2003年10月
■週日4(2003.10.31 vendredi)
 きょうはハロウィン。ふだんとは違って、朝の登校風景からおもしろかった。多くの子どもたちが思い思いに仮装して来る。魔女、騎士、牛、スパイダーマン、ハリーポッターなど、ほんとにそれぞれ違う格好で来る。仮装しなくても、カボチャのオレンジ色の服を着たり、緑色の服を着たりしている子も多い。中には親子で同じような格好をしているものもいる。ピンクのかつらをかぶった子、顔を白塗りにした子もいる。ふと先生の顔を見たら、ネコの顔のメイクをしていて、ひげまでつけていて驚いた。教室ではファッションショーでもやっているらしく、音楽ががんがん聞こえてくるし、どんどん地響きがしてきた。同じように音楽をかけていた教室が多かったのだろう。一瞬室内の電気が全部切れて、作りかけのメールの文書がぱーになった。
 帰りは5時半頃だったが、外はすっかり暗くなっていた。きょうは気温が上がり、夜でも半そででいいくらいだった。ストリートカーが来ないので駅まで歩くことにした。住宅街は日に日にお化け屋敷様の家が増えて、くり抜いたカボチャの中にろうそくを灯し、軒にガイコツをぶら下げ、玄関中にくもの巣を模した綿を張りめぐらし、子どもたちの訪問を待ち構えているかのようだ。モチーフは同じだが、どの家もそれぞれ趣向を凝らし、どれ一つ同じ飾り付けはない。そして、カボチャの顔も、ガイコツもぜんぜん怖くなくて、どの顔を見ても愛嬌があって、こちらも自然と笑いがこみあげてきてしまう。大人も子どももいっしょになって楽しんでいるようだ。ハロウィンのことはほとんど知識も興味もなくたいした祭りではないと思っていたが、どうしてどうしてけして侮れるものではない。
 だが話を聞くと、ティーンエイジャーの訪問というのが話題になっていて、知らない家に押しかけて行ってはお菓子をもらっていくというのが、いいか悪いかという議論をニュースで取り上げていたのを見た。それに、もらって来たお菓子が安全かどうか親がひとつひとつチェックしなければならないということも聞いた。日本ではこの頃、通り魔とか誘拐未遂の事件が頻発しているが、カナダでもそういう事件はずいぶん起こっているらしい。行方不明になった子どもの数は異常だ。テレビ番組やら公共の広告スペースやらに出ている尋ね人の数の多さ。先日は、一階の自分の部屋で寝ていた9歳の女の子が、朝起きたらいなくなっていたというニュースが大きく報道され、今も毎日取り上げられている。窓が破られ、明らかに何者かの誘拐だということだ。カナダの情報というと、素敵なことばかりが伝えられがちかもしれないが、ここでも陰の部分は大きく存在している。
 きょうで10月も終わりなので、仕事に関する記録は最後である。とてもほっとしている。一回やってみればもう十分という感じだ。読んだ人には、僕がどんな仕事をしているのかは伝わっただろうか。あまり伝わってはいないだろう。なぜならほんとうに伝えたいことは何一つ書かなかったのだから。事実が現実と乖離するということがあるのだと実感する。ただ、こういうふうに仕事を記述してみるとおもしろい発見もある。誇り、満足、悔しさ、不満。日々いろいろ感じてはいるが、自分の仕事はそれ以上でもそれ以下でもない。一人でできるものでもないし、かといって複数でやればうまくいくといえるものでもない。とにかく、自分のしたいことを思ったようにするというのは難しいことなのだ。もしかしたら自分のしたくないことや本意でないことこそが、自分のしたいことができるようになることに直接関わっているのかもしれない。などと書きながら、きょうの記録を簡単にまとめておく。
 朝、メールを2件。校報作り。明日の放課後の会議の資料作り。午後は、資料作りと、電話で連絡やら相談やらが3件。2週間後の学校訪問についてメールで問い合わせ。運営委員からの緊急の問い合わせに回答を書いている時に電気が切れてやりなおし。印刷物をやっとそろえて、それから明日の自分の提案授業の準備と会議の提案事項の整理を途中までやって帰宅。いま夜の9時。この日記自体も逃避行動の一つか。ちょっと焦ってきた。

■週日3(2003.10.30 jeudi)
 アマゾンからの箱が届いた。手数料はかかるが、これもいたしかたない。注文して1週間もしないうちに届くんだからありがたい。ロビーに、生まれたばかりの赤ちゃんを抱いた母親と父親がいた。荷物に書いてある"co.jp"という文字を見て、父親が"Japan?"と聞いた。「そうです。日本の本が読みたくてね。」というと、"Enjoy!!"という言葉が返って来た。読まなきゃならない本は部屋にたくさんあるのだが、便利さからついついたくさん注文してしまう。今回は、辞書もいくつか買った。これから荷を解くところ。なんかとても楽しみだ。
 週報、研究だより完成。午後の運営委員会のための資料をそろえる。学校に来た先生と打ち合わせ。昼食は、運営委員の方々と。その後始まった会議は4時間続いた。その後は校長と打ち合わせ。文書作り等。残りは明日にかける。

■週日2(2003.10.29 mercredi)
 午前中、企画委員会。午後、校長との話し合い2時間。その後は、文書作り。いろいろと頭の痛くなる長い一日だった。何事も思ったようにはならない。思ったようにはならないところで、思いを果たしていかなければならない。じゃいったいその思いって何。

■週日1(2003.10.28 mardi)
 校庭で遊んでいる子どもたち、廊下で話している子どもたち。子どもたちを見ていると、日本と変わりないなあと思う。言葉とか国の違いとかなんてあとからできることで、子どもどうしは言葉が違っても国が違ってもきっとなかよくできることだろう。やはり大人になればなるほど失われていくものがあるのだと感じる。どうしてこんなに素敵な笑顔なんだろう。この笑顔を守る営みが教育ということではないだろうか。
 日の出は1時間早くなったので、朝も少しは明るくなった。だがこれももう少しすると7時じゃ真っ暗という状態になるだろう。そして、夕方はどうかというと、当然日の入りが1時間早くなったわけで、5時ともなるとほとんど薄暮も通り越して寂しいものだ。一気に秋が深まった感じがする。
 小雨の校庭はいい匂いがする。落ち葉の匂いなのか、草の匂いなのか、春先の青臭さとは違って、もっとほのかなシャボンのような匂いがする。水の匂いがする。校庭だけではなくて、夜の幹線道路にもそういう匂いがしていた。何の匂いなんだろう。文化祭の準備で遅くまで学校に残って騒いだときのようなときめきの匂いがする。やっぱり季節の匂いなんだろうか。素敵に感じられはしても、もうけしてたぐり寄せることのできない切ない空気が漂っている。
 7時40分出勤。メールの処理。校長、事務職との打ち合わせ。明日の企画委員会の資料作り。今週の代行の手配。週報、研究だより、校報の原稿作り。研究授業の指導案検討。メールの送信が5件。準備に来ていた先生と授業についての相談等。

