2003年12月
■大晦日(2003.12.31 mercredi)
 午前中、紅白歌合戦を見ました。同時放送かと思ったら3時間くらい遅れての放送でした。ずいぶんいい歌がありました。 五木寛之がたいへん好意的なコメントをしてましたね。あれだけの言葉が聞ければ、制作者側としてはもうこれ以上のものはないでしょう。日本にはいい歌がた くさんあると思いました。
 昼には年越しそばを喰おうと思いました。そこで、得意の中国系モールは新暦だからあまり混んでいないだろうと思い、行ってみたのです。そしたら駐車場も 満杯で車が溢れるくらいでした。日本そばが喰えるところもいくつか見当はついたのですが、日本人の 客がいっぱいいるだろうと思ったら行く気が失せました。結局は近くのサクラジャパンでラーメンをす すり、代替としたのです。これで来年も細く長く暮らせるでしょうか。別に太く短くでもいいと思うのですが。カナダに来て食生活は完全に変わりましたが、と ころ変われば品変わるで、すんなり受け入れられたという気がします。よく「○○が食べたい!」という衝動に駆られるという話を聞きますが、自分の場合はそ れほどでもないようです。ただ、パンがうまいかと思ったらそれほどでもないので、その点はちょっと予想とは違っていました。例えてみるなら、中華料理が普 通の食事とすればパンはエサみたいなもの(ひどい…)です。日本食は健康食とかダイエット食ということになると思います。
 ラーメンを食べたらもう3時過ぎです。いつもの流れで映画館へ。言い訳するようですが、ほんとに映画がいちばんお手軽なエンターテインメントでして、至 る所に映画館があって、家からもすぐだし、だいたいは空いてるし、日本の半額程度で観られるし、英語の勉強ということにもなるし。実際、カナダに来て映画 があって救われた部分が大きかったです。日本では平日の夜はとうてい無理だし、休日は混んでいるしで、わざわざ映画館に足を運ぶのが嫌になってしまうんで すよね。映画がもっと気軽に楽しめる状況が日本にもできないものでしょうか。

 きょう観たのは「コールド・マウンテン」でした。いい映画でした。感動し ました。涙流れました。アメリカの南北戦争 の物語です。もちろんニコール・キッドマンも素敵だったのですが、それ以上に戦争についてまじめに描いた素晴らしい作品だと 思いました。とても考えさせられました。日本で明治維新があったちょうどそのあたりにアメリカでは内戦が行われていて、たくさんの人々が犠牲になりまし た。その犠牲があって今の世の中があるのだろうか。ほんとうにそうなのだろうかと疑問がわきました。アメリカの民謡が心に沁みこんできました。以前「ザ・ラスト・サムライ」が今年の最高賞と書きましたが それに匹敵します。自分が審査員だったら迷ってしまうほどです。世界中が戦争に明け暮れた2003年のしめくくりの映画としてはよい機会でした。今でも余 韻が残っています。
 自分の今年1年を振り返ってみると、これだけの激動の年はもうないだろうなというほどの年でした。1〜3月は学級や部活動の仕上げの3学期でした。それ と異動の準備が並行しました。そして、4月にはトロントへの赴任。適応するまでとSARSの時期が重なって、1学期はへんな感じの日々でした。2学期には 仕事がなんとか流れるようになってきました。夜にはカレッジでの勉強がありました。忙しいながらも充実していました。
 いちばんの変化は、仕事の内容そのものが100パーセント変わったことと、残業と休日出勤が当たり前という仕事のシステムやそれに基づいた考え方から、 ある程度時間の中でこなしていかなければならないというシステムに変わったことです。どちらにも一長一短がありますが、それらを体験できるというのは有り 難いことです。
 例えば、日本の教員はもっと自分の時間を多くもつ必要があるのにも関わらずそれがないのでどん詰まりというのが今の状況だと思います。それに対して、こ ちらの労働者は時間以外の労働に対してはすべて手当を請求するのが当然という考え方ですが、教員の仕事は時間だけでは測れないのだということをもっと認識 してほしいと思うときが多々ありました。今までの職業観がかなり揺らいだ年でもあります。いずれ日本に戻ることを考えると恐ろしい気さえします。
 今年もあと3時間足らずとなりました。もうひとつ今年になって考えるようになったことは、いつ死ぬかわからないということです。もう来年は37になりま すから、どう考えても人生後半に入っているわけです。さっきは交通事故現場を見てしまいました。地震やテロなどのニュースを見ると、自分もいつどこでどう なってもおかしくありません。そのとき自分が生きた証としていったい何が残るのか。紅白歌合戦では坂本九と平井堅が2人で歌っているのを見ました。テクノ ロジーってすごいです。今は亡き人でも人に感動を与えることができるのですから。自分も教師としてせめて自分の教え子たちの心に何かが残ればいいと思いま すし、ぜひそうあってほしいです。
 でも、自分の存在を考えた時、教師でない部分の何を残せるのか。そういうものは、いまの自分にはありません。テクノロジーの力を借りて、せめてこのホー ムページに自分の存在を刻み付けようと、そんなことを考えます。優れている必要はない。世界に一つだけです。SMAPも歌っているとおりです。このホーム ページはその実践であり、記録であり、証明です。この営み自身がいずれささやかな花となることを祈ります。それじゃ、また来年。

■よいお年を(2003.12.30 mardi)
 きょうの日中は少し寒かったです。といってもプラスの気温ですからたいしたことはありません。現在30日の9時ころで す。ということは日本ではもう大晦日なのですね。こちらでは明日の朝、紅白歌合戦の同時放送があります。それでもって、夜にも再放送される予定です。再放 送の後にだけ、ゆく年くる年があるようです。さっきまでニュースハイライトやってました。いろいろな意味ですごい時代に生きていることをあらためて感じま した。
 性懲りもなくきょうも一曲つくりました。大晦日の通りをひとり颯爽と歩いていく イメージ。きのうよりもかなり時間はかかっています。でも、いっておきますが、前の2曲よりもかなり恥ずかしいかもしれません。あしたはもう ちょっと頭を使ってまじめに今年のしめくくりをすると して、2003年の音楽のしめくくりはこれにします。
 次の更新は明日の大晦日ですが、日本の皆様には今年最後のご挨拶となります。どちら様も、よいサル年をお迎えください。サル〜!

■有り難や(2003.12.29 lundi)

 デジカメで撮った映像をこんなに簡単にホームページに載せることができるなんて。きょ うはケベッ クの広場で撮った踊りです。容量が大きいのでたくさんはきびしいですが、少しずつ入れ替え たりして紹介していきたいと思います。カメラワークが下手ですね。勘弁してください。
 トロントは一日中雪ならぬ雨降りでした。気温は8度くらいまで上がったみたいで、この暖かさは気持ち悪いくらいです。ジョ ン・ウーの「ペイチェック」。おもしろかったです。ひじょう に痛快でした。後味すっきりですぐに中身を忘れてしまいそうなほどです。字幕なくても問題なし。わかりやすくてよろし。そ して意味もなくこんな曲を作り ました。ウマ・サーマンに捧げます。うそです。次はもっと念を入れます。乞うご期待!
 この年末、家事もせず仕事もせず実にパーソナルに過ごしている私。一種の引きこもり状態です。でも引きこもりある程度肯定派の私としましては、こういう 時間こそ大事と心得ます。もう少しこのままでいさせてください。

■ケベックの旅3(2003.12.28 dimanche)

 帰ってきました。南に下がると雪は消え、トロントはなんだか春みたいな陽気です。モントリオールやケベックシティは雪 で真っ白だった のと対照的です。でも、北の2都市も例年に比べれば暖かかったに違いありません。一夏をカナダで過ごして、カナダ人が短い夏を楽しむという気持ちはよく理 解できたのですが、街行く人々を見てい るとカナダ人は冬もじゅうぶん楽しんでいるなということを感じました。特にケベックには冬が好きな人が多いそうです。厳しい寒さの中に、美しいも のを見つけたり、自分たちで美しいものをつくりだしたりしているんだろうなと思いました。僕もなんだかんだ言って、電飾に彩られた夜景を美しいと感じる し、好きなのです。 それから、歴史的な町並みも、新しく奇抜な形の建築も美しくて好きなのです。これは理屈ではないんですね。これがほんものかどうかは別として、僕は美し いものが好きなのです。もしかすると、ほんとうに美しいものがほんものなのかもしれません。などと、こんなことを考えながら歩いていたら滑って転んでし まったというわけです。
 ところで、この2日間だけで14、5人の人から「小銭を下さい」と言われました。トロントにもたくさんいますが、ケベックの街にもそういう人たちはたく さんいました。「メリークリスマス!ムッシュ、カネくれ!」みたいな感じで胸を張って紙コップを差し出す人もあります。よくそんなふうに言えたものだ と思います。ある女性などはしなをつくりながら「2ドル下さい」と言ってきました。どうしてかと思って様子をうかがうと、パーキングメーターに入れるお金 が欲し かったようです。皆さんならどうしますか。僕はあげませんでした。困った人を助けるのは大切なことだとは思いますが、この場合は当てはまらないんじゃない かと思うのです。今回一人だけ お金をあげた人がいます。道を教えてもらったのでその御礼にあげたのです。
 ケベック州は完全なフランス語圏です。1つの国の中に英語圏とフランス語圏があるのは、カナダの不思議なところのひとつです。トロントにもフラン ス系の方はわずかにいますが、たとえば街中の広告などは英語中心です。ところが、ケベック州に入るととたんにみんなフランス語表記になり、まるで別の国 に来たかのような錯覚に陥ります。
 これは僕の思い込みかもしれませんが、ケベックの人々はとても人当たりが優しいように感じます。といっても、お店や宿の人とくらいしか接していないので すが。素敵な 笑顔で向き合ってくれるように思うのです。ガイドブックには、「ケベコワはホスピタリティ精神が旺盛」と書いてありましたが、ああそのとおりだなと感じま した。
 実はフランス語をちょっとでも使えたらいいなと思っていたのです。そして、いくつかの場面で使うことができました。最初はガソリンスタンドでした。 ガソリンスタンドはほとんどがセルフサービスで、 自分でガソリンを入れてからレジに行って支払います。3番のところでいれたので、「こんにちは、3番、お願いします」と言ったら1回で通じました。訳しま すと、「ボンジュール。トロワ。シルヴプレ」これだけなんですけどね。最後はばっちり「メルシー(ありがとう)」と言って店を後にしました。これだけでも うれしくて思わずガッツポーズです。それから、ホテルのロビーでは、「こんにちは。名前はゆです」「こんばん は」「クレジットカードです」「予約番号です」とそんなことをしゃべりました。でもいちばんの学 習の成果は、いままでは読めなかった文がなんとなく読めるようになったことです。ハンバーガー屋のメニューもちゃんと読んで注文できました。
 たぶん、こちらの言葉が通じたのは相手側にこちらの意を汲み取ろうという努力があったためでしょう。これが、ホスピタリティのひとつなのかもしれませ ん。でも、お店などのちょっとしたコミュニケーションの後に、なんとも気持ちの良い感じが残ることは確かです。トロントだと、店員の態度が大きくて、買い 物をしたこちらが「なにか悪いこと言ったかな?」と気になってしまうことがけっこうあるのです。
 一国の中に他言語が存在する例はほかにもたくさんあるのでしょうが、言語が違っても一つの国としてまとまろうというのはたいへんな努力だと思います。そ れぞれ違った文化や伝統を抱えていますし、テレビや新聞など入手できる情報のルートだって違います。ケベックの多くの人々のルーツはフランスですし、これ がオンタリオ州だ とイギリスということになります。歴史上戦いを繰り広げてきた二国を祖国とする人々が一つになって、カナダという国を建設している。これはすごいことだと 思います。壮大な実験をしている、と評されることがありますが、ぜひこの試みがうまくいってほしいと願わずにはいられません。違う人たちがいっしょになる ことは可能なんだということを、世界の人たちに示してほしいです。
 どうもとりとめのない記述に なってしまいますが、これを読んでくださる日本語圏の方々が、何か新しいことを感じてくださるなら、ホームページの作り手としてはこれ以上の喜びはありま せ ん。
※ところで、この1か月、日記才人他に登録していたわけですが、おかげさまでアクセス数がずいぶん伸びました。今までずっと訪問してくださっている方、今 月新しく訪問してくださった方、どうもありがとうございます。どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。当初の予定どおり、上記のリンクは今月いっぱいで はずすことにしておりますので、どうぞブックマークを登録しておいてくださるようお願いします。
 今回やってみて、アクセス数とホームページの内容とはどういう関係があるんだろうということを考えました。タイトルを工夫すればそれなりのヒットを稼げ るということも確認できました。また、それを狙っていろんなタイトルで報告している方々も多く存在することもわかりました。他の言語の状況はわかり ませんが、少なくとも、この日本語による「ホームページの日記」という文化は、素晴らしい広がりをみせているという感じがします。子どもからお年寄りま で、感じたことを言葉にして公表できる、このような時代はかつてありませんでした。
 さかのぼって考えると日本の日記文化は、平安時代の殿上人だけのものだった時代からずっと今日に至るまで1000年以上に渡ってそのすそ野をどんどん広 げてきている素晴らしい文化といえるのではないでしょうか。ネットに日記を掲載する人間の一人として、あるいはそれらを享受する一人としてどうすればいい のか、考えたいことだと思います。気が向いたらまたこういうリンクに登録するかもしれませんが、ちょっとわかりません。

