2004年7月
■period(2004,7,31 samedi)
 きょうも天気はあまりよくなくて、カリバナという祭りのパレードにも行かないでしまった。去年も雨で行かなかったのでもったいないことをした。でも、眠くて仕方がなかった。寝たり起きたり。起きているときはいろいろと準備をしたりしながら、だらだらとした一日を過ごした。
 暑いんだか寒いんだかもわからない。自律神経が失調気味なのかもしれない。今月はきょうで終わりか。もう日本は8月か。そんな真夏の雰囲気なんてまるでない。

■out of condition(2004,7,30 vendredi)
 天気のいいのはちょっとの間で、すぐにぐずついてしまう。きょうで仕事も一段落して、明日から休み。時間になると開放感からなのか、胸がとかとか鳴り出した。その後夜にも調子が悪くて、映画を観てたら目が回って具合悪くなった。冷や汗かいたり、吐き気がしたりして、映画どころではなくなった。なんだか情けない。土日はゆっくりしよう。
 パソコンの調子が悪くて、突然画面が真っ白になってしまう。そうするとすべて止まって再起動するしかなくなる。せっかく打ち込んだ文書もパーになると、画面をパンチしたくなる。パソコンがなければ暮らしていけないが、まだまだ信頼できるわけではない。
 機械も生身の身体もなんだか思うようにはいかない。

■cycling(2004,7,29 jeudi)
 耳はというとほぼ完治。二日で回復するものなんだ。職場の人たちにもいろいろと調べてもらったりして騒がせてしまった。これからは気をつけよう。みんなに迷惑かけてすまなかった。
 職場には活気のある一日だった。後片付けのめども立ち、9月以降の準備をどんどんと進めることができた。そして、昼にはいろいろと持ち寄りのお菓子でテーブルが豪華になった。いつもいただいてばかりなので恐縮。今度クッキー作りにでも挑戦してみようか。
 ボスの息子さんたちが来て一日勉強していたので、若い人が近くにいるだけでパワーをもらえるねという話になった。まったくその通り。若いということは力が充満した存在なのだ。学校で子ども相手に生きている教師というものは、子どもに与えることよりも子どもから与えられるもののほうが多いのかもしれない。今はそういう機会がほとんどないので、ちょっとパワーレスである。
 外務省から届いたある機関誌に、ラオスのことが載っていた。以前行こうと思って予定が合わず断念したことがあったので、気持ちが揺り動かされた。インドシナの青い空を思い出し、また素敵な笑顔に出会いたいなあという気持ちが強くなった。話はかわるけれど、水害の状況は甚大で今でも復旧作業が続いている。早く元通りの生活に戻ることを祈ることしかできない。人々が力を合わせて作業に当たっていたり、力になろうという人々が集まって、できることをやったりというのを聞くと、そういう草の根の活動こそが大事だよなと思う。
 人間一人一人ができることをやる。一人でできることは微細ではあるけれど、それが集まると大きな流れにかわっていく。そういうちゃんとした個人でありたい。自分にできることをやれればいい。いつでもそれを模索している途中だと思いたい。
 仕事を終えてから、スポーティな格好に着替え、川沿いを自転車で。初めての道を見つけてそこを走った。今まで何度か来ているのに、その道があることにきょうまで気づかなかったのが不思議だった。夏の草いきれ。道の上のでっかい毛虫。街中の大森林。気持ちが洗われるような快感。しばらく走ると湖に出た。ベンチに座り、遠くの街並みや沖のヨットの帆を見ながらボーっとする。なんのために。なんで俺がここにいるんだろうなあという思いに自分を浸らせてみる。
 期限付きっていうのは相当に大きな意味がある。ここからまた次の場所に移動するわけだから。次といっても故郷に帰るのだ。でもきっと帰ったところは自分の知っている故郷とは違うだろうし、そこが安住の地とも限らない。どんな暮らしが待っているのか。これからどんな変化がおきるのか。未来への期待と不安が入り混じる中、どこかかすかに諦めの気持ちが横たわる。何に対する諦めか。自分にか。他人にか。時代にか。環境にか。いったい自分の国ってどこなのか。帰るところなんてないのではないか。まだ夢の続きを見たい。また違う世界に出て行かなければならない。そんなことをぐるぐると考えながら。

■pain(2004,7,28 mercredi)
 昨夜の興奮はどこへやら。耳が心配でどうにも落ち着かない一日だった。今朝起きた時点でもまだ耳鳴りがあったので、いよいよ病院行きを覚悟していたのだが、徐々におさまり午後にはあまり気にならなくなった。かすかにまだ鳴ってはいるけれども、聞こえが悪いわけではないので、かなり軽度だと思う。もしも明日悪化していたら、午後からでも休みをもらって病院に行かせてもらおう。
 それにしても、ちょっとしたところではあるがいろいろと身体が異常を訴えて困る。痛む場所はどんどん増える一方だ。場所はどこであれ、「常に痛い」状態が続くなんてとんでもないと思っていたのだが、自分にも今後そういうことは十分あり得る。若いときの不摂生が祟ったなどと言われそうだが、それはそれで仕方がない。
 しかし、100パーセント心も体もすっきりした状態でいられる時間なんて、人生のうちのどれくらいなのだろう。などと気にし始めるといろんなところが痛み出してくるから嫌だ。

