2004年3月    

■消費税の(2004,3,31 mercredi)
 消費税の総額表示だそうである。どこがわかりやすいかよくわからない。むしろよくわからなくなりそうな気がする。これは要するに国民を煙に巻く方策ではないのか。いずれ消費税をどんどん上げていこうというのが見え見えだ。ほんとに必要だったら、議論をして国民を説得すべきではないのだろうか。民主主義ってどういうことなんだ。日本はほんとうに民主国家なのだろうか。日本をほんとに愛しているけれど、いったい日本の何を愛しているのだろう。いい国だとは思うけれど、どういうところをいいと思っているのだろう。日本はほんとうに住みやすい国だろうか。日本のどういうところが住みやすいのだろうか。いろいろと素朴な疑問がわいてくる。
 きょうで3月が終わり。この一年でいろいろなことがわかるかと思っていたが、反対にわからないことばかり増えたような感じだ。日本との距離感も変わってきた。例えば、街でみんなが携帯メールをやっている映像なんかを見ると、なんという世界なんだと思ってしまう。日本人てそんなに他者に寄りかかって生きる国民だったのだろうか。寂しいとか他者とつながっていたいとかそういう感情はよくわかるけれど、携帯の中毒みたいになっている人を見るとたいへん気の毒だ。孤独を引き受けることのできない大人なんて何もできないと思ってしまう。
 でもこういうことを考えることができるのは、日本の(日本語の)情報を受け取れるからだ。日本語のメディアがあって、自分が日本語を理解できるからだ。逆にカナダの情報は周囲に溢れてはいるけれど、英語の情報ばかりだし、それを理解できぬままに過ぎていってしまうから、細かいことを考えることができない。目の前に問題があっても、それを意識に上せることができないのである。いまだに見た目の印象でしかものを判断できないことに自分自身いらだちを覚えることも多い。一年たってそういう状態だというのは恥ずかしいことかもしれないが、それが現実なのでしかたない。
 仕事の面では、たった10日前のことがはるか昔のことのように思える。それだけ激しく変化する年度末を過ごした。いろいろな価値観が交錯する。前任者と後任の者とのみえない闘いを目の当たりにする。その間で葛藤する自分。今まで見えなかった視点でものを見る。いいと思っていたことがそうでなく見えたり、信じてきたものが揺らいだり、そしてその反対も。つまり、なんだかよくわからない。状況によってこうも見え方が異なると、さていったい何を信じたらいいのか、ちょっとわからなくなる。自分はいったいなにをどう考えていてどうしたいのか。そういう足元を見つめ直すことなしには次に進めないという感覚だ。

■新しい週が(2004,3,30 mardi)
 新しい週が始まった。冬の間ビルの陰に隠れて見られなかった日の出が、再び見られるようになってきた。だが、きょう太陽が見られたのは日の出の数分だけで、その後は見る見る曇った。そして、日中は春の雨がしとしとと降り続いた。ヤンキースの中継を見ていて、9回の途中までで部屋を出た。遅いわけではなかったが、今朝は渋滞に巻き込まれ、非常に時間がかかり、職場に着いたのが9時だった。
 送り迎えをするので仕方がないとはいえ、年度始めのこの時期に朝と帰りの時間が使えないのはつらい。思えば頭を使う仕事の大部分はいつも始業前に片がついているのだった。朝の時間の大切さを痛感している。
 着いて1時間も仕事をしないうちに、関係の役員の方の会社に挨拶にでかけた。そして、会食をはさんで職場に戻ったのが2時。それから文書をいくつか作り上げたらもう終わり。朝からどうも頭が痛くて、言葉が思うように出ず、しかも呂律が回らぬ日だった。脳血栓でも起こっているのではないかと疑ってしまう。
 帰りは帰りで401号の高速道路は大渋滞。傍らに追突事故でつぶれた車と救急車が止まっているのを見て原因がわかる。そこを過ぎるととたんに流れがスムースになり、明るいうちにボスを家に送り届けることができた。
 元気な日はその足でモールに立ち寄ったりもするのだが、きょうはとにかく早く帰って風呂に入ってから涼しい格好になって椅子に座りしばらくボーっとした。ニュースの言葉も頭に入らない。きょうはトロントの地下鉄ができて50周年の誕生日で、あちこちで記念のイベントが行われたのだそうだ。50年前の当時は南北の直線のみだったが、その後、市内をU字に走る線と、それに交わるように東西に伸びるまっすぐな線ができ、最近では北の短い区間が加わった。地下鉄と、それを結んで縦横に走るストリートカーとバス。とても合理的な街づくりに思える。これに比べると東京の地下鉄というのは複雑怪奇な入り混じりようで、外国人だけでなく日本人にとっても使いやすいとは言いにくいと思う。あの路線図を思い出すと、僕は吹き出しそうな気持ちになることがある。良くも悪くも日本的とはいえないだろうか。

