2003年5月

■皐月回顧録(2003.5.31 Sat)
 タイミングの悪さということを考えているうちに、それはタイミングがいいのと同じだということに気がついた。振り返ってみるとさまざまな偶然が次から次へと芋づる式に繋がって出てくる。この考え方の転換は、僕の中でかなり愉快なものだった。
 今この街には不安が広がっていて、それは否定できないけれど、皆楽観論を忘れちゃいない。楽しくない時にも楽しいことを考えることができる。夢をおかずにご飯を食べる。詮方なしと嘆くよりも、新しい見方で世界を切り開いていければいい。そういうことを目に見える形であらわす一つの方法が笑顔ということだ。人はきっと笑顔のために生まれてきたのだ。
 ところで、毎日書くことだ。毎日書けば毎日何かが変わる。誉める人もいなければ、けなす人もいない。ましてやほとんど誰も読まない。そんなクズみたいな言葉にさえ、一個の人間の重みの籠ったほんものの何かがいずれ浮かび出るはずだ。年を取ってから自分史を綴るのも一つなら、蚕のように毎日言葉を紡ぎ出すのも一つだろう。

■問題(2003.5.30 Fri)
 夜9時を過ぎて雨が落ちてきた。試されていることを自覚。だが、なんのために。渦の中で、かき回されている心地す。茨木のり子を壁に掲げたその日に、危機管理の問題の問題たるを垣間見る。現場の煩悶や苛立ちとはかくのごときものなるか。真夜中のテレビに由紀さおり&安田祥子。嗚呼、日本は遠し。

■問題(2003.5.29 Thu)
 朝の出勤時間前の1時間がいちばん仕事がはかどる時間だったりする。朝の頭で考えるととてもよくまとまるようだ。少しずつだが手応えを感じていて、軌道にのってきたかなという感じだ。人間どうしの力学はおもしろい。コミュニケーションって素敵なことかもしれない。そんな思いと並行して、自分が思うほど他人は自分のことを気にはしていない。とか、人は人、自分は自分。ということも実感できるような感じだ。悪ければ悪い。良ければ良い。そういう評価がはっきりしている世界は居心地がいい。日本では、いいと思ってやったけど相手はどう思っているかなあ。なんてことばかり考えていたような気がする。
 SARSの院内感染が広がっているのは、僕の住んでいるノースヨーク地区の病院だ。きょう地下鉄で帰ってきたら、駅の階段の隅っこに、医療用の薄青いマスクが転がっているのを見てぞっとした。だれもマスクをつけていないのに、転がっているのは奇妙だ。トロントでもしマスクをつけて地下鉄に乗り込んだとしたら、半径3メートルには人がいなくなるよとだれかが言っていた。でもそんなことを言っていられるくらいならまだ大丈夫かもしれない。
 その後、道徳の授業で使えそうな出来事が起こった。アパートのエレベータで、白人4人と東洋人3人がいっしょになった。すると白人の女性3人が、慌てたようにすぐ上の階でエレベータを降りた。あの様子は明らかに東洋人の我々を避けていたのだ。これを差別と言えるかどうか。もしあなたがこの白人と同じ立場ならどうするだろうか。

■SARS(2003.5.28 Wed)
 トロントのSARSがさらに拡大。一人の高校生に感染の疑いがあると認められたから、その学校の関係者が皆自宅隔離となった。これによって隔離は5000人を越えた。午前中はその関係の情報収集でばたばたしていた。対策といっても手を洗うこととうがいくらいだが、それはしっかりやっている。トロント各地の現地校に通っている子どもたちが来るから、それらの学校で一人でも感染者が出たら、休校措置をとらなければならないだろう。初めのときよりも、今回のほうが不安が大きく広がってきたという感じはある。こちらでは6月が卒業の時期。現地校を卒業したらそのまま日本に帰国するという人は増えるだろうと思われる。
 特に、NHKのニュースを見るとかなりひどい印象を受ける。安心はできないが、それでも、それほどひどいわけではないよというのが実感だ。とんだ時期に赴任してきたものだと自分のタイミングの悪さを嘆いてもしかたがない。このタイミングの悪さは生来のものだが、それを跳ね返してここまできた。きっと今度もなにか大切な意味があるに違いない。

■すべて勉強です(2003.5.27 Tue)
 一日はあっという間に過ぎていく。週明けは気分も乗らないままに夕方になってしまう。パソコンの調子が悪くて、メールを送受信できなくなるし、プリンタは印刷しなくなるし、さっぱりだ。やらなければならないことは山ほどあるのに。
 左足の裏が痛いなと思っていたら、その痛みがアキレス腱に移ってきた。10キロそこそこ歩いただけでこんなになるのは情けない。きのうは一日徒労の休日だった。
 あるカレッジの夜間のESL(第2言語としての英語)コースを見つけた。タイミングのいいことに今週から始まる講座だ。これはと思い、申し込みに行った。レベルに合わせてコースが選べるようになっている。窓口で自分のレベルがどの程度かわからないと言うと、隣の校舎の313号室に行けば判定してくれると言う。その部屋に行ってみると、今は担当の人がいないからと言われてさんざん待たされた。申し込み用紙を渡されたので、待ち時間を利用して書けるところを書いた。そしてやっと来たと思ったら、コースは自分で決めなければならないと言われた。話が違う。最初に取り合ってくれた人が部屋の外で、あなたにはたぶんこのコースがいいだろうと教えてくれた。書類を申し込みの窓口に持って行くと、用紙が違うから書き直すようにと冷たい調子で返された。さっきもらったこの紙は何だったのか。しっかり調えて再び持って行くと、よろしい、パーフェクトと言って今度はおおげさにほめるのでちょっと照れくさかった。2時間のレッスンが週に2度。時間的にはちょうどいい。仕事帰りに寄れる距離。学食なんかもちゃんとあり、少し懐かしいキャンパスのにおいに心が時めいていた。だが、その矢先である。パスポートを提示し、就労ビザを見せると、あなたは入学できないとあっさりと断られた。見るとビザには、就学の禁止というような条項が書かれてあって、それに該当するらしかった。勉強することはできないの?と聞くと、あなたは勉強するために来たのではない。働くために来たのだと言われた。Just work??(ただ働くだけ??)と聞くと、Just work.という返事が返ってきた。それから夢のキャンパスを後にして、次の目的地へとぼとぼと歩いたわけだが、その道の途中では、学べないという失望と、英語の勉強と教師の仕事とどこが矛盾するのかというやり場のない怒りでいっぱいだった。前任の先生が、別な学校の同じようなコースに通って勉強していたことを聞いていたので、おそらく学校によっては認められるところもあるのだろう。だが、自分が働くためにだけここに派遣されているという事実を突きつけられたようで、それがけっこう堪えた。
 コリアンタウンを通りかかったときはすでに3時を回っていた。昼飯もまだだったので、なんでもいいからと入った店で、真っ赤なスープと白飯とキムチの定食を食べた。辛くてずいぶん汗をかいたが、とてもうまかった。カナダに来てからとった食事のうちでいちばんうまいと思った。
 ひと休みして向かった先は、クルマ屋から紹介された保険屋2軒。街は碁盤の目のように南北に通りが交わっているから、通りの名前さえわかれば目的地を訪ねるのは初めてでも難しくない。なんとかかんとか説明して、見積もりを出してもらった。ところが提示された金額はどちらも驚くほど高かった。どれくらい高いかというと、クルマがもう1台買えるほどである。これほどまでとは思わなかった。あのテロ以降の保険料の高騰は異常なほどだという。クルマを買うという選択も間違いだったろうか。

■今朝のニュース(2003.5.26 Mon)
 朝テレビをつけると故郷で地震のニュース。震度6弱は大地震だ。心配になって家に電話をした。さいわいそれほどの惨事にはなっていないらしい。東北地方で地震が起きることは多いのだが、震度6は聞いたことがなかったから、かなり動揺した。きっと学校でもたいへんだったろう、生徒は帰った頃だったろうかと、そんな想像をする。日本海中部地震から20年というニュースを聞いた翌日である。日本は地震国だということをあらためて実感した。皆さんのところは大丈夫でしたか。お見舞い申し上げます。
 夏時間の今は時差が13時間。日本が午後7時のとき、北米東部時間は午前6時。朝には「7時のニュース」を、夕方には「おはよう日本」を見る。だから、日本の情報は日本にいるのと変わらず得ることができる。
 地球の反対側で起きたことがテレビでリアルタイムに伝わってくるのは、いいことには違いない。けれど、もしこのことを知らなければ、なんの心配もせずに普通に一日が始まったはずだ。情報って何だろうという思いがわいてきた。
 情報が行き交うことと、そこにいることとは全然違うんだ。知る権利とか、知りたい欲求とかいうけれど、それには責任が伴うし、情報を受けるほうの覚悟も必要なのだと思った。もちろん情報を発信する側の責任も肝に銘じなければならない。これだけ情報が氾濫していると、ややもすると傍観者になってしまいがちだ。遠くの情報も、外国の情報も、当事者にとっては一大事。しかも、世の中にはニュースになっていない無数の事件が今も起きているのだ。ほんとうに大事なのは、情報として伝えることのできない部分なのかもしれない。
 地震のニュースに引き続いては、「トロントでSARS再発。市民の間では動揺が広がっている」というニュース。実際動揺が広がっているのかどうかわからないが、トロントの街を行く人々はいたって冷静に見える。この程度ではパニックにはならないだろうと思う。僕にとっては、日本でこれを聞いた去年の教え子たちが心配しているかもしれないので、それがちょっと心苦しい。「ずっと気にかけているから」といって別れたあの子たちは今何を受け止めているだろう。

