2003年1月

■晦(1.31)
 今年も一ヵ月が経ちました。早いものですね。今年は雪が多くて寒いので、冬らしい冬だといえば情緒が感じられるかもしれませんが、かなり厳しい冬になっていることは確かです。今朝は国道でスリップしてクルマどうしがぶつかった事故の現場を二カ所も目撃しました。そのうちの一つは、タンクローリーの先がワゴン車の側面に突っ込んで、両方とも歩道に乗り上げていました。よく見たらワゴンの運転席にはまだ人影が。動いていましたし、すぐに救急車が来たのでそれほどの怪我ではなかったのではと推測しますが、そこからは私もよけい慎重になってハンドルを握りました。
 ところで、このノートですが、明日から九日まで出張のため更新を休ませていただきます。パソコンも持って行きますが、きっと電話線にはつながないでしょう。携帯もエアなんとかもないですし。毎日何か書くつもりではいますが、アップは早くて九日の夜になります。敬体にも慣れてきた頃ではありますが、また別の文体にしてみようかなという気もあります。でも気まぐれですのでどうなりますことやら。
 それにしても、文体によって書き手の表情がこうも変わるものだと、自分でも驚いています。ここでのさまざまな実験は、仕事にも少なからず役立っているので、やめるわけにはまいりません。二月で四年目に入ります。マンネリ化しないように工夫していきたいものです。それではまた。

■遅滞(1.30)
 あさってからの出張の詳しい要項がきょうファックスで届きました。書類やら現金やらを揃えて持って行かなければならないことを初めて知りました。現金の持ち合わせが足りないことに気づき、ただでさえ不在中の準備でばたばたしているところ、慌ててお金を下ろしに走りました。急な事態にも備えておかなければならない。迅速な対応が必要だ。と、そういわれればその通りなのですが、いくらなんでも連絡が遅すぎるのではないかと思います。とにかく万事こんな調子で連絡が遅れがちなのは、どこの責任なんでしょう。モンカショウか、ケンキョウイか、チョウキョウイか…。どこということもなくシステムの問題という気もしますが、現場で働く末端の人間なんて大事にされてないんだということを、痛感しています。

■大雪と車(1.29)
 きょうは一日中雪が降り続いて、ここいら辺では新しく四十センチくらいは積もりました。帰ってきていつもの場所に車を停めようと思ったら、積もった雪に乗り上げてしまって、動けなくなってしまいました。きょうは帰りが遅くて腹も減っていたのですが、このままでは明日も車を出せなくなってしまうので、とにかくスコップで雪をかき出しました。やっとのことで抜け出すことができましたが、終わるともうへとへとでした。こんなことはそうそうあるものではありません。まさか、きのう「三月で廃車にする」と書いたことにへそを曲げたわけではないでしょうけれど。

■新車購入計画(1.28)
   しばらくぶりにどんな車がいいかなあなどと夢が膨らんできました。今の十八万七千キロ走った愛車プリメーラ"Jam'ncho Special"は三月で廃車にする予定で、その後に乗る車を決めるために情報収集を開始したのです。ところがいざ見てみると、なかなか胸ときめかせる車の少ないこと。環境のことも考えて決めたいとは思いますが、ハイブリッド車になるともう選択の幅が限られてしまいます。
 せっかくの高価な買い物ですから、できるだけじっくり選びたいものです。今のはできるだけ長く乗り続けられるものをというのが条件でしたが、今回はそんなに長く乗ることもないし、家族を乗せることは考える必要がないので、ちょっと冒険してみたいという気持ちもあります。買う買わないは抜きにして、見た目のカッチョよさだけでいうと、現時点で魅力を感じているのは、ニュービートルとアコードクーペです。
 
■アクセス不能(1.27)
 最近ネットへのつながり具合がおかしいです。今もぜんぜんつながらない状態です。これはなんとも寂しいものです。ウイルスのせいだかはわかりませんが、やっぱり家のパソコンも世界とつながってるんだなあと、こんなときに逆説的に実感してしまうなんて。