■すごく眠くなってきた(2004,3,29 lundi)
 すごく眠くなってきた。さっきまで、今夜はこれをしようあれをしようと考えていたのだが、もうだめだ。あれだ、春眠だ。参る。
 音楽ができたので、アップした。よかったら聴いてください。タイトルは春霞(Spring Haze)ということにした。
 回転扉のニュースは痛ましいが、安全対策は結局は教育の問題につながるんではないかと思う。つまり、回転扉がたくさんある社会と、そうでもない社会では教育の仕方が違うのではないかということを考えたのである。詳しくは、眠いので書かない。
 これは外からの勝手な意見であるが、もうひとつ勝手な意見を書くと、大リーグの開幕戦が日本で行われるというのは、どうも変ではないかと思ってしまうのである。

■言葉を(2004,3,28 dimanche)
 言葉をあまり使わない一日。そのぶん音楽を聴いていた。パリーグはもう開幕しているのか。ヤンキースは日本に行っているのか。また春がきた。
 独眼竜政宗はきょうで終わった。最終回もなかなかよかった。よくある総集編みたいな終わり方でなかったのがよい。ただ、一年間に渡って放送されてきた最後が、発掘された伊達政宗のホネの映像だったのには首をかしげた。
 夕方にはボスの家族を迎えに空港へ行った。ここに着くまでにいろいろとたいへんだったようで、なかなか出て来なかった。でも、無事着くことができて何よりだった。帰りには、サンドイッチを買って帰った。なんとなく音楽をつくる気分になってきた。明日には公開できるかもしれない…。

■凄まじい(2004,3,27 samedi)
 凄まじい一日を乗り切る。これからが始まり。失礼な言い方だけど、なんかすっかり担任やってるような気分。長丁場だから、気持ちにメリハリをつけてやっていこう。休みはゆっくり休むぞ。

■夢の中で(2004,3,26 vendredi)
 夢の中で中島みゆきの「かもめはかもめ」を熱唱していた。なぜだ。しかも歌詞を全部覚えていた。目覚めたときはまだ12時頃かなと思って時計を見たらすでに4時45分だった。起きる時刻だ。だいたい目覚めて一分以内に目覚ましのラジオが鳴る。今週は激しい日々が続いて、頭の中が飽和状態だった。それで変な夢になったのだろうか。明日は新年度のスタッフが勢ぞろいして、とにかく一日中準備作業や話し合いが行われることになっている。準備のための準備。だが、何とか明日を迎えられる目途が立った。
 先週一週間は二人のボスとともに過ごし、今週は新しいボスとともに過ごしている。価値観の違いがすごく新鮮だ。先週と今週ではものの見え方が違う。どんな人とだって出会うというのはそれだけですばらしいことなのだ。次の一年もまたたくさんのことを学べそうだと確信する。

■どんどんと(2004,3,25 jeudi)
 どんどんと通り過ぎていく。書き留める間もなく時に埋もれていく。充実感は簡単には得られない。一日ではとてもまとまった仕事は終わらない。

■なんか目いっぱい(2004,3,24 mercredi)
 なんか目いっぱい。疲れた。でもきょうも貴重な一日だった。この日のことは残しておきたい。

■残念なニュース(2004,3,23 mardi)
 残念なニュースが届く。どうにかならなかったのかと悔しい思いになる。こんなとき何も味方になることはできないと感じてしまう。

■快晴(2004,3,22 lundi)
 3時過ぎには起床した。空港で見送りをした後も皆であれこれと立ち話しながら、7時過ぎまで空港にいた。この1年世話になった上司は帰国の途についた。こういう変化の局面というのは、たった1日とはいえ何日分にも値する。
 気持ちのいい快晴で、気温はぐっと下がった。朝8時の時点では、体感温度マイナス18度だった。スーパーで食料品の買出しをして、マクドナルドでBLTベーグルサンドの朝食。ガソリンスタンドに寄って、洗車をする。家に帰ってから眠気に負けて昼寝。午後3時になって外へ。ベトナムの麺を食べてから、いろいろと買い物。たくさんの人たちと言葉を交わしたが、英語で話したのはすべてお店の人たちだ。
 車の中で、食事について考えた。同じ食べ物を食べた人どうしは、同じ栄養素とか、同じエネルギー量とかが身体の中に摂取されるわけだ。このことを、極端に考えると、同じ物を食べている人たちはいずれ同じになると言えなくもない(ほんとにか?)。なんてことをぼーっと考えていた。皆が同じ物を食べるという状況には、意外と大きな意味があるかもしれない。大昔、一匹の獲物を皆で分け合って食べていた頃は、それがなければ一家は飢えてしまっただろう。きょうの食べ物を得ることが生活のすべてだった時代。あるいは、伝統的な食べ物や行事のときに食べる食べ物も共同体には欠かせない。皆で集まって、わいわい騒ぎながら楽しくありがたくいただくのだ。宗教的に禁忌の食べ物があるのも頷ける。食べ物のつながりを保つということは、家族とか地域とか職場とか、いろんな共同体を守る基礎の部分なのだろう。
 そうはいっても、ひとりで食事をすることにはすっかり慣れた。個食とか孤食とかいうけれど僕にとってはそれが当たり前だ。むしろ、食事時に目の前に人がいるとどうも落ち着かない。人と会話しながら食べるのがいいと頭ではわかるのだが、それが厭だと感じる気持ちも正直いうとある。ものを食べるのも口なら話をするのも口だから、いっしょにはできないよと。こういう人間は共同体をつくるには向かないのかもしれない。