■ケベックの旅2(2003.12.27 samedi)

 けさ8時にモントリオールを出発して、ケ ベックシティへ。これ以上の晴れはないというくらいの快晴でした。きもちよいドライブ日和です。途中朝食休憩と案内所での宿の予約をはさんで、着いたのが だ いたい12時半頃。宿の場所を確認してから、さっそく世界遺産の旧市街へ向かいます。城壁で囲まれ た町並み は美しく、きのうのモントリオールと同様に、うっとりしながら時を忘れて歩いていました。セントローレンス川はところどころ凍って、流氷のようなものが流 れているのが見えます。城壁の下まで人込みの中を降りていきました。 文明博物館で昼食を取り、中を見学しました。キリスト教の伝来についての展示が多くの部分を占めていました。また、特設展として、「砂」についてと 「青」についてというきれいな展示がありました。それに、ローマ帝国の戦いの歴史についてマンガで紹介する展示がありました。ケベックらしさというのはよ く わからなかったのですが、全体的な印象として、カナダという国はキリスト教を抜きにしては語れないのだということが伝わってきました。歴史上の有名な伝道 師たちがたくさんいて、偉人伝として語り継がれています。そして今でもそれにあやかった名前が好んでつけられます。「伝える」ことを大事にしてきているん だなということを感じました。日本の仏教のことを考えましたが、いまのお寺ってどうなんだろうなという疑問がわきました。
 ホテルに入って1時間くらい休んで、また出かけました。CD屋でフランス語のアルバムを2枚買いました。1枚はセリーヌ・ディオン。テレビでビデオが放 送されていて悪くなかったので買いました。もう1枚は、マリーキスなんとかというのでしたが試聴してよかったので買いました。
 それからまた旧市街へ。夜景もきれいでした。さすがに夜はかなり寒かったですが。独りでとか、寒いのにとか、そういうことを超えて、たいへん美しかった です。美し いって、いいな あ。
 夕食にマクドナルドでケベック名物のプーティーンを食べました。フライドポテトにソースとチーズ がかかってるやつです。街の一角に公園があって、そこがちょっとしたスケート場になっていました。若者たちがぐるぐるひたすら滑っていました。ビデオに 撮ったので、あとでアップしたいと思います。アップしました→スケート

■ケベックの旅1(2003.12.26 vendredi)
 いまモントリオールにいます。朝8時に家を出て、着いたのが1時半頃でした。トロントからモントリオールまでは約550キロですから、ちょうど時速 100キロ平均で来たことになります。オンタリオ湖沿いに東へ進んでいた時には天気もよく、雪もまったく積もっていなかったのですが、北へ上がるにつれて 少しずつ雪が多く なり、モントリオールの街中は30センチくらい積もっていました。道路沿いのあちこちで車が雪に埋もれていました。
 今年の夏に続き2度目です。冬なので、夏とはまた違ったケベック路の旅になると思います。それにしても、たいして寒くない のです。雪こそ多いものの外をずっと歩いていても平気なくらいくらいです。いったん宿に入ったあと、市内を4時間くらいぐるぐる歩き回ってき ました。
 美しい町並みを歩いていると時間を忘れます。ノートルダム聖堂も見ました。美しい教会です。お寺も教会も同じにおいがします。じっと座って飾り を見上げていました。坂 道を歩いていたら、滑ってしりもちをつきました。除雪車が雪を削った直後で、雪の面がつるつるになって いたのです。あれこれ考えながら歩いていたので、隙をつかれたという感じでした。日が暮れると街のあちこちがライトアップされ、 クリスマスの飾りももちろんそのままで、夢のように美しかったです。こちらにも華やかな飾りをつけている住宅がたくさんありました。雪だるまの形をしたで かいビ ニール人形をずいぶん目にしました。商店街には買い物客がたくさ ん出ていました。
 サンタクロースもクリスマスツリーも当然のように置いてあります。クリスマスシーズンというの は、25日が過ぎても続くのだというのがよくわかりました。おそらくこの飾りは新年まで続くのではないでしょうか。いろんな飾りがありますが、クリスマス ツリーも門松ももともとの意味は同じなのだということを納得しました。

■クリスマスデイ(2003.12.25 jeudi)

 朝は読書をしてから、天気もまずまずだったので11時頃には外に出ました。風が少し冷たかったのですが、散歩にはじゅ うぶんな陽気。いつのまにか雪もすっかりなくなっていました。どこも人通りは少なくて、商店も休み。映画館もきょうは3時からしか開きません。インド人街 も、クイーンの通りもひっそりとしていました。商店街も人がいないと寂れた感じに見えます。見かける人はといえば、ほとんど中国系の方たちばかりでした。 バスに乗ると、そこに大勢の中国系のお年寄りたちが乗り込んできました。すると、車内はたちまち広東語のおしゃべりでうるさくなりました。このトロントで は、中国系の方は英語を知らなくてもじゅうぶん生きていくことができるはずです。
 街の広告にはすでにハッピーニューイヤーの文字が。冬に韓国に行ったとき、クリスマスを過ぎてい たのにツリーが飾ってあることに違和感をもったことを思い出します。日本だと26日にはクリスマス ツリーも撤去されてしまうのでしょうが、ここではどうなんだろう。予想では、たぶん急いで片付けたりはしないでしょうね。
 散歩のときにはいつも中華街に足が向きます。行ってみたらいつもと変わらぬにぎわいでした。昼はそこでかた焼そばを食べました。野菜のあんがたっぷりか かっていました。展覧会を観ようかと思ったらここも休みでした。
 テレビではいま、エリザベス女王のクリスマスメッセージというのが放送されています。女王は戦車をバックにして、イラクへの支援のことを話しています。 女王は意外と早口なんだなあと、日本の皇室と比べて思いました。
 
■音楽の日記(2003.12.24 mercredi)

 こんにちは。きょうは曇り空。午後1時を回ったところで更新です。朝からパソコンに向かい、曲作りに 励んでおりました。素晴らしい休日です。そして、なんとこのたびやっとパソコン使って録音ができるようになりました。パソコンが壊れ、新しいパソコンにし てから2年くらい、やり方がわからずにいたのですが、気合い入れてやったら半日でできました。これなら、ときどき音楽の日記もできそうです。短い曲ではあ りますが、さっそく アップしましたので、勇気のある方はぜ ひどうぞ。なんか音がぼわぼわしすぎですが、クリスマスイブに免じてご容赦ください。
 気持ちが言葉になんかならないってこともあるんです。ひとつツールを取り戻した感じです。
 
 今午後10時を過ぎました。きょうは昼飯を近くのレバニーズの店で食べました。いつものベジタリアン・コンボです。今年は最後かもしれませんので、店の おじさんにもあいさつをしょうと思いました。きょうは多くの店は早めに終わるみたいです。そして、明日のクリスマスは一日休むようです。カナダではクリス マスは国民の祝日です。そして、あさってもボクシングデーという国民の祝日になっています。ボクシングデーの由来はわかりません。先日も書きましたが、 26日からの歳末大売り出しというのは1年でいちばんのにぎわいになるらしいです。
 レバニーズのおじさんは「ハッピーホリデー!」と声をかけてくれました。道行く人々が別れ際に「メリークリスマス!」という言葉を交わしているのを耳に します。食後はまっすぐ床屋に行きました。きょうも外は暖かく、年の瀬とは思えないほどでした。床屋のイタリアンの兄弟はなんだか忙しそうでした。はじめ こそ、「ことしは寒くなくていいね」なんていうことを言っていましたが、途中には愉快な会話を聞くことはできませんでした。散髪も15分くらいと、猛ス ピードで終わってしまいました。料金は12ドル。チップを含めても1200〜1300円程度の安さです。高いところは30ドルくらいする店もあるそうで す。安いところはチャイナタウンあたりに5ドルなんていう店もあります。実にいろいろです。床屋のおじさんにきょうはチップを2ドルあげました。ここでも 別れ際に「メリークリスマス!」というあいさつでした。あたますっきりで気持ちもすっきりしました。
 あすあさってはスーパーも休みなので、食料品の買い出し。ほとんど空っぽだった冷蔵庫もいっぱいになりました。これでしばらくはだいじょうぶです。いろ いろな方面からもらったワインが4本。ところがワインの栓を開ける道具がなくて飲めませんでした。きょうは晴れてそのワインオープナーも手に入れました。
 本日の晩餐は、このワインと冷凍ピザ。酔っぱらっていい気分です。ゴールデンタイムのCBCは、カナダの将来についての討論会でした。こちらでは有識者 ではなく、普通の人々が出てよく討論しています。ひとりひとりが国のことについて考えているんだということがよくわかります。クリスマスイブだからもっと 特別なことをやるのかと思ったら、そうでもないんですね。もちろん局によってはそういうところもあるんでしょうが。ニュースではアメリカのBSE。最大の 輸入国である日本が輸入禁止したというのが大きく報道されていました。その後は、第2次世界大戦のドキュメンタリー。軍人だったお年寄りたちが当時のこと をいろいろと思い出して語っていました。よくこういう番組が放送されています。国のために戦った先人たちを忘れはしまいという姿勢を感じます。
 日本ではどうだったろう、というのはいつも心に浮かぶ疑問なのですが、過去にどうして日本は戦争をしなくてはならなかったのか。この問題は、あまり考え る機会もなかったように思います。テレビではそんなことやりませんし、学校の歴史の時間だって、必要性は一部では叫ばれていたにせよ、それほど扱われては こなかったのではないでしょうか。もっともこれは、歴史の時間ではなく、学活でやらなければならないことかもしれません。それでは、未来の日本については それぞれどんなビジョンを描いているか。これについても、一般市民が議論できるような土壌が今の日本にはたしてあるでしょうか。それぞれ考えてはいるかも しれませんが、私たちはそれを話し合えるところまできているといえるでしょうか。つまりこれは、民主化されているかということにつながると思いますがどう でしょう。自分たちの教室に、職場に、地域に、家庭に、どれだけ本音の意見を言い合える環境があるでしょう。酔った頭でこんなことを考えてもしかたがない んですけどね。

