2004年4月

■きょうで(2004,4,30 vendredi)
 きょうで4月もおしまいだ。なんかまとめのようなものを書いたほうがいいかなとも思うのだが、特にまとまったことは書けそうもない。いっせいに春が吹き出してきた今日この頃だ。5月はいちばんいい季節になるだろう。
 きょうは雷なんていっていたが、雨もあまり降らずにちょっとじめじめした一日になった。
 いろんなことが麻痺してたりするのだろう。ココロザシなどどこかに置き忘れてしまっているのかもしれない。さっきまでかけて仕上げた「今週号」は、いっしょうけんめい書いてはいるが魂から遊離しているような、ペン先をリモコンで操っているような変な感覚で書いているのだった。ここでまでその調子でやってもあまり意味はない。あえてまとめる必要はなくて、掃き溜め、ゴミ箱でけっこうである。
 世界地図を広げる。国境ということに興味が沸いて、国境を越えることに夢を馳せる。クニの境がどうということもないのだが、いろいろな国と接してみたい。ちょっと前までのココロザシってのは、2008年までに30カ国を旅することだった。何もしなければそれはかなわない。けれど、かなったからどうということもない。初心うんぬんいうけれど、いまどうしたいかで決めていいこともあるんじゃないかと思う。やろうと思えばできるけど、今の自分があえてやる必要があるかどうか。そこが問題だ。地図を広げて、逃げる逃げる。明日は土曜日だ。

■爽やかな朝(2004,4,29 jeudi)
 爽やかな朝、早めに着いた仕事場は春の光に包まれていた。いつものようにパソコンのスイッチを入れる。パスワードを入力。しかし、「パスワードが違います」という表示。おかしい。何度やってもダメだ。きのうの朝、パスワードの有効期限がなんたらかんたらというのが出たので、いつものように同じパスワードを更新したはずだったのだが、どうやらそのときに別のことばを入力してしまったらしい。新しいパスワードは2度入れなければ更新されない。ということは、2度入力し終わるまで間違いにまったく気づかなかったのだ。呆れる。
 きょうは午前中はずっと会議でそれが終わると面接が入っていて、昼飯を食べ終えたのが3時だった。その後パソコンと格闘。一つずつキーを変えて打ち込んでみるが起動するわけもなく、一時途方にくれる。ところがネットで調べた方法でやってみたら一挙解決。貴重な時間をかけて大切なことを学ぶ。そう、間違うところは教室だけではない。職員室も間違うところなのだ。明日が金曜日でよかったよ。
 気温がぐんぐん上昇して24度までになった。きょうこそはサイクリング日和。HUMBER RIVER沿いを1時間ほどかけて走る。空は快晴、心地よい風。光る川面に、憩う人々。最高のときを過ごす。この川はトロント市内を流れる川の中では水量が多く、水もきれいなほうだ。秋には鮭が上ってくるそうだ。盛岡なら中津川とか雫石川とかに雰囲気が似ていなくもない。見るものすべてが美しい。すばらしいサイクリングロードだ。
 道端でがさごそいっているので、見るとカメだった。体長50センチくらいのでかいカメ。道路を横断しようとしていた。通りかかった老夫婦の奥さんのほうが、こんなのを見るのは初めてよと言っていた。その他ぺらぺら何か言っていたが意味はわからず、僕は相槌ばかり打った。旦那さんがおもむろに落ちている木の枝を拾うと、それでカメをほれほれとつつき始めた。道路を無事横断するまで、無口な翁はカメを執拗につつき続けていた。
 ちょっとベンチで一休みしようと思い、自転車のチェーンロックをかけようとしたのだが、4桁の番号が思い浮かばない。一冬過ごすうちにすっかり忘れてしまったのだ。思い当たる数字をあわせてみるがまったく開く気配がない。パスワードとか暗証番号とか、でーっきれーだな。でも0000から9999までだから、1万回やるまえに開くだろう。
 
■知らぬ間に(2004,4,28 mercredi)
 知らぬ間に布団に入って寝ていた。目覚めたら11時過ぎ。いったいいつ寝たんだか。8時頃だったかな。朝のうちは快晴で、きょうはサイクリングなんかいいぞと思ったので、冬の間部屋に置いていた折りたたみ自転車を車に積んで、帰りには河原のコースをちょっと走ってくるかな、なんて期待していたら雨。渋滞を抜けて帰ってきたら、急に眠くなってしまった。なんかもったいない。もったいない。日本は明日からゴールデンウイーク。すばらしい。先の4連休はいわばそれの先取りで、こちらでは全然関係なく出勤だ。皆様どうぞいい連休をお過ごしください。
 
■財布が(2004,4,27 mardi)
 財布が壊れてきたので新しいのを買おうと思っている。ところが、店に並んでいるものは皆札入れで小銭を入れるところがついていない。こちらの人は札入れと小銭入れを分けて持っているらしいのだが、そんなことはけしてしたくないのだった。だから、もう少し探してみよう。
 財布を買うと中に入れるお金がなくなるなんてよく言われる笑い話だが、クレジットカードやデビットカードで買えば問題は一挙解決する。小銭を持たなくてもいいし、お札も減らない。でもそれなら新しい財布も要らないような。カード決済するということに決めればいろいろな面で楽になることは確かだ。怖い気もするけど。ためしに一か月現金をできるだけ使わないで生活してみようか。

■午後から晴れて(2004,4,26 lundi)
 午後から晴れてきて散歩日和になった。連翹や紫木蓮も咲き出した。チューリップやタンポポも咲き出した。楓の芽が少しずつ出てきて、桜のつぼみも心なしか赤くなってきている。ブロアという通りを西に歩く。今まで通ったことのない道。いくつかの元気な集落を通り過ぎる。ウクライナの人たちが多く住む地域らしく、キリル文字の看板があったり、それらしい言葉が聞こえてきたりした。どこかのデリで昼飯をとも思ったが、入ったのはピザ屋だった。3時間くらいかけてゆっくり寄り道しながら歩いてきたが、地図で見たら7、8キロしかなかった。もっと長い距離かと思ったのに。日焼けして頬が赤くなった。

■あるお宅での(2004,4,25 dimanche)
 あるお宅での食事会だった。どの部屋も美術館みたいにきれいで、奥行きのある庭も手入れが行き届いていた。自然と人間がちょうどよく共存できていて、一つの理想的な生活がここにあるなあと思った。贅沢というものではなく、物質主義というわけでもない。夫婦や親子がさまざまなことを語り合いながら、お互いに成長し合い、毎日の心の安楽や享楽を実現するステージとして、仕事があり、住居があり、生活がある。身の回りには美しいものだけを置き、かといって醜いものを見ないわけではない。苦悩や困難も自然に受け入れて、すべて心の滋養に変えてしまう。これだけのQ.O.L.を実現できる社会。
 こういう夢のような生活は自分とは無縁の世界のお話だと思っていた。でもこれだけ身近なところに普通に存在しているのを実感して、それが衝撃だった。思えばこの種の衝撃はここに来てからことあるたびに受けてはいるのだが、これがカナダという国での生活だからなのか、それとももっと個人的な生き方のレベルでの自分との差なのか、それともそれらが関わり合ってのことなのかよくわからない。もちろん個人や各家庭によってさまざまな差があるから、カナダでは皆こうだという話をするつもりはない。だが、こういう生活を実現できる基盤がカナダ社会にはある、ということは言えるような気がする。