■休日2(2003.10.27 lundi)
 きょうも雨だった。今週はずっと雨の予報が出ている。2日間近所を歩いただけだった。
 毎日何か書いたことが、あとで記念になるだろう。カナダで暮らすのも人生何十年かのうちの少しの間。自分にとってのアルバムということで続けるのもいい。トロント生活で利用しているウェブサイトや、観てきた映画や気に入った店などのリンク集を作れば、それもいいアルバムになると考えてちょっと作ってみた。インターネットも生き物だから、何年かたったらリンク切ればかりになりそうだが、そのときはそのとき考えよう。トロントやカナダに興味をもっている人にとっても少しは参考になるかもしれない。日本に帰ってから見たら、きっと懐かしく感じるだろう。
 仕事の記録もあと少しで終わる。読む人にとってはかなりつまらないだろうし、もう参考になることもないだろうが、これは約束なのでもう少し続けることにする。今月の日記の仕事の部分は、教育関係の他の掲示板に参考のために投稿しているのだが、たいして反応もない。人のために書こうとするのは無理がある。
 だが、1か月も日常を記録し続けるだけでいろいろなことがわかってくる。ルーティンワークの中にいるとき、自分には見えなくなっていることが必ずある。無意識のうちにあるものを見なくなっている自分。そんなものに少しでも気がつければ、人がどう思おうと日記の成果はあったということになるだろう。

■休日1(2003.10.26 dimanche)
 きょうから冬時間になった。人づてに聞いてはいたが、テレビでは「明日から冬時間です」などということはことさら告知はなかった、というかあったかもしれなかったけど聞かなかった。腕時計や目覚まし時計を1時間遅らせればそれで終わり。違っているのは日の出と日の入りの時刻だけである。この冬時間、来年の4月まで続く。日本との差は14時間となり、日本が正午のとき東部時間では前日の午後10時である。
 きょうは、午後までゆっくり過ごした。ゆうべ皆で踊ったことは夢のようだ。交流できたのはとてもいいことだが、明日からの生活でそれをどう生かしていくか、発展させていくか。テレビでは独眼竜政宗とサンデースポーツ。松井の活躍は文句なしであっぱれだった。ここまでの活躍を誰が予想したろうか。本人だってビックリに違いない。過去のことはわからない。やってみなけりゃわからないことばかり。テレビを見たり、ラジオを聞いたり、すべて英語の勉強。クリアに聞こえはしても、語彙がないので意味がわからない。そこが今の課題。
 部屋から一歩も出ることなく夜を迎えた。当然のことだが、日の入りは1時間早くなったので、5時過ぎには薄暗くなってきた。北国の冬は夜が長いのだな。このままだとただの低調な日曜日になってしまう。そこでキル・ビルを観てきた。おもしろいといえばおもしろい。ギャグセンス満載といえばいいだろうか。2時間があっという間に過ぎた。ほとんど全編ニッポン。ニッポン編がボリューム1ということだったのか。西洋人もけっこう笑うくらい、どうもへんてこでふざけたニッポンではあったけれど、先週のロストイントランスレーションと同様に、西洋人の目を通したニッポンの姿が描かれていることには変わりないだろう。ロストイントランスレーションのニッポンと、キル・ビルのニッポンはまったく違うようだが、共通点もあるような気がする。江國香織のインタビューの中で、ニッポンの「チャイルディッシュな状況」というような話が出ていたことを思い出した。チャイルディッシュということは、子どもじみたとか幼稚なということだ。作品が必ずしも真実を描いていないとしても、西洋人がニッポンのチャイルディッシュな側面をとらえているということはあるかもしれない。ビデオゲームにしてもアニメーションにしても上辺だけ見れば子どもじみたものに見えるというのはわかる。ただ、チャイルディッシュなニッポンというだけでは彼等には納得できないこともある。例えば武士道。サムライの世界はやっぱりわからない。それに、日本人は礼儀正しく勤勉だといって敬意をもつ人も多いが、それがどこからくるのかわからない。ニッポンって不思議な国だと思っている西洋人は多いはずだ。映画でニッポンが取り上げられるということはそれだけ関心が高まっているということだろうし、もっとわかりたいという欲求の表れともいえる。これらを観て多くの日本人が、「これは日本人の一面しか表現されていない」とか、「ほんとうの日本はこんなんじゃない」と感じるだろう。だが、表現されていない部分はいったいなんなのか、ほんとうの日本はどうなのか。どれほどの日本人が説明できるというのか。僕は正直にいって、説明することはできない。離れてみると、やっぱり日本のとても不思議なところばかりが見えてくる。
 千葉真一扮する刀鍛冶が、「この刀はたとえ神でも切れる」ということを言ったところで少し笑いがあった。西洋と日本の違いで大きいのは、神の存在の仕方なのではないかと思う。かたや一神教、かたやアニミズム。ただ、西洋の神は今でも人々の心に深く入り込んだ大きなものであるのに対して、日本の神は今どんどん消えつつあるというふうに感じられる。でもそれは見方によっては西洋より先に進んだ未来形ともいえるし、新しい時代の黎明期といえなくもない。日本人がこれから頼りにするのはいったいなんだろう。西洋と日本という分け方もずいぶん大ざっぱだが、こうやっていろいろと比較をしていくのは有効な方法の一つだ。などと、異国の地であれこれ考えるのは楽しい。12月のラストサムライも楽しみである。おもしろい状況がまだまだ続く。

■週日5(2003.10.25 samedi)
 7時30分出勤。 メールの処理、先生方への連絡や確認、校舎回り、日程の確認など。職員打ち合わせ。1校時、2校時は学校紹介ビデオの撮影で各教室、校舎、校庭を回る。3校時から6校時までは研究授業。中1数学、小5国語、小4算数、小1国語。昼休みは体育館の見回り。6校時の後は校舎の点検とバスの見送り。きょうの放課後は全体の会議はないが、理科部会が自主的に研究会をした。5時5分最終退勤。その後場所を移して現地校との交流会。6時から9時まで。言葉での交流に大いに挑戦した。それに、日本の盆踊りと、現地のリズミカルな踊りに場内がとても盛り上がった。汗かいて思いきり踊った。ものすごい異文化交流になった。素晴らしいハレの日であった。

