2004年6月

■夕方の景色(2004,6,30 mercredi)
 帰りはボスがダウンタウンに用事があるというので途中まで乗せてもらった。そしたらちょうどサッカーでポルトガルが勝った直後らしく、道路にはポルトガル国旗を掲げてクラクションを鳴らす車や国旗を身にまとって奇声をあげる人々があふれていた。準々決勝の時にみた時のざっと100倍くらいのうるささ。それもそのはず、車の通るここらへんはちょうどポルトガル人街のど真ん中。びっくりである。ある通りは歩行者天国になって、見ると若者たちがそこでサッカーをしていた。ポルトガル人ってこんなに多かったのか。車窓から手を振ると多くの人たちが振り返してくれた。カメラを持ってきたのを思い出し、いくつか人々の写真を撮った。明日はカナダデーという祝日で休み。企業は明日から4連休というところも多いらしい。それも手伝って気分が盛り上がっているという感じだった。明日はギリシャとチェコ。こうなったらぜひともギリシャに勝ってもらいたい。渋滞のため時間がかかってしまったが、思いがけずおもしろい光景を見ることができた。
 ところが、ある一角を過ぎると嘘のように静かになって、旗の色も見えなくなった。ポルトガル人コミュニティを脱出したようだ。こういう通りの表情の変化もトロントのおもしろいところである。
 ハーバーフロントで降ろしてもらってから、キング駅まで散歩する。新しくできたレストランの宣伝で、高下駄を履いたピエロ二人が通行人にビラを配っていた。湖近くの広場には自動車用の観覧車ができていて、車がぐるぐる回っていた。ユニオンの駅前では、イラクの反戦デモが行われていた。デモ隊の後ろを騎馬警官と自転車警官がぞろぞろとくっついていた。ビラをもらったので反戦のメッセージが書かれているかと思ったら、デモとは無関係のコンピュータ屋の宣伝だった。地下街のタコヴィラでタコス。そのまま電車に揺られて帰宅した。

■生活(2004,6,29 mardi)
 ちょっと早く出てファミリーレストランで朝食。といってもトーストにベーコンに目玉焼きにコーヒー。普段行く店はどこも使い捨ての食器ばかりなので、ちゃんとした陶器の皿やカップだったのが新鮮だった。なにせ国土が広いせいかゴミ問題への意識は比べものにならないくらい低い。使い捨てのほうが手間もかからず、コストを抑えることができる。だから、ある程度の店でなければ陶器の皿など使わないのである。きょうの店はそれほど高いわけではなかったから、この点サービスがいい店と呼べるかもしれない。安い店はその分環境に対するリスクも大きくなる。外食するにも責任がかかってくる。そういうことを考えずに食べたいものを食べられればいいのだけど、少しは頭の片隅に置いておきたいと思う。
 仕事帰り。職場の近くの床屋にいきなり飛び込んだ。むさ苦しくて衝動的にとった行動。フィリピンから来たという中年女性が一人。「日本の夏は暑いか」と聞いてきたので、「暑い、今はレイニーシーズン」と話すと、「フィリピンと同じだね」と言っていた。「フィリピンは台風が多いよ。強い台風だよ」。アジアンの英語はわかりやすくていい。散髪は15分ほどで終了。洗髪も髭剃りもなし。料金は12ドル。チップ2ドルは多かったか。襟首にちくちく髪の毛が刺さって気持ち悪いけれど、慣れるとそれでも構わない。サービスのよいところは料金も高い。日本の床屋は世界一サービスがよくて料金も世界一に違いない。だけど、サービスはあまりいらないから安いほうがいいという人も少なくないだろう。いずれにせよ、いろいろある中から自分に合ったものを自由に選べればそれに越したことはない。
 
■投票の日(2004,6,28 lundi)
 朝5時過ぎに起床したが空が暗い。明るくなってから雨が降っているのに気がついた。駅でメトロを取り、それをみながらウェンディーズで朝食。きのうのプライド・デーのパレードの記事が載っている。いわゆるゲイ・パレード。その時間にコンサートがあったので今年は行かなかったけれど、トロントに来たら一度は観たほうがいいイベントだと思う。あまり気持ちのいいものではなかったと去年は書いたが、こっちに暮らしてからかなり寛容になった。あの虹色の旗は美しい。ただ、パレードの後のゴミはとんでもなかったことを思い出す。プライド・デーで検索したら、このサイトが出てきた。
 きょうはカナダの総選挙の投票日。こちらでは日曜が投票日になることは絶対にあり得ない。今回は客観的に様子を見ている。いってみれば他人事。それよりも参議院の選挙のほうが大事。なんたって日本人なんだから。というわけで、在トロント総領事館まで行って投票してきた。ダウンタウンのキング・ストリートまで車を走らせ、地下駐車場に車を入れ、地下の商店街を抜けてロイヤル・トラスト・タワーの真下へ。そこからエレベータで33階に上るとそこが総領事館。係の方たちが全部で6人くらいいてそれぞれが自分の役割を果たしていた。あまりに仰々しい手続きで緊張してしまった。がらんとした部屋にたまにしか有権者が来ないような雰囲気だった。一日にどれくらいの人が投票に来るのだろう。とにかく自分の権利は行使した。
 トロントのダウンタウンの地下街はまるでアリの巣のように張り巡らされている。ユニオン、キング、クイーン、ダンダス、セントアンドリューの5つの駅が繋がっていて、冬場も寒さを気にすることなく散歩することができる。いくつもフードコートがあるし、自分もどこかの会社に勤める人の振りをして流れに身を任せるというのも楽しい。駐車場に戻るまでに、コーヒーを買って車の中で飲んだ。カップの大きさにかかわらず一杯一ドルというのはよかった。
 トロントの西隣の街ミシサガへ行く。サイトから地図をプリントアウトして持ったつもりが机に置いたまま来てしまったのでどこがどこだかわからなかった。一か所だけ、中国風の門が目に付いたので入ってみるとそこはミシサガ・チャイニーズ・センターというショッピング・モールだった。中国人はどこに行っても本国と同じものを作りたがる習性があるらしい。ここの建物も商店もすっかり中国の雰囲気だった。フードコートでじゃじゃ麺の元祖「炸醤麺」を食べた。味噌がちょっと甘くて、豆腐なんかも入っていた。同じ炸醤麺でも店によってまったく違う。このバリエーションの豊富さは途方もない。
 結局昼飯を食べるだけでトロントに帰ってきた。ベイヴュー・ヴィレッジで、この間の停電のときにもらったタダ券で、話題の華氏911を観た。場内は子どもからお年寄りまでで席が8割方埋まった。最初は嘲笑という感じの笑いが多かったけれど、進むにつれてそれも少なくなって舌打ちやオーという声が多くなってきた。隣に座っていたおじいさんは、ジーザスとかオーボーイとかを連発していた。日本のニュースではカットされていたらしいあの映像も出ていた。たしかにショッキングでセンセーショナルではあるのだが、はたしてこういう映画が世の中をどれだけ具体的に動かすものだろうか。せめて次期選挙の結果を左右するくらいの力にはなってほしいと思う。
 投票締め切りの8時前になって、自分のところに送られてきた投票券のことを確かめようと思い、券とパスポートを持って2階に作られた投票所に行ってみた。「シチズンでないのにこの券が来た」というと受付の中年の女性はひどくびっくりしていた。パスポートを見せて確かめてもらうと、「間違いでした、名簿から削除しておきます。ごめんなさい」とすまなそうに言った。「シチズンになったら投票に来て」と言われ、「そのときは来ます」と言って会場を出た。確認できてよかったが、なぜかちょっとさびしい気持ちになった。
 テレビでは開票速報が続いている。CBCのメインキャスター、我らがピーター・マンズブリッジが票の動向を伝える。ポール・マーティン首相率いるリベラルの圧勝という感じだ。いろいろやろうと思っていたけれどそろそろ寝よう。悪しからず。

