2004年5月

■朝起きてから(2004,5,31 lundi)
 朝起きてからアパートの事務所に行き、鍵のことを相談した。鍵屋の電話番号を聞き、午後に来てくれるように頼んだ。ディーラーに電話すると、車はボディーショップに持って行くように言われた。この車を買って丸一年の記念日。穴の開いた車をボディーショップに預けて、バスと地下鉄を乗り継いで帰ってきた。明日の午後にはできるそうだ。途中電気屋でバッテリーの充電器をと思ったのだが日本で買ったものなので扱ってはいなかった。ネットで実家に取り寄せて、それを送ってもらうことにする。それから靴屋に寄って運動靴を買った。これで今週末の運動会に履く靴もなんとかなった。後は職場の部屋と机の鍵。住所がわかるものは盗られていなかったので、予備のものをコピーさせてもらえば大丈夫だろう。昼から雨が降り出して、きのうの疲れも出てきて、うとうとしているところに鍵屋が来た。かちゃかちゃとすぐに付け替えてくれた。校長にも連絡して、ちょっとほっとした。いろいろ勉強になった週末。英語力に関して言えば飛躍的に力が伸びたような気がする。テレビの声がずっとクリアに聞き取れるようになったような、気がする。おかげさまって英語でなんて言うのだろう。なんだThank Youか。やっぱり感謝だな。そうだな。何でもプラス指向でいけばいいんだな…。

■ひどい一日(2004,5,30 dimanche)
 ひどい一日だったという日は意外と多いのだけれど、きょうほどひどかった日も珍しい。
 その一。イタチみたいな小動物を高速道路ではねてしまったのだ。路肩に何かいるなというのは見えていたが、それがいきなり車に向かって突進してきて避けようもなかった。バックミラーの奥で動物が白い腹を見せて転がっているのが見えた。後続の何台かの車ともぶつかったかもしれない。しばらく走ってから車を止めたが、戻ってどうすることもできなかった。車は右側のバンパーの下のゴムが外れていた。どうにかできなかったかと悔やむがしかたない。かわいそうなことをしてしまった。免許を取って20年近くになるが、今までこういうことがなかったので自分に限ってはこういうことは起こらないと何の根拠もなく信じていたところがあった。だが、やってしまった。
 モントリオールに行こうと6時半に家を出た。天気はきのうと変わらず快晴で月曜も晴れるというので、先週雨でさんざんだった分を取り戻そうと、もう2、3日前から決め込んでいたのだ。片道550キロ。途中休憩を含めて約6時間。天気がよくて楽しいドライブになるはずだったのだが、後の半分はなんともいいようもないいやな気分を引きずっていた。だけど、引き返そうとは思わなかったし、感情的にはあまりにも冷静、というか冷酷だったかもしれない。
 ケベック州に入ってから最初の案内所でいろいろと話を聞いて、ホテルを予約してくれるということになった。いつも思うけれど、ケベックの人たちのホスピタリティには感心する。いやな顔ひとつ見せずにとことん尽くしてくれる姿勢。それが徹底されている。「ボンジュール!」と声をかけられちょっと躊躇してしまったが、地図ありますかと英語で質問したら、それからいろいろと聞いてくれて、わかりやすい英語で説明してくれた。おかげで気分よく観光してこようという気持ちになった。オタワとどっちにするか迷ったりもしていたのだが、あんなことがあってもやっぱりモントリオールで正解だったろう?などと自分を納得させていた。
 ケベック大学とバスセンターの真ん前、通行量の多い通り、パーキングメータのあるところに駐車してお金を入れようとしたら、通りの向こうから「要らないよ!」と叫ぶ人が。駐車場を管理している人かな。休日だからただなのかと思い、少し得した気分で旧市街へと向かった。ところが、ここで重大な失敗を犯していたのである。
 はじめは地下鉄の駅でデイパスを買った。それから泊まる予定のホテルの場所を見つけ、駐車場の位置を教えてもらった。それから中華街を通って旧市街に入った。きょうはビデオカメラも持ってきたので、日曜日ののどかな様子をいくつも撮影することができた。今までは街中で撮影するのははばかられたが、最近あちこちの様子を記録しておきたいという思いが強くなってきている。それで、今回はビデオ中心で記録しようと決めていたのだ。セントローレンス川沿いを歩く。めいめいに休日を楽しむ風景を眺めながら。ところどころで南米の音楽をやっているグループがいたり、大道芸人が曲芸をしていたりした。オリンピックスタジアムでエクスポズの試合があるので、地下鉄で行ってみたがもう終わったところだった。親子連れの長蛇の列ができていたのだが、それは球場の隣のバイオドームという博物館に入ろうという人たちだった。
 また地下鉄で市街に戻り、車を止めていたところに戻ってきた。見ると辺りにガラスが散乱しており、車を見ると助手席側の後ろの窓が破られていた。ひどいことのその二は、車上狙い。しまった、かばんを後ろ座席の下に置いたままだった。と今頃気づいても遅い。盗られたのは黒いかばん一つ。ジャンパーや地図やCDはそのまま。一年前なら気をつけていたものを、慣れが油断を招いた。あーあ。どうしようと思って一瞬カーッとなったが、その後は異常なくらい冷静。やることをやるしかないと思った。バスセンターのセキュリティに言うと、911に連絡しろという。携帯で電話したが場所をうまく伝えられず戸惑っていると、待っているからもう一度公衆電話からかけ直してくれという。待っているということはないだろうと思いながら、かけ直したらやっぱり別の人が出て、一からやり直し。とにかく近くの警察に来いということだった。さっきのセキュリティに場所を聞くが、忙しいようで取り合ってもらえない。外に出ると、交差点でちょうど事故の検分をしていた警察官がいたので、わけを話して地図を見せたら、署の場所を教えてくれた。車はそのままにしてそこまで歩く。被害届を書いて出し、それで手続き終了。出てくる望みはまったくなし。もう車を動かしてよいことを確認し、警察を後に。結局盗まれたもののうち貴重品は部屋と職場の鍵のついたキーホルダー。金目のものといえば、ビデオとデジカメのバッテリーの充電器。それにシェーバー。あとは着替えとか運動靴とか。かばんを置いていたのはバカだったが、鍵を入れていたのはもっとバカだった。と悔やんでもしかたがない。
 せっかく来たのだけど、その日のうちに帰ることにする。ホテルはわけを話してキャンセル。でも全額戻ってこず。悔しいから「必ずまた来るぜ!」と言ってホテルを後に。沿道の人々が窓を見て笑っている。交差点で隣に止まった車のドライバーが、「今やられたのか?」と聞いてきた。もう笑うしかない。風の吹き込む車でひたすら高速道路を西へ。夜の風は冷たくて、暖房をがんがんかけながら走る。おまけに季節がらいわゆる田舎の香水の香りが車中に広がって、余計惨めな気持ちになった。イタチの祟りとは思いたくないけれど、そういう悪運を呼ぶ心の隙が、このところの自分にあったということはいえるかもしれない。反省すべき点が多々あると思う。こんな体験さえも生かしていく姿勢が求められるのだろう。
 着いたのは11時半ころ。トロント〜モントリオール往復12時間1100キロ日帰りの旅。こういう旅をする人もあまりいないだろう。アパートの鍵もないので警備員に事情を伝えて開けてもらった。翌日にはさまざまな事後処理が待っている。

