2003年6月

■休日(2003.6.30 Mon)
 6月もきょうで終わり。今年も半年が終わり。いい時ともわるい時ともつかぬ日々。そういう相対的な価値を判定したところで意味はない。明日のためのきょうになったのかどうか。
 トロント近郊の小さな町をいくつか見て来た。近郊とはいっても日帰りにしてはかなりのところまで行ったつもりだったが、帰って来て地図で見たら1pにもならない距離だった。

■コミュニティ(2003.6.29 Sun)
 午後1時過ぎに外へ出た。きょう広場ではベトナムの祭りが行われていた。ベトナム移民たちがたくさん集まって、ステージを楽しんでいた。民族衣装を着た男女がベトナム語で司会していた。アオザイを着て扇子を広げて踊る娘たちや、歌謡曲に合わせてストーリーのある踊りをするグループなど、皆ベトナム語で、観客も皆ベトナム人のようで、ベトナミーズコミュニティのための祭りという感じだった。3曲くらいきいたところで、広場を後にした。
 地下鉄とストリートカーを乗り継いで、リトルインディアに行く。最初の衝撃ほどではなかったが、やはりあの一角はおもしろかった。いろんなところにカメラを向けて撮った。屋台で何か売っていたので、試しに食べてみることに。丸い揚げ煎餅みたいなのに、木の実などが混じった酸っぱからいあんをつけて食べる。スパイシーとは言っていたが、意外と辛くなくてうまかった。それと緑色の冷たいスープ。これも風味はカレーだが、辛いというより酸味の強いスープで、悪くはなかった。さとうきびジュース売りのお兄さんが通る人みんなに声をかけていたが、誰ひとり買わずちょっと気の毒だった。
 途中歌声が聴こえてきたので行ってみると、教会で賛美歌を歌っていた。後ろから入ってしばらく聞いていたが、節回しはふつうのフォークソングというふうで、OHPに映し出される歌詞は、やはりイエスへの賛美のようだった。歌が終わると、牧師らしくない男の人がマイクで何かしゃべった。すると、会場の人々が互いに握手を交わし、自己紹介をし始めた。僕も2人と挨拶を交わした。その後なぜか子どもたちだけがいなくなった。自分も次の歌が終わったところでこっそり抜け出した。
 しばらく歩いたが、雲が厚くなり、どうも雨が降りそうな気配。ストリートカーでヤングストリートまで出るとすごい人だかりが見えたので降りる。人の頭の合間から見ると、ゲイのパレードの真っ最中。踊っている人たちの姿にも圧倒されたが、それと同じくらい観客の姿も興味深かった。ビルの2階3階から見ている人もいて、上半身裸になって踊っている人がいっぱいいた。でかい水鉄砲をパレードに向けて撃っていた少年が、逆に裸の男に水をかけられ、全身ずぶぬれにさせられてふくれていた。パレードが終わった後の通りはゴミだらけだった。ほんとうにひどい汚れようだった。どうやって片付けるのかと思ったら、でかいバキューム車や、ブラシで掃いていく車が出てきた。それと蛍光色のジャケットをつけたたくさんの掃除人が辺りを掃きはじめた。掃除するのは、この人たちの仕事なのだ。
 その頃にわかに腹が痛くなり、便意を催す。その後は家に戻るまでに2度も公衆トイレに寄ることになる。腹は下り、汗も止まらず、軽い脱水症状に陥った。珍しいものを食べたものだから、胃腸がびっくりしたのだろうか。まあ、昔からこういうことはよくある。
 トロントは世界最大級のゲイコミュニティがある街なのだそうだ。つい先日には同性どうしの結婚も認められたくらいだから先進的ではあるのだろうが、パレードはみていて楽しいものではなかった。
 いろんなコミュニティがある。ベトナム人のコミュニティもかなり大きいらしい。そういえばこの間ベトナムのホアンさんがこんなことを言っていた。中国人もベトナム人も、他のアジア人も皆いっしょにかたまって居住するのだが、日本人はそういうことはしないで、あちこちばらばらに住みたがる。なぜかはわからないけれど、それが日本人の文化なのだろうと。ばらばらに住むから日本人コミュニティがないということにはならないだろう。しかし、日本人のこの性質は、どんなもんだろう。僕は逆に「つるむ」のが日本人の特徴のような気がしていたけれど、そうでもない。自分自身、職場以外のところで日本人とコミュニケーションをとったことはほとんどない。とりたくもないという気持ちも正直あるので、それが日本人の性質というのはわかる気もする。

■変化(2003.6.28 Sat)
 50年ほども前に書かれた岡本太郎の新しさに面喰らって、50年かかってもこれほどしか変わっていないことを嘆かわしく思った。そうしてこの人のことを、ほんとうに身近な存在と思ったよ。
 後味のあまりよくない土曜日の夜。土曜だと野球はデイゲームだし、NHKのニュースもない。久しぶりにノンストップでCDかけまくり。意外と新鮮、いい感じ。繊細に映る日本のポップス。
 だけど、自分が15年かけて変わってきたものを、1年で変えるよう人に強いたところで、何の意味もないだろう。むしろ自分が変わり続けることのほうが、相手にとっても意味をもつかもしれない。
 7月1日はカナダデイの祝日で、多くの人はきょうから4連休。アパートの駐車場もがら空きだった。3連休を前に何の計画もない。初心ということであれば、僕は真夏の街を歩き続けることになる。

■カメラ(2003.6.27 Fri)
 きょうの気温はそれほどでもなかったようだが、部屋に熱がこもっていてやっぱり暑かった。今日中やるべきことはなんとか間に合ったが、できればやっておきたかったこととなると一つもできていない。こういうぎりぎりのサイクルから脱出したい。
 ところでいたるところに防犯カメラが設置されている。日本でも同じくらいカメラがあったのかもしれないが、それほど意識することもなかった。地下鉄の駅など、公共の場を通ることが多いから気づくことかもしれない。四六時中映像を見ている人はそれほどいないのだろうが、映像は録画されてはいるのだろう。安全な暮らしが防犯カメラによって守られている、そういう世の中なのだ。

■眠い(2003.6.26 Thu)
 毎日書いているが、暑い。仕事の能率もがた落ちだ。木曜日だというのにたいして進まなかった。なんとかなるとは思っているが、確かな見通しはとくにない。とにかく明日一日が勝負。涼しくなってほしい。
 先日アパートの近くの店から買ってきて食べた弁当がすごくうまかった。今まで食べたこともない料理で、パセリとトマトを細かく切り刻んだものにマヨネーズだかドレッシングだかけっこう酸味の強いものをかけてごはんとまぜて食べる。きょうはその店に行って別のメニューを頼んだが、よくみるとレバニーズと書いてある。レバノン料理ということらしい。店のおじさんも親しみがあってよい。