■願い(1.26)
 去年の夏に旅したところはとてもパンがおいしくて、一個のデニッシュとコーヒーだけで、満ち足りた気持ちになれたものです。こういうところに住めたらいいと思っていたら、その思いが届いたのか、願いは叶うこととなりました。でも、今の時点では、これは単に偶然が重なったに過ぎないのだと思っています。ほんとうは、おいしいパンを食べることなど私の願いでも何でもないのです。ここから何かが始まるのだという感覚があります。偶然の出会いを必然に変えていくことこそが、生きるという営みなのかもしれません。
 学校は人生を凝縮させた場所です。教室の子どもたちとの出会いはいつも偶然です。四月にはたまたま出会っただけですが、三月あるいは卒業する時にはそれが必然だったと感じられるように、教師は学級を経営していくものです。私が自分自身の人生を生きていくことが、きっと子どもたちの力に変わっていくはずです。出発点は偶然ここになりましたが、道中のさまざまな出会いに感謝しながら自分の旅を行ければいい。そして、自分の納得できる場所に辿り着くことができたらいいなあというのが、自分の大きな願いです。

■ごまめの歯ぎしり(1.25)
 支度金というのが必要で、それも半端な金額ではなくて、○百万円という金がかかることになりました。いろいろなところから借金をしなければならないのですが、たいへんです。私の場合は事前に情報を得ていたので、びっくりすることはありませんでしたが、当局の方からは今まで何の情報もなかったので、突然のことに驚いている人も少なくないようです。私のような独り身はまだいいのですが、これが子どものいる家庭だとほんとうにたいへんな出費になるようです。そんなこと聞いてなかったと夫婦喧嘩にもなりそうです。そういう大事な情報をなぜもっと早く知らせてくれないのかと憤りを感じます。お上のことについては腹が立ってしかたがないことばかりです。文句の一つもぶつけてやりたくなりますが、それとも公僕である我々には抗う権利すらないのでしょうか。

■いもむしのうた(1.24)
 金曜日の夜の疲れときたら、目蓋が重くて仕方のない程です。浴槽の中で眠りに落ちて、何度かお湯に顔を付けてしまいました。それでも風呂から上がるとすっきりして、眠気もしばらくは感じずに、気ままな時間を過ごすことができます。一週間の仕事を終えたひととき。自由になる時間の長さは平日と変わらず、しかも、翌日が休みでないとしても、終末のこの数時間は値千金です。テレビでは今、ついこの間話題になったばかりのアニメ映画が放送されています。まだ見たことがないのですが、きょうのこの貴重な三時間を、テレビを観るのに費やすことがもったいなくて、結局また機会を逸してしまいそうです。けれど、全然構わないのです。
 眠る直前まで頭を働かせていると、就寝直後の脳はおかしな働きをしてしまうようです。おとといの夜は子どもたちに提案するための文章を集中して書きました。はじめしばらくはだらだらとやっていたのですが、その後重い腰を上げてからは、やたらと急ぎながらキーを叩きました。悩んで悩んで脳が指先と百%つながって、まるで蚕が糸を吐くような勢いで、ことばの糸が画面に紡ぎ出されます。これでもかこれでもかと四角の枠の中にことばを押し込んで、やがて文書が出来上がりました。もう午前一時を回っています。たいした量ではないですが、大きなことをやり遂げたような満足した気分になって布団にもぐり込み、さあこれから安らかな眠りに落ちていこうというその瞬間。胸が高鳴り、謂れのない恐怖感に襲われ、見ず知らずの人や獣がこちらに向かってわけのわからないことを話し掛けてきてという具合に、またこの日の眠りも悪い夢によって妨げられてしまったのです。ベッドの上の自分の姿は芋虫と化したグレゴールさながらに、重たい胴体を起きあげることもできないまま、低く呻き声を上げるのでした。
 その夜は一時間程も寝つけずにいました。この現象はある時には金縛りと意識されるものと同じもののような気がします。思えば中学生の時分からこのことに悩まされ続けてきたのですが、眠る前に頭を使うと寝つきが悪くなる。この因果関係に気づいたのはほんの最近のことだったのです。受験期など一生懸命に勉強した夜に限ってそういうことになったものです。それは夕食後に飲むコーヒーのせいではないかとさえ長い間本気で考えていたのです。これについては年をとっても慣れるということはないらしく、たまに家で遅くまで仕事をした夜にはきまってこんなふうになってしまうようです。
 ただし、以前実家に泊まった時必ず遭った金縛りについてはこの範疇とは認め難いという気がしますが、きょうのところはそれには触れないことにしましょう。あの体験だけは今考えてもどうにも腑に落ちないものですから。
 そうこうしているうちに午後九時を過ぎました。今机の足元にあるカセットレコーダーは最近買ったものです。思い立って英語を勉強しようということにしたのはいいけれど、家中探してもカセットをかける機械一つすらすでに残っていなかったのです。近くの電気屋に行ったら、CDまで聴けるものが五千円で売られていたことには驚きました。それで思わず衝動買いして、家にもち帰ってから気がづきました。ヘッドホンジャックがなかったということに。とまあそれはどうということでもありませんが。そんなわけで、英語を勉強する必要性を感じつつも、この一年間ほとんど何もやってみるということがないまま今になってしまいました。どこまでできるかわからないですが、以前習ったテキストを一通り見直し、聞き直してから研修に行ければいいと思っているところです。