■雨の一日(2003.12.23 mardi)

 きょうは朝から晩までずっとしとしと雨が降り続いた。これでは 新しい太陽とも出会えない。気温が5度を越えてなんとなく蒸し蒸しす るくらいだった。10時の時点でも空が真っ暗だったので驚いた。本来ならこれは雪として降るはずのものだろう。温暖化。今年は日本もかなり暖かいようだ。 ケベックシティまでの鉄道のパスを申し込んだのだが、希望した列車は取れなかった。こんなに暖かいのなら、車でも問題ないかな。
 昼飯を食いに下りると、買い物客や映画に来た若者たちで溢れかえっていた。こんな感じなのは日本も同じだろう。クリスマスカードの配達の様子がニュース で放送されていた。これも日本の年賀状と似たようなものだ。今はそういう時期なのだな。
 なんとなく気が抜けた。こういうときにインフルエンザのウイルスが入り込んだりするのだ。用心しよう。予防には手洗いとうがい。そして、人がた くさん集まる場所にはなるべく行かないことだ。皆さんもお気をつけて。
 
■仕事納め(2003.12.22 lundi)

 休日出勤。多くの企業はクリスマス休暇と書いたが、朝の通勤風景はいつもとそれほど変わりなかった。仕事する人はたく さんいる。きょうは今年最後の出勤で、荷物を持って帰るため車で出かけた。さすがに冬至。8時でも薄暗かった。でもこれからはどんどん日が長くなってい く。新しい太陽に生まれ変わるのだ。
 今朝も暖かだった。氷点下にもならないのはかなり異常ではないのか。週間予報を見ると1週間くらいはそれほど気温の下がらない日が続きそうだ。穏やかな 年の瀬。ちょっと拍子抜け。でも寒いよりはよしとしよう。
 現地校はもう休みに入っているので、校舎で開いているのは1階のデイケアの部屋だけだ。我々の事務所がある3階までは階段を上がり、電気の消えた暗い廊 下を通っていく。校舎はレンガ作りで50年くらい昔に建てられたもの。古い建物は天井が高く、階段も高い。だから、3階まで上がると息が切れてしまう。年 配の先生方は2階あたりで小休止をとるほどだ。自分も土曜日にはそこをひんぱんに上がったり下がったりするから汗だくになる。いい運動ではあるが、ちょっ と情けない。どうしてそんなに汗かいてるんですかと聞かれても困ってしまう。
 きょうの仕事は、先生方にちょっとしたメール文書の送信。それから、先週の研究授業の感想を書いてこれも送信。あとは資料をファイルし、机上を整理。こ れにて2学期の仕事はめでたく終了。午前中にはあがろうと思っていたが、気がつくと2時を過ぎてい た。あとは、持ち帰ったコンピュータの中身を整理して、これからCDーROMを残す。
 研究授業の感想文は、1回につきレターサイズの用紙に1〜2枚だから、原稿用紙で平均5枚にはなる。授業の前には、指導案の直しなどだいたい2回くらい メールをしているから、合わせると1人につき15枚くらいの手紙を書いて送っていた計算になる。2学期にはこれを毎週2〜4人分やってきた。この手紙がい いことばかりなら書く方ももらう方も気が楽だが、そうではない。けっこう厳しいことをあれこれ書いたので、先生方は文面を読むのにかなり勇気が必要だった はずである。この日記に毎日何か書いてきたことが、思わぬところで生かされている。これがなかったらもっと仕事に時間がかかったろうし、1学期の途中で音 をあげていただろう。
 今年の反省点としては、長いだけ長くて簡潔さに欠いていたこと。もっと要点を絞って伝えていけたら、さらに効率がよくなる。先生方との関係もできつつあ るので、これからそういう方向にシフトさせていきたい。そして、先生方の授業から学べる点をもっと取り上げて、皆のものにしていければいいと思っている。 これは来年以降の課題。
 今年は自分の研究授業も12回行った。というか、4月以来自分は研究授業しかさせてもらえない。その分勉強にはなっているが、まだまだよくわからないこ とがいっぱいだ。3学期は毎週1回くらい授業したいと密かに思っている。なにしろ研究授業100回やらないうちは素人だそうだから、ここにいるうちにでき るだけ数をこなしておきたい。
 昨年まで2学期が終わり冬休みに入ったこの時期にはほとんど部活動の合宿か練習試合かが入っていた。それを思うと、ほんとうに日本の教師は忙し過ぎ る。年がら年中休日まで仕事に出て、休む時間や家族のための時間がまったくとれない。そんな生活でまともな仕事が務まるわけがない。そんなの無理である。 ここでは部活のことだけに限定して書くけれども、はっきりいって日本の(岩手の?)中学教師には人間的な生活がいまだに保障されていない。
 教師は教師になるくらいだから根がまじめな人が多い。そのまじめさにつけこまれて、次々と仕事が回ってくる。まじめだからそれを全部こなそうとする。そ うすると、休む時間がなくなる。これでは悪循環だ。精神疾患が増えるのも当然だ。ニュースでわいせつ教師が取り上げられていたが、まじめな人間であればあ る ほどそのように歪んでしまうのだろう。幸い僕は、これでも人が思うほどのまじめ人間ではないので、今まで精神病にもわいせつ教師にもならずにすんでいる が、誰でもちょっと間違うとそうなる危険があることは自覚しないといけない。
このまじめさは日本の教師の素晴らしいところで はあるだろ うが、お気楽なところも持ち合わせていないと難しい時代かもしれない。

■クリスマスの可能性(2003.12.21 dimanche)

 最近日曜日は寝てばかり。きょうは普通通りに起きてニュースを見てから、また寝た。そして7時半にはまた起きて、家に 電話をして、それから午前中はずっとテレビを見ていた。独眼竜政宗はずいぶん前のドラマだが名作だ。きょうの話には、政宗のおじ役のイッセー尾形が出てき て長々と一人芝居を打つシーンがあった。なんかそこだけ大河ドラマとは異質な世界となっていた。尾形は政宗への不満を一人でぼやき、大福もちを口いっぱい に詰めながら、結局その後逐電してしまった。
 昼には日系人教会のクリスマスのミサに呼ばれていたのだが、どうも行く気がせずにそのまま部屋にいた。きっと行きますなんてさわやかに返事をしておきな がら行かないでしまったので、裏切ったような気持ちにもなった。だが、行きたくならなかったのだから仕方ない。きっと許してくれるだろう。なんだか一日頭 がぼーっとして、寝たり起きたりを繰り返していた。解放感というものではなく、嵐の前の静けさとでもいうような気分。眠っても嫌な夢ばかり見た。
 気がつくと夜も8時を過ぎていた。車で北の方面を30分くらいぐるっと走ってくる。途中のハンバーガー屋で夕食を買う。クリスマス前の住宅地の電飾はこ の前通ったときよりもエスカレートしていた。わが家でも子どもの頃にはクリスマスツリーを部屋の中に飾った。今 でもあの赤や緑や青の光を見た時に不思議な気持ちになるのは否定できない。「トゥリー」では なくて「ツリー」なのは、すっかり日本の文化に溶け込んでいることのあらわれだろう。
 だが、ツリーや電飾を家の中に飾るのと、家の外に飾るのとでは大きく意味が異なる。日本のことに限って言えば、一般家庭で家の外に電飾をほどこそうとい うのは、以前はなかった考えではないかと思うのだがどうだろう。家の中に飾るのはもちろん家の中の人間のため。それに対して、家の外に飾るのは外の人々に 見てもらうため。家の外と中の両方飾っている家もあるだろうが、それは家の中の人と外の人どちらのためでもある。
 学校には、学級目標やスローガンなどを廊下に掲示しようとする先生と、教室の中に掲示する先生とがいると思う。それぞれに意味はあると思うが、自分の場 合は目標を廊下に掲示しようとはちょっと考えられない。たぶん後者の方が圧倒的に多いと思われる。電飾の住宅街を走っていたらそんなことが頭に浮かんだ。 それは、飾り一つにしても何か意図や目的があるはずだという考えが自分にあったからだ。でも、ほんとうはもっと単純なことなのかもしれない。
 ガーデニングの延長線上にある行為ととらえると納得できる。イギリス連邦の一つであるカナダはガーデニングの盛んな国だ。夏場は庭の植物をきれいに刈り 込んだり花を植えたりして、道行く人々の目を楽しませてくれる。ところが、冬場には寒いし雪は降るしで庭作りはできなくなってしまう。そこで、クリスマス シーズンには夏のガーデニングの代償としてツリーや飾りを置き、色とりどりのランプをともすのではないだろうか。キリスト教徒が多い国ではあるが、それに 関係なく装飾して楽しんでいる家庭もきっと多いことだろう。
 一方、日本のクリスマスが宗教と離れて独自の発展を遂げていることも、かなり重要な意味を含んでいると思う。こういう現象は、日本だけでなくおそらくは 多くのアジア諸国にも及んでいるのではないか。そう思ってインターネットで調べてみると、イスラム教徒の多いインドネシアやマレーシアでも、実 際に多くの 人々が宗教に関係なくクリスマス気分に浸るようなことはあるらしいのだ。もっと調べてみれば、このような傾向が全世界的に広がっていることがわかるかもし れない。
 クリスマスツリーと門松には同じ意味があると何日か前に書いたが、考えてみれば冬至は北半球ならどこでも一年でいちばん日が短い日だ。この時期に古い太 陽が死に、新しい太陽が生まれるという思想が北半球全体に共通しているという論には説得力がある。そういう生まれ変わりの時期に家族や地域社会で祝福しあ おうというのは、人間の不変的な性質といえるだろう。それは、世界宗教が起こったここ数千年の短い時間ではなく、もっと以前からもっているものであるはず だ。そうなると、キリストの誕生前からクリスマスはあったのだといえなくもない。
 例によってまとまりのない文章になっているが、こんなことをあれこれ考えていくと、クリスマスは人類にとってもっとも大きな可能性を秘めた行事かもしれ ない。荒唐無稽な話と笑われるかもしれないが、そういう希望をもってこのクリスマスと新年を祝うことができたらきっと今まで以上にすばらしい年越しになる に違いない。
 
