2003年11月                       

■ 晦(2003.11.30 dimanche)
 11月もきょうで終わり。3時過ぎに散歩に出る。遅い昼食はバーガーキング。オニオンリングを頼んだのにポテトが来たが、まいっかと思ってそのまま席で 食べていると、店のお兄さんが間違えたとか何とか言った。もう手を付けていたのだが、いいから持っていけということで、ポテトももらった。たいして得にも ならず、ともすると損にもなりかねない状況になった。結局、オニオンリングもポテトも両方食べてしまった。
 そのまま映画館へ行き、ちょうど始まるところだった"The Cat In The Hat"という映画を観た。ほんとうのところはポスターのネコ人間の顔を見ただけで拒絶反応が起こるくらいだった。だが、子ども向け映画はリスニングの勉 強としてはまあいいのではないかと、暇つぶしの理由をこじつけて観てみた。それほど嫌いな世界ではなかったけれど、どうもふざけた話だなという感じがし た。こういうのを子どもたちが観て、おもしろいと感じるのかなと疑問に思った。映画館には子どもたちもたくさん入っていたが、大人の笑い声しか聞こえてこ なかった。帰って来てヤフーのサイトを見てみたら、興行は1位だったが評価は軒並みDとかFだった。映画に教育的も何もないとは思うが、親が子に見せたく なるようなものではないなと思った。絵本を買って見せたほうがずっとよさそうだ。今まで観た映画の公式サイトを「リンク」のところに 集めているので、興味があったら見てください。
 来年の2月でサイト開設から4年になります。ほそぼそとやってきましたが、このたび「日記才人」「READ ME!」その他に登録してみました。読んでもらう人を増やそうというわけです。といっても、それなりのものしか書けていませんか ら、胸を張って読んでくれとは言えないのですが、少しは励みになるかと思いまして。現在約1万8千件のアクセスとなっています。年内に2万アクセス(無謀 な!)を目標にして、この1か月は今までより積極的に展開していこうかと思っています。というわけでどうぞよろしくお願いします。
 
■そして土曜日(2003.11.29 samedi)
 昨夜から雪が降り積もって、今朝はどこも真っ白だった。道も凍って光っていたが、車で走ってみると、裏通りですこしABSが効いたくらいで、それほど滑 りはしなかった。スタッドレスタイヤの感覚だ。日本では夏と冬でタイヤを履き替えるのが、カナダでは一年中スタッドレスを履いているようなものか。高速道 路も普通に走ることができた。
 ところが、北部での積雪はかなりだったらしく、スクールバスが何台かキャンセルになり、そちらから来る子どもたちの欠席が相次いだ。7時30分の解錠か らというもの、電話が鳴りっぱなしだった。結局全校の5分の1くらいが休んだ。
 トロントはカナダでも南側にあるので、そこより北は東海岸をのぞいてほとんど真っ白ということになるのだろうか。日中は雲も晴れて、風が強くて寒い一日 になった。帰りの見送りの時に防寒着を着ないで外に出たら寒くてまいった。だが、きょうのくらいならまだまだだと 思った。体感温度はマイナス7、8度というところだろうか。あと20度は下がると思えば間違いないだろう。
 きょうの夜はクリスマスのコンサートだった。2時間ほどの時間に、合唱や合奏の発表が20曲くらいだったろうか。僕は最後の2曲で参加させてもらった。 思いっ きり声を出して歌ったらすっきりした。かなりお年を召した日系人の方々がたくさん見えていた。表情がどことなくカナディアンな感じで、挨拶も頭を下げるこ とはな く、ハアイと片手を挙げるのだ。日系人は顔が日本人だからといって日本語が話せるかというとそうではない。2世、3世になると、日本語をほとんどしゃべれ ないという人は多いと思う。生活から離 れてしまった言語は思った以上に消えやすいもののようだ。例えば、日本人がカナダ人と結婚してこちらで生活し、子どもをもうけるとすると、その子の生活言 語はもちろん英語となる。親が片方日本人だといっても、日本語を話せるように育てるのはかなり難しい。「家では英語」という家庭は多いが、そうなるとその 子はもう日本語を話せなくなってしまう。僕の周りにはそういう例がいくつもある。
 フードネットワークというチャンネルをつけたら、「料理の達人」をやっているところだった。作る人も実況もゲストも声はみな英語の吹き替えだった。日本 語で話されているものをすっかり英訳して、こちらの役者が話しているという感じだった。ただし、なぜか鹿賀丈史の声だけはそのまま放送され、そこだけ字幕 になっていた。
 
■ひでえ金曜日(2003.11.28 vendredi)
 きょうは朝から夕方まで雨が降り続いた。気温が下がってきて、日が暮れてからは雪が降ったり止んだり。すごく暗い金曜日。仕事のほうもめちゃくちゃで、 まとまったことなど書けない状態に陥っている。まったく酷いものだ。
 平和って何なのか、ぜんぜんわからなくなった。どうも話が噛み合なかった。やられたらやりかえせというのは当たり前の話なのだろうか。明日の週報はダメ 出し5回食らった。どうも自分の認識不足ということでかたがついたみたいだ。でもそれじゃ、人間夢も希望もないじゃないかと、もうがっくりきてしまった。
 カンボジアでいっしょだったフランス人のマリエルは僕と同じ年だった。参加者の中でいちばんの理解者だった彼女は、アジア的な物の見方に関心をもってい た。彼女の夢は国連の職員になることだった。そんなことを思い出して、なんだかいたたまれない気持ちになってしまった。純粋に平和を願う気持ちってそれほ ど希少なものなのだろうか。
 現実を前にすると、どんな願いも祈りもぜんぶむなしくなってしまう。わからないことがありすぎる。現実は途方もなく難しい。自分は誰かを守るためになら 銃を取るだろうか。国を守るために戦うことは人間の本能だろうか。抵抗もしない、武器も取らないというのは、人間としておかしいことだろうか。たとえ滅び ても構わないから戦わないという決意は甘いのだろうか。
 人間はみな次の世代を育てる義務を負っている。未来を切り開いていくために、子どもたちを教育する義務がある。と、そういう考えが根底にあった。それす ら、根こそぎ揺らいでしまうような感覚。だいたいそうでなかったら、いったい何のために生きているのだろう。僕は人の親ではないが、教師をやっている。親 でもなく教師でもない人たちだって、みな誰かを育てる役回りになっているはずだ。生きるためには武器を取れと、教えなければならないのか。
 この歳でこんなことを考えてしまうこんなオヤジがバカなんだろうか。こんなことばかり考えているから、人生こんなことになってしまうのかな。胸が痛む。 世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない。この言葉に共感しているうちは幸福にはなりえないのだろうか。自分はそれほどの小さい人間と いうことなのだろうか。
 明日のコンサートのリハーサルということで、夜にまた別の教会に行って歌ってきた。何にも関係なく、歌うことは楽しい。音楽に身を任せること、それがい ちばんかもしれない。そういえば、すべての武器を楽器にというのがあったけど、そういうことを一生まっすぐうたい続けられたらどんなにいいだろう。

■ テストの日(2003.11.27 jeudi)
 仕事は遅れ気味で金曜日を迎えるのが常になってきた。きょうは午前中ずっと会議だった。会議ではさまざまな意見が飛び交う。聞けばどの意見にも一理ある と感じる。だが、他人の実感を実感するのは難しいとつくづく思う。そのくせ、雪の朝の情緒なんかは誰だって同じように感じたりする。同じだったり、違って いたり、人の気持ちというのはずいぶんいいかげんなものだ。いいかげんでいながら何かを成し遂げようとするから、いつも誰かを傷つけてしまう。
 夜にはテストがあった。かなり集中して問題を解いた。勉強も一生懸命やった。一夜漬けにもならず、テスト当日直前に記憶力をフルに活用した。短期記憶勝 負。だ がそんなことでうまくいくわけがなく、90分の制限時間いっぱいに悩みに悩んだ末に解答用紙を提出した。何年ぶりか、試験のときの生徒の気持ちが蘇っ た。こんなにどきどき動悸がするものだったのか。首が締め付けられるくらいに緊張するものだったのか。
 あとは来週1回、結果を取りに来るだけでこのメンバーともお別れだ。きょうは誰が準備してくれたのか、先生への寄せ書きを回して花束を贈呈した。わずか 3か月ではあったが週2回学び合った仲間たちと別れるのは寂しい思いがする。だが、通い始めた頃は毎回少なからず葛藤があったし、国が違えば気持ちも通 じ合わないものなのかという感じを抱いたこともあった。それはちょっとしたコミュニケーションの行き違いからだったのだが、言葉や行動で相手の気を悪くさ せたかなと心配になることも多かったのだ。
 きょう、皆と地下鉄駅で手を振って別れた後、しばらくは後ろ髪引かれる思いに切なくなった。来週1度会って、その後はそれぞれまた自分の生活に戻ってい く。情の薄い人間ではあるが、こういう形で友情を感じるということもあるのかと思った。