■午前中は(2004,4,24 samedi)
 午前中は記念撮影で、すべて撮り終わるのに12時過ぎまでかかった。写真屋さんは、日本の子どもはすばらしいと話していた。幼稚園児でさえ、「カメラを見て」、「手はひざの上」、という指示に素直にしたがうといって感嘆していた。こちらの学校で撮影しようとするとみなてんでばらばらで、全員がそろってカメラを見るなんていうことはまず不可能なのだそうだ。「そろって」、なんていう考え自体が存在しないと言っていた。
 いい天気だった。昼休みに外に出ると地元の子どもも何人かいてソフトボールをしていた。さっきの写真屋さんの話では、スポーツを教えるときに日本の場合は形から入るからすごくフォームがきれい。カナダの場合は形なんかはそれぞれでとにかく試合ばかりさせるのだという。ソフトボールの子どもたちを見ているとずいぶんへたくそで、この子たちはソフトボールをしたいのではなく、青空の下で何かしたいという気持ちのほうが強いのだなと思った。外にいるだけで気持ちのよいひとときだった。
 我々が帰る頃、駐車場では近所の子どもたちとその父親と祖父らしき人々がホッケーをしていた。ゴールやスティックは家から持ってきたらしい。ゴーリー役の子は、手に野球のグローブをはめていた。テニスボールを使ってのホッケーだったが、車にぶつけるなよなどと思いながら見た。しばらく見ていたら、そろそろご飯なのか遊びをやめてみんなで帰っていった。「車が凹んでたりして」、などと言って笑った。メイプルリーフスが勝っているので、外でホッケーで遊ぶ人が多くなっているみたいだ。リーフスのユニフォームを着ている人や、旗を立てている車も増えている。ブルージェイズが連覇した頃には、町中で野球が流行ったそうだ。けっこう単純、でも日本でも同じかな。
 カーリングの世界選手権でカナダの女子チームが優勝した。キャプテンのコリン・ジョーンズはCBCの朝のニュースに出てくるお天気お姉さんで、毎朝ハリファクスから元気な声で天気を伝えている。選手だというのはしばらくわからなかったのだが、テレビで真剣に試合をしているのを見るとこちらがほんとうの姿なのかなと思った。こういう二足の草鞋って素敵だよなと思う。テレビを観ていても、今ひとつルールがよくわからないのだが、やってみるとおもしろいスポーツではあるらしい。
 仕事の話になるが、この2週間ほどのところで、チームでことに当たるという認識が深まってきている。みんなでやるのはもちろん以前から当たり前ではあったが、もっと深いところでチームでやっていこうという流れができているようで、すごいと思う。磁場というか流れというか、この春の大きな動きは何なんだろうと考える。

■今ひとつ低調で(2004,4,23 vendredi)
 今ひとつ低調で書くことが思い浮かばない。で、低調だったり好調だったりが交互にやってくる。二日とか三日とかの短い周期での浮き沈みというものもあるが、それ以外にもっと大きな波というのがありそうな気がする。数年単位の。じゃ今は浮いている時期か沈んでいる時期かと考えてもよくわからない。もっと長い目で見ないと見えてこない。でもただの気の持ちようかもしれない。とまあそんな感じである。
 なんて書いていたらひとつ思い出した。今朝のストリートカーの中で、客の誰かが何回か続けてくしゃみをするたび、運転手がマイクを通して、"Bless you! Bless you!"といちいち言っていたのでおかしかった。その後この運転手はうっかりして停留所を行き過ぎてしまい、少々バックで戻った。そうして言ったセリフは、"Friday!"という一言だった。休みの前日は朝からそういうモードに入っているのだ。いいけど。
 
■木の芽が(2004,4,22 jeudi)
 木の芽が吹き出しそうになってきた。風はまだ冷たいが、外を歩いていると気持ちいい。きのうの土砂降りがあがって、芝生の緑がいっそう濃くなった。今まで通ったことのなかった道を通って帰る。でっかい犬を連れた人たちにたくさんすれ違った。夕方の散歩コースになっているのだろう。アイスクリームトラックの前で一人の子どもがポケットから小銭を出して数えていた。どうも足りなかったみたい。ちょっと困ったようなおじさんの顔。”Free Kitten”と書かれた手描きのポスターを見つけた。なんとも味のある猫の絵。吹き出しそうになった。

■いくつかの文書に(2004,4,21 mercredi)
 いくつかの文書に不備があることがわかった。何度も手直しをして新しいものをつくるのだが、それでもミスを犯してしまう。さっきも電話があって、ひとつの間違いに気づかされた。たいしたことのないミスではあっても、こんなことが続くとがっくりくる。ひとりでやっているわけではないのだが、どうも互いのチェック機能というのがうまく働いていないのではないかと感じる。ただ、自分はやはり抜けているのだろうと思う。この抜けさく。
 きょうはフードコートで10セントを拾った。下ばかり見ているからではない。ちゃりんと音がして、誰かのポケットから落ちたのだ。小額のコインを落としても拾わない人が多い。お金を拾うつもりで街を歩いたら、きっと一日で10ドルくらいになるんじゃないだろうか。
 初めて行った床屋には、もう二度と行くことはないだろう。最初に洗髪するのはよかったとしても、その後はほとんど電気剃刀だけを使って剃られ、襟足を剃るのかと思ったら剃らず、最後にもう一度洗うのかと思ったらそれもないまま終わり。髪の毛が背中に入ってちくちく刺さり、顔にも短い髪の毛が張り付いて気持ちが悪かった。これで20ドルというのは高過ぎだ。帰ってから自分でちょっとハサミを入れて、でこぼこしていたところを直した。
 必要に迫られてある分野の本をいくつか読んでいる。それで考えたこと。大事なのはその子を支える保護者や学校や社会のあり方をどうするかだろう。今まで生かさずにきたもののなんと多いことか。恐れずに、人を生かし人に生かされるような生き方をしたいものだ。これまで関わってきた子たちの顔がぐるぐると浮かんできた。ほんとにいくつもの十字架を背負っているのだと思う。
 きのうのつらいニュースというのはここには書けないけれど、これまで世話になった方のことを考えると、無念としかいいようがないのだ。人間というのは、ちょっとした拍子に変な穴に落ちてしまうということもあるということなのだろうか。自分もいくつもの穴に落ちてばかりだ。落ちたと思ったら反対側に突き抜けて、また落ちたと思ったらもとの側に戻って、ということを繰り返しているような気がする。

■トロントのホッケーが(2004,4,20 mardi)
 トロントのホッケーが勝ったので、表通りを行く車が皆クラクションを鳴らしている。いつまでも鳴り止むことがない。メイプルリーフスの旗を掲げた車が日に日に多くなっている。ホッケーがみんな大好きなのだ。
 けさ、道で1セントを拾った。ラッキー・コイン。下ばかり見て歩いているからか。
 帰りにはあるモールまでボスに送ってもらった。床屋で髪を切ろうと思い店に入ったら、「予約は?」と言われてかたまった。予約が要るとは思ってもみなかった。だいたい予約が要るような場所で散髪したことなどない。「帰ります」と言って出てきた。
 地下鉄で一駅移動してそこからバスに乗り換える。ところが、反対行きのバスに乗ってしまった。バスの中では立っていると外が見えない。30分くらいたったころちょいとかがんで外に目をやったら記憶にない景色。東行きのバスに乗ったつもりが西行きだった。もう少しで空港という辺りで降りて、反対側のバス停に渡る。少々気づくのが遅かった。周りには何にもない。どうしてここに立っているのかわからない。待つこと15分。やっと来たバスに乗ってもと来た道を戻り、そのまま乗り続けて45分で駅に到着。さらに地下鉄で10分。おそろしい時間のムダ。思えばけさのコインは、こういうこともありがたいと思いなさいという啓示だったのだ。いつものフードコートでご飯を喰うかと思ったら、とっくに閉まっていた。どんなことでも楽しめと、左斜め上から声が聞こえてきた。心配要らぬ、こんなことは日常茶飯事だ。
 だが、どうにもつらいニュースが郷里から届く。厳しい現実を前にしながら、こうやって普通の暮らしをするしかない。こんなことさえも楽しめなんていうなら、それはあまりにもひどすぎる。自分のことならいざ知らず、人のことゆえにどうにも無念遣る方ない。こんなふざけた野郎でも、ほんとは胸が張り裂けるように痛いんだ…。
 