■文化の融合(2003.6.25 Wed)
 風がなかったせいか昨日よりも暑く感じた。午後9時で30度。きょうは38度になったといううわさもあるが、そこまでではないだろう。明日も予想は32度。きょう、現地校では通知表を渡された子どもたちが、夏休みを前にはしゃぎながら帰って行った。夏休み前の気分というのはおんなじだ。こちらの学年は6月で修了。7月8月は長い長い夏休みで、9月から新年度が始まる。
 米はほとんど炊かないが、気がつけば夕飯には米を食うことが多くなっている。きょうはフードコートの中華の店で、肉と野菜のカレー味の炒めものとチャーハンを食った。うまいといえばうまいが、中国料理であって中国料理ではないような不思議な味だ。似たようなものに、テリヤキの店がある。メイドインジャパンと書いてはいるのだが、その店にいるのは中国人だ。肉やら野菜やらを鉄板で焼いて、それを白飯の上にのせ、最後に上からテリヤキソースをたっぷりふりかけてできあがり。これはこれでうまいし、野菜もたっぷりとれるので、一週間に1回くらいのペースで食う。これは日本料理となってはいるが、こんな日本料理は日本にはない。こんなふうに、なんだかわからないけれどもいろんな食べ物があって、これはこれで愉しみの一つとなっている。もちろんちゃんとしたレストランではそれなりに本場の味が楽しめるのだろうが、割高だし、チップは必要だし、1人だし。レストランと名の付く店には、来てからまだ4、5回しか行ったことはない。
 夕方、コピー機のメンテナンスに来たベトナミーズ・カナディアンのホアンさんと話をした。いつもは英語がなかなか通じず苦労するのだけれど、きょうはずいぶん話も弾んで、楽しい時間を過ごすことができた。きっと、アジア出身の英語話者は、相手に対して寛容なのだろう。わかろうとして聞いてくれるから意味が通じるし、こちらにとっても発音がとてもわかりやすいので理解できる。英語圏の人々ももっと英語圏外の人が話す英語に対して寛容になるべきだという意見が、英語圏の中にはあるらしいが、こちらとすればそうなることはありがたい。
 世界は一つになる方向にある。今まで国や地域によって異なっていた文化は、急速に同質になってきている。その流れを止めることはできない。自国の文化を大事にしながらも、お互いのいいところを学びあいながら融合させていければいいと思う。日本の美徳にも世界に誇れるものがある。ゴミを散らかさない文化は日本人が世界にどんどん広めていいものだと思う。カナダや他の外国のように、道ばたに平気でゴミを捨てたり、電車の座席の下に平気で飲み物のカップを落としたり、駐車場に飲みかけの空き缶を立てて置いていたり、そんなことは日本人にはやってほしくないと思う。むしろそういうことが恥ずかしいことだということを、日本人が堂々と世界の人々に訴えてよいことではないだろうか。

■またきょうもスタートを切る(2003.6.24 Tue)
 夏至が過ぎていたことにも気づかず。現在午後9時30分。まだうっすらと外は明るい。ここ数日はもう真夏の暑さ。まるで8月。湿度はないものの、高温と、日射の強さ。ここは特に紫外線が強いところらしい。いままでサングラスをかける習慣はなかったが、おそらく近いうちに買うだろう。
 イチローがきょうも出塁する。限りない賛辞。同じ時代に生きる喜びをかみしめているのは日本人だけではない。メジャーリーグのゲームに息を飲むのはアメリカ人だけではない。テレビの前で胸時めかせる少年よ。君はその憧れを現実に変えることができる。誰でもイチローになれる。イチローはテレビの中にいるのではなく、自分の中にこそいるのだ。自分の中のイチローを、生かすもころすも自分次第。ただのヒーローでいる間は君のイチローは育たないだろう。さあ僕のイチローは今何年目だ?
 空を飛ぶ夢を見る。自由に好きな場所を飛べる。上に行こうとすると上に行く。横に行こうとすると横に行く。これを快感と呼ばずしてどんな夢を快感と呼べるだろう。超高速の夢は夢でありながら現実だ。このリアリティを、夢を見る人間を莫迦にする人には理解できないだろう。これは人間が長い歴史の中で築き上げてきた財産だ。今、テレビで、スクリーンで、コンピューターで作られている超現実体験がどれだけ自分たちのイマジネーションを広げているのかもう少し真面目に考えたい。この自由、このスピード、このとんでもなさ!これこそが人間の追い求めているものではなかったか!
 安定を追い求めるのはただの逃げではないのか。自分を騙そうとする行為にすぎないのではないか。
 岡本太郎のことばがいちいち心に突き刺さる。これを日本語で理解できる有り難さ。誰がなんと言おうと、自分の好きなことをやっていこうという決意。さて好きなこととは何。カナダも日本もアメリカも、くだらないやつはくだらない。自分を出すということがどれだけ大事なことか。これが俺だ文句あっか。誰に嫌われようと、どれだけの人が離れていこうと、自分の居場所を狭めようと、そんなことは関係ないのだ。さようならこんにちはさようならこんにちはさようならこんにちは…。
 これも人生のステージ。こんなところにも一人の人間の人生がある。誰もそれを侵す権利などない。感受性というのは誰もがもち得るものではあるが、誰もが研ぎすましているわけではない。むしろ!すり減らすことで安楽を感じることを幸福と考えている人々は多い!自分をごまかして生きることで幸せになれるような気がするだけでほんとうはそれは自分を傷つけていることだということをわかろうともしない人間がこの世にはたくさんいる!という、事実。どうとらえればいい。
 近郊の原子力発電所には一般人は立ち入らず。この強大な電力供給をもたらしているのはまぎれもなく陰の部分だ。日本の車よりはるかに燃費の悪い日本車。だけどなんでもないほど安いガソリンの値段。この石油供給の陰に何があるのか!誰の犠牲の上にこの豊かさがあるのかを知れ!豊かになればなるほど、見えないものの数が増す。これでもかこれでもかと僕らの目を、僕らの芽を、覆い隠そうとするのがわかる!まやかしの豊かさに慣らされるのではなく、まやかしの豊かさを暴くために歌おう。