■雑記(2003.11.26 mercredi)
 テレビではイラクのことについて市民たちの討論が続いている。若者たちが熱く語り続けている。話し合いの途中で放送は終わってしまった。日本人だってこ の人たちと同じ土俵に上がって討論できなけれ ば しかたがない。言葉の問題を抜きにしても、自分なりの意見をもたなければしかたがない。日本の自衛隊のことも話に上っていたが、いったい 日本人のひとりひとりはこのことについてどういう意見をもっているのだろう。時代の鍵は我々の手で握られているのではないのか。関心がない、ではまったく もって許されない。世界にとって、日本の存在価値ってどこにあるんだろう。小泉総理よ。アメリカの植民地ではなく、独立国のリーダーとしてのあなたの考え を話し てほしい。
 どこもかしこもクリスマス・ムードになってきた。それにしても、このムードって奴の正体は何なんだろう。渡辺真知子のブルーは不朽の名作だと思う。どう いうわけかこの歌とこの時期の街の電飾とがオーバーラップする。はたしてそこに憧れが、夢が、真実があるというのか。暗闇の中にいてこそほんとうの光のあ りかがわかる。光にはいつもごまかしが潜んでいる。このイルミネーションに隠れたものを見抜かなければならない。明るさに身を委ねてはいけない。
 
■雪景色(2003.11.25 mardi)
 朝起きると町は真っ白だった。積雪2センチ。たいして寒くはないけれど、雪が積もっただけでぐっと冬らしく変わった。日本で冬に感じた気分と同じ気分が する。こちらの人も同じような気分がするのだろうか。それともこれは、自分だからなのだろうか。小学生たちはみなもこもこの防寒着に身を包んで外ではしゃ ぎ回っていた。子どもたちはほんとうにかわいい。いろいろな人種がすっかり混ざっていっしょに遊びながら、そのことを当たり前として育っていくのだ。それ がどれだけ素晴らしいことかと思う。
 仕事は週のはじめからちょっと飛ばし過ぎ。ボスともずいぶんしゃべった。全部身になればいいのだが、かなり難しいこともある。午後も時間が過ぎたのも気 づかぬ程だった。英語はあと1週間で修了する。あさっては修了試験があるのでなんとかパスしたいとは思っている。そのためには夜も勉強しなければならない のだが、その前に眠ってしまいそうだ。きょうは2人くらいがカメラを持ってきていて、教室のみんなで記念写真を撮った。1月からはまた別の講座が始まるの だが、いまはどうしようか考えているところだ。きついことはきついが、やればやっただけのことはある。さまざまな国の人たちと学べるので、あの子どもたち と同じような気持ちも味わえる。だが、4月くらいまでは別のことをやってみたいという気持ちもある。
 遅くにものを食べたせいか、またちょっと胃が痛くなってきた。身体も鍛えないとどんどんおかしくなっていきそうだ。喉の奥に何かが詰まっているような痛 み。これが出てくるとその日はもうおしまいだ。寝よう寝よう。

■雨の月曜日(2003.11.24 lundi)
 ヒューズのとんだ日の朝、そのことをセキュリティに言ったら、部屋のオーナーに連絡を取らなければならないと言われた。だが、たったそれだけのことで オーナー に電話するのも憚られた。月曜日のきょうになってとりあえずレジデンシャル・サービスというところに電話してみた。そしたら、すぐに行くから待っておれと 言う。それで、駆けつけ てくれたおじさんに見てもらうことができた。簡単な話。ブレーカーのスイッチをいったん左に動かしてから再び右に戻すと、電気は元通りになった。ちなみに こちらのブレーカーのスイッチは上下ではなく左右になっている。つまり、切れたブレーカーを元に戻せばいいだけのことだった。実はそうすれば直るよという のは同僚に教えられて一回やってみたつもりだったが、そのときは元には戻らなかったのだ。いとも簡 単に復旧したのでなんか拍子抜けしたが、おじさんには悪いことをした。
 以前にも似たようなことがあった。北上高地のまっただ中、岩泉町の学校に赴任したときのこと。教員住宅に引っ越したその日。電気をつけようとしてスイッ チ を入れたが電気がつかない。こりゃたいへんだと思って教頭先生に電話をしたら、すぐに飛んで来てくれ、電気のつかない原因を突き止めてくれ た。なんのことはない。ブレーカーが下りたままだったのだ。
 あれから10年も経っているけれど、間抜け加減はたいして変わっていない。だけど間抜けは間抜 けなりになんとかこうして生きている。よくないところを否定して窮屈な思いをするよりも、それも自分らしさと受け止めて開き直ったほうがのびの びとやっていけるかもしれない。だがその分誰かに迷惑をかけているということになるのか。
 電気のある生活に抵抗するわけではないが、ろうそくのある生活もいいなと思って、でかいろうそくとそれをのせる皿を買ってきた。実際に、こちらでは夕食 時など雰囲気をよくするためにろうそくを使うことが多いそうだ。それで、どの家庭にも買い置きのろうそくがあるらしい。さて火をつけてみようと思って気が ついた。マッチもライターもない。ライター1個買いに外に出たくもないから、火をつけるのは明日にしよう。
 ホームページの表紙に、トロントの気象情報を貼付けた。冬を迎えてどれだけ気温が下がるか、訪れる方たちにイメージしやすいようにというのがねらいだ。 そのついでに少しデザインや色を変更した。内容は変わっていない。どういう基準で決めるのかよくわからないが、ウェザーネットワークの情報には体感温度な んていうものもある。岩泉ではマイナス20度以下というのもざらだったが、あのときと比べてどうなのか、興味津々だ。

■小春日和(2003.11.23 dimanche)
 CNNのラリー・キング・ライブにラトーヤ・ジャクソンが出ていろいろ話をしている。マイケルの話もしているようだが、主目的は自分のニュー・アルバム の 宣伝のように思われる。プロモーション・ビデオもばんばん流されている。兄なのか弟なのか知らないが、兄弟のスキャンダルに乗じて自分を売り込もう というのだろうか。内容はよくわからない。でも、楽しそうにぺらぺら話す様子からはそう感じられてしまう。たまにCNNを見るとあれだ。実にアメリカくさ い。そういえば、きょうはケネディ暗殺の日か。 
 ずいぶん暖かい日曜日だった。ジャンパーを着て外を歩くと汗をかくほどだった。小春日和のカナダの休日。久しぶりにちょっとした散歩ができて、新鮮な気 分になった。自分のための勤労感謝の日ということにしよう。昨年の今頃はもうかなりの雪が降っていたというから、今年は今のところは暖冬といえるだろう。
 クリスマスのコンサートでハレルヤを歌うというので、練習に混ぜてもらうことにした。午後から訪ねた教会には日系人と日系人でない人たち合わせて30名 く らいがいて、彼等といっしょに1時間ほど歌った。最初は初めて聴くグローリアという歌を歌った。その後にハレルヤ。終始腰掛けに座って歌ったの には違和感があった。当たり前のことではあるが、自分が日本で覚えていたパートの音程とすっかり同じだったのが不思議な気がした。
 練習のあと、教会の近くの坂道を下りて、ドン・バレーという谷の下の方に歩いて行くと、昔の蒸溜所跡のレンガ造りの建物があった。とても絵になる光景 だった。その周りにいくつかの木造の建物があり、そのうちの一つが資料館になっていた。19世紀の町の様子やいわゆるインディアンの格好をした人々が写っ た写真が展示されていた。レンガの建物はギャラリーになっていて、トロントの画家たちの絵がたくさんかかっていた。思いがけずおもしろかった。
 夜はボスの家で晩飯をごちそうになった。ビールにすき焼き、ワインまで。昼飯を食べておらず、皆すきっ腹に染み渡った。酒も肉もうまかったが、それより よかったのは春菊と豆腐と糸コンニャクだった。こんなふうにしてもらうなんて、日頃からいろいろと気を遣わせているんだなあと感じた。
 住宅地では、クリスマスの電飾を取り付けている家が増えてきた。夜には、一戸建ての住宅でも高層アパートでも、それぞれに工夫を凝らして飾っている。地 域にもよるけれど、きょうの時点では全体のざっと1〜2割といったところだろうか。アパートによっては3分の1くらいの窓に豆電球が光っているところも あった。クリスマスが近づくと、ほとんどの住宅にこの電飾が付くのだそうだ。
 日本でも最近目立つようになってきたこの電飾に、僕は不快な気持ちを抱いていたものだ。カナダでそういう様子を見ても、きれいだとは思うが、あまりいい 気持ちにはならなかった。電気を使いたいだけ使った生活が当然になっている国の慣習を素直に喜んでいいものか、よくわからない。特に今年はあれだけの大停 電を経験した後だけに、人々は何を学んだのかと言いたい気持ちが少しある。きれいな色の電球をともすとき、見知らぬ国の見知らぬ家族から同じだけのエ ネルギーが奪われているのだと、そういうことを考えてみたらいい。世の中のどれだけの不公平の上に、自分の豊かな物質生活が成り立っているかということを 想像してみたらいい。与えられる者だけがいい思いをし、奪われる者は辛い思いをする。それがテロの原因だと、そんなことを思ってみたらいい。
 自分の思いがかき消されてしまう日々ではあるけれど、せめてクリスマスにはそういうことを自分なりにじっくりと考えられるようでありたい。