■"musicology live 2004ever"(2004,7,27 mardi)
 エアカナダセンター。プリンスのコンサートに行ってきた。ラブセクシーツアーの仙台公演以来2度目。自分のこれまでの音楽生活の半分はプリンスだったといっても過言ではない。彼の音楽的ユーモアといいアイディアといい、文句の言いようがない。
 チケットに"wear something purple"と書いてあった。そこで、紫色に近いアズキ色のシャツを着て行った。紫色の髪の毛の人、夜光のアクセサリーを身につけた人も中にはいたが、全体的には紫のものを身につけている人は半分もいなかった。
 チケットを見せて中に入るとき、musicolosyのアルバムCD(コンサート会場仕様)が入場者に配られた。あちこちで大判のプログラムが売られていた。よせばいいのに買ってしまって、コンサートの間中CDとプログラムが邪魔で仕方なかった。
 NBAやNHLの会場だからなのか、開始前の通路の雰囲気はスポーツイベントといっしょだった。ビールやポップコーンを買う人、そしてホットドッグなどのファーストフードで腹ごしらえという人でごった返していた。7時半からということだったが、時間になっても席の半分も埋まっていない。会場には曲がかかっていて、一曲終わると始まりを期待する人たちが声を上げたり手をたたいたりしていた。ステージが中心にあり、四方にスクリーンがぶら下がっていて、イメージ映像が映し出されていた。座席は西の14列目。スクリーンはほとんど真上で、見上げていると首が痛くなった。
 縄ばしごを使ってステージの上に登っていく男たちがいた。中央の天井にはコメじるしの形に舞台装置が組まれており、そこにたくさんのライトが散りばめられていた。縦型のスピーカーがいくつも外側に向いて設置されていた。そして、装置の外側には運転台のようなものが付いており、男たちが8人そこに座って、ライブの間中ライトを操作しているのだった。
 8時頃になってもまだまだ空席がある。客席でビールを飲む人もたくさんいる。家から持ってきたようなお菓子を食べている家族もある。曲に合わせて踊っている人たちもいる。客層は年配の人も意外と多い。ざっと見た感じ、白人も黒人もたくさんいたが、東洋人はそれほど多くはなかった。
 1時間が経過してもいっこうに始まる気配がない。席はかなり埋まってきたが、今から何か買いに行く人も後を絶たないので首を傾げたくなる。隣の席の黒人男性に「こんなに遅れるのは普通のことなのか」ときくと、「クレイジーだね。30分遅れるのは普通だが1時間経っても始まらないのはクレイジーだ。仕事を終えて急いで来たのに、1時間あったら晩飯を食べてから来るんだった」というようなことを言っていた。
 8時40分頃明かりが消えて、歓声がどっと大きくなった。スクリーンに、誰か歌手らしき女性がプリンスのことを褒めちぎっているビデオが流され、そちらに注目している隙に、プリンスやほかのメンバーがステージに移動していた。やっとのことで始まったライブは大音響過ぎて、はじめは何の曲をやっているのかさえわからないくらいだった。耳が弱いせいなのかもしれないが、スピーカーからの音が異常に大きいので不安になった。よくこれでみんな平気だなと思った。表情もわかるくらいの近い席ではあったが、音のことをあまり考えていなかったのはまずかった。今思えばこのとき耳にティッシュでも詰めて栓をしておけばよかった。
 1曲目から総立ちで2万人の観客がめいめい自由に体を動かして踊っていたみたいだった。初めと終わりはバンドで盛り上がり、中はプリンスのギター弾き語り。途中でメイシオ・パーカーのサックスがあったが、そこで人々は座って休み、休憩時間のようになっていた。バンドの息の合った演奏もすごかったけれど、弾き語りの何曲かのほうがプリンスのミュージシャンとしてのすごさを感じさせてくれたような気がする。客席の女性たちがたくさんステージに上がってきて、めいめい踊っていた場面が何曲かあった。踊りがそれほどうまいわけでもなく、普通の若い女性たちだった。
 冗談を言ったりしてかなり表情豊かなプリンスを見ることができたのだが、悲しいかなやっぱり何を言っているのか聞き取れなかった。それと驚くのは、人々がちゃんと歌詞を知っていて歌えることだ。会場での大合唱になった曲が何曲となくあった。あんなふうに多くの人が歌詞を覚えているのはすごい。それに、あんなに早口の歌詞なのにネイティヴの人には当たり前に聞き取れている。当然といえば当然だが、やっぱりびっくりだ。歌の感動というものは歌詞とともにあるのだよなあ。英語があまりわからないのに英語の歌がヒットする日本は、珍しい国かもしれない。
 アンコールの最後はパープルレインだった。レコードと同じくおそろしく長かった。でも、終わりには溢れんばかりの惜しみない拍手と歓声が続いた。すばらしい演奏に客は酔いしれていたし、アーティストのほうも感謝の気持ちを全方向に向かって全身で表していた。日本ではちょっとグロテスクなイメージで取り上げられることが多かったような気がするけれど、偉大なミュージシャンとして人々から讃えられているのだなあというのがわかった。お茶目なところはあるけれど間違っても「プリちゃん」とか言って茶化せるような存在ではないと思った。
 会場を出たのは11時半を過ぎた頃。駅前の帰り道でストリートミュージシャンがパープルレインを唄っていたのでかなり受けていた。運悪く地下鉄が途中の駅で停電になってしまい、15分くらい待たされた。電気が消えると、誰かが絶妙のタイミングで「パープルレイン♪」と唄いだしたので車内が笑いに包まれた。
 家に帰って安らかに眠れればよかったのだが、あまりの大音響のために耳がおかしくなってしまっていた。特に左耳の耳鳴りが続くので心配になった。10年ほど前、突然同じような症状が出て通院したことがある。そのときには突発性難聴と診断され、注射を打たれ、薬を処方された。医者には「あと一週間遅かったら治らなかったよ」と言われ、来てよかったと胸をなでおろした。今回は原因がはっきりしている。この耳鳴りがおさまらないのであれば医者に行かなければならない。そう思うと暗い気持ちになった。病院たって、どこに行けばいいんだ。いったい、何て言えばいいんだ…。そして、来週までかかることだけはどうしても避けたいなあ…。そんなことをあれこれ考えているうちに眠りについた。
 
Plane Plain Congee(2004,7,26 lundi)
 夕飯に白粥を食べたらうまかった。ただのお粥とはいえあなどれない。
 "Plane"なんて書いたら、つづり間違いだった。正しくは"Plain"。"Plane"だったら飛行機だわい。
 きょうはいろいろと買い物をした。5月にカバンや洗面用具などすっかり盗まれたので、用意しなくてはならなかったのだ。
 気がつけば、デビットカードばかり。現金を使うのは、食事するときくらいである。
 