■天気予報の雪だるま(1.23)
 大雪です。帰って来てから雪かきをしたら腕やら腰やらが痛くなってしまいました。手先も震えています。慣れないことをするとこんなふうになってしまいます。明日までにさらに30・以上積もるらしいです。明朝は早く起きる必要があるかもしれません。テレビの天気予報では北海道から山陰までの広い範囲で雪だるまのマーク。よく見ると、雪だるまの黒い目の見ている方向がそれぞれ微妙に違っているのに気づきました。ま、どうでもいい話ではありますが、なんとなく可笑しくなりました。

■身体のわたし(1.22)
 きょう四時間授業をしたら、喉が痛くなってしまいました。一ヵ月近く声を張り上げることもなかったので、声帯が弱くなっていたようです。休み明けにはいつも思うのですが、人間の身体というのは使わないでいるとすぐに衰えてしまうものなのですね。
 長い間使わないでいる部分の、なんと多いことか。こういうとき自分の肉体が恨めしくなってしまいます。
 
■へんな既視感(1.21)
 始まってみればいつものこと。半日で日常の学校生活に戻ってしまいました。でもさすがに疲れた。ある生徒の持っていた麦わらで編んだ小物入れ。私がかつてカンボジアの土産物屋で買ってきたものとすっかり同じ物でした。なんかとても懐かしくなって、「こ、これどこで手に入れたの??」と訊いたら、盛岡の駅ビルにある雑貨屋から買ったということでした。なるほどね。見た時は一瞬混乱したのですが、なんとなく納得できました。

■開始前夜(1.20)
 明日から三学期です。宿題提出に実力テスト。生徒にとっては今はとっても嫌な時間のはずです。こちらはというと、何のことはない平常心です。また始まるな。「がんばらない宣言いわて」というコピーがなぜか頭の中に浮かんできました。きのう一年ぶりくらいに肴町に行ったら、「肴町がんばります宣言」というポスターが貼ってあったのを目にしました。以前どなたかがHPで書いていましたけど、このことだったのかとやっとわかりました。「がんばる」は「我を張る」が転じたという説があります。わたしは今年も生徒に対して「がんばれ」とは一度たりとも言わないつもりです。
  