■せっかくの休日も(2004,4,19 lundi)
 せっかくの休日もまとまったことができないまま終わってしまう。最近では夜更かしするくらいなら早く寝ようということになる。
 日中はぐんぐん気温が上がり、22度になった。半そででもよかったくらいだった。
 テレビジャパンは要らないなんていって、きのうはずいぶん観ていたではないか。それほど日本の気分から離れるのが怖いのか。離れてみてもいいんじゃないか。結論はでない。

■古くなった学校の(2004,4,18 dimanche)
 古くなった学校の机やいすをカンボジアに送る活動が始まったという。子どもたちも参加して、これを機会に向こうの子どもたちとも交流を図るのだそうだ。その活動自体に異論はないのだが、とりあえずの措置でならという条件付きだ。僕個人の考えでは、本当なら人の使ったものを援助するなんて考えたくないと思う。机もいすも校舎も屋根もないところは数々あるだろうけれど、そこに使い古しの救援物資が届く。いいことだとしても、援助する子どもたちにはそれでいいとは思ってほしくない。だいたいお古ばかりもらう子どもたちはありがたいと思うだろうか。日本の中古車がいっぱい走っている国がある。そこの人々はそういう状況をいったいどう感じているだろうか。援助してくれてありがたいと思っているだろうか。それはないよりはましだから思ってはいるだろうけれど、それだけかよとも思っているのではないだろうか。米や麦そのものを与えるのは本当の援助ではない。本当の援助は、米や麦の育て方を教えることだ。それでいくと、机やいすを送ることはあくまでも当座の策でしかない。しかも、落書きあり、穴がありの机を、色を塗り直すとはいえ胸を張って送るような気持ちはもてないなと思う。こんなことしかできなくて申し訳ありませんって、恐縮してしまうような感じで。
 ところで、きょうの日曜日はゆっくり過ごした。テレビをつけっぱなしで部屋の片づけをしながら夕方まで。朝にはゴスペルの番組を観て元気を補給した。昼にはサンデースポーツで「赤ゴジラ」という選手の活躍を知る。現在の読読臣人軍というのはとってもわかりやすくてよろしい。道徳資料として最適だ。このまま突き進んでいってほしい。大リーグ選手でいちばんの注目は田口壮選手。日記を読んでいると自分とスタンスが近いような気がする。のど自慢は実家の隣町花巻だった。とくにどうということもないが、いつからのど自慢にはシナリオができちゃったのだろう。ゲストまで決められた台詞を言わせられているのが見え見えだ。計画的な番組作りということなのか。その後は桂三枝の落語だった。三枝自身の創作落語だと思うけれど、おもしろくて大笑いした。日本文化の花形は落語であり漫才であり、お笑いがいちばんということになるのではないだろうかと思った。
 夜にはミュージカルを観にいった。"hairspray"は最高に楽しくて、3時間半があっという間だった。ミュージカルがあるだけで、僕はこの街に来た偶然を幸運だったと心から思う。笑いと歌と踊りでいろどられた現代アメリカ文化の花形だと思う。それに、多民族の国でなければ生まれようがないストーリーや演出だと思った。発音が明瞭だったのでけっこう意味がわかった。かなり笑いにもついていけるようになってきたぞ。だがそれだけ簡単な中身だったともいえる。いつも思うけれど、ステージの人々を見ていると素敵な表情がいくつもあってどうしたって惚れずにはいられなくなる。ゴスペルといいミュージカルといい、みていると血が騒ぐような感じになって、自然に身体が動いてくる。そういうことを素直にできる自由さが好きだ。

■朝起きると(2004,4,17 samedi)
 朝起きるとのどが痛かった。しばらくして声が出ないのに気がついた。それでもほかに風邪の症状はなかった。大きな声を出していたらそのうち治った。一年間こういうことはなかった。二年目になっていきなり出たのは、緊張感が緩んできたからかもしれないし、慣れてきたからかもしれない。だが、理由にはならない。気をつけよう。
 6時間かけてとりあえず半分くらいの教室を回った。あとの半分は来週だ。午前中に激しい雷雨になった。放課後は会議が3つ続いて、その後もいろいろと話し合いがあった。話してばかりで、片づけがいちばん後になってしまった。
 6時を過ぎてもあれこれやっていたら、ケアテイカーが露骨にいやな顔をみせて、早く帰ってくれみたいに言い出した。必要と思うことをやっているとどうしても時間が経ってしまう。最近どうも時間が遅くなり気味で、これは自分のせいではないかと思う。なるべく時間内に仕事を終わらせるように、みんなにもっと働きかけよう。
 校舎を出て駐車場に来てからはまた立ち話になった。仕事とは関係ない話を8時半頃まで。また記録が塗りかわった。もう少しで木の芽が一斉に吹き出す季節になる。夏を前にして気分がどうしようもないくらいうきうきしてくる。短い夏を楽しむ。カナダの夏のさまざまなアクティヴィティについて話を聞くと、時間がいくらあっても足りないと思う。
 だけど、やれることは限られており、ほんとうにやりたいこともそんなには多くない。何を選ぶか、時間をどういうことに割り当てていくか。確かなのは、残り時間はどんどん減っていくということだ。

■金曜日の夕方(2004,4,16 vendredi)
 金曜日の夕方、あすのためにはっきりとした打ち合わせに参加させてもらった。今まではどちらかというと遠ざけられてきた面があるので、自分自身いろいろなことが明らかになってよい。はっきりしないまま悶々とするよりも、直接理解してすっきりするほうが何倍もいい。今までなんだったのだろうと感じずにはいられない。だけど、それが必要な状況というのがあったこともまた事実だと思う。
 それにしても、まじめ一点張りがいいのかというとそうでもない。まじめであるがゆえに解釈が狭くなってしまう。遊びがなくて窮屈になるということがある。というより、「まじめ」というのはいいのだが、その表現の仕方一つで、雰囲気は変わってしまうものなのだ。以上、ただの覚書。

■人のためといいながら(2004,4,15 jeudi)
 人のためといいながら自分のことしか頭にないということもある。自分では善意だと思っていても、そうはとってもらえないということもある。他人の善意を利用して、いい思いをしようとする人がある。まさか自分では悪意などとは思うはずもないのだが、結果的には誰がみても悪意にしか映らないという状況もある。世界を舞台に活躍しているつもりが、実は殻に閉じこもってしまっているだけだということもあるような気がする。自分だけが見えていない、ということがある。他が伝えようとしてもどうしても伝わらない。自分で、気がつくしかない。
 誰ということではないけれど、ニュースで身内の声を取り上げすぎると、現実がゆがんで伝わってしまうということがあるのではないだろうか。「家族」の映像やコメントが、気味悪く思えて仕方ないときがある。いつでも誰もが誰かへの加害者かもしれないのだ。
 いろいろあることないこと書き連ねてみる。自戒を込めて。

■鷺沢萠さんの(2004,4,14 mercredi)
 鷺沢萠さんの死はとても残念だ。思えば目を海外に向けるきっかけとなったのは、彼女の作品群だったのではないだろうか。多くのことを教えてもらった。本は一冊だけ持ってきて、あとは家に置いてきた。「君はこの国を好きか」。じっくり読んでみようと思う。冥福を祈る。