■2学期終業の日(2003.12.20 samedi)

 今朝少し早く出たら、ひじょうに早く着き過ぎた。開くまで待っていたら風邪引いてしまうなと思っていたところにチーフ ケアテイカーのティムさんがやってきた。すぐ中に入れてやるからついてこいというので、いっしょに裏口から入った。地下室からボイラー室まで、ケアテイ カーの朝の仕事を見学しながら3階の部屋まで上がって行った。多くの企業はきのうの金曜日で今年の仕事は終わり。きょうからクリスマス休暇に入った。学校 もきのうで終わり、1月の最初の日曜までは休みらしい。だから、地下鉄もストリートカーも、道路も空いているのだ。時間もいつもよりかからない、というこ とを教えてくれた。でも、26日のボクシングデーからはすごく混むよ。バーゲンが始まるからねということだった。1年でいちばんの消費の季節は、このクリ スマス前後らしい。
 嫌な予感がしたが、やはりきょうも事務局は2人とも欠勤で、朝の時間はてんてこまいだった。病気とはいえ、こういうふうにそろわないうちに終わってしま うのは残念だと思った。
 幼稚部ではクリスマス会があって、2校時から4校時まではサンタクロースの格好をしていた。赤い衣装を着けて腹のところに枕までつめて張り切って子ども の前に出ていったら、サンタじゃないよ先生だよとかにせものサンタだとか思いっきり言われてちょっとたじろいだ。だがそこは幼稚園児である。歌やおどり、 親子でのゲームなどを見ているととても楽しそうだった。イス取りゲームで勝った子たちが、やったやった!と両手を挙げて飛び跳ねている姿など見るとほんと うにかわいいと思う。そして、ひとりひとりプレゼントを渡すときのアイコンタクトで感じたものすごい手応え。少しはこの人たちの心に何かを残せただろう か。それにしても、ズボンがゆるくていつずり下がるかと終始気になった。下手をすると前代未聞のバッド・サンタに なってしまうところだった。
 午後は研究授業が2時間続き、その後最終打ち合わせをして2学期は終了。夕方から有志参加の忘年会。マンダリン・レストランはバッフェで有名な店。いわ ゆる食べ放題。店内はクリスマスの装飾で、すごく賑わっていた。この時期はどの店も深夜までの営業となり、料金も倍ぐらいに跳ね上がる。飲んだのはビール 1本で、あとはひたすら食べた。うまいとはいえそこは食べ放題。すぐに苦しくなってしまった。
 クリスマスが過ぎると、デパートやさまざまな商店では品物を返品しようという客で行列ができるのだそうだ。その品物というのは、クリスマスプレゼントと して自分が誰かからもらったもの。気に入らなければ、包装紙を破ろうが一度袖を通そうが口を付けようが店員は簡単に返品、返金に応じるのだという。レシー トが要らない店も多いらしい。
 「会社のため店のために自分が力になろう業績を上げよう」というのが日本の労働者の一般的な認識だとすれば、「時間どおり自分のやることをやればあとは どうなったって関係ない」というのが、こちらの労働者の認識なのだという。だから、返品には簡単に応じてくれ、代金も返してくれる。このことにも驚いた が、自分がもらったプレゼントを返して換金してしまうようなことも、日本の常識としてはおかしな話ではないかと思った。
 一概にどちらがいい悪いとは言えない。だが、少なくとも日本人が一般的にもっている常識や見識を恥じて、簡単に否定してしまうのはどうかと思う。たしか に「日本の常識は世界の非常識」ということは言えるかもしれない。仮にそうだとしても、日本の精神や伝統的な考え方を捨てて、どこかの常識に合わせていく ような生き方がいいとも思えない。日本人のひとりひとりが、そういう自らのアイデンティティについて深く考えていける状況が必要だし、実は今そういう時期 に差しかかっているのではないだろうか。

■何者(2003.12.19 vendredi)

 初めての冬ではあるが、いつもよりずいぶん暖かいというのはわかる。きょうも雪は降ったが、ぜんぜん寒く感じない。温 暖化だという。日本では大雪らしいが、気温はどうだろう。
 事務局が病欠で全滅。ボスは出張で、午前中は1人で切り盛りした。電話を取りながら、書き物に集中するというのは難しかった。早めに進めていたので幸い だった。
 自分は何者か。これが大きな問題だ。海外に暮らす人が共通してぶち当たる大きな問題。自国に暮らす人だって同じではあるが、それ以上に考えざるを得な い。移民はもちろんのことだが、自分のように何年かの期間限定としても、やっぱりどうしてもいつも心に浮かんでくる問いである。日本人であること。自分で あること。自分は何者か。
 真田広之と渡辺謙のインタビューが放送されていた。役者というのはすごい。ひとつひとつの言葉が心に染み込んできた。いったい武士道ってのは何なんだ。 そんなこと外国人が考えてもしょうがない。ほかならぬ日本人が考えなければならない問題に違いない。武士道と、自衛隊と、国際貢献と、アメリカとっての は、どう絡まっているのか。
 そんなことを書いているうちに、テレビでは昭和52年放送の美空ひばりのビッグショーが始まった。紅白歌合戦の宣伝もすごく頻繁になってきたし、北米大 陸に住む日本人1人1人にとっても、年末年始というのは自分のアイデンティティを確かめるのにもってこいの時節なのだろう。

■頭(2003.12.18 jeudi)

 毛糸の帽子を買おうとするのだが、どの帽子もなかなかうまくかぶれない。どれもサイズが小さいのかもしれない。自分の 頭が大きいということか。頭の小 さな人が多いから、自分の頭が入るくらいのものは、あまり置いていないのだろうか。床屋に行ってすっきりすれば、入るようになるだろうか。髪の毛がなかっ たら、たいへん楽だ。師走の街にもぴったりかもしれん。メリークリスマス。

■仕事を終えて(2003.12.17 mercredi)

 電車の中で毎日知らない人ばかりに会う。向かいに座って居眠り するおばさんも、隣に座って新聞を読むおじさんも、一言の言葉を 交わすこともなく、きのう見た人かどうかさえわからない。仕事帰りの人々は、電車の中の空間以外、何も共有していない。それぞれに、違う言語で違うことを 考 えている。一駅ごとに目に見えて減っていく乗客たち。それぞれの無関係な日常を思いながら、感情も表情もゼロにしてその場の空気と同化する。
 いいかげんきょうはまっすぐ帰ってきた。いや、ほんとうはきょうも寄り道した。駅の向こう側のフードコートで、海老フ ライを食った。それとみそ汁も。うまかった。普通の洋食屋で食うような味だった。不思議なことだが、日本の洋食屋で食える洋食なんて、ここではそうそうあ りつけない。はじめは海老フライというよりも、みそ汁が飲みたくなって立ち寄ったのだが。店の名はサクラジャパン。もちろん店のおじさんは日本語が通じな い。たぶん中国系。いつか食べたのはトンカツならぬドンカツ。スキヤキもヤキトリもよさそうだったが、きょうの気分はエビフライだった。
 どっからか30人くらいの男子高校生たちが湧くように出てきてなんとなく圧倒された。一見おとなのように見えるが、よく見ると子どもの顔をしている。目 がやわらかい感じ。彼等はめいめいに何か頼み、静かに食事をしていた。フライドポテトにはケチャップというのがこちらの常識。別の店で買ったポテトを持っ て、ケチャップだけくれと頼んだ少年に、サクラジャパンのおじさんは笑顔で断っていた。
 10年以上も前のこと。教科書に載っていた「盆土産」という小説を思い出した。どんな話か忘れてしまったけれど、たしか父親の出稼ぎからの土産の海老 で、海老フライをつくって食べるという話だった。教室でこれを読んだとき、どのクラスでも声を詰まら せてしまった。黙って教科書を目で追っていた生徒たちが異変に気づいて顔を上げると、教科担任の顔は涙でくしゃくしゃになっていたという わけだ。生徒の前で涙を流し過ぎる教師だったかもしれない。考えてみれば、去年の3年生の授業でもキミは泣いていたではないか。特攻隊の資料を読んでい る時だった。今でもそういう気持ちが残っているだろうか。

■「エレファント」(2003.12.16 mardi)

 予想ほどの寒さはまだ来ない。これなら年末年始も十分観光可能なトロント。さて、どうやって過ごそうか。 きょうの仕事はそこそこ。泣いても笑っても2学期は今週で終わり。帰りの電車を反対方向へ。ベトナムご飯の夕食。初めて入った劇場は狭くて懐か しい雰囲気。オンタリオではここだけ。たった6ドル。500円というところ。何気なく始まって、血も凍るような終わり方。何の変哲もない高校の様子はこっ ちも似たようなもの。そこで起きた銃乱射事件。綺麗といえば嘘。いい映画とは呼びたくないが、この後味の悪さがこの映画の価値なのかもしれない。

■曇りの月曜日(2003.12.15 lundi)

 午前中読書。昼から外出。車の雪払いと凍り削り用のブラシを買う。チャイニーズのモールでワンタン麺。ワンタンという よりもギョーザというかシューマイというかそんなくらいに大きかった。家に帰ってから9時過ぎまでゆっくりと過ごしていたが、このまま寝るのもなと、また 映画を観ようという気になった。よせばいいのに出かけたレイトショー。「タイムライン」。原作がマイケル・クライトンということで気に なっていたのだが、おもしろくなかった。熱演した俳優たちには罪はない。けれど、脚本があまりに安易過ぎ。しかも仲間たちがすぐ死に過ぎ。なんか全体的に 浅過ぎ。違う意味で、うわあこういう映画もあるのかと思い、ため息が出た。たくさん観ようと思う時期がたまにあるものだが、せっかくの休日にこういう過ご し方もどんなものかと思う。とにかく明日も早いからもう寝る。

■たまらないこと(2003.12.14 dimanche)