■Point Pelee(2004,7,25 dimanche)
 10時過ぎに行動開始。見たことがなかったエリー湖を見ようと進路を西へ。途中チャタムという町で高速を下り、市街を散歩。ほとんど誰も歩いていない。きれいな町並みではあるけれど、寂れている感じがした。近くを流れているのはテムズ川。テムズ川なんて名づけてしまう感覚ってどうなんだろう。ここにももともとの民族が住んでいたのだろうに。ショッピングセンターの入り口ではスケボーの少年少女たちが遊んでいた。
 Point Peleeはエリー湖の北岸に三角形に突き出た半島。国立公園になっており、野鳥の観察で来る人が多いらしい。メキシコからここに飛んでくる蝶がいるそうだ。突端まで行くには途中で車を置かなければならない。20分置きに発車するシャトルバスを利用するか、自転車に乗るか、歩くかすることになる。シャトルバスで7、8分。そこから先は遊歩道を歩く。ビジターセンターに60年代の写真が展示されいた。そこには、半島が車で溢れどうしようもなくなっている様子があった。
 遊歩道の終点にはカナダの陸地の最南端であることを示す小さな碑があり、そこから湖を東西に分けるように砂浜がのびていた。国土上の最南端はエリー湖に浮かぶPelee Island。その島はちょうど右手に見えた。半島の西側は波がほとんどないのに対して、東側は高波がごうごうと音を立てて押し寄せていたのが不思議だった。たくさんの人が来ていて、記念写真を撮ったり、裸足になって波と戯れたりしていた。

■pass(2004,7,24 samedi)
 せっかくの土曜休みしかもさわやかな晴天だったのに、夜8時過ぎまでどこへも出かけず、部屋にいた。もったいないとは思うけれど、ゆっくり部屋で過ごすのもまた有効な休日の使い方だ。溜め込んでいた新聞紙やダンボールをすべて処分。メトロなどたいていのフリーペーパーはネットで過去の分までダウンロードできてしまうのだ。そんなことを知ったら、とっておくのがばからしくなってきて、一気に捨てる気になった。溜め込むよりも、リンクを張るほうがこれから何かといいかもしれない。ちなみに、このメトロは世界中で発行されているので、外国語の勉強に利用できそうだ。
 オンラインバンキングのパスワードを忘れてしまい、アクセスできなくなった。それで電話で問い合わせをして、新しいパスワードを教えてもらった。汗かきながらなんとか目的を果たし、最近では珍しくガッツポーズが出た。パスワードといい暗証番号といい、どうしてこうも忘れてしまうのだろう。自分で決めておいて、情けなくなる。

■Thank you,My friend!(2004,7,23 vendredi)
 隣の国と同じようなものだと言われたら、気を悪くする人も多いだろう。たとえば、カナダとアメリカだって当の国民どうしは同じだとは思ってはいないからそう言ったら怒る人もいるだろう。だけど、遠く日本にいる人の中には、違いがよくわからない人もたくさんいるのではないか。そういえば、送別会の席である人から「カナダってアメリカでしょ?」って言われたことを思い出した。これは極端な例だけど。
 よくわからないと、区別ができない。そして、誰にでもよくわからないことがある。すべての物事をわかろうとしても限界がある。自分から離れれば離れるほど、違いがわからなくなってしまう。知ろうとすることが大事。いろんなことに関心をもてるようでありたい。それはその通りだけど、その態度を他人に強要することはできない。わからないことをせめられるものではないんだなと思う。相手が知らないことをいつでも教え合えたら楽しいに違いない。せめて、自分の国や自分の専門分野なんかに関しては、人に教えてあげられるくらい理解できるといい。
 きのうの蒸し暑さはなく、涼しい風の吹く日だった。久しぶりにイタリアンの床屋に行った。店の名は"ITALO&TONY"。ITALOとTONYの二人のおじさんでやっている。そのまんまだ。勝新に似ているITALOはちょっと怖い感じでよく大声でしゃべる。TONYは小柄でおとなしい雰囲気。きょうはTONYだった。15分くらいで出来上がってしまう。洗髪や髭剃りがないとしても驚異の速さである。そして、やはり腕がいい。"Thank you. My friend!"という言葉が気持ちよかった。
 耳の後ろの腫れは少し右に移ってきたみたいだ。左側の痛みは引いてきた。じきに治るだろう。

■feels like 41 degrees(2004,7,22 jeudi)
 道路を歩いていたら、前から来た知らないおじさんが僕を見て、感激した様子で「ヘイ、ハウアーユー?」と挨拶してきた。まるで、「やあ久しぶり、元気だったかい、待っていたよ」という感じで、抱きついてくるかと思うほどだった。どこかで会ったかと思ったが、そんなことはない。仲間だと勘違いしたのだろうか。ちょっと気持ち悪かった。
 おとといあたりから耳の後ろのリンパ腺が腫れている。最初は左だけだったのに、きょうになったら右も少し腫れてきた。手で触るとちょっと痛い。発熱などほかの症状がないのでしばらく様子をみよう。いま僕の身体は悪い菌とたたかっているところなのだ。でも、このまますすんでいざ病院となったらどうしよう。明日は腫れが引いてくれてるといい。
 きょうは日中蒸し暑くて30度をこえたようだ。体感温度は41度になったらしい。帰りは駅まで歩いたら暑さでぼーっとなった。地下鉄もなぜか冷房がほとんど効いておらずがっかり。ダウンタウンで降り、地下街に入ると涼しくてほっとした。そこで焼きそばを食べた。このところ2日に1回くらいの割合で焼きそばだ。米の飯をほとんど食べていない。焼きそばは食いやすくていい。そして、意外と腹持ちがいい。
 店の女性から「中国人か」と聞かれたので「日本人だ」と答えたらそこで会話が途切れた。「スープはあるか」ときいたら、「辛くてすっぱいスープがある」というのでもらうことにした。「きょうは暑い日だ」と言ったが、会話にあまりつながりはなかった。一日ここにいたら外の暑さも寒さも関係ないよなと思った。
 このごろ日本の街の風景の写真を見て、中国とか韓国と同じような感じをいだくことが多くなった。今まで思っていたほど違いがないように思う。それは、外見だけではなく文化や価値観についてもそうだ。西洋の人々から見たら東アジアの国々は区別がつかないかもしれない。もちろん空手もテコンドーも少林寺拳法も別物ではあるが、見方によってはどれも似たようなものである。国民性だって全く違うという人もいようが、それでもかなり近い部分がある。いろんな見方ができるというのは、おもしろいものだ。

