2004年1月

■アジア(2004.1.31 samedi)
 きょうは疲れた。たいへんな局面も通り過ぎた。だが、これからも予断を許さぬ状況は続く。
 実質的には何もあまり手につかなかった。かといって考えてばかりというほど頭が回っていたわけでもない。ただ、頭の血の巡りがずっと悪かったような感じ だった。
 テレビでは鳥インフルエンザのカナダへの心配について、何人かが出て話をしていた。SARSと同じようなことには絶対になってほしくない。インフルエン ザのことをこちらの人々はフルーと呼ぶ。だから、鳥インフルエンザはバード・フルーである。もちろん日本もアジア諸国のうちの一国という扱いである。たぶん、日本人の多くが、その当たり前の扱いに対してちょっとした違和感を覚えるのではないだろうか。日本人が感じている以上に、日本はどう考えてもアジアなのだと思う。
 ロスト・イン・トランスレーションをもう一度観ようかとも思ったが、きょうはもう眠い。風呂に入ってゆっくり過ごすことにしよう。

■或る前夜(2004.1.30 vendredi)
 1月も気がつくと明日で終わり。寒さは落ち着いている。外は雪と水で歩きづらくなっている。おとといの事件を受けて、メールで文書が送られてきた。こちらもそれを受けて、明日出す文書を書き上げた。いくら危機管理マニュアルがあっても、連絡網が整備されていても、どんな意識で使えるかで変わってくる。通達したことで国の責任は果たしたということになるのだろうか。実際に、その先まで国家機関が立ち入ることなど不可能だ。 
 明日は仕事で、今まで経験しなかったほどの重大な局面を迎える。だけど自分がそう感じるこのことも、他からみればたいしたことはないのだろうか。何を甘 いこと言ってるのと笑われてしまうくらいの些末な出来事かもしれない。システム上日本ではやろうと思ってもできないこと。もっとも、できるからといってけしてやりたくはないのだけれど。

■7:30PM(2004.1.29 jeudi)
 職場に着いた頃やっと、天気が分かるほどに明るくなる。今朝は快晴。それにも関わらずきのうまでの大雪の影響が出て、同僚たちに遅刻が相次いだ。寒い中45分もストリートカーを待たされたという人。車が渋滞して身動きがとれなかったという人。時間前に着いたのに駐車スペースが見つからずさまよっていた人。さまざまだった。
 僕はといえばまず遅刻はしない。土曜日以外の始業時間は9時。これは学校の教員からすれば異常ともいえる遅さだ。どんなに遅くとも8時前に出勤するのは日本にいるときと同じだから、よほどのことがないかぎり遅刻は考えられない。だがそれが何の自慢にもならず、また、どうということでもないということもよくわかる。そのことによって、誰も何の利益も得ないからである。
 きょうは10時から会議があった。午後には相談が2件あった。高度な判断が要求される場面というのはたいへん緊張するものだ。自分にはまだまだ力がないと感じた。かしらがかしらなら、自分はなんだろう。頭の毛ほどにもならないか。せいぜい鼻毛くらいのものではないか。
 船の舵取りは誰もが認める人格者でなければできないものだろうか。しかし、そのような人格者などどこにもいない。では船は誰にも操ることができないのだろうか。そんなことはない。目的を同じくするクルーが揃い、一人の人間を頭と定めて、その者の命にに従って自分の部署の仕事をひたすらこなす。それで、 船は進んでいく。この時点ではまだ舵取りが人格者かどうかは定まっていないし、たいした問題でもない。
 クルーが一心に櫂をとる時、頭は自ずと人格者に化ける。一人では船は操れぬことを身をもって知る。船を動かすには、一人一人が大事な部品だし、その一個でも失ったら、目的地には辿り着けない。古い部品は長もちさせるように手入れを怠らず、新しい部品は早く馴染ませるように油をつけては磨きをかける。そうやって作り上げた結びつきこそが、船乗りたちの喜びにもなるに違いない。大事なのは、 目的地が同じということだ。同じ船に乗るのだから、同じところを目指さなければならないのは当たり前の話だ。会社も学校も同じだろうか。国家も同じなのだろうか。
 だが一人一人はただの部品なのだろうか。一つの目的のために生きているのだろうか。組織よりも個人の方が大切なのではないか。自分で自分の好きな方向に自分の好きな方法で自分の好きなペースで進める時に、初めて生きていると言えるのではないか。組織というものにこだわりすぎてはいないか。ほんとうの配慮を怠ってはいないか。
 カナダ軍の兵士がアフガニスタンで射殺された。きょう亡骸が無言の帰国をした。空港では家族や恋人が飛行機を迎えた。あの人たちの痛みがわからない。撃たれた兵士の痛みが、わからない。その人の身になることができない。頭でしか、とらえられない。
 
■学校(2004.1.28 mercredi)
 ソウルでたいへんな事件が起きた。とんだ暴漢の仕業ではあるが、学校側の責任追及も行われるのだろうか。登校のスクールバスから降りたちょっとの隙を突かれた形になったが、そんなときにいったいどうすればよかったのかという疑問も湧いてくる。
 在外教育施設の場合、それらのリスクを背負いながら も、日本と同じように学ばせたいという親の切実な願いがあって創設されているわけである。学校だけでなく、保護者も運営母体もいっしょになって、今後をどう考えるかが求められるだろう。
 もはや学校は子どもと教師だけのものではない。そこに保護者や地域の人たちが加わってくる。教師でできないことは、地元のその道の名人が授業をする。校内のボランティア活動で、いろいろな大人たちが子どもと関わっていけるようなイメージをもっている。だが、こんな事件が多くなると、校舎から教師以外の大人を閉め出そうという方向にいきはしないかと心配だ。

■大雪やら(2004.1.27 mardi)
 大雪が降って、道路の交通が乱れた。この3年間でいちばんの大雪だという。確かに道は除雪が遅れ、車の運転もたいへんそうだけれど、岩手の冬は毎年ちょうどこんな感じだ。ありがたいことに、雪が降ったら暖かくなった。最高気温はマイナス4度にまで上がったらしい。今までが今までだから、氷点下でも暖かいと感じられてしまう。人の感覚は不思議なものだ。
 冬がつらく厳しいから、春の来るのがとても嬉しく感じるのだと言われる。ところが、この街に暮らしている分には、つらく厳しい冬だとは思わない。冬には冬の情緒があり、人々はそれを十分に楽しみながら生活していると感じる。気象条件だけみると、カナダのほうが日本よりも総じて気温が低い。だがこのことと、冬がつらく厳しいかどうかはあまり関係がなさそうだ。おそらく個人的な問題だろうけれど。
 楽しかったよと言ったところで楽しさは伝わらない。自分の身をもって体験しなければ、楽しみなどわからない。では、楽しかったことを伝えようとするのは意味のないことだろうか。あるいはマイナスのことになるだろうか。
 一瞬一瞬の体験が時に埋もれてしまわないように、なんとかして凍らせてしまいたい、とそんなことを考えていた。だけど、どうあがいてもそれは、水を氷にするようにはっきり形づくられるものではなくて、時間があって流れがあって初めて作られるものなのだ。いわば空に帰すような態度こそが求められているといえるかもしれない。

■ウェブログ開始(2004.1.26 lundi)
 ウェブログについていくつかのサイトで情報を得る。目から鱗が落ちたような衝撃。やってみない手はない。とりあえずでいいから開いてみよう。ニフティでは先月サービスが始まったばかり。だが、新しい事柄なのにすでにどんどん歴史が刻まれている。その中で自分もコミュニケーションの方法を磨いていけたらいい。
 ニフティを使ったらウェブログがいとも簡単にできてしまった。その後、サイトの構成を若干変更。掲示板もやってみたら元通りに直ったのでアップ。新しい掲示板はずっと寂しいままだったので、消去した。今後どれだけ書き込んでもらえるか。
 一応の区別ということで、日記は常体、ウェブログは敬体で綴ってみることにする。きっと、日記は内面的なことがらについて、ウェブログは生活上の物質的 なことがらについて書かれることになるのではないか。ここでも気がかりは、コミュニケーションがどれだけ図れるのかということ。コメントもトラックバック もゼロばかりという状況も予想できてしまう。
 昼には郊外の中国系モールで咖喱雞飯というのを食べた。酸っぱいけんちん汁みたいなスープがついてきて、それが熱くて身体が温まった。それから電気屋へ 行く。途中で大粒の雪が降ってきた。直径5ミリ位の大きな結晶で、まるで白いネジみたいに見えた。明日にかけて空は大荒れの予報。ガソリンスタンドでは給 油口のふたが開かず、やむを得ずセルフでないところでやってもらった。自分がレバーを引き店のおじさんがとんとんとたたくと簡単にふたが開いた。ウインド チルマイナス25度。風が冷たくて、とても外にはいられないほどだった。
 ウェブサイトで何がしたいのか。よくわからなくなってきた。取るに足らない悩みかもしれないが、自分なりに悩みながら作っている。書く内容の吟味という問題も大きいが、もっと大きいのは方向性の問題だ。どこに行こうとしているのか。それが混沌としているような状態。そういう時期を過ぎて、また次のステップに進んでゆくのだろうけど。
 所詮日本語での発信であれば受け手もほとんど日本人しかいないだろう。今あるこの限界をなんとか克服しないことにはやっぱりどうしようもないんじゃない か。いくら日本を離れて暮らそうと、外国人の中で生活しようと、日本という枠組みが存在しない日はない。おそらく、日本人である前に人間なのではなく、人 間である前に日本人なのだ。日本人であることを超えてほんとうの人間になるという、そんなイメージ。