■街の色彩が(2004,4,14 mercredi)
 街の色彩が急に鮮やかになってきた。まだ風は冷たかったけれど、外を歩きたくなるいい天気だった。職場を後にしたのは6時半だった。セントクレアからデイビスビル、エグリントン、ローレンスと歩いて帰ってきた。途中、エグリントンの地下のピザ・ノバでラザニアを食べた。家に着いたのは8時過ぎだったが、外はまだ明るかった。
 セントクレア沿いのストリートカーが、どうも存続の危機にあるらしい。通勤で利用している路線だけに、今後の動向が心配だ。できるだけ利用するようにしたいと思う。
 テレビジャパンを見るために、ロジャーズの料金の最も高いパックに加入している。この一年当然のごとく払い続けてきたのだが、ここにきてその必要性に疑問がわいてきた。月間120ドルほどのお金を、テレビジャパンさえ見なければ半分くらいに抑えることができそうだ。少し具体的に考えてみたい。

■北海道の(2004,4,13 mardi)
 北海道の六花亭社長のインタビューが放送されていた。人事部も管理職もなく、社長が一人で千何百人の社員を管理している。毎日欠かさず社内報を発行し、毎月優秀社員を表彰してボーナスまで出しているそうだ。人を育てるのがすべてだという言い方だった。こういう感性が、トップには必要だと思った。
 で、チャンネルを変えると、どこかの国のバカッチョ大統領が出演していた。完全にどっちらけムードの記者会見会場。こんなやつのために世界は翻弄されているのだ。誰も彼を止めることはできないのか。唯一の方法はバカッチョを大統領の座から引きずりおろすことだ。それができるのは彼の国の有権者だけだ。
 
■サーニアの朝は(2004,4,12 lundi)
 サーニアの朝は6時半に起床。一晩中ヒーターがつけっぱなしだったが、寝ていて少し寒かった。きょうはいい天気で、外を歩いてこようと思ったが、風が冷たかったのでやめた。ロビーでは朝食が食べられると聞いていたのだが、あったのは飲み物とマフィンだけだった。コーヒーをカップに注いで、マフィンを電子レンジに入れ、20秒温めた。フロントにいたのはすごく太った女性だった。「電子レンジによってやり方が違うから、たまに分と秒を間違って20分温める人もいるけど、気がつくとたいへんなことになってるの」なんていう冗談を言っていた。
 昨夜チェックインのときにいたのはリンダさんという女性で、サーニアの町のことをあれこれと説明してくれた。「今はまだ寒いけど、夏になるといろいろなイベントをやるからまた来るといいわ」と言って、「夏にまた来る?」と聞いてきたので、「たぶん来ます」と答えた。早口だったが、とても親切でうれしかった。僕の漢字のサインを見ると「ワオ日本語!」と言って喜んで、「この名前を日本語で書いて」と言って、紙に"Linda"と書いた。その下に「リンダ」と書いて見せると感激した様子。「じゃ息子の名前は?」といって書いたのは、"Michael"。「マイケル」と書くと、「帰ったら息子に見せるわ」と言った。さらに、「私のボスの名前よ」と言って、"Chiristine"と書いたので、「クリスティーヌ」と書いた。日本語の文字に対するこういった反応は少なくない。だが、これらが写されるうちに、「リソダ」「ヌイケル」「クソヌテイース」などと変貌していくのではないかと危惧する。
 サーニアの町を抜け、ヒューロン湖の水がセントクレア川へ流れ込む入り口へ行ってみた。湖のほとりでしばらく橋と灯台と水平線を眺めていた。橋の真下に行ってみるとそこには小さな商店街があって、そこを抜けると川に臨んだ公園になっていた。畳3畳くらいはある大きなカナダ国旗とアメリカ国旗が並んで、左岸と右岸で同じように風にはためいていた。
 402号線を東に向かう。オイル・ミュージアムという看板を目にして、高速を降りて南下する。オイル・シティという名の小さな町を過ぎると、オイル・スプリングスという村があった。そこにオイル・ミュージアムはあったのだが、ここも5月にならないと開かないと書いてあった。建物には入れなかったが、外に展示してある、カナダで最初に石油を掘削した井戸とか、石油を運んだ木製のタンクとかを見ることができた。その辺りはやはりどことなく石油くさくて、古い油井の跡らしきものがいたるところに残っていた。そこから農道を通って東へ東へと進む。とにかくまっすぐな道路はたまにトラックが通るくらいで、誰もいない。360度広がる農地を、時速100キロで飛ばす。カナダではあるけれど、東北地方の田舎道を通っているような錯覚になる。途中、地図にあった古い教会や、ストラスロイという町を過ぎて、再び402号線に乗る。腹も減ったし、ガソリンも入れたいのだが、ちょうど昼時と重なって、サービスセンターはどこも満杯。この人と車の多さにはいやになる。
 401号線と合流してしばらくしてから高速を降りて、ケンブリッジという町に入る。ところが、このケンブリッジという町。ケンブリッジというだけあって、歴史を感じさせるきれいな町だった。石造りの建物がたくさんあって、とんがり屋根の教会もいくつかあった。ダウンタウンに車を止めて一時間ほど散策した。ここでサンドイッチの昼食をとり、ガソリンスタンドに寄って、あとはまっすぐ家に向かった。結局帰宅したのは3時を過ぎた頃だった。
 きのうから、国境をただ眺めるという旅をしてきた。あまりこういうことをする人もいないだろうし、どうということもない旅ではある。だけど、自分にとってはそれなりに意味のある旅になったと思う。正直カナダに住んでいながら、なんとなくまだ日本にいるような感覚になっているところがある。身体はここにいながらも、心は日本にあるというような感じ。だが、国境を見ることで自分は北米大陸にいるんだったということを再認識させてくれたように思う。まだまだ書きたいことはあるけれど、明日からまた仕事なのでそろそろ寝よう。

■きのうは(2004,4,11 dimanche)
 きのうは、日本首相が「アメリカと違う」というアピールをするべきだと書いたのだが、アメリカに住む日本人の人たちはそれを読んでどんなふうに思っただろう。そのことを一度も想像せずに書いていたことが恥ずかしくなった。このサイトを読んでくれている方の中にも、アメリカ在住の日本人の方がいる。その人たちの気持ちを考えずに書いてしまったことに反省をしながら今夜は苦い夜を過ごしている。
 実は今、サーニアという国境の町のモーテルでこれを書いている。ここから徒歩5分ほどのところにセントクレア川が流れていて、対岸はもうアメリカである。ここまで向こう岸を眺めながら車を走らせてきて、その人々の普通の暮らしを思い浮かべてみるまで、そんなことにすら気づきもしなかったのだ。きのうの時点で書いたことは自分の本心ではあるけれど、その本心を書くことで誰かの心を傷つけたのではないだろうか。こういう心配事は日記を書き始めてからいつもつきまとっている。
 だが、言い訳だけど、その本心は一日たつとまた少し変わり、日々違うことを考えながら、ものごとを判断していくことになる。誰も傷つけない文章を書くのは難しい。そうして、ものを書くということはいつも誰かを傷つけているかもしれない行為であることをきょうもまた肝に銘じたい。