■budget cut?(2004,7,21 mercredi)
 人との何気ない会話の中に、自分の出発点みたいなものが見えてきた。立派なことではないけれど、やってみたいことはそういうことだったかなんて、振り返ることができた。仕事が云々というより、どういう時間を過ごすかということのほうが大切だ。残り時間をうまく使うのに、必要なのはどんなことだろう。
 いろいろな人との話を総合すると、なんとなく嫌な感じのする事実が浮かび上がってくる。自分がここにいる理由の、そもそもの大元が揺らいでいるらしい。それが行われてしまったら、どうしたって自分の居場所がなくなる。とんでもなく最悪のケースだけど。最後の夏だと覚悟したほうがいいのだろうか。ほんとだとしたら、泣くに泣けないな。

■link free!(2004,7,20 mardi)
 リンクフリーでないサイトというのがある。勝手にリンクするなということである。それってどういうことなのだろうか。
 インディペンデント系の映画館というのがダウンタウンにはけっこうあるらしい。今度行ってみよう。
 蒸し暑い日が続く。とはいえ、このところの日本の気温と比べたらたいしたことはない。暑中お見舞い申し上げます。
 朝も帰りもひたすら歩いた。汗をかいて気分爽快。体重を減らそうとは考えないことにした。筋肉をつけようと思う。
 とりあえず旅の計画を作って提出。皆に心配される。そんなに恐ろしいところなのか。それともそれほど頼りないのか。

Sunnybrook Park(2004,7,19 lundi)
 午前中自転車に乗った。公園の入り口の駐車場に車をとめてから、長い自転車道をゆく。街中とは思えないほどの森林。渓流。視界が開けると広大な芝生。ラグビー場やサッカー場、馬場などがあった。冬はここでクロスカントリーのスキーをするのだろう。公園観が変わるほどの広さ。予定ほど進まなかったので、道の途中で引き返す。車に着いた頃に雨が降り出した。土砂降りと雷。タイミングがよかった。

■movie(2004,7,18 dimanche)
 毎日1時間から2時間の運動をしよう。というわけで、きょうはTommy Thompson Parkというところに行って自転車をこいできた。鳥の保護区になっているらしく、たくさんの鳥がいた。小1時間で一回りできたので物足りず、場所を変えてまた湖沿いを走った。やっぱりきょうも湿度が高くて、走り終わると汗がどっと出てきた。
 夜にはI,ROBOTを観てきた。おもしろいけれど、後味は悪かった。
 カナダでは映画は一つの大衆文化である。あちこちに新しいシネコンができているので、ほんとうに気軽に観ることができる。毎週金曜のメトロには、トロント周辺の映画情報が載っている。それをみると、掲載されている55館のうち21館は一度に10タイトル以上を上映する大規模な映画館だということがわかる。さらに、5タイトル以上となると実に49館に上る。日本の大都市の状況がわからないので比較はできないけれど、この数には圧倒される。また、別の新聞には昨年のカナダの映画館利用者数が過去最高を記録したと書いてあった。
 難を言えば、上映されているのはハリウッド映画がほとんどだということ。トロントはハリウッド・ノースとよばれており、ハリウッド映画の撮影所がいくつもあったり、街中でもよく撮影が行われていたりする。だからハリウッド映画が多いのは当然といえば当然だけど、世界一の多文化都市だったらもっといろいろな国の映画が上映されていてもいいと思う。普段についていえば、日本で上映されている映画の方がバラエティに富んでいるのではないだろうか。
 ただし、毎年秋にToronto Internationai Film Festivalというのが開催されて、この時期には街の映画館で実にさまざまな種類の映画が上映される。それと、短編映画祭ジューイッシュの映画祭アジアの映画祭などもあるようだ。実は自分が知らないだけで、もっと映画館があるのかもしれないし、各国の映画を観るチャンスがあるのかもしれない。

■restaurant(2004,7,17 samedi)
 一学期の最終日。少し湿気のある晴れた日。見学に来た現地校の先生を連れて校舎を案内したり、昼休みには校庭に来ていたギリシャ系のおじさんと話したりした。たいして何事もなく穏やかなしめくくり。式もないのでまったく終了という気がしなかった。
 夕方からは近くのイタリアンレストランで飲み会というより食事会。ちょうどセントクレアのこの一帯はお祭りで、通りには屋台やジャズの演奏が出て雰囲気が盛り上がっていた。店まで歩いて行く途中、会には出ないで通りを散歩したいような気になった。日本でもイタリアンレストランなんかにはほとんど行ったこともないので、料理も店の雰囲気も珍しくてよかった。もともとは歌手だったという店主らしき人が出てきて、聴いたことのあるイタリアのナンバーを立て続けに5,6曲、ギターの弾き語りで披露してくれた。しばらくは楽しい時間を過ごすことができたが、後半は暑いし話題もないしで疲れた。
 海を渡ろうというくらいだから、社交的でおしゃべりな人が多いのは当然だ。でもよく話題がああいうふうにぽんぽん出てくるものだと感心する。こういう会の時にはいつも沈黙してしまうので、周囲の人には申し訳ないと思う。