■もみじコンサート(2004,6,27 dimanche)
 午後から日系コミュニティのチャリティコンサートに行ってきた。トロントにはジャパニーズ・ソーシャル・サービス(JSS)等日系人のための団体がいくつかあって、さまざまな活動をしている。「もみじ」というのは会場となったもみじセンターにちなんだもので、そこには日系人のお年寄りたちがさまざまなサービスを受けながら暮らしている。今回初めて会場を訪れたが、建物の内装は和風で、障子をイメージした窓や、色とりどりの金魚がいる池があった。中庭は日本庭園のようだった。このコンサートはJSS等の団体へのチャリティのほかにお年寄りたちへの慰労の目的もあるということだった。
 観客は200名くらいいたろうか。お年寄りの数が多かったが、中には十代二十代の若者もいた。日本人の顔をしたお年寄りでも、英語で話す人がいる。日本語の会話を聞いていると、英語訛りなのかどこか響きがおかしくなっているのがわかる。若い世代は英語を話し、もちろん日本人という自覚はない。トロントには日本語を学ぶための学校がいくつかあって、日系人が子どもや孫を通わせるケースが多いらしい。きょうは子どもたちが「ドレミの歌」と「ふるさと」とトトロの主題歌を歌った。
 プロとアマ、西洋と東洋おりまぜた演奏で2時間半くらい。いろいろな種類の音楽を聴くことができて楽しかった。ロン・カーブという日系フルート奏者の演奏や、トロント大学で和太鼓を教える永田清という人の演奏もあった。個人的には特にドビュッシーとかショパンとかのピアノ演奏がよかった。最後には会場のみんなで「夏は来ぬ」「夏の思い出」「ゆうやけこやけ」の三曲を歌って締めくくった。
 たまにこのようにカナダの日系人社会を垣間見ると、国や人の生き方について考えてしまう。お年寄りたちは演奏を聴きながらどんなことを考えたのだろう。どうしてこの人たちはカナダに住むことになったのだろう。移り住むことを決意し、苦労しながらそこに定着し、そこで余生を過ごすのはどんな気持ちなんだろう。座席から見える観客の見事な銀髪やいかにも染めたような黒髪、いろんな色の混じった髪の毛を眺めながら思った。

■あえて書く(2004,6,26 samedi)
 忙しさのことを言うとなんとも言えない。忙しいとも言えるし忙しくないとも言える。「心が亡くなる」状態ではけしてないので、「忙」ではないと思う。余裕がある状態が当たり前なのだと思いたい。仕事に関していえば、いろいろ反省があるし、課題があるし、いつも心に何かもやもやを抱えたまま。でも、それと人間的な苦悩とは別物だ。とにかく、仕事がすべてではないし、仕事より大切なこともあると思っていたほうがいい。仕事のし過ぎで倒れたり死んだりするのはあんまりだ。そういう状況はなくしていかなければならない。人に迷惑がかかるなんて考えずに調子が悪いときは休んだほうがいい。お互い様なんだから。
 日本の同僚からメールが届いた。そこには僕がいた頃より激しくなっている職場の様子が綴られていた。ますます盛んになる土日の部活、上からの締め付け、物言えぬ空気…。これは一つの職場が抱えるものではないとみた。「こちらに戻ってからそれらの体験が絶対に別な形で豊かな、異質な意義を生むと思います」という言葉に、背筋が伸びる思いがする。
 休みたいときに休めない状況がある。思うことを言ったら浮いてしまう状況がある。そんな社会と心中したくないと思ってやってきた。だからこそ、絶対に出てやるという気持ちでやってきた。そして出た。出てみて感じたことがある。やっぱりなと思ったこと。ほんとにかと思ったこと。いろいろだけど、出てみてよかった。でも僕は移民じゃないから、またあの社会に戻らなければならない。「出てやる」と思ったこと自体は浅はかだったかもしれないが、出てみた今ではそれが自分にとってかけがえのないものになっている。思った通りにやってみるのがいちばんいい。やらずに後悔することはあるだろうけれど、やってみてからあれこれ思うのは後悔とはよばないんじゃないかと思う。
 こんなこと書いてしまって…、とあれこれ思うことが多いのだけど、書くことによって自分の世界が動いたのだ。この事実を考えたら、書かずに過ぎていく日常よりも、書く日常のほうが自分にとってはプラスになる。そう思って、またこんなことを書いてしまうのである。

■金曜(2004,6,25 vendredi)
 さわやかな快晴。20度にならないくらいの涼しさ。半袖だとちょっと寒いくらいだった。今年はあまり暑くならないという声を聞いた。この間蒸し暑い日が続いたけれど、そのくらいで、去年と比べるとたしかにからっとした暑さが少ないような気がする。でも、気候に関する人々の印象というのはかなりあいまいだから、データとしてはわからない。茹で蛙じゃないけれど、こういうふうにして温暖化が進んでいくのかな。
 きょうはギリシャがフランスを下した。やっぱり街にはクラクションと国旗が目立っていた。テレビのニュースでは、沸きかえるグリークタウンの様子が中継されていた。青と白の国旗を身にまとい踊る人たちや顔をペインティングした人たちが画面に映っていた。決勝トーナメントに進んだチームのうち、トロントに大きなコミュニティをもつのはポルトガルとギリシャだ。もしこの二つが決勝でぶつかったらおもしろいことになりそう。

■ユーロ2004など(2004,6,24 jeudi)
 夕方のレストランやバーには人々が集まって、天井から釣り下がったテレビを見ては叫び声を上げていた。この時期はどこもパティオというオープンな席が歩道に出て、店の内と外の仕切りもなくなっている。そのため店内の音や雰囲気が街頭を歩く人にもすっかり伝わってくるのだ。
 サッカーのヨーロッパ選手権の放送は、ちょうど仕事を終えた頃と重なる。ヨーロッパ出身の人々はビールを飲みながら熱くなって応援しているのだろう。きょうはポルトガルが勝ったので、あの緑と赤の国旗を掲げた車が大通りでビービークラクションを鳴らしながら走っていた。それに応えて鳴らす車や歓声をあげる人間もいるので、街がちょっと騒然となるのが楽しい。でも、まだ準々決勝。だんだんに興奮の度合いが高まってくるとどうなることやら。
 このごろ街角に各国の旗を売るワゴン車がとまっているのを目にする。そこで買った旗を車につけたり、手に持って振りながら運転したりしている人がいる。なにしろトロント市民の半数以上はカナダ国外出身者である。いろんな国の旗がはためいている光景を見るのは心が躍る。ワールドカップのときはすごいだろうな。2006年のドイツ大会のときもここにいられたらいいと思う。
 ところで、きょうの夜の勉強は、ちょっと予習をしていったので一問だけは発言することができてよかった。大学の院生になるという先生の娘さんが来て、先生と掛け合いながらいろいろとサポートしてくれた。夏休みに入ったので来たと言っていたが、先生が我が子を教室に連れてきて平気で話しているのがおもしろかった。後半は互いにインタビューをしあった。きょうのメンバーはコロンビア、スロバキア、中国、韓国、日本、カナダ。一人一人の夢を聞いて回ったこともあって、なんだか皆とても愛すべき人に思えてきた。それぞれ自分の夢に向かって歩き続けていて、その夢をかなえるためにカナダに来ているんだと思った。