■土曜日(2003.11.22 samedi)
 1週間が終わった。朝はあんまん、昼はバナナという貧弱な食事だった。仕事帰りにスーパーで買い出しして、夜はローストチキンを食べた。疲れがどっと出 て、わけのわからないうちに眠っていて、目覚めたら夜中の2時だった。
 笑顔でバスに乗り込む子どもたちを見ていると、この土曜日1日がどれだけの重みをもっているかを思わずにはいられない。土曜日1日のためにほかの6日間 がある、というふうにも考えられる。ゆっくり休んで、また来週。

■ヒューズ(2003.11.21 vendredi)
 今朝起きてライトのスイッチを入れたとたん、バンといってスイッチから青い火花が出た。ライトはつかず、部屋の壁の片側のコンセント、それに風呂場のラ イトと換気扇もダメになった。なんなんだ。ショートしてヒューズが飛んだのか。ショーとしてか、おもしろくもない。また交渉ごとを進めなければならない。 修理は月曜日以降になるだろう。
 金曜日の疲れはピークに達していて、帰ったら眠くて眠くて仕方なかった。こころのヒューズも飛びそうな感じだ。あと1日、土曜日をなんとか乗り切れれ ば。なんていう具合に、1週間はあっという間に過ぎ去ってしまう。

■テレビ他(2003.11.20 jeudi)
 どこかのチャンネルで「風雲!たけし城」が放送されていた。英語の題名は"Takeshi's castle"だった。何年前のだろう。もう20年近いのではなかろうか。ビートたけしも谷隼人も若い。稲川淳二やそのまんま東はやけに顔が白かった。 ラッシャー板前がピーナッツの着ぐるみを着て、泥まみれになっていた。もしカナダ人がそばで見てたら、「なぜ彼はピーナッツの格好をしているのか」とまじ めな顔で質問されそうだ。こういうのがこっちの人たちにも受けるのだろうか。すっかり声も吹き替えられていて、叫び声まで英語だった。出ているのはもちろ ん日本人なのに、テロップに出る名前がなぜか英語名になっているのがおかしかった。一人の青年がクエンティン・バッハと名付けられていたのには笑った。
 まだ見たことはないのだが「料理の鉄人」も放送されているらしい。地下鉄の駅のあちこちにアメリカン・コミックのタッチで描かれた「料理の鉄人」のポ史 が出ているものもある。日本だったら同じようなものを作り直して放送するところだろうが、こちらではそのままをするのだなあ。
 「世界の料理ショー」を思い出した。料理人グラハム・カーがおしゃべりしながら料理するというのがあった。最後に観客の一人が食卓に招かれて一緒に食べ るというのが、子どもながらにすごくうらやましかった。
 この間映画館で見たコマーシャルはニンテンドーのだった。日本の子どもたちが学校からどこかに一斉に走って行くというものだ。きっと日本でも同じものが 放送されているのではないかと思う。ゲームは、プレーステーションとかニンテンドーとかゲームボーイとか、いろんなコマーシャルが放送されている。ゲーム センターをのぞいてみると、日本のゲーム機がそのまま置いてあって、画面にカタカナや漢字がばんばん出ていたりするのでこれもおもしろい。
 それにつけても、日本の話題になると会う人会う人みな口を揃えて「高い高い」と言うのだ。トゥー・エクスペンシヴである。実際に高いのだろうというのは 否めないけれども、なぜにそんなに「高い」というイメージになってしまったのだろうか。エコノミック・アニマルというイメージがまだ払拭されていないのだ ろうか。

■あなたのメロディー(2003.11.19 mercredi)
 きょうも天気が悪くて、眠い一日だった。仕事もたいしてはかどらぬままに夜を迎えた。だが、天気が悪いせいで気温は下がらず、仕事を終えて学校まで30 分歩いたが汗をかくくらいだった。落ち葉が濡れて滑りやすそうな感じで嫌だった。何一つわかってはいないのに、要領のよさだけでなんとか適応できてしまう ということがある。フランス語がその典型で、単語を一つも覚えていないくせに、当てられるところはなんとなく答えることができて、もちろん正答ではないの だけれど、なんとなく先生も適当に流して、その場は取り繕われる。
 一生懸命やるだけ状況が悪くなってしまうということもある。これだけやったからじゅうぶんだろうとか、間違っているわけがないとか、自分勝手な判断があ とから致命傷になってしまうこともある。だからというわけではないけれど、ずっとずっとゆっくり歩いて行こう。一生懸命やるにも、一生懸命やるやり方とい うのがあって、それを踏み外すと、空回りになるのだ。ほんとうの一生懸命は楽しくて、ほんとうの楽しさはもっとのほほんとしている。
 教師たるもの、超過勤務手当など一銭も出ないのよというのは日本国内の常識であって、仕事をしたならしたなりに1時間いくらの対価を要求するのが常識に なっているところだってなんぼでもある。ふたつの常識が近づいていって同じになる日がはたして来るだろうか。来るとは思うが、時間はかかりそうだ。きっと 1000年じゃ足りないだろう。
1万年あればじゅうぶんだろうか。そんなところではないだろうか。
 そんな悠長なこと言っていられないと思う人がたくさんいるだろう。だけど自分の頭の中ではいつもそんな悠長なことばかりぐるぐると回っていて、それがメ ロディーになっているのだ。きっと一人の人間の一生なんかよりも、1000年のほうがずっと短いに違いない。たまには、頭の中のメロディーに耳を傾けて、 それを最優先にして日記を書いてみよう。自分のメロディーに合わせて、もっと自由に踊ることができるはずだ。