■氷の上を歩くのが下手になった(1.19)
 車に乗ってばかりだからなのか、どうにもつるつるして転びそうでした。微妙な体重のかけ方を忘れてしまったようです。東京じゃ雪が降ると転んで怪我をする人が大勢出ますが、それもわからないではありません。
 明日は月曜日しかも一日会議です。明後日からいよいよ三学期が始まります。弛緩した神経も明日からは否応無しに引き締められるでしょう。
 日曜喫茶室のフローラン・ダバディのトークがおもしろかったです。ずいぶん頭の回る人だと思いました。きょうのテーマは「異端変人モダンマン」。共感できる話の中身にうれしくなりました。自分が「モダンマン」かどうかは疑わしいですが、「異端」で「変人」ということは十分に考えられるので、調子に乗って変なことを考えました。いずれ移民しようかな。これは本気で、選択肢の一つになり得るんじゃないかと。けれどそれにはいくつもハードルがあります。私もぬるま湯に浸かっているのはもうやめて、武蔵ではないですが姫路城で三年間書物を貪り読むくらいの覚悟がないといけないかもしれません。
 Joni MitchellのBlueを聴いています。以前はなんて暗い音なんだと思ったものですが、今聴き返してみるとすばらしいアルバムです。何を歌っているのか、いよいよちゃんと理解したくなりました。

■旅(1.18)
 きょうは昼間ずっと部屋に閉じこもって、いろいろと書いたり作ったりしていました。新学期の準備も九割方できたでしょうか。あとは月曜日の始業式前日に完成させればいいかという状況です。実にのんびりの土曜日。さて四月からはいったいどんな土曜日になるのだろうと思うと、わくわくする反面たいへん不安でもあります。でもきっととても楽しいだろうと思います。
 三時過ぎに外に出て初めて、きょうは快晴だったのだということに気づきました。なんてもったいないことをしたのでしょう。遅かったけれどカメラをもってちょっと出かけました。夕暮れ間近の稗貫郡を何枚か切り取って。でもそれほどいい写真は撮れませんでした。
 新幹線開通のために最近の旅番組では八戸あたりの特集が流行りです。今朝のテレビでは勝野洋さんが新幹線で八戸に来てうまいものを食べたり、地元の人たちと談笑したりしていました。東京から三時間かからない。それほど旅が手軽にできるようになったということでしょうか。
 写真というのは、その場だけカメラを向けてもいいものが撮れるわけではないのですね。自分の歩くスピードで対象と巡り合って、それと一つにならないことには、いい写真なんて撮れないものだと感じます。旅だって、新幹線でも車でも、パッと行ってパッと何かしてパッと帰ってくるのでは味わいも何もないんじゃないでしょうか。たんに点と点だけを結ぶ移動。それではほんとうは旅とは呼べないんじゃないかという気がします。
 パッと車を走らせて、パッと降りて撮って、パッと帰ってくる。そんな行動をしたきょうの自分は、ちょうどテレビの旅番組みたいなものでした。
 
■時代(1.17)
 あの震災から八年が過ぎたんですね。八年も経つと時代はすっかり変わってしまったという感じがします。でも変わらないものは何があっても変わらないんだという思いもあります、いいこともそうでないことも。
 要らなくなったものをいくつかまとめて買い取ってもらおうと思い、リサイクルショップに行きました。でも、最初の店では担当の人がいないからと言われ、二つ目の店では買い手がつかないからと行って断られました。まだまだ店はあったのですが、こっちもなぜだかばからしくなってきて、売るのはもうやめようと思って帰りました。
 レコードを集め始めたのは中三くらいからで、高校入学のお祝いにということでステレオを買ってもらって、それから月に一枚くらいのペースでLPを買うようになりました。レコードがすり減るのが嫌で、カセットテープに録音してそれを聴いていました。大学一年の秋にはCDプレーヤーを買いました。その時いっしょに買った記念すべき一枚目のCDは、プリンスのAround the World in a Dayでした。それから収集の対象はCDに代わりました。MDが出た時はすごいなあと思ってウォークマンも買ったのですが、あまり使うことはありませんでした。そのうちパソコンがあっという間に拡がって、メモリーカードやらスティックやら小さいのがさまざま出て、音楽ソフトは純粋にMP3という形のないものになってしまいました。
 LPレコードを買って抱えて帰る時のあの嬉しさというのは今では感じません。それは残念な面もありますが、かといって嘆く必要もないことです。音楽そのもので勝負したり、味わったりできるというのはいいことではないかという思いと、でも音楽というのは肉体あってのものだから形というのが大事なのではという思いとがあります。いずれにしても、音楽はけして音だけではないということはいえると思います。
 今となってはレコードを聴くことは難しいですし、気がつけばもうカセットテープですらかける機械が家にはありませんでした。ラックに収まりきれなくなったこれらのCDたちも、いつか聴けなくなってしまうでしょう。実はいませっせとCDをMP3に変換中です。できるだけコンピューターに放り込んで、いつでもどこでも聴けるようにしたいという考えからです。でもほんとうのことをいえば、あとのためにとっておこうと考えるよりも、今何を聴いているのかどれだけそれにのめり込むかということのほうがずっと魅力的だと思うのですが。