■最終日(2004,6,23 mercredi)
 現地校ではきょうが一年の最終日。明日から9月の第1月曜日、レイバーデイまでの長い長い夏休みに入る。先日モールでティーチャーズギフトのセールが行われているのを見た。今朝子どもたちは先生へ渡すための贈り物やら花束やらをめいめい抱えて登校した。
 昼休みに扉をどんどん叩く音がする。開けてみると向かいの教室の子どもたち。授業は終わったかと聞くと、ノー!と言う。かなりテンションが高くなっている。これからパーティーがあるんだという。よい夏をと言って戸を閉めた。するとその後パーティー!パーティー!と部屋の中まで響く大きな声が聞こえてきた。子どもたちが帰ってから廊下に出てみると、ポップコーンのにおいがあたりに充満していた。
 2階の廊下ではある先生が壁のシールはがしをしていた。きょうのうちにやらなくちゃと言っていた。明日は会議があり、その後は先生たちも休みとなる。そちらはいつまで子どもたちが来るの?7月17日まで。という短いやりとり。今度の土曜も子どもたちが来るのね。
 夏休みには、長期の旅行に出かけたりアルバイトをしたりする先生がいるらしい。サマーキャンプで子どもの世話の仕事をする人も多いそうだ。子どもたちは学校を離れて、学校とは別の仲間たちと別の活動をする。そのための時間がたっぷりと保証されているのはすばらしいことだ。夏休みは、自分に与えられた時間を自分で好きなようにデザインするための訓練。この訓練をしてこなかった大人は、たとえ自由な時間が目の前にあってもそれをもてあましてしまう。夏休みのあり方はその社会のあり方の縮図でもあると思った。

■選挙(2004,6,22 mardi)
 28日の投票日を前にメディアが加熱している。新聞は毎朝総選挙のことがトップだし、テレビでは毎晩討論が行われている。これだけ選挙の特番が多いということは、それだけ国民の関心が高いということなのだろうか。それにしても、テレビもラジオも選挙関連となると、とたんにそれらしい音楽になるのは笑える。それから、VOTEBUSという特別なペインティングを施した取材バスでカナダ国内をキャラバンしているというのもなんだかいじらしい。
 ところで、家に今回の選挙の投票券が2枚も送られてきた。選挙権をもたない人間がこんなものをもらっても仕方がない。間違って投票してしまうではないか。以前アパートの部屋を回っていた調査員の質問に、僕は誤ったことを言ってしまった。あなたはシチズンですかという質問にイエスと答えたのだが実はノーで、本当はレジデントだったのである。それ以来僕は選挙人名簿に登録されてしまったらしい。知らないとはおそろしいものである。まさか投票しようとは思わないけれど、この間はかなり真剣に悩んでどこに入れるかを決めたのだった。自分と同じようなことをした人はあまりいないだろうな。
 おっと、もうすぐカナダではなく自分の故国の選挙があるではないか。昨年の衆院選に続き、今年も在外投票することになる。今回もちゃんと国民の権利を行使しよう。なんたって日本人なんだからな。

■夏至(2004,6,21 lundi)
 午前中は晴れていたが、午後から曇りだし、夜には雨になっていた。きょうは夏至というのに暗くなるのが早かった。おとといの授業でもらった元気が持続しており、さわやかな気持ちでこの連休を過ごすことができた。この週末に、日本からのメールが5件も集中して届いた。こういうことは偶然だとしても不思議に波があるものだ。これも元気のもとになっているのは間違いない。
 こちらの習慣として、たとえば、ドアを開けてあげるとか、エレベータのボタンを押してあげるとか、なかなか身につかないと感じる。気軽に知らない人と言葉を交わせるような空気を、いいものだと思う。世の中には親切な人が多い。自分もちゃんと人に親切にしたり、気軽に話をしたりできるようになりたい。
 
■父の日(2004,6,20 dimanche)
 そんなこんなで土曜日は過ぎ去り、一時の緊張は解れて、まだ明るい夜9時の空を窓越しに見ながら、ビールを飲んだ。その後眠くなってしまうことが多いのだけど、たまには元気が持続することもある。きょうはその後映画を観ようという気にさえなった。不思議。授業するというのはたいへんなことだけど、それが自分に与えるエネルギーは大きいと感じる。けして手放しで楽しめることではないし、苦しいことのほうが多くていろいろ考えてしまって、やり方としてはぜんぜんスマートではないというのはわかる。それでも基本的に子どもたちと関わることが好きなんだなと思う。何千人という子どもと関われる人生というのはけして悪くない。この人たちひとりひとりに未来を託す感覚。よくないことはこの世代で終わりにして、ほんとうにいいものだけが分け与えられればいい。
 きょうは父の日だ。娘をもつ友人に、父親は偉大だよとメールを打ったら、娘に頼み込んで似顔絵を描いてもらったと返事をくれた。子をもつ親の苦労は計り知れず、それに比べれば教師の苦労など百万分の一にも満たない。百万人の教え子がもてたとしても、何ひとつ理解できないことがたくさんあるに違いない。それを知りたい気持ちはある。だけど、知らなければ一人前ではないという考えは嫌いだ。知ってるから一人前だなんてこともまったく思えない。そもそも一人前の人間なんてこの世にいるのか。
 父の世代で終わりにしてくれたことって何だろう。残してくれたものって何だろう。などと時々考えるのだけれど、同じようなことをけっこう考えていたんじゃないかなと思ったりもする。口数が多かったわけでもなく、親子で語り合うということもほとんどなかった。言葉といえばごく断片的で、まじめなことはあまり語らず、むしろちょっとしたギャグらしきものを飛ばすことが多かったように思う。もしかすると、頭の中はそういうアイディアばっかり詰まっていたのじゃないだろうか。地方紙のカメラマンだった父は、それらのすべてを報道写真という形に結晶させたのかもしれない。言ってみりゃ仕事一筋。すごい。そんな父が母と出会ったのは奇跡だと思う。人間界というか自然界というか、まことに畏れ多いものだ。釣り好きなのに山歩きが嫌いで、スーパーの食料品売り場が好きで旅行嫌いだった父から自分に何がどういうふうに伝わったのか、これからも時々考えることなんだろうなと思う。だけど、すぐに答えが出るものではない。

■何のために(2004,6,19 samedi)
 体育館の卒業式の掲示がそのままになっていたので、朝の巡回のときに少し眺めてみた。正面のフレンドシップ・キルトの片隅に小さくカナダの国旗が縫いこまれているのが見えた。これで国旗を掲げていたことにはなるか。それに、バスケットゴールは後ろにもあって、そこには"DREAM"と書いた紙が貼られているのに気がついた。「夢」を見失っていたというわけか。いろいろな夢の形があるけれど、いつもいくつかの夢は実現されており、いくつかの夢にはたどりついていない。夢ってもっときれいで華やかなものだと思っていたが、もっときたなく泥臭いものなんだ。手を汚さなければつかめないことばかり。
 去年と同じことをやっていても仕方がないので、どう違ったことをすればいいかで頭を悩ませた。今までと同じようにやることが安心なのか、別のやり方のほうが安心なのか。あるいは、その安心が成長につながるのか、停滞を招くのか。だが、差が出る原因は方法論の違いではなく、大事なのはその場の風通しというか互いの信頼感をどうやって深めるかのほうなのだ。
 いくらご立派なことを言ったってだめでさ。去った人を悪く言うつもりはないけれど、自分ひとりでなんとかなると考えていたのであればそれは人をばかにしていることだった。現に彼が去ってからの「後始末」の苦労は相当なストレスだ。それに加わって去年一年何もできなかった無力感。知らされなかったこと、確かめられなかったことがありすぎる。もしわかっていたら何か変わったろうかと考えるけれど、どうなんだろう。すべては自分の力のなさからくる悩みだ。
 1時間目研究授業を見てからすぐ自分の授業を2時間。中2の理科、電流の流れ。いつも感じることだけれど、授業をするのはどうしようもなく楽しい。ああいう掛け合いがもっとできればいいのにと思うのだが、それもたまにだから感じることなのかもしれない。どっと疲れが出るけれど、同時に子どもたちから元気を与えられるのが授業である。ところが、事後にああ楽しかったでは終われないのがまた授業の定めであって、終わった後はいつでも反省ばかりが頭に渦巻いて最低の気持ちになる。言葉をかけてくれてもそれが自分の気持ちにぴったりくることなどない。国語とか、数学とか、理科とかなんてそれほどの違いがあるわけではない。伝えようとしているのはそんなことではない。では何を伝えたいのだろうか。何のために生きているのだろうか。と自分を追い詰めていくと、もう行くところがなくなってしまう。
 