■出会い(2003.6.23 Mon)
 朝日とともに目覚めて5時。どんなに雨の降る日でも、朝日だけはきれいに見えるという日もある。だからまだどんな日になるかはわからない。朝方の夢になぜか、初任のときの副学年長の顔が浮かんできた。その時言われたことと今考えていることがリンクしたのかもしれない。15年経ってやっと飲み込めることもある。それが早いか遅いのかは関係なくて、それを理解できたことで、出会った意味を感じたことがうれしい。
 人と人との出会いは、時間も空間も越えた奇跡。今はここにはいない人々のおかげで、今の自分が作られている。たくさんの人々がどれほどのメッセージを自分に投げかけてきたのだろう。このわからずやの自分が、その意味をすべて受け止めることができるまで、どれくらいの時間や経験が必要なんだろう。そして、今まで出会った子どもたちの心の中に、自分の思いがひとつでも芽吹いていくことがあるのだろうか。今まで出会った子どもたちにとって、自分との出会いが意味のある出会いになればいい。
 ここに来て、関西弁を聞く機会が多くなった。周囲に東北人が一人もいない状況というのもこれまた初めてで、それで今までの常識が揺さぶられることも多いが、それもおもしろい。東北人も岩手人もいいところはいっぱい。関西人も大阪人もいいところはいっぱい。みんな違うけれど、みんな同じ。
 たった二年や三年で、人の考え方を変えようとするのは無理がある。無理を通せば道理が引っ込む。自分を変えずに押し通そうとすると、関係はうまくいかなくなって、苦しくなるばかり。それより、相手によって自分が変わることを、素晴らしいこととして受け入れよう。お互いに自分の個性を出しながら、一つのものを作りあげていく。その過程で自分が変われることをありがたく思いたい。
 表現は気持ちの切れ端だから、目にとまったものをつなぎ合わせるだけではパズルは完成しない。相手のもつものと、こちらのもつものと、うまく組み合わせてはじめて絵が浮かび上がる。何年かかるか知れないけれど、気持ちさえもち続けていれば、大きなものができあがるだろう。自分と周りの他の人たちと、お互いに共同作業をしながら、一つのものを作りあげていく。そういう仕事ができればいい。
 
■休日(2003.6.22 Sun)
 午後5時過ぎまで部屋にいた。外は晴天で散歩日和ではあったが、眠くて仕方がなかった。それだけ疲れていたのか、それともだらけていたのか。いつもこうでは困るが、たまにはこういう一日があってもよし、ということにしよう。
 その後外に出たが暑くて散歩する気にはなれず、車で近郊の町を小1時間ばかり走る。トロントの人口は400万人という。それが市内の人口なのか、近郊の町を合わせての人口なのかよくわからない。だが、400万という実感は全くない。交通機関や道路もそれほどの渋滞があるわけではないし、人の混雑もそれほどでもない。街がそれだけうまくできているのかもしれない。
 ちょっと走ると大規模なショッピングモールがあって、食料品を含めてだいたいの品物は買えるようになっている。これは最近日本でも見られるようになってきた光景とそっくりだ。寒い冬でも車があれば普段着で買い物ができるということだ。
 ここよりも日本の方が優れていると思うことは、環境に対する意識の高さ。例えば嫌な言い方をすれば、街は日本にくらべればゴミだらけなのに、片付けるのは住民ではなく、それを職業としている人々だ。学校に掃除の時間はないから、現地校の子どもたちはいってみりゃ散らかし放題。放課後にはケアテイカーと呼ばれる用務員の方たちがきれいに掃除してくれる。こちらが気を利かせて掃除したら、彼らの仕事を取ったと逆に怒られてしまうかもしれない。聞くには聞いていたんだそういうことは。だがこの散らかし方を実際に目にすると、おいおいいいのかよと思ってしまう。いったいこれはどういう違いなのだろう。
 優れているという言い方はあまりよくないけれど、自分の意識がちょっと低下してきている危惧を覚えるのであえてそういう言い方をしておこうと思う。日本のテレビ番組からは、日本の社会はかなり進んでいて、未来的な印象さえ受ける。

■気がつけば敗北(2003.6.21 Sat)
 8回表まで5対1で楽勝ムードだったのに、その裏に大逆転を喫し敗け。ブルージェイズはこういうことがありすぎだ。10時からはマリナーズのゲームだった。地元のゲームしか観られないと思っていたが、観るすべを知らなかったというだけだったようだ。後はこちらの都合と、どんな契約をするかということだ。

■前夜(2003.6.20 Fri)
 ケーブルテレビに加入してちょうど2か月経過したその日に、映らなくなってしまった。これはつまり、無料お試し期間が終わったということらしい。これから先は、観たいチャンネルごとに料金を払わなければならないようだ。で、テレビのリモコン操作でスポーツチャンネルパックの契約を行った。その後半日したら、映るようになっていた。音楽ビデオも観たいのだが、これも加入するとなるとまた加算されることになる。このチャンネルパックだが、野球の放送が全て観られるかというとそうではなくて、ここではブルージェイズのゲーム中心になっているようだ。松井と新庄が見れるかと思っていたのに、ヤンキースとメッツは映らなかった。
 今夜のブルージェイズとエクスポズのゲームはブルージェイズが大勝。アメリカンリーグの上位3チームはこのところずっと勝ち続けており、連敗でもしたら優勝戦線から脱落してしまいそうだ。毎年3位というのはトロントの定位置らしいが、ワイルドカードを含めると、プレーオフ進出はかなり期待できるのではないかと思う。ブルージェイズが終わったら、マリナーズの試合が始まった。イチローは第1打席でヒットを記録した。
 英語の勉強と、カナダの文化の勉強を兼ねて、新しいページを鋭意作成中。ある英文の和訳を試みている。たった5行を訳すだけで1時間もかかった。この分じゃアップできるまでにどれだけかかるのかわからない。けれど、毎日の日記でできることには限界がある。本当は、まとまったものを時間をかけて作っていきたい。今まで更新が止まっているページも少しずつ手をつけよう。やりたいことはこのサイトを利用して全て実現させる。自分にとって、そういう夢のような場所にしたいものだ。
 午後10時に電話がかかってきた。先週もこのぐらいに電話がかかってきたっけ。ここの人は宵っ張りが多いのかもしれない。僕は完全な朝型人間だけど。でもって用件はというと、明日配付できるように資料を用意してほしいとのこと。全くもって容赦ない。これで期待にそえるかどうかは不明だけど、できるだけのことはやる。
 いつでも、うまく伝わらないのは伝える側に問題があるのだ。できることをやりもしないで、人のせいにするのはどこの国の人だろう。それはどこの国の人でもなくて、世の中にはそういう特徴をもった人間もいるということだ。自分がそうでないことを願うけれど、自信があるわけではない。人間慌ただしいと気持ちが毛羽立ってくるのはわかる。だけど、忙しい、時間がないというのは、たいていの場合言い訳ではないだろうか。
 といいながら逆のことも心に浮かぶ。働くことは厳しいというのはわかるが、なぜにそんなに厳しく難しくやろうという方向に向かってしまうのか。昔の人間は現代人のように汲々と生きていたとはとても思えない。もっとのんびり、和気あいあいと回っていかないものだろうか。

■あれー?(2003.6.19 Thu)
 スポーツチャンネルが映らなくなってるよ!!なんでだよ!野球がみれないよ。
 しょうがないから日本のニュース。ベッカムの人気はすごいねー。騒ぎ過ぎだよねー。なんか恥ずかしくなっちゃうねー。