■映画(2003.5.25 Sun)
 おとといのメイチョリクスがR指定だというのは真っ赤な大嘘っぱちだった。ウソは大切だというのはそんな意味ではなかったのにどうもすみません。正確には14Aという区分で、14歳以下は保護者同伴ということだった。どこからRが出てきたのかよくわからないけれど、こちらの願望がそう書かせてしまったのだろうか。
 こちらの映画案内を見ると、青少年を守るための情報がこと細かく掲載されている。例えばメイチョリクスの場合は、"Adult accompaniment required under age of 14. Coarse language, violence, not recommended for young children"と書いてある。つまり、「14歳以下は成人同伴。乱暴な言葉遣い、暴力、小さな子どもには推薦できない」となる。こんな感じで、多くの映画が何らかの制限や警告付きになっている。あとは保護者の責任でということになるのだろうが、そういうペアレンタル・コントロールをやって当たり前という雰囲気は少なからず感じる。なにせテレビでさえパスワードを設定して見られるチャンネルを制限できるくらいである。日本の親も、親の責任で「これは見せない」と強く言えればいいのにと思うが、実際のところはどうなんだろう。
 大人と同じように扱うことが、子どもを大事にしていることとは思えない。当たり前ではあるが、難しいことでもある。だがそれは子どもを守ることだ。親は親であるという理由で強権発動する権利がある。子どもに押し切られてとか、ましてや子どもに遠慮して、子どもに迎合してしまってはいけない。と、親でないだけ無責任なことを言うようだが、教師だって同じだろう。

■夏の北米だより(2003.5.24 Sat)
 土曜日は一週間のピーク。この一日をいい日にするためにほかの曜日がある。朝には雨が降っていたが、避難訓練のときは雨が上がって、1年生の遠足のときには青空が出てきた。「春の遠足に行きまnす」という生活科の先生の声に、子どもたちは「春じゃないよ!」という反応。彼らの意識はもう夏なのだ。はあ、夏なんだなあ。戻ってきて、中学部の会議に参加。手応えあり。
 帰りにクルマ屋さんに連れて行ってもらい、契約まで済ませてきた。ところが、当たり前のことだが保険に加入してからでなければ乗ることはできない。あの9月11日以来、特に外国人の保険の加入がひじょうに厳しくなった。来る前に作ってもらった英訳の無事故証明書を見せると、とても重要な書類だと言われた。保険の契約さえうまくいけば、来週の休日には乗れそうだ。
 帰宅して、ご飯を食べたらものすごく眠くなった。ベッドに横になったらそのまま熟睡。目覚めたら午前4時だった。日本時間25日午後5時。テレビをつけると大相撲夏場所。思いがけず千秋楽の結びの二番をリアルタイムで見ることができた。朝青龍は強い。先場所と比べて顔が変わった。横綱の顔になったのか。まだ22歳、今後が恐ろしい。それにしても相撲っておもしろい。
 
■春の北米だより(2003.5.23 Fri)
 このごろ長いだけ長くてなんとなく低調だったわけだが、正直に書くことでかえってリアリティがなくなるということがあるみたいだ。タイミングのいいことに、最近あるインタビューでも言っていたし、河合隼雄氏も書いていた。ウソは大切だ。そういう人間の生理に逆らわずに、ほどほどにやるのが続ける秘訣かもしれない。
 アパートのすぐ近くの病院でSARSの感染者が出てしまった。台湾医師の感染でどたばたしていた日本の「安全宣言」。そんなに急いでいいのかよと思っていたら、トロントのほうがまだまだ安全じゃなかった。用心しよう。皆さん気をつけましょう。
 ブルージェイズがヤンキースに連勝。なにしろテレビではブルージェイズの試合しか放送されないから、自然とブルージェイズを気にするようになった。松井選手にはどんどん打ってほしいのだけれど、ヤンキースの独走はこれ以上許さない。
 北米でしかやらない日本のコマーシャルというのがある。ハウス食品とかANAとかかなり力を抜いた作品が多い。餃子のコマーシャルですごいなと思ったのは、「ずぼらなこの子はレンジでチン」というフレーズだ。ずぼらという言葉が少し危険だ。
 こちらでは、生徒用のトイレを使っただけで異常者と受けとられてしまうそうだ。なんとなくわからないでもないが、日本の学校では意識的に生徒用を使うことも多かったから、初めて聞いたときには驚いた。トイレは学校の鏡です。とはよくいう言葉だが、掃除を子どもにさせないこちらの学校では、そんなことも言わないのだろうか。やはりまったく考え方が違うのだなあ。
 メイチョリクス・リローディドはずいぶん人気みたいだけど、実はR指定なので子どもはお断りだったのである。観た時にはわからなかったのだけど、言われてみればそういうシーンは確かにあった。そこまで長く描写する必然性があるのかなと思った。しかし、あれだけおもしろい映画を子どもになんかみせてたまるかという意図があったと考えるとばっちり納得できる。はたして日本ではどうなるのだろうか。やっぱりおもしろいから子どもにもみせましょうということになったりして。
 きのう試しにつけた「読んだよ」印は支持を得られませんでしたので残念ながら廃止いたします。クリックしてくださったのはたったのおひとかたでした。こういう隠微な(淫靡ではない)サイトはこっそりみるというかたが多いのかもしれません。
                                                      
■save your...(2003.5.22 Thu)
 カナダにはいわゆる軽自動車というのがない。国土は広いし人は少ないので、そういう小さいのは必要ないということか。高速道路は無料だし、ガソリン代は日本の半分だ。おまけに車検制度もないし、下取り額もかなり高いらしい。だから、車にかかるお金というのは日本よりも少なくて済みそうだ。これぞモータリゼーションの進んだ世界といえるだろうか。
 お金といえば、テレビコマーシャルでよく出てくる決まり文句は"Save your money."だ。お店の広告でも、「○○円お得」にあたるのが、"save ○○$"となる。"save"を直訳すると、「救う、救済する、蓄える、節約する」ということになる。安く買えば自分の家計を救済できるわけだ。野菜や果物でもずいぶん安いものが売られている。危ない農薬も使われているのではないかと思うときもある。偏見かもしれないが、ここの農産物は、手塩にかけた作品というより、もっとインダストリアルな製品というイメージが強い。
 ガソリンが安いのは、車に乗る人間にとってはうれしいことだが、安いだけにどんどん使い過ぎるという懸念もあるのではないか。車がなければ生活できないお国柄であっても、環境を守る意識を忘れてもらっては困ると思う。どうも僕はまだ、カナダとアメリカをひと括りにして考えてしまう癖が残っている。別々の国ではあるが、生活様式やものの考え方は同じとは言わないまでもかなり近いものがあるのではないかと思っている。アメリカは、あの京都議定書を放棄して、イラク戦争で石油の利権を我がものにしようとしている。いちばん豊かな国が、地球のことを顧みようとしないのはどういうわけだろう。豊かさゆえに、見えなくなっていることというのが大いにありそうだ。
 そんなことをいう僕自身も車を買う準備をしているのだが、ここが微妙なところ。車なしの生活と車を使った生活をうまく両立していきたいと考えている。例えば、通勤には車を使わないというような工夫ができればいいが、さてどうなるか。
 下のようなものを試しにつけてみた。「読んだよ」のところをクリックすると、僕のところに「read」とだけ書かれたメールが送られてきて、ああ読んでくれたんだということがわかる仕組みである。もし読んでくださったときには、ちょこっとクリックしてくれるとありがたい。
                                                   