■国際化(2003.11.18 mardi)
 考え直して日記リンクへのリンクは外した。実に気まぐれ。きょうは、先週の出張のことがあって午前中で帰っていいという許しが出た。結局は2時頃まで仕 事をしていたのだが、お言葉に甘えて早々に退勤した。訪問先からはいくつかのメールが届いていて、自分なりに貢献できたかなとまんざらでもない気持ちに なった。
 それで帰ってから何をしたかというと、コーヒーを一杯飲んだにも関わらず眠くなって寝てしまった。外はきょうも小雨でぼーっと煙っていた。4時に起きて 大相撲の録画放送、5時からは「おはよう日本」をライブで見た。外はもう真っ暗。夜10時からの「正午のニュース」、朝5時からの「ニュース7」、全部外 は真っ暗で、NHKニュースを見ていると、朝なのか夜なのかわからなくなってしまう。
 夜、学校に行く途中でテリヤキの夕食。甘いテリヤキソースは少しでいい。代わりに醤油と辛いタレを垂らすとそっちのほうがずっとうまくなることを発見。 このテリヤキ、フードコートに数ある店の中ではいちばんあっさりしていてヘルシーかもしれない。日本では見たことがないけど。
 先週の木曜日は仕事で欠席したので教室は1週間ぶりだった。駅からの道でヘクターといっしょになって、いろいろと話をした。高校の同級生に彼と似ている 人がいたなあと思った。仕草とかしゃべり方がどことなく似ていた。人間なんて、人種とか言葉とか、あんまり関係ないような気がしてきた。
 きょうやった受動態は不思議なくらいよく理解できた。いつもはこちらから教えてもらうエラやヘクターが苦戦していて、逆にこちらが教えてあげるほうに なった。こんな日はめったにない。中国のジェイやチャンもできていたみたいだ。他のヨーロッパ語の人のほうがわかりにくいということもあるのだろうか。
 コロンビアのパトリシアとは、互いの国の産物とか休日のことを話した。コロンビアのコーヒーは世界一。ベストだと自慢げに言っていた。コロンビアのコー ヒーは有名だねと言ったらすごく嬉しそうにしていた。日本の産物は米、車、電気製品ということを話したが、日本が世界一だと誇れる産物ってなんだろう。プ レステかな。自分の国を素直に自慢できない感覚っておかしいかもしれないと感じた。帰り道はエチオピアのスカラと話した。カナダの冬は嫌いだと言ってい た。エチオピアの気候はとてもよくて、冬でも雪は降らず21〜2度だそうだ。私たちの国には緑がたくさんあると話していた。
 こんなふうにいろいろな国の人たちと普通に接する感覚が伝わるといいと思う。とても心地よく、自然な感じ。トロントはこういう交流ができるところだ。僕 が彼等から感じるのは、皆自分の祖国を愛していて、素直にそれを表現しているということ。僕も日本人であることを誇りに思うし、祖国を愛する気持ちはじゅ うぶんもっているつもりだけど…。心の中で素直になれない感覚というのも実はある。好きなところもあるが、大嫌いなところもある。もし今帰国したら、いじ めに遭うか自分から閉じこもってしまうかどちらかになってしまうのではないかと恐ろしい。
 日本人としての自分と地球人としての自分が闘っている。そうしてひとつになるまでにはもっと時間がかかる。アイデンティティの混乱。きっと皆そういう混 乱があるのだと思う。そうやって世界の中の自分というのが確立されていくのではないだろうか。ひとことで国際化といったって難しいが、たぶんそういうプロ セスが必要なんだろう。

■月曜日の警報(2003.11.17 lundi)
 日記リンクその他いくつかのサイトに登録した。せっかくだからいろんな人に読んでもらおうと思ってのことだ。それにしても、こういうテキストを書いてい る人々は世の中にはたくさんいるのだ。きっとインターネットの普及で、「書く」ことが日常化されてきたのだろう。かくいう自分もその一人だが、これはとて もいいことだと思う。普通の人が書きたいことを書いて世に発表できる。素晴らしい時代ではないか。うまいへたなど関係なく、それぞれが好きなことを好きな ように書いてみればいいのだ。そのことで何かが変わる。それを体験する人が増えればいいと願う。ひとりの国語教師としても、このような状況は大いに歓迎す べきだろう。自分の学級からは「作文嫌い」など絶対に作らないぞとあらためて決意するのだが、自分はいま担任も授業ももっていないのだった…。考えると現 実は厳しいが、それでも現実をたどってしか夢には到達できないものだ。ネットという現実の可能性を追求しない手はない。
 休日2日目のきょうも天気はよくなかった。午前中は食料品の買い出しをしてきた。両手いっぱいの買い物袋をぶら下げて部屋に戻った。ほんとのところ、家 にはあまり食べ物がない方がいい。あると、いつでも食べたい時に食べることができるから。きょうのクローズアップ現代は、中年男性のおなかがテーマだっ た。いちばんききたくない領域だが、これこそが自分の向き合わなければならないテーマだということはわかっている。このまま年を取るか、自分を変えるか、 途中で死ぬかの三者択一。何がいったい望ましいことなのか。
 また妄想を繰り広げていると、部屋の警報がけたたましく鳴りはじめた。「こちらセキュリティ、火災のアラームが鳴り、現在調査中」とのアナウンスが流れ た。またかと内心呆れつつ外を見下ろすと、消防自動車や救急車がどんどん集まってきた。警報もピーピーうるさいから一応外に出ようと思って廊下に出た。こ れが鳴るとエレベータも止まってしまうので階段で降りなければならない。階段前の部屋からおばさんが出てきて、うるさいというように耳を塞ぐ仕草をした。 「火事ですか」と訊くと、「さあね、きのうもおとといも、毎日のようになっているよ」という返事。そういえばきのうもピーピー鳴っていたな。でも、すぐに 鳴り止んだので、試験か何かだと思っていた。「どこに行くの?」というので、「うるさいから外に出ます」「エレベータは止まってるでしょう?」「階段で行 きますよ」てな会話を交わして非常階段を下りた。
 相変わらず警報は鳴り続けて、同じビルの地下1階に入っているスーパーの客や従業員たちはみんな避難させられていた。その他の商店は構わず営業を続けて いるようで、セカンドカップでは何人かの客が残って、普通に談笑していた。避難するかどうかは、各店や個人の判断にすっかり委ねられているのだ。近くの高 校が昼休みに入ったらしく、子どもたちが次々とかまわず建物の中に入って来た。スーパーの上の吹き抜けから下を覗き込んでみると、消防士が売り場を点検し ているのが見えた。同じように興味津々見下ろしている人がけっこういた。爆発物でも仕掛けられていればたいへんなことだが、そういう可能性はほとんどだれ も疑っていないのではないかと思われた。世界中がテロの標的となっているが、カナダではとなりのアメリカとは全く状況が違って、テロに狙われる理由がほと んどない。だいたいフランス系のケベックを抱えていることもあり、イラク攻撃についてはかなり微妙な立場だった。3日くらい前に勇退したクレティエン首相 は、ケベック出身のフランス系だった。日本でも少しだけ報道を目にしたが、カナダは最後まで攻撃回避の道を探り各国との調整に努めていたのだ。だから、カ ナダでテロを心配している人はほとんどいないのではないかと思われる。カナダに比べると、日本でのテロの危険度は数十倍高いということになるだろう。
 いつまでたっても事態は収拾せず、警報は鳴りっぱなしである。これはしばらくこの場を離れたほうがよさそうだと思い、となりの駅まで歩くことにした。途 中、白人の若者に「地下鉄に乗る金がないからくれないか」と言い寄られたが、ノーと言って断った。こういうことはよくある。街には「金をくれ」といって帽 子やら紙コップやらを差し出してくる人々がたくさんいる。ほんとかどうかわからないけれど、ある文章にはトロントで1時間こういうことをやると平均8ドル の収入があるということが書かれていた。
 映画館を通りかかると、ちょうどこれからマスター・アンド・コマンダーという映画が始まるところだった。予備知識はまったくなかったが、ふらっと入って 観てみた。19世紀、大西洋上を行くイギリスの軍艦の話。ラッセル・クロウが主人公の艦長を演じている。軍艦といっても昔なので帆船である。フランス艦と の戦いや嵐の中の航行など、ものすごい迫力だった。おもしろかったなあ。船の上がどれだけぎりぎりの状況にあるかということを思った。言葉が分からなくて も全然関係なかった。申し訳ないが、きのう観た映画の何倍もよかった。
 で、映画を観終わったら午後3時。イタリアンの店でパニーニとサラダの遅い昼食をとった。寒くなってきて、咳が出るようになってきた。数年前からもう年 中行事みたいになっている。ドラッグストアに寄って、咳止めの薬を買ってきた。どれがどれだけ効くものかよくわからないが、咳止めシロップというのを買っ た。ティースプーンで2杯。かき氷にかけるイチゴ味のシロップみたいだ。こんなんで効くのか。もしこれが効かないようなら、こんどは漢方薬を探してみよ う。