 今朝、小さな旅をしようと思いたち9時に家を出た。ロンドンより西に行ったことがなかったので、その向こうを目指すことにした。ひたすら401号線を進む。天気は晴れたり曇ったり。車内は暖かくて、時々窓を開けて空気を入れると気持ちがよかった。ロンドンの手前のサービスセンターのマクドナルドで少し遅い朝食を食べた。
 ウインザー市内に入ったのは午後1時前だった。5時間くらいかかると思っていたら意外と早かった。ウインザーはデトロイト川に面した人口20万の国境の町。川にはアンバサダー・ブリッジという橋が架かっており、アメリカ・ミシガン州のデトロイト市と結ばれている。高速を降りて突き当たるまでとにかく直進すると、川にぶつかった。大きな橋も見える。道路に車を止めて川岸をゆっくり歩いてみる。対岸までは3〜400メートルといったところで、目を凝らせば人の姿もわかるくらい近い。モノレールが通っているのが見えたり、パトカーのサイレンも聞こえてきたりする。GM本社などの高層ビルがいくつかそびえ立っており、高い建物の少ないカナダ側とは対照的である。そういえば、「ボウリング・フォー・コロンバイン」にもここからの映像が出ていたのを思い出した。全米で最も治安の悪いとされる都市と、町中でも鍵をかけないほどのんびりと暮らせる都市が、この川を挟んで向き合っている。
 かつて、18世紀末から19世紀にかけて、アメリカの黒人たちは奴隷禁止法があった「自由の国」カナダへとこの川を渡って来たのだという。アンダーグラウンド・レイルウェイとよばれた地下組織が、多くの黒人奴隷をカナダへと逃亡させた。そして、この土地に多くの黒人たちが定住した。河岸のあちこちにそのことを記念した碑が建っていた。その時代から、カナダはアメリカとは別のアイデンティティをもっていたのである。
 町の中を一回りしてみた。イースターの日曜日だからなのか人通りが少なくひどく閑散としていた。目抜き通りの大きな建物も、中をのぞいてみると空っぽで、よく見るとテナント募集の張り紙がしてあった。ウインザーには大きなカジノがあり、そのビルの壁面には、向こう岸から目立つようなどでかく赤い文字で”CASINO”と書かれている。しかし、休業日なのか駐車場の入口も出口もコンクリートのブロックで塞がれている。後ろに回ってみると、4、5人の男たちがプラカードを持ち、ドラム缶に薪をくべ、火を焚きながら立っていた。そのプラカードには、「ストライキ」という文字が見えた。カジノもストライキか。「アメリカからの客が毎日押し寄せる」みたいなことがガイドブックに書かれていたが、現実はそうではないらしい。前を通る車の半分くらいが、彼らを励ますようにクラクションを鳴らしながら走っていった。
 町にはこれといって見どころになるようなものはない。博物館があったが、連休中は閉館するという表示があった。とがった屋根のレンガの教会はこの町にもあるが、それほど美しいとも思わなかった。日本の地方都市の町並みとそう変わらず、町全体としての統一感に欠けるという印象をもった。ウインザーとデトロイトの間は橋のほかにトンネルでも結ばれている。ダウンタウンのど真ん中にトンネルのゲートがあって、免税店の看板も出ていた。トンネルを行き来するバスも出ているようだった。
 3時を過ぎて腹が減ったので、適当な店に入った。スブラキとかレバニーズとかの看板が出ていたアラブ系のファストフード店。中に入ったとたん店のおじさんは「ちょっと待ってて、子どもをトイレに連れて行くから」といって、2〜3歳の女の子といっしょに店の奥に入っていった。戻って来てからハンバーガーを注文したら、「日本語を話しますか」と日本語で話しかけてきた。驚いて、「日本語、話せるんですね」と言ったら、「私はアラビア語を話します」とチグハグな返事が返ってきた。その後の話で、どこで日本語を覚えたかと聞くと、モントリオールの大学にいたとき日本人の友人が教えてくれたのだという。週1回、合計6時間勉強したと言っていたが、6時間でそんなに話せるようになったのなら大したものだと思った。
 ちょうど大学イモみたいな形に切ったポテトのフライにはマヨネーズみたいな白いソースをかけてくれた。「ガーリックソース。おいしい!」と言って主人は親指を立てた。アラブの人々とはこういう店くらいでしか接することはないけど、人当たりのよい穏やかな人たちだと感じる。後から何人かの客が来たが、その人たちは何を買うというでもなく、道を尋ねたり、何かの情報交換をしたりしているようだった。アラブアラブとひとくくりにしてしまうが、ちゃんとどこの国かを尋ねればよかったと思った。
 ウインザーから川沿いを北上し、また東へ戻った。途中、セントクレア湖のほとりの灯台や、チャタムという町を見ながら、ドレスデンという町に向かった。そこには「アンクルトムの小屋」というところがあった。アメリカから来た黒人たちに農業等の職業訓練を行っていた場所だった。教会の建物や、薫製を作るときに使うスモークハウスなどが残されていた。アンクルトムというのは聞いたことがあるが、何をした人なのかはさっぱりわからなかった。この訓練校を設立したのがジョシア・ヘンソンという人で、トムのモデルになった人なのだそうだ。博物館も建っていたのだが、5月までは閉館らしく中を見ることはできなかった。夕暮れ時、外はもうかなり寒かった。
 そこからまた西へ向かい、ワレスバーグという町からセントクレア川沿いを北に向かった。この道も、川を挟んで向こうはアメリカである。デトロイトよりもずいぶん向こう岸が近いところもあった。カナダ側には川に開いて住宅がたくさん建っており、カナダ国旗もたくさんたっている。中にはアメリカの国旗もある。いたるところ小さな船が接岸できるようになっていて、夏場は釣りなどのリゾート地として賑わうのだろうと思われた。対岸にも家がたくさん建ち、国旗がちらほら見える。手こぎボートで簡単に行き来ができそうだ。毎日隣の国を見ていたら、おのずと国と国の関係や違いについて考えるだろうなと思った。たったこれだけの距離で、制度も治安も国際的な立場も何も異なるのである。おそらくお互いに、相手のことを自分たちとはまったく違う境遇だという認識をもっているのではないかと思った。ナイアガラに行った時も同じような状況を見たが、そのときにはこれほど考えなかったかもしれない。向こう岸の人たちはどんな人たちなんだろうなんて考えたときにふときのうの日記のことを思い出してはっとした。
 サーニアに入ったときには8時を過ぎていた。適当なモーテルを見つけてそこで泊まることにした。向かいにマクドナルドがある。部屋に荷物を置いてマクドナルドで夕食。レストランで食事などという気持ちはなぜか起きなかった。飯などどうでもいい感じだった。考えてみれば、きょうは三食ともハンバーガーだった。これはやばい兆候である。