■日本語生活(2003.5.21 Wed)
 きょうは一日文章を書いていた。先生方へのメールが4通。そのうち1通に返事が来たのでまた折り返し。今度の土曜日に出す研究だよりと、来週出す研究だより。それに週報。学校だより。その合間に、雑用がさまざま入ってくる。昼休み以外は頭の休まる時はない。一般の企業にしてみれば、恐ろしく処理能力が遅い人間だということになるだろうが、教育の世界は、数をこなせばいいという単純なものでもない。我々の言葉に必要なことは、対象が納得するかどうかということだ。だから今頭を占めていることは、何をどう伝えればいいかということだ。今の相手は子どもではないので、とことん理詰めの論理的文章を心がけている。だから、書いていて疲れるがストレスは残らない。
 毎日この日記をのぞいてくださる読者からみれば、僕の言葉が論理的でないのはおわかりだろう。HPではそこを情で埋めようとするわけだが、そういう逃げが通じないというのはかなりつらい。それだけ自分にとっては苦手克服の好機ということになるだろうけれども。昨日書いた「教師の人生は凄まじい」というのは、生徒の言動の矛盾や不合理さに向き合うという教師の役割がどれだけたいへんかという意味である。誤解を生む隙があったと思うので、ここでことわっておく。
 狂牛病の牛が出た。カナダでは2例目だそうだ。他の国が輸入を禁止しはじめた。日本もそうだ。ハンバーガー屋の株も急降下。これもしかたのないことだ。農業大臣が、カナダの牛肉は安全だとステーキを食うパフォーマンスをしていた。ここでもそんなことをするんだ。いろんな病気が流行る。アメリカ大陸で夏に気をつけなければならないのはウエストナイルウイルスだ。蚊が媒介となって伝染するそうだ。もうすでに日曜日に蚊に刺されてしまった。
 ワーキングホリデーで日本から来ている若者たちがたくさんいるらしい。働くといっても職はなかなか見つからないみたいだ。このところその人たちから学校へのメールが絶えない。でも当然みんな使うわけにはいかない。こういう文書の処理には、感情を介さずに処理していくことが求められる。心と心ではなく、立場と立場で割り切ることが大事になる。
 一階のカフェの席はいつも東洋人で埋まっていて、みんなノートを広げて一生懸命勉強している。その場から聞こえるのはカントニーズとチャイニーズとコリアン。だがジャパニーズは聞こえない。僕がジャパニーズを聞いたのは、この間のバスの中と、ダウンタウンの地下鉄の中。日本からの英語学校への短期留学生も多いようだが、ダウンタウンの料金の高いところに集まるらしい。そういうところに通えば若い娘とすぐ出会えるよと言われた。それも悪くはないけれど、それではやはり動機が不純だ。だけど一応調べてみた。そしたら、ダウンタウンの英語学校で夜6時以降開講しているところはほとんどないようだ。
 日中、仕事もせずに英語ばかり勉強していれば、さぞかし上手になることだろう。だが聞けば、実情は、必死になってものにする人と、ただ遊びに来ているような人と、きれいに分かれるそうだ。そして今では、ただの語学留学というのは就職には何の役にも立たないのだという。役に立たないどころか面接でそんなことを言うと即不採用になるそうだ。
 言葉というのは手段だから、何か目的がなければ生かしようがないのだ。「英語が使える日本人」は大いに結構だが、どういう目的で英語を使う必要があるのか、それが肝心ではないだろうか。

■それぞれの道(2003.5.20 Tue)
 休日なのに頭の中は生徒のことでいっぱいということがよくあるものだ。帰りの車の中、夜に自分の部屋で、風呂に入っているとき、布団の中で。そして朝には、ああきょうはあいつにこれを言わなくちゃと思って目が覚める。学校に着くまで頭の中はフル回転だ。子どものためにイメージする時間が大切で、それがなかったらきっと心に届く言葉は発せないだろう。
 4月以来そういうことがなくなったので、思考のパターンが大きく変わっている。時間が終わっても仕事のことが頭から離れないというのは他の職業でもあることだろうけど、こうして子どもたちとの距離が遠くなると、なるほど教師の人生というのは凄まじいものだということがわかる。
 生徒たちと接することができずに寂しいとか、生徒のことを考えなくていいから楽だとか、そんなことではない。得るものもあれば、失われているものもある。こうしなければわからなかったことがあるし、こうしたことで、もうわからなくなったこともある。人間は自分の歩く道に落ちている石しか拾うことはできないのだ。

■散歩進んで(2003.5.19 Mon)
 夜の11階から外を見下ろすと、あちこちで花火をあげているのが見える。おもちゃ屋で売っている家庭用のものだと思うが、この東向きの窓から見えるだけでも、何十か所という数だ。ビクトリア女王の誕生日を祝ってのことか、それとも夏の休日の普通の光景なのか。
 きのうに引き続き晴天で、散歩にはもってこいの一日。とはいえ、昼前までは部屋にいてもたもたと何かしていた。きょうは時計を持たずに散歩しようと決める。外に出ると気温も高く、半そででも十分というくらいだった。ここには梅雨がないので、これから一気に夏になるのだという。College駅で降りてそのまま西へ進む。オンタリオ州議事堂前のQueen's Parkに人だかり。行ってみると、イギリスの伝統的な衣装を着けた人たちが集まっていた。ビクトリアデイのパレードの出発点らしかった。バグパイプを吹く人たち。キルトスカートをはいた男たち。開拓時代、まるで大草原の小さな家に出てくるような格好の女たち。そして、鉄砲を持った軍人たち。東洋人たちだけのグループ。黒人が混じったグループもある。
 さまざまな国の旗が掲げられている。みなイギリス連邦の国旗だろう。連邦加盟国はイギリスの旧植民地を中心として54か国もあるそうだ。世界の国が192か国というから大きな勢力だ。そのうちの15か国の元首がエリザベス女王だという。カナダも無論独立国だが、国家元首はイギリス女王。オーストラリアも、ニュージーランドもそうらしい。これにはかつての強大な大英帝国時代からの歴史が関わっているのだろうが、なんとも不思議な話だ。
 最近、文化財を国に返せというメッセージが多くなっているけれども、イギリスをはじめとするかつての帝国は返す気はないらしい。奪ったものでも時が経てば持っていることが正当化されるのだろうか。なんか身勝手さを感じてしまう。それにしても、日本の動きが気になる。有事立法にしろ、りそな銀行救済にしろ、すごく危なっかしい感じ。国の舵取りが効かなくなって迷走している印象を受けるのだが、大丈夫だろうか。
 Queen's Parkを後にして、トロント大学を通り過ぎ中華街へ。このあいだのベトナム風サンドイッチの味が忘れられず購入。それを握ったまま、さらに西へ。きょうの目的地のHigh Parkまで直進。途中、Little Italyと呼ばれている区画を通り過ぎる。どこがイタリアなのか判別できなかったが、オシャレなオープンカフェやレストランはいっぱいあった。イタリア人というと今でもヒデとロザンナのロザンナを思い浮かべてしまう。西洋人を顔かたちで区別するのはまだ難しい。
 High Parkについてから、コーラを買って、ベンチに座って昼食。こちらに来てからコーラとコーヒーを飲む量は増えた。だが、炭水化物は減った。肉類は外食のときだけ。ステーキなど一度も食べてない。魚もまだだ。野菜は努めて食べるようにしている。弁当のおかずは毎日ほとんど野菜だけだ。ベジタリアンには遠いが、いずれはという気持ちも少し出てきた。
 公園はほんとうに気持ちがよかった。親子連れや恋人たちが思い思いに楽しそうに過ごしていた。僕も楽しい気分には変わりなかった。ここで本を一冊読んだ。公園というのはこうやって利用するものなのかと思った。その後公園を半周して、オンタリオ湖に出た。湖岸の遊歩道を東に向かって歩く。砂浜ではビーチバレーをしているグループもいて、楽しそうだった。ちょっと自分もやってみたい気持ちになった。仲間に入れてと言ったらOKと言ってくれそうな雰囲気だった。日が高いのでまだそれほどの時間ではないと思っていたのだが、もう7時を回っていた。少し慌ててストリートカーに乗り、Union駅経由の地下鉄て帰ってきた。
 「自分から求める人に対しては優しい街だ」とある人が言っていたのを思い出した。毎日のように発見があるし、仕事を含め、楽しく充実した毎日を過ごしている。だが実は、この街に来てから自分はまだ何も求めていないのではないかと思った。楽しいことと、歩みを先へ進めることとは違う。物珍しいだけの海外生活から、できるだけ早く脱皮することを考えたほうがいいのではないか。  
 きょう読んだ小説の主人公の年齢は23歳だった。青春まっただ中の物語ではあったが、主人公の気持ちは痛いほどよく分かる気がした。この若く瑞々しい感性をもつ主人公と、自分は13年しか違わない。この13年という歳月は、人生においてはそれほど長い時間ではないと感じられた。振り返ってみれば、求めるものは与えられず、要らぬことばかり降りかかってくるというようなことも多かった。だがそれでも自分なりに、与えられた境遇の中、みな福と為す意気込みでここまできたのだ。そのことにはもっと胸を張っていいのではないか。
 いまは持たぬものがある。当然だ。それは誰にしたって同じこと。すべてを手に入れることができる人間などいない。みな、何かを手に入れてゆく過程にある存在なのだ。もちものはそれぞれ違う。それを比べることに意味はない。きっと必要なものなどそれほど多くはないはずだ。ほんとうに必要で大事だと思ったら、それを求める努力をしていこう。そして、持つに値する人間だとみなされれば、自ずと与えられるだろう。

