2003年9月                                                   

■晦日(2003.9.30 mardi)
 けさはまたぐっと冷え込み、街ではコートを着ている人もたくさん見かけた。5度くらいには下がっただろうか。吐く息は真っ白だった。最高気温は13度という予想だが、どうだったか。先日の出張の移動に時間がかかったこともあり、午後早く帰って休めと言われたので1時前には事務所を後にした。こんなことはごく稀だ。だけど、今までもこの日には半日だけでも必ず休みをとってきたので、不思議だがとても自然な成り行きだった。
 少し歩こうと思い、てくてく歩いていると前から気になっていたタイ料理の店にさしかかった。ふらっと入ってそこで昼食をとった。春巻とライスヌードルの炒めたもの、名前は何というか忘れた。ナンプラーとは違う甘めのタレは口に合わなかったので、醤油をかけた。ここでもキッコーマンのが置いてあった。腹が苦しくなった。ちょっと春巻は余計だった。
 帰って洗濯なんかしていると眠くなったので1時間ほど横になった。そのあとむっくり起きて宿題をした。もっとやりたいことがあったのだが、何にもしないうちにいま5時半。そろそろきょうの授業に向かわなくては。

■味(2003.9.29 lundi)
 ハイウェイ7沿いの中華街へ。レストランより食堂といったほうがふさわしい佇まいの店で、肉味噌ソバを喰った。細くて歯応えのある麺に辛めの味噌。旨いが量が少ない。ほかの客を見ると、皆ソバともう一品くらい頼んで食べていた。食後に「阿華田」という飲み物を頼んだ。何が出るかと思ったら、ミロと同じ味の飲み物だった。
 中国系のパン屋には、日本とほとんど同じ味の菓子パンとか調理パンが売っている。そこで調理パンとタルトを買う。パンをはじめ、食べ物の味にはかなり近いものがある。それがありがたいと感じることも多い。同じ敷地にあった中国系スーパーマーケットで豆腐を買った。味覚の面ではかなり中国系の恩恵を受けている。

■2PIANOS,4HANDS(2003.9.28 demanche)
 ミュージカルと思っていたら、音楽の混じったコメディだった。ステージには2台のグランドピアノが左右に置いてあり、二人の男性があるときはピアノを弾き、あるときは漫才のような掛け合いで、ほとんど全編笑いの渦の中の2時間だった。動きで笑いをとるところも多かったし、ピアノの演奏も見事だったので、楽しめたことは楽しめた。でもやはり、言葉で笑わせる部分でついていけないところが多かった。子どももけっこう来ていて、大人たちと一緒に笑っていたが、どうしてそんなに笑うのか理解できないところもあった。
 帰りにCD屋でゴスペルのオムニバスを買ってきた。最近ゴスペルがなかなかよい。この間買ったのは古い歌ばかりだったが、きょうのは新しい歌ばかり。コーラスの力強さ。どうしようもなく身体に力が入る。

■note(2003.9.27 samedi)
 列車に4時間揺られ、トロントに帰還。オタワは紅葉が進んでいた。ひとことでは言い表すことのできないような貴重な体験をしてきた。反省材料はさまざまあるが、それを含めてとてもありがたいことだった。
 ゆうべPAPER-PAPIERという店で、きれいなノートを買った。

■早朝更新(2003.9.26 vendredi)
 しっかりと4時半に起きれたし、パソコンを持ち運ぶのも重いし、早いところ更新しておくことにした。地震のことが気になる。自分の立っている土台が確かなものではないというのは、日本人の特徴を形づくる一つの要因になっているのではないか。
 翻って考えてみると、世界の陸地の多くはほとんど揺れないわけで、土台が動く動かないということが、自己に及ぼす影響も無視できないのではないだろうか。

■ワンダラマンダラ(2003.9.25 jeudi)
 集中力というのはそんなに続かない。木曜日の夜は目を閉じると一瞬夢を見るほどだった。そのくせ夜が更けると目がさえてきたり。でもさ、毎日やっぱりいろんなことがためになるな。
 同じ出来事でも見方によっていいことに思えたり、嫌なことに思えたりする。だから、同じことに対しても、絶対的に「これはグー!」とか「これはブー!」とかは判断できないのだね。いいと思うところもあれば悪いところもあるのだから。そしてその価値は、話す相手とか、その場の状況とかによって変わってくる。だから、あの人に話す時にはそれは最悪でさとなり、その人に話す時にはそれでも自分のためさとなる。どちらが正しくてどちらがウソということにはならないさ。一見するところのこの矛盾。曖昧模糊として複雑怪奇な浮世絵曼陀羅はなかなか理解されないさ。それに対して、どこでも誰にでも自信をもって「グー!」といえるというのはわかりやすい。
 これは自分自身がないということではないし、ふらふら揺れ動いているということでもない。日和見主義とも八方美人ともちがう。誤解をおそれずまっすぐ歩く。自分のまっすぐが、他人から見てくねくね道だって構わないのだ。道草喰って歩いて行くのが、僕にとってのまっすぐだ。これは独善か田舎、もとい否か。 