 約2週間ぶりの常体日記。ゆうべ3分の2ほど本を読んだところで眠ってしまい、今朝は2時半に目覚めた。明るくなった のは7時半頃。気がつくと雪で窓の外は真っ白。時々吹雪いている模様。天気予報ではきょう一日真冬日。サダム・フセインが捕まったというニュースで、テレ ビは特別編成。午前中はテレビを見て過ごし、午後に1時間ほど昼寝。その後外出。地面に積もった雪で歩きにくくなった歩道。郵便局で切手シート購入。いつ もとは違う大判の記念切手だったのは季節柄か。また映画を観ようと思いついたのは自然の流れ。
 「イン・アメリカ」。 英語のサイトはこちら。 比べるとイメージがかなり違う。 帰って調べたら、日本では「三つの小さな願いごと」という副題が付いていた。だが、観ているときにはその三つの願いことなどわからなかった。アイルランド からカナダ経由でアメリカに入り、ニューヨークに住むことになった家族の話。映画館にはなぜかお年寄りばかりがいた。始まる前から皆ポップコーンをぱくぱ くぱくぱく食っていた。よく食う人々だ。映画では、はじめはばかな家族だなと思っていたが、いつからかとても美しく感じるようになった。子どもたちが素晴 らしかった。途中まではだいたい理解できた。でも、後半ついていけなくなった。英語がわからなかったこともある。ドラマはまだ難しい。だが、それよりも、 どこからか漂ってくる誰かの体臭がきつくて、映画どころではなくなってしまったのだ。これはたまらないって。気持ち悪くて吐きそうだった。最後までいたに はいたが、こんなことでせっかくの休日のひとときが台無しになってしまい、とても残念だった。今でも気持ち悪さが残っていて、早く寝るしかないかなという 状態。まいった。こんなふうにして連休初日はあえなく終了。

■一週間を終えて(2003.12.13 samedi)

 生まれたときから難しいことに挑戦しているんだから、うまくいかないことがあったって当たり前なんです。気にしない気 にしない。ひと休みひと休み。北国生まれのわたしです、まだまだ全然寒くなんかない。
 きょうはこれから、先週と同様何か映画を観ようかと思っていたけどやめました。そのかわり、2時間くらいかけて1冊の本を読み切ってしまおうと思いま す。がーっと集中して、その後眠るつもりです。

■お釈迦様の蹴鞠(2003.12.12 vendredi)

 ミック・ジャガーがナイトの称号を与えられたんだそうです。なんかすごく矛盾しているような気がするのですが、ロッ クって何なんでしょう。よくわかりませんね。他のメンバーが激怒しているそうですがもっともだと思います。
 今、東の空から赤い月が昇ってきました。ずいぶん大きく見えます。小さな頃から不思議に思っていることがあります。太陽や月は昇るときや沈むときのほう が、上にあるときよりも大きく見えますが、なぜだと思いますか。これ、人間の目の錯覚なんだそうですよ。何度もその答えを目にしているのですが、とても信 じられないんですよね。だって、あんなにでかいじゃないですか。いや、最近の研究で「やっぱりでかい」ということになっているのかもしれませんが、そのへ んの事情は調べていないのでわかりません。どなたか科学者の方、ほんとのところを教えてください。
 東芝日曜劇場のオープニングの太陽があまりにでかすぎて、あれはどこの土手だろうと不思議に思っていましたが、ああいう撮影の仕方もあるのですものね。 「目の錯覚」といっても目はしょせん目ですから、そういうレンズの仕組みになっていると思えば錯覚でも何でもないのではないかという気もします。
 テレビをつけたら、連想ゲームみたいなのをやっていました。これはおもしろそうだと思ってみていましたが、5分で脳が受け付けなくなってしまいました。 見ておきたいのはやまやまですが、悪いけどダメだという感じでした。
 きょうは小津安二郎生誕100年の記念日なんだそうです。東京物語はテレビで観たことがありますが、50年も前の映画なんですね。笠智衆のことを以前は ずいぶん下手な役者だと思っていたのですが、あれだけ素朴に演技できる人って貴重な存在だったと思います。観ている側の方がわざとらしい演技を求めてしま う ということもあるような気がします。それが現実だと思い込むと、観た人の現実が虚構性を帯びてしまうので要注意です。誰でも現実の中で芝居をしているとい うことがあります。それがただのホームドラマでは済まないところが現代的です。事実は小説より奇なりといいますが世界中の誰もにとってそんな時代ですね。 どこにも逃げられるあてはありません。泣いても笑っても地球一個だけなんですから。眠気の中、お釈迦様が地球で蹴鞠して遊んでるイメージが浮かんできま す。かなりきていますね。こんな夜には早く寝るに限ります。お休みなさい。

■は なわとかダンディ坂野とか(2003.12.11 jeudi)

 ポップジャム、やってました。はなわとかダンディ坂野とかが出て歌っていました。なるほどこういうのがはやったわけで すね。千葉県など、初めてききました。たしか佐賀県という歌がヒットしたんですよね。どんな歌だったんだろう。それから「ゲッツだぜ」って「ガッツだぜ」 といっしょじゃないですか。最初ケッツに聞こえてなんだと思ったらゲッツでした。この人コメディアンなのかなあ。
 たぶんこんなふうに、我が祖国ではこちらではわからないことが流行したり廃れたりしているんでしょうね。いくらテレビジャパンがあるからといっても、時 代の気分というのはあまり共有できないものなのかもしれません。これで何年かして戻ったら、以前にも増してなんかズレてる人ねということになるのかな。い や ですね。 
 
■コミュニケーションいくつか(2003.12.10 mercredi)

 帰りのストリートカーの停留所で、きのうきょうと変わったことがありました。きのうは、ちょうど並んで待っていた時に 現地校の先生といっしょになり、いろいろと会話をしました。冬の楽しみについて。その先生はスケートもスキーもホッケーもやるそうですが、いちばんの楽し みは凍った湖の上での釣りだと言っていました。ドリルで穴をあけて、そこから糸を垂らすあれです。ワカサギみたいなのがこちらにもいるみたいです。その魚 を食べるのと訊いたら、バターで焼いてそのまま食べると言っていました。今にもよだれを垂らしそうな笑顔で話していました。
 ストリートカーがなかなか来なかったのですが、道路の向こうから来た人によるとどうも事故があったらしいです。それを聞くとその先生は、タクシーで行こ う!と言い出しました。そして、停留所の客たちに向かって大きな声で、「駅までタクシーで相乗りして行く人は居ませんか??」と聞きました。結局彼と私だ けがタクシーに乗り込み、混雑した道路を迂回して地下鉄駅まで行きました。振り返ると、ストリートカーが事故に巻き込まれてストップしているのが見えまし た。タクシー代はチップ込みで4ドルずつ出しました。その先生は夜に何かの集まりがあって急いでいたらしいのです。
 そして、きょうは白人のおばあさんから荷物を持ってくれと頼まれました。そんなのはお安い御用なので、地下鉄駅まで運びました。きょうは仏像ではありま せんでしたが、お年寄り一人で持つにはたいへんなほどの重さでした。そしたら、サンキュウサンキュウと涙を流して感謝されてしまいました。こんなことでも 人の役に立てば悪い気はしないものです。もしかしたら、しあわせになれるかもしれません。
 フランス語の講座はきょうの会話テストをもって終わりとなりました。先週はペーパーテストと自己紹介のテストがありました。ところが、テストの連絡が あった先々週に欠席してしまい、何の準備もしないままに臨んでしまったのです。そのため出来はさんざんでした。いえ、うそです。準備してもしなくてもたい して変わりなかったと思います。
 きょうは最初に答案が返されました。それには「50パーセント」と書かれてありました。でもよく見るとそれはかなりいい加減な採点で、どう考えても50 パーセントも取れていなかったのでした。採点はちょうど日本と反対で、正解のところにチェックマーク(✓)がつけられ、間違いの箇所に○がつきます。一見 ○ばかりの答案でまさかと思いましたが、やっぱりそういうことでした。
 その後は先生のいる別室で一人ずつ会話のテストを受けました。私は10名いるうちの最後から2番目でした。私の前に受けたマウさんと入れ替わって、フラ ンシス先生の部屋に入りました。「簡単だからリラックスして」と言われて出された問題はほんとうに簡単で、なんとかかんとか答えることができました。その 後、「この部分を読んで」と言われ、教科書のその部分を音読しました。「パスしたよ。でもぎりぎりの合格だよ」とその場で結果が知らされました。こんな私 を合格させてくれるなんて、先生にはほんとうに申し訳ない気持ちになりました。そして、なんとか最後まで続けられたのは、このフランシス先生が優しかった のと落ちこぼれ仲間のマウさんがいたおかげです。
 話を聞けば、先週と今週来ていた人たちはみな合格ということらしいです。最初は20名のクラスだったので、ちょうど半分は途中で脱落してしまったことに なります。最後まで続けさえすればほとんどパスできるというのが、ここのシステムのようです。継続は力なり。とてもありがたいことです。私は20回中1回 の欠席でした。
 気がつけばもう12月も半ばです。4月にこちらに来てから9か月になりますが、この間何をやってきたのだかよく思い出せないというのが正直なところで す。毎日こうやって記録を取っているからちゃんと覚えているかというとそうでもなく、ちょっと前のことはもう忘れてしまっているなと感じます。それだけ毎 日を必死で生きているのか、それともいい加減な気持ちでやっているのか、それは自分ではわかりませんが。
  あ、きのうのタイトルでけっこうアクセスが伸びたみたいですよ。これだけ差が出ると逆になんなのかねという気持ちになりますが。きょうは右上の5つとも違 う題で登録してみたいと思います。へっへ。

■秘密公開!アクセス数を増や すには(2003.12.9 mardi)