■必要か不要か(2004.1.25 dimanche)
 トロント交響楽団。胸が震えるような感動。どこまでも繊細なシンフォニー。そし て、合唱。音楽を聴けることの至福。CDの百万倍素晴らしい。
 ミスティックリバー。この間からまた 近くの劇場に来ている。だが、期待のわりにはあまりくるものがなかった。言葉の問題だろうか。内容の問題だろうか。今週の独眼竜政宗のほうが一千倍おもしろかった。
 NHKスペシャルで長野県の外郭団体のことを放送していた。どうみても意義が見いだせないのに、団体の幹部は存続の根拠をあれこれ持ち出してくる。自分 たちの首がかかっているのだから必死になって当然だ。でも、ほんとうに県民のためになるかどうかという視点で考えれば、必要かどうかは見えてくるに違いない。そのとき不要と出れば、そのときは仕方がない。

■県人会(2004.1.24 samedi)
 トロントの県人会の新年会に行ってきた。和風レストランさゝやには全部で3〜40人の会員が集まって、6時から10時過ぎまで楽しい時間を過ごした。久しぶりの日本酒がうまかった。他の日本語学校の関係者にも何人か会うことができた。それに、従兄弟と中学時代に同級生だったという人にも会った。世界は広いが、世間は狭い。
 15年くらい前にこの会を立ち上げた初代会長さんが日本から駆けつけた。隣の席で、いろいろな話をうかがうことができた。現会長さんから、僕が日本に 帰ったら岩手県人会の岩手支部を作ってほしいと言われた。冗談みたいな話に皆で大笑いしたが、よく考えるとあったほうがいいのではないかと思った。できるだけ力になりたい。

春節的雑記(2004.1.23 vendredi)
 音韻学はおもしろい。人間の言語はどれも、気管から呼気を出しそれを振動させて発するという点で共通している。口の形によって母音が決まり、舌や歯や唇の動きなどによって子音が決まる。そして、母音と子音の組み合わせで音節ができる。どの言語も同じ仕組みでできているなんて。人間は同じひとつの種なのだ。こういう側面で言葉をとらえたことはいままでほとんどなかった。こんなことを熱く語られたのでこちらも胸が熱くなった。メラニー先生は、レッスン初日すでに学生たちの気持ちをつかんだ。
 ボスとある人の話になった。今になってこんなところにエネルギーをかけるくらいなら、もっと早いうちから違うところにエネルギーをかければよかったのに。物事はなかなかうまくいかないもので、後から気がつくということがありすぎる。後からではもう遅いのに。だが、ほんとうに後からでは遅いのか。後とはいつのことなのか。自分は、気がついたときがいちばん早いと考えていたのではなかったか。後悔先に立たずというが、後悔することを、その人にとってマイナ スと考える必要はないのかもしれない。どの瞬間も、変革のチャンスに溢れている。
 価値観の違いを、善悪というフィルターを通して比較してしまう。いいことかよくないことか。ことの真偽はどうであれ、ひとまず判定することで安心を得られるということがある。でもそれは結局、ものごとを自分個人の経験と照らし合わせて、より身近だったもの、居心地のよかったものを選んだに過ぎない。人による価値観の違いを頭ではわかっていても、異質な物事に対しては、無意識に悪いと判定してしまいがちだ。同じ言葉でも人によって受け取り方が違うのは、そんな理由もあるのではないか。ときに善意は悪意になり、悪意はいつも悪意である。
 書類が書けなくて四苦八苦した時期がある。片っ端から資料を漁っては、使えそうなところだけ抜き出してつなげた。形はよくまとまっているように見えて、その実つぎはぎだらけの汚いものができた。余計に時間もかかって、けしてよいとは言えなかった。あるとき思いきって、何もなしで書いてみたら、そっちの方がやりやすかった。どこかで聞いたような言葉だったかもしれない。けれど、一度身体を通した言葉には魂が宿る。共感か反感かはどうでもよくて、伝わるかどうかで勝負してみたい。効率の良さを突き詰めると、命の仕事にたどりつく。
 自分のエネルギーの配分について考えてみた。何%が仕事で、何%が旅で、何%が音楽で…って、そんなふうには言えないし、グラフにしたところで意味はない。なぜなら、総量が一定ではないのだから。定量化できないところに人間の力の価値がある。例えばの話。以前は仕事10遊び10だったのが、仕事100遊び100になることもある。遊んでばかりではないし仕事ばかりでもない。ただ僕の場合は、恋愛にかけるエネルギーが全部どっかに回っているということは言えるかも。あまり望ましい展開ではなかったけれど、これも感謝すべきことではある。

■新年好!!(2004.1.22 jeudi)
 ハッピー・ニュー・イヤー・オブ・モンキー!きょうは春節。旧正月です。午前中はずいぶん吹雪いていましたが、午後からはきれいに晴れました。暖かくて散歩日和でした。とはいってもマイナス7、8度はあったんですけどね。それくらいなら、もう暖かいという感覚です。
 今朝初めて地下鉄を乗り過ごしました。本に夢中になっていて、気が付くともうドアが閉まるところでした。10分くらいロスしましたけど、乗り過ごさなけ れば見えない景色を見られたのでよかったです。上り電車から降りるのと、下り電車から降りるの とでは、同じ駅でも全然別の駅に降りたような感じがしました。たまには角度を変えてものを見るのもいいものです。
 帰りのストリートカーの中で、アジア人のおばさんがナシを食べているのを見ました。洋ナシではなく、和ナシのような丸いナシです。スーパーには「アジア ン・ペア」と書かれて売られています。そのおばさんは、さくっ、さくっ、とみずみずしい音を立てながら、ストリートカーを降りるまでに1個のナシをまるご と食べてしまいました。とてもうまそうに食べていました。 
 お正月ですからどうなんだろうとチャイナタウンに寄りました。でもいつもとあまり変わりないくらいの混みようだったので、ちょっと意外でした。もっと爆竹ばんばんとか期待していたんですけどね。カメラも持っていったので、何枚か写しました。写真のところに近いうちにアップしますのでよかったら御覧くださ い。
 ここで夕ご飯を食べました。3ドル20セントなり。安過ぎ。しかもじゅうぶん腹いっぱいになる量です。お茶はおかわり自由です。シイタケ・マッシュルームの 煮付けは日本のと同じ味がします。雷豆腐も同じです。今まではフライド・ライスばかりだったんですが、「スティームド・ライス」といえばちゃんと白いご飯 を出してくれることを、最近知りました。この頃はいつも白いご飯です。
 スカイドームでイベントをやっているのを思い出し、行ってみました。チャイナタウンからスカイドームへはストリートカー1本で行けます。そのイベントは 「ザ・グレート・ライト・オブ・チャイニーズ・ニュー・イヤー」という名前でした。ドームの中に移動遊園地と展示即売所とフードコートができていました。中央 にはステージがあり、少林寺拳法の方たちの演技を中心に、奇術あり、曲芸ありでなかなか楽しかったです。火吹き男も 出ました。ひたすら回転しながら紙に字を書くおじさんは受けました。
 小学生くらいの少年が、綿菓子の袋を持って、少しずつ中身を取り出して食べていました。後ろの席に座っていた、少年の父親らしきおじさんが、おもむろに手を伸ばして少年の綿菓子の3分の1ほどをつまみ取り、ぱくっと食べてしまいました。すると少年は泣きそうな表情になって、立ったり座ったりしながら怒っ ていました。その後の、少年が父親を見る目つきときたら、たいへん恐ろしかったです。恐ろし過ぎて、吹き出しそうになりました。
    
