはすべて発泡スチロールの使い捨て容器。それほどうまいとは思わなかったが、それにくわえて容器のせいでますます味が落ちてしまうような感じがした。
 CNNではとにかくずっと戦争のニュースを流している。逐一報告という感じだ。昨日の映画では、アメリカ人は好戦的だが、カナダ人は人と争うことをしないと言っていた。だが、テレビからはアメリカの放送が24時間入ってくるし、店にはアメリカのものが溢れているし、(まだカナダとアメリカの区別がついていないのかもしれないが)、いろいろな面でカナダはアメリカの恩恵を受けているのではないかと思った。

■トロントへ(4.6 Sun)
 ホテルのレストランで朝食。和風の朝食を食べることはもうしばらくはないだろう。10時頃にチェックアウト。タクシーを呼んでもらう。飛行機は18時。午後の成田エクスプレスに乗るつもりだったので、東京駅まで頼んだのだが、運転手さんが、それならきょうは天気もいいし上野駅からスカイライナーで行った方がよっぽどいいよと教えてくれた。東京駅の周辺は何にもないから、それよりは上野で花見なんかした方がということだった。納得して、途中で進路変更。京成上野駅まで行ってもらった。コインロッカーに荷物を預けて向かった先は浅草。雷門から浅草寺を抜けて、六区ブロードウェイを通り、かっぱ橋の道具街へ。見る物が皆日本的でいちいち目に焼き付くような感じがした。「在日」の多いという新大久保に行ってみようと思い、大江戸線で東新宿まで、後は歩く。途中で偶然小泉八雲の旧居跡を見つける。故郷を遠く離れ「怪談」を著わしたラフカディオ・ハーンはここにも住んでいたんだなあと、自分と重ねたりして感慨も一入。大学時代に友達と松江に行ったことも思い出した。すぐそばに記念公園もあったのだが、そこにはホームレスらしき人たちがたくさんいて、とても立ち入ることはできなかった。少し歩くとハングルがあちこちに目立つ通りがある。なるほどこういう土地もあるのか。近くの定食屋で唐揚げ定食を食べる。新大久保の駅から山手線で巣鴨へ。とげぬき地蔵を見ようと思ったが、お祭りと重なりものすごい人手なので断念。踊りの列を写真におさめる。後は上野に戻ったのだが、花見客で上野公園の入り口はとんでもなく混んでいた。満開の桜、花見日和の東京見物も終わり。14時40分のスカイライナーで成田に向かった。
 初めて降りた空港第2ビル。昨日の説明会で会った旅行社の方が迎えてくれて、いろいろと世話してくれた。チェックインを済ませて、お土産を買ったり両替をしたらあっという間に時間が来た。18時発エア・カナダ002便。所要時間は約12時間。機内食は普通の食事が2回と、おにぎりなどの軽食が一回。動かないで食べてばかり。カレーをシャツにこぼして、黄色い痕が付いてしまってがっかり。座席は狭いエコノミー。機内ではほとんど眠ることなどできなかった。映画はスター・トレックのファーストコンタクトと、レッドギターというのを観た。
 トロントへ到着したのも6日の18時頃。変な感じだ。入国審査を済ませて外に出ると、校長先生の家族と、教務主任の先生夫妻が迎えに来てくれていた。車ですぐにホテルへ送ってくれた。まだ辺りは雪で真っ白。きょうの気温は3度でこれでも暖かいほうだということだった。感覚的にはちょうど盛岡の2月くらいの寒さかなと感じた。
 窓の外には林が見える。だがそれはただの林ではなく、よく見ると住宅街なのだった。木々の間にぽつぽつと家が建っている。日本とは住環境がまったく違うなと思った。トロントではきょうから夏時間を採用しているということで、19時を過ぎてもまだ日が暮れていなかった。ホテルで先生方と別れてから、風呂に入り、洗濯をし、レストランでサンドイッチとワインの夕食をとり、部屋に戻った。24時間+12時間。名実共に長い一日だった。