■ニュース(2003.6.18 Wed)
 文章を書くことが仕事になってしまっている。研究だよりや週報をかなり気合いを入れて書く。どう説得力をもたせるかが勝負である。きょうはある重要なメールを書いて、自分なりにはやることはやったという気持ちであとは返事待ち。授業についてのコメントも電話ではとても伝えきれないから、長くなってもメールのほうが断然便利である。それにしても、ここで書いてきたことが、こんなふうにして役立つなんて思いもしなかった。人間万事塞翁が馬。
 今朝のメトロに興味深い記事が載っていたので、日本語に訳してみよう。間違いがあるかもしれないが、そこは悪しからず。
 
「世界でもっとも金のかかる街・東京」
 生活様式調査によると、東京は香港を抜いて世界でもっとも金のかかる都市になった。そしてまた、もっとも金のかかる都市ともっとも金のかからない都市との差は6年連続して縮まっている。
 モスクワが昨年と変わらず2位。続いて日本の西にある都市大阪が、2002年の調査から3ポイント上がって3位となった。一方、パラグアイの首都アスンシオンが、ヨハネスブルグにかわって世界でもっとも金のかからない都市になった。
 カナダではいずれの都市も100位以内には入らなかった。トロントはバンクーバーより6ポイント上の、104位にランクされたとCBCニュースオンラインは報じた。
 マーサーヒューマンリソースコンサルティング社が行った144都市での調査によると、東京はニューヨークに比べ26パーセントもかかる費用が高いということだ。
  <金のかかる上位10都市>
   1 東京(日本)
   2 モスクワ(ロシア)
   3 大阪(日本)
   4 香港(中国)
   5 北京(中国)
   6 ジュネーブ(スイス)
   7 ロンドン(U.K)
   8 ソウル(韓国)
   9 チューリッヒ(スイス)
   10 ニューヨーク(U.S)


 "costly"を「金のかかる」と訳したが、金のかかるというのはどういうことか。物価が高いのか、土地代が高いのか何なのか、具体的には書かれていなかった。よくわからないニュースだが、日本の東京と大阪がなぜこんな上位にランクされるのか。まったくいいことではないと思う。

■ここにいること(2003.6.17 Tue)
 仕事のことを書こうとすると、頭はめちゃくちゃになる。これが教師の仕事かと、戸惑いと怒りとあきらめと覚悟と思い切りといぶかりと信頼とごちゃまぜにした感覚に襲われる。ここに紹介できないのは言語的センスにまだ難があるからだ。
 午後9時のニュースのトップは、男性どうしで結婚したカップルの話題。カナダでもそういう例が認められたらしい。そして、カナダの経済の低成長について。狂牛病。SARS。ウエストナイルウイルスのニュースと続く。これだけの要因があれば、経済だって大打撃なのも無理もない。その次にきたのは、イスラエルとパレスチナの問題で、向こうの子どもたちが映っている。
 きょうの特集はアメリカ。CBCが44か国に行ったアンケートの結果。アメリカを好意的にみている人は54%。そうでない人37%。これがカナダ国民になると81%が好意的にみており、89%もの人が米国の強大な軍事力をみとめている。というふうに聞いたが、定かではない。でもやはり隣国だけあって親米派は大多数なのだろう。だからといってアメリカを全部受け入れようという気はさらさらないが、ここで暮らしてみると、日本ももう完全にアメリカ化の道を突っ走っている最中だということがよくわかる。カナダとそっくりだからカナダ化かというとそんなことはなくて、アメリカ化なのだろう。もちろん、大ざっぱなレベルの話で。いいところがたくさんある。日本人がすでに忘れてしまっているもので、ここにはまだあるものも、ありそう。逆に日本にもいいところがたくさんある。ここの人が全く思いもよらないような素晴らしいアイディアを、日本人はもっていそう。
 シアトルとトロントの時差は3時間。テレビではマリナーズの試合が始まった。久しぶりにイチローの勇姿が見られそうだ。と言っているうちにイチロー先頭打者ホームラン。すごい。8月のトロント戦は必ず行くぞ。一年前には半ば冗談でそんなことを語っていたのだが、まさかほんとにそういうことになるとは思わなかった。自分はどうして、何のためにここにいるのだろう。
 きのうはセントジェイコブズという、自給自足の暮らしをするメノナイトという人々の村に行って来た。トロントから1時間少々。なんと彼等は今でも普通に馬車を使っているのだ。黒い帽子、黒い衣服の女性たちが道にいたり、畑仕事をしたりしていたのを見た。屋根の付いた橋を初めて見た。オンタリオ州では唯一残っている橋らしい。小さな田舎町は建物の色使いが一つ一つ奇麗だし、芝生や木々や草花が色鮮やかに光っていて、夢のようなところだった。どうも自分にはそういう風景を見るとうっとりしてしまう癖があるらしい。今までこれほど美しい風景にはあまり出会ったことがなかったということかもしれない。近くにはドイツ移民の本拠地キッチナーという街があって、そこの公園でもぼーっと風景を眺めていた。半分以上がドイツ系なのだという。そのつもりでみるからか、確かにトロントよりも白人の割合がずっと多いと感じた。ここもほんとうにきれいな街だった。
 街をちょっと離れるともうすっかり農業地帯で、岩手山麓を走っている感覚と大差なかった。俗に言う田舎の香水。日本と同じにおいがした。懐かしいにおいだが、それを嗅いで、ああ今自分はカナダにいるんだーという気になった。
 トロントだけで暮らしても、カナダはわからない。行動範囲を広げないと、一面的にしかものごとはとらえられないものだ。もっと広げていかないとならないと思う。いろいろと、皆に見てほしいものがある。ほんとは皆にここに来てほしいのだけれども、それが叶わぬのであれば、せめてここでそのほんの少しだけでも紹介していきたい。見当違いの意見も甚だ多いかもしれないが、それでも毎日文章にしていこうと思う。
 眠い頭で毎日断片的に記すのはそれはそれで一つの方法だが、違う書き方をしてでも伝えたい物事が、ぼやっとではあるがありそうな気になってきた。トロントとオンタリオとカナダと北米大陸と世界とユーラシア大陸とアジアと日本と岩手のことを考えていきたい。でなければここにいる意味がない。皆に何かを伝える資格がない。
 イチローがまたホームランを打った。この人と同じ時代に生きていること、同じ大陸で仕事をしていることを誇りに思う。
 
■追悼(2003.6.16 Mon)
 春風亭柳昇が亡くなった。二度彼の落語を直にきいたことがあるだけにとても残念だ。一回は岩手で、ある教育委員会主催の芸術鑑賞会。そしてもう一回は浅草演芸ホールで。ひょうひょうとしたところが魅力だったというけれど、その実緻密な計算の上の芸だったのではないかと思う。学生時代、落語の話をしていて友達が、柳昇がいちばんおもしろいと言っていた。その時はだれだかわからなかったが、その時からずっと気になる存在で、いつかきいてみようと思っていた。そしたら数年経って、柳昇は岩手に来たし、東京に遊びに行って寄席に入った時、ここでもとりは柳昇だった。偶然ではあるけれど、噺家の中で彼は特別だった。とぼけているようで、実は全部知っている。それどころか、自ら仕掛けている。笑いを磨くということは自分自身を磨くこと。芸というのはやっぱり道なんだ。柳昇はそれを体現していたと思う。そんな芸人がまた一人この世を去った。冥福を祈る。