■もう(2004,6,18 vendredi)
 もう土曜日になってしまう。今週はずっと蒸し暑くてだめだった。うだうだ言いながら暮らしてるな。だめとか迷惑とか、不快極まりない。髪が邪魔なのだ。むさ苦しい。いっそのこと全部剃ってしまおうか。明日の豆電球の授業で、後頭部を電球に見立てるのもおもしろいかもしれん。などと言っているのは逃避行動。ワークシート作りながらこんなこと書いている。そしてテレビではイタリアが一点入れたところ。イタリア語のアナウンスは聞いているとおもしろい。ラテン系放送局TLNは時間によってはスペイン語の放送になるのだが、ぼうっと聞いているとイタリア語もスペイン語も区別がつかない。それだけ似ているってことだ。いかん。集中できない。そろそろテレビを消そうか。やっぱり一回通してみないとね。

■回り道(2004,6,17 jeudi)
 きょうは雨が降ってますます湿度上昇。気持ち悪い。梅雨時は頭が痛くなるっけなあなんて思い出す。ここも変わりない。
 もう木曜も終わりかと驚く。あっという間。きょうは会議だけで2時になってしまった。そして夕方からも。こんなんで金曜を迎えてもいいのかよと思う。危ない。
 解析の結果では毎日曲がダウンロードされているようなんだけど、誰か聴いてくれている人がいるのだろうか。正確な数値が出ないときもあると書いてあるから、ほんとうは誰も聴いていないんじゃないかと疑わしい。
 変な一日だった。一見よくないことばかりよくもこんなに続くものだと感じた。こんな日にはまるで誰かが自分をばかにしているんじゃないかと思えてくるものだ。ばかにしやがってと道の真ん中で叫びたくなった。叫ばなかったが、叫べばよかった。どうせ誰も聞いちゃいねえんだから。
 だけど、一見よくないことというのは、意外といいことだったりする。それを忘れて捨ててしまったら、不満や苛立ちばかりになる。それを受け止めて歩くことで、また違う場所に行ける。ただし、歩く速度をちょっと変えてみる。それで歩幅がぴたりとあって、赤信号ばかり続いていたのが青信号になってくる。あるいは、遠回りをしてみる。急がば回れというけれど、急がなくても回ってみる。回り道ばかりが楽しくて、目的地にたどり着かなくたってそれはそれでいいんだ。たとえ誰に迷惑をかけてでも、常に夜通し歩いていよう。

■暑さ(2004,6,16 mercredi)
 蒸し暑くてあまり集中が続かない。カナダの夏はもっとさわやかではなかったか。帰るとぐったり疲れていて、知らぬ間に椅子で眠ってしまう。これではいけないと思いつつも、明日朝早く起きようなんて考えてしまうからもうこの時点できょうは終了。

■卒業式(2004,6,15 mardi)
 現地校の卒業式に招かれて、午後から階下の体育館へ。狭い会場の後方3分の1は保護者で埋まり、中は在校生が椅子なしでごちゃっと座り、前の方には在校生に向き合う形で卒業生の席が左右に分かれてある。中心にはスピーチの台があって、その後ろに校長や教育委員会のスーパーインテンデントが座る席がある。ステージの幕は下ろされ、そこに国旗はなく、代わりに子どもたちがひと針ひと針縫ったのであろう、"FRIENDSHIP QUILT"と書かれた布が飾られていた。そのほか前面にはトーテムポールを模したような手作りの装飾が置かれていた。横には卒業生たちの横顔の影絵が一枚ずつと、子どもたちの寄せ書きを書いた横長の紙が貼られていた。そして、4つあるバスケットゴールのボードには、それぞれ"BELIEVE" "INSPIRE" "ASPIRE" "IMAGINE"と赤い字で書かれた大きな紙が付けられていた。
 きょうも真夏の暑さで、体育館の中は蒸し風呂に近かった。保護者たちの多くは配られたプログラムで顔をあおいでいた。ボスと僕は体育館のいちばん後ろに立って見た。太った女性の先生が前に出て手拍子をすると、子どもたちがそれを真似て手拍子する。それを3回くらい繰り返すと場内が静かになった。そこで先生は、「きょうはとっても大事な日です。静かにしていましょう」というようなことを話した。
 バグパイプ奏者の先導で、卒業生たちが入場すると、全員が立って拍手で迎えた。このバグパイプ奏者はこの日のために学校から頼まれた専門家らしいおじさんだった。スコットランドの伝統的な衣装を着て、もちろんキルト・スカートをはいていた。曲名はわからないが、バグパイプといえばこの曲だといえるほど聞き覚えのあるメロディーだった。子どもたちはめいめい素敵な格好をして出てきた。普段着の子も何人かいたが、多くの子はスーツやドレスでおしゃれに着飾っていた。日本の小学校と同じ12歳。男の子のほうが体が小さくかわいい感じがした。中にはベッカムを意識した髪型や、髪を青く染めて目立っていた子もいた。女の子は衣装も手伝ってずいぶん大人っぽく見えた。ほんとに小学生かと疑ってしまうくらいの子もいた。
 開式の言葉ではさっき手拍子した先生が何か詩を朗読した。そして、国歌斉唱。担任の先生方が一人ずつスピーチを行うと、クラスの代表の生徒が続けてスピーチをした。アクションを交えた自由なスピーチで時々笑いも起きていた。その後、卒業証書が担任の先生の手から渡された。カメラを構えた保護者へのサービスとして、手渡された直後に子どもと先生がにこっと笑って撮影ポーズをとるのがおもしろかった。
 卒業生は50名くらい。先生が名前を呼ぶと一人一人前に出てくるのだが、そのときの在校生や保護者たちの声援がものすごい。人種もさまざまな子どもたち。もちろん保護者もさまざまである。だけど、カメラやビデオカメラを一斉に構えている感じはどこも同じようだなと思った。湿度のためか、壁に貼られていた影絵や寄せ書きがばらばらと剥がれ落ちて、途中までは貼り直し貼り直ししていた在校生たちもしまいにはあきらめて何もしなくなっていた。
 だが、驚いたのは次である。スクール・アウォードのプレゼンテーションというのがあったのだ。優秀な生徒たちを表彰するのである。リーダーシップを発揮した生徒、いちばん向上した生徒、そして国語、技術、体育で成績優秀の生徒、それから意味がよくわからなかったけれど、「ドリーム・ビルダー」なんていうのもあった。担当の先生が発表して、記念の楯を手渡す。テレビでやっている何とかアウォードの授賞式と同じような感じ。中でも、1000ドルの奨学金をもらえる奨学生として一人の男の子の名前が呼ばれると、場内が異常な盛り上がりをみせた。卒業式での個人の表彰というのは今まで聞いたことがなかったけれど、こんなことがあると子どもたちの意欲につながるかもしれない。
 校長先生の話が終わると、在校生たちの合唱。そして最後は「シャローム」という歌をみんなで歌って式が終了した。卒業生の退場もさっきのバグパイプが先導して出て行った。これで終わりかと思ったら、保護者や先生たちの手によってテーブルがすばやくセッティングされ、お菓子やらオードブルやらの皿が運ばれ、パーティー会場へと早変わりした。校長先生はまだ帰らないでと言ってくれたが、悪いのでそろそろ行きますと言ってその場を後にした。木曜の6時からも会費制でパーティーが開かれるということだった。
 昨年は知らないうちに卒業式が過ぎていたのだが、今年は校長先生が声をかけてくれたおかげでカナダの卒業式を初めて見ることができた。写真を撮らなかったのは残念だが、脳裏の深いところに刻まれるような体験だったと思う。