■週日4(2003.10.24 vendredi)
 ハロウィンが近くなってきて、八百屋の店先にでかいカボチャが売られていると思ったら、それを玄関先に置いておくというならわしらしい。そのままごろんと置いている家もあれば、ちゃんとくり抜いてオバケにして飾っている家もある。このカボチャがある家は、子どもたちが変装して「トリックオアトリート」と言って訪ねた時にはちゃんとお菓子をあげるよという意思表示らしい。中には、お化け屋敷のような外観になっている家まであって、なんとも楽しい気持ちになった。来週は現地校の203教室もお化け屋敷になるらしい。校舎内にペタペタとチラシが貼ってあった。チラシには、「ポップ(炭酸飲料)は1本50セントだよ」なんていうことも書いてあった。小学校である。
 秋田のナマハゲや岩手のナモミやスネカは、大人が子どもを驚かしては酒や団子をもらっていくという行事だが、ハロウィンとは正反対のような感じだ。どちらも子どもを大切に思う気持ちが表れているのだが、文化が異なると表現もこれだけ異なってくる。
 夜明けはさらに遅くなって、家を出る7時はまだ真っ暗である。日の出は7時50分頃だろうか。今朝は1度の予報だったが、見事に晴れ上がった。風がなかったためにそれほど寒いとは思わなかったが、街にはいかにも寒そうに、完全防備で歩いている人もいる。帰りはなかなかストリートカーが来なかったので、途中まで歩いた。八百屋にはカボチャの他に柿も出ているのを見つけた。僕は柿が好物なので、カナダにも柿があるのかとうれしくなって、2個で1ドルのものを4個買った。それにしても、八百屋の佇まいは日本もカナダもほとんど変わりない。レジの後ろにはタバコが置いてあって、奥の棚には缶詰があって、雑貨があって、懐かしいなんて思うことがないほど、同じような感じなのだ。地下鉄を一つ手前で降りて、フードコートで夕食を食べた。火曜から木曜までは帰りが遅くなって、ここのフードコートを使うのは金曜くらいになった。7時前に行くと結構こんでいて、家族連れがハンバーガーを食べている光景もよく目にする。このところ、金曜の夜にはグリークの店を使うことが多い。スブラキという肉の串焼きは、豚肉も牛肉も鶏肉もあって、好きなものを選べる。きょう食べたのは、ポークスブラキのプレート。スチロールの皿に載るのは、ほとんど炒飯のようなもの(フライドライス)。ジャガイモを蒸かした?ものがごろんと2個くらい。こちらに来て思うのは、ジャガイモがうまいということだ。今まではもさもさしてどうもなと思うことが多かったが、こちらではいわゆるほくほくとした食感で、のどに支える感じはしない。ご飯の上に、串から外した肉。トマトとレタス、タマネギのサラダ。で、全体にガーリックソースと、粉チーズと、ヨーグルトのドレッシングをかけてくれる。はじめの頃は、「ガーリックソース?」とか「ヨーグルトソース?」とか訊いてきたが、最近では何も言わなくてもどちらもたっぷりかけてくれる。りんごジュースも買ってちょうど7ドル。フードコートの食事としては平均的な値段だと思う。どうして金曜はグリークかというと、明日の授業日を前にしてのニンニクパワーがなんとなくいいのだ。元気に週末を乗り切れそうな気分になる。
 飯を食って、地下のスーパーを見たらここにも柿が出ていて、3個で99セントだった。中国系のパン屋で、明日の朝と昼の食事用に、エッグタルトとカレーパン、クロワッサンにゴマの団子を買った。パンを買うなら中国系のパン屋でと、誰もが口を揃えて言う。確かに食べてみると日本のパン屋の味と、同じではないがほとんど変わりない。韓国系や日系のパン屋もあってやはり味は近いらしいが、まだ行ったことはない。
 と、久しぶりに平日に仕事以外のことから書き出した。今月は仕事の記録をとっているわけだが、正直いってつまらない。もちろん仕事がつまらないというわけではなくて、仕事に限定して生活を切り取るということがつまらないのだ。1日の約半分は仕事のために費やしているとはいえ、人生の半分が仕事というわけではない。自分の人生における仕事の比重なんて10パーセントもない。などと書くとまた反感を買いそうだが、実感としてはそんなものだ。もちろんいいかげんな気持ちで仕事をしているわけではないし、いつでも今出せる最高の力を出してやっている、つもりである。空回りをするときもあるし、調子のいいときもある。忙しいときもあるし、余裕のときもある。それは自分の中での現実であり、人と比べてどうだと云えるものではないと思う。理想は自分にしかできない仕事をするということである。それに近づければ、素晴らしいことだ。
 おまけみたいになるけれど、仕事のことも書いておく。
 7時55分出勤。メールの処理。明日の授業者の先生に急いでメール。週報と研究だよりの原稿の仕上げ。メール1件。電話が2件。昼食後、明日の授業者の先生と相談。その後は提出しなければならない資料づくりに集中してほぼ完成。メール1件。6時前に終了。

■週日3(2003.10.23 jeudi)
 7時45分出勤。メールの処理。校長への報告と打ち合わせ。急きょ帰国しなければならなくなった先生の代行確保のため電話やメールで対応。今週の授業案についてメール。校長の持ち帰った資料のコピー。書類の手直し。昼食。週報と研究だよりは遅々として進まず。電話で授業日の日程の打ち合わせ。会議への参加他。どうも仕事に身が入らず、明日に先延ばしにしてしまったことが多かった。
 江國香織の「きらきらひかる」が英語に翻訳されて、カナダでも出版された。英語の題名は"Twinkle Twinkle"。トロントではきのうからIFOA(International Festival of Authors)という世界の作家たちのイベントが行われている。今夜は江國香織のインタビューがあるというので、ハーバーフロントセンターまで聴きに行った。こぢんまりとしたステージで、聴衆は全部で50人から60人といったところか。座席の3分の1くらいが埋まる程度。ざっと日本人が7割、それ以外が3割という感じだった。インタビュアーは、地元の作家でルイ・ウメザワというバイリンガルの日系人だった。江國自身アメリカに留学していたそうで、普通に英語を話していたが、インタビューは日本語でその後にウメザワが英訳するという形だった。彼女の小説はいくつか読んで気に入っていたので興味深かった。特に「こうばしい日々」と「つめたいよるに」は、朝読書で2度3度と読み返すほど好感をもっていた。それだけに、こういう機会を逃す手はないと思った。話は当然「きらきらひかる」の内容に関連した話が多かった。カナダで同性の結婚が認められたということもあり、ゲイの出てくる小説としての取り上げられ方が多かったようだが、江國自身の思いは全然別のところにあるのだということが伝わってきた。かなり微妙なニュアンスのことを伝えようとしていたのはわかったが、それがうまく表現できずもどかしく感じているように思われた。だからこそこの人の言いたいことは物語になるのだろうとそんなことを考えた。自分が独りであって他と切り離されているという意識が創作の出発点であるということを話していた。だが、それは取り立てて言うことでもなんでもないことだと思った。ウメザワは、江國が長風呂が好きだというエピソードを紹介して丁寧に英訳をしていたが、それはどうでもいいことのように思われた。最後に質問コーナーがあった。何人かの日本人が日本語で質問し、何人かの西洋人が英語で質問した。自分も何か質問しようしようと思ったが、できなかった。西洋人の質問は、今の日本の現状はどうなのか知りたいというような内容だった。日本の文学にというより、日本の姿そのものに興味があるのだなという感じを受けた。先日の映画の人気とも、なるほど重なるかもしれない。インタビューは1時間足らずで終わり、その後はサイン会となった。本も買わずサインももらわずにその場を後にした。サイン会の後は、本の朗読のステージがあるようだったが、そちらのチケットまでは買わなかった。江國は一挙手一投足ソフィスティケイトされていて、やはりああいう人は輝いているなあと思った。聴衆の日本人女性たちもなんとなくハイソな雰囲気を醸し出していた。皆頭がよさそうに見えた。