■ナイアガラの巻(2003.5.18 Sun)
 日曜日。朝から快晴、からっとして気持ちよい天気。初めて遠出をしようと計画したのはナイアガラの滝。家を出たのは朝8時過ぎ。地下鉄駅に出ようとしたが、扉に鍵がかかっている模様。がちゃがちゃやっていたら、警備の人が開けてくれた。地下鉄は9時営業開始だったのだ。地下鉄だけでなく、日曜日はどこも店が始まるのが遅くてけっこう不便。仕方がないので歩いて隣の駅まで。ところがやはり電車は来ないから、ホームでずっと読書。回送車両が3回通過。9時過ぎの一番電車で、ダウンタウンのDUNDAS駅へ。そこからバス乗り場までは徒歩5分ほど。切符を買って30分くらい並んで待つ。10時15分発のバッファロー行き。国境を越えてアメリカまで行くバス。ドライバーは黒人の女性。最初のアナウンスのとき、私語をしている客にびしっと注意するところなど、仕事が徹底している。最前列は障碍者などの優先席で、知らずに座っていた人たちにも遠慮なく注意していた。にもかかわらず、結局バスは満席で、最後に駆け込んできた若い日本人女性のグループが眺めのいい優先席に来てちゃっかり座ってしまった。僕は前から4、5席目に座っていたので彼女たちの声がうるさくてちょっと困った。日本語だから、言葉がいちいち意味として耳に飛び込んでくるので耳障りだった。
 バスを降りてから滝までは意外と遠くて、歩いて40分くらいはかかった。きっと、降りる停留所が違っていたのだろう。でもよい。天気がいいし、景色はきれいで、歩くには絶好の日和だった。バスでぺちゃくちゃおしゃべりを聞かせられながら行くよりよっぽどいいと思った。道は川沿いに続いている。その名もナイアガラ川。下流から上流に向かって歩く。対岸はアメリカである。向こうの車も人も目を凝らせば見える距離。日本ではこんなことはないからとても不思議な気分。向こう岸の人たちはどんな暮らしをしているんだろう。たぶんこっちとさして変わりないのだろう。
 レインボーブリッジという橋がかかっている。この橋のたもとにはイミグレーションがあって、歩いてアメリカに入ることもできる。僕は10か月間はどこの国の国境も跨ぐことを許されていないので、今回の見物はカナダ側からだけ。ちなみに任期が終わるまで日本への一時帰国は認められていない。実は普通のパスポートよりも制限が厳しいのだ。
 滝は二つある。アメリカ滝とカナダ滝。まず姿を見せるのはアメリカ滝。当然ながら、カナダ側からのほうが眺めがよい。アメリカ側では川に突き出してつくってある展望台にのぼらなければよく見えない様子。こちらは対岸なので、滝の全体を正面に見ることができる。ごうごうという凄まじい音も響いてくる。霧の乙女号なる船が滝のすぐそばまで行く。今まで僕は、この船は滝の上のほうを走るものと思い込んでいた。そのまま流されて落ちないのかななどと心配していたのだが、見てみて納得。船は滝の下を行くのである。考えてみれば当たり前。滝の上なわけがない。船の人たちはみんな青いカッパのようなものを着ている。水しぶきで濡れないようにということだろう。カナダ滝のほうに来ると、水しぶきが霧雨になってこちらに降ってくる。カナダ滝はこちら側だから見ずらいかというとそんなことはない。なぜならカナダ滝のところでは川が大きく蛇行しており、うまい具合に見やすい位置になっているのだった。しかも、すぐ近くで滝の真上からの眺めも見られるし、滝の幅や水量もアメリカに勝っている。うわさには聞いていたが、なるほど実際に見てよくわかった。
 滝周辺の公園も芝生や花がきれいだったが、一通り回るのにそれほど時間がかかるわけではない。川から離れて街に向かった。急な斜面を登るリフトのようなものに乗って、高台へ。そこではいくつもの高層ホテルが建設中だった。かつては一番の高さを誇っていたのであろうミノルタタワー。今では周囲のどのホテルよりも低かった。そのミノルタタワーの裏手に、「巨泉のOKギフトショップ」があった。もしかして巨泉がいるかもしれないとも思ったが、入ったら何か買わずにはいられなくなってしまうだろうから、素通りした。他の土産物屋をのぞいてみたら、メープルリーフのレリーフの入った金属製のキーホルダーがあった。買おうかなと手に取ってみたら、MADE IN CHINAと書いてあったのでやめた。洋の東西を問わず、土産物なんてそういうものが多い。例えば、日本の観光地には必ずといっていいほど売っている提灯。あれは一社の独占で全国のものを製作しているのをご存じだろうか。あれをずらりと並べて飾っている家を見ると、なんだかなと思ってしまう。
 ミノルタタワーから少し歩くと、スカイロンタワーというのがある。外観はCNタワーとそっくり。あのときの恐怖を思い出し、上まで行くのはパス。地下のゲームセンターをのぞくと、そこがとてもおもしろかった。日本製のテレビゲームがあるのはどこも同じだが、その他に昔懐かしい感じのするゲーム機がたくさんあった。ボーリングとか、ボールを投げて的に当てるやつとか、家族連れならこれは楽しめるだろうなと思って見ていた。
 繁華街にはなぜかお化け屋敷がいっぱいあった。その他ロウ人形館とか3D映画館とか、そんなアトラクションと飲食店ばかりだった。日本の観光地と雰囲気はいっしょだ。観光地に来て、こういうものをそれほど時間をかけて見る気はない。
 一泊するつもりだったのだが、その必要もなさそうだ。ナイアガラ川がオンタリオ湖へ注ぐ河口の町ナイアガラ・オン・ザ・レイクまではかなり距離がある。日本から来たのなら無理して回ってやれとも思っただろうが、今は車で2時間のところに住んでいるのだ。焦る必要はない。そう思って、日帰りに予定変更。もと来た道をまた徒歩で戻る。さすがに足には疲れがきていたが、それでもまだまだ十分余力はあった。
 VIA(カナダ大陸横断鉄道)の駅に立ち寄ったら、ちょうど夕方発のトロント行きがあるという。しかも、今なら運賃が半額!というので、鉄道で帰ることに決定。来るときはバスで24ドルいくらかかったのが、帰りは15ドル足らずで列車に乗れる。ついてるなあと思いながら、発車時刻まで周辺を歩き回っていた。
 17時45分ナイアガラフォールズ発、車内ではうとうとしていた。バスに比べると列車は座席が広くてゆとりがある。だが、一日に数便しかないので便はよくない。19時44分トロントはユニオンステーション着。そこからベイストリートを歩いて、DUNDAS駅までまた歩く。すると何やら人だかり。操り人形のパフォーマンス。音楽に合わせて人形を上手に踊らせていた。観客の中から何人か引き抜いて前に立たせ、その人たちも巻き込んで見事な芸をしていた。こういう大道芸人もたくさんいる街である。
 