■きょうの天気は最高(2004,5,29 samedi)
 きょうの天気は最高。朝から夜まで晴れっぱなし。ただし、気温は低め。陰と日向のコントラストが激しくて、真昼でも暗いのか明るいのかわからない。こんな感覚もあるのだ。こんなに晴れた日は却って写真にはあまり適した天気ではないそうだ。
 きのうはあんなことを書いたので、音楽のダウンロードが激増。まるで詐欺をしたような気分。とり方によってはすごいモノのようにもとれる表現。期待して聴いた方にはごめんなさい。普通の市民の、趣味の音楽です。悪しからず。
 天気がよかったので、みんなの気分もよかったらしく、きょうは特に大きな問題もなく、気がつけば夕方になっていた。こういう日というのは稀だろう。どんな職場でもそうだろうか。それとも毎日無難に過ぎていく職場のほうが世の中には多いのだろうか。何事も無いときほど何かあると思ったほうがいい。何事も無いという判断ほど信用できないものはない。きっとそれは無いのではなく、見えていないだけなのだ。見ているのに見えていない。そういう人にこそ、話して思いを伝える必要がある。
 そういえば、運動会の道具を倉庫の棚に乗って取ろうとしたら、棚板が外れて左足の足首を捻ったので痛かった。それから、前回の授業のことで生徒が面白かったと言っていたという話を聞いて涙が出た。ううう、やってよかったーと感動した。他愛も無いことで有頂天になってしまうし、何も無ければ無いですごい落ち込みようをする。少々難解。
 明日も晴れそうなので、早く起きて少し遠出をしようと思っている。

■毎日誰かが音楽を(2004,5,28 vendredi)
 毎日誰かが音楽をダウンロードしてくれている。所詮は素人。果たしてどれだけのものかは客観的には評価できないのだけれど、聴いてくれた人が一人でもいれば、創った甲斐があったというもの。まして一人でも気に入ってくれた人がいてメッセージを寄せてくれたのなら、それはほんとうにありがたいことだ。何を隠そうこのサイトのコンテンツの中で、最も特別な思いで載せているのはそこのところなのだ。表の生活とはおよそかけ離れたところにあるようでいて、自分自身は常に音楽の波の中で泳いでいるという感覚がある。それを表現できるかどうかは別問題なのだけれど。たとえ耳が聞こえなくなっても、思うほど困らないかもしれない。いつも頭で鳴ってるから。僕にとって音楽を失うということは、死ぬことと同じである。
 アヴリル・ラヴィーンMUCHMUSICに来てスタジオライブをした。さすが選挙中だけあってVネックでVOTEと書かれたTシャツを着ていた。インタビューを含めて1時間半のテレビ中継。サテライトスタジオが面したクイーンストリートには人が溢れ、たえず叫び声が聞こえていた。スタジオは屋外と続いていて、ときどき外に出ては観衆を沸かしていた。中には涙ぐんでいる人さえいたけれど、本人はいたって気さくな感じで質問に答えたりしていた。トロントニアンにとっては最も身近な歌手の一人だろう。顔かたちこそアイドルみたいだがその実大きな可能性を秘めたアーティストなのだ。この国を離れて何年たっても、彼女の歌を聴いたなら記憶が鮮やかに蘇るだろう。

■題名を変えて以来(2004,5,27 jeudi)
 題名を変えて以来日記才人経由のアクセスが激減しているので悲しい。更新されていないという誤解を与えるような題名だからしかたがないのかもしれない。もちろん理由はそれだけではないだろうけれど…。
 カンボジアでいっしょに活動した方からメールが来た。新しいプロジェクトに協力してくれということだった。カンボジアの女性や子どもを人身売買から守る取り組みらしい。ここからは行くことはできない。それならどんな形で協力できるだろうか。とりあえず英語で書かれた案内書を訳して掲載すればいいのではと考えている。できるのかというのが問題だけど…。炎天下ごみ拾いをしながら、一杯の水をありがたく思ったことをすっかり忘れていたなと反省した。ペットボトルの水がどれだけ貴重なものか。それを忘れてどうのこうのと書いていた自分が恥ずかしい。こんなふうに気持ちが全部変質しているとしたら恐ろしい。毎日書いていれば誤魔化しは効かない。隠れていたさまざまなことが滲み出てしまう。それも日記を書くものの宿命だし、効用でもあるし。困ったことも多々あるが、その何倍もいいことがあればいい。
 今朝は久しぶりにきれいに晴れたと思ったのも束の間、日中は曇りがちで夕方には少し雨が降った。気温もいつもの年よりも低くて変だという声を聞いた。去年は去年で変だと聞いたような気もするが、これもここ最近の異常気象ということか。それでも去年は新型肺炎で何かとたいへんだったので、それに比べると天気が悪くたって気は楽だ。
 朝から会議が昼過ぎまで。そして、午後も3時前まで会議。思えば週のかなりの時間大小さまざまの会議をしていることになる。無駄な会議もあれば、無くてはならない会議もある。一つ一つ意義を認めながら、大事な会議だけをしかも短時間に行えるようにしていきたい。ここでは特に今よりも話す時間を減らしたらてんでばらばらになってどうなるかわからない。
 新しい自動車保険会社では、新規契約した車の状態を写真で記録しておくことになっているそうだ。それで、プリインシュランスインスペクターという人が職場に来て、僕の車の写真を撮っていった。きょうはこれがあったので車で来たのだが、夕方にはまた学校がある。学校の駐車場に車を停めてから、地下鉄でダウンタウンへ。地下街のデリでロールキャベツときゅうりのサラダとバターつきパンの夕食を食べた。なんの飾り気もない普通の食事といった感じで、コーラもコーヒーも頼まずに、こういうのいいなと思った。地下鉄でまた学校まで戻って授業。ディスカッション中心。先生のしゃべりもかなり多いので聞き取りの練習にもなるし、何よりほかの人たちと英語で話せるのは楽しい。きょうは四人グループになって、「重症の六人のうちの誰か一人だけに心臓を移植できるとしたら?」という課題について意見を交換しあい、順位をつけて発表した。六つのグループすべてで最下位になったのは、ある国の副大統領だった。教室中が笑いに包まれた。この笑いはなんというか大きな世界的な笑いだと感じた。自分と同じ苛立ちを抱えた者がたくさんいるような気がした。だが、先生が言ったのは、「この六人は皆同じ国の人だよ」ということで、またさらに笑いが起きた。この先生は隣国で作られたテキストをコピーして使っている。
 きょうは人数がさらに増えたので、次回からはクラスを二つに分け、一つのクラスには別の先生がつくそうだ。メンバーはランダムに分けると言っていたので、せっかく出会った皆と離れるのはちょっと残念な気がする。そして、この先生の授業をできたら続けて受けたいと思った。終わって九時。空はまだ明るいのでなんとなく得した感じがする。

■去年一度やっていることなのに(2004,5,26 mercredi)
 去年一度やっていることなのにすっかり忘れている。準備をしながらそれらを思い出す。と同時に、新しいことを創り出すという意識。同じことを繰り返しているのではなくて、これから必要なことをいちばんいい形でやるということ。朝から昼過ぎまで会議で、それ以外にもあれこれ話をして、翌日の会議に備える。誰にとっても言いたいことを言える状況を作るのがいちばん重要。などとあれこれ頭の中で回る。おまけに天気はきょうも寒々とした曇りでなんだか眠い水曜日。
 夕飯はA&Wのハンバーガーにルートビール。たまには食いたくなるときもある。CD屋と本屋に寄ってぶらぶらしながら帰宅。いくつか買ったが読む気も聴く気も起こらず、ただただぼーっとした夜を過ごす。
 CBCのトップニュースは米国の新たなテロへの警戒。NHKは拉致関係。個人的なことにあまりに時間を割きすぎな感。それも大事だろうが、もっともっと大事なことがあるだろうに。絶対にニュースが変質してる、なんて感じてしまう。トップニュースが何であれ「…だから憲法変えます」と言われればころっといってしまうんではないだろうか。
 