■出会いと学び(2004.1.21 mercredi)
 きょうの会議もずいぶん長かったけれど、中身の濃い話し合いだった。後でどれだけ生かせるかはわからないけれど、おおいに勉強になったと思う。この出会 いは偶然だが、もしこれがどこか別の国の別の街だったとしても、変わらなかったのではないか。
 偶然の出会いが必然となるまでには、努力が要る。毎日顔を合わせていながら、何の響き合いも感じることのない人。中には目の前に突然現れたと思ったら、 そのまま遠ざかっていくだけの人もいる。毎日無数の出会いがあるなかで、意味のない出会いはない。反対に、別離の数も無数である。これもまた、意味のない別離などというものはない。それをほんとうに自分の意識に上せることができるかというのは、いつも自分のあり方の問題に直結するような気がする。旅先のたった一度の出会いでさえその人の将来に強い影響を及ぼすということも多い。それは、旅人であることが、すでに大きなものを受け止める受け皿となっているのだ。
 それは勉強と同じようなものだ。素晴らしい人と出会うということは、自分が素晴らしい出会いを求めているからであり、そのような気持ちをもって周りを見れば、きっと何人でも素晴らしい人が現れるに違いない。偶然が必然に変わるのではなく、偶然の中に必然が潜んでいるということだろうか。
 きょうは、もう会えないかもしれないと思っていた人たちに立て続けに会うことができた。これは偶然ではなく、考えてみれば当たり前のことだった。その理由を考えると、僕達は学ぼうという気持ちでつながっていたのだ。言葉が通じなくても、距離が遠くても、気持ちは通じ合える。
 故郷においてなぜ自分はこのような心境で行動できなかったのかと不思議に感じることがある。かといって今の自分ならできるかというとそれはよくわからない。そんなこと書くなと言われそうだが、それでも書かないわけにはいかない。自分の故郷をも旅先と思ってものを見ることができるようになれたら、どれほどいいだろう。それこそ、ここでの暮らしを生かすことにつながるのではないか。

THE PRODUCERS(2004.1.20 mardi)
 仕事を終えていざマイナス15度の街へ。平日の夜は8時からだからその気になれば十分に時間があります。
 キャノン・シアターの キャノンとは、日本のメーカーのキャノン。こういう由緒ある劇場をなぜか今は日本企業が所有しています。華やかなショウの世界。素敵です。
ブ ロードウェイのミュージカルがそのまま観られるというのはこの街のすごいところです。音楽がよかった。こういうミュージカルの音楽の調子がとても好きで す。
 
■妄想・空想・理想・幻想(2004.1.19 lundi)
 自衛隊イラク先遣隊へのサマーワ市民の過剰な期待。政治家の経歴詐称。佐々木投手日本球界復帰。午後十時には翌日のNHKの昼のニュースが同時放送されます。これを見るだけで、日本のことをちゃんとわかってるという気分になってしまうということがあるかもしれません。テレビジャパンを契約していないある方が、「日本のテレビが見られるだけで気持ちは安定すると思う」と言っていました。なるほど。それは言えるかもしれませんね。最初は日本と同じテレビが映っているだけで、ここは日本かという錯覚が起きて、そのことが心地よさだったりしたのだけれど、今ではそれも当たり前に感じられるようになりました。毎日日本の情報を手に入れることで、日本社会への所属感を保っているということも大いに考えられます。
 カナダとアメリカの違いも今ではなんとなくというかかなりはっきり感じ取ることができるようになりました。テレビを見ているとよくわかります。
 カナダとアメリカの局はだいたい見た目から違います。アメリカの色使いはなんとなくハデです。そしてなんとなく出演者が、アメリカ人らしい明るさなのだ とは思いますが、僕からすればふざけているような印象を受けます。それに比べてカナダの局は地味で、キャスターもちょっと謙虚な感じを受けます。イギリス 連邦の一員であり、ケベックのフランス系もいるということで、ヨーロッパ志向も強いと思います。
 こちらの駐在の日本人の中には、アメリカのCNNを中心に見ていて、日本のテレビも見ていないという人もいるようですが、その方がどうやってアイデン ティティを保っているのかはよくわかりません。ただ、せっかくカナダにいるのにもったいないという気がします。そこでどんな情報を得るかというのは大事な ことです。
 先日お会いしたある日系自動車会社の駐在員の方も「アメリカとカナダはまったく違う」と話していました。日本にいると、この違いはわからないだろうと思います。カナダがアメリカから実にさまざまな恩恵を受けているのは事実ですが、だからといってすべてアメリカの言いなりになっているかというとそんなことはありません。政治家は常に独立国としての道を探っていますし、マスコミや市民も常にアメリカの動向をチェックしており、一線を画しているという印象です。
 アメリカの多民族社会はメルティング・ポットと呼ばれますが、それはそれぞれの民族が混じりあい、それらがすべてアメリカ市民として一つの色になっているということだと思います。それに対して、カナダの多民族社会は、それぞれの民族の特徴を失わず、それぞれが解けあうことなく存在していることから、モザイク社会と呼ばれます。そういう違いも歴然としているようです。移民それぞれの自国の文化を大事にしながら、一つの国を作っていこうという姿勢が、カナダの政治の特徴であり、新しい試みなのではないかと思います。少なくとも、カナダ政府は、そういう国作りをしていくよという方針を強く打ち出し、実行しているという感じがします。
 一つの国に束ねられるのは、民族でも、人種でも、宗教でもない。それぞれがそれぞれ異なる背景を持っている。それを前提に一つの国として成立させようと しているのですから、これはすごいことです。
 日本は、どちらかというとその反対を今までやってきました。一つの民族、人種、宗教、それに基づいた一つの文化のみを前提として作られているのが、今の日本ではないかと感じます。それによって虐げられてきた人々もたくさんいます。さまざまな背景をもつ人がたくさんいるのに、その受け皿が曖昧なままです。
 それじゃ日本もカナダみたいにやればいいのかというと、そういうことではありません。言いたいのは、日本人自身がこれからの日本をどういう国にしたいのかという根本が、どうもはっきりしていないのではないかということです。政治家がそういう大局に立って議論をしているのを聞いたことはありません。野党からも「反対、反対」という意見は耳にしますが、それじゃどうしたいのかという問いにはちゃんと答えていないのではないかと思います。政治家たちがそのレベルですから、ましてや国民一人一人が「こんな国にしたい」という夢を描けないでいるのは当然です。これが、今の日本の現状ではないでしょうか。