■日曜日の頭は真っ白(2003.11.16 dimanche)
 明るくなってから暗くなるまでほとんどずっと霧で真っ白だった。日曜日に天気が悪いとそれだけで低調な休日になってしまう。頭の中まで真っ白だった。部 屋に閉じこもり切りでぼーっとしていた。
 午前中は独眼竜政宗が、選挙特番で中止だった先週分と合わせて2回連続で放送されていた。秀吉役の勝新太郎がすごい。迫真の演技に目を奪われた。その後 はサンデースポーツを見た。高橋尚子が失速したのは残念だが、レース前のインタビューを見ていたから、なんとなく納得した。人間、勝てると思った時点です でに負けているのだ。武蔵丸の引退も残念だった。勝手な空想だが、どうも今、角界には力士の闘志を削いでしまう何かが渦巻いているのではないだろうか。正 直言って僕はピアスをした曙の姿なんか見たくなかったし、力士が他のことをするのをもう見たくない。ただ一つ、僕が理解できるのは「にほんごであそぼ」の コニシキだけである。
 スポーツといえば、「放送権の都合」による静止画像の特集をカナダの写真コーナーに載せたので見てみてほしい。「写真日記」のところにも一つ静止画を載 せたが、これはアメリカ軍の映像のところで出たものだ。利益が絡むことを「権利」などともっともらしく主張するのは本筋から逸れてるんじゃないだろうか。 そもそもある者の権利が守られることによって、ある者の権利が奪われるなんていうことがあるのだろうか。守られてるのは権利じゃなくてどっかの利権だろう が。
 などとぼーっとしたまま考えていたら夜になった。このままではあまりにも何もない休日になってしまうので、映画を観に行った。メイチョリクスの3番目を 観てきた。面白かったけど、つまらなかったなあ。もっと痛快なのが観たかったなあ。僕の予想では、キアヌ・リーヴスが普通のサラリーマンに戻ると思ってい たのになあ。ちょっと違っていた。

■学校訪問(2003.11.15 samedi)
 ロンドンから帰って来た。全体的に有意義な一日だった。ひとっ風呂浴びて実に安らかな気分でキーボードに向かっている。もう今にも眠ってしまいそうな感 じだ。ゆうべは11時に就寝して、今朝7時前に起きた。すごく快適だった。こんなに眠れたのは久しぶりだった。ふだんの土曜日なら7時にはもう家を出てい なければならない。
 迎えは9時なので、2時間もある。ゆっくり支度をしてバーガーキングまで行って朝飯。ベーコンかハムかソーセージか。パンの種類は。たまごはどうする か。飲み物は。ジャムは。とあれこれ訊いてくる。こちらではそれがサービスなのだろうが、実に煩わしい。僕は写真と同じ目玉焼きが食べたかったのだが、英 語で何と言うのかわからずスクランブルエッグにしてしまった。今調べたらなんだフライドエッグだった。
 ホテルから学校までは車で5分ほどのところ。きのう探していたのはかなり昔の所在地だったらしい。思ったとおりMK省のデータは古いものだった。午前中 は授業参観と保護者の役員の方との懇談、そして小1への授業。お昼をはさんで、小3と中1の授業をした。きのうのリハーサル通りにはいかず反省点も多かっ たが、楽しくてしかたがなかったや。その後は研究会があって、先生方とも活発な話し合いができた。まずはよしである。
 いまコロッケの物まねのテレビが放送されている。思わず力が抜けてしまう。地元密着型のバラエティというのはなかなかおもしろい。日本語ってやっぱりす ごいや。ははは。

■また雪(2003.11.14 vendredi)
 きょうも朝から雪。結局ゆうべはたいしたこともできず眠ってしまい、今朝学校に来て片付けた。なんだかんだやっていたら12時を回ってしまったので、 ちょっと慌てて出発した。ロンドンまでは車で2時間。休み休みゆっくり行っても3時間あれば余裕だ。トロントを抜けるまではかなり激しく雪が降っていた が、気温はそれほどでもないので積もる心配はなかった。途中のサービスセンターでビッグマックの昼食。なんたってマクドナルドしか店がないのでしかたな い。ウッドストックという町のあたり、道路の脇には取り除かれた雪があった。けっこう降ったらしい。
 ホテルのチェックインは3時過ぎ。途中2回の休憩をしてちょうど3時間で到着。部屋で少し休んでから外に出る。明日の学校の位置を確認しようとするが、 全く見つからない。MK省の資料はどうも古いんじゃないかと思われた。場所が分からなくても、明日の朝、運営委員の方が迎えに来てくださるのでよしとしよ う。
 夏に1度来たので、繁華街までは迷わず行けた。駐車場に車を停めて、寒い街を歩き回る。5時を少し回ったころだったが、街はひっそりとして、人通りはそ れほどではない。商店のディスプレーはもうすっかりクリスマスで、どこも美しくてうっとりするようだった。だがクリスマスソングが鳴り響くということはな く、静かなものだった。街の中心のマーケットにはいろいろな店が入っていて、眺めているだけで楽しい。幾種類もあるデリカテッセン。イタリア、ギリシャ、 インド、中国など。果物屋、チョコレート屋、パン屋、チーズ屋、ソーセージ屋、アイスクリーム屋、香辛料屋、花屋、クリスマスの飾りだけを売っている店、 ガラス細工の店。夢のようである。ギリシャの店でピザとサラダを食べた。パンみたいなピザの上には黒い魚の粉末みたいなのがかかっていて、ヨーグルトをつ けて食べる。こんなのは食べたことがなかったが、それほど旨いとは思わなかった。サラダは山盛りで食いごたえあり。レタスとパセリとトマトとキュウリ。ざ くざくざくざく食べて腹一杯だ。マーケットの前にはホッケーのスタジアムがあった。試合があるようで、見てみようかという気持ちがちょっと起こったが、明 日のことを考えてすぐにやめた。
 部屋に戻ってから、最終のリハーサルをした。研究授業の前にはとにかく通してやってみる。これをやると、安心して眠れる。授業をするのがすごく楽しみ だ。こちらが楽しんでやればその気分が子どもたちにも伝わるから、きっと楽しい授業になるだろう。あとはためになるかどうかだ。
 
■雪(2003.11.13 jeudi)
 きょう日中、広い範囲で吹雪になった。朝から強風。そして昼前から雪が降り出した。とうとう雪の降り始めだ。だが気温はそれほど低くはなく、夜には雪も 風も止んだ。一日長かった。明日からロンドンに出張となり、研究授業の資料を作っていたが、なかなか思うようにいかず焦った。だが、夕方になってあれこれ 道具を作っていたら、なんとなくイメージがわいてきた。いいアイディアは机上よりも動いている時に浮かびやすいみたいだ。
 とにかく今夜中にすべてを仕上げて、明日の朝学校で印刷してから、直行しなければならない。駅の文房具屋でノートを買って、アジアの店で焼きそばを食っ た。それと茹でた野菜とあんかけ豆腐。帰ってテレビをつけると、久しぶりのためしてガッテンはピザの特集。なんだみんなうまそうに食ってるなあ。それにし ても、イタリアンほど冷凍に適した食べ物はないのではないだろうか。ピザもそうだし、パスタもそうだ。などとすっかり寛いでしまっている。

■Bouchon(2003.11.12 mercredi)
 魂を込めて文章を書いた。途中で涙が止まらなくなった。と、そんなこともある。ほとんど毎日、誰か宛の手紙を書いている。一人に訴えるか、多数に訴える かの違い。もっといろいろな人に読んでほしいのだが、そんなことができるわけもない。でもせめて、毎週出している通信などを再編集すれば、教育コラムとい う感じにはなるかもしれない。個人の総合サイトだったら、仕事の部分もあってしかるべきだという考えもある。できることなら考えてみたい。
 きょうはレストランに行く日だった。着くのが早過ぎたので、セントローレンスマーケットをのぞいてみたら、何かの映画の撮影をやっていた。外からものす ごい光量のライトが当たり、窓全体が白く光っていた。中もある範囲に集中してライトが当たっていた。俳優らしき人もいたが誰かはわからなかった。監督だか なんだか知らないが、メガホンを持っている人が何かいろいろとしゃべっていた。よく撮影は行われているということだったが、実際に目にしたのは初めてだっ た。街にはクリスマスの飾りが見られるようになってきた。またそういう季節がくる。
 セカンドカップという珈琲屋で1時間ばかり今週の授業のことをやった。珈琲屋にはこんなふうに仕事だの勉強だのをしている人がいっぱいいる。自分は日本 でもそういうことをしたことはなかったが、意外と集中できていいかもしれない。スターバックスはシアトル発祥でアメリカ生まれ。カナダにもスターバックス はあるが、カナダ生まれのセカンドカップのほうが数が多い。味の違いはよくわからない。
 そのあと、Bouchon(ブション)というレストランに行った。「瓶の栓」という意味らしい。集まったのは先生を入れて8名。ベルギー生まれのフラン シス先生と、ブラジル、フィリピン、コロンビア2名、カナダ2名、そして日本。中国のマウさんは結局来なかった。赤ワインを頼んで、飲みながらいろいろと 話をした。食べ物はステーキを頼んだ。カナダに来て初めてステーキというものを食べた。牛肉のサンドイッチは食べたことがあったが、純粋なビーフステーキ というものは食べたことがなかった。西洋の食事というのはいわゆるいっちょ食いで、最初にパンが出てきて、パンを食ったころにまた違うのが出てきてという ふうに、日本とは違う食習慣だ。なんて、日本のレストランでもそうだろうか。とにかく僕はレストランという場所には不馴れなので、よくわからない。みんな フランス語なんてほとんど話さずに、英語で自由に会話した。英語でも不自由なのは僕だけだったが、それでも大いに楽しんだ。いろいろなことを話した。映 画、言葉、季節、仕事、煙草、経済、アメリカ…。話したことを思い出すと、不思議にみな日本語で話をしていたような感じで思いだされる。なんとなくなんと なく、でもなんとかなる。周りに日本人が一人もいなくてもなんとかなる。値段を見たらちょっとびっくりだったがこういうもんだろう。こんな体験ができたの だから全然惜しくなんかない。
 アパートに帰ったら、アマゾンからの箱が届いていた。半分以上は仕事関係の書物だが、それ以外は本やCDやDVDだ。これから箱を開けるところ。まるで 宝箱のような感じだ。