■休日(2004,6,14 lundi)
 朝から夏の暑さ。一駅となりまで歩き、バーガーキングで朝飯。その足で食料品の買い物。
 週末になると郵便受けにスーパーのチラシが入ってくる。あまり見ずに捨てていたけれど、見たらなるほど何が安いかわかるんだ。缶コーラが特売で1ダース1ドル99セント。税込みでも1本20円しない。こうやって賢く買い物するわけか。
 レジはたくさんあるのに、人のいるのは一つか二つだけ。だから、いつも列ができる。ところがその横に、セルフサービスで会計ができる機械が8台置いてあって、こちらは並ばずに使える。僕も最初はよくわからなかったけれど、係の人にいちいち訊いてやり方を覚えた。慣れるとかなり楽だ。バーコードの付いてないものは、台に置きコード番号と個数を入力。コード番号も付いてないものは、タッチパネルで商品を選択。台に置くと重さが量られて金額が計算される仕組み。支払いで1セント硬貨まで使え、財布の硬貨を効率よく減らすことができる。また、レジでは異常な枚数の買い物袋に分けて入れられるのだが、ここでは必要最小限の袋で自由にパッキングできる。
 クレジットカードやデビットカードを使いたくても、レジで次の人を気にしてしまうとなかなか使えない。ところが、セルフサービスだと、たとえばカードの裏表を間違ったところで誰にも迷惑がかからない。だから、ここでいろいろ試してみてやり方を覚えることができた。使い方がわからないからなのか、使っているとときどきジロジロ見る人がいる。見てないでやってみればいいのにと思う。
 夕方になって、SUPER SIZE MEを観てきた。監督自らが1か月朝昼晩とマクドナルドだけ食べ続けるというドキュメンタリー。軽い気持ちで観始めたが、途中からちょっと気持ち悪くなってきた。ファストフード全体のことを取り上げたはずが、なんかマクドナルドだけが槍玉にあげられていたような。
 映画の途中で突然画面が消え、館内が真っ暗になり、ほどなく非常用の電灯がついた。技師が後ろから出てきて、直すのに数分かかるから外に出て待っていてと言われた。客は14、5人。ぞろぞろとロビーに出る。係の話では、落雷のせいらしい。すぐに復旧し、皆何事もなかったように席に戻って続きを鑑賞。出るときにはタダ券が配られた。
 激しい夕立の後で、外は少し涼しくなっていた。後で見たニュースによると、南オンタリオにはトルネードの警報も出ていたらしい。夜はさすがに外食する気にはなれず、うどんを茹でて食べた。

■日系人(2004,6,13 dimanche)
 カナダを訪れている高円宮妃殿下の歓迎レセプションが日系文化会館のこのほど落成した小林ホールというところで3時から行われるという案内があり、出かけた。日加修好75周年を記念してのこの訪問に、日系人を中心としてざっと200人くらいが来ていた。司会は英語、来賓のスピーチは英語だったり、日本語だったり。妃殿下は日本語の後に英語で。レセプション自体は30分くらいのものだったが、その後商工会コートという広間でコーヒーや菓子が振舞われ、そこで何人かの方と挨拶を交わした。1877年に日本から初めての移民が来て、現在では日系5世が生まれているという。若い世代はもっぱら英語を話し、高齢者の日本語も聞くとかなり覚束ない人もある。外見は日本人だが、そのしぐさを見ると日本人でないことがよくわかる。国を超えるとはどういうことなのか、考えさせられる。第2次大戦中には日系人が強制収容所に送られたり、財産が没収されたりした。戦後も日本への強制送還の措置がとられるなどの不当な扱いがあった。カナダ政府がその人権侵害を認め補償問題が和解したのは1988年のことだそうだ。
 戦後になって移住した人々を特に、新移住者と呼ぶ。かれらも自分などが想像できないほどの困難があったはずだ。だが、カナダの日系人社会はほかと比べ規模は小さいながらも着実に確固たる地位を築いてきた。この文化会館では移住者の方々が中心となって、日本語や日本文化を人々に紹介するさまざまなプログラムが行われており、日系人だけでなくたくさんの人々が毎日訪れている。きょうもさまざまな目の色、肌の色、髪の色の子どもたちが鮮やかな着物を着て日本舞踊の稽古をしているのを目にした。ある先生の計らいで特別に教材の置いてある部屋まで見せてもらうことができ、思いの外いい機会になった。
 トロントには日本企業の駐在員として来る日本人とその家族がたくさんいる。僕らは主にそちらの子どもたちのための教育を行っているのだが、日系人のこういう営みにもっと関心をもち、両方が協力しながらやっていければいいと思う。

■土曜(2004,6,12 samedi)
 マイナーリーグの野球がテレビ中継されていた。オタワ対シラキュース。マイケル中村投手がシラキュースで投げていた。
 ビールを飲んだらすぐ眠くなって、9時に布団に入った。目覚めたら11時で、また寝た。なんだかいやな夢ばかり見た。起きたら2時だった。今度は目がさえて眠れなくなった。
 今週は幼稚部の運動会で、さわやかな晴天の下で子どもたちが元気にやってるのをみてめんこかった。午後には面談がひと組あって、放課後は会議がいくつか。かなり前から計画的に行われているものと、突発的に出てくるものとがある。来週突然授業をすることになった。笑顔で引き受けるが、ゆとりがあるわけじゃない。
 とにかく毎週毎週問題点ばかりいろいろ見えてしまうのだが、その原因がすべて自分にあるような気がしてくる。これは自分の悪い癖。皆それぞれにいっしょうけんめいやっている。一歩一歩やっていければそれでいいのだろう。

■感動(2004,6,11 vendredi)
 朝の情報番組で女性の出演者が「きょうは金曜日よ」てなことを言ったら、スタッフが皆で拍手して喜んでいた。毎週のようにこんなことを目にする。もう珍しいわけでもないし、気持ちはどこか他人事なんだな。土曜日がいちばんの勝負どころだというのが大きな理由。それと、日本にいずれ戻るという意識もあるだろう。日本…。
 地下鉄駅構内の店で朝飯を買って、ストリートカーの中で食べた。たしかに朝飯を食うと元気が違う。腸の調子だけでなく、脳の調子もぐっとよくなる。たまにはこういう朝飯もいい。けれど、毎日なんてとんでもない。弁当を作りながら、おかずを詰めた残りを食べるのが時間も金もかからなくていいや。ところが、午前中は元気だったのに、午後になると週の疲れが出たのか、どうにも頭がぼーっとしてきてだめだった。
 一日さわやかな青空だった。帰路。パティオで日向ぼっこしながらビールを飲む人々のリラックスした笑顔を尻目に、ストリートカーでぼーっとしていた。だいたい2台続けてきたときには、1台目は混んでいて座れない。2台目はがらがらだから2台目に乗ってしまう。ところが、そういうときはきまって2台目は途中の駅が終点で、みんな電車から下ろされてしまう。電車の先頭の表示なんてぜんぜんアテにできないのである。きょうも途中で下ろされてしまったので、そのまま遠回りの地下鉄に乗り込み、30分うとうとする。いつもの倍以上かかるけれど、こういうルートもよいな。
 田口選手の日記には勇気づけられる。この人はほんとうに素直な人なのだ。素直だからああいうふうに自分や周囲のことを書けるのだ。何気ない一言で人の心を打つことができるのだ。何かに感動する気持ちを忘れていないということなんだろうな。その気持ちをもった人間にしか他人を感動させることはできない。自分にはもっと感動する練習が必要。