■Sunday Afternoon Walke(2003.6.15 Sun)
 日曜日の朝はなぜにこうも時間の経つのが早いのか。何もしないうちにもう正午だ。きょうはいい天気で暑くなりそうだ。久しぶりにダウンタウンに散歩に行こう。というわけででかけたが、やはり街を歩くといろいろと発見があるものだ。あれこれただ考えるということでなしに、ちゃんとした信号が送られてくるのだから楽しい。自転車屋に入って折り畳み自転車を見せてもらう。スキンヘッドのお兄さんがずいぶん丁寧に説明してくれた。ここの若者にはつるつる頭にしている人がかなりいる。公園のベンチで1時間読書した。上半身裸で寝転がっている男性もいる。背中とか腕とか入れ墨が入っている白人もよく目に付く。ファッション感覚のタトゥー屋さんがあちこちにあるのだが、本当に入れ墨なのかな。最高気温は23度。風はさわやかだし、最高に気持ちのよい午後だ。チャイナタウンのデパートに入ると、雰囲気はまるで香港。この街の中国人勢力は全人口の20パーセントというから圧倒的だが、チャイナタウンにはよくみると、マレー系の人もいれば、ベトナムの人もいれば、コリアンや日本人も来る。もちろん白人黒人さまざまな人種が訪れている。携帯電話で「暇だー」とか言っている日本人ギャルを見かけたが、おそらくワーキングホリデーで来ているのだろう。1年はあっという間、3年もこの分じゃあっという間に過ぎそうだ。ここにいるあいだに英語を話す友達なんかできるのかなとちょっと焦る。ビルの地下に夜9時までやってる中華のフードコートを発見。麻婆豆腐飯と豆乳の少し遅い昼食をとる。店のおじさんは、マーボードーフと言っただけで「おー日本語ね!」と言ってきた。「日本のどこ?」と聞いてくるので、岩手と答えると「おお岩手!」とわかったような口ぶり。このおじさん池袋に一年半住んでいたという。中国人かと思ったが「私マレーシアから来たね!」と言っていた。この麻婆豆腐はさすがに辛くて顔じゅうから汗が吹き出してきたがとてもうまかった。ここに来て牛乳はまだ一度も飲んでない。豆乳もここで初めて飲んだ。麻婆豆腐に豆乳と豆腐ばかりだったが、なかなかよかった。よく考えるとトロントでは中華料理を食べる割合が多くなっているな。外では中国将棋をさしているおじさんたちがいて、取り巻いているおじさんたちがうるさいくらいに横やりを入れていた。
 そこから歩いて西へ向かうと、ポルトガル人街に出た。どこがポルトガルかはよく分からなかったが、ポルトガルの国旗やブラジルの国旗があったのでわかった。ポルトガル移民50年の記念碑が建てられていたのを見た。公園の中を抜けてまた違う通りに出ると、そこはイタリア人街で、パティオでビールを飲んで陽気に騒いでいる人々がたくさんいて、楽しそうだった。飲みながらシャボン玉で遊んでいる若者たちがいたので、写真を撮らせてもらった。かわいい赤ちゃんとその母親が、道のベンチに座ってひなたぼっこをしていた。目が合ったのでハーイと言うとハーイと応えてくれた。「ハーイ」はれっきとしたあいさつの言葉である。日本語の「はい」という返事と語感は似ているが、意味は全く違う。ぜひともハーイの後に言葉が続くようにしなければならない。
 何度も書いているが、街を歩くとほんとうにさまざまな人種の人とすれ違う。世界にはいろんな人がいて、自分もその中の一人なのだということが実感できるところだ。それがとてもうれしいし、いいなあと感じるのだ。肌の色も千差万別なら、当然考え方も千差万別。自分が自分だということが、生きる価値なのではないかと思えてくる。そして、なぜこの街に来ることになったのか。何か超越したものの力が働いているとしか思えない。

■いちにのおっさん(2003.6.14 Sat)
 人の考えは千差万別。自分の考えはどうなのか。自分が考えていると思っていることは、実は誰かの受け売りではないのか。本当の自分とは何なのか。自分が生きるって何だろう。他人を生かすって何だろう。笑顔でいるってどういうことだろう。笑顔をみせてくれるってどういうことだろう。自分の考えで生きるって。笑いたくて笑うって。
 この緑美しいカナダの街の中で、いつまでもそんなことを考えている。そういう日本人のおっさんがいてもいいじゃないか。

■お金の話(2003.6.13 Fri)
 ちょっと大きな店では、偽札かどうかを判別する機械がレジに置いてある。100ドル札など出した時にはみんな嫌な顔をするし、必ずその機械にかけられてしまう。来てすぐの時は、両替でもらったのが100ドル紙幣ばかりだったので、どこにいっても歓迎されなかった。ここではいちばんよく見る20ドル札でさえ、チェックされるときもある。きのう銀行から下ろした20ドル紙幣10枚は、どれもなぜか旧紙幣だった。いやな予感がしたが、案の定きょうスーパーで買い物した時にも、店員が僕の出した紙幣を見るなりほかの店員をよび、二人がかりで鑑定をはじめた。そういうきまりになっているのだろう。クレジットカードやデビットカードでの支払いがかなり浸透しているのと逆に、現金の信頼度が下がっているということか。
 硬貨は初めのうちはどれがいくらなのかわからず、紙幣でばかり支払っていたので、財布がぱんぱんに膨れていた。それが最近ではだいたいすぐに取り出して払えるようにはなった。だが、10セント硬貨より5セント硬貨のほうが大きかったり、25セントなどという中途半端な硬貨があったりで、けっこう違和感がある。1ドルと2ドル硬貨はさすがに大きくて値打ちもありそうだが、1セント硬貨はいかにも価値がないというくらいに小さくて軽い。歩道や駅の構内にはよく1セントが落ちているのを見かける。1円を笑う者は1円に泣くという言葉があるので拾うのだが、世間からはけっこう疎まれる存在のようだ。
 店のレジのところに小額硬貨を入れたグラスや皿が置いてあるところもある。そこにいらない硬貨を入れていくのだろうか、それとも足りない時は使って下さいということか。街角にはいわゆる物乞いがかなりいて帽子を手に座り込んでいる。邪魔な1セント硬貨をそういうところで片付けるという感覚もあるみたいだ。
 カナダドルのことを別名ルーニーというらしい。ルーニーというのはもともと間抜けとかばかものとかいう意味だ。カナダドルが二流の貨幣だという意識を自国民ももっていることのあらわれだろうか。このカナダドル、4月の時点では1ドル83円くらいだったのが、今では88円くらいになっている。円が安くなっているということだ。これが自分にとっていいことか悪いことかよくわからない。ここに住む分にはどうでもいいことかもしれない。