■You belong here(2003.5.17 Sat)
 今日からビクトリアデイの三連休。天気はあいにくの曇り。でも今日は、日中は外出できない。机と本棚が届くのだ。先日インターネットで注文したものは、僕が仕事で不在の時にここまで来てはいたのだが、結局配送元へ送り返されてしまった。電話で問い合わせたらもうキャンセル扱いになっていると言われ、3日前に店頭で注文し直したのだ。英語ができないという理由でインターネットを使ったのがそもそもの過ちだった。最初から店で買えばもっと早く手に入れることができたのに。
 朝にはJリーグのサッカーが放送されていた。ガンバ対レッズ。両チーム点の取り合いで結果は引き分け。久しぶりに日本の熱いスタジアムの雰囲気を感じた。その後は「真剣10代しゃべり場」をやっていた。あまり見たことはなかったのだけど、見ていたらどんどん引き込まれていった。10代のいろんな意見が飛び交っていたが、一つ一つとても頼もしく、どの意見も素晴らしいと思った。中でも、すべての競争に頑張って勝つんだと言っていた医者志望の男子高校生に感動した。サイボーグみたいと周りから言われるほど人間味のない硬直した印象の彼だったが、医師になりたいと思うようになったいきさつを話しているうちに彼は涙を流しはじめた。なんて熱いんだと思って、僕も思わずいっしょに涙を流してしまった。そんなときインターホンが鳴って、荷物が届いたことが告げられた。涙も乾かぬうちに一階に降りていった。
 ここのコンドミニアムでは、荷物を運ぶときはエレベータを予約しておかなければならない。それに、荷物を運んでいて誤って施設を破損してしまったときのために、デポジットとして200ドルの小切手をセキュリティガードに出しておかなければならない。エレベータの予約はしていたが、小切手の方はまだだった。200ドルがどうのこうのと言われたのは覚えているが、意味がわからなかったのだ。慌てて部屋に取りに行き戻ってくると、セキュリティガードの青年も配送のおじさんもちょっと呆れた様子だった。ごめんなさい。だって知らなかったんだもん。次からはそうします。なんてことを言ったら、ノープロブレム。と言って笑ってくれたのでほっとした。
 机も本棚も組み立て式で、汗をかきながらなんとか組み立てた。板にはすべて番号がふってあってとても分かりやすかった。昼過ぎには組み立てを終え、その後一気に部屋の中を片付けた。部屋を占領していた引っ越しの段ボールもなくなって、実にすっきりとしていい気分。今まではカーペットに直に座り、電子レンジの入っていた箱をテーブルにしていたのだが、これでやっと定住者の住まいらしくなってきた。
 夕方ひと眠りしてから外に出た。そしたら辺りにはたくさんの人々が。映画を観にきた人たちかなと思ったらそれだけではなくて、どうもお祭りの雰囲気。道路にはアイスクリームやホットドッグ、綿飴やピカピカ光るアクセサリーを売っている出店なんかも出て賑わっている。テレビ局の中継車もいて、先端にカメラの付いた高い柱がまっすぐに伸びていた。旧ノースヨーク市庁舎(たぶん現トロント市庁舎分館)前の広場のほうから何やら聴こえてくる音楽。広場の中央の野外ステージでは、バンドが演奏をしていた。ドラム、パーカッション、ウッドベース、キーボード、トランペット、フルート、それにボーカルというスタイル。スペイン語らしき言葉を話していたので、スペインの音楽だと思うがよくわからない。とにかくリズムがとてもよかった。たくさんの人たちがその演奏を楽しんでいた。バンドの人たちは観客にいっしょに身体を動かすように促していた。それに乗せられて、会場の人たちもみんないっしょに手を上に横に前に動かしていた。
 3曲くらい演奏したところで太ったおばさんの司会者が出てきて何かしゃべりはじめたので、近くの店に食事しに行った。ギリシャ人の店でハンバーガーとタマネギのフライを食べた。日本円で500円くらい。ハンバーガーというとファーストフードの代表格で、カナダでもそうには違いないのだが、その割には意外と時間がかかったりもする。日本ではM字のハンバーガーの、どこに行っても同じアルバイトの娘の判で押したような笑顔というイメージがあったのだが、カナダのファーストフード店ではそういう愛想笑いの店員に会うことはまずない。ここからいちばん近くのハンバーガー屋では、中国人の店長が白人の店員に怒鳴り散らす光景をかなりの割合で目にすることができる。
 今日はひげのおじさんが煙にまみれながら一生懸命焼いてくれた、ちょっと焦げのついたハンバーグ。パンにそれを乗せてくれた。そこからはセルフサービスで、トマトやピクルスやタマネギなんかを乗せて、芥子とケチャップをつけて席に運んで食べる。席には酢の入ったボトルが置いてあって、これをふりかけて食べるらしい。スローフードの対極としてどうも立場が悪くなっている感のあるファーストフードだが、僕はここに来て今までは知らなかったファーストフードの楽しみ方に出会ったような気がする。
 食事を終えて、またさっきの広場に戻ってみると、今度はクラシックの演奏になっていた。さっきよりも観客が多くなっている。バイオリンにフルート。さっきのグループもそうだったが、曲の合間には自分達のCDを買って下さいというようなことを言っていた。それにしてもこういう音楽のイベントにこれだけの客が集まるのかと感心していたら、さっきの司会者がまた出てきた。花火のカウントダウンをしましょうと言っている。そうか花火大会か。辺りの照明が消され、10、9、8とみんなで数える。
 そうして、みんなが待っていた花火が始まった。花火と壮大な音楽とがシンクロしていたのは見事だった。ところが、花火といっても、日本のような大玉というのは一つもなく、すすきの穂みたいな花火がしゃらしゃらあがるだけだった。しかも時間も短くて、5分程度のものだったのではないかと思う。さっきの司会者が、みなさん興奮しましたか?と訊くと、イエーイ!と声が上がった。へえそうなんだと素直に思った。日本の花火大会はきっと世界一だ。
 司会者は、明日はどこどこでどういうイベントがありますということを案内していた。明日は違う場所で花火があるらしい。今日はこれでおしまい。さようなら。と、実に歯切れのよい、というかあっけない幕切れで、観客も一斉に移動を始めた。花火はあっけなかったが、生の音楽を聴けたし、人々のいろんな表情を見ることができて楽しかった。快い夜の空気の中、人の流れに身を任せながら家路についた。
 このイベントはどうやら三連休に当てて企画されたものみたいで、"Toronto,You belong here."という名前のイベントらしい。belongを調べたらいろんな意味があって訳しにくいのだけれど、属するとかふさわしいとかいるべきところにいるとかそんなふうになるようだ。
 PeopleCityと呼ばれるこの多様な人々の集う街に、どうして僕がいるのか。それはよくわからない。ここに住んでいるあいだその意味を問うていかなければならないだろう。そして、この街で暮らしたことがいずれ自分自身の必然として、人生の中に位置づけられるようであればいいと心から願う。

■人間相手(2003.5.16 Fri)
 コンピュータなしでは仕事ができないようになった。人間とモノとに向き合う時間の割合が、今までは9対1で人間の方が圧倒的だったのが、今ではその逆になっている。それだけ仕事の内容は激変した。職場ではこれまでMacだったが、今ではウインドウズを使っている。使ってみればそれほどの差異はなく、むしろウインドウズの方がいろいろできるんじゃないかと思うほどになった。メールチェックに始まり、ダウンロードにプリントアウト。文書や表を作ってメールに添付。おまけにホームページの更新まで。ついこの間までは考えられなかったような仕事形態になっている。いろいろな機関から送られてくる文書は形式がさまざまで、それぞれに対応しなければならなくてたいへんだ。きょうはあるワープロソフトで斜め線の消し方がわからなくて苦労した。まだまだ学習が必要だ。
 モノと向き合う時間が増えたのは事実だが、だからといって無味乾燥な冷たい仕事をしているわけではなく、モノの先には必ず子どもたちがいる。教師に限らず、どんな仕事も人間を相手にしていることには変わりない。だから、いくら相手の顔が見えない状況だとしても、受け取る相手の気持ちを思い浮かべなければいい仕事はできない。そのことは肝に銘じたい。
 時々頭をもたげるのはこのページのことだ。誰に何を伝えようとしているのか今ひとつ不鮮明な感じが否めない。読んでくれる人がいて成り立つのがウェブサイトだろうが、その読者に対しての誠意をもっているかを反省すべきだろう。もちろんこれは仕事ではなく、むしろ余暇の部類に入る。だが、単に楽しみというだけでなく、自分の考えを整理するよい機会になっている。毎日書くことで文章の訓練になるし、結果的に仕事にも大いに役立っている。
 ここで自分自身にいくつかのことを課しながら、夢のかたちを明らかにし、具体的に動き出すこともできた。それはこれを読んでくれた皆さんのおかげでもある。それほど大事なこのページであるにもかかわらず、読み手の気持ちを想像することにそこまで心を砕いてきたかは怪しい。僕は見えない皆さんに対して、恩を仇で返すようなことはなかったろうか。
 先日はいくつかの人気サイトの掲示板に書き込みをした。アクセスが一時急増した。他の方の力を頼みにしたわけだ。根本的な解決策ではないし、フェアじゃない感じがしてちょっと後ろめたいのだけれど、その結果読んでくれる人が増えるのであれば、有効な方法ではあると思う。一日に何百何千というお客さんが訪れるサイトは、それだけ多くの人々の生活に関わって、何かをもたらしているということだ。主宰者や制作者の人間性が最も重要な要素の一つであることは間違いない。今後の展開によって、その方達へ恩返しができればいいと思っている。

■エンタテインメント(2003.5.15 Thu)
 昼休み、人気の食べ物屋で並んでまで食べたいかという話題になった。絶対に並んでまでは喰いたくないと言っていた自分が、夜にはしっかり並んでいた。といっても、食べ物屋ではなかったけれど。
 マトリックスを観たのはもう4年前か。そのときもずいぶん興奮したのだが、今回の第2弾はそれを遥かに凌いでいたと思う。これも2時間半があっという間だった。マトリックスとカタカナで言っても通じないのだが、あえて通じるように書くとするとメイチョリクスとなる。切符を受け取ってから上映時間まで、文庫本片手に一時間も並んでしまったよ。ラーメン店に並ぶ人の気持ちもわからないではない。
 映画のほうは、全編とんでもないことになっている。超ウルトラアクションも、ほとんどギャグの域にまで達しており、館内が笑いに包まれることも幾度か。例によって、こちらの英語の理解度は超低級なのだが、なんとまったくといっていいほど字幕のないことを不便に感じることはなかった。キアヌ・リーヴス以下みんなとってもクリアな発音で助かった。というより、映像だけで十分満腹になったというわけだ。
 考えてみれば暴力と破壊ばかりの映画だが、それをどうこう言うよりも、この世界にどっぷりと浸かって楽しめばいいのだと思った。テーマ云々は後からついてくるのであって、とにかくお客さんを興奮させる。楽しませる。これぞエンタテインメントなのだという感想だ。
 それにしても、ここの人たちは映画のあいだじゅうよく食べるね!ポップコーンなんかバケツで買って喰ってるよ。そういうのも含めて楽しんでいるんだなと感じた。映画の楽しみも食の楽しみもつながってるんだね。そして、惜しいことにエンドロールが流れはじめるとほとんどの人々はさっさと帰ってしまった。ところが、最後の最後に第3弾の予告編が出てきてちょっとラッキーだった。
 今夜は、日本の皆さんに先駆けて観ることができた優越感を全体に散りばめながらつづりました。ではお休みなさい。