■研究会(1.16)
 きょうは町の研究会でした。午前中は分科会で、午後は講演会という内容。分科会の協議で発言する人がおらず司会者が困ってどなたかしゃべってくださいといったのでそれじゃと思って手を挙げました。なんにも考えずにだらだら話したら意味不明になりました。いつものやつです。反省です。
 午後の講演会では、地元の大学の先生が自分の生い立ちをお話なさいました。ああいうふうに履歴書をばんと印刷して配って、自分の半生を語ってこれが講演会ですと言える人はすごいと思いました。でも、寒い体育館の中で震えながら聴くのはたいへんつらかったです。
 
■本屋(1.15)
 街の本屋さんが次々消えているわけですが、それとは逆にインターネットの本屋さんが充実してきました。なんたって手数料は不要だし、欲しい本は簡単に探し出せるし、何より買いに行ったけどなくてがっくりということがないのがとてもうれしいです。なるべく地元のお店を利用しようというのはわかるんだけど、品揃えが薄いとどうしても足が遠のいてしまいます。本屋さんをぶらついて気に入った本を買うのも大好きなんですけどね。

■歯医者復活戦(1.14)
 歯医者に行ってきました。この間治してもらったところが痛いのですがと言うのが嫌でした。でも見てもらったら埋めたところが出っ張っていて歯茎を傷つけていたのがわかりました。そこを削ってもらったら嘘のように痛みが消えて腫れも引いてきたようです。今度こそこれで終わりだったらいいと思います。

■案の定(1.13)
 この間治療した歯の周りの歯茎が腫れて痛いです。物を食べると痛むので、食欲も失せてしまいます。これはいいことかよくないことか。しばらく考えてやっぱりいいことではないんだということに気づきました。また歯医者かと思うとちょっと嫌です。

■Happy New Year(1.12)
 やっとのことで朝日美穂のシングルを手に入れました。音楽を聴いてぞくぞくする体験はだんだんでき難くなっていると感じますが、この人の音楽を聴いた時は間違いなくぞくぞくします。遥かなる音楽大陸にたどりついた旅人のような気持ちで、いま彼女の歌を聴いています。
 地球上ではいろいろなことが起きています。無数の街があって、無数の文化があって、民族があって、国境があって、偉い人がいて、貧しい人がいます。音楽やダンスには、みんなをつなぐ力があると思います。そのほかにもわたしたちはいろんなことがらによって、世界を結びつけることができると思います。そういうことを信じさせてくれるようなパワーを、朝日美穂の音楽からは感じます。