 この土日にアクセス数が急に伸びたのですがそれはなぜでしょうか。いちばん大きな理由はタイトルにインパクトがあった ことではないかと思います。6日と7日のタイトルを見てみてください。こういうのをつけると、「お、どれどれ」といってクリックする人が増えるのではない ですか。そして、きのうのタイトルが「休みの一日」。あまりおもしろそうではありません。案の定アクセス数もがたっと減りました。右上のサイトにいちいち タイトルを報告をしているのですが、それならもっとセンセーショナルなタイトルをつけて報告すれば いいということになります。でも、そこまでするのもむなしい感じがします。ブックマークやお気に入りにどれだけ登録してくれるかのほうを大事に考えたいと 思っています。と、そんなことを言いながらきょうはちゃっかりこんなタイトルです。さて、どれだけ増えるかな。
 話は変わりますが、自衛隊のイラク派遣の計画が閣議決定され、「教え子を再び戦場へ送る」ことになってしまいました。この事実をどう受け止めたらよいの か。私もそうですが、あまりにも大きな問題で受け止め切れていない人が多いのではないかと思います。でも、これは我が国や世界の未来を形づくっていくほど のインパクトのあるできごとだといっていいでしょう。さあどうするか。国民として何を考えるか。もう賛成や反対だけでは不十分だと思うのです。自分は何で 貢献しようとしているのか。それとも何もしないのか。あるいは国際社会と断絶するか。という一人一人の態度、個人レベルの見識がすごく問われているような 気がするのです。どれが正しいとか間違っているということではなしに、生き方そのものが問われているのだと思います。
 私は自衛隊を送ることが即戦争になるとは思いませんが、これによって日本はかなりのリスクを負うことになると思います。今後は日本内外で日本人を狙った テロの被害も十分考えられます。小泉首相はこのことさえも覚悟して決断を下しました。それは、国民一人一人に犠牲となる覚悟が要求されているということで す。この期に及んで自分は自衛隊じゃないからなんていうのんきなことは言っていられません。いよいよそういう待ったなしのところまで来たのではないかとい うのが、私の感想です。
 いざというときには、自分で自分を守るしかありません。戦場へ送るなと言ったその人たちももう何も言わなくなってしまいました。子 どもたちを相手にしている教師たちは、親たちは、今の状況を伝えなければなりません。それがたとえ客観的な情報でなくても、一人の大人の目を通した言葉で あれば、それは伝わるのではないかと思います。このようなことがあったというのに、自分の親はなんにも言わなかった、自分の先生はなんにも言わなかったと いうのでは、最高にまずいと思いませんか。 

■休みの一日(2003.12.8 lundi)

 大西洋側は大荒れの天気みたいです。こちらトロントはきのうきょうと天気がよく、気温も下がりました。きのうは結局ま る一日部屋から一歩も出ませんでした。それで何をしていたかというとさっぱり思い出せないのです。おとといは仕事の後に映画なんか観てきて、なんとか身体 を騙していたのですが、きのうになったらその反動が来たのですね。ほんとうに一日寝たり起きたりして、その合間に日記を書いたりしていたのです。
 それでも土曜日の仕事の後に映画を観たことによって、ストレスはどっかにいってしまったようです。きのうもきょうも胃の調子は悪くありませんでした。一 週間の目標を仕事の完遂に置くのではなく、その後の楽しみに置けばいいのだと思いました。考えてみれば当たり前の話ではありますが、そこがずれていたのか もしれませんね。
 きょうは午前中、洗濯と掃除をしました。これで年末の大掃除はおそらく終わりだと思います。部屋 の中はすっきりです。これで安心して年が越せます。なんて、ちょっと早いでしょうか。
 ダウンタウンの劇場の建物がつぶれて、子どもたちが生き埋めになるという事故が起きました。地元のテレビ局では、ずっとそれに関するニュースを放送して いました。一人が亡くなったようです。リポーターが現場の様子を伝えていました。一人の男性リポーターがコーヒーかなんかを飲みながら話していたのには驚 きました。
 昼は近くのフードコートでラーメンを食べました。品書きにはチキンヌードルスープとありました。ラー メンといっても日本のラーメンとは違う変わった麺でした。スープがうまかったので、全部飲んでしまいました。
 広場に出てみたら、池がすっかり凍りついて、スケートリンクになっていました。おじさんが一人楽しそうにリンクをぐるぐると回っていました。こんなすぐ 近くに滑れるところがあるなら、スケート靴を買って滑ってみようかとも思いました。ウインタースポーツの盛んな土地ですから、何か少しはやってみたいとい う気持ちはあります。
 先週買い損ねた体重計を買いに、ウォルマートというところに行きました。アメリカの量販店ですが、トロントにもたくさんの店があります。日本にある同様 の店と雰囲気はほとんど同じです。食料品まで広く扱っており、多くの客がカートを押しながら買い物をします。この手の店はあまり好きではないのであまり来 ることもないのですが、確かに値段は近くのスーパーよりは安いようでした。そこにはちゃんと体重計 がありました。はっきり数字の現れるデジタルのを買いました。
 帰ってきて体重を量ってみました。約9か月ぶりです。そしたらちょっと増えてました。これはやばいと思いました。いかんですいかんです。そこで一念発 起、一時間ほど汗をかいてきました。風呂に入ったらもうすっかり睡眠準備完了です。というわけでお休みなさい。

■18歳以上の国民に2年間の 海外生活を義務づけよ(2003.12.7 dimanche)

 松井稼頭央選手のメッツ入団のニュースを見ました。メッツの映像は例によって、放送権の都合により見ることができませ んでした。静止画像コレクションを増やしておりますので、興味がある人は見てくださ い。来年からはニューヨークに松井が2人ということになりますね。たいへん楽しみです。
 一晩たってもラスト・サムライの感動が残っていて、ネットのレビューをいくつか読みました。それで初めて、こういうことだったのかとわかった部分もあり ました。きのうはラッキーなことにタダ券をもらってきましたので、いつかもう1回観てもいいかなと思っています。渡辺謙はこの映画のために英語の特訓をし たそうです。発音もきれいで、おそらく英語を母語とする人々が聞いても違和感がなかったのではないでしょうか。この映画で彼はアカデミー賞をとるのではな いかとまでささやかれているそうです。ぜひとってほしいです。
 英語の勉強を今後どうしようかと考えています。1月から始まる学期には、発音のクラスをとってみようかという考えが強くなってきました。3学期はもっと 仕事が忙しくなるだろうし、寒い時期、夜はあまり遅くまで外に出たくないし、かといって英語の勉強からも遠ざかりたくないし、発音もしっかり勉強したいし ということを合わせて考えると、毎週水曜日だけの発音クラスが最適かな、という気がしてきました。他のクラスは火曜と木曜で、週に2日とはいえなかなかた いへんです。この間までは発音なんて気にしなくても通じればいいやと考えていたのですが、将来的なことを考えると英語の正しい発音を一から学んでおくこと も大事です。この時期にそれをやってみようと思います。
 日本の選手はなぜ大リーグに行きたがるのでしょうか。プロの球団としてはやはり日本球界よりも大リーグの方が上位だと思います。映画の世界でも同じく日 本映画界よりもハリウッドの方が上位であって、だから選手や俳優たちはそちらで活躍したいと思うのでしょう。でもこれは、どちらが野球がうまいかとか、ど ちらが優れた映画を作るかとかいうことと関係なく、大きいのはどれだけいろいろな人たちと仕事ができるかということだと思います。も ちろん日本のプロ野球だっておもしろいし、日本映画にも優れた映画はたくさんありますから、けしてそれを否定するものではありません。

 そのチームにどれだけさまざまな個性が集まっているかということが、いい仕事をする上で重要になっているのではないで しょうか。もちろんプロとして活躍するためには個人的な技術や才能が必要なことはいうまでもありませんが、国籍を越えてその個性が集まる環境ということを 考えると、日本よりはずっと上だと思われます。言葉の問題がいちばん大きいでしょうが、そのために大きなチャンスが失われているとしたら、たいへんもった いないことです。日本人には日本人のよさがあり、それは世界で十分生かすことのできるものではないでしょうか。英語を勉強するというのは、別にアメリカに 旅行に行ったとき困らないようにというのではありません。世界の人々と同じ土俵に立って、一緒に何かをするための前提です。だからこそ、英語の勉強は大事 だと思います。
 メキシコ人のレティシアと英語で会話練習をしました。そのとき彼女は「たぶんあなたは人の話をよく聞いてくれそうな人だと思う。生徒の話をよく聞く先生 でしょう?」と言ってくれました。それほど話したこともなかったのですが、少しのコミュニケーションの中でそういうふうに感じてくれたことがとてもうれし かったし、個性は伝わるものなんだなということを感じたのです。メキシコ人のレティシアと日本人の私が英語という道具を介して交流できたのです。この体験 がどれだけの可能性を教えてくれたかわかりません。今や電子家電、自動車など多くの部門で日本の製品の品質は世界一です。でもそのわりには日本人の顔がみ えないということはよく言われることです。交流自体が少ないのですから当然だと思います。もしも、今よりたくさんの日本人が日本人コミュニティから一歩外 に出て異文化交流を行おうとするなら、お互いの理解はもっと深まるに違いありません。
 日本に暮らすぶんには日本語さえ話せれば十分という環境は素晴らしいことですが、別の見方をするとたいへん不都合なことでもあります。このままでは国際 社会に取り残されてしまう可能性もあります。世界に誇れる優れたものをもつ日本ではありますが、それを生かせないということになってしまいます。イスラム 世界でも子どもたちは英語を学びます。これからの世界の中での役割を考えると、日本人にとっても英語の習得は大事ではないかと思います。
 国民に兵役を課している国があります。でも、日本の場合は平和憲法がありますから、それを発展させて国民にこんな義務を課したらどうでしょうか。「18 歳から2年間日本国外で生活しなければならない」もちろん原則として何があっても帰ってくることはできません。かわいい子には旅をさせよと言いますでしょ う。それを制度化するのです。平和をつくるためには武力ではなく、異文化理解とコミュニケーションが必要です。これだと、みんな英語を必死になって勉強す るでしょうし、これほど日本の国益にかなうことはないと思いますよ。いいアイディアだと思いませんか。

■ラスト・サムライで起こった 四 つの拍手(2003.12.6 samedi)

 夜にザ・ラスト・サム ライを観てきましたよ。ずばり、今年度の最高賞をあげます。 グランプリです。帰ってきてまだ少し余韻が残っています。ずしーっと重いけど、存分に楽しめる映画でした。しかも、日本語もたくさん出てきて助かりまし た。英語の字幕がたくさん出ていました。封切り直後ということで、8時15分からの回はほとんど満席でした。こんなに埋まっていたのを見たのは初めてで す。サムライが登場する場面がカッチョ よかったし、明治時代の町の様子がおもしろかった。そして、村の情景が美しかったです。一つだけ、なんじゃと思ったことがありますが、ここでは書きませ ん。 日本人の多くはそう感じるのではないかと思います。観てのお楽しみです。トム・クルーズもよかったが、渡辺謙の存在感も圧倒的でした。今やわたしの中では 彼のほうが主役です。素晴らしい俳優だと思います。小雪の存在も花をそえていましたね。それから、子役たちの演技がかわいくてかなり受けてました。
 ところで、上映中に変なことが起きました。話も後半に差しかかった頃、途中で映像が出なくなってしまったのです。場内ははじめオーとかワオとかいうざわ めきがあって、その後なぜか劇場中に拍手がわき起こりました。しばらくたっても映像は出ず、ついに電灯がついて館内が明るくなりました。金返せなど の声も少しはありましたが、騒然とした感じはありません。すぐに係の人が出て来て、「今直してます。5分から10分お待ち下さい」と説明していました。そ れで多くの観客は、トイレに行ったり、何か飲み物を買いに行ったりしていたみたいです。しかし、10分たっても始まる様子はありません。すると今度は、劇 場の偉い人らしき女性が出てきて、まるで司会者みたいな口調でしゃべりだしました。たぶん、「もうちょっと修理に時間がかかります。払い戻しはできません が、タ ダ券をあげますから帰りに受け取ってください」というようなことを語っていたのだと思います。すると、みんなは拍手喝采をして、そこからまた長い休憩時間 に入りました。それにしてもみんなずいぶんのんびりしたものです。こういうことも楽しんでいるみたいです。こういう様子を見学できるなんてめったにないこ とでしょうから、わたしも楽し かったです。で、やっと映画が再開したのは30分もたってからのことでした。ここで拍手が起こったのはいうまでもありません。
 そして、4つ目の拍手というのは、映画が終わった時に出た拍手です。それまでの3つの拍手に比べるといちばんささやかな拍手でした。何に対する拍手だっ たのか。演技か、映像か、サムライの生きざまか…。なんだかひと事には 思えなくてうれしかったです。人間の歴史っていうのは、いつの時代でもどこの国でも、侵略する者とされる者との歴史なんですよね。なんていろいろ書きたく なりますがやめときます。