■東京にて2(4.5 Sat)
 6時起床。8時過ぎにホテルを出るが外は雨と風。リュックもコートも濡れてしまう。Subwayで野菜と卵のサンドイッチとコーヒーの朝食。うまかった。地下鉄を乗り継いで虎ノ門ホールへ。知った顔と少し話をして、10時過ぎにホールの中へ。われわれは例によって最後列。450名の派遣者が一人一人辞令を受け取る。自分たちの番がくるまでに1時間以上かかった。近くの先生たちと少し話す。「また字が違っていたらどうする?」と福岡のM先生。緊張したわけではないのだが、礼の仕方がおかしくなってしまった。で、席に戻って辞令をよく見てみると、案の定また字が違っている。式の後申し出たら、正しいものを後で送ってくれるということになった。
 結局辞令交付式が終わったのが12時過ぎ。そこから銀座へ移動。近くのラーメン屋で簡単に昼食。13時からの旅行社の説明会に臨む。パスポートと航空券、就労許可証を受領した。今回カナダへ派遣されるのは一人きり。最後は一対一で説明を聞いて、終わったのが14時過ぎ。恵比寿まで地下鉄。東京写真美術館で時間を潰し、16時半からガーデンシネマでBowling for Columbineを観た。アメリカの銃社会に問題を投げかけるドキュメンタリー。軽薄な感じで実は重厚、テーマに生真面目に向き合ったいい映画だと思った。マイケル・ムーアはアカデミー賞の授賞式で強烈にブッシュを思いっきり批判した監督だ。アメリカの良心というか、おそらくあのように感じている人もアメリカにはたくさんいるのだろう。恐怖と消費のシステムが支配している国には住みたくないと思った。そして、日本もあの国に追随しようとしていることが残念に思えた。映画の中でカナダとアメリカを比較していたのはひじょうに興味深かった。カナダはアメリカと同じような条件であるのに、どうして銃による犯罪がないのか。最後までわからずじまいだったが、アメリカのシステムがやはりおかしいのかなと感じさせられた。僕にとっては今日観ずにいつ観るのかというタイミングで観れたのでありがたかった。
 その後地下鉄で後楽園まで。東京ドームは日本ハムのデーゲームしかなかったので、夜はひっそりとしていた。小雨の中を歩いてホテルへ。途中立ち食いそば。ホテルで風呂に入ってから外へ。最後の吉牛かと思いながら、250円の並盛とみそ汁。部屋でゆっくりして早めに就寝することにした。僕の日本で最後の夜はこうして終わった。

■東京にて(4.4 Fri)
 昨夜は早めに就寝して、今朝の目覚めは良好。部屋はすっかり片付いた。電話はすでにつながらなくなっており、パソコンのバッテリーも切れてしまったので、更新は断念。母のパソコンから掲示板に書き込んだ。朝食後墓参。そして、近くの親戚を回ってきた。11時過ぎ、母と祖母と別れ、家を出た。寂しくなるとは思うが、万事うまくいくから心配しないでほしい。こちらはこちらで、ちゃんと連絡を取るようにするから。
 普通列車で盛岡駅まで。車窓の景色は春霞。のどかな四月。春休み最後の平日のローカル線では、岩手のことばがあちこちに飛びかい、どうしようもなく故郷を感じた。改札を抜けると南米に行くF先生一家と出会った。「行けるんだ?」と言うのでどういうことかと思ったら、例の新型肺炎のために、中国に行く先生方は本人だけの渡航となり、家族は自宅待機となったということらしかった。カナダでも患者が出ているので、心配してくれたのだ。
 さっそく薬屋で一番高機能だというマスクを購入。昼飯にカツ丼そばセット(そばは冷たいそば)を食べたらもうすぐ発車時間が迫っていた。新幹線はやて14号。東京まで2時間半は、うとうとしていたらあっという間だった。中央線で水道橋駅へ、降りるはずが快速電車だったので通過。四ッ谷駅で引き返した。ホテルは駅から徒歩5分。荷物を置いて地下鉄で上野へ。弟と5時に待ち合わせ、花見客で賑わう上野公園を歩く。天気は曇りだったが気温が低く、岩手より寒い感じだった。屋台で大阪焼というお好み焼きみたいなものを食す。アメ横の珈琲屋で話しながら、もう一人の弟との待ち合わせ時間まで待つ。途中弟のケイタイに、職場の明日の花見は中止だという連絡が入ったようだ。明日は確実に雨が降るそうだ。上野駅不忍改札7時。久しぶりに兄弟3人がそろう。御徒町の洋風居酒屋で食事、談笑。また場所を変えて談笑。それぞれにいろいろと大変だが、それぞれにいろいろよくやっていると思った。店を出るともう雨が降り出していた。上野駅で一人と別れ、水道橋駅でもう一人と別れた。身内と離れるときはいつでもさびしい。
 狭いホテルの部屋。シャワーを浴びて、ベッドの上でキーを叩いている。今まで身近で当たり前だった人やものごとから離れるとき、センチメンタルな感情になるのは当然だ。そして、それを超えたところでまた新たな深い感慨を持つことができるのだと思う。そういう気持ちを知っているのといないのとでは、大きな違いがある。とはいっても、出国を前にして、だんだん感情がくちゃくちゃになっていきそうな感じだ。それも、受け入れねばならない。
 ニュースでは、トロントへの渡航者にも危険情報が出されたと報じている。早く収拾しないものか。