■中華料理屋で(2003.6.12 Thu)
 中華料理屋で四川牛肉麺という辛いうどんとふかしたパンみたいなのを食べた。店の人に「好吃」と言ったら「それは北京語だろ、謝謝」とちょっとむっとした様子で返された。別の店員に「多謝」と言ったら笑って返してくれた。
 隣の席では白人三人組が箸を上手に使って食べていた。一人がしきりに"It's hot! It's hot!"と言っていた。あついもからいもHotなんだから面白い。からいもつらいも辛いと書くようなものか。

■ネット(2003.6.11 Wed)
 きのうからきょうにかけて職場のパソコンがインターネットに接続できなくなった。そのためメールのチェックができず、まともに仕事ができない状態が続いた。きょう夜七時過ぎにようやく復旧したのだが、この二日間は変に疲れた。仕事面でもすっかりネット社会の一員になってしまっていたことに気づいた。インターネットがなければなんにもできない僕らだったのだ。
 カナダでもハイスピードインターネットが普及してはいるようだが、実感として日本のADSLと比べると遥かに遅い。しかも不思議なことに、○○bpsなどという表示は広告にも一切出てこない。そういうことを気にする人は少ないのかもしれない。携帯電話だって街でそれほど目立つわけではないし、Iモードみたいなのとか、カメラ付きとか、ないわけではないようだけどそれほど売れてるわけでもないらしい。日本より遅れているといえばその通りだが、文化の違いといったほうがいい。周囲の人たちを見ていると、電話は煩わしいと思っている人の割合は日本よりは多そうだし、電話に依存している人の割合は日本より少なそうだ。
インターネットも電話もとても実務的な使われ方をしているみたいだ。ただし、仕事で持たせられている携帯はでかくてかさばるし、すぐに電池が無くなるのでちょっと不満だ。

■立腹(2003.6.10 Tue)
 ベトナムの通貨ドンは、日本円にゼロを二個足せばよかった。つまり百円は一万ドンとなる。ビアホイで五万ドン出してたらふく飲み食いできたことを思い出した。シンガポールから船で一時間足らず、インドネシアのバタム島では、男たちにお金を騙しとられた。帰りの船着き場で、切符を買ってやるからと言われて、なんだかわからないうちに手に持っていた五六万ルピアのお札を奪われてしまった。せっかくの楽しい旅が台無しだと残念がったが、よく考えてみると取られたのは千円にも満たない額だった。これも学費だと思えば安いもんだと思ったものだ。
 できたばかりのある銀行に、二兆円という額の「公的資金」が投入されるという。いったい何のための合併だったのか。銀行というのはそれほどまでに救われなければならない存在なのか。一般の営利を目的とした企業の人々は、いったいこれをどうとらえているのだろうか。二兆円。トルコでは二京四千兆リラだ。なんなんだその数字は。村上龍ではないが、破たんした銀行にかけるくらいなら、どれだけのことができるかって考えてみたら、腹が立ってしょうがねえや。

■侵略者(2003.6.9 Mon)
 セルフサービスのガソリンスタンドに入ったのは初めてだった。どうしたらいいか心配でしかたなかったのだが、行ってみるとなんということはなかった。やり方を教えてくれと頼むと、お兄さんが一から丁寧に教えてくれた。案ずるより産むが易しというが、こうやって案ずる時間というのも必要なのだ。おまけに、きょう初めてこちらの高速道路に乗った。左右反対というのももう違和感がなくなってきた。日本でのことを思い出そうとすると頭がおかしくなるので、運転中は思い出さないようにした。
 ナイアガラオンザレイクの町まで行ってきた。片道1時間半というところだ。途中雨に降られたが、着いた頃から雲が晴れ、美しい街やぶどう畑がさらに美しく輝いていた。地元の産直センターみたいなところに入ったら、日本と雰囲気は変わらなかった。いろいろきれいな物が売っていた。瓶詰めのジャムやメイプルシロップのほかに、いろんな漬け物らしきものもたくさんあった。
イギリス人が入植して来た頃の町並みが残っていて、夢のようにきれいなところだった。
 だが、ここでも御他聞に漏れず。白人が侵略する前には先住民がちゃんと独自の生活をしていたのだ。住む土地を追われたカナディアンインディアンのことも考えずに、美しい町とは何事か。ここ数百年、白人と一部の東洋人が世界中で侵略を繰り返し、先住民族の生存を脅かす不穏な時代が続いている。自らも加害者だという意識もなしに、夢のようだとは何事か。
 行く時は高速だったので、景色はずっと変わりなかった。帰りはしばらく普通の国道を通って来たので、町の様子がよくわかった。これはイギリスっぽいという柄のワンピースを着た金髪の若い女性たちが町を歩いていた。なんて透明で美しい人たちなんだろう。そう思わせることがすでに、世界侵略へのひとつの足がかりだったということがよくわかるのだった。

■雑記(2003.6.8 Sun)
 日曜の朝は遅い人が多そうだ。6時頃のテレビにはまだ深夜番組の名残。その後親戚たちにハガキを書いてやっとのことで送った。きょう口をきいたのは、郵便局とバーガーキングとセカンドカップの三か所。同じ言葉でも、語気が強いか弱いかで伝わり方が違うようだ。午前中は霧に包まれていたが、昼になったら晴れて暑くなった。向かいの広場では何やらお祭りの雰囲気。イスラエルの国旗がいくつも見える。どうやらユダヤ人のイベントらしい。いろいろな特産物の出店が出ていてとても賑わっていた。黒ずくめの格好でひげを生やした人は数えるほどだった。アジア系の客はあまりいなかった。かといって多くがジューイッシュだったかどうか、僕には判別できなかった。野外ステージでは何かの抽選会が、ちょっと離れた特設会場ではオークションが行われていた。また、チルドレンズプレイスと書かれた一角には、空気で膨らませた大きな滑り台があって、小さな子どもたちが遊んでいた。それと大人たちが飛行機の模型を飛ばして、子どもたちに見せていた。気温が高くなり、きょうは歩いていて汗だくになった。通りの温度表示は30度となっていた。平和な住宅地にはきれいに刈り込まれた芝生の向こうに大きな平屋の邸宅が見える。こういう家に住める国もある。街のオープンカフェやパティオには、ビールを飲んだり食事していたりする人がたくさん出ている。日曜日の午後にはのんびりと家族や友人や恋人と過ごすのが楽しみの一つらしい。はたして自分にもそうところで食事をする機会があるだろうかと思った。夜には雨が降り出して、ときどき雷も鳴った。冷凍ピザを焼いていたら、部屋の煙探知機が反応してピーピーとけたたましい音を立てたので慌てた。煙の成分が無くならないうちは鳴り続けるので近所迷惑もいいところだ。きのう隣の中国人夫婦にもうるさかったら言って下さいと言ったばかりだったのを思い出した。この間は食パンを焼いていたら鳴ったので驚いた。防災はわかるが、機械が敏感過ぎて困る。夜にはテレビばかり見た。サンデースポーツとおはよう日本と世界潮流と武蔵とNHKスペシャル。みんなNHK。しかもコマーシャル付き。メジャーリーグの映像は、試合が終わったものは流される。だが、きょうは杉山愛もヨーロッパのサッカーリーグも放映権の都合で見ることができなかった。おまけに米軍の映像の部分も見られなかったのはどういうわけか。歩き疲れた足が張っている。きのうの全力疾走が今になって筋肉痛になっている。