■土曜休みは久しぶり(2004,4,10 samedi)
 土曜休みは久しぶり。天気も快晴で気分がいい。きのうの朝は寝てばかりいたが、きょうは部屋の片づけをして早めに散歩にでかけようと思っている。
 昨夜は初めてラクロスのゲームを観に行った。ナショナル・ラクロス・リーグ(NLL)の地元チームトロント・ロックとオンタリオ湖の対岸のアメリカ、ロチェスター・ナイトホークスのゲーム。ルールはアイスホッケーと似ているが、氷ではなく緑のフィールドで行う。選手たちはクロスというラケットのようなものを持って、ボールをそのクロスで受けたり投げたりしながらフィールドを走り回る。北米のインディアンが発祥のスポーツだそうだが、テレビで少し観るくらいで、よくはわからなかった。だが、実際に観てみると、予想の何倍もおもしろくて興奮した。客の入りもホッケーやバスケと変わりなく、場内の熱気はそうとうなものだった。始まりにはお約束の国歌斉唱。アメリカの時はシーンとして拍手もパラパラ。それに対してオー・カナダが始まると一転してすごい拍手と歓声。ゲームは選手どうしのアタックが激しく、クロスで叩きあっているような感じで、もうほとんど格闘技。ホッケーでも乱闘シーンはよく見られるが、この日のラクロスでも、ヘルメットを引きちぎりこぶしで殴りあうような激しい乱闘がいくつかあった。審判やほかの選手も止めに入らず、けっこう長い時間そんな場面を見せられた。乱闘シーンには興奮して盛り上がる人とそうでない人とがいるようだが、僕もちょっとなあと顔を背けたくなった。ロックに得点が入ると場内大歓声。僕も声を上げ、ガッツポーズを出して喜んだ。逆に相手が得点するとブーイング。ラクロスの応援で特徴的なのは、細長くてホルンのような形をしたホーンを吹き鳴らすことだ。近くで吹かれるとボオーッとかなり大きな音がして圧倒される。日本のガイドブックにはほとんど載っていないけれど、一見の価値はある。北米旅行で野球やバスケが観られなくても、もしチャンスがあったらラクロスを観てみると同じような興奮を味わえると思う。
 話し変わって、朝のテレビジャパンでは、なんとか会の開会式が中継されていた。見ていたらなぜか気持ち悪くなった。吐き気がするような感覚。なぜだろう。子どもたちが群読?をしていたが、それを聞いて相当な違和感を覚えた。皇族のあいさつもあんまりだと思った。日本語の響きがこんなにまずく聞こえるのも珍しい。せっかくの楽しい会の始まりに、どうしてあんなに無表情でしゃべるのだろう。ちっとも楽しそうじゃない。
 で、今はTVAというケベックのフランス語のテレビをつけながら書いている。以前モントリオールで朝の情報番組を見て雰囲気の違いにえらく感激したのだが、トロントでも同じ番組が放送されているのがわかったのはついこの間のことである。Salut, Bonjour! Week-End。ヨーロッパの空気もこんなふうなのかなと想像したりするのも楽しい。同じ商品のコマーシャルでも、英語版とは微妙に変わっていたり、全然違っていたりするのがおもしろい。それと、言葉はわからなくてもこの豊かな表情や身ぶり手ぶりをみているだけで気持ちがいい。ケベックの人々が魅力的なのはこの表情の豊かさのためではないかと思うのだ。洋の東西を問わず老若男女を問わず、こういう表情をみるのが僕は大好きだ。
 ところで、イラク絡みで思い出したことを少し。去年の暮れ、職員用の週報の原稿に校長のクレームがついて、5、6回ダメを出されて書き直したということがあった。たしか石油目当てのイラク戦争というような感じで書いたものだったと思うが、ボスの考えとどうしても相容れず、平行線をたどった。結局その原稿はボツになり、節電かなんかの記事に差し替えてやっとOKをもらった。彼はイラク戦争の正当性を認めていたようで、何を言っても聞く耳をもってはもらえなかった。CNNばかりみてるとあんなふうになるのかなんて、こちらも珍しく感情的になったものだ。
 だが、それにいたるまでには伏線があって、昼食時にこんな話題がちょっと出てきたのである。いつもと同じようにいろいろと話していたら、どうもムードがおかしくなっていった。どんな話がどう進んだのか覚えていないのだが、たしかこんなことだったと思う。自分が、国のあるじが英断すれば戦争を回避することができるのではないかと言ったのだ。そしたら、戦争するというのは人間の本能だと彼は言った。もし自分の子どもや配偶者が危険にさらされていたら、そのとき銃をとるのは人間として当然だと。これには周りの人たちも深く同意した。戦争とは突き詰めていくとそういうことなのだと…。
 「大切な人を守るためなら、殺してもかまわない」。これはきっと真実というか、人間が普遍的にずっと抱いてきた感情だろう。このことを具体的な顔を思い浮かべて考えることができないぶん、人間としてはまだまだ足りないわけで、そこを突かれると弱い。だけど、このことと「戦わない」という決意が矛盾しているように思えて、今の僕にはそこがよくのみこめていない。世界中で武器を手に取る人々の大部分は止むに止まれぬ理由をもっているのではないだろうかと想像するのだが、どうなんだろう。
 小泉首相や自民党の政治には甚だ疑問点が多いし、危険だと感じる。あまりにも説明がなさ過ぎだし、国会でも議論が尽くされているとは言いがたい。マスコミにも口封じがかけられてきているし、それをみている国民の思想にもコントロールがかけられている。国民が知らぬ間になんとなく既成事実が積み重ねられていって気がつけば太平洋戦争前のような状態になっていた、ということになってしまいそうだ。と感じるのはおかしいだろうか。
 首相が今国民に対してやらなければならないのは国民を煙に巻くことではなく、わかりやすく政府の方針を示すことではないだろうか。それによって国民の間に議論が巻き起こればそれに越したことはない。反対賛成いろいろあってよし。国会ではもちろんさまざまな場所で国民が議論を尽くし、その上で国として決定したら、あとはそれにしたがってやっていけばいい。そういう手続きを怠るなという怒りが国民の間に膨れ上がっているのかなと思う。やってみた結果やっぱりダメだと国民が判断したら、そのときには政権交代すればいい。
 国民が政治に参加する機会はごく限られているけれど、国を変えるにはその機会を生かすしかない。もし今の政治がよくないと思ったら、それを選挙に反映させるしかないと思っている。今度は参議院の選挙がある。僕たち一人一人が日本をどうしたいのか、それを考えて投票行動に移せればいい。生ぬるいかもしれないけれど、選挙によって国のあり方は変えられると思う。今年はアメリカでも大統領選挙がある。世界のリーダーであるアメリカのリーダーを決める選挙は責任重大だ。清き一票というのは人間の命運を左右するから清き一票なのだろうと思う。どこの選挙でもそうだと思うけれど、一人一人の投票行動には人間の命がかかっている。棄権とか不投票がどれだけ無責任な行為かということは子どもたちに伝えたいと思いながらこれまでやってきた。
 今回の事件でカナダのメディアが大きく取り上げているのは、3人が誘拐されたという事実よりも、日本首相の「撤退はしない」という発言のほうである。自衛隊をイラクから撤退しないことがいいことかどうかは別にして、日本の首相のはっきりした方針の表明は海外にも伝わるのである。もし撤退が政府の考える選択肢にないとしたら、日本は独自の立場で支援をしているのだということをもっとアピールしなくては、自衛隊もNGOもそうして海外で生活する多くの日本人もますます危険にさらされることになるだろう。そうなったら非常に困る。

■「アメリカのようになれ」(2004,4,9 vendredi)
 「アメリカのようになれ」と本気で勧めてまわるのがアメリカという国家の悪癖だと司馬遼太郎は「アメリカ素描」の中で書いている。ベトナム戦争の失敗でずいぶん考え深い国になったようだとも言っていたが、30年近くたった今、イラクでも泥沼を招いてしまっている現状をみると、はたしてアメリカに深慮があったかどうかは限りなく怪しい。
 日本人誘拐のニュースはCBCでも報道された。イラクではカナダなどの活動家も誘拐されている。イラク戦争、バグダッド陥落と、自分がカナダ生活を始めた時期とだいたい重なっている。いろいろな区切りがあるが、渡航した日で考えるとカナダに入ってから6日でちょうどまる一年になる。その後は、それ以前にいろいろと書いていたようなこと、例えば戦争と平和に関することなどは、あまり書いてきていないと思う。
 考えるのに十分な情報を摂取できていないことも理由かもしれない。だけど、実はそれは言い訳で、毎日のニュースをどうとらえたらいいのかわからないというのがほんとうのところだろう。ブッシュのやっていることは間違いだと感じてはいるが、それを表明することに何なのかという思いもある。日本のとる政策に関して批判したい気持ちもあるが、ではどうすればいいのかと聞かれても答えられない。
 何かを推し進めようとする立場に立ってみて、「文句を言うなら自分がやってみろ」と言いたくなることが多くなった。対案も何もないただの反対はあまり意味がない。そればかりか、混乱や停滞など全体に悪影響を及ぼすことが多々ある。声を上げるのであれば、では自分はどう考えるのか、そこまで表明する責任があるのではないかと思うようになった。そして、人の上に立つ者が、いったいどうなることを目指してどういうプロセスで何をするのかを考えてわかるように伝え、話し合いながら活動する。その努力なしには何事もうまくいかないと感じている。
 家族が涙ながらに救出を訴える場面が流れていた。署名活動も行われているという。誘拐された3人のインタビューのビデオが撮られていたのにはちょっと驚いた。NGOの活動など、死ぬ覚悟なしにはできないだろうと思う。自分の意志でイラク入りした3人には敬意を表したい。この3人の命との引き換え条件に自衛隊の撤退を出してくる犯人たちのなんと卑劣なことか。人質の解放のために全力を尽くすということは当然だと思うが、これで撤退したとしたらテロリストの要求を呑んだということになる。こうなってしまったことについて小泉首相の責任は重いと思うが、人命優先はもちろんとしてももともとの国の方針を曲げるようなことはしないでほしい。そして、もっと政府の方針が伝わるようにどんどん自らの声で訴えてほしい。こういうときこそ首相の肉声が必要なんだと思う。