■リメンバランスデイ(2003.11.11 mardi)
 きょう、学校の国旗は半旗になっていた。第2次大戦の元軍人がテレビに出て、当時のことをいろいろ話していた。白黒の古いフィルムには、戦闘機や戦車が たくさん映っていた。日本はもちろん敵側だった。朝から雨が降り続いて、空は暗くて寒々として。だけど夕方日が暮れてからはなんだか湿度が高くなって、額 には粘ついた汗が拭いても拭いても出てきた。仕事が終わって学校への道すがら、ハーヴェイズでハンバーガーを食べた。何だかファストフードに偏っていない か。片付けても片付けても襲ってくる仕事の山にいつも追いかけられている。その上夜までいろいろな相談事が舞い込んでくるので安心できない。ここへきて胃 弱な感じが強くなってきた。もっとジアスターゼが必要だ。ああ、ふろふき大根が食べたい。
 メキシコ人のヘクターからメキシコのことを聞いた。アカプルコとかカンクンとか、行ってみたくなった。モレという料理があるそうだ。チキンに甘いソース をかけて食べるのだそうだ。話を聞いていたら、食べたくなった。テキーラはサケやショーチューよりも強いから気をつけろと言っていた。ウクライナ人のエラ からはウクライナのことを聞いた。キエフはとてもきれないところなのだそうだ。きれいな建物群。キエフという街は小さなヨーロッパなのだそうだ。エラはウ クライナ語とロシア語と英語とフランス語ができると言っていた。日本のことを2人に話した。成田から1時間も電車に乗らないと東京には行けないこと。浅草 が好きだということ。京都の近くに奈良があって、大仏がいるということなどを話した。エラの旦那さんの友達が何人か東京にいるそうだ。この教室に偶然集っ た面々。一人一人ほんとうに素敵な人たち。週にたった何時間か顔を合わせるだけだけれど、いろいろ互いに伝わるものがある。たとえ言葉がうまく通じないと しても、わかり合うことはできる。みんなの祖国が平和であるように心から祈る。 

■月曜日の雑感(2003.11.10 lundi)
 朝の散歩は寒かった。外は快晴。乾燥し切っているので水たまりは一つも見つからなかったが、きっと氷が張るくらいだったはずだ。途中マクドナルドに寄っ て、ベーグルサンドとコーヒーの朝食を食べた。コーヒーの温もりを手にしながら、家までの残りの道のりを戻った。どうでもいいことだが、カナダのマクドナ ルドのMのマークには、真ん中に小さく赤いメイプルの葉っぱがついている。ディズニーとタイアップしていろいろやっているのは日本も同じか。
 きょうはトロント市長の選挙の日。選挙は日曜日を避けるというのはこちらでは常識みたいだ。先日の州知事選挙で政権が交代したために、今までとは様々な 点で変化が起きているようだ。先日は教育委員会から急な文書提出の請求があって関係の先生が慌てていた。政党が変わると税金やサービスが目に見えて変化す るということが、カナダでは普通らしい。だから、旧政権の約束がふいになってしまうこともよくあるのだそうだ。今回の州政府の最大の公約は、バカ高い自動 車保険の保険料を引き下げることだった。果たしてどうなるか。
 明日は戦没者追悼の日(リメンバランスデイ)で、官公庁は休日になるそうだ。第一次第二次大戦で戦死した人々を忘れないための日。だが、学校は休みでは ないらしい。道行く人々の多くは胸に赤い花のバッジをつけている。テレビのアナウンサーなども一人残らずこの花をつけている。募金をするともらえるそう だ。まるで日本の赤い羽根。でも、街でその募金の場面にはあったことがない。
 カナダには軍隊があって、サウジに派遣されている軍人たちが9000人いるそうだ。留守を預かる家族やテロに巻き込まれた軍人の家族がテレビに出て泣き ながら何か言っていた。カナダ軍のコマーシャルというのがあって実にかっこよくできている。映画館で大写しにされて、何の映画だろうと思ったりするのだ が、よく見るとそれは若者への軍人になろうという誘いなのだ。
 2000年度のデータによると、日本の軍事費は年間444億ドル。カナダは75億ドルで日本の約6分の1。もちろん1位はアメリカで、2947億ドルと ずば抜けて高い。2位がロシアで588億ドル。日本はすでに世界第3位の超軍事大国だ。ちなみに、イラクは15億ドル。北朝鮮は20億ドル。ただし、 GDPに占める軍事費の割合でみると、アメリカで3パーセント、日本で1パーセントなのに対して、イラクでは9.7パーセント。北朝鮮では13.9パーセ ントにものぼる。
 自分はこういうことをあまり意識することもなかった。だが、概して日本人はそういうことに非常に無関心な国民なのではないだろうか。なぜなら、仮に自衛 隊がどこかの国に派兵され、実際に交戦し相手を殺した場合を考えてみる。このとき、傷つくのはほぼ自分達とは無関係な人間ばかりだ。これがもしカナダだっ たら、敵国にも自分達と同じ民族がいるということがかなりの確率であり得る。つまり、カナダにはイラク系だって、ユダヤ系だって、ロシア系だって、アフリ カ系だっている。どの国と戦って敵を攻撃したとしても、国内に必ず泣く人が出るのだ。
 自分たちが戦争の犠牲になるのはどこの国の人々だって困る。日本だって自衛隊員の家族の抱える苦悩は測り知れない。だが、敵側が犠牲になる場合の同じ苦 悩を日本人がはたしてどれだけ想像できるものだろうか。例えば、自分の住む国と自分の祖国とが戦争をしているとしたらどんな気持ちになるだろう。まして、 祖国に自分の身内の者が暮らすとしたら。カナダが戦争に加担するということは、そういう国内の人々に対しても責任をもつということになる。もちろんアメリ カだってそうだ。アフガニスタンを、イラクを、あのような形で攻撃するからには、それだけの責任が必要だった。だが、実際はそうではなかった。実際にアメ リカ国内で差別にさらされたアフガン系、イラク系の人々はどのような思いだったのか。そして、攻撃した責任を果たせずに混乱だけを招いている今の状態をど うしてくれるのか。国内外に怒りや疑問や不安が広がっていることは事実だろう。「ブッシュのアメリカ」と「市民のアメリカ」との溝はもう埋めようがないと ころまできているのではないだろうか。
 そんなアメリカの動向に目を光らせているカナダの市民がいると思う。最初はアメリカとカナダの見分けがつかなかった夥しい数のテレビチャンネルではある が、カナダの局はやはりカナダの見方を示しているようだ。そして、コミュニティとかネイバーフッドとかいうものを大事にしようという姿勢が感じられる。も ちろん言葉を100パーセント理解できているわけではないので自分の勝手な印象をもとに書いているに過ぎないのだが。
 では日本はどうするのか。アメリカの言いなりではなく、自分たちで決めて自衛隊を派遣するというのはどういうことなのか。世界の大局をどう見て日本とし てどういう役割を果たそうとしているのか。小泉政権は、国民に説明する責任がある。なぜこれほどの高額な軍事費が必要なのか。アメリカの存在以外にどのよ うな合理的な理由があるのか。小泉は明らかにしなければならない。国民がそれを求めようともしないのであれば、やはり国際社会に対して国民が無関心だとい わざるを得ないだろう。これだけ強大な軍事力、経済力をもつことの世界に対する責任をもっと考えなきゃならないのではないだろうか。日本のニュースとカナ ダのニュースを比べたりすると、そんなことを感じてしまう。
 また勝手なことを書きました。ところで、静止画像の写真をアップしました。カナダの写真のところです。また、今までの音楽のMP3もアップしました。ハ イスピードの普及により聴きやすい環境になりましたので音質も落とさずにのせました。それと、トロントのリンクをいくつか増やしました。自分のブックマー クみたいな感じになってきました。サイトマップはブラウザによっては変になってしまうようです。ご了承ください。