■屋台(1.11)
 夕方ラーメンの屋台がチャルメラを鳴らしながら家の前を通り過ぎて行きました。今でもこういうのがあるんだなあと驚きました。

■タイトルの話など(1.10)
 大きなCD屋さんに行って、アラビック・グルーヴというCDを見つけたのでさっそく買いました。そしたらお店のお兄さんが、「これはハマりますよ!」と笑顔で話しかけてきました。「特にえーと、五曲目だったかな。すごくいいっすよ!!」と、お兄さんも一押しのCDだったみたいです。「去年の夏ごろ、爆発的にヒットしたんですよね!!」と言ってました。(えっ、そんなに前から出てたの?)でもこの店でこんなふうにお店の人が話してくれたのは初めてだったのでうれしかったです。
 話は変わってこのホームページ。「まるゆのホームページ」として登場してから二年と十一ヵ月が過ぎました。「ユーコーズウェブサイト」と名前を変えたのはいつか忘れましたが、いずれにせよ「このタイトルどうにかしてよ」という声も聞こえてくるくらいにあまりにもおもしろくないタイトルでしたね。それはわかっていたのですが、いや作文を書く時だってそうだと思うのですが、タイトルというのはなかなかに難しいものです。なぜなら、一言でそのものすべてを言い表わすものこそがタイトルなのですから。
 ヒマな時にはずっと考えていたのですが、このままだと考え続けるだけでいつまでたっても決まらないと思ったので、ちょっと恥ずかしいのですが決めました。やっぱりふるさとと世界をつなぐ旅というのが大きなテーマでして、それを一言で表していて、みたことがありそうだけどよくみるとあんまりみたことがないタイトルということで、「イーハトーヴの楓」としました。イーハトーヴの森の樹の葉っぱの一枚が、ひらひらと風にひるがえりながら海の向こうまでも飛んで行ってしまうという、まさにこれは私そのものを表したことばではないかと、自画自賛しております。
 ちなみに、「イーハトーヴの風」は郷土の生んだシンガーソングライター、あんべ光俊さんの名曲です。あんべさんの曲では「遠野物語」とか「星の旅」とか好きだな。IBCトップ40などでよく聴いたものです。こんなホームページを見つけました。http://www.nnet.ne.jp/~onsen/top40ken/index.htm 懐かしいでしょう? 〜岩手限定の話題ですみません。

■通院(1.9)
 八月に歯医者に通い始めたところがいつまでたっても治療が終わらず、そのうちに忙しくなってきて、結局中途半端になっていたのです。これではイカンと思い、昨日別の歯医者へと行ってみました。そしたら、奥歯に虫歯が一つあって、それを治してもらい、歯石を取り除いてもらって、全二回であっけなくめでたく終了でした。夏には七、八回通ったのですが、虫歯の治療では、今回は歯を削って埋めるのは次回。歯石を取るにも、今回は上の歯だけ、下は次回というふうに、のんびりカリカリやっていました。おまけに「厚生省の指導です」とかいって歯のレントゲンも撮られたりしました。ところが今回は、虫歯を削って詰めるまで一回で終わり。歯石を取るのなんて機械でキュインキュインとあっという間でした。いったいあの歯医者はなんだったんだろうというくらい、今回は早かったです。ゆっくりだけど丁寧だったのか、早いけど雑だったのかはよくわかりませんけれど。
 その足で今度は眼科へと。コンタクトレンズをしばらく(もう四年くらい!)定期検診しないで使っていたので、度が合っているか心配になって検査してもらいました。盛岡の眼科ではいつも一時間以上待たされていたので今日も覚悟していったのですが、なんのことはない、患者は二名しかおらず、待ち時間ゼロ。あっという間に検査を終えることができました。結果は異常なし。今まで使っていたレンズで問題ないとのこと。これでまたあと四年は大丈夫かな。

■二千円札(1.8)
 買い物してレジでお釣をもらったらその中になんと二千円札が!!二千円札を手にしたのはこれで二度目です。あれは消えてしまうものなのかと思っていたのですが、もしかすると今年から本格的に流通が始まるのかもしれませんよ。初めての時のお札は記念にとしまっておいたのですが、意味がないような気がしてきました。使ってしまいましょう。

■七草(1.7)
 年休でした。きょうは祖父の命日です。いつもこの日には新年の挨拶を兼ねてお寺へ行って、少し離れたお墓に行ってお参りをするのです。雪が深くて車からお墓の場所まで行くのがたいへんでした。寒い日でしたが、天気がよく風もあまりなかったので、清清しく感じました。
 年賀状の返事もようやく書き終え、投函できました。私に年賀状を下さった方のもとへは、数日中に届くものと思われます。いつもと同じくプリントゴッコでつくったのですが、インクの使い方がヘンになりました。なんとも情けない色づかいになってしまいましたが、そこは私のセンスの問題ですのでどうか広い御心で御容赦下さりませ。