■いまでもばかだなあ(2003.9.24 mercredi)
 仕事がはかどったと思ったら半分くらいは没になったので明日は早朝出勤だ。とにかく明日中に仕上げなければだめだ。あさってから出張でオタワに行く。高校の卒業文集で「オタワで待ってるぜ」なんていうふざけたことを書いたのを思い出したが、それから苦節十八年。あのときが人生のハーフタイムだったのだ。何も考えず、ただギャグだけとばして笑っていた時代。ばかだった。十年もたてばすべてが変わると信じて疑わなかったよ。
 何も変わっていないようでいて、やっぱりすっかり変わっていた。あと十年たったらなんて考えるほど、遠くをみることはできなくなった。なぜならここには山がない。見渡す限り真っ平らの土地なのだから。ここで格言。山がなければつくれ。
 日本人以外の人々といっしょになって、日本人というのは実に曖昧なやつだということがよくわかってきた。だがそれは日本人が曖昧なのではなく、自分という個人が曖昧なだけなのかもしれないので要注意だ。ゆうべはああ曖昧だと頭を抱えて自分の曖昧さを憂えていたのだが、けさになってこう考えた。曖昧なら曖昧でもいいからそれが自分だと堂々としていればいいではないか。曖昧だから理解されないというのは言い訳で、曖昧さゆえに曖昧な自分をまだ表現し切れていないことからくる誤解なのだから、その誤解を解くためにも曖昧な自分を思いきって表現すればいいだけの話。曖昧me。you揶揄。
 中国のリーさんによると日本人のイメージは金持ちというのと女性が淑やかだということだそうだ。古きよき日本。昔海を渡った日系一世たちは正直で約束を守るし仕事は一生懸命だしという日本人の良い評判をつくり、そのおかげで今でもカナダを含めた多くの国では日系人に対する信頼が厚く仕事がしやすい環境ができているという話をよく聞く。これは日本人が世界に誇れる素晴らしいことではないか。そうして、外国に住む日系人のほうが、日本に住む日本人よりも昔の日本人の良さを守っているということがあるようだ。これは、外の国の移民にも言えることだが、祖国の伝統をかたく守ろうという意識が働くらしい。そのことは分かるような気がする。なにしろ、自分のアイデンティティを守り続けるためには、攻めなければいけないのだ。攻撃は最大の防御なり。攻めて攻めて攻めまくれというわけだ。ガッテン承知の助。曖昧でもいい。たくましく育ってほしい。グッナイ。

■グッバーイ(2003.9.23 mardi)
 きょうは秋分の日か。日本では、きのうの月曜日を休みにして4連休というところもあるのかな。秋分や春分が休みになるというのは考えてみればおもしろい。あすから昼よりも夜の方が長くなるのだな。朝もどんどん遅くなるのだな。
 きのうの話の続きだが、選挙人登録の資格があるのは3か月以上居住している人だった。つまり、着いてすぐの時点では、手続きはできないということになる。総領事館のせいにしたって仕方がないことだ。
 きょう帰ってきてテレビをつけたら「使用が許可されていない」などという変な注意書きと電話番号が画面に出ていて、チャンネルが効かなくなっていた。それでその番号に電話すると、「○○は1を、□□は2をプッシュしてください」式の案内が流れた。今までかけた企業のカスタマーサービスは大概この方式で、何回もそれをクリアしなければ担当者と直接話をすることはできない。だが、聞き取るのは難しいので、一か八かで適当にプッシュするということも多い。もたもたして押せなかったり、誤った番号を押したりすると、「トライアゲイン・グッバーイ」といって今までの努力もむなしく切れてしまうのだ。きょうも何回か関門をくぐり抜けたのだが途中で「グッバーイ」と切れてしまった。何がグッバーイだと腹を立てていたのだが、その直後、なぜかテレビが元に戻った。電話をしたから戻ったのか、それとも時間がたって復旧したのかよくわからないが、とりあえず映るようになったのでよしとしよう。