■クレイジー!(2004.1.18 dimanche)
 こちらの人たちは、この単語をかなり連発する。きょうは昼も夜も、ある種クレイジーなものを観た日であった。
 午後からスカイドームへ。モンスタージャムというイベントに行ってきた。タ イヤをものすごくでかくしたトラック。そのレースを中心としたものだった。別にトラックが好きなわけでもなく、モータースポーツが好きというわけでもない のだが、どんなものか見てみたいというただそれだけ。14時開始で17時過ぎまで。たっぷり3時間のイベントは、それなりにおもしろかった。レース とかトラックがよかったということではなく、こういう場の様子を見るのがおもしろかったということだ。
 客層は若者が多いのかなと思ったら、子ども連れの家族がいちばん多かったようだ。子どもたちはどういうわけかこのトラックが大好きなようだった。人気の車というのがあって、それが紹介された時には両手を振り上げたり、どくろの旗やチェッカーフラッグを振ったりして喜んでいた。野球やバスケと 同じように、大画面のスクリーンを効果的に使って、車の様子や選手たちのインタビュー、観客の表情を映し出していた。
 もともとアメリカが本拠地らしく、はじめにはアメリカ国歌とカナダ国歌の斉唱をした。女性歌手がどこかで歌っているようだったが、姿は見つけられなかった。当 然の事ながら、カナダ国歌の終わった時の歓声のほうがアメリカ国歌のときより何倍も大きかった。正直いって、なんで国歌を歌う必要があるのという違和感があった。
 2台がタイムを争うレースのトーナメントとバギーのチームによるレースが何度か繰り返された。合間には、大画面にコマーシャルが映し出される。ここで も、イベントが様々な商売と直結している。いたるところに目についたのは地元のタブロイド紙トロント・サンのロゴマーク。スポンサーはピザ屋大手ピッツァピッツァ。そして、モンスタージャム関係のお土産の宣伝も繰り返される。規模こそ大きいが、イベント全体にどうも懐かしさが漂っていた。たとえば、昔やっていた日報ファミリー博とかIBCの夏祭りとか、そんな感じ。
 途中でなぜかスタントの人が出てきて人間大砲。ぼーんと大きな音とともに飛び出し、30メートルくらい先のネットの上に見事着弾成功。盛り上がったことは言うまでもないが、前後とはまったく脈絡がなかった。
 初めから終わりまでアナウンサーが大げさな声をがなり立てて、観客がそれに呼応して盛り上がる。バックには常にがんがんと音楽が鳴り響いている。レース自体の時間は、グランドを2周くらいのものなのでとても短い。レースとレースの合間が長い。そこらへんは相撲と似ているかもしれない。その合間を、なにやらうるさい声や音楽で埋めているといった感じ。それと、エンジンの音がとてもうるさかった。ヘッドホンの形をした騒音を防ぐもの(名称不明)をかけた小さい子どもたちもいた。
 バギーのレースはトロントとモントリオールのチームが参加。モントリオールの選手が勝つと、みんな思いっきりブーイング。このレースは2回行われたのだが、どちらも勝ったのはモントリオール。2回目のレースの優勝者がインタビューされているとき、トロントの選手から、ズルをしたじゃないかとか文句をつけて言い争いに なった。ここらへんはもう筋書きのあるドラマといった感じで、アナウンサーもどうも胡散くさい。言われた選手も見るからに悪役風で、自分のジャージを引き 裂いて投げつけたりと過剰な動きがおかしかった。それじゃもう一度勝負だ、しかも今度は1対1だ!というこ とになり、モントリオールの選手が指名したのがよりによって唯一の女性選手。案の定、デッドヒートの末トロントが勝利をおさめ場内大興奮。なんだか僕も大爆笑だった。これも、大相撲の東北巡業で地元力士がうっちゃるのと似ていると思った。
 後半には、フリースタイルという競技があった。1台ずつ制限時間90秒の中でパフォーマンスをする。この時に、それぞれジャンプをしたり、前輪を上げて走行したり、ぐるぐる回ったりという技を見せる。それを観客の旗の振り方で判定するというもの。ずいぶんたくさんの人が旗を持ってると思ったら、このときに使うものだったのだ。
 判定といってもただ自分のおもしろかった度合いを表現するだけで、勝敗にはなんら反映されない。3人のピッツァピッツァ・ジャッジという人たちがいて、その人たちが点数カードを示すところをスクリーンに映し出した。勝者は一番人気のこの車だった。
 そして、最後は古そうな改造車(トラックではない)が30台くらい出てきてぶつかり合う競技。途中でどんどん動けなくなったり煙が出たりする車が出て、 最後まで動いていた車が勝ち。ここまでくるとドームの中には煙が広がって白くなっており、廃棄ガスのにおいもしてちょっと気持ち悪かった。結局会場には、 おびただしい数の壊れた車だけが残った。客が帰らないうちに、早速ブルドーザーでの片付けが始まっていた。
 夜にはトルクという映画を観た。これはバイクの話だった。アメリカの田舎の無法者がいっぱい出てきた。日本で公開されたら問題になるかもしれない。でも、スピード狂の人は好きになるような映画だと思う。バイクで列車の中を走り抜けたり、マトリックスばりの超高速で街を駆け抜けたりで、大いに笑えた。

寝る!(2004.1.17 samedi)
 実に情報量の多い日。頭の中、今までなかった回路がどんどん作られているような感じ。理屈ではわかっているつもりでも、情意的に耐えられず、心に空白を つくってしまう。当たり前のことをやるのにはエネルギーがいる。
 今年が地震から9年目。10年たったら何でも話せるか?そんなことはないだろうな。神戸に行ったのはいつだっけ?寅さんが亡くなったのはいつだっけ?帝釈天に行ったのはいつだっけ?なんだかみんな忘れてしまった。ベトナムの前だったか、後だったか。親父の前だったか、後だったか。全然はっきりしない。

■すみません(2004.1.16 vendredi)
 ある新年会でいろいろな企業の方々に会った。見方が少し変わったかもしれない。甘いことは言っていられない。
 厳しいことは承知で、言うべきところを言わねばならないということがある。まことに、いろんなところが痛い。
 なんか疲れた。夜のことではない。昼間のことがあって、それに夜のことが重なったから、頭がおかしくなった。
 いちばん大事な金曜日の夜というのに、もうかなりがっくしきていて、メールの返事も後回しに。ごめんなさい。

■きょうも寒い話(2004.1.15 jeudi)
 気温が低い上に風も強く、今朝のメトロ紙では体感温度(ウインドチル)がマイナス39度になるという予報だった。この冬いちばんの寒気。でも明日からは気温が上昇する、と書かれていた。きのうは一日雪だったが、きょうはからっと快晴。室内から眺めればさわやかな陽気に見えるのだが、実はマイナス20度。
 職場を後にしてから停留所まで急ぐ。ところが、信号待ちをしている間に、ストリートカーが目の前を通り過ぎてしまった。次の電車が来るまで、耐える。なんか修行僧になった気分。停留所には風と雨をよけるために透明なボードが取り付けられているのだが、それが壊れたらしく数日前からボードが半分くらい取り去られている状態で、風がまともに吹きつけた。顔を手で触っても感覚がないのでぎょっとした。北国の人は我慢強くなる、ということはいえるかもしれない。厳しい冬があるから、春の喜びが大きいんだな。などとぼんやり考えた。
 待つこと15分。ストリートカーに乗り込むと身体の緊張がほぐれてきた。近くのラブローで総菜を買って食べたらにわかに睡魔が襲ってきて、ベッドに倒れこんだ。気がつくと真夜中だった。
※掲示板をいじっていたら、元に戻せなくなってしまいました…。もしかしたら今までの書き込みが消えてしまったかもしれません。書き込んでくださった方々にはたいへん申し訳ありません。回復を試みてはいますが、どうしてもうまくいかないときには新しい掲示板に変えようと思います。ご了承ください。

■雪の日(2004.1.14 mercredi)
 きょうは朝から雪降り。1日の積雪は5センチ程度だったが、気温が低くて日中もマイナス15度くらいまでしか上がらなかった。風が冷たく、朝の体感温度はマイナス30度と出ていた。ほとんど外に出なかったので、何日か前に比べるとたいしたことはなかった。けれど、きっと10分も外にいたら限界に達するだろう。それくらいの寒さではあったと思う。
 帰りにモールに寄るつもりで車で出かけた。朝は7時頃には家を出たので、道はそれほど混んでおらず20分くらいで職場に着いた。だが、帰り道はどこを通ってものろのろで、結局2時間以上車に乗っていた。道路は圧雪状態となり、フロントガラスも凍りついてワイパーの効きが悪く視界もよくなかった。車ではずっとラジオを聴いていた。車の中から外を見ていると、ここがどこなのかわからなくなる。カナダなのか日本なのかも区別がつかないほどだ。雪降りの夜なんて、岩手と変わりないなあと思いながら、のろのろ運転した。ABS付きの車にしたのは初めてだが、ブレーキを踏んだときのぐぐっという反応はなかなかよい。安心感がある。
 ヨークデールモールの中にチケットマスターがあるというので、寄って券を受け取ろうと思ったのだ。ところが、どこに行っても店が見つからない。案内板にも載っていない。カスタマーサービスで尋ねたら、早口の説明でかろうじて方向だけわかった。行ってみりゃわかるだろうと高をくくっていたが、まったく見つからない。仕方がないのでもう一度、カスタマーサービスに戻って訊いてみた。そしたら、「ジー ン・マシーン」というジーンズ屋のレジがそうなんだということがわかった。じんましん?いや、ジーン・マシーンである。マシーンっていうから、初めは何か現金自動預払機みたいな機械があるのかと思った。こんな衣料品店でチケットを発行しているのは意外だった。
 店のお姉さんにクレジットカードを出すと「これは違うカード。他のカードはないの」と聞かれた。「そんなことはない、これで注文したのだ。カードはこれ しか持っていない!」と言い張ったが、やっぱりダメだという。先日のバスケの時も同じようなことを言われたけど、結局はチケットがもらえたことを思い出し た。だが今回は「自分で電話して確認して」といって電話番号のメモを渡された。車に戻って電話をかけようとしてはっと思い出した。チケットマスターを初めて使ったのは去年の夏。そのときにインターネットで入力した情報が残っているということに気がついた。使っていたカードは、もう1枚のほうだったのだ。そのことをすっかり忘れ、おかしいと言い張っていた自分が恥ずかしくなった。
 鞄にしまっていたもう1枚のカードをもってさっきの店に行くと、やっぱり思った通りチケットは発行された。さっきのお姉さんにアイアムソーリーと謝ると、イッツオーケーとからっとしたものだ。それにしても今までずっと気がつかなかったなんて情けない。またもや一休さんの「気にしない〜気にしない〜気に しない〜」の部分だけが頭の中に鳴り響いていたのはいうまでもない。これはトロントでのオレの心の歌である。
 車に乗ろうとしたとき学生と思しき1人の青年が現れ、「2ドルくれ」と言う。地下鉄の1回分の回数券と交換してくれということだった。彼は「何か食べたいんだ」と言っていた。そして、この寒さである。無下に拒否することもできず、僕は2ドルとその券を交換した。この人は2ドルで何を食うのだろうと思っ た。