■middle age(2004,7,16 vendredi)
 指先の痛みも鼻先の腫れも引いてきた。きょうは午後から晴れてきて気温も上昇した。何日かぶりに戻ってきた青空。だが、湿度は相変わらず高くてさわやかとはいえなかった。夜に食べた焼きそばがしょっぱかったせいか喉が渇く。ビールは飲まずに炭酸水を飲む。ビールは楽しいけど、飲まなければ飲まないでどうということもない。これなら炭酸水で十分ではないか。
 昼の間に考えたことを、夜になると忘れてしまう。忘れるくらいのことだから、たいしたことではないのだろう。でも、残っていないのは残念だ。気持ちがだらけているのだろうか。集中できる時間は限られていて、それ以外は実にだらっとなってしまう。
 若い時分に階段で転んで膝を思い切りぶつけたことがある。そのときは病院にも行かずに湿布を貼ってごまかしたのだが、今考えるとかなりの怪我だったと思う。このごろになって、ときどきそこが痛むようになってきた。こういうのが年をとるということなのか。膝だけでなくいろんなところにがたが来始めているようで、「しゃあねえなあ」と思う。自分ではまだ若者という気がしていたけれど、もう僕は紛れもなく中年なのだ。「中年」という言葉、僕は意外と好きだったりする。というか、これも自分の適応機制なのだろうけれど。そうやって、壮年、老年と受け入れていって、死も受け入れるようになるのだろう。

■The Weather Network(2004,7,15 jeudi)
 気温は低いが湿度が高くて気持ち悪い。7月も半分終わってしまった。さわやかな夏はどこへ行ってしまったのか。23チャンネルはThe Weather Network。24時間天気のことばかり放送している。大雨でピーターボローという町が水没したとか、ロンドンの北では大きな竜巻が発生したとか。オンタリオの気象もなんだかおかしな感じだ。
 明日日中は26度の予想。予想気温は出るけれど、その日の最低気温と最高気温がどうだったかは画面に出ない。過ぎてしまったことには関心がないのだろうか。画面には太陽と雲と雨粒と雷が一度に出ている。いったい明日はどんな天気になるのやら。
 
■What do I want to think?(2004,7,14 mercredi)
 早く帰ってきたのに何もせず時間が過ぎてしまった。人差し指の痛みは相変わらずで、おまけに鼻の頭にデキモノができて赤く腫れて痛い。テレビでは南米選手権が放送されている。ブラジルがパラグアイに負けていて、なんだか荒いゲームになっている。イタリア語が耳に心地よい。意味はわからないけれど、音楽を聴いているような効果があるのかもしれない。結局現在夜10時半。外に出るつもりだったが断念してビールを開けた。これからのことをいろいろ考えたい。でも今夜は何もしないうちに眠ってしまいそうだ。せめて、何について考えたいのかを考えておければ。

■What do you think?(2004,7,13 mardi)
 ボスの車でダウンタウンに出た。とあるオフィスで用事を済ませ車に戻った頃、仕事を終えた人々の波が交差点に押し寄せるのを見た。それが4時半過ぎ。驚くべきことに、3時頃に仕事を終えるオフィスもたくさんあるのだそうだ。5時前に帰途に就くビジネスパーソンの波、波。夏時間なので9時過ぎまで明るい。自分や家族のために使える時間の豊富さ。それに、お盆休みはないけれど2週間3週間の夏休みは当たり前に取ることができる、そんな世界。カナダだけのことではあるまい。
 一週間ぶりの英語には行くまで勇気が要った。例によって前半は発音中心、後半は討論だった。なんときょうもこの間の続きで、テーマは妊娠中絶についてであった。先日の資料の続きを読んでから、やっぱり自分の意見が求められた。自分は先日の手前、「彼女にとって中絶はよくないことだ。だけど、生む必要はないと思う」と話した。先生は相変わらず反対を熱く語っていた。きょうも反対の人のほうが圧倒的ではあったが、この間とは違って、意見がどちらか一方に偏るということはなく、なんとなく一概には決められないよなあという雰囲気、どうするのがいいのかアイディアを出し合おうという雰囲気を感じた。そんなふうに感じたのは自分を正当化したかったからかもしれないけれど。
 世界には法的にあるいは宗教的に一切禁じられている国もある。それに比べると日本人の感覚はかなり寛容だという気がする。反対者には、そもそも15歳の妊娠自体が安易だという意見の人も何人かいた。けっこうみんな頭を抱えていた感じだった。この間もきょうも自分の思ったことを言ってよかったと思った。人に合わせようなんて考える必要はないんだ。
 それときょうは最後に先生への評価カードを記入した。先生の教え方や用意した資料、話し方や開始と終了時間まで、4段階でマークしたり、文章で記述したりするようになっている。もちろん無記名で、先生自身も誰が書いたか読むことができないようになっている。このように、学生が教員を評価するシステムが学校全体で取り入れられている。これはいいことだと思う。
 
■homicide(2004,7,12 lundi)
 今朝から人差し指の先が、何かとげが刺さったように痛い。ガラスの破片が刺さっているのかもしれない。だが見ても傷は見えないし、きっと黙っていれば治るだろう。体に入った異物は自然に外に出されるのだ。前にもこんなことはあった。
 事件の情報提供を呼びかけるチラシがアパートの掲示板や駅の入り口の扉などに貼られていた。ここから見下ろせる現場の様子。たくさんの人々が訪れて献花したり祈ったりしているようだった。殺されたのは19歳の少年。その友達だったのか4、5人の若者がしばらくその場に立っていた。きょうも付近にパトカーが7、8台停まっていた。捜査が続いているのだろう。もしそのとき今みたいにここから見下ろしていたら、何かできることはあったろうか。