■きょうも寒かった(2004,5,25 mardi)
 きょうも寒かった寒かった。5月の青空はどこへ行ってしまったのか。週始め、メールのやり取りに頭が痛くなってきた。これは僕の理解力の無さからだ。顔を見ながら話せば分かり合えることでも、メールを丁寧に書けば書くほどこじれていきそうなこともある。文字ですべてを伝えようというのがそもそも無理難題なんだな。会って話さなければならないことが考えている10倍はあるのかもしれぬ。
 多くの人が感じていても、その通りにことが運ぶとは限らない。むしろ物事は人が望まない方向に進んでいきがちだ。いつも顔を合わせ互いの思いを伝え合えて初めて、人間関係のバランスがとれるのだろう。それが疎かにされたら危ない方向に突き進んでしまいそうだ。
 例えば愚痴を言いたくなるときは誰でもあるだろうが、目の前にその人がいないところで噂話をしていいことは何もない。思ったことは本人の耳に入れなければ何も変わらない。あとはそれをどう伝えるか、どう受け止めるかの問題だろう。その人に聞こえないように話したつもりが、まわりまわって当人の耳に入る。これほど愚かしいことはないではないか。
 日記も愚痴では読む人が不快になる。だからといって無難なことばかり書くのもつまらない。誰がみてもみてよかったと思われるものをつくりたい。できれば多くの人にみてもらいたい。そんなあれこれを詰め込むのだけれど現実は難しくて、一向にカウントは増えない。とどのつまりは、それだけのサイトだということだろう。だが、第一の目的は記録である。
 きょうからまたカレッジに通い始めた。今度は会話クラス。先生の発音はとても明瞭でスピードもちょうどいい。メンバーの21名はほとんどがそれぞれ違う国からの人々だったみたいだ。二人一組でインタビューをし合ってそれを全員で発表した。きょうはイランの女性がパートナーだった。ペルシャ語をFarsiというのを初めて知った。帰りにはウクライナの男性と話をした。彼はどんどん自分から話かけ、すでに先生からコメディアンと呼ばれていたほど英語が達者だった。なんとなく感じることだけど、日本人は英語が下手だというのはどうも多くの人々がもつ共通認識なようだ。自分も周りの人々よりも劣っているとなんとなくいつでも感じているようなところがあって、そういうのをなんとか少しでも払拭したいと思った。

■夜になって(2004,5,24 lundi)
 夜になって、窓の外のあちこちで無数の花火が上がっているのが見える。思えば去年もそうだった。このごろ街頭で花火が売られていたのはこのためだったのだ。ビクトリア・デイの恒例なのだろう。今年のこの3連休の天気は最悪だった。きょうは昼前に車を出して、ガソリンスタンドに寄っている間にまた雨が降り出した。404号を北上してレイク・シムコーという湖に行ってみようかと思ったのだが、雨は激しくなるばかり。バケツをひっくり返したような、という表現がぴったりで、真昼なのに夜みたいに空が暗くなった。雨も長くは続かないだろうと、とりあえず目的地まで走ったのだが、雨は相変わらずだった。湖に釣り糸をたらす人たちも、自転車の少年たちも、みんなずぶぬれ。ローラースケートの少女たちがこちらに手を振るので手を振り返すと異常なテンションで両腕を振り上げていた。天気さえよければ眺めがいいだろうなという場所だったから、意地でもまた来てやろう。待ってろよ。
 湖を後にして、南に進路をとる。銀行でお金を下ろしてからアッパー・カナダというモールで買い物をしようと思ったのだが、どうも辺りの様子がおかしい。信号が止まっていて、銀行のATMも電気が消えている。そこに来たおばさんの話によると、落雷でここらへん一帯が停電になったらしい。おばさんは1時間くらいで直ると言っていたが、ニュー・マーケット市の広大なショッピングセンターは、どの店も閉まっており客の車もほとんど停まっていなかった。だがこれは停電のためかと思ったらそうではなく、もともとの休業日だったようだ。
 カナダでは、信号のない交差点での一旦停止というのがひじょうに徹底している。優先道路というのもないではないが、四方向すべて停止しなければならない交差点が多い。そのため、かりに停電になったとしてもそれほどの混乱は起こらない。去年のブラック・アウトの時には交通整理のボランティアがたくさん出たのだが、いないところもいたって冷静に通行していたのを思い出した。きょうは大きな交差点には警官が立って、手信号で交通整理していた。左折車線に入って一旦停止すると、警官が僕と進行方向を交互に指差す手信号を示した。その意味がよくわからず、ちょっと戸惑った。
 買い物もできず、飯も食わぬままだったので、ためしに今まで行ったことのなかった中国系モールに入ってワンタンメンを食べ、店を見物した。新旺角広場(ニュー・ケネディ・スクエア)と名づけられたモールは、やっぱりすっかり香港という感じだった。VCDとCDの店をしばらく見ていたら、店のおじさんが目の前に来て出て行けという感じで品物を片付け始めた。まるで立ち読み客をはたきで追い払うような感じ。そこには限りなく怪しい商品が並べられていたので、あまりじろじろ見られたくなかったのだろう。宇多田ヒカルや浜崎あゆみのCDも、どうみてもこれは正規のものではないというものが売られていたのだ。日本のアーティストの作品がこんなにして売られているのを見て残念な気持ちになった。

■とにかく眠い天気で(2004,5,23 dimance)
 とにかく眠い天気で、こういうときでも朝はいちおう早起きなのだけれど、途中でどうにも眠くなってごろごろしていたらあっという間に夕方になった。きのうとほとんど同じパタンだ。晴れていたら泊りがけでオタワかモントリオールかなんて考えていたのだが、それもかなわなかった。テレビでは、カナダの総選挙が公示されたニュース。我がピーター・マンズブリッジ氏はオタワからの生中継。なんだオタワの空は晴れているじゃないか。
 こちらは夕方から雷とともに激しい雨。これもきのうとおんなじだ。そうやって、貴重なロングウイークエンドの3分の2が終わってしまうのだ。外に出ると寒かった。まるでヤマセのときのように、湿った空気が流れているのを感じた。ため息も流れ出そうな感じである。
 きょうの夕飯もこれまたチャイニーズただし四川風?、南北楼という店で魚香茄子飯というのを食べた。連休を当て込んで、いつもよりちょっと価格を上げているのがわかった。その代わりに、客に一個ずつポケットティッシュを配っていた。これも企業努力というものか。隣の店ではこの間酢豚を食べたのだが、肉かと思ったらミートボールだったのでやられた。しかもご飯ばかり多くて肝心の酢豚が少量だったので、あれ以来もう二度と行くまいと思っている。きょうの南北楼のおばちゃんにはいつも発音の実験台になってもらっている。顔を覚えられたのかハーイと声をかけられ、中国語っぽい発音で注文したらその後も全部中国語で話された。お、発音がよかったかな。でも、意味はさっぱりわからずで、いつもの豆乳ではなくけんちん汁みたいなすっぱ辛いスープがついてきた。食べてると辛くて耳の後ろから大量の汗が出てきて困ったけれど、味はうまかった。英語も中国語も考える部分はおんなじなようで、ときどき"I am〜"も「我是〜」も混ざってしまうことがある。どちらの場合も最大の問題は単語力である。この間の英語でしゃべらナイトでは中国の英語学習熱について特集していた。見ているとすごく刺激になる。あれはいい。
 このまま暮れてしまうのは癪だから映画を観た。夜9時からのTROYに滑り込み。ところがあとからあとから客が入ってきて目障り。こっちはせっかく時間を守っているのに、守らない方が大きな顔して画面の前に突っ立って邪魔をする。これはどこでもおんなじだろうか。それともう一つ、こちらでは映画が終わるとエンドロールの途中でみんな帰ってしまう。気がつくと自分が最終の客になっているということが多い。
 映画の内容は3200年前のギリシャの話で、ブラッド・ピットはアキレスの役。トロイの木馬やアキレス腱の逸話なんかも出てきてわかりやすかった。見応え十分である。むごたらしい戦いの場面がたくさん出てきて、血を吐いたり刀傷ができたりするところでは観客の嫌悪の声がずいぶんあがっていた。ああいうシーンは、日本人の方が見慣れていて抵抗は少ないようだ。いくら何千年前の映画とはいえ、現在のことが重なって見えてきた。時代が違っても、人間は同じことを繰り返している。これってやっぱり愚かなことではないのか。大昔の戦争のことを扱った娯楽映画を観て楽しんでいる自分。その自分の生きている現在もスクリーンと同じ殺戮が繰り返されている。じゃ自分は何なんだろう。何のために、ここにいるのだろうと考えずにはいられない。