評価の話(2004.1.13 mardi)
 ここに来る前は子どもが目の前にいたので、子どもへの関心が中心だった。考えることは子どものことであり、自分が彼等とどう関わるかを考え、実行することが大きな仕事だった。ところが、ここではふだん目の前にいるのは子どもではなく、大人。当然、その大人たちが考えることの中心となり、彼等とどう関わるかを考え、実行するのが大きな仕事になった。
 以前はどうだったかと自分の経験を思い出し、比較しながら進めるのは変わらない。だが、今よく思い出すのは今まで出会った子どもたちのことではなく、大 人たちのことだ。あのときあの人はどういうつもりでその言葉を発したか。なぜあのとき自分はあのようなことを言われなければならなかったのか。いったいあ れはどういうことだったのか。あのときのあの人の心理状態。置かれた状況。経験など。あれこれ想像しては、腹を立てたり、納得したり、感動したりしている。
 教師が生徒を評価することで、生徒の可能性が広がらなければうそだ。その点で、教師の評価は常に子どもを守るためにある。いくら厳しい評価であっても、 それが励ましとなり、次への指針とならなければ意味がない。子どもがその意味を分かり、やる気が起き、誰もが伸びていくような評価を考えなければならな い。
 だが、企業の業績評価の話となると、それが雇用や給与と直結しているだけにたいへん厄介だ。企業は目的のための組織だから、一人一人がその目的のために力を発揮することが要求される。では、誰がどのように評価すればいいのかという問題になると、万人が皆納得できるような方法を見つけるのは難しい。カナダの企業では目標管理を取り入れた業績評価のシステムが当たり前になっているらしい。そして、最終的にボスの判断で、来期もそこで働けるかどうか、どれだけの給料がもらえるかが決まる。カナダではボスの力は強大で「あすから来なくていい」と言われればそれで終わり。話を聞いているとめちゃくちゃなこともあるようだが、終身雇用とは別の厳しさがそこにはある。
 日本でも終身雇用をやめて成果主義を取り入れる企業が増えていると聞く。だが、欧米のやり方をすべて日本にあてはめようとするのはかなり無理があるのではないか。双方の優れた点を生かした日本型の仕組みができればいいと思う。評価のことを考えるといろいろなところが痛くなってくるが、こうしてみると、サラリーマンが気楽な稼業なんて言っていた時代は大昔である。
※日記才人に再び登録しました。ヒット数ががたっと落ちて寂しくなったのです。ただし、日記才人からアクセスした方にだけ、投票ボタンなどが見えるようにしています。どうぞよろしくお願いします。
■支竹牛臘飯(2004.1.12 lundi)
 パシフィックモールというのは、中国系のモールとしては北米で最大だそうです。その隣にもマーケットヴィレッジという別の中国系モールが建っていて、かなり大きなスーパーマーケット(超級市場)が入っ ています。そこのフードコートは中華とベトナム系、そして、韓国料理店と日本料理店が入っています。この一角は完全に東アジア化されています。昼はなにを食べようと思いながら店の前を歩いていたら、広東語でいろいろ話しかけられました.「我不会説中文」(正しかったかな?)と言うと、英語でいろいろ説明され ました。「支竹牛臘飯」がきょうのスペシャルだったのでそれにしました。「ここで働いているのか」「ここは初めてか」など、店の人たちがフレンドリーに話 しかけてくれました。牛肉のシチューみたいなのをご飯にかけて食べました。それと豆乳のセットです。味はうまかったのですが、途中でBSEのことを思い出 して一瞬あれっと思いました。でも、構わずおいしく平らげました。「謝謝?多謝?」と聞いたら、店の人は「多謝」と広東語で答えました。 
 ONE'Sという店に寄ったら、文房具のコーナーに 日本の製品がたくさん置いてあるのを発見しました。ファイルも、ノートも、実に繊細でバラエティに富んだデザインだと思いました。書類ばさみと名刺のファ イルを買いました。他の店にも、よく見ると日本の製品がけっこうありました。
 リビング・イン・トロントの写真のところを、ヤ フーフォトへのリンクに変えました。ずいぶん楽に写真が掲載できました。不満は多いのですが、いつまでもアップできないままよりはいいかと思ってやりました。今夏の写真を見るとほんとにカラフルです。冬の色も白ばかりではないのですが、夏と比べるとやはりくすんだ色合いになっています。夏には夏の 美しさ、冬には冬の美しさがあることを感じさせてくれます。

■コペンハーゲン(2004.1.11 dimanche)
 エ ルギン&ウインターガーデンシアターの内装は重厚でこれだけでも見る価値がある。劇場の後ろの柱は樹木を模しており、屋根一面にその木の枝が張りめぐらされている。なるほど名前の意味がよくわかった。
 コペンハーゲンはミュージカルではない。3名の登場人物による純粋な芝居である。しかも、舞台にはイスが3つ置いてあるだけ。役者はそこに座ったり立ったり しながらしゃべるわけだが、あまり動きがない。それでいて台詞は多い。ほとんど言葉だけでドラマが構成されていく。ナチスの核研究に携わった物理学者ハイ ゼンベルグにまつわる話。物理学用語がばんばん飛び交っていた(らしく)、台詞の意味はほとんど理解できずじまい。
 役者の台詞は早口なわけでもなく、とても明瞭で一語一語どんな単語を言っているのかはかなり聞き取れた。だが、語彙力がないため言葉の意味を理解することはほとんどかなわなかった。したがって、話の展開についていけず、惨敗だった。「お前のような者が来るところではない。出直して来い!」と言われたような感じでしゅんとなって帰ってきた。でも落ち込んでばかりはいられない。これが理解できるくらいまで力がつけばいいわけだから、それがひとつの目標になるなと思った。

ビッグ・フィッシュ(2004.1.10 samedi)
 今朝もマイナス23度。日中の最高気温はマイナス13度。それでもきのうよりずっと暖かいなんて感じられてしまうのですから人間の感覚は不思 議なものです。きょうは始業式がありました。子どもに接する場面のほとんどない私にとっては、開式の言葉が最大の勝負でした。内と外との激しい温度差で、 外から入って階段を駆け上がると胸がとかとか鳴りました。それだけではなく、嫌なくらい緊張が走るのが新学期のスタートです。うまくいったこと、そうでな かったこと、うまくいったと思っていたらこけたこと、ダメかなと思っていたらすっと過ぎてしまったこと。毎週土曜日にはぎっしり詰まっています。
 それはそれとして。夜に観たのはビッグ・フィッシュ。今年初めての映画です。一言で言って、いい映画だったと思います。こういうのをファンタジーというのでしょうか。内容には触れません。英語力のなさ(そればかり言ってますが)ゆえに大ざっぱな感じしかわからなかったのですが、最後のほうになったらすべ て氷解しました。じわじわと涙。DVDが出たら、アマゾン.co.jpで買って、台詞を確かめたいと思います。今夜はこのまま寝ます。きっとヒョンタな夢を見るに違いありません。それではお休みなさい。