■美しい人(2003.5.14 Wed)
 北にあるショッピングセンターに行くつもりが、乗るバスを間違えて東のデパートに着いた。そこで大きめの皿と、金属製のボウルを買った。もう閉店間際で客もほとんどいない時間帯。レジのおばちゃんはいろいろと話しかけてくれた。カナダに来てどれくらいかとか、移民したのかとか、仕事は何なのかとか。おかげでいい練習になった。北に行こうが東に行こうがドラマはある。人生万事塞翁が馬。
 いま美しいおばちゃんのドキュメンタリーをテレビでやっている。果物屋を経営しているそのおばちゃんは、店の一角で長年50セントのソフトクリームを売り続けているそうだ。ある店員が彼女を評して、人間としてビューティフルだと言っていた。当然内面的なものが反映しての美しさのことだ。そういう美しさは、なかなかもつことが難しいのではないかと思う。
 男は30になったら自分の顔に責任をもてという。一般的にアジア人は若く見られがちと言われるが、アジア人から見れば、白人の高校生はとても10代には見えなかったりする。ということは、白人のほうが自分の顔に責任を持てるようになる年齢が若いということになる。(ホントかよ!!)でもね。あながちそれも間違いではないような気もする。精神的な自立が早いか遅いか。きっとそれは文化の違いだ。これは早いからいいとか悪いとかの問題ではなく、そういう違いがありそうだということ。もちろん西洋人でも童顔の大人はいるし、日本にもおっさんにしか見えないような生徒はいる。十人十色、多種多様。
 ふいに筑紫哲也の意見がききたくなって、ホームページで何か月分かの「多事争論」を読んだ。彼の道のりが僕には希望だったし、彼の言葉が僕を勇気づけてくれていたといえるだろう。反骨というかマイノリティというか、長いものに巻かれることなく、実直に考えるべきことを考えことばにしてきた彼を僕は尊敬する。彼が若い頃盛岡で記者をしていたことも、親近感の一因かもしれない。彼のような人が日本のマスコミで仕事をし続けているということは、大きな誇りとなっている。僕にとっての美しい男といえば、彼のイメージが浮かぶのだ。

■君は美しいか(2003.5.13 Tue)
 書類、書類、書類。きょうも書類の作成で一日終わってしまった。一言で書類を作るといっても、自分一人で勝手に作るわけにはいかず、何か所にも電話して確認したり、メールのやり取りをしたり、インターネットで調べたりと、かなりの手間がかかる。かなりの手間ではあるが、これは普通の学校の教員であれば、すべて授業の合間合間にぎりぎりと済ませていたようなことである。「そういうことはこちらでやるから、先生方は授業に専念してください」というのが、ここでの自分の仕事になっている。
 今までの仕事はどうだったかというと、授業はもちろん大事だがその準備はどこかで時間を見つけて、こっちの書類も締め切りに間に合うように出してくれというものだった。時間を見つけて、っていったいいつやれというのか。結局は寝ないでやるのである。休みを返上してやるのである。ところが休みは休みで部活で休めないから、やらねばならぬことを残したまま週が明けるのである。仕事が終わらないのは自分の力がないからだと言われ、自己嫌悪と努力の日々が続く。「まじめ」な教師たちはほんとうによく働く。よく働いて自己嫌悪から抜け出そうとする。疲れるなんて言っていられない。だって仕事なんだもの!
 努力というと素敵な響きだ。だけど、それを疑ってみる。今までの努力はほんとうに努力だったのかと。努力をすれば人は美しく、あるいは健康になるものだと仮定してみる。とすれば今の自分はどうか、鏡を見れば自ずと答えは出る。で、実はがんばりと逃避だけの日々だったのではないかと考えてみる。努力した人は美しくなれるが、がんばっただけの人は醜くなってしまう。どちらも自分のためだけど、方向は逆のような気がする。
 こんなことを書くのは、このごろ人間の根本は「身体」だなあということを感じるからである。からだで生まれてからだで死ぬ。いろんなものを身につけようとしたり、気に入ったものに囲まれたいと思ったり、知識や精神力を高めようとしたり、愛情や奉仕の心を膨らませたり…。とても素晴らしいことだけど、一番素晴らしいのは人間がからだでできているということなのではないかと、そんなことを感じている。

■雨のスカボロー(2003.5.12 Mon)
 きょうも朝から小雨が降り続いて、全体的に低調な一日だった。せっかくの休日もこんな天気ではおもしろくない。本当は地下鉄で一番東の駅に行って、そこから歩いて帰るつもりだったのだが断念。そこの土地の名はスカボロー。スカボロー・フェアで有名なのはイギリス。カナダはイギリスからの移民が多いだけあって本国と同じ地名があちこちにあるみたいだ。トロントの近くにはロンドンという街もある。きょうはそのスカボローのショッピングモールを一周して、結局何も買わずに帰ってきた。あとになって、鍋を買えばよかったと思った。また今度だ。
 緯度が高いのと夏時間を採用しているのとで、天気がよければ9時くらいまで明るい。でも日が暮れると部屋の中はずいぶん暗くなってしまう。それは、ここが間接照明中心のつくりになっているからだ。部屋の入り口と台所には蛍光灯がついているが、居間には白熱灯が一個ぶら下がっているだけだ。そして、寝室には何もない。電気スタンドを用意すればいいのだが、それは車を買ってからということにしている。
 なんか買う買うばかり言っているなあ。ところで今、スティビー・ワンダーのキーオブライフを聴いている。歌詞が心にしみるほどにはわからないが、かなり心地いい。
 カナダのアーティストで最も偉大なのはジョニ・ミッチェルだ、と思っている。あとはよく知らない。ジョニはこのトロントでデビューしたのだ。レコード屋にもやはりちゃんとジョニ・ミッチェルコーナーがあるのを見つけた。この街ではいたるところでいろいろな楽器を持った人が演奏している。ギターの弾き語りや、キーボードでの演奏のほかに、バグパイプやフルートなんかもある。この間は地下鉄の駅のコンコースで、バイオリンで中国民謡を弾いている人がいて、その調べがホームにまで鳴り響いてきていい感じだった。あの人たちは勝手にやって来て演奏しているわけではなく、ちゃんと許可をとって営業しているミュージシャンなのだそうだ。ジョニもここで歌っていたろうかなんて思うと楽しい。

■AIDA(2003.5.11 Sun)
 目を覚ましたら9時だった。日曜日は朝から雨が降っていた。このごろ夢の中で音楽が鳴っている。目覚めてしばらくはそれがBGMになる。
 AIDAというミュージカルに行ってきた。ライオンキングと同じディズニーの作品だそうだ。物語は単純なので英語がわからなくてもそれほど問題はない。残念なのは、言葉で笑いをとる場面がほとんど理解できないことだ。そこは今後の課題にするとして、全体的には音楽とダンス中心なのでとても楽しいひとときを過ごすことができる。2時間半があっという間に感じられた。
 言葉がわからないからかもしれないが、深い感動を誘うというよりも歌声や踊りや演出を楽しませるという要素が強いのではと感じた。AIDA役の女性の歌声は特に素晴らしかった。あの声量と表現力を直に堪能できただけで価値があると思った。

■What do we do now?(2003.5.10 Sat)
 レクサスのコマーシャルでおもしろいのがあった。どこかの畏まった大会議場。レクサスの車の素晴らしさを紹介するビデオを見ている人々。突如一人の男性が立ち上がり、「もう十分だ!」とビデオを遮って言う一言がこれだ。カナダには自動車工場はあるが自国の自動車会社というのはない。つまりすべてが外国車。その中でも日本車の人気はダントツである。カナダ人にも日本車の良さは十分認知されているようだ。
 いつかこの日記を私信のようだと評した方があったがその頃と今とどう変わっているか少し気になった。その日しかわからない感覚やその場でしか考えられないこと、そして、その人にしか言えない言葉というものがあるだろう。そこに真実が浮き彫りになる。そんな思惑は貫いているつもりではあるが、どうだろう。
 このところ、特に4月以降のカウント数が減ってきているような感じがする。飽きられているか、忘れられているか、敬遠されているか。引き戻すということも大事だが、今回新しい顧客を開拓することを考えてみたい。
 きのうの話には、ずいぶんと好意的な解釈もある。他人の言動を好意的にとらえることは大切だと思う。けれどそれが過ぎると自分のほうが辛い思いをすることになる。忍耐が人間関係のクッションになっているのなら、自分の許容できる範囲ぎりぎりまでそんな解釈をしてもいいのではとも思う。
 日本人はとか、カナダ人はとか、そんな括り方で話をすることも多い。だけど、個人個人それぞれ違うのだということを前提にしなければ話がおかしくなる。接する人の多さと心の葛藤の程度は比例するのかもしれない。まとめて考えなければ精神のエネルギーが追いつかないということか。学校は社会や国家の縮図であって、全体主義に陥れば個人が沈没するし、個人主義に偏れば全体の収拾がつかなくなる。その兼ね合いが難しい。学級でも、職員でも、経営者がどんな集団にしたいのか、そこにかかっているわけだ。