■週日2(2003.10.22 mercredi)
 7時40分出勤。メールの処理。先週の研究授業の感想文作成。今週の研究授業について電話相談して、その先生宛にファクス送信。保護者に電話連絡。今週の授業者との電話相談。来校した先生と生徒の活動について相談。昼食。保護者に電話連絡。週報、研究だよりの原稿づくりに着手。メール送信2件。「『ウサマ・ビン・ラーディンによると見られる声明』について」という外務省発の文書が総領事館経由のファクスで送られてきた。来週の授業案の検討。1人の先生が通知表を持参して提出。受け取って、はんこつき。11月に、学校訪問で行う授業の教材研究を少し。ファクスの送信2件。校長への伝達事項の整理。教務主任に電話をして明日の確認。

■週日1(2003.10.21 mardi)
 
7時40分出勤。メール関係の処理が30分。今週の仕事リストを書き出す。校長は明日まで出張。資料をいくつかコピーして、机上に置いておく。イスを机からおろす。事務職と簡単に日程の確認。子どもたちの忘れ物がいくつか届いていること、コンピュータのこと、この週末にあった子どもの誘拐事件のことなどあれこれ話す。メールは返信を1件、教務主任への連絡1件。土曜日に相談を受けていた、算数の問題についてインターネットで調べる。来月の行事についての領事館から問い合わせの電話に応答。授業についての相談の電話1件。土曜日の学部会の報告、先生方の書いた学級通信や学年通信に目を通す。今週の研究授業の授業案についてメール文書作成、送信。昼食。午後は先日の研究授業の感想を2件作成して最後に送信。その間に現地校の先生2名が部屋に来た。今週末には現地校の先生方との交流会が行われるのだが、その申し込みだった。一言二言だったが現地語で対応。何とか通じてほっとした。

■休日2(2003.10.20 lundi)
 朝起きてから久しぶりに近くをジョギングした。日の出前の空気は冷たく、外を走るにはちょうどいい季節になってきた。久しぶりに気持ちよく汗をかいた。食事を作って、朝と昼の2回に分けて食べた。
 ロスト・イン・トランスレーションを観てきた。言葉にならないほど胸を打たれて、帰ってきてからもぼーっとしていた。ありのままの日本があった。西洋人から見た日本が描かれているとある人が言っていたのだが、そこにある日本の姿に僕は違和感をまったく感じなかった。半分くらいは日本語だったのでたすかった。だが、日本語の部分に訳がついていなかったのが気になった。日本語が分からない人にとっては、半分くらいは理解できないのではないだろうか。
 はっぴいえんどの「風をあつめて」が挿入歌になっていた。とても清々しい、ハッピーエンドだった。東京の街の描写がたくさん出てきた。どういうわけかなんともいえぬあたたかい気持ちになった。見終わって外に出たら、そこは日本ではなくカナダだった。目の前には外国人たちの街が広がっていた。孤独というのは状況ではなく、生き方の一つのかたちだった。あるいは、孤独というのは生き方ではなく、ある一つの状況に過ぎなかった。どちらがどうなのかはわからない。どうともとれるが、どれでもない。自分も50を過ぎてあんなおじさんになれたら素敵だろうな。間違いなく一生の記念になると思った。もうあっという間。超加速度的にそのときは眼前に迫っている。

■休日1(2003.10.19 dimanche)
 昨夜はやはり野球の途中、松井のヒット3本目あたりで我慢できずに寝てしまった。そして今夜は第2戦。さっき松井は3ランホームランを打ったところ。やはり大物だ。テレビでは攻守交代の合間に松井人気を短くまとめたビデオが流された。飛行機の側面に松井のでかい顔がついている絵は珍奇だった。今夜はニューヨークもかなり寒そうだ。
 午後地下鉄でエグリントンの繁華街へ行った。通りをぶらつきながら隣の駅まで歩いた。寒くて空気が白っぽくなったような感じだった。当たり前の話だが、本屋には洋書ばかりが並んでいる。読めないので行ってもあまり意味はないようだが、それでも本の装丁や質感などはなかなかおもしろい。僕は正直なところ、本の内容よりも装丁の方に強く興味をそそられる。こちらの本は大きさが本によってまちまちで棚に収めるのがたいへんそうだが、その分一冊一冊がそれぞれ個性的な表情をもっている。ああいうきれいな本たちを手に取って眺めていると楽しい。ぜひとも死ぬまでに一冊は、ああいうきれいな本を出版したいものだ。ところで、日本の文庫本というのはたいへんコンパクトで機能的な形をしている。電車の中でペーパーバックやハードカバーを読んでいる人もたくさんいるが、どれも大きくてかさばりそうな感じだ。そこでさりげなく鞄から取り出して読むそのときはちょっと日本人であることを誇れる瞬間だ。きっと文庫本ほど読むのに適した本は世界にないのではないだろうか。
 映画を見ようと思ったら、すごい列ができているのでやめた。興味があるのはキル・ビルとロスト・イン・トランスレーション。どちらも日本絡みである。キル・ビルのカタカナのポスターは非常にエキゾチックである。日本に興味をもっている外国人は意外と多くて、先日は南米から来たクラスメイトから、○○という日本の有名人を知っているかと聞かれたが知らなかった。もう一人のクラスメイトは台湾から来た人で、電車で偶然いっしょになったときにはウォークマンでキンキキッズを聴いていた。ひらがなの五十音図をいつも持ち歩いているという。
 実は最近日本のことを夢に見ることも多い。仕事上の嫌だったことが出てくることが多い。初任の学校のこととかも出てきたりする。この間は、一時帰国をしていろんなモノを買いあさっていた夢だった。でも日本には帰りたくない。日本は日本で居心地のいい国だ。モノもきっとカナダよりたくさんある。サービスもだんぜん行き届いている。そばもあるし団子もある、しかもうまい。それから温泉もある。その点ですばらしい国だといえよう。それに対して、カナダの方が日本より優れている点はどこかと訊かれれば、雄大な自然。多様な文化。そして、一人で飯が食いやすいところと答えよう。人が何を食おうが何を着ようがどこへ行こうが何をしようが誰も構わない。何にもしばられていない。こういう居心地のよさは日本ではけして感じることのできないものだ。