■酷寒(2004.1.9 vendredi)
 今朝はマイナス23度まで下がりました。体感温度はマイナス35度と出ていました。外を歩いたのは5分ほどでしたが、それでもたいへんな寒さに身体ががちがちになりました。肩の辺りに力が入ってしまうためか、首から肩にかけてがちょっと痛いです。口を開けたら歯にしみました。鼻毛もぱりぱり凍る寒さです。ところが空はすっきり真っ青に晴れて、ぴりっとして気持ちがいいという感じもしました。だけどそのぶん、 建物に入って身体が暖まると、とたんに眠くなってしまうみたいです。
 街の南側、オンタリオ湖の上空だけは雲が出ていました。たぶん湖の水が蒸発して霧が発生していたのでしょう。数日前のプラス15度というのは何だったんでしょう。寒暖の変化が激しいです。
 最高気温はマイナス18度だったようです。それでも子どもたちは外で元気に遊んでいました。たいしたもんです。みんなの表情を見ていると、寒くてもなん か朗らかな顔をしています。寒い寒いと言いながら、こちらの人たちはその寒さをおもしろがっているのではないかと感じます。カナダ人の多くは夏が好きです が、きっと冬も好きなんだと思います。
 奇妙に思ったのは、こんなに寒い日にもへそ出しルックで歩いている女性がいたことです。フェザーのジャケットを着て、頭もフードをすっぽりかぶっていながら、おなかを出しているのですから驚きです。どういうつもりでしょう。まあ、どんな格好しようと誰も何も言わないし恥ずかしくもないというのがこちらの素敵なところではありますが、ちょっと心配になってしまいます。
 夜のニュースにはホームレスの人たちが映し出されていました。歩道で寝ている人をよく見かけますが、きょうもその人たちは歩道で寝ていたようです。ボラ ンティ ア団体の人が一人一人に声をかけていました。そして、温かいスープや食べ物を彼等に与えていました。彼等のためにコミュニティセンターを開放していると いうことも話していました。
 明日の最低気温はマイナス26度です。トロント郊外ではすでに35度にもなっています。北海道の北の方でもやはりこんなふうに 寒くなるのでしょうね。これは、生死に関わる、身の危険を感じるほどの寒さです。もし人通りのない道路で車が故障したらえらいことです。非常用の防寒着は 備えておかなければなりません。あ、そういえば岩手でもそうでした。北上山地の山奥に暮らしていたときのことです。
 でも、住居は全館暖房ですので、夜も快適に眠れます。いま外はマイナス21度で、さすがに部屋の中でも厚着をしていないと寒いですが。こたつとかストー ブとかいろりとか、火のあるところだけ暖かいというのが、私の知っている冬の暖房でした。それに比べるとなんと贅沢なことか。これならマイナス30度でも快適に生活できるわけです。

■厳寒(2004.1.8 jeudi)
 ホームに着いたのは7時過ぎ。タイミング良く滑り込んできた電車。ところが、いつもなら「ソ、ミ、ド」の音階のホーンとと もに開くドアが、いつまでたっ ても開かない。おそらく電気系統の故障。中にいた客が、車掌が手動で開けたひとつのドアからどんどん降りてきた。これにて運行中止。後続を待っているのも 嫌なので、戻って車にした。
 朝はマイナス13度くらいだったが、風がなく穏やか。これならまだまだ大丈夫。道路も思ったような渋滞はなく、スムーズに職場までたどり着いた。日中は 晴れた。氷点下とはいえ、子どもたちは昼休みには外に出て元気に遊んでいた。あすの朝は22度。体感気温は33度という予想だ。うわさの氷点下30度、あす体験できるか。
 帰りはラジオを聴いていた。680NEWSという局がある。24時間ずっとニュースだけ放送している。CBCなんかと比べるとかなりの早口で、これを聴 くと勉強になると言われたのでときどき聴いている。1分に1回くらいアナウンサーが現在時刻をしゃべる。ときどき1分間に2回も言うときがある。"six - eighty news time six thirty-two"というようなそのスピーディなしゃべりがかっこいい。まねをしてみるけれど、どうしても引っかかってしまう。

■滋養(2004.1.7 mercredi)
 雪雲が出て、夕方の太陽を覆い隠したら、薄オレンジ色のぼやあっとしたまんまるが、西の空に浮かんでいるのが、見えた。太陽と空の境界がなく、薄オレンジ色の部分が、ふだんの太陽の100倍くらいに膨らんで、宇宙的だっ た。
 日が暮れてからは、雪がちらつき始め、気がつくとそこら中に、まっさらな雪が、うっすら積もっていた。道路は濡れていた。そして、車がおそるおそる通っ ていた。雪の降り始めがいちばんこわく、危険だ。道路のあちこちで、パトカーのランプがぺかぺかと光っているのが見えた。追突して前がつぶれた車。追突さ れて後ろがつぶれた車。道路脇に頭から突っ込んだ車。いろいろだった。おかげでいつにもまして渋滞がひどくなり、機転の利く人は、すぐに迂回しようと車をターンさせ、判断の遅い人は、そのまま渋滞から抜け出せなくなった。せっかちな人は、クラクションをやたら鳴らしたくなり、慎重な人は、ブレーキを小刻みに踏み付けながら進んだ。このぶんだと明日の朝にはもっと積もって、朝の通りはまた渋滞するだろう。僕は、地下鉄を使うけれど。
 新年になって初めてあったレバニーズのおじさん。ハッピー・ニュー・イヤーという僕のあいさつは、聞き取れなかったようだ。思うように声が出なかったかな。スウプはありますかと言ったら、これはとってもおいしいスウプだよと言って出してくれた。ちょっと酸っぱい、豆のたくさん入ったスウプ。きっと、世界中の誰もが、スウプを飲んで、身体と心をあたためる、のだろう。あったまったら、鼻水がちょろと出た。         

MAMMA MIA!(2004.1.6 mardi) 
 きょうは寒かったです。たぶんこの冬最低ですね。午後11時半現在の気温はマイナス13度。風が強いので体感温度が低 く、マイナス24度と出ています。来ましたよ来ましたよ。あすはもっと冷える予報です。もう少し厚着したほうがいいかもしれません。思いましたが、厳寒のイルミネーションというのはきれいなものです。それからビル街というのも、寒い時に見上げるといっそうきれいに感じます。
 一日ずったり仕事をしたら、すっかり通常どおりの心境に戻りました。しかも昨年よりももっと責任が重くなったのを 感じ、気分が ずしーんと重くなりました。今よりも責任が軽くなることはないのだという話を聞かされて、ああやっぱりなとそのことを再確認したのでした。でも、だからといってがっかりしてばかりはいられません。気持ちを自由自在にシフトするのです。もはや無段変速ですよ。
 それにしてもショービジネスの世界ってすごいです。人々の表情が普通の人の10倍くらい生き生きしています。こん なに表情の豊かな人がまわりにいたら、 一時間で惚れてしまうこと請け合いです。その笑顔の裏で1万倍くらい泣いているのでしょうから、そんなことを考えると敬意をもたずにはおられません。鍛え上げられた美しい肉体をもち、圧倒的な声量で自在に歌い、そして内面の輝きが表情に現れる。そんな人だけがステージの上に立てるのです。けして運や勢いだけでのし上がれる世界ではないですね。