■この三連休は(2004,5,22 samedi)
 この三連休はずっと雨の予報が出ている。一日目は夕方まではもっていたが、暗くて寒くてどこにも出る気がしなかった。部屋でごろごろしているうちに夕方になってしまい、外に出たら雨が落ちてきた。近くの広場ではイランの人たちのイベントが行われていた。ステージには歌手が出て中東の歌を歌っていた。その前で、人々が思い思いに踊っていた。雨が降ってきたし、寒いしで観衆も少なくて気の毒だった。日が暮れてからは雷が鳴り出し、ひどい荒れ模様になった。
 きょうの夕飯は、台湾の店でご飯に鶏肉がのったのを食べた。今まであまりうまいとは思わなかったが、焼き立てを食べるとけっこういけるということがわかった。持ち帰って冷めたのを食べるのとは全然味が違った。
 きのうダウンタウンに行ったのは、ミュージカルを観るためだったのだ。URINETOWNは今まで観たのとは毛色の変わったミュージカルで、演奏はすべてアコースティックの楽器だった。全編コメディだった。大いに笑った。言葉で笑うのはなかなか難しいが、かなりナンセンスな笑いで、表情や仕草を見ているだけでも面白かった。CanStage(The Canadian Stage Company)、劇場は小さかったがその分熱気がすごかった。ミュージカルの時間は値千金だや。
 フードネットワークをつけていたら、鹿賀丈史の料理の鉄人が放送されていた。古いけれど、こちらでもかなり人気があるらしい。その後もずっと観ていたら、どの番組もグルメ番組なので英語もわかりやすくてよかった。
 この街では世界中のテレビ番組を観ることができる。いるうちに、できるだけ多くの言語の番組をDVDに録画しておこうと思う。録画したからどうということもないのだが、普通はこういう状況というのは考えられない。トロントならではのことだと思う。

■ビールを飲みながら(2004,5,21 vendredi)
 ビールを飲みながら書いている。普段の金曜日なら翌日は子どもたちがやってくる授業日なので、緊張のために酒など飲んでいられないのだが、明日は何を隠そう休日なのである。しかも明日から3連休。すばらしいのである。月曜日がビクトリア・デイという国民の祝日で、明日あさってと月曜日の3日間は全国的にロングウイークエンドの連休となるのだ。だから、明日は校舎が使用できず、授業をしようにもできない状態になってしまうのである。ゆえに休業日。うれしい。きっと、この3連休のいつよりも、今この時間のほうが気持ちもゆったりとし、光り輝いていると思う。日本では3連休があればきまってそこは練習試合か大会だったから、この違いは大きい。
 きょうの朝は初めて通勤途中で朝飯を食った。コーヒーとトーストと、スクランブルエッグにベーコン。自分で作る朝食となんら味が変わらないのだから、そうたいしたものでもないのだけれど、席に座りながら新聞なんかを広げるとなんとなく豊かな気持ちになるものだ。そういう都会的な朝をあまり過ごそうとしていなかったのは、そこまでのゆとりがなかったのだろうか。だがさすがにコーヒーの紙コップを持ち、飲みながら道路を歩くことははばかられる。朝の通りはそんなビジネスパーソンがいっぱいいるのだけれど。これって日本の都会でもそうなのだろうか。
 今週の仕事はなんとかやり終えて、その後職場からダウンタウンまで2時間半かけて歩いた。曇り空で涼しい日だったが、けっこう汗をかいていい運動になった。体重を毎日記録しているが、それはあまり効果がないみたいだ。減らないのは残念だけど、このごろは体重ばかり考えずに体質改善しようてなことを考えている。できるだけ筋肉を使って、筋肉をつけていけばいいのだ。なんて逃げだろうか。
 途中のベトナム料理屋でフォーを食ったらうまかった。フォーのことをベトナムラーメンと呼ぶ人がいるが、その呼びかたは最近まで聞いたことがなかった。ラーメンと近いのはしょっぱいスープが飲みたくなるところだろうか。辛味を入れすぎたら顔中から汗が噴き出した。田口壮選手もフォーが好きだと日記に書いていたなあ。ところで、田口選手の4安打の活躍をニュース7でやらなかったのはなぜだろう。両松井とイチローが日本人にいちばん求められている情報だからなのだろうか。スターだから。かれらのことは応援しているし、かれらの活躍はほんとうに励みになる。だが、田口選手のようにスターではない普通の、もっというと一般庶民の一人が日々やってるのをみるとそのほうがずっと力になる。自然と応援したくなる。歴史はスターとか偉い人が作るのではなく、名もない普通の人たちが作るものだと思う。その一般庶民の一人として歴史を刻むことは大いなる誇りである。
 ピョンヤンの報道はどうも胡散臭い。何かを覆い隠しているというか、わざとこの時期に狙ってこんなことをしているのではないかと疑っている。マスコミの目がそっちにいっているすきに、またへんなことがいろいろと通過している。ますます日本が住みにくくなる。何でもかんでもカナダのほうがいいとはいわないけれど、日本で暮らすことを思うと暗い気持ちになってしまう。これ以上ホンネを書いてしまうと読む方は不快になるでしょうからもう書かないけれど、考えて「暗澹たる」気持ちになることが多くなっている。音楽でさえ自由に聴けなくなるなんて、どういうことよ。他国と比較せずともわかる。日本は民主国家ではない。定年まであと22年。どうすんのよ。やっぱり退職は50。その後は中国で日本語教師をやろう。それまでに必要なことをしていこう。
 海外で仕事したいとか生活したいとかいう気持ちをもつことはココロザシが高いことにはならないし、いろいろある生き方の中でそういう選択をするというだけのことだ。より高いステージを目指してきたのではなく、違ったところに来てみたかったのだ。そうして、故郷にこだわって生きたいという思いはそれほど強くない。故郷が出発点なのは誰にとってもおんなじで、いつも自分の今いる位置と出発点との距離を測りながら生きていくものだと思うから、故郷を見つめることは人間生活の基礎の部分なのだ。そんなことからイーハトーヴという言葉には特別の意味があった。あとはカナダのシンボル楓の葉っぱ。「イーハトーヴの楓」なんて誰も思いつかないだろうし、あまり当てはまる人もいないだろうと思って、いい題名だなあなんて思っていた時期があった。けれどたいそうな題名だった。学校で作る地域学習の資料によくある「わたしたちの○○」という名前。そういう命名の感覚と似たところがあったかもしれない。そんなことを考えてしまうと、名前をつけるなんておっかなくってできねえよ。ってことになる。あ、考えてみれば「おっかなくってできねえ」ことがまだまだあるな。それはモラトリアムということなんだろうか。マージナルということなんだろうか。  
 もっと遠慮がちで普遍的な題ってないかなと思い始めていた。で、どうした拍子か急に前のが嫌になって、ばからしく思えてすっかり削除してしまった。そのくせデザイン一新などこれっぽちも考えてもいなかったので、きょう現在まだこのアイボリー地に濃緑の色合いは継続中である。
 で、not in serviceというのがどこから出てきたかというと、回送バスやストリートカーの表示に出ている文字なのだ。営業中じゃないよってわけだ。いつも思うのは、回送車両にも客を乗せればそれだけ稼げるのでないかということ。だが、そんなことはせずにやっぱり回送車両は回送車両のままなのだ。だれの役にも立たないが、走らせないわけにはいかない。このサイトもそんなものかもしれないなんてことがわずかながら結びついた。ゆえに、仮の題名としたのであるが。
 だらだらと書いてしまったが、なんとなく、気持ちも固まってきた。またしばらくするとゆるゆるとなるでしょうが。そのときはそのときだ。
 自分のために書く。よろしかったらご覧ください。ってのはどうだろう。それでいこう。はい。更新しよう。リンクしてくださっていた方、気まぐれでごめんなさいね。