■週日5(2003.10.18 samedi)
 7時30分出勤。メールの処理、先生方への連絡や確認、校舎周り、日程の確認など。職員打ち合わせ。1校時、中1数学授業参観。2校時校長と指導案検討。3校時小2算数研究授業。4校時小4算数研究授業。昼休みは来週研究授業のある先生と打ち合わせ。その後体育館の見回り。5校時小6理科研究授業。6校時研究授業について校長との話し合いを途中まで。ここで校長は出張に出発。校舎周りの点検とスクールバスの見送り。きょう転入した3年生の子が、どうやって帰ったらいいのかわからないと言って玄関でぽつんとしている。携帯で事務と連絡を取ってしばらくすると、その子の母親が職員室に来たことを聞きほっとする。放課後は学部会で先生方はそれぞれ会議。自分は席で子どもたちの作文を読みながら待機。やがて、教科部会に参加の要請があり5時まで参加。その後は、先生方からの相談、連絡、提出等が何件か。5時半にイスを机に上げて退勤。
 持って行ったバナナは食べずしまい。気がつくと朝から何も食べてない。帰りに、ビールを買って帰る。2か月ぶりのビルはうまくもなんともなかった。これからワールドシリーズ第1戦。途中で眠ってしまいそうだ。

■週日4(2003.10.17 vendredi)
 7時45分出勤。メールは4件。明日の学習指導案3件と来週の指導案1件のコピー、授業者への指導経過をつけて校長へ。9時5分前になると、毎朝現地校の校内放送が流れる。国歌のテープのあとで、子どもたちのアナウンスできょうの予定や誕生日の人の名前を紹介して、先生からの連絡がある。週報と研究だよりを仕上げて校長へ。学習指導案の印刷を事務に依頼。自分が授業者へ指導した内容について、校長の指導を受け、今後の動きを確認。3名の先生方に相談・連絡の電話を入れるが皆不在。1名は留守番電話にメッセージを残す。ほか2件は明日の放課後でもOKと判断。明日の授業者の先生や理科の先生が来て授業の準備をしていた。一人の先生と進め方の相談。
 午後は、昨日の文書づくりの続き。その途中で、運営委員から昨年度の文書についての問い合わせがあり、ファイルを引っくり返して探す。古いメールの記録などを探してようやく見つける。そのあとは、文書づくりと明日の確認など。と、そんなこんなできょうは終了、明日の授業日を迎える。 

■週日3(2003.10.16 jeudi)
 7時35分出勤。メールのプリントアウトとウインドウズのアップデートにずいぶん時間がかかる。朝のうちに、きのうの報告書の続きをできるだけ進める。9時50分、教務主任が到着。校長と3名で今週の予定、その他について話し合い。それが11時頃まで。校長は毎週この会議が終わると運営委員の常任理事と話し合い。自分と教務主任は2人で通知表の確認作業を行う。昼休みをはさんでだいたい3時近くまでかかって一応完了。途中、成績について校長を交えて意見交換した。「1」をつけることについて。その後、メールの送信、電話で必要事項の確認等。今週の研究授業の授業者の2人の先生から、最終案がメールで送られてきた。あとは報告書の作成の続きと、校報の手直しをして終わり。
 きょうの授業の終わりに、先生を評価する用紙が配られた。これを書いて提出してから帰るということだったが、かなり詳細な内容の評価をしなければならなかったので、終わったのはいつもよりも遅い時間になった。

■週日2(2003.10.15 mercredi)
 7時45分出勤。来ていたメールは珍しくジャンクメールだけ。指導案検討と、授業者の先生へのメールを午前中2件。来年度必要な教科書の数をまとめて、ファクスを事務に依頼。通知表の点検と文言の添削を2クラス分。きょうは理科の先生が来て、熱心に実験の準備をしていた。午後になって、授業の相談に来た先生と話し合い。届いたメールに返信したり、電話で答えたり。校長に頼まれた文書をそろえて、パソコンとなりの校長室へメールで送信したり。文科省に提出する報告書類づくりに着手。きょうは途中まで。空は晴れているが風が冷たい。木の葉がだいぶ落ちる。坂の上の思いがけない場所から湖が見えた。

■週日1(2003.10.14 mardi)
 ゆうべ8時に寝たため、夜中の1時ころに目覚めた。そしたらなかなか寝付けずに4時ころまで起きていた。またうとうとしているともう起きる時間。出勤は7時50分。休み明けにはメールがたまっていて、その処理で1時間くらいかかる。送られてきた研究授業の指導案2件について、校長との検討が9時45分まで。それから事務職との打ち合わせが15分。そのあと午前中は、メールの送信を3件はさみながら指導案の手直しをするもなかなか進まない。午後も、研究だよりと指導案を行ったり来たりしながら作り上げる。返信できたのは1件だけだった。
 午前中は気持ちよく晴れていたのだが、午後から雨が降り出した。チャイナタウンでフォーと春巻の夕食をとってから学校へ。学食で座りながら30分くらい勉強して授業に臨む。そのせいか練習問題が調子よく解けた。1時間くらいしたところで、突然非常ベルが鳴る。先生が「はやく逃げましょう」というのでみんな荷物を持って、慌てず階段を下りて逃げる。どの教室からも学生たちが出てきて、階段の途中で流れが止まった。下の方から、「教室に戻って」という声が聞こえると、みんなぞろぞろ戻っていく。またしばらくすると上の方から、「逃げて」という声がして、またみんな下へ下りていく。そうこうするうちに消防車のサイレンが近づいてくる。雨の中外に出ると消防車が10台以上来ていて、まばゆい光。しばらくは傘をさして待っていたが、先生は授業の中止を決断。「さっきのプリントは最後まで宿題」ということで、その場で解散した。それが8時。見ると校舎からは煙も上がっていないし、消防車も少しずつ帰り始めた。学生たちはやじ馬になる者もなく、すぐに散り散りになった。中途半端な幕切れに力が抜け可笑しくなったが、だれも笑う人はいなかった。

■休日3(2003.10.13 lundi)
 9時起床。コンピュータをいじっていたが、あまり成果はなかった。セサミストリートを見たら、シェリル・クロウが子どもたちと歌っていた。映画でも観ようかと思って外に出たが、時間が合わなかったのでやめた。とにかく店はほとんど閉まっていた。広場で日光浴をした。1日中なんか眠かった。