■マイナースポーツのことなど(2004.1.5 lundi)
 近くのスーパーではきょうクリスマスの飾りの取り外しが少しずつ始まったようだ。だが、街のツリーや電飾は まだ年末のままであり、クリスマスソングなんかも平気でかかっている。自分の常識からすると外れているが、ここではこれが当たり前なのだ。この飾りが皆外されるのはいつのことだろう。もっとも中国、韓国などは来月の旧正月で祝うから、街の正月気分というのはまだまだ続くかもしれない。
 新年を迎えるとすべてリセットされゼロになってしまうような感覚が日本にはある気もするが、今年はあまりそういう感じを味わうことがなかったな。一応は 新年の決意もあるし、自分なりにやり遂げようということももちろんあるのだが、いいのか悪いのか、「切り替え」「けじめ」「覚悟」という言葉とは違ったもっと軟らかい気持ちでいる。
 テレビでは、「ハンナのかばん」についてのドキュメンタリーが放送されていた。ホロコースト教育資料センター石岡史子さんと いう方が出て話をしていた。アウシュビッツの犠牲者ハンナのトランク。石岡さんが調べるうちに、ハンナの兄がトロントにいることがわかる…。この話は何か国語にも訳されるというから、世界中に伝わっていくに違いない。話にも心揺さぶられるものがあったが、何よりも石岡さんが強い願いや使命感をもって活動されていることに胸を打たれた。リンクをみると、訪問授業などもされているようである。
 きのうまでの暖かさとはうってかわり、きょうは一日寒かった。日中もマイナス5度くらいにしかならなかったようだ。朝起きたら、雪がうっすら積もってい た。カナダ全域今週は寒くなりそう。オンタリオ全域にはフルー(インフルエンザ)の注意報が出ている。風邪を引かないように注意しよう。ちなみに、カナダの最低気温はユーコン準州でマイナス63度という記録があるそうだ。
 ジュニア・アイスホッケーの決勝戦で、カナダは残念ながらアメリカに3対4で敗れた。テレビには優勝を決めて狂喜乱舞するアメリカ選手と、悔しさにうなだれたカナダ選手たちの様子が映し出されていた。ホッケーはカナダでもっとも人気のあるスポーツらしい。はっきりいって子どもたちはみんなホッケー大好きである。ニュースでも連日大きく扱われているし、スポーツ用品店でホッケー用具の占める面積はかなり広い。なお、正しい発音は「ホッキー」らしい。
 岩手は日本の中ではホッケーが盛んなほうではあったろうが、一度も観たことはなかった。思えばかつて県代表だった教え子がいたが、それでもなぜか会場に足を運んでみようとさえしなかった。今ではそれが理解できないのだけど。
 テレビでは、スリランカ対インドのクリケットの試合が放送されていた。野球に近い競技といえばそのようだが、見ていてもルールはさっぱりわからなかっ た。会場には多くの客が詰めかけ、ものすごい歓声が上がっていた。このように、日本ではマイナーなスポーツの中継がたまに放送されている。考えてみれば、 野球という競技も世界の中ではマイナースポーツのひとつなのだ。
 NHKのスポーツニュースのトップはきょうも松井秀喜選手だった。正月休みに母校を訪れたというもの。知りたい人が多いからいいのかもしれないけれど、 それってスポーツニュースじゃないんじゃない?今の時期の旬のスポーツや、マイナーなスポーツをもっともっと取り上げたらいいのにと思った。
 プロスポーツの興隆は、その国のスポーツ文化にとって大切なことだ。しかし、そのためにはその競技の底辺を広げていくことが求められる。いちばん大事なのは、子どもたちがその競技に興味をもち、取り組めるような環境を作ってやることである。
 学校の部活動が大きな機会であることはたしかだが、逆にいうと、学校の部活動にない競技に取り組める環境が地域にあるかというと、都市部をのぞいてはほとんどない。そこに手を入れることで、日本のスポーツ文化はさらに前進するのではないだろうか。
 マイナースポーツにもっと光を与える。中には、競技人口が少ないスポーツで金メダルを狙おうというチームも各地に現れるかもしれない。部活動だって、中体連一辺倒の状況とはまた違った考え方で進めることができるかもしれない。
 ゲートボールでお年寄りとの交流、というのは「総合的学習の時間」などでありがちだが、ゲートボールはほんとうにお年寄りのスポーツなのかというとそうではない。もともとは子どもたちのために北海道で考案された競技だということだ。
 2001年には、なんと日本でそれも岩手の隣の秋田でワールドゲームスが行われていたではないか。この大会にも教え子が出ていたのを思い出した。一輪車のアトラクションで参加したということだったが、そのときにも自分はその子に言葉をかけたものの、結局それ以上の関心を示すことはなかった。
 個人的なことをいえば、スポーツへの関心がそれほどでもなかったというのは事実ではある。それでも、一昨年のワールドカップではほとんど毎試合テレビにかじりついて観ていた。そして、なにより部活動で毎日なんだかんだいいながらスポーツを通して子どもたちとつきあってきたではないか。
 今年はオリンピックが行われる年だ。これからどんなふうに盛り上がっていくのか、あるいは盛り上がっていかないのか、注目していたい。そして、オリンピックにはない競技、オリンピックとは違ったスポーツを取り巻く状況というのにも関心をもちたい。とにかく、自分はこれからもきっと何らかの形でスポーツに関わっていくことになるだろう。だから、カナダからいろいろと吸収したいなということである。その際にはこの場でレポートするので、読者の方々と少しで も共有できればいいと思う。

■バスケットボールの午後(2004.1.4 dimanche)
 NBAのプロバスケットボールを観てきた。会場のエアカ ナダセンターはユニオン駅のすぐ近く。トロントラプターズの本拠地であるほかに、NHLのメイプルリーフスの本拠地でもある。
 おとといネットでチケットを探したら、運よく席が取れた。きょう窓口でチケットを受け取ろうと思ったら長蛇の列ができていてずいぶん待たされた。ネットで使ったクレジットカードを窓口で見せると、なぜか「カード番号が違う、使ったカードを出してくれ」と言われた。チケットをくれないのかと思ったが、「こ のカードを使ったのだ!」と主張したら、係員はチケットを渡してくれた。
 ラプターズ対フェニックスサンズ。試合開始は午後1時。昼食のピザとコーラを買って、3階の最も上の席へ。さぞ眺めがいいことだろうと思ったら、コートこそまるまる見下ろせるものの、天井が壁で遮られて視界はあまりよくない。しかも、こともあろうに立見席だった。 
 バスケットはそれほど好きな競技というわけではなかった。だから、テレビでもあまり見ないし、一人の選手の名前や顔すらも覚えてはいない。だが、実際に観てみると会場の雰囲気に魅了され、時間があっという間に感じられた。
 もっとも遠い席だったので、選手たちは米粒ほどにしか見えなかったが、それでもゲームの生の迫力が伝わってきた。メンバー紹介の演出の、ホームチームと ビジターの格差があまりに激しく て、笑ってしまうほどだった。最初はビジターのサンズの入場。一人一人の名前が紹介されるとコート中央にぶら下がっているスクリーンに選手の顔が映し出された。拍手はぱらぱら。ところが、ラプターズの選手の時は、会場のライトがすべて落とされ、カッチョいい音楽の鳴る中、スポットライトとまばゆい七色の光、そしてチアガールたちに囲まれての登場だ。
 ゲーム前、細長いひものような形をした風船が、バスケットゴール後部の天井からぱらぱらといくつも落ちてき た。それをどうするのかと思ったら、相手チームのフリースローの時、それをみんなで縦に持って「ブー!」と言いながら揺らすのだ。選手の目を眩ませてゴー ルを外させようというのである。ゲーム中は終始そんな感じで、ラプターズにしか声援がない。ただ、サンズがダンクシュートを決めたときには拍手があったし、それほど露骨なブーイングもなく、全体的に穏やかな印象を受けた。日曜日の午後なので家族連れが多く、小さい子どもたちも思いっきり声援を送っていた。それと印象的だったのはゲーム中絶えず鳴り続けている音楽。攻守が変わると曲も変わる。選手には黒人が多いが、それとこれらの音楽のイメージが重なっ て、選手たちひとりひとりコートの上ではやっぱりヒーローなのだ。中学生、ことに男子にNBAの熱烈なファンがいるが、その気持ちがなんとなくわかったよ うな気がする。→試合の 映像
 それから、ゲームが止まっているときのアトラクションが大いに楽しめた。このアトラクションは大リーグのときと同じようなものであった。マスコットが出 てきたり、一般客から選ばれた人がゲームに挑戦したり、ダンスショーがあったり、客席がスクリーンに大映しになったり。客を楽しませるための工夫がさまざまに凝らされており、客もそれを素直に喜んでいた。テレビではコマーシャルなどでカットされてしまう部分なのだが、そういう部分を見ると、いろいろなこと を感じることができておもしろい。
 人々に夢を与えるプロスポーツは、いろいろな企業のスポンサーがあって成り立っている。そして、プロスポーツに関連した商売は予想以上に広範囲だ。ス ポーツ選手、チーム、スポンサー、ファンやサポーター、本拠地となる都市。それぞれの思惑が複雑に絡み合って、大きな流れができあがっている。それは、夢の流れでもあり、金の流れでもあり、人の流れでもある。何もスポーツに限ったことではない。他にも数々のイベントが同様の流れて成り立っているということ がわかる。資本主義だからできることといえるかもしれない。それが高度に進んだ社会が北米であり、日本であるといえるのではないか。
 こういう人々の楽しみを否定するつもりはさらさらないが、この流れがうまく流れないとしたらどうなってしまうのか。夢、金、人。もうすでにかなりのアンバランスが生じてしまっているのではないだろうか。と、拍手をしながらも暗く批判的に考えてしまうのが自分の癖で、頭の中を空にして楽しめないのが損な性分である。
 地下鉄の広告に、「夏の大停電を思い出せ」というような ことが書かれているものを発見した。詳しくはよくわからないのだが、エネルギーをシェアして冬を皆が暖かく過ごせることを目的とした団体らしい。きのうの ミッシングチルドレンの団体と同様、市民からの寄付を募っている。こういう広告を見ると、資本主義の論理だけでは行き詰まっている部分があるのではないかと感じてしまう。