■手続き(2003.9.22 lundi)
 雨が降り出して、先週と同様また眠たげな休日になった。午後から総領事館に行って、在外選挙人名簿への登録手続きをしてきた。手続きといっても書類に書き込むだけ。それを本籍地の選挙管理委員会に送ると、何かの書類が直接自宅に送られてくるというしくみのようだ。2か月くらいかかるので、次の選挙には間に合わないかもしれませんと言われた。ちょっと遅きに失した感。でも、どうしてここに来てすぐ、在留届を出すその時に手続きをしなかったのだろう。在留届を受け付けるその時に、総領事館側が手続きの案内をしてくれればよかったのにと思った。

■雑感(2003.9.21 demanche)
 きょうは賢治祭の日だった。秋の空が気持ちよくて、昼食のあとに1時間ほど散歩した。自然に囲まれて生活するのも、四季の中で生活するのも当たり前のこと。そういう認識は、カナダに来てもこれっぽちも変わらない。豊かな自然と季節感は、岩手と共通するところが多い。
 海外生活に適応する一般的過程というのがあって、ちょうどいま頃は住んでいる国が少し嫌いになる時期なのだと言われた。そうしてこの時期が過ぎると、また好きになってくるのだそうだ。嫌いとは思わないけれど、岩手を懐かしく思い出すことが今までに比べると多くなっているかもしれない。でも、今のところ自分はカナダに十分順応できていると思う。もっともこれは、自然が似ているからというだけでなく、多民族主義のカナダという国だからというのが大きいだろう。
 きのうテレビで「アフリカの蹄」というドラマを観た。以前NHKで観たことがあったが、見直したらまた感慨も深かった。舞台は人種隔離政策をとるアフリカの架空の国だったが、もちろんモデルはあの国だ。今でこそ政策は完全撤廃されたというが、僕が疑問に思ったのは、差別非難の国際的世論が盛り上がっていたその時期に日本国政府のとっていた貿易優先の政策だ。単一ではないのに少数派をないものとして単一民族なんて呼んでしまうほど、日本には鈍感な部分があるといえなくもない。
 「岩手を懐かしく思い出す」と書いたが、実を言うとその街角を歩く人々のイメージは、トロントの街角のイメージにすでにかき消されている。僕の頭の中の盛岡の街角では、あらゆる人種の人々が談笑しながら歩いているのだ。
 きのうの狂言師の方は、僕の出身が岩手だと話すと、岩手は宮沢賢治を生んだ土地で、独特の文学や演劇が育つ風土だ。自分たちは賢治の「鹿踊りのはじまり」を狂言にして演じているのだということを話された。ほんの一瞬の出会いではあったが、室町時代に始まった狂言を、こうして世界中に伝える文化の担い手の姿に心を打たれた。守るということは、伝えるということだし、新しく作り出すということでもある。守るというのは、受け身に見えて実はとても能動的で、創造的な行為だ。 

■(2003.9.20 samedi)
 台風一過の青空というのはここでも同じで、きょうは朝から快晴だった。日の出は7時頃で、家を出る時にはまだ薄暗い。この調子でどんどん日の出が遅くなってくる。きょうは学校に京都で活躍している狂言師の方が来て、公演してくださった。演目はなく、子ども向けのデモンストレーションだけではあったが、皆にとってとても貴重な機会だった。その後の自分のコメントというのがしどろもどろ。きょうはその他大小さまざまな失敗をした。自分のほかにはだれも気がつかないかもしれないけれど、自分が気がつけば十分だ。がくっと落ち込んではまたむっくり起きる。気にしない。気にしない。ひと休み。ひと休み。

■週末(2003.9.19 vendredi)
 今朝は少し寝過ごして、飛行機が墜ちる夢で目が覚めた。このパタンの夢が今まででいちばん多い。金曜日の夜はかなり疲れがたまっていて、集中も途切れがちになっている。世間は週末ムードでなんとなく楽しそうだが、その気分を共有することができないのはちょっと残念だ。でもこればかりはしかたがない。
 きのうの情報にあきらかなまちがいがあった。投票日が6日間というのは真っ赤なウソで、これは不在者投票のできる期間であった。ほんとうの投票日は10月2日。きのう届いた入場券にもちゃんと記載されていたのに、わからなかった。恥ずかしながらその程度の英語力である。だが、選挙権があるのはほんとうだった。オンタリオ州に住んでいる者は、国籍がどうであれ認められるということだ。州の選挙とはいえ、この1票がカナダ社会を作る1票になるのだと思うと、また違う責任を感じる。
 イザベルであるが、けさ9時頃がいちばん雨風が強かったような感じだった。アメリカではかなりの猛威をふるったようだ。トロントでは一部で停電になったところもあるそうだが、それほどの被害はなかったようだ。