■明日から(2004,4,8 jeudi)
 明日から4連休だからということもでもないが、この3日間はあまり頭を使わない仕事ばかりになった。物の管理はかなり重要である。新年度の初めはどうしてもこういうことに時間がかかってしまう。
 カナディアン・オペラ・カンパニーのチケットを取っていたのを昼になって思い出した。帰りが遅くなったので、行くか行かないか迷ったのだが、少し遅刻しても構わないと思って出かけた。ワグナーのワルキューレ。「地獄の黙示録」のあのフレーズで記憶にあった程度。10分遅れて入ったので第1幕は後ろで立ち見。第2幕から座って観たが座席は最後列(ZZ)で、幅が狭くて苦しかった。男声も女声もとてもきれいで、人間の声は美しいなあと感じた。それに、鉄筋が組んであるセットが現代的でおもしろかった。だが、1幕も2幕もほとんどあのテーマが出てこない。しかも、字幕は読み終える前に消えてしまい、おまけに単語もわからなくて話が理解できないし、疲れて眠くなるしでたいへんだった。第2幕が終わったところで10時10分。インターミッションのとき、ロビーできのうあいさつに行った方にばったりとお会いした。話がよくわからないというと、気にすることはないと言ってくれ、その後の話の展開を説明してくれた。ワグナーの「ニーベルングの指輪」というのは全部話がつながっているのだそうだ。その方は「でも荒唐無稽な話ですね」と話していた。第3幕が始まってやっとあのワルキューレの騎行が出てきた。終了したのが11時30分。なんと上演時間4時間30分である。飯も食わずに、ほとんど苦行に近かった。エコノミーに座って香港あたりまで飛んだようなもんである。まあこれも貴重な経験だ。今度観るとしたら、ちゃんと予習してから行くようにしよう。

■地下鉄通勤では(2004,4,7 mercredi)
 地下鉄通勤ではやはり読書ができてとてもよかった。日本語が沁みこむ感じで入ってくる。車だったからというのを読まない言い訳にはできないが、自分にとって電車の中が読書に向いている空間であることは間違いないようだ。もう少しすると公園で半日くらい読書できるような陽気になるけれど、それまでは地下鉄を利用するのもいい手かもしれない。
 古い資料のファイルの片付けと、情報交換で半日が終わってしまった。午後にはダウンタウンのとある事務所までボスと新年度のあいさつに行ってきた。4時前に終わったので、イートンセンターを案内してから、地図を買うというので本屋に入った。旅のガイドブックには、どういうわけか写真が少なくて文字ばかりの分厚い本が多い。それから、例えば「る・る・ぶ」とか「マップル」のような大判のガイドのような類は皆無である。ラテンアメリカの広く浅いガイドがほしいと思って探したが、これはというものはみつからなかった。銀行に行くというのでボスとはそこで別れ、地下鉄に乗った。混んでいたので正味30分立ちっぱなしで本も読めなかった。
 6時半に不動産の人とロビーで待ち合わせて、アパートの契約を更新した。チャイニーズのピーターさんとは一年ぶりの再会。あらかじめ日系のブローカーの方にお願いしておいたこともあって話は簡単に済み、家賃も今年と同一の条件でOKということになった。向こう一年分の小切手を書いて渡したのだが、SeptemberをSeptembre、OctoberをOctobreと書いたら、書き直しをさせられた。やっぱりだめか。
 夕食はGolden Wokという店で上海ヌードルというのを食べた。味はすっかり焼きうどんと同じだった。だけどしょっぱくて、いまとてものどがかわいている。
 独眼竜政宗の次のドラマは滝田栄の徳川家康だった。1983年というからもう21年も前の大河ドラマだ。冨田勲のテーマ曲が懐かしかった。当時オーケストラに隠れてかすかに聞こえてくるシンセの音に耳をそばだてて興奮していたのを思い出したが、きょうは実に明瞭に聞き分けることができた。子どもの頃の耳は相当に未熟なものである。

■世界など(2004,4,6 mardi)
 世界などそう簡単にみえてくるものではない。視野が少しばかり広がったからといって人生が豊かになるともかぎらない。今見えているのは小さなブラウン管と、東に向いた窓だけだ。月も出ていない夜に。
 今頃は新学期でだれもかれも忙しいのだ。だが、忙しいということばはちょっと危険な感じがする。妄だったり、忘だったり、望だったりするから。書かなければならない手紙がたまっている。 

■何日ぶりだろう(2004,4,5 lundi)
 何日ぶりだろう一日中快晴だった。きょうは散歩日和と外に出ると風が冷たくマイナス5度。まったく春の陽気ではない。それでも日向は太陽が暖かくてそれほど寒くは感じない。地下鉄をBloorで降りてChurch沿いに南下した。この通りを全部歩いたのは初めてだった。ユニオンまで行ってからは、チャイナタウンで昼食。ケンジントンマーケット経由でストリートカーでSpadinaに行き、そのまま地下鉄で北上、DownsviewからSheppard行きのバスに乗り、終点からまた歩いて帰ってきた。3時間ほどしっかり歩くとやはり気分も楽しくなる。車を使わずに過ごしたのも久しぶりだった。
 セントローレンスマーケットの近くに、N.Y.C.と書かれた黄色いタクシーが停まっていて、何かと思ったら映画の撮影だった。通りの向こうから見物した。女性二人が話しながら歩道を歩くシーンだった。タクシーのほかに、ホットドッグ屋やマガジンスタンドも実はセットだったということに気づいた。さらによく見ると、その場にいる人々は皆エキストラやスタッフで、道路の撮影している側では一般の人は足止めされていたみたいだ。自分もこんなところにいて大丈夫なのかと思ったが、カメラがこちらに向くことはなかった。トロントは、別名ハリウッド・ノースと言われており、いつも街では撮影が行われているらしい。撮影に出くわしたのは自分もこれで2回目だった。ニューヨークのシーンだったらニューヨークで撮ればいいと思うのだが、ニューヨークらしい場所が少なくなっているのだろうか。というより、きっと費用が安く済むのだろう。
 帰ると、アマゾンの箱が届いていた。予定では5月に着くはずのものがもう到着した。本はほとんど司馬遼太郎の文庫。それからシカゴやボストンのガイドブック。そして、CDがいくつかとDVDがいくつか。観ないままの映画がたまる一方だ。しかも、日が長くなると家の中で何かやっているより外に出たくなるものらしい。また、そぞろ神のものにつきて心を狂わせという感じになってきた。夏にはどこ行こうかと考えるとわくわくしてくる。
 不思議なことに、きょうは一日がとても長く感じられた。歩くスピードで過ごすと、移動距離は短いがその分濃い時間を過ごせるのかもしれない。今夜のクローズアップ現代は、高齢者の結婚がテーマだった。「老いて恋をする」それも一つの生き方だと思った。人の目を気にせず、自分のために生きる。なんと当たり前で、かつ難しいことだろうか。でも、人がどう思おうと関係なくて、結局は自分が納得できるような生き方ができればそれでいいと思う。70代と言わず、80歳、90歳になってからの結婚だって何もおかしいことはない。