■一見不思議なこと(2003.12.5 vendredi)

 何かを買おうとして財布から12セント出そうとするのですが、ありゃ1セント足りねえ〜という夢を見ました。起きて財 布をのぞいてみると、小銭がちょうど11セントあったので驚きました。これは正夢かとも思ったのですが、もしかするときのうそれとなく見て記憶していただ けかもしれません。いずれにせよこういうことはよくありますね。
 誰かの顔が不意に浮かんできて、ちょっとするとその人から電話がかかってきたり、あるいは街でその人と行き会ったりということがときどきありました。以 前友達がそんなことを言っていて、すごいなあなんて感心していたのですが、よく考えてみると自分も同じことがありました。なんとなく不思議ですが、ほんと は不思議でもなんでもないのかもしれません。
 
■トイ・ピアノの誘惑(2003.12.4 jeudi)

 アクセス数は増えているものの、投票してくださる方はほとんどいらっしゃいません。ああ、人の心をとらえる言葉なんて そんなに簡単に書けないよとため息をつきつつ、アクセス数−投票数=「つまんなかったよ!」という 声だと受け止めて、精進に励みます。こういう厳しさを甘受しなければ、人間次のステップに進むこと はできないのです。と、そんなことを書けば投票してくれる人もいるかな、などということを考えているわけではありません。いえけして、そのようなことな ど…。
 火曜日から金曜日にはだいたい同じ時間に机に向かってキーを叩いているわけですが、木曜日ともなると集中力がなくなって、きょうはもうテレビの映像も受 け付けず、英語のラジオも聴けず、脈絡もなくスガシカオのCDを聴いているところです。もし高校時代にこの人の音楽があったら、自分はどういう人生を歩ん でいただろうなんてことを、ぼーっと考えます。曲もいいんだけど、詩がいいですね詩が。日本のいいものに出会うと、日本人でよかったという気持ちになりま す。ポップスでもそれは同じです。
 Radio・Shackというオーディオを中心とした電気店が、街のあちこちにあります。そこにおもちゃの黒いグランドピアノが置いてあるのを発見しま した。長年探していた、けして高級品ではない普通のトイ・ピアノです。ちゃんとあのきらきらした音も出ます。わー、さすがカナダだぜと感激して値段を確か めました。値段は189ドル99セント。消費税15パーセントを足しても日本円で1万8千円というところ。これは私の感覚からすると高いわけではない。も しかすると、すっごい破格のお値段ではなかろうかと思わず財布を出しましたが、そこでちょっと踏み止まりました。
 このピアノ、かなりでかい…。これを抱えて通りを歩く自分を想像して、「あ、いえ、息子へのプレゼント…」などと、訊かれるわけもない質問への言い訳な んかも頭に浮かべたりして、きょうのところはひとまず退却しようと思いました。大のおとながとお思いでしょうが、私にとっては十分に魅力的な、歴としたア コースティックの楽器です。こんなことは自慢にはなりませんが、私は一日中ピアノに向かっていても飽きることがありません。弾けるわけではないのですけ ど、音を鳴らしていると飽きないのです。変でしょう?こういう性質がありますので、青春時代部屋に閉じこもり、一日中ピアノならぬキーボードに向かってこ つこつと作ったのが、音楽のページにあるものです。 オタクの為せる業、あるいはひきこもりの成果、どうとでも言ってくださって結構。拙い曲ですが、一度クリックしてしまったら、最後まで我慢して聴いてね。 きっとしあわせになりますよ。いやでも途中で止めたらいけません。不幸になります。

■クリスマスについて (2003.12.3 mercredi)

 今朝はマイナス10度くらいに下がったみたいです。放射冷却現象のため、真っ青の快晴で気持ちのいい朝でした。風がな かったので、外に出てもそれほど寒いという感じはありませんでした。家の中のセントラルヒーティングというのもたいへん快適です。ちょっと温度を上げると 半そで短パンでも十分なくらいに暖かいのですから。岩手の住環境と比べてみると、こちらのほうがずっと快適ではないかという感じがします。もちろん岩手に もセントラルヒーティングの家はたくさんあるでしょうが、私自身は住んだことがありませんでしたので、そんな比較になってしまいます。
 それでも岩手の冬だって、温風ヒーターや床暖房などで昔とは比べものにならないくらい快適になりました。反射式ストーブとこたつしかなかった頃は、夜に は部屋の中も氷点下になったりしたものです。布団の息のかかるところに霜がついたり、窓ガラスに氷のきれいな花模様ができたりという光景を知る若者なども ういないでしょうね。こんな情趣が消えてしまったとはいえ、それも私たちの暮らしが豊かになったゆえのことといえましょう。
 たとえそれが昔よりエネルギーを多く消費するからといって、昔のように寒い暮らしに戻ろうという意見にはだれも賛成しないでしょう。このような豊かさを 手に入れることができたのは、この国の政治体制がよかったからかもしれませんし、前世代の人々が必死に努力してきた成果だといえるかもしれません。とは いっても、エネルギーを無駄に使ってもいいということにはなりませんし、感謝して使わなければ罰があたるというものです。実際に、日本やカナダのように恵 まれた生活ができる国はほんの一握りでしかありません。必死に努力してもなかなか貧しさを脱することができない国のどれほど多いことでしょうか。そういう 国に暮らす人たちの気持ちを少しでも考えたら、やはり暮らし方は変わってくるだろうと思います。
 クリスマスの電飾が日に日に増えてきました。それ自体はとてもきれいですし、クリスマスの雰囲気というのは悪くはありません。この飾りそのものに一つの 文化的な価値を認めないわけにはいかないと思います。こんなふうにどこもかしこも電飾だ らけの夜を見てしまうと、単純に電気の無駄だからやめてしまえとも言えなくなります。ただ、ほんとにいいのかなという疑問が心のどこかに引っかかっている のも事実です。中には、ハデハデの電飾で、一般家庭とは思えないほどに家の回りを飾り立てている家もあるのです。何か常軌を逸したという表現がぴったりの ピカピカの家を見て、私はやはりあまりいい気持ちはしないのです。バカじゃなかろうかと思ってしまうのです。そして、日本人には真似してほしくないなあと 思うのです。
 もしかすると、この時期のこの電飾には教義上の理由があるのかもしれませんし、窃盗犯の多い北米大陸では防犯の意味があるのかもしれません。けれど、そ れだけではない何かがあるのではないかという気がします。
 子どものいる家庭にこの電飾をやっているところが多いことは予想がつきます。家の食卓にはどういう会話があるのでしょう。愛する子どもたちよ、よくお聞 き。クリスマスの時期にこういうふうにハデな電気をつけるのはね。かくかくしかじかの意味が有るのだよ。とどんなふうに語っているのか興味があります。ク リスマスの時期は、家庭でさまざまなことを考えたり語り合ったりできる、一年のうちいちばんふさわしい黄金の時期ではないかと思うのです。神様のこと、お 金のこと、家族のこと、愛情のこと、世界のこと、人間のこと、自然のこと。そして、エネルギーのこと。
 こちらでは外部で行われる各種のクリスマスパーティーは今が盛んなようです。クリスマスあたりは皆家族で過ごすようです。もちろん恋人どうしで過ごす人 々もたくさんいるでしょうが、基本は家族の単位だと思います。だから、ほんとうは独身の若者たちがこ の時期に必要以上に寂しがることはないのです。私はいつからかそれほどそういう気持ちにもならなくなりましたが、彼女彼氏がいないからといって小さくなる こ とはないじゃないですか。もっと堂々としていればいいじゃないですか。とそんなことを考えます。人間、そればかりじゃないですよ。近頃空にたれ込めている 恋愛至上主義みたいな空気は、言い換えれば家族という基本が揺らいでいる証拠ではないでしょうか。
 思うに、クリスマスが年末の時期になるのは偶然ではありません。学生時代に受けた比較言語学の講義で、世界の文化の共通性について、わかるようなわから ないようなことを学んだのが印象に残っています。クリスマスツリーのもみの木と、お正月の門松というのはどちらも針葉樹ですね。昔から洋の東西を問わず、 新しい年を迎えるということは新しい太陽を迎えることだと考えられていました。つまり、この針葉樹の葉っぱは、太陽の光のピカピカをあらわすシンボルなの だそうです。さらにこの時期に獲れるニシンなどの青魚も、太陽の光と重なるのだそうです。だから、おせち料理には数の子が欠かせないわけですね。そういう 年の変わり目の時期を家族で過ごすことの意味というのは、昔から大きかったといえるでしょう。それは、年が変わるということが、世代が変わることを意味 し、それは老いた者がこの世を去り、また新しい命が生まれてくるという生命の真理にも結びつくような気がします。…なるほど性の問題とも関わってくるわけ ですね。
 私は何を言いたかったのでしょうか。そうです。結論は、クリスマスの時期にはただピカピカやるのではなくて、いろいろと考えたり語らったりするのがいい 過ごし方なのではないのかということを訴えたかったわけです。日本でクリスマスが盛り上がるということもたいへん意味のあることだと思います。そこから家 族というものを見直すきっかけにしてみてはいかがでしょうか。ルミナリエもミレナリオも結構。光のページェントにも石垣のライトアップにも異論ありませ ん。ただのいい雰囲気というだけでなく、その精神性をじっくりと考えていくこと、家族で語り合っていくことによって、これからもっと先まで残る文化となっ ていくのではないでしょうか。