■生活者元年(1.6)
 二泊三日の県外遠征から帰ってきました。学校に停めていた車が雪に埋まっていて出られないかと思ったら誰かが雪かきしてくれていたので大丈夫でした。ありがとう。風邪はというと、おとといは日中寒気はするし、腹は痛いし、強烈な下痢に冷や汗たらたらの脱水症状まであらわれる始末でした。そこでとある有名なスポーツドリンクでイオンサプライするとこれが効果覿面でした。飲んですぐに汗が引いていくのがわかるんですから。ユニセフなどの援助物資にあるORT(経口補水塩)とほとんど同じ成分なんだそうですね。カンボジアで熱中症になったときにも助けられたけど、ほんとにこれは命を救う水だと思いますよ。で、調子が回復してきたので夜には合宿所とはずいぶん離れた海の近くの料理屋での懇親会に参加しました。行き道三十分バスに揺られて、お刺身だけちょっと食べて、ビールたくさん飲んで、いろんな人たちとおしゃべりして、帰り道三十分バスに揺られて少し気持ち悪くなって、部屋に帰ってがあっと寝たらすっかりよくなりました。風邪が治ったのはですね、ビールではなくORTのおかげだと思っていますよ。それで、昨日も今日も体調ばっちりでさ、任務は無事完了。お疲れ様というわけでござりやんした。
 部活のお仕事のことを少し申し上げればですね。やっぱり東北各地の雄を前に我がチームはまだまだ成長途上だということを思い知らされたのです。三日間の試合漬けで疲労困憊。さまざまな反省材料が見つかり、コーチからもこっぴどく怒られ、帰りのバスでは子どもたち、皆しゅんとなっておりました。でも、それだけ大きな意味のある大会だったという気がします。
 プレーにはその人間のもつすべてが作用するものですから、その競技だけ一生懸命やってたってダメで、その人間の生活をすみずみ見直さなければいけないんだなあということを感じました。それは選手である子どもたちだけのことではなくて、自分たち大人にとっても同じことだなあと、自分と子どもたちとを素直に同じレベルでとらえてみることができました。そしたら、今まで以上に彼らがめんこく思えました。
 さらに、一年の計は元旦にありとはいいますが、少し遅れてこれからの目標みたいなものを考えてみました。それは「真っ当な生活者になろう」ということです。実は前からそう思ってはいたのですが、今回ますますその思いが強くなりました。やっぱり自分で自分自身に目をつぶってきていることが多々あるわけで、それを変えないうちはどうしようもない(ゲームでいうなら「勝てない!」あるいは勝てても「満足できない!」)のだということを実感したのです。考えてみれば「生活」とは人間のすべてではありませんか。生活をひとつひとつちゃんとやっていけるようになりたい。どうですか。「真っ当な生活者」って、これ究極の目標だとは思いませんか。今年はそれに向かって挑戦していく第一歩だなと、勝手に決めています。

■仕事始め(1.3)
 一日中体育館にいたらすっかり冷えきってしまいました。氷点下十度はあったろうと思います。参りました。帰ってきたらなんか熱っぽくてやばいです。きょうは早く休むつもりです。明日の朝は五時起きで出発、帰るのは六日の夜になりそうです。それでは。

■お正月はもう終わり(1.2)
 お正月休みもあっという間で終わりです。今年は特に短いです。明日からもう仕事です。正月気分もふっとんでしまいます。年賀状、さっそくにいただきました。恐縮です。これから書きますすみません。松の内にとは思っていますが、どうなることやらわかりません。

■あけましておめでとうございます(1.1)
 皆様本年もどうぞよろしくお願い申しあげます。2003年も始まりました。それにしても寒い正月になりました。さっき帰ってきてからずっとヒーターをつけているのですが部屋が全然暖まりません。明朝も10度近くまで下がるんじゃないかと思います。(もちろん氷点下)
 ローカル線に乗って地元の駅まで来たのですが、元日の電車の中はみんな物静かでしーんとしていて寂しかったです。そういう沈黙の中で、ああオレはこういう場所に住んでいるんだなあとあらためて感じました。そうして、一人一人がそうであるように自分もまたそうなんだなあなんてことを、脈絡もなく思ってしまいました。ああほんとにいい年になりますように心からお祈りします。