■休日2(2003.10.12 dimanche)
  遠出をした。トロントから北に250キロほど、アルゴンキン国立公園の手前にあるドーセットというところまで紅葉を見に行って来た。出発したときの天気は曇りで、途中から小雨が降り出した。葉っぱはもうかなり色がくすんでいて、風が吹くと落ちるような状態だった。来週の日曜だったらすっかり散っているだろう。そこには火の見やぐらが立っていて、そこに登って紅葉やら湖やらを眺めるのが観光コースになっているらしい。だが、このやぐらは高くて、雨も降って滑りやすくて、おまけに下がすっかり透けて見えるので、怖くて上まで登れなかった。東洋人が多く来ていて、大声で騒いでいた。
 そこを早々に引き上げて次に向かった先は、コールドウォーターという町。ここには土曜日だけ来る同僚が住んでいる。彼を訪ねて行ったのだが、そこはほんとうに静かな森の中という感じのところだった。彼はそこにグラフィック関係の小さいけれど自分専用のスタジオをもっていた。いつの間にか雲がなくなり、すっかり秋の青空になった。家のまわりの雑木林をぐるっと、生えている木や草花を観察しながら歩き回った。でかいプードルが楽しそうに駆け回っていた。手製のジャムとクロワッサンをごちそうになったあと、スタジオツアーに連れて行ってもらった。そこの周辺にはたくさんの画家、彫刻家、陶芸家たちがアトリエを構えていて、毎年この時期になると、そのアトリエの公開と作品の展示即売を行うということだった。陶芸のアトリエを2件回って見た。売られている陶器はとても渋い作品が多くて、日本にあるものとかなり似ているように思った。作家の人ともけっこう長い時間、話をすることができた。といっても僕はほとんど聞くだけ、しかも理解度は半分。聞くと志野とか天目とかを取り入れていて、日本やアジアの陶芸には深い関心を寄せているようだった。志野焼を作っている一人の作家は、日本には行ったことがないと言っていたが、日本の有名な陶芸家の名前を知っていた。恥ずかしながら僕は一人として聞いたことがなかった。大きめのコーヒーカップを一つ買った。よく見るとこれは花巻の台焼とそっくりだ。これから気に入った器を少しずつ買い足して、それを持ち帰ってお土産にすればいいと考えた。帰りは地平線に沈む夕日と、地平線から昇ってきた月を見た。

■休日1(2003.10.11 samedi)
 8時に起きると、窓の外は霧に包まれていた。床屋に行くと、待ち時間ゼロだった。イタリア人のおじさんは髪型も顔も勝新太郎そっくり。きょうは途中で、新しいブラシの話をしてくれた。「これは25ドルしたんだ。最高級のブラシだ」と言っていた。そしたら、もう1人のおじさんが、引き出しの中からいろいろなタイプのブラシを取り出して説明してくれた。「このブラシはスケルトン。そして、こっちのはとても小さい。これは20年も使っているよ」そして、勝新のブラシを指して、「そいつはこれから20年使えるな」と言っていた。この2人の会話は英語かと思うと途中からイタリア語になったりする。たまに歌い出したりして、それを聞いているだけでなかなか楽しい。そして、"Hello,my friend""Thank you ,my friend"というふうに言ってくれる。こういう使い方の"friend"という言葉は好きだ。
 床屋の帰りにベーグルサンドとコーヒーを買って、広場のベンチで朝食。霧が晴れて、きれいな青空になった。しばらくぼーっとする。街路樹が黄色く染まっている。何も考えない。ただ、秋のまっただ中。この連休がちょうど、冬との境なのだという。これから4月までの半年、長い冬が続くことになる。部屋に戻ると眠くなり、1時間くらい昼寝した。変な夢を見た。変だけど悪くない夢。この頃はそんな夢を見ることが多くなっている。せっかくの快晴の土曜休み。夕方からダウンタウンへ行って少し散歩する。初めての道路を歩く。まだまだ歩いたことのない道がたくさんある。 

■週日4(2003.10.10 vendredi)
 7時30分出勤。メール関係の処理、資料の整理など。教育図書をインターネットで注文。研究だよりの続き。学級経営案集の目次と表紙を作って印刷に回す。昼食。校長と話し合い。研究授業の日程調整のため先生方へのメール2件。きょう出された通知表の文言のチェック。その他雑文書づくりで今週は終了。明日から2学期最後の3連休で、ずいぶんゆったりした1日。夕方は2度目の東京グリルでカツ丼とみそ汁。その後はコーヒーを飲みながらしばらく談笑。前回と同じシチュエーションだが、感じていることは微妙に変化していた。

■週日3(2003.10.9 jeudi)
 7時30分出勤。メール処理。その後は朝から通知表の点検。朝9時30分、教務主任が到着し、2人で記号や数字のところの読み合わせとはんこ付き。きょうはざっと3分の1が終了。昼食後は教務主任が帰ったので、1人で文言の点検と書き直しを未提出の2学級を残して終わらせた。その他メール送付が1件。校長との打ち合わせは30分くらいというところ。木曜日にはいつもより多い人が集まるので、昼時は楽しい雰囲気につつまれる。
 きのうよりもずっと暑かった。5時の気温を見たら27度だった。ほとんど真夏と変わりない。インディアンサマーは続く。あすは23度になるという。そんなに暖かいにもかかわらず、街にも紅葉がやってきた。街路樹がきれいな黄色になっていたのを見た。サンクスギビングデーには七面鳥を食べるのが習わしだそうだ。でかいやつだと60キロくらいの重さの鳥の丸焼きもあるという。そのままの丸焼きもあれば、中に詰め物をして食べるのもあるらしい。話を聞いていると、ほんとうにうまそうだ。スーパーには小さな鶏の丸焼きが売られているが、この時期のは七面鳥でなければ絶対ダメということだ。鴨せいろなら好物だが、七面鳥などおそらく今まで食べたことはない。今度の連休、果たしてその料理を口にすることができるだろうか。

■週日2(2003.10.8 mercredi)
 7時35分出勤。メールを処理してから、きのうに続いて研究授業の感想文。その後は、昼食をはさんで、来週ある2つの研究授業の指導案を検討して、授業者へのコメントを書いたり、一部分を書き直したりした。その間に学校に来た2名の先生方と、通知表の書き方について相談。作文が終わったら校長に提出、校長と打ち合わせ。残った時間で先日の出張のときのまとめを書いた。それからメールで先生方5名に文書送付。結局通知表の点検は明日から。
 きょうの日中は暑くなった。インディアンサマー。あすの予報も晴れ。暖かくなりそうだ。