■しあわせになりますよ (2003.12.2 mardi)
 朝起きると真っ白で、気温も氷点下7度くらいに下がって、すっかり冬の様相になりました。きのうまで来ていたジャンパーでは寒さが防げず、初めて真冬の コートを着て出ました。外では耳と手が冷たくて痛い感じがしました。
 月初めの今週は水曜木曜と会議があり、土曜日にも職員会議があるので、それ以外の仕事と会議の資料の準備を残りの日に振り分けてやらなければなりませ ん。その週にやることのリストを火曜日の朝に 作るのですが、それ以外の突発的なことというのもさまざまあって、予想外に時間がとられることもしばしばです。 きょうは割りとはかどった方ではありますが、それでも予定を消化し切れずに残りは明日です。なんとか金曜日までに帳尻を合わせて、土曜日を迎えるというパ タンに陥っています。
 意外に時間がかかるのがボスとの打ち合わせで、これはかなり徹底的に話をします。といっても、自分の意見をもっていれば話せますが、そんなこと考えたこ ともないという問題にもぶちあたります。そんなときは恥も外聞もなくボスの考えを聴いて勉強するわけです。1時間2時間なんてあっという間で、気がつくと 昼休みが終わっていたなんていうこともよくあります。個人的にはたいへんありがたいことではありますが、日本に帰ってから役に立つかどうかはわかりませ ん。
 きょうボスはエンペラーオブジャパンのバースデーパーティーというのがあって3時過ぎに退庁しました。こういう日くらいは定時に帰ろうと思うのですが、 そうもいかないものです。職場のみんなは時間きっちりに帰っていきました。就職してからはだいたいどこに行っても同じような役回りになってしまっていま す。気がつくと一人ぽつん。万事そんな感じです。
 私もパーティーの招待状をもらっていたのですが、きょうは英語のレッスンの最終日、つまり、テストの結果を渡される日です。欠席したらそのままになって しまいますから、是が非でもそっちに行かねばなりません。ですからエンペラーのほうは断ったのです。それにしてもタイミングよくというか悪くというかこん な日に当たってしまうなんて。
 7時のレッスンまでにはまだ間があるので、中華街まで行って夕飯を食べました。茄子やら大根やらレンコンやらの煮付けとごはん、そして豆乳。きょうは完 全なる素食でしたが、量が半端でなかったので苦しくなりました。
 ストリートカーの乗り場で待っていると、おばさんが何か大きな袋を重たそうに運びながら近づいてきました。なにやら広東語らしき言葉で話しかけてきま す。わかりませんというと英語になりました。とても重いので運ぶのを手伝ってください。ストリートカーが来たら持ち上げて乗せてくださいというようなこと でした。よく見るとその袋の上の方から黒い頭がのぞきました。どうやら陶器でできた仏像のようです。高 さは60〜70センチくらいあったでしょうか。これは仏像ですかと訊くと、そうですこれはとてもありがたいいい仏像です、あなたがこれを運べばあなたもし あわせになりますよというようなことを言いました。そうやって落とさせて賠償金を取るような詐欺じゃないだろうなという疑念がちょっとだけわきました。 買ったのですかときくと、すぐそこの店で20ドルで買いましたと答えたので、ずいぶん安いなと思いましたが、それでこの人への警戒心はなくなりました。新 年用に買ったんですかときいたら、そうですと答えていました。中国から来たのですかときいたら、香港から来たと答えました。わたしは日本から来たと言う と、日 本人にしては背が高いですね、日本人はもっと背が低いですよね中国人みたいに、と言われました。そして、カナダに来てからどれくらいになるのか、アメリカ に住む気はないか、カナダは好きか、学生ビザで来たのかと立て続けにいろいろな質問をしてきました。わたしのほうも、質問に答えたり、香港は暖かいところ ですねとか、ご家族はとか話しました。こういうことがたまにあるといい練習になります。この 方も、日本についてはお金が高いという印象が強かったようで、そのことばかり言っていました。でもそれに加えて、日本はいい国だ日本はいい国だと何回か繰 り 返していました。このおばさんの仏像を持って地下鉄駅まで行き、別の路線の電車まで運びました。
 テストの結果はなんとか合格でした。60点以上が合格で私の得点は70点でした。聞けば受験者全員が合格だったということで、ほっとしました。テストが 返されたらすぐに帰ってもいいことになっていましたが、皆が先生に答え合わせと解説を希望したので、一通りテストを復習することができました。終わるまで には1時間くらいかかりました。この間の木曜日には、級友たちと離れるのが寂しい感じがしたのですが、きょうはなんかとてもあっさりとして、それぞれバー イと言って離れていきました。こうやって皆、自分たちの生活へ戻っていくのだなと感じました。ひさしぶりに敬体で謙虚に綴ってみました。それでは お休みなさい。みんなで上の投票ボタンを押してね。(ちょっと最初だけ登録が要ります。)押すとしあわせになりますよ。

■じゃじゃ麺からイラク派遣 (2003.12.1 lundi)

 中国系のモールで昼飯を食べた。数ある中から「炸醤麺」と「油条」という揚げパンを頼んだ。「炸 醤麺」の発音は「ジャージャンミエン」てな感じになるのだろう。これはたぶん、知る人ぞ知る盛岡名 物じゃじゃ麺の元祖ではないかと思う。茹でた中華麺の上に肉味噌がかかっており、それをぐちゃぐちゃにかき混ぜて食べる。店によってキュウリやネギがのっ たりもするが、きょうの店では味噌だけだった。スパイシーと言われたがそれほど辛くもなく、むしろ 甘めの味噌がほどよく麺とマッチしてとてもおいしかった。炒飯を頼んだ時に出るようなスープ、それ に豆乳がセットになっていたのは知らなかった。だから、「油条」はちょっと余計だった。これは小学校の給食で出たような揚げパンの味そのものだった。
 ハンバーガーに代表される西洋のファーストフードがメニューにそれほどのバリエーションがないのと比べて、中国系のフードコートで食べられるメニューの 豊富さは驚きに値する。しかも、何十種類という中から注文するにも関わらず、5分もしないうちにで きあがってくる。だからファーストフードには変わりない。世の中にはいろんなファーストフードがあるものだ。
 ご飯を食べた後はモールをひと回りした。ミュージックショップがたくさん入っている。もちろん中国系の音楽が中心だ。こういうのを眺めるのが好きであ る。HMVなどにはほとんど西洋の音楽しかないが、逆に中国系には西洋音楽は全くと言っていいほど見られない。完全な住み分けだ。CD、DVDの他に、 VCDという日本では見慣れないディスクもたくさんあった。日本の若い歌手の新譜も置いてあったが、僕が聴いてみたくなるようなのはなかった。日本映画の DVDもあり「これは!」とも思ったが、よく見るとリージョナルコードが3だったので買わなかった。フェイ・ウォンの新しいアルバムが出ていたので買っ た。思うにこの人こそテレサ・テンに続く「アジアの歌姫」だ。
 実はきょうは体重計を買いたかったのだが、このモールではでかくて重そうな、いかにも昔風のものしか見つからなかった。この4月以来僕は体重を一度も 測ったことがない。たいして増えも減りもしていないと思うのだが、具体的な数字が測れなければなん ともいえない。カナダにいるうちに少しでも減らしたいというのが願いだ。
 そのモールを後にして、今度は「西洋」のモールに行ってみた。「カナディアン・タイヤ」は日本のホームセンターと雰囲気がほとんど変わりない。だ が、体重計は1種類しかなかった。しかも、キログラムではなくポンド表示である。ポンドじゃね。やはり困るよ。同 じ敷地内にある「ベイ」にも「ゼラーズ」にも体重計を見つけることができなかった。季節柄クリスマスの飾りやプレゼントで華やかな雰囲気だったが、さすが に 月曜日の売り場は空いていた。
 不意にワールド・スタンダード(世界標 準)という言葉が浮かんできた。一時期よりもあまり聞かなくなった言葉かもしれないが、いったいこの言葉の意味するところって何だったんだろうと疑問に 思っ た。
 中国系のモールは躊躇なく中国系と呼べる。もっともベトナムやコリアンの店も入っていたりするから、少し広げてアジア系と呼ぶこともできるだろう。だ が、この「西洋」系のモールはなんと呼ぼう。カナダ系なのか、北米系とでも呼べばいいのか。なんだかよくわからない。そして日本のショッピング・モールも これらと同系であることは間違いない。世の中いろいろなものがあるが、どれがスタンダードと言うことなどまったくもってできないよなあと思う。
 話が飛躍するが、たとえば日本語では「標準語」という言われ方をすることがある。だが、それは誤りである。厳密には日本語には標準の言葉など決まってい な い。各地域の中で通じる方言というものがあって、地域を超えてどこの人々にも通じる「共通語」が存在する。方言も共通語もどちらも大事で、共通語のほうが 方言よりも上だとか優れているとかいうことはない。それぞれ時と場合に応じて使い分ければいいのだ。
 ちょうどこれと同じように、世界にはそれぞれの地域にそれぞれの文化があって、独自の価値観が形成され、その中で暮らしている。それぞれの文化にもちろ ん優劣はないし、数の多い少ないに関係なくそれぞれ大事にされるべきものだと思う。そして、文化どうしをつなぐものとして英語という共通の言語がある。言 語の他にも文化と文化をつなぐものがいろいろとあるだろう。広い意味での「文明」という言葉が、これにあたるかもしれない。
 ここで、「ワールドスタンダード」の話に戻るが、この言葉がどこからどのようにして出てきたものなのかはわからない。ただ、その標準という言葉に僕はと ても違和感を覚えるし、ちょっと恐ろしい気さえする。
 イラクでの日本の外交官襲撃のニュースは大きな衝撃だったが、早かれ遅かれこのような事態は予想されていたことだろう。そんな危ないところになんか自衛 隊を送るなという声が出ても当然だが、ここにきてそういうことを叫んでもしかたがないという気もする。国民は選挙でその方針に賛成したのだというふうにも 言えるだろう。今、なんのために、何をしなければならないのか、政府はそれを国民に説明する必要があるし、国民ももっとちゃんと考えなければならな い問題だと思う。
 先日ずいぶんめちゃくちゃな日記を書いてしまったのだけれど、あの日には職場でちょっとそういう議論になったのだ。その場にいた5人の中で自分の意見が 特に、実に中身のない感情論に偏ったものであるかということが露呈した、と感じた。考えるために必要な具体的データも頭に入っていないし、話を論理的に組 み立てることもできなかった。この日記を読んでもわかると思うが、ほんとに感性や情緒だけで生きている人間。でもそれじゃいけないんだなあということを身 に滲みて感じた。そしてさらに、教育の最大の目的が、何かを教え込むということではなく、「自分で自分のことを決められるようにする」ことだということ も、学んだ。
 僕はイスラム世界も西洋も東洋も共存できるようになると信じている。甚だ感性的な物言いになって恐縮だが、キリスト教も仏教もイスラム教もその他も、人 類共通の宗教的心性としていずれは融合されるのではないかと思っている。ずいぶん突飛な空想だと思うだろうが、これはこのトロントに住んでからいっそう強 く感じるようになったことだ。
 アメリカがイラクでしていることも、これから日本がしようとしていることも、その目的をしっかり 押さえなければならないと思う。小泉総理は、イラク派遣について国民に説明するという。自衛隊の派 遣が、はたしてほんとうにそこに住む人々の民主化をたすけるものであるのか。それともどこかが勝手に言っている「世界標準」に合わせようとするものなの か。見極めなければならないだろう。