■ばかぽんたん(2004,6,10 jeudi)
 きのうの夜から今朝にかけて雨が降り、半袖では寒いくらいまで気温が下がった。でも校舎には熱がこもっていて、窓を開けて空気を入れ替えるまでは気持ちが悪かった。今週の文書を朝のうちに仕上げて、その後は昼食を挟んで会議を二つ。たいした懸案がないので今までで最短ではないかというほど短い時間で終わった。おかげで午後にはほかの事を進める時間ができた。日記の書き方に行き詰っていて、何を書いてもつまらなく思えてしまって、当然それは仕事文でも同じ感覚だったのだが、きょうはボスにいろいろと自分の文章に関する願いや不安を話した。そしたら、予想通りではあったがそんなに嘆く必要はないという答えが返ってきた。それを聞いて安心したかった自分。同じことを書いてもどんな人が書いたかによって意味が異なってくるということを言われた。文は人なりという通り、どんなに取り繕って書いてもその人の人間性が文章に滲み出てくる。この人がこういうことを書いたとなれば、それを読む人たちにも自然に受け止められるだろうと言われた。さらに、これは授業でもそうだけれど、40人中1人でも理解者がいればそれでいい、くらいの気持ちでいったほうがいいということも話された。いずれにせよ、読み手がどう思うかななんてあまり気にしないで書いてみたらというアドバイスだった。至極真っ当な意見だったけど、それをちゃんと言ってくれたことで少し気持ちが落ち着いた。いい上司をもつというのはありがたいことだ。そんなこんなで仕事文を皆さんにも読んでほしいような気持ちになるがそんなことをしたら公私混同だ。
 午後から雲がどんどん消えていき、空気が澄んでカラッとした気候になってきた。ビルもCNタワーもくっきりはっきり見えている。きょうは夕方から現地校のBBQ&FUNFAIRというのがあって、数日前から校舎内には手製のポスターがあちこちに貼られていた。窓の外を見下ろすと、校庭にはなにやら大掛かりな移動遊園地のようなものが出現している。帰りに外に出ると、校庭には飲み物やホットドッグ、手作り菓子や綿飴の屋台があり、長い行列ができていた。それに、ビニールでできた滑り台やまと当てゲームのようなものもあった。子どもたちが何か食いながらあちこち楽しそうに走り回って遊んでいた。主催は学校なのかPTAなのかよくわからないが、毎年この時期にこういうイベントをやるようである。去年はSARSの流行と重なって、これほどの賑わいはなかったように思う。スチールドラムの演奏をしている子どもたちがいて、快い音色が校庭中に響き渡っていた。屋台の煙を嗅ぎつけてなのか、上空にはたくさんのカモメが飛び交っていて、人間のおこぼれを狙っているようだった。澄んだ青空、芝生の緑、レンガ色の校舎に白いカモメ。なんとも鮮やかな色彩。写真に残せなかったのが悔やまれる。ラフな服装の校長先生が来週の火曜が卒業式なんだと言っていた。もう現地校は来週から夏休みに入るのだ。新学期が始まるのは9月の初旬。それまでの2か月半、先生方は休みとなり、めいめいが旅行に出たり、何かアルバイトをしたりして学校に来ない生活に入る。どこかみたいに夏休み中もスーツで学校に来て5時まで研修だというようなことはやらないのである。
 きょうの英語は5分前くらいに行ったら誰もいなくて、はじめは先生と1対1での話になった。その次には韓国の人が来て、3人で話した。そのあとロシア、パキスタン、イランと入ってきて、きょうは少ないからそれぞれの言語を紹介し合おうということになって、みんな黒板に「おはよう」の意味の言葉を書いた。こういう体験なんてしようと思ってもできるものではない。そこらあたりまではおもしろいと思っていた。しかし、それからは難しくなり、何がなんだかわからない状態に近かった。例によってディスカッションとなったが、何をどうしゃべればいいかぜんぜんわからない。問題はわりと理解できるし、それに対する考えもないわけではないのだけれど、表現しようとするとぜんぜん思い浮かばないのである。思うにこれは忘れているのではなくて、もともと頭に入っていないのだ。それでもこれだけ暮らしていれば少しぐらいはできるようになってもよさそうだけれど。本当にきょうはがっくりだ。こういう状態になるときまって頭の中である造語が鳴り響く。ばかぽんたん、ばかぽんたん。

■剃刀(2004,6,9 mercredi)
 きのう以上に蒸し暑かったけれど、しのげないほどではなかった。きょうの体感気温は41度。これなら50度くらいまでは大丈夫そうだよ。それにしてもこの湿気は日本の8月という感じ。街は朝から真夏の雰囲気が漂っていた。遠くのビルやCNタワーが霞んで見えていた。
 きょうは家を早く出すぎたので、この間食べたところで朝食を食べた。そしたら腹が活発に活動を始めて、地下鉄駅のビルの中をトイレを探して歩き回った。朝の通勤途中にそうなることはこれまではなかったと思うけれど、これも「慣れ」ゆえか。
 慣れることはいいのだけれど、それで気をつけるべきところを気をつけなかったりすると変なことになる。ここから先はまだ見ぬ世界で、もちろんお守りなんかで身を守ることはできない。当たり前に気をつけながら、普通に暮らしていこう。
 電気剃刀が盗まれたので、それ以来毎朝剃刀で髭を剃っている。見るからによく剃れそうな4枚刃の剃刀を10ドル出して購入した。ところが、たいして剃れない。せっかくの4枚刃が剃れないのでは困ると思って、あれこれとやってみる。泡をたくさんつけたり、タオルで顔を蒸らしたり、でも変わらない。剃刀を肌に当てる角度もいろいろ変えてみた。すると、剃り味抜群の角度を発見。いつもよりも剃刀を肌に対して立てるような感じで当てたらきれいに剃れることが判明。多少顔から血が出るものの、これならじゅうぶん耐えうる使い心地。髭生え始めておよそ20年。要するに今まで自分は剃刀を間違った使い方をしていたのだ。なんかしょうもないなあ。

■楽しむ人生(2004,6,8 mardi)
 きのうにもまして蒸し暑い一日。午後11時現在気温は27度。体感気温は34度と出ている。きょうの最高気温は31度で、体感では39度までになったそうだ。この体感気温というのはくせ者だな。確かに暑かったけど、それほどじゃなかったぞ。
 きょう聞いた話だが、カルガリー・フレームズよりもタンパベイ・ライトニングのほうがカナダ出身選手の数が多いのだそうだ。ある人は「だからカナダが優勝したことになる」と言っていた。頭の中にはホッケーをめぐるアメリカ対カナダの熱い戦いという構図があったのだが、どっちにもカナディアンいっぱいいたんじゃん。という話。これが北米のプロスポーツの姿か…。
 カナダ人は夏を楽しむのだという話になったが、よく考えたらこの人たち、冬は冬でじゅうぶん楽しんでいたのではないかと思った。基本的に、生活は楽しむためにあるもの、人生は楽しむためにあるものという考え方が浸透しているのだ、きっと。夏は暑いから楽しむのは理解できるし、冬が寒いから楽しむというのも理解できる。いつでもどこでも楽しいことが最優先。僕はそういう考え方が大好きだし、ここに住みながらそういうすばらしいところを吸収したいと思っている。もちろん始終笑い転げているわけではないし、今まで自分が考えていたような軽薄な文明に支配されているわけでもない。ヨーロッパの歴史の延長線上にあって、いろんな意味でかなり保守的。なおかつ、お互いの文化に対して寛容。そして、一人一人が拠りかからずにちゃんと立っている社会。現時点ではそんなような雰囲気を感じている。
 なんだかピリピリ神経尖らせて生きるのはいやだなあ。人の目を気にして窮屈な思いをするのはいやだなあ。楽しいことだけを追求して生きられたらどんなにすてきだろうなあ。とそんなことを感じています。