■カナダか日本か(2004,5,20 jeudi)
 カナダか日本かという比較の構図で語ることが多いのだけど、それは妥当ではないのではないかと思うこともある。自分が知っているのは日本の一地方、しかも鄙の地での生活であって、現在カナダとはいってもトロントという都会での生活である。今まで、都会での生活を経験したことがなかったのだから、都と鄙という比較で感じることが多くて、それを国の違いと錯覚しているところがあったのではないだろうかと疑ってみる。たぶんすべてそうではないだろうが、一部当てはまるところはあるだろう。国なんか関係なく、大都市になれば出てくるエピソードというものがあるのだろう。それ=カナダではないのだ。だいたいにしてカナダの大部分は都会ではなく、いわゆるカントリーだ。今感じているのは、カナダのカントリーはそれほど卑屈な色を帯びていないのではないかということだ。僕の知っている田舎には多かれ少なかれ都会に対する劣等感や「どうせ…」という諦めや責任転嫁?みたいななんだか健康的でない思いが見え隠れしているようなところがあって、それが大嫌いだ。これは日本の政治の結果なのかもしれない。だけど、中央に対しての地方の反骨や体制に飲み込まれないという気骨は大好きだし一つの誇りだ。僕はそれを故郷から授かったものだと思っていて、それを大事にしたいという思いは強い。

■金田一晴彦氏が(2004,5,19 mercredi)
 金田一晴彦氏が亡くなった。父の京助とともに、日本の国語学をおし進めてきた人だ。テレビにも出て、僕たちにわかりやすく解説をしてくれた。学問とわかりやすさは相反しないということをいつでも伝えてくれていたような気がする。氏のように身近な日本語学者はもう存在しないのではないか。学生時代に読んだ「日本語」は、授業の上でも大きな指針となっている。冥福を祈る。
 自動車保険でこの一年世話になった会社から更新の案内が来た。そしたら、一気に2000ドルも高い値段の見積もりになっていた。サインをして返送すれば自動的に契約となるのだが、値上がり幅が異常なので困っていた。幸い違う会社を紹介してくれる方がいて、そこに問い合わせたら去年とほとんど変わらない額でよいということだったので即決。きょう、アパートに来てもらって無事契約を済ませることができた。玄関の脇に、ビジネスセンターという小さな部屋があって、守衛に頼んでそこを使わせてもらった。必要書類を揃えて臨んだつもりだったのに、3度も部屋に戻って取りに行くものがあって情けなかった。来てくれた方はたいへん紳士的で、僕が意味がわかるように何回でも説明してくれた。それに世間話も挟んでくれて、おかげで会話の練習に少しはなったかなと思う。1時間半もかかったが、一つのレッスンと思えば楽しく過ごすことができた。
 いろいろと考えることがあるのだが、パソコンに向かうと忘れてしまう。怒りを覚えることの多い一日だったが、家に帰るとそれも薄まって、普通になる。なんとも便利なこの忘却というシステム。おかげでいつでも元気だ。

■朝1時間、夕1時間(2004,5,18 mardi)
 朝1時間、夕1時間を歩いて通勤。曇りの日にはさまざまなにおいがして楽しい。土のにおい、花のにおい、道路のにおい、都会の真ん中にこんなに緑が残っているのはすごいことだと思う。雑木林というより谷沿いに森林が広がっているという感じだ。帰りには、いつも使う駅の裏口に回ってみたら、そこから森の中を通る長い遊歩道があった。どうしてこんなに森が残っているのか。これは残そうとする意志があるから残っているのだろう。そのおかげで人々は木々の中で自然といっしょに暮らすことができる。
 日記のことをちょっと考えた。記録というのを第一義にしなければおかしなことになる。誰が読むと読まざるとに関わらず、見たこと聞いたこと感じたことを書く。当たり前だが、それが基本だろう。基本に立ち返って書くことにしよう。というか初めから基本的に何も変わっていないや。
 帰り道で知っている子どもに会った。現地校の子たちとお菓子を食っていた。土曜には日本語しか話せないことになっているのだが、きょうは平日だったからこちらも英語で話しかけてみた。何食べてるの?それは何?というような感じで。たったそれだけだったけれど楽しいひととき。子どもたちと英語で話すというのは、大人と話すよりも何倍も難しい。これまでの場合、相手がポカンとしてそれで会話が終わり、ということが多かった。
 カメラをつねにかばんに入れて、気になった景色があったらすべて切り取ろうとする。ところが、すべて切り取ろうなんてことはとうてい不可能で、僕の撮る写真などパズルの1ピースにもならない。すべてを書こうなんて思うこともかなわないことだ。ただこの瞬間に脳裏をよぎったことがページに留まる。文字も写真も音楽も方法は同じ。ただ現われ方が違うだけなのだ。
 63億ピースのジグソーパズルを想像する。すべてのピースが生きており、絶えずその絵は姿を変え、一瞬たりともストップすることはない。
 散歩する者としない者とでは生き方が違う。たとえ年をとって歩けなくなっても、そこいらへんを散歩する人間でありたい。
 夕飯は結局サクラジャパン。店のディスプレイにスシ・ウドンコンボが加わったのを見て、おやじに新メニュー?と聞くとそうだと言った。次には食べてみよう。

■天気はよかったが(2004,5,17 lundi)
 天気はよかったが昨日よりも霞んだ感じで少し湿気もあった。朝は散歩がてらマックまで歩いて朝飯。テーブルに置いてあった新聞とコーヒーを持って店を出る。途中の公園のベンチに座りながら新聞を斜め読み。読んだふりといったほうがいいか。
 まだ行ったことのない街に行こうと思った。ナイアガラに行く途中にあるハミルトン。ダウンタウンまで1時間ちょっとかかった。駐車場に車を停めて、ぐるっとあたりを一周。ショッピング・ビルのフードコートでパニーニを食べる。去年モントリオールで食べた味が忘れられず、ときどき食べるのだが、あのときの味に勝るものに出会ったことがない。きょうもまあ、それなりの味だった。値段が9ドルちょいしたので不満。外に出るとメインストリートの中央の広場に噴水があって、その周りが憩いの場になっているようだった。昼食を含めて1時間ほどでハミルトンを後にした。大きなボタニタル・ガーデンがあるという話を前に聞いていて、そこに行ってみたのだが、入園料25ドルというのを見て断念。そのまま進路を北へ。ハイウェイ6を通ってグエルフという街へ向かう。スリーマンというビール会社の工場に立ち寄る。直売所でビールを1ダース買った。店に入ると木箱がたくさん積み重ねられていたので、これを一つと言うと、店のお姉さんは一つ取って20ドルと言った。ところが、これは箱だけでビールは入っていなかった。ビールがほしいんだけどと言ったら、隣の冷蔵室に連れて行ってくれた。自分で好きな箱を持ってくる仕組みのようだった。外にはカナダ国旗とオンタリオ州旗、そして日の丸の旗がはためいていた。どこかと提携でもしているのだろうか。グエルフの街のほうがハミルトンよりも小さいが魅力的な感じがした。きれいな教会や石造りの建物が多い。ここも小一時間歩いてまわった。その後はハイウェイ7をひたすらトロント方向へ車を走らせる。夕方の渋滞にぶつかって、百キロちょっとの道のりに2時間以上かかった。日本なら普通だが、カナダでは一般道でも制限速度80キロとか100キロとかのところも多いので、2時間はかかり過ぎという感じだ。ケンタッキーでから揚げを買って、それを夕飯にした。