■選挙(2003.9.18 jeudi)
 ここに来て総選挙の日取りが取りざたされているようだ。何年か前に法律ができて、国政選挙のほうは外国に居住している日本人にも投票する権利が保証されたようだ。でもそれには総領事館に行って、あらかじめ手続きをしなければならないようだ。近日中に仕事の合間を縫って手続きに行きたいと思っている。
 きょう、驚いたことにオンタリオ州知事選挙の投票所の入場券が送られてきた。選挙権、ほんとにオレにもあるのか?とっても疑問。何かの間違いではないだろうか。でも、これが来たからには権利があるんだろうな。すごいや。といっても、いったい誰に投票すればよいのやら。こちらの投票日は6日間も続くようだ。(ウソ。これは不在者投票の期間!)20日、22日、23日、24日、25日、26日の6日間。21日は投票日ではないようだ。って日曜だからか。日本とは正反対だね。とにかく日曜は休むというのが社会に浸透しているというのは素晴らしいことだ。政治の力が、このような社会を作ったのだ。通勤する道にも選挙事務所がいくつかある。日本の選挙事務所と雰囲気は同じような感じだ。選挙ポスターは、日本のポスターの5倍くらいの大きさのがそこかしこに貼ってある。ところが、写真もなく、単色で簡単なキャッチフレーズに名前がでかでかとかかれたようなものばかりだ。あちこちの家の庭に、ポスターと同じデザインの看板が立ち始めた。おそらく支持者の家だろう。でもいちばんの違いは、選挙カーでの名前の連呼がないことかもしれない。
 雨が降ってきた。イザベルが近づいている。あすの夜にはトロント上空を通過するらしい。50何年ぶりの大型という話だが、こっちに来るまでにはかなり弱まりそうだ。明日も普通に出勤できそうだ。とにかく被害が出なければいい。
 
■………(2003.9.17 mercredi)
 先生が何を言ったのかちっともわからず、頭に血が上ってぽーっとしていたら、違う人が指名されて、テキストを読み始めた。読むのだったら少しは自信があったのに、指示が聞き取れないのではどうしようもない。ああ、生徒はつらいや。先週とは打って変わって、スピードは速くなるし、文はたくさん出てくるし、こりゃいかんと思ったよ。宿題もあとでと思っているうちにとうとうやらないでしまった。ただ受けていたって身に付くわけもなく、ここにきて努力や苦労が必要だと思い知らされた。あとは実践あるのみ。それにしても眠い。仕事は仕事で難問奇問を抱え、締め切りに追われる日々が続いている。それに加えて何かしようというのだから、体力勝負だ。帰りの電車の中で同級生たちと話をした。各国のあいさつ言葉を教えあったりした。ここへ来て5か月半、ようやく次のステップに踏み出した感じ。あきらめずに、粘り強くやっていこう。

■イザベル(2003.9.16 mardi)
 今週末あたりに彼女は来るらしい。きょうアパート住民向けのチラシが張り出されていた。ベランダの物は片付けておけということらしい。イザベルとは、大西洋上に発生した大型のハリケーンの名前。タイフーンやサイクロンとは、発生する場所が違うだけらしい。渦の巻き方も違うのかな。ここまで来ると、仮面ライダーを思い出さずにはいられないのだが、1号2号という数字の呼び名もそれはそれで仮面ライダーのようだ。もしも日本でも台風に女性名をつける習わしがあったとしたらどうだろう。んー、いまひとつしっくりこない感じ。源氏名というのも変だし、女性名というのは日本の場合無理があるのでは。これが男性名、そうだ しこ名だったら。平成15年の朝青龍はすごかったねえなんて、鮮やかに記憶に残るかもしれない。