■休み(2004,6,7 lundi)
 蒸し暑い一日になった。部屋を少し片付けた。掃けば掃くほどゴミが出る。書けば書くほどボロが出るのだけれど、それでも続けようというのだから、バカ正直というかなんというか。やばいと思ったら警告のメールをください。
 THE DAY AFTER TOMORROWを観た。なんだかぜんぜん感動とはいかなかったな。でもよく作るものだ。人間のしたことのしっぺ返しということなのか。カナダはすっかり凍りついてしまって、言葉もなかった。
 アイスホッケーのスタンレーカップ決勝の最終戦は壮絶な闘いとなった。惜しくもカルガリーは1対2でタンパベイに負けてしまった。なんであんなに南のチームがなんて思うけれど、そんなことは関係ないんだな。

■D−Day(2004,6,6 dimanche)
 きのうの運動会。競技に参加したわけではないのに筋肉痛になっている。おかげできょうは一日休養日となった。明日はもっと痛くなるのかな。夕方一眠りして気がつくと午後十時。映画でも観ようかと思っていたらもうこんな時間になっていた。
 きょうは60回目のD−Day、つまりノルマンディー上陸作戦開始の日というので、各地で退役軍人のパレードや記念の式典が行われていたようだ。カナダ軍は米英軍とともにこの作戦に参加したのだそうだ。テレビではここ数日、第2次世界大戦の特別番組や、戦争関連の映画やドキュメンタリーが目立つようになっていた。トロントでも大規模なパレードがあって、高速道路も一部通行止めになるということだった。ブラウン管の中ではリメンバランスのシンボルなのか赤いポピーのバッジを胸につけている人も目立つ。先の戦争で戦った軍人たちは完全にヒーローとして扱われている。テレビでは英国のエリザベス女王が式典に参加している場面が多く取り上げられており、カナダの軍人たちは女王陛下のために戦っていたのかなということを思わせた。今年は60年という節目なので特に大きな行事となったのだとは思うが、それにしてもニュースとしての取り上げられ方は第一級である。いくつかのテレビ局では、24時間テレビのように寄付を呼びかける長時間の番組が放送されていた。ただし、僕が見たときには、趣旨は戦争とはあまり関連がないように見えたけれど。
 今までD−Dayについては何も知らなかった。ノルマンディーの史上最大の作戦だって、百科事典的知識しかなかったし、プライベートライアンも観たことがないのだ。(正確にはテレビで放映されたとき、最初のシーンだけは観た。)でも、戦勝国としては、この作戦が自由を切り開くきっかけとなったのであるし、それで血を流した兵士たちへは最大の敬意を払ってしかるべきなのだろう。第2次大戦、太平洋戦争について、自分にはあまりにも知識が乏しく、そこで戦った人々に対してもはっきりした「思い」がないなと感じた。軍人でない普通の人々だってどれだけ犠牲になったかわからないほど被害を受けたはずなのに、日本政府は何を目指して戦い、戦い続け、敗れなければならなかったのか、何にもわかっていない。戦勝国であろうと敗戦国であろうと、国家として戦争を清算することはその国の民にとってとても大事なことなのではないだろうか。聞けばドイツではそれがしっかり行われたらしい。しかし日本ではそこがあいまいのまま今に至っているというのはよく言われること。とても残念なことだと思う。これでは犠牲になった人たちも浮かばれないし、残された者にとってもこの国がどこから来てどこへ行くのか、はっきりせずに宙ぶらりんなようでほんとうに気持ちが悪い。日本国憲法がその指針であり、目指すべきところだったはずなのに、そういう国民的意識が形成されていないのは政府に大きな責任があると思う。この点において、日本人は大きな不幸を背負っていると言えないだろうか。
 "敵国"日本の民としてはきょうはおとなしくしていて正解、だったかもしれない。

■日本語で考える(2004,6,5 samedi)
 運動会日和。子どもたちの喜ぶ顔を見ると、やってよかったと思う。そのための手伝いが仕事なら、肩書きはもう何でもよい。もはや僕は先生ではないと感じることが多くなった。しいていえばマネージャーだ。このごろ英語で自己紹介するときにはそう言うようになった。自分らしく仕事ができればなりよりである。では今自分らしく仕事ができているのかと問われるとわからないけれど。
 MUCHMOREMUSICでピチカート・ファイヴのちょっと古いビデオが流れていた。各国のビデオの中にぽつんと日本のが入っているとまた新鮮。東京的雰囲気というのも独特だ。日本と聞いて野蛮な国というイメージを抱いている人もいれば、未来的な国というイメージを抱いている人もいる。行ってみたら180度見方が変わって大好きになった人もいるらしい。地図の東の端の国はジパングの昔から今に至るまでとにかく不思議で魅力的な国の一つであることは間違いない。日本から来たと言ったときの周囲の反応にはものすごく複雑な空気を感じる。一人一人個人として生きているけれど、皆国の大きな看板を背負っている。自国の評判を落とすようなことはしたくないと思う。でも、これも国というものに縛られた自分の妄想かもしれない。そこがいまだにあやふやだ。
 テレビジャパンをネットで解約しようと思っているのだが、そのページにたどり着けないままだ。電話したほうが早そう。でも、電話とネットではネットのほうが垣根がずっと低い。ネットなら気軽にできるけれど、電話でやるくらいならまだちょっとこのままでいいかなんていう判断の違いも出てきそうだ。もっともそういう揺らぎがないように、ここに書いてしまっているのだが。
 自分はずっと不運だと言う人と話をした。先日は車が盗まれて、保険会社もちゃんと取り合ってくれなくて散々だと嘆いていた。ぜんぜんいいことがなくて生まれてから運が下降するばかりだと言っていた。それに比べてあなたはなんてラッキーなんだと言われた。ハッピーそうでいいねと。こういうときに、それは気の持ちようだと言ってみても、なかなか納得はいかないものだとは思う。たしかに不幸な境遇の人がいる。その人たちの苦しみを実感をもって受け止めることはできないけれど、この人よりはいいとか、あの人に比べて自分はだめだとか、ほかの人との比較でいうと話はおかしなことになる。誰かのせいで不幸になったとか、あいつさえいなければなんて人のせいにしたところで、運が好転するとはまったく思えない。人との出会いは偶然だし、その出会いによっていろいろなことが起こるのは真実だ。だけど、人生が満足のいくものになるかどうかは自分に責任があると言えるのではないか。
 あなたはいつもハッピーな顔をしていると言われる。それはいつもハッピーな顔をするように努めているからでありハッピーだからではないと思うのだが、ハッピーな顔をしているとハッピーになるということはあるかもしれない。心の中はどしゃぶりということも茶飯事だが、雨降って地固まるということでそれはそれで悪いことではないと思っている。
 教壇に立つときにはもちろん、人と話すときにはいつも、その人の心に幸福のタネを植えるようなつもりで話をしたい。いつ芽を出すかわからないけれど、心に幸福のタネがあればいつか幸福が訪れる、というものなのではないだろうか。
 でも、それとは逆の考えも浮かぶ。戦争や国の体制によって、あるいは犯罪や事故に巻き込まれて人生が狂わされるということがあるじゃないかと。そういう状況に立たされたときに、何が自分の責任かと。僕は基本的にはのんきな性格だと思うけれど、頭の中はいつも矛盾だらけで、今の心の状態が晴れなのか雨なのかさえもわからない。こういう自分が幸福か不幸かなんてまったく判断つかない。もしかすると、こんなにあいまいなあやふやなことばかり言っているのは、日本語で考えているからかもしれないのだ。