■祖国について(2003.5.9 Fri)
 同じような内容の調査が各省庁から二つも三つも送られてきて、それぞれに回答を用意して送り返す。そんなことに時間を取られてしまう。これは仕事ではない。それも仕事だと言われればその通りだが、そんなことをするために来ているのではない。縦割り行政の弊害なのか。なんのためのデータなのか。なぜデータを共有しようとしないのだろうかと腹が立つ。
 帰りにいつもと反対の道を歩いていったら、思いがけずコリアンタウンに出た。スーパーを覗いてみたら、とても懐かしい感じがした。日本のものも少しはあったが、コリアの商品からもじゅうぶんに懐かしいにおいが感じられた。キムチと豆腐と、うぐいす餅みたいな餅菓子を買って食べた。約一か月ぶりの味だった。我等はお互い素晴らしい食文化を共有しているということに気がついた。
 食だけではない。ここに来て物足りなかったことの一つに、風呂でナイロンの垢擦りタオル(?)を使っていなかったことがある。そんなものはどこにでも手に入ると思っていたらそうではなかった。おかげでこの一か月、柔らかいタオルで身体を洗うことしかできなかったのだ。ところがその店にはちゃんと置いてあるではないか。さすが垢擦りの本場のコリアの店だ。そう思って手に取ってよくみると、なんと日本製だった。こういうところからもコリアとジャパンの文化の近さを感じたのである。きょうの風呂では久々にガリッと身体をこすることができて爽快だった。
 この街には寿司屋がいっぱいあるし、日本料理の店もいっぱいある。でもそれらの多くはコリアンの経営である。はじめはそのことに違和感を覚えていたのだが、なんとなくわかるような気もしてきた。寿司もすき焼きも世界に誇れる日本の食文化だ。カナダでだって食べたい人はたくさんいるのだ。日本人のやっている店だっていっぱいあるが、比較するとやっぱり少ない。日本人がやらないのなら、ほかに誰がやるのか。生きるため、とはいえその道を選択したコリアンたちに僕は敬意を表したい。
 裏を返せば日本は幸せな国で、外国に出ていく必要など今までなかったのだろう。人を受け入れる必要もないし、自分たち同類だけでとても居心地のいい場所を、長い時間をかけてつくってきたのだろう。そして近隣の諸国をも同化させようとして、躍起になっていた時代もあった。大海を知らずに井戸の穴だけ広げようとするみたいなところが、日本にはなかったろうかと、そんなことを考えてしまった。

■初夏(2003.5.8 Thu)
 春かと思ったらもう夏の感じだ。午前中は曇りで肌寒ささえあったのだけど、午後からは晴れ上がって、5時を過ぎた頃には半そででも全然構わないような陽気になっていた。街には人が溢れて、オープンカフェとかレストランとか、皆楽しそうにビールを飲んだり、談笑したりしていた。8時を過ぎても明るいので、夏はアフターファイブを存分に楽しもうという人が多いようだ。その分冬はとても寂しいらしい。
 世界一長いというヤングストリート沿いのアパートに住んでいる。通勤の形もほぼ決まってきた。朝は7時15分に家のドアを出る。そうすると1分の後には地下鉄の改札を通り抜けることができる。南行き、6両編成の電車の2両目に乗り込んで6つめの駅セントクレアまで15分。ストリートカー乗り場まで歩き、そこから西にやはり15分。ウイノナドライブというところで降りて徒歩5分で学校に到着するのが8時という具合である。待ち時間を含めるとだいたい所要時間45分ほどの道のりだ。たまに席に座れないときもあるけれど、ラッシュといってもたかが知れている。朝の読書タイムはあっという間である。
 きょうの帰りはセントクレアまで校長の車で送ってもらい、そこからヤングを徒歩で北上した。目に映る景色は街も自然も調和がとれていて美しかった。仕事帰りの足取りも軽やかに、地下鉄の三区間ほどの距離を歩いた。途中、こんな美しいアパートもあるんだなと思うほど素敵な建物をいくつも目にした。一部が特別にきれいなのでなく、きれいな町並みが延々と続くのである。ところどころで桜の花も開いていた。ソメイヨシノよりも濃い色なのだが、やはり桜はきれいな花だと思った。
 こういう通勤も素敵だが、そろそろ車のこともちゃんと考えようと思っている。実はものすごく迷っていて、毎日のように考えが行ったり来たりしている。日本に帰ったらけして乗れない車にしたいと思っているのだが、そんな資格があるのかなどという心の声が聞こえてきて決断を遅らせているのだ。車を買うつもりで共済から借りたお金があるのだからためらう必要はないはずなのに。
 サンドイッチを買って帰った。30cmくらいあるでかいサンドイッチだった。everythingとは言わないで、一つ一つ言葉で注文した。To go please!もちゃんと言えたので満足。それだけでいいと思っていたが、店のおじさんがクッキーを勧めるので買ってみた。部屋で食べたらそれがとてもうまかった。ケーキは色がどぎつくて食べる気がしないが、ホームメイドクッキーみたいなのはけっこううまいかもしれない。

■もう一か月過ぎた(2003.5.7 Wed)
 適応しているのだかなんだかわからないが、少しずつ言葉の輪郭がはっきりわかるようにはなってきた。やはり圧倒的に不足しているのは語彙力だ。聞き取る力に語彙力がつけば、いいせんまでいけそうな気がしてきた。中学時代に習った単語はだいたい覚えていると思うが、高校時代の単語はほとんど頭に入っていないようだ。授業中の聞き取りで"common sense"を"car man sense"だと聞き間違えて見当違いに訳したら、皆に大笑いされたことを思い出した。英語はつづりの通りに発音すると思ったら大間違いなのだ。
 この前球場でドクターぺッパーを買おうと思って、ドクターッパーと言ったら全然通じなかった。店員が気づいて、それを言うならクターペッパーだろというようなことを言っていた。つい先日は、ハンバーガー屋で注文したら、カンバ?カンバ?と聞いてきた。カンバって何かと思ったら、コンボのことだった。コンボというのはセットみたいなもんである。ハンバーガーのほかに飲み物とポテトなんかがついてくるのがコンボ。ファーストフード店では、"for here?"(ここで食べるか?)"to go?"(持ち帰りか?)と聞いてくるのがパターンだ。こちらは"To go please!"と言ったつもりなのに、盆に乗せて出してきたからしかたなくそのまま店内で食べた。持ち帰るんだと主張するほどの力はなかったのだ。きっとあの店員、俺を莫迦にしたのにちがいない。今に見ていろよ。
 地下鉄の駅で配っているフリーペーパーに、ザ・グレート・サスケ岩手県議のマスクのことが写真入りで載っていた。何もプロレスラーが政治家になることはないのになと思うのだが、公約は守り通してほしい。岩手のところには、"north of Tokyo"と注釈がついていた。 記事に出てきた単語を片っ端から調べてやろうと思っていたのだが、夜も更けたのできょうのところは寝ることにしよう。
 
■雑談(2003.5.6 Tue)
 ここでもNHK歌謡コンサートは火曜日午後8時の放送なのだった。ときどきど演歌もあるのだが、それ以外はとってもいい歌が多くて僕は好きなのである。異国の地で祖国の歌を聴けるのは幸せなことだ。
 アパートの隣りは中国人で、テレビの音が通路にまで響いてくるのだが、彼らは彼らで中国語の歌を聴いているのだった。この間その部屋におばあさんたちが5人ぐらい訪ねてきたところに出くわして驚いた。
 近くのフードコートにベトナム料理とタイ料理と日本料理とを出す店があって、そこでチキンカレーを食べたら、日本で食べるものとほとんど変わりなかった。ただそれはベトナムのカレーとして出ていて、マンゴー入りの野菜サラダがついているのだった。同じフードコートにギリシャ料理の店があって、スブラキというのを頼んだらチャーハンの上にでかい焼き鳥が乗ったものだった。レストランだとチップが必要でしちめんどくさいのだが、こういうところではチップは不要しかも日本円で500円も出せば満足な食事にありつけるのでたいへんありがたい。
 そんなフードコートの店の中でいちばん注文しづらいのはサンドイッチかもしれない。パンの種類から中にはさめる具から、ケチャップやからしの有る無しまで、一つ一つ注文しなければならないのでたいへんだ。そういうときはeverythingと言えばいいのだと教えてもらったので今度はそうしてみよう。
 テレビには爆笑問題が出ている。テツandトモに大笑い。そして、あした順子・ひろしの漫才の絶妙な間にまたしても大笑い。こうやって火曜日の夜は更けていくのだった。 