■浅知恵(2003.9.15 lundi)
 「千と千尋の神隠し」は金曜ロードショーで少しだけみた。千尋の両親が食べ過ぎて豚になったところまで。その後カナダで DVDを買い、観ないまましまっていた。それをパソコンで観ようとしたら、リージョンコードが違っているという。パソコンで切り替えられるのはあと4回だけだと。せっかく買ったのに見ないのもしゃくなのでコードを切り替えて観てみる。本編の前に宣伝あり。宮崎アニメの数々が、こちらではディズニーのシリーズになっているのが奇妙だった。おもしろくないわけじゃないけれど、カマジイが出たあたりでもう続かなくなった。日本的な映像なのだと思っていたが、そうではない感じがした。
 リージョナルコード。ちょっとは話に聞いていたが、調べてみるととても不便な仕組みだということがわかった。ハリウッドの映画の興行収入を守るためにできた仕組みなんだと。こういうのを浅知恵というのではないか。日本で買ったディスクのほとんどは、カナダでは見られないようになっている。その反対に、こちらで買ったディスクは、日本の再生機では見ることができない。日本から持ってきたディスクのうち、リージョナルフリーなのは宇多田ヒカルとフィッシュマンズだけだった。
 午前11時半、出かけようと思って部屋を出ようとしていた頃、突如館内に鳴り響くサイレン。それ以外にアナウンスもないので、とにかく外へ出ようとする。エレベータも止まっていて、なんだかわからないうちに非常階段で一階へ。住人たちといっしょに急ぎ足でロビーに下りる。30人くらいが同じように逃げて来た。サイレンはまだ鳴り響いている。消防車もかけつけたのだが、煙など上がっている様子はない。セキュリティと消防士たちが配電盤をにらみながら何か言い合っている。どうも機械の誤作動だったようだ。なんとなく最初からそんな気がしていた。オオカミ少年みたいなのが、もう居座っている感じ。
 エレベータが動き出したのを見て、車を出した。あいにくの雨降り。トロントの北のはずれ、パシフィックモールというショッピングセンターに向かう。中国系が多い地域らしく、建物の中はすっかり中国の雰囲気である。どれくらい中国かというと、99パーセント中国と変わりないだろう。それほどすっかり中国なのだ。そこのフードコートで、麻婆茄子飯と豆乳の昼食をとった。おもしろすぎる。こういう中国の雰囲気に囲まれるといつも、不思議としかいいようのない気持ちになる。地球上には、地図とは違う大陸がいくつか存在する。それらの大陸の交差する場所の一つがこの街だ。モノも人も情報も。国の枠組みを超えた流れがある。かたや、どうしても国の枠組みを取り払うことのできない関係が続く。でも実際のところ、利益を守ろうとする者たちの利益は、失われるようにできているのではないだろうか。

■深い夜(2003.9.14 demanche)
 日曜は結局ゴミを捨てに部屋を出ただけだった。ゆうべは夜中に太腿が吊ったので飛び起きた。柑橘系を採り過ぎるときまってバランスがおかしくなる。片足だけだったのでまだいいけど。朝は卵を炒めて、トーストにコーヒー。ぼーっとテレビを見たり。宿題には手が着かず、集中とはまったく逆のことをしていた10数時間。気がつくと夜、期限切れの日式ウドンをゆでて、缶詰のスープをかけて食べた。眠くなってベッドに入り、目覚めると午前2時。窓の外のいちばん高いところに月が見える。
 ずいぶん幼かった時、きっと3歳とか4歳の頃、テレビでみる黄色いヒヨコを握りつぶしたい衝動に駆られた。あれはワーナーのトゥイーティー。ああいう原初の衝動は今はどこかに消えたなんて思っていたらそんなことはなく、ただ少し毛が生えただけで、今でも自分の感情を広く覆っているものなんだと感じた。握りつぶしたかったわけではなく、かわいさのあまり抱き締めたかったのだろう。そうやってつぶしてきたものが、たくさんある。そのせいで、ほんとうに愛しいものには触れることができなくなった。これは一つの自己分析。まずい。真夜中にこんなことを考え始めるとまた寝付けなくなってしまう。
 
■橋(2003.9.13 samedi)
 中学生の集会を参観した。意見が活発に出る様は、まるで高校生だった。考えてみれば、2年生と3年生は現地の高校に通うれっきとした高校生なのだ。日本ではこういう集会のときはまず礼儀が重んじられる。議論はそのあと。ここでは、自分の考えを主張することが求められる。しかも、人とは違う話をすることが大事とされる。いろいろな場面で感じることだけれど、きょうもそういう感じを強くもった。何度も書くけれど、どちらがいい悪いということではなく違っているという事実が大切だ。
 違うことは素晴らしいこと。多様性を認め合うことが望ましいこと。それはわかっているけれど、お互いが行ったり来たりしてひとつの大きな社会をつくっていこうとするとき、お互いの違いが、そこから先へ進むことを阻むということはないだろうか。ヘンな言い方になるけど、違いを大事にしながらも、同じになっていくことが必要なのではないだろうか。いまここに横たわる多様性の銀河。星々をつなぐ架け橋がほしい。