■運動会の後(2003.6.7 Sat)
 帰りのエレベータの中で隣に住んでいる中国人のおばあさんと一緒になったので、こんにちはと声をかけた。中国の方ですかと聞くとそうだという返事。思いきって、中国語で自己紹介してみると、おばあさんの表情がぱっと明るくなった。あなたはお一人で住んでいるのと聞かれた。広東語ではなくきれいな普通話だった。部屋にいたおじいさんを呼んで、隣の人だよ、一人で住んでいるんだってなどと言っていた。アパートの住人と、片言ではあったが初めて会話らしい会話をした。
 午前中は運動会の準備で、午後は小学部の運動会。それが終わると職員会議があって、その次は来週の幼稚部の運動会の打ち合わせ。合間を縫って、各種の相談。ここでの行事のあり方は、日本の学校とはまったく異なる。やってみて初めてわかった。このやり方がここでは最良かもしれないと思った。青空の下でのラジオ体操も、一生懸命の徒競走も綱引きも、リレーでのお約束の大人チームも、まぎれもなく日本人の子どものための日本の運動会だった。ほんとの日本の学校をよく知らない日本人の子どもたちに、日本の運動会をさせてあげるということがどれだけ意義のあることか。そのための準備で汗をかくことは、とても大切なことだ。

■運動会前夜(2003.6.6 Fri)
 いろんなやり方がある。こんなやり方信じられないというやり方にも理由がある。自分はなんて狭いのかなと思う。こだわりを捨てろというけれど、多くの人は自分が何かにこだわっていることすら意識できていないのではないだろうか。許せないと感じることがすでに、自分の限界を呈しているとはいえないだろうか。ほんとうの自由なこころとは、どういうことなのだろうか。

■風土病(2003.6.5 Thu)
 新型肺炎ももともとはどこかの地域の風土病の一種だったのが、飛行機で世界中に広まって大規模な感染になったのだとテレビで言っていた。世界が飛行機なんかで結ばれていることで、かえってそういう病気が世界的に広まる危険性が増しているのだという。例えば、アジアの山奥とか、アフリカの砂漠とか、大洋の孤島とか、いろいろなところにその土地特有の病気というのがあって、それを風土病というそうだ。今まではその土地でだけしばらく隔離していれば自然に治まったようなものが、今では七つの海を飛び越えて一気に世界中に汚染が拡大するようになってしまった。
 かといって、飛行機を飛ばさないわけにはいかない。旅行はやっぱりしちゃいけないんだなんて変な考えをもってもいけない。非常的な渡航延期措置ならやむを得ないとしても、それで世界を往来する人が少なくなっていくとしたら残念なことだ。いくらそういうやっかいな病気があるからといって、ここまできた世界を後戻りさせるわけにはいかないと思う。中国や台湾やカナダなどは、今回大きすぎる犠牲を払って大切なことを学びとっている。国を開くことのリスクの大きさ。だがそれを克服して、ある国ではさらに多くの人々を受け入れようとしているし、またある国からはさらに多くの人々が外へ向かおうとしている。大昔に世界航海の途中で荒らしに飲み込まれ、あるいは原因不明の病に冒されて消えた数多くの犠牲の上に今の世界があるように、こういう危機を乗り越えたその先に、もっと強い世界の結びつきができるのだと思う。だから、彼等の死をけして無駄にしてはならない。
 G8なんかで進めている経済第一主義のグローバリズムは嫌いだが、地域の文化や習慣の違いを前提として一個の地球に生きていこうという考え方は好きだ。たとえ国と国の諍いが武力の後ろ楯で治められたとしても、種を脅かす脅威に対しては、強国の力など無に等しい。ひとたび何かの災難がどこかを襲った時には、世界が手に手を取り合って、解決に努めていけるよう、国連の機関をもっともっと重視していく方向性がいいように思う。
 正確な情報を確認しているわけではないけれど、カナダの日系企業ではSARSのあおりで出張禁止令の出ているところが多いらしい。カナダからほかの国への出張を禁じているというのである。もし日本に帰国したいというのなら、到着後10日間はどこにも出かけず誰にも会わず、ホテルで大人しくしていること。それが条件だというのである。危ないから日本に帰っておいでというのならわかるが、これでは事実上の帰国禁止令である。お前が帰って来たら日本が危なくなるから帰って来るなということか。そうであれば、カナダから日本に入国する人間はみな成田で10泊しなければならないことになる。中国や台湾から日本に入国する人間だってもちろんそうしなければならない。たしかに、恐ろしい新型肺炎から日本人を守るために必要な措置といわれれば従うしかないのだろうが、ごく普通にカナダで生活している一市民の目から見ると、なんかおかしいと感じてしまう。
 ここの日本人の中にはたいへんな不安を抱えて暮らしている人が少なくない。それは得体の知れない変な病気に対しての不安でもあるが、そればかりではなくて、日本という祖国を離れて生きているという不安であり、いざというとき祖国が自分たちのことを助けてくれないのではないかという不安でもある。来る前にある人から聞いていたことだったが、なるほど住んでみるとわかる。何かがあったときに祖国が助けてくれるなんてことは微塵も感じることができないのだった。
 SARSを完全に排除している日本の姿はたしかにさすがと思わせるのだが、もしかするといろんなものに対して、排除することには得意なお国柄なのではないか、なんてことも思ったり。危ないとなったらいくら同胞でさえ簡単に排除してしまうような、そんな性質を内包しているのではなんて、杞憂であることを祈ろう。 

■変化(2003.6.4 Wed)
 よく降る雨だ。まるで梅雨時。6月はいちばんいい季節なのに、今年は変な病気は流行るし天気はよくないしで嫌だねという話を聞いた。いつもならこの季節、みんなでガーデニングを始めるんだけどね…。きょうは午後から気温も下がって、コートもほしいくらいだった。ここ数年よく聞く言葉がここでも。今年はおかしいよ。何年もかかって、何かが変わっていくんだろう。