■SARS(4.3 Thu)
 急性肺炎が広がってきています。香港の映像では、皆がマスクをしています。世界中に患者が出ています。早くおさまってほしいものです。明日岩手を離れます。皆さんほんとうにこれまでありがとうございました。パソコンの充電器も一足早く送ってしまいましたので、バッテリーの残りがあとわずかです。このぶんだと、明日の更新は厳しいかもしれません。明日あさっては東京に泊まって、6日には成田から飛び立つ予定です。飛行機はエア・カナダ機です。明日はまずマスクを買おうと思っています。

■手続きやら(4.2 Wed)
 役場に行って必要な書類を全部取ってから、転出届を出した。今度の地方選の不在者投票が行われていたが、投票日にここの住民ではないので、今回自分には選挙権はないそうだ。ちなみに、国政選挙の場合は、国外にいても投票できるようになったらしい。今週に入ってからいろんな手続きをして面倒だったのだが、それもあともう少しだ。自動車を廃車にする手続きもして、英訳の無事故証明書なんてものも発行してもらった。これがあると、向こうの保険も割引になるということだ。引っ越しの料金も支払ってきた。船便と航空便を合わせて、かなりの額になってしまった。この一か月でとんでもない金額を使った。驚いた。そして、これからまだまだかかるのだ。
 だけど、そんなことはほんとうは何でもないことだ。イラクの戦争は案の定長期化の様相を呈している。自分の意志と関係なく、自分の道が否応無しに決められていく、狭められていく、そして命が奪われていく状況がそこにある。くつろいでテレビを見ている自分との距離があるようでいてない、その実感がない。

■お知らせ(4.1 Tue)
 あらためてお知らせしますが、私は今月からカナダのとある教育施設へ赴任することになりました。長期出張という立場ですが、短くて二年長くて四年の海外勤務を経験してきます。たいへん楽しみではありますが、反対に責任重大で大変なことも待っているわけで、未知の世界への旅立ちを前に、緊張感が高まってきたというところです。
 とはいえ、きょうのように四月いっぴにのんびりと過ごしたのは就職してから初めてでした。ほかの人たちはもうきょうから始まってるんだよななどと思うと、少しだけ猶予がある自分はその分だらっとしてようなんてことを考えてしまったりして、英語の勉強でもすればいいのですが。
 テレビでは大リーグの中継がありました。松井選手は初打席でヒットを打ったので、まずまずの滑り出しというところでしょうか。私も彼にあやかりたいものだなと、なんか自分とダブらせてみたりするわけです。何を隠そう、きょう彼らが試合をした球場のある都市こそが、私のこれからの舞台です。私の視点でさまざまなものを見聞きし、感じたことを、何らかの形で発信していきたいと思っています。そのことによって私の視野も広がって、変化していくでしょう。それに、それを受け止めてくれる方達も何かを感じて、それがきっかけで何かがいい方向に変わったりしたら、素晴らしいことだなあと感じます。
 とにかく、今までのように?記述が愚痴っぽくなることは避けて、世界的な視野をもって物事を見つめられるようになるためのトレーニングの場として、続けていこうと考えています。ほそぼそとやっていきますので、皆様今後ともどうかよろしくお願いいたします。
 あっと、このお知らせはウソではありませんよ。「ボクはウソはつきません。」なんてね。このことばが出るとわけがわからなくなってしまいます(笑)。岩手を出るのが四日。五日に東京で辞令交付式があって、飛行機は六日の夜六時です。今のところアドレスなどは変えないでやろうと思っています。