■音楽(2003.11.9 dimanche)
 NHKの選挙速報を見ながら、今までの音楽のデータをMP3に変換などして、どうにかサイトにアップしようと試みていた。何年か前、ばかなことに MIDIのデータをすっかり消去してしまったので、かろうじて残っているのはこの21曲だけである。その後はまとまったものができないでいる。これを作っ てからもう10年以上たってしまった。 きょうはウェンディーズのブレックファーストコンボを食べてからは、夜まで食事らしい食事もせずに好きなことばか りしていた。外は晴れたり曇ったりだったが、結局きょうは近くに買い物しに出たくらいだった。冷蔵庫がほとんど空っぽだったので、きょうはずいぶん買い込 んだ。これでしばらくはだいじょうぶだろう。

■月食の日(2003.11.8 samedi)
 カナダ東部では今夜月食が見られる。今、空には赤茶色いカエルのたまごみたいなのが浮かんでいる。月がすっかり地球の陰に隠れてしまっているのだ。外に 出るともうかなり寒いので、窓越しに月を見上げている。今朝の気温はマイナス8度だったらしい。日中の予想は僕が聞いたのはマイナス1度だったが、テレビ によってはプラスの1度と言ったところもあったようだ。放送局によってかなり開きがあるみたいだ。いずれにせよ寒くなってきた。ただ、きのうきょうと天気 は快晴で、日が出ているときはとてもさわやかだ。ちょっと厚着をすれば散歩にはもってこいの陽気。こんなことを話したら、やっぱり北国の人だと言われた。 まさかこんないい日が氷点下なわけはない。気温の測定方法が日本とは異なっているのではないだろか。もしあすもいい天気なら、久しぶりに散歩してこよう。
 学校に芸人さんたちが来て日本の芸能を披露してくれた。林家今丸(切り紙)、三笑亭茶楽(落語)、稲葉千秋(お囃子)のお三方。文化庁主催の事業で ニューヨークに行くついでにトロントに立ち寄って何か所か公演するということだった。その際、総領事館の口利きでここにも来てもらうことになったのだ。ト ロントはニューヨークと近いために、「ついでに」ということがけっこうあるらしい。今回は文化庁なので河合隼雄が送り出してくれたのだなどとついつい結び 付けて考えてしまった。今まで彼の言葉がどれだけ自分の支えになっていることか。
 子どもたちの受けはそうとうなもので、切り紙にも両腕振り上げて大感激。落語も大爆笑だった。しかし、準備する側としてはいろいろ汗かきっぱなしで、終 わったらどっと疲れが出た。一つの失敗は、控え室にしていた部屋の暖房が効いておらず、寒い思いをさせてしまったこと。幸いケアテイカーに頼んで他の部屋 を手配してもらい事なきを得たが、それでも迷惑をかけてしまったことは反省である。
 ここだけの話、舞台裏の今丸師匠と茶楽師匠からはものすごい気を感じて、どうしても僕は正面から向き合うことができなかった。なんだかよくわからないも のすごいもの。何でも見透かされているような感じがして、怖かった。これがほんものの芸人だと思った。芸ももちろん見事なもので、カナダでこんな一流の芸 を堪能できるというのはたいへんありがたかった。だが、何より彼らの気を感じたことが、自分の最大の成果ではないかと思う。千秋さんからは東北の方じゃな いですかと聞かれた。お母さんが秋田だと言っていたが、これは僕が方言丸出しなのですぐばれた。三味線のお囃子というのも素晴らしい芸だった。先週の茶会 もそうだが、日本を出てから日本文化に出会う機会が倍増したのは事実。この分だと文楽の公演も近いうちに舞い込んでくるのではないだろうか。
 きょうの昼はこの方たちと会食をした。トロントには「懐石遊膳橋本」という仕出し屋があって、2か月に1回くらいある運営委員会のときや、誰かお客さん が来たときにはよくここの弁当を利用する。トロントで純和風の弁当を出しているところでは一番という評判だ。店主が地元の日本語コミュニティ向けの番組に 出ているのを時々見る。日本と全く変わらないこの弁当を食べるのは、けっこう楽しみだ。
 午後には授業参観や職員会議があった。意見が今までにないくらいたくさん出た。会議が終わってからはいくつも相談をした。正しいことをみつけようとする のではなく視点を変えてみようとするほうが、いい方向に動いていくようだ。悩むことで重力場が変わってくる。人と人との関係が変わってくる。そんなイメー ジが浮かんできた。
 ニューヨークの日本人学校に松井秀喜選手が訪問したというニュースをやっている。日本を離れて暮らす人たちにとって松井選手のような人の活躍はほんとう に大きな力になっているのだが、静止画像で音声だけの放送ではその力も半減してしまう。こんな酷いことってないと思うがどうだろう。当ホームページで近い うち、静止画像の写真を特集しようと思っている。乞うご期待。

■選挙に行きましょう(2003.11.7 vendredi)
 文楽が世界無形遺産に選ばれたそうだ。太夫の人が喜びの声を語っていた。日本人がみなで喜べたらいいのにそんな感じではない。やってる人だけ大喜びして いる。文楽は日本に残る文化ではあるが、日本人の文化ではないのかな。
 選挙は、もう投票を済ませたのであとは結果を見るだけだ。権利の有る人は必ず行きましょう。行かないで文句も何も言えないのだから。文化も大切だが、そ の国の国民にとっては政治がいちばん大切だ。
 「レバニーズ・グルメ」のベジタリアン・コンボは3種類ある。きょう食べたのは、ごはんにコロッケみたいなのと、パセリ、トマト、タマネギのサラダに酸 味のあるドレッシングだかマヨネーズだかのようなものをつけて食べる。それと、豆とホウレンソウのスープ。レバノンがどんなところかは知らないが、メシに 関してはおもしろそうだ。他国のメシを食う。これも文化交流とよべるだろうか。

■ブロッコリー(2003.11.6 jeudi)
 "ManchuWok"は中華の店である。ここでガーデンコンボという名のベジタリアンコンボを食べた。中華料理とはいえ、僕らの知っている中華料理と はまた別物で、うまいことはうまいがちょっと違うんじゃないだろうかという味だ。塩焼きソバとフライドライスとセロリやらブロッコリーやらの炒め物。どう もブロッコリーばっかり食っているような。明日は金曜日。もう、金曜日である。早過ぎ。

■日々浮沈(2003.11.5 mercredi)
 晩秋の夜、寒風に吹かれながら見る商店の明かりの情緒というのは、日本でもカナダでも同じようだ。それは、見ている人間が同じだからだろうか。それとも そんな趣をこちらの人も感じるのだろうか。それぞれの季節にそれぞれの情趣。季節がいくつもある国だから、共通しているのだろうか。
 イスラエルから来た人の話では、季節は夏しかないのだそうだ。だから一年中水泳ができる。カナダでは夏しか水泳ができなくて残念だと言っていた。僕は冬 も嫌いじゃないが、温泉がないというのはちょっと寂しく感じられる。こういう寒い日に入る温泉はいいもんだ。
 中国から来たマウさんと僕はすっかり落ちこぼれ2人組になってしまった。なにしろ先生の言っていることが何も分からないのだからどうしようもない。それ でも何とか3分の2までこぎつけた。カナダではフランス語は小学4年生から必修科目で、息子が習っているからというのがマウさんの動機だそうだ。帰り道は 乗り換えるのが嫌いだという理由で、地下鉄の最長距離を遠回りしてしまう。車内での話が少しずつ少しずつ通じ合えるようになってきた。だけどおかげで帰り は遅く、水曜の夜はいつもアパートに一番近いところにあるウェンディーズのハンバーガーになってしまう。きのうのベジタリアンが聞いて呆れるわ。そして、 いっしょに買ったサラダの半分は明日の弁当のおかずとなる。
 来週はレッスンがなくて、そのかわり夜7時にフランス料理店に集合ということになった。20ドルは持ってこいということだ。なんとも楽しい教室。だけど フランス語以外は一言も使ってはいけないという約束で。それだと僕らは現時点では水とコーラしか頼めないことになる。それともシルヴプレばっかり言ってれ ばなんとかなるかな。
 きょうは仕事で遅くなってしまったので、最後まで行くことをためらったのだ。疲れて眠くて仕方がなかった。直前までさぼろうと思っていたのだが、意を決 して行ったらやっぱりよかったや。