■欠伸(2003.9.12 vendredi)
 帰りは眠かった。いつもは持ち帰りの店のテーブルで初めて夕食を食べた。帰ってくるともう集中力などなくて、英語など何言ってるのか理解力ゼロだった。一週間ぶり、bracefaceの主人公シャロン・スピッツの、頬の異常に張り出した笑顔がすごく懐かしかった。日本のアニメの細部にわたる描写ももちろん見事だが、このbracefaceやたとえばピーナッツみたいな、ほわっとした雰囲気も好きなのだ。なんか自分の頭の中も、一生そういうほわっとした感じで暮らしていければいいと思う。
 メールで家に送っていた文書を完成させて、職場に返送した。こういうことができるようになったなんてとんでもない変化だ。10年前であれば重さ10キロ以上もあるワープロを毎日持ち帰りしていた。仕事にパソコンを導入したのだって、ブルーベリーのiBookが最初だから、それほど経ってはいないのだ。こんな調子で10年経ったら、どうなっているだろう。
 このごろはパソコンで日本のニュースをチェックするようになった。NHKだけではやはり不安である。ニュース23。NHKとほとんど変わりないような気もするのだけれど、一つだけよりはずっとましだ。筑紫哲也は休暇中なのか、多事争論がしばらくないのでつまらない。カナダのニュースと日本のニュースはかなり違う。多民族の移民の国と、ほぼ同一の民族の国とでは、人々の関心の向く先が違って当たり前。だけど、どうしてこうも違うのと、違和感をもつのが正直なところ。

■911(2003.9.11 jeudi)
 触れないのも空々しいし、かといって鎮魂ムードというのもわざとらしい。とにかくこの2年の間にいろいろなことが変わった。だけど、何も変わっていないともいえる。社会的なことよりも、個人的な思いのほうが先に浮かんでくるのだけど、実はこの二つは絡み合って螺旋をつくっている。次の朝、子どもたちの前で話したことが、それまでとそれからの自分を規定した。いまかれらに恥じない生き方ができているだろうか。ラジオでは朝も夜も関連の番組が放送されていた。たくさんの人がそれについて語っていたが、残念ながらまとまったメッセージを聞き取ることはできなかった。自分の気持ちがまとまらないから、耳にする言葉の意味がわからないのかもしれない。

■事件の真相(2003.9.10 mercredi)
 きのうの教室の隣で、初級フランス語Tの講座を受けた。こちらは毎週水曜日、6時から9時。この教室にも、世界中から学生が集まって、とてもインターナショナルな雰囲気だった。先生は英語で説明するので、ところどころよくわからないのだが、なんとかかんとかついていけるかなという感じ。でも、今までは知らなかったアルファベットの発音などを聞いて、とても驚いた。いろいろな文を先生について読みながら、新しい世界が目の前に開けていくかのような新鮮な気持ちになった。なんとすばらしい、刺激的な夜であった。久しぶりに大貫妙子を思い出して、今CDを聴きながら書いているところ。
 ところで、きのうのパソコンへの侵入者の件だが、今朝ひょんなことから真犯人が明らかになって愕然とした。それは実に身近なところにいる人物で、わかったときにはこいつは本当に愚かな人間だと失望した。ゆうべ帰宅してからも一晩中気味が悪くて、なかなか寝付けなかったのだ。そして朝、職場の自分のパソコンをチェックしたら、きのう送られてきたファイルはどこにもなかった。自分宛のメールはすべてホットメールにも転送されるようになっていたのを思い出しそちらを開いてみると、きのうの不気味なメールが残っていた。それをよく見ているうちに、だんだん7月の記憶が蘇ってきた。学校で途中まで打ち込んだ文書を自分宛のメールに添付して、家で続きをやろうとしていたのだ。そのついでにスポーツニュースのイチローの写真も自分宛に送信した。ところが家に帰ってからまで仕事の続きをするわけはなく、メールの到着を確認することもないまますっかり忘れていたのだ。しかしなぜそれがきのうになって届いたのか。きのう、今まで送信がうまくいかなかったパソコンの設定を修正した。その際に、今まで未送信のままだったメールが送られた。その中に、あの「悪意」のメールがあったのである。それではなぜ名前が僕と一字違いだったのか。なぞときは簡単だ。設定のときに名前のタイピングを間違えていたのだ。たはー。自首します。犯人は誰あろうこの私、だったのです…。
 桂三枝よろしく「いらっしゃ〜い!!」、もとい「ごめんちゃ〜い!!」とおちゃらけて、皆様の許しを乞おう。 
 