■初散歩(2004.1.3 samedi)
 天気は曇りだったが、日中の気温が15度にもなってとても冬とは思えなかった。広場のスケート場も氷が解けてべちゃべちゃにな り、誰も滑っている人はいなかった。来週の水曜日には大雪が降るとテレビで言っている。レポーターは、量販店の雪かき用の商品の売れ行きについて報道して いた。 
 テレビのコマーシャルには社会の姿が投影されるものだと思うが、気になったのが二つ。一つは食器洗い用のスポンジの宣伝。よごれて臭くなったスポンジを女性が窓からポイ捨てして、新しい製品を使うというもの。窓から投げ捨ててしまうというのが変だと思った。もう一つは乾電池のコマーシャル。ヘッドホンで音楽を聴きながらスケートボードに乗っている若者がガレージセールに立ち止まり、そこに並んでいた電池で動くバレエ人形を買 う。店のおばあさんが喜ぶのだが、その後その若者は人形から乾電池だけ抜き取り、人形を道端に無造作に放り投げ、去っていく。すごく後味の悪いコマーシャ ルだ。
 使い捨てができることを売りにした製品のコマーシャルがいくつかあるが、その捨て方があまりに乱暴だと感じることがあ る。モノを捨てることについての感性は日本人とは違っているのではないかと思う。 
 正月の街はどうもゴミが散らかっているなあと思っていたのだが考えてみると当然だ。片付ける人が休みだったからだ。早朝の街にはでかいバキューム車が道端のゴミを吸い取っていくのだが、それが何日かストップしていたに違いない。ゴミを減らそうとか、なるべく出さないようにとかという観念の大きさは、国土の広さに反比例するのかもしれない。
 きょう、ケーブルテレビの先月分の請求書が送られてきた。その小切手返信用の封筒の裏に"CHILD FIND"という広告が載っている。そこに行方不明になっている少年の顔写真がついている。ここのホームページには、夥しい数の行方不明者のデータが掲載されている。同様の団体がまだまだあるようだ。肝心の実際の ミッシングチルドレンの数をつかみたかったができなかった。
 今まで通ったことがない道路を散歩した。久しぶりに歩いたーという満足感が残った。そして新たな発見の多い旅であった。この街にはまだ自分の知らない面白いところがたくさんある。小さな商店街の中にイタリア系のきれいなスーパーを発見したり、ジャマイカンがたくさんいる通りを通ったりした。やっぱりレゲ エが大音響でかかっており、通りの向こうでは、若者が一人高いところに上がって音楽に合わせて踊っていた。道行く人に手を差し出していたところを見ると、 お金をくれということだったみたいだ。

■心を耕そう(2004.1.2 vendredi)
 午前中は雨が降っていたので外にも出ず、アマゾンで日本の本 や らCDやらをせっせとチェックして大量に注文してしまいました。毎週の本屋とCD屋巡りは今も変わ りませんが、何せ本は英語だし、CDも日本のはほとんど売ってないですから。このアマゾンチェック。習慣になりつつあります。
 午後からモールに行ったらバーゲンセールでやはりすごい人でした。フードコートも全然空席がない状態だったので、 HMVで1時間くらい物色して、人が減ったのを見計らって食事しようと思いました。ところがいつまでも人は減らず、結局ご飯を買って帰って家で食べたのは4時近くでした。だから今夜は夕飯抜 きです。
 ジェームス・ブラウンの「アイ・フィール・グッド」というアルバムが、3ドル99セントで売られていました。もう叩き売り状態 です。それで、なんとなく買ってしまいました。新作のアルバムもちょっと経つとすごく安くなります。1枚だいたい1000円から1500円というところでしょうか。それとアリシア・キーズという人のアルバムを買いました。これいいですね。知りませんでしたが日本でもヒットしたんでしょうか。なんとDVD付きでした。DVD付き、 けっこう出ていますね。こんなに安くて歌手の人たちは商売になるんでしょうか。
 ところで、先日買ったフランス語のアルバムは、"Marie kiss La Joue"でした。歌詞の意味は全然わからないのですが、ギターやバイオリンと歌声だけのアコースティックな演奏が心地よいです。そして、聴くたびにじわっと心に沁みてくる感じです。最近は、曲を聴いてガーンと頭を殴られたような感動をすることなどほとんどなくなりましたが、このアルバムはガーンときました。ほんとにすごいです。ホームページもリンクしました。視聴ができますよ。ほっぺたのところをクリックすると入れます。
 読書や音楽はもちろんですが、もっといろいろなものに積極的に接したいと思います。映画、スポーツ、演劇、ミュー ジカ ル、絵 画、彫刻…。その気になればいろんなものが手に届くところにあります。でも、その気にならなければ自分とは無関係なままです。私はせっかくこういう機会が与えられているのだから、2年目の今年は、誰が何と言おうと、できるだけなりふり構わず(!)接してみることにします。それが、たしかな目を養い、心を豊かにしてくれるはずです。いい仕事にもつながっていくでしょう。ということで、夜にはまたネットでチケットをいろいろと取ってしまいました。新しいものを生み出す時には、心を耕す必要があ ります。耕運機→好運機→幸運期となっていけばいいと思います。

■あけましておめでとうございます(2004.1.1 jeudi)
 インターネットでは当然日本語サイトを見ることが多いのです。そうすると、こちらの時間 と日本時間とがごっちゃになってしまって、1日が24時間ではな くて、38時間にも感じられることがあるのです。夜、眠っているときも地球の反対側じゃ人々が活動しているんだという実感がわいてきます。「朝のリレー」 という谷川俊太郎の詩がありましたが、まさしく朝がリレーされている感じ。まあるい地球が回っている感じです。
 仕事のことでは、来年になってから考えようと後回しにしていたこともあるのですが、もう なってしまっ たので逃げるわけにはいきません。ゆっくりしつつも少しずつ気持ちを切り替えていこうと思います。この3月で校長先生は帰国し、新しい先生が来ます。その引き継ぎが今年の大きなことのひとつです。4月に来たばかりと思っていたら、もう伝える立場になってしまうのですから驚きです。それから、2年目ですので、何事も直前に慌てることのないようにしたいです。
 仕事以外の面での目標もさまざまありますが、簡単にいうと、ちゃんと「生活」したいです。できるだけ人間としてまっとうな生き方に近づければいいなと 思っています。毎年思うけれど毎年ひとつもできないんですよね。
 さて、年末も暖かかったのですが正月もやっぱり暖かです。昼から地下鉄に乗って出かけま した。読書は地下鉄の中がいちばん進むようです。きょうは往復1 時間くらい読んだかな。今年もどんどん本を読みたいものです。
 ところで、日本語を読んでいないと自分の日本語が崩れていくような怖さを覚えることがあ ります。私の場合は仕事も日本語ですし、まさかこの年代で3年くらいでどうなることもないとは思いますが。しかし、これが小さい子どもだと、恐ろしいほどにこちらの言語の影響を受けます。いくら家庭で日本語で過ごしていても、学校で一日中英語で生活したらいつの間にか英語のほうが優勢になってくるのです。親の立場からすればそれは何か異物に「浸蝕」されるように映るかもしれません。いわゆるバイリンガルになれれば理想的なわけですが、気がつくとどっちつかずになっていたという例も多いみたいです。そうなると、その人に とってはひじょうにたいへんなわけで、言葉をどう習得させるかというのは大きな問題です。言葉ってとても確固としているようにみえますが、意外と危ういものなのだなと思います。
 さすがに元日の街は人が少なかったです。ほとんどの商店は休みだし、見たところビデオレンタ ル店や コーヒーのチェーン店、ハンバーガー屋などに人が集中 していたようです。で、向かった先はまたチャイナタウン。ここはいつ来てもすごい人です。ここだけはクリスマスも元日も関係ないみたいですね。水餃麺というラーメンを食べました。シュイチアオミエンです。そうだ。今年はチャイナタウンでは中国語を使うことを心がけよう。その後ぶらぶら散歩して、地下鉄で帰りました。それから車を出して、洗車場で洗ってきました。きょうは空いていてすぐできました。
 帰って来てうとうとしていると、教務の先生から電話があって、これからおせち料理を持っ てき てくれる というのです。なんとも有り難い話。いつも気を遣っていただいてすまないと思っています。今夜はおかげで日本のおせち料理をいただくことができました。椎茸やレンコンの煮付けや大根のなます、それに私の好きな黒豆もありました。たいへんおいしくいただきました。ごちそうさまでした。