■昨夜は(2004,5,16 dimanche)
 昨夜は車を駐車場に停めて地下鉄で帰ってきたので、きょうは車を取りにいかなかればならなかった。朝は雲が多かったが、昼頃からはきれいに晴れた。だが、空気はけっこう冷たくてさわやか、長袖のシャツでちょうどいいくらいだった。いつの間にか木々の葉っぱはすっかり大きくなり、街路樹は夏と変わらないほどになった。ウェルズリーで降りてそのまま西へ。歩いたことがない道を通りながらきのうの駐車場へ。桜の花がところどころで満開を迎えていた。クイーンズ・パークのチューリップや水仙が太陽に照らされて輝いていた。人々はめいめい素敵な日曜を満喫していた。トロント大学の構内を歩いてみる。古い建物の陰で、新郎新婦が記念撮影をしていた。街のど真ん中に広大な敷地が広がっている。今年で創立150年というのは西洋の大学としては古いわけでもないだろうが、それでもあちこちに歴史を感じさせる石造りの建物やモニュメントがあった。手狭になったから郊外に移転するなんていうような薄っぺらい思想で作った大学ではないというのがよくわかる気がした。学問というのはそれだけ高遠で気高いものだ。それを知っている大学が一流と呼ばれるのだろう。いつの間にかチャイナタウンに出て見慣れた風景が広がった。アート・ギャラリー・オブ・オンタリオのショップに立ち寄って眺めるけれど、特に買いたいものはなし。しょせん金で買えるアートなんてアートじゃないなんてことを思う。ここ界隈は芸術関係の専門学校が集中しており、なんとなく雰囲気が好きだ。そこのフードコートに寄ったら、日曜日にもかかわらず半分くらいの店が開いていた。ジプシー・レストランという名の店の真っ白なひげを顔中生やしたおじさんにハーイと声をかけられたので、ここで昼飯にした。カツレツのサンドイッチ。これがでかくて全部食べきるのがたいへんだった。同じくらいの時間に同じものを買ったほかのおじさんが、あっという間に食べ終えて帰っていったのに驚いた。こちらの人々は概してたくさん食べる人が多いのだろう。その人たちと同じ量を食べて太ってしまうとしたら、消化効率が優れていることになる。これは人間の身体とすればすばらしい進化形といえないだろうか。これまで35億年の自分の歴史の中で、幾度もの飢餓を乗り越えてここまできたことを考えると、感謝とその他の複雑な思いに至る。明日食うものもないところの方が多い。こんなに自由に好きなだけものを食べることができるのはありがたいことだ。だが、食の豊かな時代というのはそれほど長く続かないのではないだろうか。
 車を取った後はそのままクイーン・ストリートを西へ西へ。さすがに日曜日のダウンタウンは混んでいて車も数珠繋ぎになっていた。やっとのことで渋滞を抜け出し、オンタリオ湖畔に出てみた。そしたら目の前はすばらしい景色だった。車を停めると、もうトランクから自転車を出して漕ぎ出さずにはいられなくなった。光る湖。快晴の空。爽やかな風。そよぐ緑。一言で言って、最高の気分。人々はめいめいにこの黄金の時間を満喫していた。湖畔には自転車道が整備されており、そこを2時間かけて走った。同じように自転車に乗る人がたくさんおり、それと同じくらいの人がローラースケートをしていた。乳母車を押しながらスケートする母子や、車輪の三つついた親子用の自転車を漕ぐ父子もいた。芝生では弁当を広げる家族あり、ボールで遊ぶグループあり、一つ一つ挙げればきりがないくらいそれぞれさまざまなことをして楽しんでいた。西に走るとチョウの自生地があって、いろいろな植物が植えられていた。それに、バードウォッチングもできるようなところで、野鳥の声が終始聞こえていた。また、東はスカイドームやCNタワーの近く、ハーバーフロントセンターまで来てしまった。自分の好きなことを好きなように楽しめる、こんな日曜日の午後の風景の中に自分がいる。最高、だった。カナダってすばらしいところだ。最高だ。
 NHKスペシャルで、神奈川の学校のことが放送されていた。末期ガンになりながら最後まで学校改革に打ち込んだ校長先生。そして、その学校の先生方。ところが、番組の途中で回線の状態が悪くなったのか、音声が中断、映像もわけのわからないモザイクになってしまった。全然視聴不可能の状態が今でも続いている。腹の立つ。せっかく命を賭しての実践から学ぶチャンスだったのに、肝心なところで打ち切られてしまった感じ。テレビジャパン、こんなことが時々あるし、例の放送権の都合によりスポーツニュースは穴だらけだし、料金は高いし、なんだかなあ。スポーツといえば、女子バレーボールがオリンピック出場を決めたというのだが、関連の映像はすべて見られず、へんなテロップになる。サンデースポーツでは、マラソンの部分などはすっかりカットされて、時間短縮での放送になっている。こういうところは最悪である。

■高校の授業は(2004,5,15 samedi)
 高校の授業は就職してから初めてだった。くしくもきょうは葵祭。馬の暴走のニュースをうまいこと導入に使えた。90分をもてあますのではと心配していたがむしろ足りなかった。反省点は多々あれど、授業するのは楽しいと再確認。久しぶりの緊張感、ときめき、消耗。一人の生徒からおもしろかったと言われ疲れが吹き飛んだ。おもしろくなければ話にならない。話にならなければ感動できない。伝えるのは人間の感動。伝わったときにだけ、僕の生きている価値が発生する。
 教師だろうがほかの職業だろうが、あるいは子どもや職業をもたぬ人々にとっても、日々の営みは感動の伝えあいで成り立っていて、感動を伝えようとか感動を得ようとかいう気持ちが生きる糧になっている。
 人から感動を与えられてばかりで、人を感動させることができない。そう感じていたのだろうか。それは、授業から遠ざかっている今の仕事のためかもしれないし、それに加えて外国で日本語を駆使する危うさに少しずつ感性が侵食されているためかもしれない。
 とにかく、このところの日記は最低だった。自分で納得できないものを、人が読んで感じてくれるわけがない。生活を記録するという大きな目標は貫くにしろ、人のことは考えず自分にちゃんと向きあって書けるように、更新をちょっと止めてみるということにした。一週間になるか、一か月になるか。やってみれば、その効果があったかなかったかがおのずと見えてくるだろう。
 授業の前には避難訓練があり、午後には授業を2時間参観。放課後には救急法の学習会。会の終わりでこちらのいろいろな現状を聞き、自分の認識不足を痛感した。例えば、他人の血液には触れてはならないという常識について。
 一日で机の上に書類がどんどん重なり、そのままの状態で職場をあとに。校長と校長の知り合いの方たち4人で、絵馬亭という日本食レストランで酒を飲んだ。これまで土曜日にはダウンタウンに出たこともなかったし、学校関係者以外の人たちと個人的に飲むこともなかった。従業員もみな日本語を話す日本人、店の内装も完全に日本の居酒屋そのまま。違うのはメニューの値段が円でなくドル表示なのと、客層が若干西洋人が多いところくらいか。なんとも不思議な感覚だった。話も弾んで、楽しいひと時を過ごすことができた。日本の企業人のすばらしさを感じた。日本企業がここまでの地位を築いてこれたことを日本人
はもっと誇りにしていいのではないかと思う。それから、日本料理というのはすごいもんだなあ。これも世界に誇れる文化ではないか。

■きょうも暑かった(2004,5,14 vendredi)
 きょうも暑かった。晴れて夏らしい日となった。あと24時間で、待望の週末だ。
 末法思想なんていうもんがあったんだったな。人間は昔も今とおんなじことを考えていたんだな。どんなことが進化なんだろうか。人間はもともと戦争が大好きなんだろうか。
 少しの間、更新をお休みします。

■蒸し暑い日(2004,5,13 jeudi)
 蒸し暑い日。午前中には会議が二つ。午後は面接に会議で気がつくと夕方になっていた。いろいろと去年とは違う状況が出てきて刺激的。いちいちめげてはいられない。そんな暇があったら考えろということだ。頭を使えということだ。立場が違うとほしいものも必要なものも違ってくる。自分がほしいものが他人もほしいと思ったら大間違いだ。なんて間違ってばかりなんだ。人の気持ちになるなんて、難しいわい。そんなことをしたくなくて一人でいたのかもしれない。人の気持ちになれないやつが人に理解されようと思ってはいけない。誰に理解されなくてもこのままやっていくのだ。
 かつてホームであった場所はもぬけのから。そろそろいいでしょう。同じ形というのは停滞だ。旅人としては留まっていることは許されない。いろいろなところに行く。行ったり来たり。一生安定ということはないだろう。浮き足立った魂。いわゆる根無し草。雑草には雑草の生き方がある。踏まれ方がある。刈られ方がある。
 「イーハトーヴの楓」はどっかへ飛んで行きました。ばいなら。
 現在のところ not in service.
 不安定こそが命だったりするのだ。
 