■ニュース(2003.9.9 mardi)
 自分のパソコンの中に、誰かが出入りしているのに気がついた。僕の名前と一字違いの差出し人から、パソコンに入れていた文書が添付されたメールが届いたのだ。そしてその直後にそいつから2度目のメール。今度はイチロー選手の写真だった。びっくりしてすぐ削除してしまったのだが、後まで尾を引く気味悪さ。見知らぬ人間の悪意をすぐ近くに感じてしまった。ケーブルをつなぎっ放しだったのが悪いのか。やはりこちらの責任ということになるのだろうか。セキュリティが甘いということなのか。関係ないところに迷惑がかからなければいいけど。とにかく犯人にはとっとと自首してほしい。
 5月に入学を拒否されたカレッジに、今回晴れて入学できた。どうして拒否されたのか、そしてどうして入学できたのか、なぞである。話を聞けば、入学を拒否するも認めるも、受付の人によるのだそうだ。拒否されたのはきっと、運が悪かったからということらしい。だが、入ってしまえばこっちのものだ。きょうがその最初のレッスンで、午後7時から2時間。20人ほどの教室でゲームのような感じでできた。いろいろな国から来た人たちと、楽しく勉強したい。

■カントリー!(2003.9.8 lundi)
 午後から休日出勤。ストリートカーがなかなか来なかったのでそのまま歩いて学校へ。さわやかな快晴。のんびりした月曜の昼時。どこまでも歩いて行けそうな。昼飯より散歩の時間をとった。というつもりでもなかったのだけど。予想以上に時間がかかって。終わったのが4時前というのは中途半端。空腹には逆らえず。よせばいいのにミートソース。外で食べる時には必ず服に着けてしまうのを食いたい時にはつい忘れるのだが。案の定ズボンに落としたトマトの欠片。構わない。気にしない。
 カナダのカントリーミュージックの番組が放送されている。どの曲もどの歌手もみなすごくかっこいい。確実に日本とは「田舎観」が違う。自分の中の田舎観のほうが変わっているのか。いやカントリーミュージックへの偏見がとれたのか。
 とにかくカナダでは、日本の東京のように一極集中というふうにはならない。広いから。中央がかっこよくて地方はかっこわるいという論理はきっと成り立たないんだ。これは広いからという理由だけではないだろう。

■秋の日(2003.9.7 dimanche)
 二日続けてのバーベキューも、人が違えばまったく別の楽しみとなった。どの家にもたいがいバーベキューセットがある。週末は普通にバーベキューとなる。ウチナーグチのフォークソングを初めて聴いた。学生時代の空気が蘇ってきた。そして日が暮れてからは、心地よい風に吹かれながら天体観測をした。望遠鏡で、火星のオレンジ色の姿を見ることができた。もうかなり遠ざかったのか、先日までは見えたというドライアイスは見えなかった。月の表面も見た。クレーターや地面の線などをくっきりと見ることができた。まるで、飛行機から地面を見下ろしたときのように、地表のいろいろなものが見えたので驚いた。いずれあそこにも街ができるのかもしれないなどと想像したらおもしろかった。

■一日(2003.9.6 samedi)
 始業式。初めて校歌を歌った。そのあと代行の授業が4コマ。時間割が違っていてパニック。なんとかまとまる。久しぶりの子どもたち。すばらしい実践。授業ってこんなに楽しいものだったのかと、なんともいえない感慨。
 県人会があるというお誘いがあって行ってみたらバーべキュー大会だった。子どもから大人まで30人くらいが集まった。生粋の県人以外にも、いろいろなところから来た精神的な県人も含まれていた。中には中国の方もいた。職場以外でこんなにたくさんの日本人といっしょになったのは初めてだった。明るく個性的な人が多くて、とても楽しかった。当然の事ながら、岩手とか日本の話題が多かった。外にいるからなおさら自分のアイデンティティについてみんな考えていた。みんな故郷が好きなのだ。そんなふうに見えた。途中から「アテルイ」の上映会になって、みんなで鑑賞した。いい映画だった。自分は故郷のことを何もわかっていないと思った。ここに来てから関心をもつようになったという人も多いようだ。
 とても不思議で、すばらしい一日だった。
 
■晴れ(2003.9.5 vendredi)
 朝は曇っていて肌寒かったのだが、いつの間にか雲はなくなって完璧な秋の青空になっていた。きょうは金曜日。帰りには夏の名残を楽しむようにパティオでビールを飲む人も多く見かけた。
  
■食二題(2003.9.4 jeudi)
 ふじという名のりんごが売っていて、それが人気みたいだ。スーパーにさまざまな種類のりんごがあるなかで、いちばん減りが早いような感じ。見た目てかてかのワックスがかかっていて、皮のままではとても食えなそうなりんごに混じって、ふじだけは果物らしくひかえめな光沢で、山になっていた。買って食ってみるとこれがうまい。さすが日本のりんごはすばらしいと思ってよく見ると、簡体字の漢字のラベルが。このふじは日本ではなく中国産だったのだ。
 きょうの昼は大勢集まって、久しぶりににぎやかになった。話題はやはり食に関するものになった。食い放題の店というのがここにもけっこうあるらしい。バッフェバッフェとみんなが言うのでバッフェって何かと思ったら、いわゆるビュッフェのことのようだ。ビュッフェは英語ではバッフェっていうのか。寿司の食い放題もいくつかあるらしい。いくら食べても太らない人もいれば、小食なのになかなかやせない人もいる。飢餓の時代なら後者が生き残るだろうが、飽食の時代には生きにくい。