■夏時間(2004,4,4 dimanche)
 夏時間になったとたんに、風が強くて寒い日に戻ってしまった。3時半に目を覚ました。いつもならもう少し寝られるところだったが、きょうは時計が1時間進んで4時半ということだったので、そのまま起床した。その後は午前中ずっと本当にのんびりと、パソコンのファイルの整理なんかして過ごした。そして、3時から、トロント交響楽団のコンサートに行ってきた。Isabel Bayrakdarianというソプラノ歌手がフィーチャーされた演奏は、とても感動的で涙が出そうだった。歌もよかったのだけれど、バイオリンの音を聴くだけでもじいんときた。座席は、ステージと客席のちょうど真ん中で、指揮者や演奏者を真横から見下ろすようなところだった。アルメニアン・カナディアンのイザベルさんは若くて綺麗だった。ピンと伸びた背中を真横から見られたのがよかった。ほかの演奏家の人々も皆背筋がしっかりと伸びていたので、素敵だなあと思った。音響的にはあまりよい席ではないのだろうが、一人一人の表情もよく見えてよかった。プロミュージシャンの生業ということにも思いを馳せながら、夢心地で音楽に耽っていた。指揮者のSir Andrew Davisはピアノを弾きながら指揮をしたり、演奏前に何かしゃべって聴衆を笑わせたりしていた。そんなことを見るのも初めてでおもしろかった。2時間はあっという間だった。
 コンサートが終わって5時。太陽はまだずっと上にある。とたんに夜が来るのが遅くなった。帰宅してテレビをつけると高校野球の決勝戦が行われていた。優勝した済美高校の校歌は現代的というかなんというか、校歌らしくなくてよかった。けれど、「やればできるは魔法の合いことば」なんていう歌詞を高校生が歌うのを見てたらちょっと可笑しくなった。
 8時近くまで明るかったのではないだろうか。車を走らせて来ようかと思っていたら、JUNOS AWARDSが始まった。ポップスの世界でも、カナダ出身のすばらしいミュージシャンがたくさんいることをあらためて感じた。


■新しい始まり (2004,4,3 samedi)
 新しい始まりというのがいつもある。きょうは入学式があって、子どもたちにとっては新年度第一日目だった。来週はイースターの連休となって、また一週間あいてしまうのだけれど、きょうはきょうで緊張の出会いの日となったようだ。自分がカナダに来たのが去年の入学式の翌日だったので、きょうでちょうど一周したことになる。太陽系を一回りである。ぜんぜんわからずに一年間過ごしていたのだなということがいくつもあって反省というか、また勉強。
 人に話しかけるというのはなかなか難しいことで、必要に迫られてではあったけれど、きょうはどんどん声をかけるように努力した。一年前にはその必要性にすら気づかなかったし、だいたいそれだけの関係がまったく構築されていなかった。それを思うと、一年という時間での変化は大きかった。
 放課後には深刻な相談ごともあって、できるだけ明るく応じたのだが、それが軽薄な印象を与えてしまったのではないかとか、もっとも必要な情報を与えることができただろうかとか、さまざまな反省点があった。だが、いくら問題が深刻でも、眉間にしわを寄せて暗く重く困った困った言っていてもしょうがないというところがある。長い時間話し合おうという姿勢も大切だけれど、だらだらしゃべりあっていても無駄だということもある。とにかくこちらとしては、スタッフどうしの和を作ることを頭に入れながらやろうと思う。
 バスの見送りの時には明るく暖かくなってよかった。ドライバーたちにも、雨が止みましたねなんてあいさつしていたのだが、帰る頃になったら今週でいちばん激しい雨が降っていて驚いた。トロント近郊の北の町では雪になるなんて聞いて、まさかとは思っていたが、思えば僕の着いたときは街が真っ白だったっけ。だからまだまだ油断はできない。
 とにかく、長い一日は終わり、きょうもボスを家まで送る。送迎もなかなかたいへんだが、否が応でも話をしなければならない状況が作れたのはよいことだ。約3週間でこの関係はかなり固いものになってきている。
 ビールを買うというので、初めてThe Beer Storeに寄った。せっかくなので二人で違う銘柄を一ダースずつ買って、半分ずつ分けようということにした。この店の買い方はちょっと変わっている。店に入ると壁一面にビールの値段表が貼ってあり、その中から買いたいものを選ぶ。店頭には商品は出ておらず、客はレジでビールの銘柄とビンや缶の大きさや数量を注文してお金を払う。そうすると、店の裏から冷えたビールが箱で出てくるのである。注文の仕方が面倒なので今までは敬遠していたのだが、いい機会になった。やはりビールでいちばんポピュラーなのはモルソンである。僕が選んだのはモルソンドライ。ボスはカナディアン。一ダースという言葉が伝わらず、最初は一個しか出してくれなかった。缶を12個だといったら、欲しかった330mlでなくて750ml缶が出てきた。サイズをちゃんと言わなかったのだ。それでもまあいいかと妥協して39ドルを支払った。気にしない気にしない。
 というわけで、今夜はビールと冷凍ピザの夕食である。とにかく入学式を無事終えてひとまずご苦労さん。そうして、冬時間もきょうで最後。明日からは夏時間。いつまでも明るい夜を思うとわくわくしてくる。

■きょうも雨 (2004,4,2 vendredi)
 きょうも雨。4日間降り続いている。明日もあさっても雨らしい。激しい雨ではないけれど、暗い雲が垂れ込めていてすっきりしない。もっと日光がほしい。春風に吹かれて歩きたい。
 久しぶりに地下のフードコートに行った。サクラ・ジャパンのいつものコリアンのおじさんはいなくて、代わりにその息子らしき若者が店番をしていた。エビフライと味噌汁の夕食。ご飯にまでソースをかけるとは思わなかった。だが、つやのあるジャポニカ米は舌触りから違っていて、甘みがあってうまかった。それと、味噌汁は世界一うまいスープかもしれないと思った。
 でも、同じくらい世界一のものは世界にはいくつもあって、それぞれ自分の思う世界一があるのだろうと思った。そうして、それらはみな同じ価値をもっているのである。

■四月一日 (2004,4,1 jeudi)
 四月一日ということを意識することもなく、もうすでに新年度真っ只中という感じの一日であった。会議が朝から午後まで続いた。その後も組になって書類の点検や入学式の準備作業が続き、終わったのは8時近かった。いつもならケアテイカーが追い出しをかけてくるのだが、きょうはなぜか優しかった。それだけ理解を得てきたのだろうか。いや、おそらくきょうは木曜日だったからだ。これが金曜日だと態度がまったく違う。6時前になるともうきょうは早く帰らなきゃならないのだと急かしてくる。カナディアンは金曜日の夜には早く帰って家族サービスをするのだそうだ。例えば、レストランで外食したり、モールで買い物したりして週末の夜を楽しむというわけだ。きょうはおかげで明日の仕事の目途も立ったので、明日は早く帰りたい。
 ボスを送った帰りパークウェイモールというところに初めて寄った。フードコートのカリビアンの店でビーフカレーを食べた。うまかったのだが、帰宅後1時間くらいして、胃に激痛が走った。これはたまらん。痛みにのた打ち回るという感じ。胃薬を飲むも直らず、祈るように冷蔵庫のヨーグルトを食べる。すると、しばらくの間は痛みが和らぎ幸せな心地になる。だがすぐに痛みはぶり返す。たまらずまたヨーグルトを食べる。と、そんなことを何度も繰り返すうちにようやく痛みが治まった。以前にもカリビアンのカレーで同じ症状が起きたのに、同じことを繰り返したのは情けない。きっとカレーの中に自分の胃に合わない成分が含まれているのだろう。もうぜったいに食べるまい。