■CBCのキャスター(2004,5,12 mercredi)
 CBCのキャスター、ピーター・マンズブリッジ氏はすばらしい人相の持ち主だ。そして声もよいし、きっと言っていることもすばらしいのだろうと思う。さらに、このマンズブリッジという名前。まるで太平洋の架け橋、新渡戸稲造ではないか。彼に出会えたことをうれしく思っている、マジで。彼の司会するThe Nationalはいろんなチャンネルでいろんな時間帯に見ることができる。サイトからも番組まるごと観ることができるぞ。毎日のニュースのほか、さまざまなドキュメンタリーを放送しており、地味で生真面目だが僕はこの報道番組の肌ざわりというか温感というかが好きである。そして、隣国だけあってNationalといいながら毎日のようにアメリカの情報が流される。アメリカのニュース垂れ流しなのではなく、あくまでもカナダ人の視点でアメリカや世界をとらえているというのが感じられる。
 きょう放送されていたのは、米軍によるイラク人捕虜虐待の特集だ。とんでもない写真がいくつも映し出された。酷すぎる。何のための統治だったのか、疑問は深まるばかりである。溝を深めているのはどっちのほうなのかは火を見るより明らか。
 ところで、民間のアメリカ人が殺害されたことについてブッシュ大統領は、残虐な犯行を正当化できる理由などないと語っていたが、本人は自分も同じだとはゆめゆめ思わいないのだろうな。もしピーター・マンズブリッジにアメリカ大統領をやってもらったら、世界のいたるところに架け橋が架かって平和になるかもしれない。というわけで、今後も彼には注目していたい。

■きのうから(2004,5,11 mardi)
 きのうからさらにサイトを変えた。なんだかどうでもいいような、もっとどうにかしたいような。とにかく、今までのホームをホームでなくした。このページがこれからホームになる。それにしても、写真もなしでサイトをきれいに見せる術を知らないから、見かけのつまらないサイトになってしまった。でも、訪問してくださる方はきっとサイトの見かけはあまり気にしない方が多いと思うので、気をつかわないことにする。
 きのうもきょうも暑くて、水分を取り過ぎた。25度を越えるととたんに何か飲みたくなる。そこで「お〜いお茶」かなんかがあれば最高なのだけれど、アジア系スーパーで売っている中国緑茶などはどれも砂糖が入っていて甘いのだ。余計にのどが渇くって。それで、ミネラルウォーターなんかを飲むのだが、ただの水がそんなにうまいわけがない。水のペットボトルを手に持ちながら歩いているのをよく見かけるけれど、僕にはそれが不思議でしかたない。
 冷えた緑茶の市場はまだ未開拓だ。かつてスターバックスがコーヒーのあり方を変えたように、今度は伊藤園が世界の緑茶市場を拡大させるべきである。名づけてイトーバックス、なんちゃて。
 実にくだらない。しかし、こうも必要以上にパソコンに向かっているのには理由がある。現実からの逃避行動にほかならない。この週末のヤマを前に、どうも本気になれないのである。その準備もそこそこに、なんだかへんなことを書いては一人けらけらと喜んでいるのだった。
 
■朝は霧で(2004,5,10 lundi)
 朝は霧で真っ白だったが、それが晴れたら暑くなった。夕方には27度まで気温が上がり、体感温度は34度にもなった。夏らしい、いい一日だった。昼前には近くの旅行社でちょっと相談してきた。その後ハイ・パークまで出かけて自転車で一周してきた。桜は、開ききった花も散ってしまった花もあったが、つぼみもまだたくさん残っていた。しかも、葉っぱがもうずいぶん出ていた。桜ってこんな咲き方だったろうか。それに、期待していたようなボリュームはなかった。これから見ごろになるのか、それとも散ってしまうのか、どうも判別できなかった。去年は開花さえしなかったというこの桜、とりあえず今年は開いていたことを視認できた。
 坂を上がったり下ったりしながら小一時間。リスの子ッコがいたるところちょろちょろ走り回っていた。全長20センチほどで、背中にはウリのような縞模様が入っていた。まだ人を恐れることを知らないらしく、黙ってみていると少しずつ近寄ってきた。去年は気がつかなかったことだ。ホットドッグの屋台があったので、そこで昼食にした。2ドル75セント、それにコークが1ドル25セントで、合計4ドル。街中の屋台はホットドッグ2ドルにポップ(炭酸飲料)が1ドルが相場なので、ちょっと高めだ。屋台のおじさんとほかの客が何か話をしていた。聞き取れたのは、「ここにはラクーン(アライグマ)はいないよ、リスばかりさ」という話だけだった。恥ずかしながら、屋台でホットドッグを買ったのはこれが初めてだった。付け合わせをたっぷりのせて頬張ったら、けっこうな量でなかなかうまい。なるほど、昼飯としてだったら十分かもしれない。池のほとりに腰かけて食べていたら、保育園の子どもたちがわいわいやってきて目の前を通るので少し困った。
 家に戻ったのは3時頃だった。その頃は空が暗くなって今にも雷雨がきそうだったのだが、いつの間にか持ち直し見事に晴れ上がった。しばらくは部屋にいたが、外の陽気に誘われるようにまた車を出した。午後6時はまだ真昼である。太陽がまだあんな高くにある。トロントの北、ユニオンビルというところに行ってみた。ここも小ぢんまりとした町並みで、アンティーク屋やレストラン、土産物屋が軒を連ねている。きれいな夢のような町だ。夏の日差しに照らされて、レンガ色、空の色、楓の若芽の色、色とりどりの花の色、すべてがくっきりと映っていた。
 帰りには二つ初めてのモールに立ち寄る。一つはチャイニーズ、そこで夕食。もう一つは国籍不明、西洋か東洋かも不明、いろいろと混ざっている雰囲気のモールだった。東アジアかアフリカか南米かインド亜大陸かよくわからない。「コスモポリタン」ということばは、どうも語感からナポリタンでイタリアンを思い出してしまうのだが、その意味はまさに、「こんな感じ」なのではあるまいか。トロントという街自体つまり、そういうところなのである。酒に酔うと頭が痛くなるが、このコスモポリスにいる感じに酔うのはたいへん気分がよい。
 この間のプリンスのインタビューをOCNの自動翻訳にかけたらこんなふうになってしまった。読んでいると頭がおかしくなるけど、要するに彼が言うのだから間違いない。さらに、彼が住むのだから間違いない。なんということ!すべてに感謝である。
 気まぐれで表紙を変えてみた。単純化というよりはナンセンスといったほうがいいかもしれないけれど、こういうのもあり、だろうと思って変えてみた。わかりにくなったとは思いますが、ご容赦を。