■週日(2003.10.7 mardi)
 7時40分出勤。メールのチェック、プリント、ファイル、コピーなどで50分。校長との打ち合わせは文芸コンクールの結果を見ながら10分というところ。コンピュータのセキュリティ関係、それにパスワードの更新などが10分。職員室で机の上に上げていたイスを事務職といっしょに元通りに直す。毎週土曜日の終わりに職員室のイスを机に上げておく。そうするとケアテイカーが掃除をしておいてくれるのだ。先週分の出勤簿に目を通し押印、校長へ。体育館の使用状況のまとめを入力しているうちに9時30分。それから、事務職との打ち合わせが15分間。毎週火曜のこの時間に週の予定を確認する。その後入力の続きが10時20分まで。ここで一人の先生が通知表を提出しに来る。所見欄のチェックは明日からやるつもり。9月の図書館利用状況と、体育館の使用状況を校長に報告。7月から校舎の借用料が値上がりになった。そのためどこか節約できるところはないかと調査中。これまでまる一日借りていた体育館を、時間借りにすれば少しは節約できそうである。そんな話を10時35分まで。週報の原稿づくりが11時55分まで。ファクスが1件届き、パソコンでその処理。午前中は12時10分に終わり、昼休みは1時まで。午後は研究だよりに着手。途中、教務主任に電話をかけて木曜日の打ち合わせ。研究だよりは3分の2を書いたあたりで行き詰まり保留。今週の土曜日はThanks Giving Dayの大型連休で休み。だから今週は少し余裕をもって仕事ができる。3時半から先週の研究授業の感想文を1つ書いてできたのが4時。もう一つ書いて4時半過ぎ。片づけなどをして本日の業務終了。
 夕食はコリアンタウンで、辛いスープとご飯とキムチの定食を食った。辛くて汗がだらだら流れるほどだったが、とてもうまかった。5ドルという値段は安かった。店内はハングルだらけで、コリアンしか来ないような店だったが、そういうところのほうが安くてうまいものが食えるのかもしれないと思った。
 けさの最低気温はマイナス1度だったそうだ。だがきょうは日中よく晴れて暖かくなった。16度の予想だったが実際のところは不明。屋内はどこも暖房が入り、とても暑くなっている。内と外との寒暖の差が激しくなったために、衣服の調節はかえって困難になった。あすの日中は23度の予想。突如として夏のように暑くなる日があるという。この時期のことをインディアンサマーと呼ぶそうだ。英語の先生がきょう教えてくれた。
  
■休日2(2003.10.6 lundi)
 8時前に起床。トーストと卵の朝食。きょうはコーヒーはなし。「ニュース10」を見てから、床屋へ行こうと思い外へ出る。天気はよく、風は冷たかった。だが、建物の中は暖房を入れるようになったためか、今までと同じ服装だとかえって暑く感じられる。床屋まで歩いて行くと、定休日だった。そのまま引き返し、駅で新聞を取り、セカンドカップでコーヒーを買って部屋に戻る。新聞を読んだり、ネットを見たりして、気がつくと1時を過ぎている。
 昼食を取って、車を少し走らせる。北の方にあるという大きな日本食料品店を目指したが見つからなかった。トロントの北をぐるっとひと回りして戻り、IKEAという家具屋に寄った。ここはアメリカの家具屋かと思ったらスウェーデンだった。日本にも2005年に進出するとウェブサイトに書いてあった。ここは2階建てで、まず2階のディスプレイコーナーで気に入った家具を見つけたら型番と棚の番号をメモしておいて、1階の倉庫の棚から自分でその商品をおろしてカートでレジまで運んでお金を支払うという、実に合理的なシステムの家具屋。それにくわえてたくさんの雑貨がおいてあり、見て回るだけでもなかなか楽しい場所だ。ディスプレイはコーディネートの違ういくつもの部屋になっていて、気に入った部屋があれば、そっくり部屋ごと買うこともできる。購買欲を促進するような店の作り方はうまいが、うっかりすると必要のないものまでどんどん買ってしまいそうになる。最初来た時にはついつい袋にいっぱい買いたいものを詰め込んで、レジの直前ではっとしてすべて売り場に戻した。
 いままで段ボール箱で済ませていた居間のテーブルだったが、今回ちゃんとしたものを買うことにした。それと、寛いで座れるような、背もたれ付きの椅子も合わせて買った。すべて組み立て式だが、車から部屋に運ぶのに3往復しなければならなかった。組み立てたら意外と大きくて、がらんとした部屋が一気に狭くなった。
 あと欲しいものといえば、電気スタンドか。夏場は遅くまで明るくて、部屋の灯りもそれほど必要と思わなかったのだが、この頃は夜がとても暗い。もともとスタンドのない部屋の明るさは日本の部屋の明るさに比べると3分の1もないくらいである。それに最近気温も低くなってきて、白熱の光が恋しくなってきた。

■休日(2003.10.5 dimanche)
 8時前に起床。コーヒーにトーストと卵の朝食。本格的に部屋の掃除。ベッドのシーツも付け替えた。夏物を引っ込め、冬物を出す。段ボールとビニール袋を使ってゴミ箱をこしらえた。「独眼竜政宗」と「サンデースポーツ」が終わると午後1時。そこからさらにずるずるテレビを見て気がつくと2時を回っている。
 一駅先まで歩いてそこから地下鉄でEglintonまで。そこで昼飯をと思ったのだが、日曜はフードコートは休み。さらに一駅先まで歩いてから地下鉄、ストリートカーを乗り継いで結局チャイナタウン。そこで中華民国国慶節のパレードを見た。竜の舞や獅子舞を見た。カナダには台湾や香港や中国本土、さまざまなところから中国人が来ている。いったい中国って何なんだという疑問が浮かんだ。大切なのは国なのか民族なのか。文華中心(China Town Centre)でかまぼことチンゲンサイの入ったきしめんのような麺を食べた時には4時を過ぎていた。久しぶりにあっさりスープのうどんを食べたような感じだった。よく見ると文華中心に入っている店の3分の1はベトナム人の店だった。夕食にと、サンドイッチとちまきを買った。クイーン通りのデパート「ベイ」で外套を買い、帰って来た。