■Bluffers Park(2004,7,11 dimanche)
 昼頃窓の外を見下ろすと警官たちが聞き込みしているのが見えた。そしたらしばらくして警官が部屋に訪ねてきた。「金曜日の7時半にはどこにいましたか?」「まだ仕事から帰る途中」ととっさに答えてから、その日は7時過ぎには一旦帰って、その後また飯を食いに出たのを思い出した。「何かあったのですか?」と聞くと、警官は「すぐ下で殺人があったんだ」と言って被害者の男性の顔写真を見せた。名前や電話番号を聞かれた。名前のつづりを言ったら「長い名前だ!」と言って笑っていた。そこを通った時に、休憩中の店の従業員たちが何人かタバコを吸ったりコーヒーを飲んだりしていたことを話した。こんな近くで殺人事件があるなんて。
 いい天気だったのに部屋でごろごろして動き出したのが4時前。オンタリオ湖のほとり、Bluffers Parkというところに行ってみた。湖に面して断崖絶壁があり、近くにはマリーナがあった。芝生の遊歩道沿いにはたくさんの家族連れがいて、バーベキューをしたりしていた。それに、水着になって泳いでいる人もたくさんいた。それぞれに真夏の日曜日を満喫していた。僕はその遊歩道を1時間くらいかけてぐるっとひと回りしてきた。
 夜にはThe Notebookを観てきた。切ない愛の物語だった。ここに来てラブストーリーを観たのは初めてかもしれないけれど、意外とわかりやすくてよかった。いろいろ書きたいことがあったが忘れてしまった。ああいう人生もあればこういう人生もある。
 
■round about(2004,7,10 samedi)
 ビールも飲まずに今夜は映画なんて思っていたのだが、気がつくと午前1時。しっかりとベッドで眠っていた。記憶をたどると、ちょっと仮眠と思ってごろんと横になったのが8時ころ。思えばもうその時点で終わっていたのだ。休日前夜の黄金の時間をそうやって過ごすのもまたひとつではあるけれど、少々もったいない気分。
 「今年の夏は寒い」「変だ」という声をよく耳にする。たしかに去年はもっと暑かったように思う。きょうの日中は暑くなった。比較的湿度もあって、会う人からは「夏らしくていいですね」とか「やっぱり夏はこうでないと」とかいう言葉を聞いた。本当は夏真っ盛りの今の時期なのに、どうもそんな実感がない。気象のせいだけではないような気がする。汗が滴り落ちるくらいの湿度がないからだろうか。それとも、祭囃子の太鼓が聞こえないからだろうか。
 この夏で日本に帰っていく子と写真を撮った。素直に笑うのが苦手な子だったけれど、きょうの笑顔は今まで見た中でいちばんいい顔だと思った。これからたいへんだけれど、これまでのことを思えばきっと大丈夫だ。君の周りの人々は君と関わりながら変わってきた。だから君も自分を少しずつ開くことができるようになってきた。僕らも君との関わりからたくさんのことを学んだ。一人一人きっと前よりもいい笑顔ができるようになったと思うんだ。
 ところで、僕は道草が大好きで、帰りにはどこかに寄らないと気がすまない性質だ。昨日はいつもの角を家路と反対方向に曲がってみて、今まで気がつかないことを発見できた。でも、どうして一年以上もの間あの角を反対に曲がることがなかったのか不思議だった。きっと「道草の範囲」を自分で勝手に制限していたのではないかと思う。寄り道の仕方がおとなしかったのだ。ほんとうはそんな制限なんてどこにもなくて、好きなように遠回りしたって構わないよなあと思う。「寄り道しないで帰りなさい」とはよく言うけれどそれはなぜだろう。安全を願う親心か。道草のすばらしさ、回り道の大切さはどういうところで伝えたらいいのだろうか。
 寄り道をしない人生もあれば、道草食ってばかりの人生もある。どちらがどうとはいえないけれど、自分は明らかに後のほうだ。こうなったら思いっきり遠回りしようや。「道草の上手な食い方」なんていう本を書いてみようかな。

■Corso Italia(2004,7,9 vendredi)
 職場から徒歩2、3分で、ストリートカーの走るセント・クレア通りに出る。仕事を終えるといつもはストリートカーに乗って通りをまっすぐ東へ行くのだが、きょうは珍しく逆方向に歩いてみた。5分もするとそこはコルソ・イタリアと呼ばれるエリア。きょうから祭りが行われるというので、行ってみたのだ。まだ時間が早かったみたいだけど、たしかにそこかしこイタリアっぽい雰囲気に満ちていた。あちこちでピザなんかの屋台やバンド演奏の準備をしているところだった。
 実際にはイタリアのほかにスペインやポルトガルから来た人たちも多いようで、あちこちにいろいろな国の旗が掲げられていた。耳を澄ましてみると、英語以外の言語ばかり聞こえてくる。以前通ったのはもう一年以上も前のことだと思うが、そのときにはこれほど強烈な雰囲気は感じなかった。
 トロントにはもうひとつリトル・イタリーと呼ばれるエリアがあって、そちらのほうが広くてレストランやバーなんかも多いようだが、異国情緒という点では引けをとらないのではないか。ここにはスポーツ・バーというのがけっこうあるなあと思った。やっぱりサッカー観戦しながら飲むんだろうか。ジェラート屋に入ったら何十種類というアイスクリームがずらっと並んでいて、うれしくて思わず買ってしまった。ジェラート屋の人たちや街頭で風船を配っていた人に写真を撮らせてもらったが、笑顔で応じてくれて気持ちがよかった。一まわりするだけですっかり気に入った。それにしても、職場から目と鼻の先にこんなところがあったとは。

■skipping(2004,7,8 jeudi)
 面接が続いたのと真剣勝負の遣りあいをしたのとで、いやな汗をかいた。仕事はとにかく、大人相手のことばかり。
 大人の中にも子どもの要素がある。子どもの中にも大人の要素がある。そのことは大いなる救いとなっている。
 遅かったのもあるが、おとといのことがあったのできょうの英語はとうとうサボってしまった。何事もなく参加できるだろうと書いたのだけれど、正直いって気が向かなかった。来週からはまたちゃんと出るつもりだけど。
 まだ木曜日という感じ。明日もある。