■休日(2003.5.5 Mon)
 夜になって雷が鳴りはじめた。きょうはコーヒーを飲み過ぎた。先週注文した机と本棚がまだ来ていない。カーペットにあぐらをかいてキーボードに向かうのもいいかげん疲れる。
 しようと思っていたことには皆手をつけたが、どれもこれも中途半端に終わってしまった。地下鉄でちょっと離れたショッピングモールに出かけて、買ったのは鉛筆立てと少し大きな傘だった。

■鎖国(2003.5.4 Sun)
 きょうも一日気持ちのよい天気だった。普通の住宅街からダウンタウンまでとにかく街を歩いた。僕は駐在でここに来た誰よりも長い距離を歩こうと思っている。
 人気のまばらな住宅街。テラスから聞こえてくるラジオ。公園ではしゃぐ子どもたち。日曜日の昼の雰囲気というのは、日本もカナダも似たようなもんではないかと思った。ただこういう場所から遠ざかっていただけなのだ。それと感じるのは、日本の町並みとそれほど変わりないということ。官庁街だとか、ショッピングセンターだとか、駐車場が混み合う感じまでも、全く違和感がない。日本はアジアではなくアメリカに近いのだということを納得させられる。
 そこかしこにきれいな教会が建っていて、日曜日の午前中に教会に通う人たちはたくさんいる。ふらっと入って、ステンドグラス越しの光の中、しばらく座って考えてみる。キリスト教の文化圏では道徳がしっかりと受け継がれているのではないか。特に家族や隣人に対する道徳的感情については、宗教を通して身につけている部分が多いのかもしれないと思う。ただ、意外と街にはゴミも多いし、人が落としたゴミを拾ってあげるということもあまりなさそうだ。学校だって子どもに掃除をさせないのはよくわからない。こんなところを見ると、自然や環境を守ろうという意識は、日本のほうが断然強いような感じがする。
 文化の根っこが太いってのは、安定感がある。西洋の場合はキリスト教だろう。パナウェーブ研究所なる気味悪い団体のニュースをやっている。宗教団体なのかどうかわからないけれども、根無し草的な印象は拭えない。いま日本の文化を支えている根っこって、何なんだろう。
 街を歩いていて驚くのは、犬を連れて店の中に普通に入ること。でっかい犬をよくみかけるが、みんなよくしつけられていて、もちろん吠えたりすることはない。飼い主がビニール袋を持っているわけでもないから、道路で糞をすることもないようだ。ペット文化の歴史の違いということなのか。
 中国では新型肺炎の死者が相変わらず増えている。これをどう切り抜けるか、避けて通ることができない課題だ。これをクリアしなければ民主化も何もない。オリンピックだって怪しくなってくる。ベトナムの場合は完全に制圧したという。テレビで見た関係者の誇らしげな姿。ヴィンで会ったカズヨさんたちのことを思い出した。この成果は彼女たちのこれまでの努力とも無関係ではないだろう。そして、完全にシャットアウトしている日本という国は、やはりすごい国である。
 チャイナタウンには以前のような活気が戻ってきたみたいだ。ベトナムの店で、なつかしいサンドイッチを買って、公園のベンチで食べた。"法国麺包"はたったの1ドル。3倍も4倍も高いハンバーガーよりよっぽど野菜も多いし、量もあるし、おいしいと思った。
 中国系や韓国系の人たちはたくさんいる。中国系はイギリス系に次ぐ勢力だし、驚くことにトロントのコンビニを経営している人の85%は韓国系だそうだ。だから、留学生だってたくさんいる。留学といっても英語を学ぶ語学留学ではなく、専門の学問を英語で学ぶ留学生である。つまり、英語が使えるということは大前提なのである。街ですれ違うアジア系の人たちの多くは、英語ではなくそれぞれの言葉で話している。けれど、必要が生じたときには普通に英語を使うことができる人が多いのではないかと思う。きっと英語の新聞も読めるし、英語のテレビも聴けるのが当たり前なのだ。
 では日本人の場合はどうか。転勤を命じられ、数年の任期でここに来ている駐在員たちはみな英語が話せるかというと、そうではないだろう。ただでさえ少数派なのに、英語力のなさによって非常に肩身の狭い思いをしている人がけっこういるのではないだろうかと思う。それならそれで努力していけばいいのだが、言いたいのはそこではない。他のアジア人と違うのは、母国で英語を身につけない人が多いということだ。英語教育云々の話ではない。英語を話す必要性がなければ、身につける必要もないわけだ。「英語が話せる日本人」ということが文部科学省から新しく打ち出されたが、その実現のためには、英語を使うくらい開かれた社会にすることが必要だ。政府がそこまで考えているのかどうかはちょっと疑わしいけれど。
 こちらでテレビで見て思うのだが、NHKの語学講座はたいへんいい。下らない番組を見る時間を減らして、あれを毎日30分でも見て勉強すればいいのになあと、そんなふうに感じた。

■鯉のぼり(2003.5.3 Sat)
 晴天の土曜日。さわやかな五月の青空。スクールバスの運転手たちは、LovelyDayと表現していた。
 メープルの街路樹も黄緑の若芽が吹き出して、今まで色がなかった風景に、急にクレパスで色付けされたような感じ。仕事なんかほっぽいてどこかに出かけたくなるような陽気の授業日。校舎の3階から校庭の木までロープを張って、そこに子どもたち手作りの鯉のぼりをくくりつけた。
 カナダの空に元気よく舞う鯉のぼり。うろこの1枚1枚には、小学校1年生の夢が書かれているのだった。紙で作ったかぶとをかぶって、子どもたちといっしょに写真を撮った。
 気分のよい土曜日で、帰ったらビールを飲もうと思ったが、ビールは飲まずに映画に行った。英語の勉強をしなければという気持ちもあった。観たのはシカゴというミュージカルだ。事前にインターネットであらすじを確認していったこともあり、だいたいの流れはわかった。どうもストーリーはめちゃくちゃだったが、歌と踊りはさすがに素晴らしかった。ライオンキングもそうだったが、ミュージカルなら英語がわからなくても十分楽しめる。音楽は偉大だ。ミュージカルへの関心が膨らんできた。

■金曜日の夜(2003.5.2 Fri)
 ゴールデンウイーク。こちらでは関係なく普通のウイークデイだ。と、思ったら、4日と5日は連休だ。部活動で1日も休めないようなゴールデンウイークに比べれば、十分休める休日だ。
 きょう目覚まし時計を買ってきた。ラジオとCDのついたやつだ。目覚ましがなくてもどうということはないのだが、疲れて起きれなかったりしたらと思うと、やっぱり必要だと思った。せっかくだから、いろいろ付いたものを買ったというわけだ。今ラジオを聴いているのだが、テレビより言葉の輪郭がはっきりと感じられる。ただ、自分の語彙力がないために、単語が聞き取れても意味がわからない。そこが課題だ。
 カナダに移住している日本人はたくさんいるが、そのうちの多くが日本人社会の中だけで生活しているということをきいた。現地の社会にとけ込んでやっている人というのは少数のようだ。とはいっても、日本での老後とカナダでの老後とでは、まるっきり質が違うらしい。
 それは何が違うのか。よくはわからないけれども、どうやら日本で生活するということ自体が、かなりたいへんなことなんじゃないかという気がする。こんなこと、一概には言えないことだけれども、今僕が思い出すのは、毎日毎日朝から晩まで時間に追い立てられて過ごしていた教師生活である。昼休みだって10分あればいいほうだった。これって異常じゃないか。トイレに行く暇さえないような生活をしていたことを思うと、それに疑問をもたないことはおかしいと感じる。土曜日も日曜日も部活のせいで休めない。そんな週末を繰り返すことが当たり前なんて。そして僕はいずれそういう世界に戻っていくと思うと、めまいが起きそうだ。
 そんなことを書くと、ずいぶん楽をしているように誤解されそうだが、こちらの仕事もかなり忙しいのである。数多い教員の中には、こんな仕事をしなきゃならない人もいるんだなと思う。その一人がよりによって自分なんだから、いいのか悪いのかつくづく自分は少数派なのだということを感じさせられる。去年の時点では予想もつかなかったことだ。
 ただし、昼休みはしっかり取れる(といっても授業日以外だが。授業日は昼食を5分で詰め込まなくてはならない。)。週末(日月)も休める。そして、仕事の徒労感がない。まだ仕事の1割も覚えていないかもしれないが、今のところは、仕事の手応えというのがちゃんとある。
 これからどう感じるのかはもちろんわからないが、きょうの時点ではこんなことを考えている。自分では、日本での感覚を忘れたいとは思っていないけれど、感覚がどう変わっていくかということを興味深く思っている。そういう変化が皆さんにも伝われば、おもしろいのではないかと思う。

■五月(2003.5.1 Thu)
 朝から雨。ここに来て初めて傘を使った。午前中の会議は1時間超過。午後は教員採用の面接。結果の通知。引き継ぎ事項の引き継ぎなど。合間に学校だより。なんとか今週に間に合いそうだ。