■凩(2003.10.4 samedi)
 土曜なら車で7時5分に出れば7時30分の解錠の時間に間に合う。きょうもその時間に出たのだが、空はほとんど真っ暗の朝未だき。メールの処理、先生方への連絡や確認、校舎周り、日程の確認などして1時間がたつ。8時45分から職員打ち合わせが10分間。1校時小6国語。2校時小1算数。3校時中1国語と研究授業の参観。4校時に入ってすぐ昼食をとってから校長と打ち合わせ。昼休みは体育館の見回り。5校時は保護者との面談をして、その後教務主任と通知表についての相談。6校時校長との打ち合わせの続き。それが終わると外へ出て見回りとスクールバスの見送り。コートなしで外に出るのは寒かったが、雲間からおひさまが出ると暖かかった。今週末が紅葉の見ごろだという話である。ここから車で1時間北に行ったところでは、おととい初雪が降ったそうだ。
 バスが無事出たのを見送ると3時15分。職員室に戻って職員会議が4時まで。それから50分まで小学部低学年国語部会に参加し、2週間後の研究授業の学習指導案の検討。その後メール1件。先生との相談1件。机上整理などして5時30分。
 帰りは土曜も遅くまでやっているヨークデールショッピングモールに寄って夕食。フードコートでチャーハンと焼そばと野菜ソテーに飲み物がついたコンボメニューは6ドルちょっと。その後HMVでCDを物色。このところ毎週ゴスペルのCDを買っている。アニメのDVD売り場はざっと3分の2が日本原産だったが例によってリージョナルコードは1番のみだった。ガッチャマンのDVDが広い面積を占めていて目についた。タツノコプロ。コマーシャルに入る前の「ジャジャン ガッチャマン」というのがリアルに蘇ってきた。だが、英語の題名はガッチャマンではなかった。
 DVDのリージョナルコードの表示を見ると、2番の日本でだけ見られないというのがけっこうある。そういうのには「リージョナルコード1、3、4、5、6」と書いてある。
 本屋やCD屋のレジではきまって「これで全部ですか」とか「ほかに欲しいものはないですか」というようなことをきいてくる。以前はこれがわからず、「現金でお願いします」とか「カードはもってません」とか変な返事をしていたが、この頃はちゃんと"Yes""No"と言えるようになった。

■頭痛(2003.10.3 vendredi)
 朝から頭が痛かった。6時50分に家を出て、7時30分に仕事場へ。きょうはメールがずいぶん来ていて、それを処理するだけで1時間かかった。その他きょうは5時までにメールを8件。明日出す職員会議資料、週報、研究だより、学校だより、指導案の書き直しが2件、教材の発注、校長との相談など、順不同でとにかく終えて、明日の授業日を迎える。

■(2003.10.2 jeudi)
 7時に家を出る。最低気温は2度だったと聞いたが、外では氷が張っていた。7時40分に仕事場についてから、メール関係の決まった仕事を済ませ、大急ぎで学習指導案の検討をして授業者に電話。校長との打ち合わせを終えて8時55分。9月分の図書館利用状況を入力して9時5分。研究だよりの原稿作成の間に、教務主任との打ち合わせ、メールでの連絡1件。文書送付1件。電話での相談1件。10時から企画委員会で10名の教員と1名の運営委員による会議で進行役。これが12時10分まで。その後小学校の教科書の下巻の仕分け作業を12時45分くらいまでやり、昼食休憩が1時20分まで。きょうは企画委員会の先生方もまじってにぎやかな昼食時間だった。
 午後は研究だよりを作るつもりだったが、先生からの電話が続けて2件。研究授業についての打ち合わせと、きのうの相談の続き。それが2時頃まで続き、それから校長と話し合いというか情報交換が3時過ぎまで続いた。その後は4時まで文書づくりをしたが完成は明日。
 家に戻り、また支度をして今度はカレッジへ。5時30分ころには出たのだが、途中歩いたりしたので着いたら6時40分だった。授業中に自分が黒板に書いた英文は間違っていなかったが、先生はそこに○ではなく✓をつけた。
 8時45分終了。その後30分くらい歩いて、ストリートカー、地下鉄と乗り継ぐ。今まではできなかった途中下車が、パスを買ったのでできるようになった。そこで、途中の駅で降りて、その周りをちょっと散歩。サブウェイでサンドイッチを買った。帰宅したのは10時10分。選挙の特別番組を見ながら夕食。今11時。テレビをつけながら日記を書いている。トロントの明日の予想気温は、朝が3度、日中が13度である。

■こだわりの10月(2003.10.1 mercredi)
 日記の原点に帰ると、書くのは事実ということになる。特に、「あんたカナダでいったい何してるの」という疑問を抱いている方がいると思うし、自分自身も半年が経過したここらで実質的なところを記録しておきたいと思うので、しばらくは事実の記録にこだわって書くことにする。差し支えのない範囲でできるだけ詳しく書いてみる。
 起床5時20分。インターネットのニュースとメールをチェック。6時から「NHK7時のニュース」を見ながら弁当作り。それと朝食。入浴。身支度して7時5分に家を出る。風呂には夜に入ったり朝に入ったり、その日の気分によって異なる。今月からトロント交通局のパスを買ったので、きょうからは地下鉄、ストリートカー、バスに乗り放題になった。7時10分頃の地下鉄に乗車。車内では文庫本を読みながら15分で、6つめの駅セントクレアで下車。構内のニューススタンドで無料の日刊紙「メトロ」を取り、ストリートカーの中では電子辞書片手にトップニュースを読む。最寄りの停車場まで15分。そこから徒歩で3分で学校に到着する。3階まで上がると事務所がある。
 鍵を開けるところで7時45分。コピー機とパソコンのスイッチを入れ、植木に水をやる。メールをチェックして必要なものをプリントアウトしてファイル。前日の午後は代休を取り仕事が中途だったため、その残りを片付けたりして8時30分過ぎ。校長が登庁。メールを渡しながら、打ち合わせ。きのう現地校からクレームがあったこと。朝の会、帰りの会のあり方が十分でないことを話題にする。その後ある団体からメールで送られてきた調査に、メールで回答を返信。ここで9時45分。教務主任が到着し、10時から3人で会議。今週の打ち合わせ、あすの企画委員会の提案事項、11月の保護者会や作文発表会についての打ち合わせなど。終わると12時が過ぎている。昼食休憩の後1時から1時45分まで、先生方との電話相談2件。1つは研究授業の日程の調整で5分で終わり。もう1つは、通知表の付け方の相談。その後電話をもう1件してトイレタイム。2時から、あすの企画委員会の資料と、土曜日に配布予定の校報の原稿作成。3時頃から校長との話し合いが30分。先ほどの相談について、自分の見解と校長の意見とに相違があり、改めて相談の必要があることを確認、すぐ電話するも不在。資料が完成したのが4時。その後2人の先生にメールで研究授業の件の時間割調整を依頼して4時20分。資料の追加分の作成に取りかかり、校長との話し合いをはさんで資料完成が5時。片づけを終えて事務所を後にしたのが5時5分。
 ストリートカー、地下鉄を乗り継ぎ、ジョージブラウンカレッジに到着が5時45分。終了8時45分。地下鉄に乗って本を読了。最寄りのノースヨークセンター駅に到着が9時20分。ウェンディーズでベーコンクラシックバーガーコンボを買って帰宅。「てるてる家族」を見ながら夕食。ニュースの後大リーグのプレーオフをつけながら、現在パソコンに向かい、日記を記入中11時30分。この後入浴して就寝予定は12時。