■JAPANESE NIGHT(2004,7,7 mercredi)
 きょうのブルージェイズ対マリナーズはジャパニーズナイトということで、スカイドームには日本人の観客が大勢詰めかけた。試合前には学校の子どもたち約50人がグラウンド上に出て、校長の指揮でカナダとアメリカの国歌斉唱をした。僕は引率というわけでもなく、ことの成り行き上同行させてもらったことになるのだが、今まで座ったこともない下の席に座ることができてありがたかった。
 試合のアナウンスも英語と日本語で、スクリーンの選手名も日本語表示だった。イチローや長谷川は応援したかったが、やっぱりブルージェイズのほうに拍手と声援を送った。12対4でブルージェイズの勝利。ホームランも出て、ドーム内に花火が上がった。3時間とちょっと、楽しいひとときを過ごした。終了後はしばらく立ち話をし、皆とは別れて地下鉄で帰ってきた。

■Why I had an abotion(2004,7,6 mardi)
 今朝のニュースに見慣れた場所が映し出された。チャイナ・タウンのフードコート。衛生上の問題で営業停止になったらしい。お世辞にもきれいだとは言えなかったが、まさかそれほどとは思わなかった。雰囲気が好きだったんだけど…。復活したらまた行こう。
 一週間ぶりの英語は発音練習中心で1時間半が経過した。会話ができない僕ではあるが、発音はひととおり練習してきたので比較的楽だった。当てられてもだいたい間違いなく発音できた。それで安心していたら、残り30分のところから討論になった。きょうはある15歳の少女の手記を読んで、それに対する意見を述べるというのがテーマだった。手記の題名は"Why I had an abotion"(なぜ中絶したか)。
 討論のテーマには深刻なものが多い。肯定、否定どちらかで答えるのは難しい問題である。きょうは、少女のとった行動について自分の考えを述べなければならない。中絶は許せるものではないと思うけれど、それぞれの事情を考えると一つの選択として認められることだと僕は思う。だが、提示されている文章をしっかり読み取れたわけでもないから、はたしてこの少女が妥当な選択をしたと言えるのかどうか、判断に困っていた。
 ところが先生は、「あなたはどう思うか?」「受け入れるか、受け入れないか?」と容赦なく聞くものだから、僕は「彼女の決断は間違っていないと思う」と答え、考えられる理由を乏しい語彙ながら精いっぱいに伝えようとした。その場にいる一人一人が意見を述べたが、結局僕以外の人たちすべてが僕とは反対の意見だった。なんかまずいかな…。こういう場合先生は中立の立場を取るだろうと思うのだが、先生までほかの人たちと一緒になって持論を展開するのでますます気まずくなった。
 そのときは正直居づらかったけれど、思ったことを言ったのはよかったと思う。それぞれ意見が違うのは当たり前の話。自分と意見が異なるからといって仲間外れができたり、人間関係がこじれてしまったりなんていうこともない。また次回には何事もなく参加できるだろうと思う。
 ところで、ものごとには反対か賛成か一概に言えないこともたくさんある。ある問題を前にしたときに、自分の立場を即座に表明できるのが「国際社会」で求められる態度なのかもしれない。現にきょうのような場面では意見を言わなければ話にならない。だけど場合によっては、反対とも賛成とも言えないと、あれこれ考えながら簡単には結論を出さない態度も、けして否定されるものではないと思う。それがいくら「国際社会」から遠いものだったとしても、だから間違っているなんて簡単にはいえない。
 自分が自分らしくあり相手が相手らしくあること、お互いがそれを認め合えること。そんな個人と個人の付き合いあたりのところが大事なのではと思った。

■Fried Rice in Szechuan Style(2004,7,5 lundi)
 夏休みに入ったら曜日に関係なくどこもかしこも人ばかり。月曜休みのメリットも少なくなった。モールで昼ごはんをと思ったが、テーブルは全部埋まっている。時間をずらそうと店内を歩くが、ここのモールは広すぎて迷うくらいだった。
 2時を過ぎても人がいっこうに減らないから断念。北にある中国系モールに移動する。そこも混んでいたがさっきよりはましだった。フードコートで川味炒飯(Fried Rice in Szechuan Style)を注文。「スパイシーだよ」と言われたが、四川風の辛さというのは唐辛子の辛さだろうと思っていたので「構わない」と答えた。しかし、出てきたのはまさにカレーチャーハン。いやな予感。味はうまかっのだが、案の定1時間近くたって胃に激痛。たまらずオレンジジュースを買って飲むと中和されたのか少しは痛みが取れた。だが、その後もあんばいが悪く、帰ってすぐに寝てしまった。

■SPIDER-MAN 2(2004,7,4 dimanche)
 同じ階に住んでいるというおばあさんが訪ねてきたのだが、言葉の意味が理解できなかった。あなたは「ライフ」を持っているか?と訊いてきたような気がするが、「ライフ」が何を意味するのか。そして、「パン」がどうしたとか言っていたのだが、「ライフ」と「パン」がぜんぜん結びつかず、わからないと言って戸を閉めた。未だになんだったのかよくわからない。
 ユーロ2004の決勝はギリシャの勝利。そのころちょうど激しい雷雨になったので、グリークタウンに行くのはやめた。だがほんとうはこの間行ったからいいかという感じで、雨がいい口実になった。コミュニティのサイトを二つみつけた。(Greektown TorontoGreek Toronto
 夜10時を過ぎてからSPIDER-MAN 2を観にいった。第一作はいつか飛行機の中で観たのだが、ぜんぜん記憶に残っていない。画面が小さかったし、聞き取りもまったくできなかった。きょうは大画面で迫力があったし、物語の流れもなんとなく理解できた。だけど、主人公があまりに情けないのが嫌だった。前半そこに共感したのが後半で裏切られたような気になった。なんて、こんな見方はひねくれていると言われそう。