■ルートビア(2003.6.3 Tue)
 それは湿布のようなにおいのする飲み物の名前。ボトルをよく見たら書いてあった。初めて飲んだ時には気持ち悪くなって、どうしてこんなものが飲めるのかとさえ思った。ところが、しばらくするとまたちょっと飲んでみようかなという気になって、飲むと最初の不味さは感じなかった。むしろ、けっこういけると思った。そして、今ではふつうに飲めるようになった。不思議なもので、飲んでいるうちによさがなんとなくわかってきた。コーラだって最初はそんな感じの飲み物だったのではないだろうか。なんでも一度試しただけで好き嫌いを決めるのは早すぎるようだ。
 午後九時に沈む太陽が反射してビルが真っ赤に染まり、そのビルの合間を縫って楓の緑色したベルトがどこまでも続いてゆく。人々は樹の中で暮らし、樹は人と人の間に育つ。そうしてここは、一つの旗の下に言葉も文化も顔かたちも異なる人々が集まって暮らせるところ。いろんな人たちがそれぞれに美しいということがふつうに納得できるところ。自分もまた異なるさまざまな人たちの中の一人なのだということを否応無しに感じさせてくれるところ。
 そういう土地が温かいか冷たいかはまだ判断がつかないけれど、人と違って当たり前というのが行き渡っている感覚は悪くない。誰に気兼ねすることなく、自分だけの生き方を追求していけばよいのだから。だけどそれは単に個人レベルのものではなくて、民族ということがベースとなっているように思う。ここでは小さい子どものときから、民族の枠の中に守られながらも、他の民族の姿をみて、人間はそれぞれ違うものなのだということを身体で感じて大きくなる。民族どうしが互いの優劣をどう感じているのかはわからないし、必ずしもいい関係ばかりとはいえないかもしれない。だけど、ここに根を下ろす人々には、多民族社会で生きることが大前提であり、その上での自分らしさが強く求められるのだろう。
 ここでやっぱり日本人ということに話がかえってくるのだけれど、いったい僕らはどんな日本人を育てればいいのだろうか。日本という国は、これからいったいどんな社会をつくろうとしているのか。ルートビアが不味いと感じたのは、日本という枠からはみ出していることに対する嫌悪感だったのかもしれない。はたして日本は枠からはみ出そうとしているのか。それとも、枠を広げようとしているのか。取っ払おうとしているのか。あるいは、国を滅ぼそうとしているのか。僕ら日本人は自分たちの国をどうしたいと思っているのだろう。そんなことを考えるとなんだかよくわからなくなってくる。

■言葉と人情と音楽とダンス(2003.6.2 Mon)
 人情というと日本人とか江戸っ子とかをイメージするのだが、それは「人情」が日本語だからであって、人情にあたる言葉はきっとどこの国だってあるだろう。英語だと"kindness"とか"sympathy"、あるいは"human nature"ということになるらしい。日本語とはまったく響きも印象も違ってしまうのだが、人情は人情には違いないのだろう。ただ、文化やそれを支える言葉によって、人情の表現にも違いが出てくるということだろうか。
 人情に触れるということは、よくありそうでなかなかない。ちょっとしたところで毎日のようにあるのだろうが、通わせようと思ってできることでもない。エレベータにはきょうも何人かが乗り合わせて、皆それぞれの階で降りていく。たまにはおはようも言うけれど、ほとんどの人は目も合わせず、息を殺して何十秒かをやり過ごす。僕はまだ、エレベータで同じ人に二度会ったことがない。あるいは、会っているかもしれないが、その自覚がない。
 ビルの扉はとても重い。次の人のために押さえてあげることも、押さえてくれることもよくある。ありがとう。どういたしまして。日本語ではすみませんばかり言っていたのが、英語だとありがとうばかり言っている。でもどちらも過剰だと思う。本屋のお兄さんに元気かと訊かれ、天気がいいねと答えたら、天気はいいねと返してくれた。"fine"の意味を取り違えたろうか。だが、ほかにお探しの品物はありませんかと訊いてくれたおかげで、オンタリオ州公式運転ハンドブックを買うことができた。
 さわやかな晴天のきょう、左右間違えて二度ワイパーを動かした。赤いウインカーのクルマが多いので見づらいと思っていたが、駐車場で自分のを見たらこれも赤だった。自意識などなく、皆と同じ道路を移動する一員となり、流れに乗って走る。
 数えきれないほどのFM局。どれもこれも洗練されたように聞こえるDJの声。何回も聴いたことのあるいい感じの曲も、残念ながらだれが歌っているか未だにわからないまま。だけど言葉がわからなくたって音楽が理解できることのすばらしさ。言葉よりも人情よりも確かなものは音楽。そしてダンス。アパートの住人が皆で輪になって踊ったら、どれだけ大きな輪ができるだろう。

■クルマ(2003.6.1 Sun)
 きのうは学校が休みになってしまったので、来週行われる予定の運動会の道具類をチェックしたりした。昼から雨が激しくなり、外が暗い日だった。本来なら子どもたちの元気な声があふれる土曜日の校舎が、がらんとして寂しかった。一日がどれだけ貴重なことか。だが、最善の策だったと思う。今回の件で、危機管理についていろいろ考えさせられたのだが、犠牲になった人たちのためにも、これを克服していかなければいけないと思う。SARS、狂牛病、ウエストナイルウイルス…。嫌な話題は多いけれど、楽観主義でいこう。きっと大丈夫だ。
 楽しい話題と言えば、クルマを手に入れた。きのうの夕方にディーラーに寄って、乗って帰って来た。ハンドルも車線も日本とは左右反対。ウインカーとワイパーのスイッチも逆だ。不安ではあったが、いざ乗ってみるとそれほどの違和感は感じなかった。日本とのルールの違いは、左右反対の他にもいくつかあって、右折の時は信号を無視してよいとか、ストリートカーが停まった時には停まるとか。実際に走ってみると、右折の仕方とか、標識の見方とか、いろいろ慣れる必要のあることも多いようだ。
 ここに来てから車種についてはずいぶん吟味をした。外国車という考えもあったのだけれど、見てみると日本車以外でデザイン的にいいなと思うのはほとんどなかった。お、これはカッチョいい。というものは某東アジアの国のクルマだったりした。故障が多いからやめた方がいいと言われた。それと、さまざまな関係もあって、ホンダシビックのクーペに決めた。日本にいる時からずっとクーペカッチョいいと思っていたのだけれど、日本市場ではどうも受けが悪かったらしく、アコードクーペもシビッククーペも消えてしまった。ところがこちらでは、クーペはかなり人気がある。ここでは4ドアを選択する理由はないし、この際と思って決めたのだ。初め候補にあったアコードの方は大きすぎるし高すぎるしで、結局シビックの方にした。
 きょうの日曜日は天気もまずまずだったので、少し慣らし運転をしてきた。かなり快適。気分は上々。いずれはこれでいろいろなところに行くつもりだけど、地下鉄やストリートカーとのバランスもうまくとっていこうと思う。