■眠い(2003.9.3 mercredi)
 かつてないほど足がむくんでぱんぱんだ。太い足がますます太くなって気持ちわりいや。しようと思っていたことはさせてはくれない。きのうにもましていろいろと忙しかった。このまま土曜日に突入か。
 松井の調子はきょうもいまひとつ。きのうはナイアガラに行ったそうだが、α波の効果はまだあらわれていないようだ。ブルージェイズがヤンキースに連勝。そして明日、今シーズンこのカードの最終戦を迎える。これじゃどう転んでも見には行けないな。もう寝よう。明日早く起きる。

déjà vue(2003.9.2 mardi)
 きょうは連休明け、しかもコンピュータに振り回されて、どーっと疲れが出てしまった。先月半ばあたりから、職場で使っている自分のコンピュータの調子がどうもおかしかった。そこで調べてみたら、ウイルスに感染していることがわかった。ウェルチなんとかというやつだ。駆除の仕方を調べてその通りに実行したのでもう大丈夫だと思うが、知らない間にやられていたのはけっこうショックだった。危ない危ない。いつどこからどう入ったのかはわからないけれど、こまめにアップデートしたり、チェックしたりしなければならないと感じた。マッキントッシュのほうが使い慣れているからとはいえ、ウイルスに感染してしまうのはやはりこちら側の責任なのだろうか。
 でも、そうやって つぎはぎ のようにセキュリティの穴を塞いでいくというのは、どうも間抜けな感じがしてしかたない。世界中で圧倒的なシェアを誇るようなシステムが、そんなことでいいとは思えないのだけど。言い方を変えれば、そんな脆弱なシステムでは、みないずれ離れていってしまうのではないだろうか。
 今回貴重な仕事の時間を使って、いくつかの会社のサイトを渡り歩いては駆除や防御の仕方について情報を入手したわけだが、会社によって、とても親切で初心者にもわかりやすく書かれているところと、そうでないところがあると感じた。あるところでは、「それについてはどこどこのファックスサービスを利用してください」とか、「どこどこのページに書いてありますのでそちらを見てください」とか、知りたいことが書かれておらずたらい回しにされているような気分になった。いくら儲けていても、顧客に対する誠意を欠いている企業はいつか没落してゆくことだろう。
 「おはよう日本」は18時に同時放送。19時半に同じ番組の再放送がある。再放送を見ていて、どうもさっきからひどい既視感に襲われていた。なんかこのニュース見たような気がするんだけど…。きのうも同じところからの中継じゃなかったかな。どうも変だと思いながらも黙って見ていた。そうしたら次の「歌謡コンサート」の途中でテロップが。なんと「先ほどのニュースは前日のものを放送してしまったのでおわびします」との事。げ。そういうこともあり? 

■レイバーデイ(2003.9.1 lundi)
 曇り空。一日だるかった。朝に洗濯などをしてからは、ごろごろ部屋で過ごした。シーツを洗って、乾いたのを着けて、横になったら2時間くらい眠っていた。夕方寒くて目が覚めた。午後7時頃になって車を少し走らせる。なんか坦々麺が食いたくなった。だけど中華料理屋はどこも混んでいるようで、結局KFCだった。夜のニュースによると、きょうはカナダの各地でバーベキューのイベントがあったらしい。落ち込んだカナディアンビーフの消費を伸ばそうというのである。せめてチキンじゃなくてハンバーガーにすればよかったと、いまさら言っても遅い。
 それにしてもこのだるさ。休日の最後の夜はどこでも同じように感じるものなのか。長すぎる夏休みの体制が終わって、明日からまたフルタイム稼働。それはそれでいい。またおもしろくなる。秋の街の風に吹かれながら、あすは颯爽と仕事場へ向かおう。
 lundiというのはフランス語の月曜日。lune(月)の日ということで、やはりMondayと同じ語源なのだ。教室の黒板に英語の月や曜日とか、月の旧名とかを毎日書けば、皆覚えるだろうと思ってはいたのだが、続いたことなどない。せめて今月は曜日を言えるようになろうという、ささやかな目標をもって。