■STEAM WHISTLE(2004,7,3 samedi)
 夏らしい一日だった。昼休みには校庭で見回りをしていた。日がな一日芝生に寝転がっていたらいいだろなあ。仕事を終えて、夜には映画をと思ったが、そんな力は残ってはいなかった。きょうは授業を5時間見学。自分がやるのと違って、子どもたちからパワーを与えられるということはないようだ。もうへろへろ。
 帰りにSTEAM WHISTLEという地ビールを買ってきて今2本目を飲み終えたところ。悪くない。実は、ここの酒屋では世界中のビールを手に入れることができるのだ。もちろん日本のものも買えるが高いので買ったことはない。去年は年間10回も飲まなかったくらいだが、この4月以来いろいろ試すことが多くなりほぼ毎週。何を飲んだか、記録をとっておこう。

■NELLY FURTADO(2004,7,2 vendredi)
 朝の地下鉄はいつもの半分くらいの人しか乗っていなかった。多くの人にとってきょうは4連休の2日目なのだった。街はどことなくしんとして、あすは自分もまた休みではなかったかと錯覚してしまうくらいだった。気分がのんびりの金曜日だった。
 きのう一日で周りの人たちからもらったエネルギーは大きかったみたいだ。人疲れがするというのとは違って、人がたくさんいるところに生まれる力を分けてもらったという感じ。どういうことなのかな。このごろNELLY FURTADOのアルバムばかり聴いている。はじめはちょっと失敗したかなと思ったが、だんだんよくなってきた。

■HAPPY CANADA DAY!(2004,7,1 jeudi)
 カナダデーつまり建国記念日で一日休み。カナダの国ができたのは1867年なので、きょうで137歳の誕生日を迎えたことになる。僕とちょうど100歳違い。おもしろいのは、"Canada's Birthday"という呼び方。人間と同じ。実際にきょうは広場でみんな声を合わせて「ハッピーバースデー、トゥー、カナダー♪」と歌った。
 朝4時半に目覚めてから、ずっとだらだら過ごした。で、だらだらしていたら昼になった。部屋の掃除でもすればよかったのに、もったいない。しかも、そろそろ出かけようかと思いつつ、ちょっと横になったらそのまま眠ってしまった。目覚めたら2時半。結局起きるのが早すぎるんだな。
 外は天気もよくて暑くなっているようだ。市内の各地でイベントがあるというのに行かない手はない。ビデオカメラを持っていろいろ撮ってこようと思っていたのだ。少々遅いながらも家を出て、地下鉄でユニオンへ。ストリートカーの乗り口が異常に込んでいるので徒歩でハーバーフロントへ。湖沿いの遊歩道では何人もの大道芸人が芸をしていて、人々がそれを取り囲んでいた。観客が貸した20ドル紙幣がマジックで偽札に変わってしまい、芸人が貸主に謝っていた。周囲に笑いの渦ができた。野外ステージで誰かが歌っていた。芝生に寝転がって聴いている人が多かった。いろいろな国の料理の屋台が出て、いいにおいがしていた。フェイス・ペインティングのコーナーがあって、子どもたちが頬にカナダの国旗などを描いてもらっていた。
 エキシビションプレイスではインターナショナル・ピクニックというイベントが4日まで開かれている。きょうはポルトガルの日だったようで、ステージでは司会がポルトガル語で進めており、観客にもポルトガル国旗を身につけた人が多かった。地下鉄で読んでいた本にファドのことが書かれていたのだが、偶然その後にファドを聴くことができた。たしかに、どこか東洋的な響きがあって、演歌に通じるものもあるような気がした。ほんとうはステージでマイクを通してではなく、どこかの寂れた裏町で聴くともっといいのかもしれない。
 屋台でホットドッグを買って遅い昼食にした。移動遊園地ができており、子どもたちがさまざまなアトラクションやゲームで遊んでいた。ぐるっと一回りしながらビデオを撮った。去年はほとんどビデオを撮ろうなんてことは思いもしなかったのだが、今年はあれこれ記録しておきたいという願望が強くなっている。人目もあまり気にならなくなった。
 バスに乗ってブロア通りまで。街の雰囲気でギリシャが勝ったことをなんとなく知る。そこで、そのまま地下鉄でグリーク・タウンへ。行ってみるとやはりそこにはたくさんの青と白の国旗が舞っていた。二駅の間が歩行者天国となっていたのでそこを撮りながら歩く。歩行者天国の切れ目の道路では、旗をつけた車がクラクションを鳴らして走っていく。すると、人々がそれに反応して歓声をあげる。同じ車がぐるぐる回っているのではないかと思うくらい次から次へと旗をつけた車が来て、交差点で信号の変わるのを待っていた。たまに、ポルトガルの旗を掲げた車も来る。すると、ギリシャの旗を持つ人々が笑いながらその車に迫っていく。日曜の決勝はギリシャ対ポルトガル。敵どうしとはいえ、互いに楽しんでいる。こういう空間に身を置くことができるのは楽しい。期待していた通りの展開。日曜もゲームを観てから出かけてみようか。ヨーロッパサッカーでこれなら、オリンピックはどうなるんだろう。
 夕食後に近くのメル・ラストマン広場へ。ステージの音楽の後に花火大会がある。去年は花火を見てしょぼいと感じたのだが今年はどうだろう。1時間前に行くともうものすごい人で、用意された座席は埋まっており、芝生も足の踏み場がない状態だった。花火は仕掛け花火がメインでたしかに日本と比べると見劣りはする。だが、音楽と同期した演出は見事であり、観客も楽しんでいたと思う。最後に花火に合わせてオーカナダがかかると、人々が立って歌い始めた。カナダ国歌は思わず口ずさみたくなるくらいいい曲だと思う。いろんな国から来た人たちが花火を見上げながらみんなでオーカナダを歌う。そんな状況にジーンときた。トロントを好きな理由として「多文化」をあげる人は多いが、ここで感じるお互いの差異に対して寛容な態度ってとても温かいし、自然な感じがする。そんなみんなといっしょにオーカナダを歌えるというのは大きな喜びだ。
 多くの人たちは移民としてこの国に来た。それに対して、自分は期限付きでたまたまカナダに駐在している身だ。この違いは大きい。だけど、もしかしたらこれから移民になってしまうという選択肢もありではないかと、そんなことを考える。それほど僕はカナダという国を大好きになったのだ。