■さよならテレビジャパン(2004,6,4 vendredi)
 今週もあと1日というところまで来た。まだ9時だがもう眠い感じ。明日も晴れそうだ。週の締めくくりがうまくいけばいい。
 これだけしてあげたからその見返りがあるだろうなんて思ってはいけない。何々してあげたとかしてやったとか言ったらもうその次は「のに」がつくのみである。周りの人に世話になってばかりいるのは肩身が狭いが、だからといって自分がそれにお返しできるかというと難しい。こういうのを恩知らずというのだろうか。冷たい人間だな。
 ニュースを見たらどこかの国会の強行採決だった。もう何がどうなったのかわからない。否応なしに払わされているけれど、いくら長生きしても年金を受け取ることなんてできないんじゃないだろうか。それともあまり心配は要らないかな。テレビジャパンを一度止めてみようと思う。後は技術的な問題。かえって世界が開けたりして。それもあり得るな。

■たのきい!(2004,6,3 jeudi)
 こうやって上がり下がりがあるのが日々の面白いところで、シアワセでなくても面白ければそれでいい。なんかきょうの夜は楽しかったんだ。きのうの楽しさとは違って、また別の楽しさ。「たのしい」より「たのきい」と言ったほうが合っている。
 スロバキア、韓国、ブルガリア、ロシア、イラン、パキスタン、コロンビア、日本。きょうも話し合いはたいへんだったけれど、話すこと自体が面白いという感じがした。いろんな人たちと話ができるというのは、それだけでとても嬉しいことなのだ。これも「うれしい」より「うれきい」と言ったほうが合っている。きょうのテーマは結婚で、さまざまな意見を聞くことができたし、国による習慣の違いや共通点もわかった。イスラムの制度というのも興味深かった。実に刺激的。セイム・セックス・マリッジについては意見がかなり分かれた。ここオンタリオ州では合法化されているのだが、これには賛否両論がある。僕はそういうのは結婚とは呼ばないと思う。でもそれと正反対のことを言う人もいる。どちらもそれぞれ自分の意見。何の遠慮もなく、思ったことを言える関係がこういうところで築けるというのはすごい。自分を主張できるというのは、他人を受容できることであるともいえるのではないだろうか。それだったら素晴らしいことだ。いやむしろそれは「すばらしい」よりは「すばらきい」と呼ぶべきかもしれない。たのきいし、うれきいし、すばらきい。このニュアンスが伝わるだろうか。
 それときょう忘れてはいけないのは、帰りにエラと久しぶりに会ったことだ。彼女はウクライナの人で、はじめの教室のときからいっしょで、いつも隣でおしゃべりをしていた相手だ。これだけ波長が合う人も珍しいのだが、前回の発音クラスを最後にしばらく会わなかった。お互いにちょっとは上達した英語で励ましあって別れた。片手間でなくもっと本腰入れてやってみっかという気になった。
 
■まっしぐら(2004,6,2 mercredi)
 天気があまりよくなく、ちょっとじめじめする一日。たんたんと仕事を進める。やることを整理してみると、それほど複雑なことはやっていない。必要なことを時間内にもっとも効果的にやる。ただそれだけ。
 タイヤの取れる自動車売っていたら、誰も買わなくなる。これ当たり前。消費者だましてだまっていたら信用失墜へ急降下。いつかの食品会社みたいに廃業へまっしぐら。人のせいにはできない。もうどうしようもない。上がばか者だと、下が迷惑する。ほんとうに気の毒だが…。
 夜にはボスのところの夕食に招かれた。気を遣わせてしまった。息子さんの一人と卓球したら汗だくになった。兄弟で単語の問題を出し合ったりしていたのはなかなかいいやり方だと思った。家族の和やかな雰囲気がすばらしかった。いわゆる家族の幸せを垣間見た気がした。楽しい時間。と同時に、自分はもう自分の道しか歩けないのだという気持ちにどうしようもなくなる。はてさて、自分にとってのシアワセとはいったい何なんだろう。

■なんだか…(2004,6,1 mardi)
 日曜日の不運を引きずって、週明けの一日もまた変な日になった。鍵がないため、いつもより1時間ほど遅い時間、ボスが着いている頃を見計らって出勤。その分ゆっくりできたのだが、ラッシュとぶつかる危険があると判断して地下鉄は普段と逆の北行きに乗る。北隣の駅が終着なので、黙って乗っていると南行きの電車になるのだ。5、6分ロスがあるが確実に座れる。ところが、二駅目、つまり最初に乗った最寄り駅から乗り込んできたのは子供3人連れた母親で、しかも僕の目の前に。こういう場合に席を譲らないわけにはいかず、はじめの目論見は見事に崩れ去る。だが、まだ時間はあるのでストリートカーを途中で降りてマクドナルドでBLTベーグルとコーヒーの朝食。きょうはマックだったが、この時間ともなると朝飯を食わせる店がけっこう開いている。毎日こんな時間に出勤したらゆっくりできるなあ。などと少しは考えてみるけれど、自分の性に合わないのはよくわかっている。まだ誰も来ていない職場での1時間が勝負なのだ。
 鍵を借りる必要があったので皆に事情を話さないわけにはいかず、話すと異常に気の毒がられ、しかもそれは当然自分が悪いと言われ、もう痛いほどよくわかっているのでますます窮屈な感じになって、ちょっと居心地が悪くなった。元気を出してとかいつまでもくよくよしたってとか言われると余計どんな顔をしたらいいかわからない。正直な話ノーダメージ、どうということもない。ただ、今後気をつけるだけのこと。
 火曜の午前中はいつも打ち合わせや互いの経過報告などですっかりつぶれてしまい、気がつくと昼休みに食い込んでいる。午後は今週分の書類を片付けようとひたすらパソコンに向かう。ある人の書いた先週の通信の中に著しく問題の箇所があり、それについて指摘を受ける。どう指導するべきか方針を立てるがなかなか難しい。子供に指導できるだけの理屈と心情を一日でもたせるのは至難の業。他人の人生観との戦い。静かでのんびりではあるが、毎日戦いだ。笑顔と傾聴と理路整然かつ情をまぶした説得で、100%相手の納得を勝ち取る。そのためだけに生きているのが、勤務時間のわたくし。
 だけどきょうは車を盗りに行かねばならぬので、定時に職場を後にしてバス停へ。バスが来たので乗ろうとしたら終点で、閉まりかけのドアに膝をぶつけて痛かった。バスが来ないのでルートを変更。とりあえずストリートカーに乗る。ところがストリートカーも短い区間の電車だったため、途中で降ろされてしまう。後続を待つより歩くほうが早いかと思って歩き出し、ちょっとすると後続の車両が僕を追い抜いていった。交差点を曲がったところでバスに乗れば車屋までは一本で行ける。もう少しでバス停だというときになってまたもやバスに追い抜かれ、次のバスをその場で待つこと15分。きのうのボディショップの見積もりではガラス代が400ドルちょっと。その後家にかかってきた電話では200ドルを少し切る値段で、安くなってラッキーなんて思っていた。しかし、支払いの段になって、そのどちらもだと言われ、結局クレジットカードで600ドルほど。保険でまかなえるとはいうものの、タイミングの悪いことにその日は前の保険が適用になる最終日で、保険金を得るには鞍替えしたもとの会社と交渉せねばならないので煩わしい。でも、聞くとこれくらいは保険を使わないという人も多いそうだ。使うと翌年から掛け金が上がるらしいのだ。うー、どうしたものか。
 7時からの教室。少し前に入った駐車場はほとんど満車状態で、やっとのことでスペース見つけて、しかも車から降りるなりサンダーストームで校舎に入るまでにびしょぬれ。クラスの人数が予想より多かったため、きょうから二つに分離されることになっていた。新しい女性の先生が来て、今から名前を呼ばれた人は隣の教室にと言われて、案の定ばっちり呼ばれて、先週一緒だった人々とは完全に離れ、先生とも離れることになった。今度の先生は遠慮なくがんがん喋り捲るので、ニュースを聞いているよりも難しい。殺人事件の審判について意見交換するという課題に必死になってついていこうとしたけど厳しかったなあ。なんだか、こう書くとダメージ大きそうだけれど、ぜんぜんそんなことありません。て、言うだけ惨めかな。