■午前九時(2004,5,9 dimanche)
 午前九時。頭と目の奥のところが痛い。昨夜はビールを飲みすぎた。いや、飲みすぎたわけではないのだが少量でもダメになってきたということだ。やっぱりビールを楽しみに仕事をすることはできないな…。この時間でも酔いが残っているのはきっと飲み始めた時間が遅かったからだろう。というのは昨日は仕事を終えてからオペラを観に行ったのだ。ロイヤル・オペラ・カナダ、ヴェルディのアイーダ。ストーリーは前にミュージカルを観ていてわかったし、聞き覚えのある曲もいくつかあったので楽しめた。ほんもののトラやラクダやゾウが出てきて観客を沸かせていた。イタリア語のオペラだけあってイタリア系の人々が多かったようだ。宮廷の踊り子の踊りがかわいらしくてよかったのだが、はたしてエジプトでほんとうにあんな衣装を着てあんな踊りが踊られていたのかは疑問だと思った。チューランドットのときも思ったが、ヨーロッパの偏見というか思い込みが歴史を歪めているということがあるかもしれない。すばらしい芸術だとは思うけれど、そのすばらしさはストーリーや演出ではなく、あくまでも生のオーケストラと生の歌手の歌声の融合という点がいちばんではないかと思った。まあこれも自分の勝手な考えだけど。オペラもミュージカルも、ここへ来なければ出会うことはなかったかもしれない。ほんとうに感謝である。
 窓の外。今朝もまた真っ白。このところ休日のたびにずっとこんな調子で残念だ。テレビ中継のオタワの朝はさわやかな快晴でうらやましい。木々の芽が吹き出して、楓の黄緑も美しい季節なのだが、この眠たげな曇り空では外に出る気も失せてしまう。ハイ・パークのソメイヨシノもそろそろ開いたかもしれないから、行ってみたいとは思っているのだが。
 しがない個人サイトである。とはいえこのおかげで自分自身の夢の形が定まって、それに向かって動くことができているのだから、この価値というのは自分にとっては絶大だ。これがもし、ただの日記帳に書かれたものだとしたらどうだったんだろう。自分しか読む人がいないなんてもったいない…、なんてのは思い上がりかもしれないが、少なくともスリリングではない。
 いつも誰かの目に触れられるという自覚。そして、たまに寄せられる感想なり意見なりが夢への後押しとなっている。次の夢、次の夢とどんどん胸の中に膨らんでくるのは、サイトを開いてからのここ何年のことだ。目に見えるものへのこだわりが薄れ、目に見えないものへの思いがどんどん強まってきた。目に見えるすべてのものごとは窓であり扉であり、大事なのはその窓の外、扉の中にあるもののほうだろう。

■ジャージに着替えて(2004,5,8 samedi)
 ジャージに着替えて張り切っていたのに直前で雨。ここでは圧倒的に足りない全体指導の場にしたかったのだが。

■金曜日にもかかわらず(2004,5,7 vendredi)
 金曜日にもかかわらずチャイナタウンを散歩した。人々の表情や街の様子を見ながら歩いたら楽しかった。散歩しながらあれこれと考えた。

■休み時間に(2004,5,6 jeudi)
 休み時間に校庭で遊ぶ子どもたちの声を聞いていると、日本もカナダもまったく変わりないと感じる。それで、窓の外を眺めてみると、ボールで遊んだり、追いかけっこをしたり、これもまたどこだかわからない。国籍や人種や言語なんて関係なく、子どもとは子どもらしいものなのだ。きっと、この中に日本の子どもたちをぽーんと放り込んだら、たちまち仲良くなって同じことをして遊ぶだろう。
 子どもが子どもらしくあることができないとしたら、それは悲しいことだ。栄養失調の子ども、銃を抱えた子ども、誘拐された子ども、労働する子ども、捨てられる子ども、虐待される子ども…。子どもらしくしていられない子どものほうがたくさんいるのかもしれない。子どもが子どもらしくあるように、できることをしたい。どこの国のどんな立場の大人たちにとってもそれが第一の願いであればいい。
 「ホームシックになろう」というコピーのANAのコマーシャルが放送されている。東京の夜景と音楽が魅力的だ。ホームシックの自覚はないのだが、そういう感情があってもおかしくはない。振り返ってみるとここ数日、無意識に何かそんなことを感じているのかもしれなかった。仕事帰り、郊外の大統華超級市場(T&T supermarket)まで行って買い物してきた。ここはアジア系のスーパーで、日本、韓国、中国、ベトナムあたりの食材を置いている店として、トロント周辺で最大級の広さを誇っている。日本食へのこだわりはないのであまり来ることもないのだが、きょうはお惣菜コーナーで、「日式鰻魚飯」つまり「うな重」を買った。4ドル99セント、約400円。帰ってきて食べたら日本で食べるのとすっかり同じ味がした。懐かしいというほど離れていた気もしないのだが、腹も落ち着いて気持ちも落ち着いた。こういうことが必要なときもあるのだと思った。

■言葉が(2004,5,5 mercredi)
 言葉がつながっていなかったり、矛盾があったりする。何もそれは今に始まったことではないのだけれど、ちょっと気になる。言葉以外のことと、言葉のこととを一度にやろうとすると無理がかかる。バランスよくできればいいのだが、あまりのめりこむと会話が成り立たなくなるから要注意だ。

■天気や(2004,5,4 mardi)
 天気や食べ物のことばかり書いている。あとは普通。きのうからほとんどアクセスがないような気がする。て、5日は日本は大型連休の最終日か。多くの人にとってはゆっくりしたい一日だろう。それにしても、休みというのはいくらあっても足りないと思う。なんてことを、多くの人が感じているに違いない。休みをうまく使う方法を開発しよう。

■きょうも曇っていて(2004,5,3 lundi)
 きょうも曇っていて外に出る気にもならず、朝飯を食べてからキーボードに向かいこのようなものをつくる。やっぱりどこかで聞いたことがあるメロディなのだが、その点あまり気にしないように願います。トロントのさわやかな五月の風のイメージが伝わるといいのだけれど。
 3時を過ぎて昼飯に出る。最近行きつけのチャイニーズ・モール、メトロ・スクエアのフード・コートの中にある肥仔記(Noodle Express)という店で炒貴?(Malaysian Style Fried Rice Noodle)というのを食べる。カレー味のきし麺を炒めたような感じでなかなかうまかった。ところが、食後4〜50分を過ぎて胃の辺りが痛み出した。カリブのカレーのときといっしょだ。マレーシアもだめか!おそらくカレー粉の中に身体に合わない成分が含まれていたのだな。周期的に痛みが強くなったり弱くなったりを繰り返す。こうなるともうどうしようもない。帰宅後ベッドに倒れ込むと、そのまま眠ってしまった。目覚めると10時半。こうやって僕の週末は終わったのである。

■窓の外は(2004,5,2 dimanche)
 窓の外は朝から雨に煙って、一日暗かった。コーヒーを飲み飲み、このあいだのチェーンロックをいじっていた。9999から一つずつ戻していった。とほうもない作業にいいかげんバカくさくなってきて、買ったほうがいいかななんて思っているうちに、そうだ誕生日だとひらめき、ダイヤルを合わせると目の前の海が割れて道ができた。うそ。チェーンロックが開いた。ひらめくのが遅すぎ。我ながらそうとうなものだ。
 
■カナダの空に(2004,5,1 samedi)
 カナダの空に鯉のぼりが舞った。子どもたちは大喜びだった。何のことはないのだが、これもすごく重要なことである。午後からサンダーストームの予報だったのが、夜まで降らずにもってくれた。一日だけとはもったいないけれどしかたない。
 スクールバスの運転手は8割方女性である。その中の一人の方の旦那さんがときどきやってきて、発車前の時間に少し話をすることがある。発音が明瞭だし、季節や地域の話題がほとんどなので、わりと話しやすくて好きである。きょうは一対一で会話を練習することができてよかった。楽しかったと言って握手してくれたのでうれしかった。
 帰ってきてからビールを飲んだ。フランス語の放送局ラディオ・カナダのミッション・トゥー・マーズ。見ながらぐびぐび飲みすぎた。そのあとがーっと寝て起きたら12時過ぎ。いま少し頭が痛い。ちょっと後悔。YTVではティーン・タイタンズというアニメが始まった。主題歌がなんと日本語だ。これはもしかしてパフィ?と思ったら、そのようだ。詳しいサイトがあったのでリンクする。それにしてもこのアニメ、人物の顔が気持ち悪くて、なんだかあまりおもしろくない。もう一つのアニメ局テレトゥーンをつけると古いトムとジェリーだった。その次が古いスパイダーマン。主題歌がカッチョいい。なんて、真夜中のテレビもいいけどもう一眠りしよう。