■誘眠剤(2003.11.4 mardi)
 きょうは一日寒かった。風向きの関係か、僕の席の後ろの窓の隙間から冷たい風が吹き込んできて、ときどきくしゃみが出た。ラップトップなんだから、場所 を変えたらどうですかと言われた。もっともだと思ったが、それでも自分の場所を変えるのはためらわれた。葉っぱがばらばらと落ちて、木々が小さくほねほね になってきた。そこをリスがちょろちょろ動いているのが見えた。
 チャイナタウンのフードコートで夕食。おこげのご飯の上に、ブロッコリーと茄子と椎茸とチンゲンサイと肉団子。椎茸の煮付けがとてもうまかった。どうし ようもなく野菜がうまい。野菜だけでよかった。人間、ベジタリアンのほうがいいと思う。少しずつ身体をそっちに切り替えていこう。もっともっと穏やかに なっていって、最後には何もなくなってしまう。
 窓の外は霧で真っ白。橋本一子の「アンダー・ウォーター」を聴きながら、秋の夜が薄れていく。目薬を差して透明人間になるように、音楽を聴いて霧に溶け ていく。すれ違ってばかりの夜だった。たくさんの人たちと出会ったが、その人たちとは皆行き違いになった。まるでこれまでの人生を凝縮しているような夜 だった。いつでも離れていったのは自分だった。新しい場所に来たと思っていたが、ここもまた去って行く場所の一つでしかないのだ。

■文化の日(2003.11.3 lundi)
 きょうも一日雨だった。一日中部屋にいて、文化的活動にいそしんだ。というわけでもないが、ホームページのことをまとめようと思ってパソコンに向き合っ てばかりいた。少しは本でも読めばよかったが、休日になると読書欲も失せてしまう。きのうからやはり胃の調子もいまひとつで、2時くらいまでは何も食べな かった。久しぶりにかの香織の「裸であいましょう」を聴いたらとてもよかった。REMは残念ながら心には食い込むものがなかった。
 昼は缶詰のスープを温めて、それとトーストを食べた。夜になって、隣の駅のフードコートまで行って夕飯を食べた。テリヤキの店だ。その名も"MADE IN JAPAN TERIYAKI EXPERIENCE" ベジタリアンのメニューは、白飯の上半分にモヤシとタマネギとブロッコリーを鉄板で焼いたものがのっかり、もう半分には豆腐を焼 いたものがのっかる。そして、テリヤキソースというちょっと甘めのソースをかけて出来上がり。以前にも書いたけれど、こんな料理は日本では見たことがな い。最初は違和感もあったのだが、そういうものだと思って食べれば味は悪くない。ほかの店の料理と比べて油っこくもなく、かなりヘルシーな感じで、どの フードコートでもこのテリヤキ屋は人気がある。
 サイトマップを整理してみたら、気持ちも整理できたような感じがした。何を表現したいのかは未だによくわからないのだが、結局のところ、自分にはこれし か残すものはないのだと思った。いつでも進行形でありさえすれば、いつどうなったって安心だ。きのうのようにいきなりわけのわからない痛みに襲われたりす ると、もう若くはないことが身に滲みて感じられてしまう。

■選挙に行ってきた(2003.11.2 dimanche)
 きょうも一日雨だった。朝はホームページをいろいろといじって、少し変えてみた。サイトマップもあったほうが親切だと思うが、バランスというのが難し い。まあ気にいらなかったらまた作り直すことにしよう。
 生まれて初めて茶会というものに行ってきた。裏千家の支部がトロントにもあって、日本人や日本以外の人たちが活動しているのだった。会場のホテルの広間 は二つに仕切られていて、片方には畳があって、もう片方はイスだった。ちょうどイスの方が始まるところだった。着物を着た白人の女性が英語でなにやら説明 をした。しばらくするとお菓子が出てきて、それを食べたあたりでお茶が出てきた。来ている人たちは日本人のおば様方が多かったが、それ以外の人たちもけっ こう来ていた。久しぶりで抹茶を飲んだ。隣のおば様に「落ち着きましたわね」と話しかけられた。15分程度のものだったが、ちょっとおもしろかった。ここ でお茶をやっている日系人にはカナダに来てから習い始めた人も多いそうだ。本国に比べれば細々としたものだろうが、こんな形でやっている人たちを前にした ら、海外の方がかえって日本文化のエッセンスが凝縮されて残されるということもあるかもしれないと思った。
 一旦部屋に戻って昼過ぎ、衆議院選挙の投票に行ってきた。総領事館の入っているロイヤル・トラスト・タワーまでは、地下鉄のキング駅で降りて、地下街を そのまま西へ進んで10分ほど。日曜日の地下街では店は一軒も開いていなかった。雨を避けて歩く人たちもそれほど多くなくてがらんとしている。暖房が効い ていて外と同じ格好では汗が出るほど暑い。ビルの真下あたりの壁に、日本語の案内の小さな紙切れが何か所か貼ってあった。33階の総領事館の一室には、2 名の係と立会人1名の3名の職員が座っていた。僕が来た時には先に1名、投票している人がいた。投票用紙を小さな封筒に入れて封をし、それをまた大きな封 筒に入れて封をして提出した。係の方がそれを丹念にチェックして立会人に渡すと、立会人はそれにサインをしてまた係に戻した。係はさらに大きな封筒に入れ て、また封をした。在外選挙の投票率は4パーセントほどだという。日本を離れて海外に根を下ろして生活している人にとってはどうでもいいことなのかもしれ ない。日本国籍を持っており、投票の権利があるとしても、投票しないのは普通の感覚だとも思った。駐在員だけの投票率はどうなのだろうと疑問に思った。 100パーセントではないのだろうか。まさかな。
 帰りにどこかで昼飯を食べようと思い、イートンセンターの地下のフードコートに入った。ジャマイカの店が気になって見てみると、赤飯みたいなのが売って いた。カレーライスを注文すると、その赤飯にカレーをかけたものと、コールスローサラダが皿に盛られた。赤飯を食べてみたら、日本の赤飯とほとんど同じ味 がした。やや塩味が強くて、ちょっとだしが効いているような感じだった。カレーも普通のチキンカレーだった。かなり辛かったがうまかったので、そのときは 満足した。HMVでREMのベスト盤とスティングのDVDを買って帰った。
 部屋に戻った頃から胃の上のあたりがすごく痛みだし、苦しくてしばらくベッドでもがいた。動脈瘤が破裂でもしたのかと思った。何年か前に同じようなこと があったのを思い出した。ぬるい中国茶を飲んだら少し楽になったのだが、どうもこりゃだめだと思ってそのまま2時間くらい眠ってしまった。目覚めるとやっ ぱりちょっと胃が痛い。カレーの刺激が強過ぎたためではないかと勝手に判断した。
 先週のキル・ビルからタランティーノが引っかかって、夜はまた映画を観ようかと思っていた。だけど、胃痛のため映画館に行くのは断念した。テレビで武蔵 を観てから、パルプ・フィクションをパソコンで観た。来る直前に日本で買って持ってきていたのを思い出したのだ。予想以上にまともな映画だと思った。

■選挙に行こう(2003.11.1 samedi)
 おとといトロントでオーロラが観測されたらしい。今週は、その日晴れただけであとは曇りかしとしと雨で空は見えなかった。目の前、窓の外には空が開けて いる。チャンスがあれば見てみたいものだ。
 明日は在外選挙の投票日の締め切り。せっかくの権利を行使しない手はない。皆さん選挙に行きましょう。こちらでもトロント市長の選挙運動が行われてい る。交差点でおじさんたちが、候補者の名前だけ書かれたポスターを持って、往来の人や車に手を振っている。ところがその人たちにやる気が全然感じられない ところがおもしろい。