■BET(2004,3,21dimanche)
 その後書きたいことを書こうと思っていたのだが、知らない間に眠っていた。一晩たつと、腹が立ったことも、落ち込んだこともだいぶ薄まって、これから何かをどうにかする以外に道はないのだということがわかる。朝は普通に起きたが、昼ごろから眠たくなって、3時間ほど昼寝した。窓の外は春の光に溢れていて、出かけてみようと思いながらもう9時を回ってしまった。明日は4時起きで空港に見送りに行くので、そろそろ寝るつもりだ。
 きのうのニュースでもっとも衝撃を受けたのは、いかりや長介さんの死だ。全員集合は毎週欠かさず見ていて、あの数々のギャグは身体に染み込んでいるといってもいい。そして、そのドリフターズのリーダーへの親近感というのはかなり大きかったのだろう。本当に悲しい。
 きょうはアメリカのBlack Entertainment Television(BET)という局の放送を見ていた。午前中はゴスペルの番組だった。ゴスペルを歌う人々の姿を見ていると、血が騒ぐような感じがしてくるのはなぜだろう。午後には、アフリカの栄養失調の子どもたちの様子が延々と映し出され、寄付を募る番組だった。そして、今は大会場での牧師の歌まじりの熱い説教というかパフォーマンスが繰り広げられている。気がついたけれど、この局では番組の中に出るのが黒人なら、コマーシャルに出てくる人もほとんどが黒人だ。黒人のためのチャンネルだから当然といえば当然だけど、不思議な感じもする。そういえば、黒人の歴史を考えようというポスターを校舎でも見かけた。歴史を学ぶ必要を感じる。きれいごとではすまされない現実は、なんのために目の前にあるのだろうか。

■卒業式(2004,3,20 samedi)
 卒業式は無事終わり、今年度最後の日は終わった。あすからまた、新しい一年が始まる。いろいろと書きたいことはあるけれど。

■卒業式前夜(2004,3,19 vendredi)
 とにかくどんどん片付けていく。そうしてやっと明日の卒業式を迎える。日本の学校ではもうすでに卒業式が終わっているのか。ということにある方のメールで気づかされた。電報も何もすっかり忘れていたのは、たいへんな失態だった。と思って落ち込んでいる暇はなかった。何も考えずに、やるべきことをやる。ぜんぜん感情を入れる余地がない。そのぶん気楽だが、しばらくすると意味不明の頭痛が起きる。そういうのも明日で一段落するだろうか。
 夜になって、われに返って、やっぱり失敗だったとかなりがっくりして、メールの返信をしようと思いながらベッドに倒れこみ、気がついたら一時半だった。CBCでは保守党の選挙についてのニュースが放送されている。明日が投票日なんだそうだ。ヒラリーに似た女性の立候補者が演説していた。続いて、イラク戦争から一周年ということで、ニューヨークとワシントンとトロントを結んでの討論。そもそもなんでこの戦争をしなければならなかったのだろう。テロの連鎖を生むことにしかならなかったのではないか。日本でもいつどこでテロが起きてもおかしくない状況だと思う。もちろんここカナダでも同じだ。セキュリティにだってかなり気をつかわなくてはいけない現状。そんな中、僕らができるのは「あいさつ運動」だったりするのだ。

■自分(2004,3,18 jeudi)
 ばたばたとしていた。午前は市内に出張。午後は帰ってきて採用の面接をし、相談を一件。夜はある食事会に招待される。今まで見たこともないようなきれいな世界だった。僕は正直な話、気持ちが混乱していた。日本人としてなのか、東北人としてなのか、地球人としてなのか、アジア人としてなのか、岩手人としてなのか、縄文人としてなのか…。心に謎のブレーキがかかる。自分らしくあるとはどういうことなのだろう。

■St Patrick's Day(2004,3,17 mercredi)
 きょうはホテルに寄ってボスをピックアップしてから出勤だったので、朝はいつもよりも2時間くらいゆっくりできた。でも、着いてからはほとんど時間がなく、やろうと思っていたことは何もできなかった。昼は新旧ボスと3人でKFCで食べたのだが、なんだかあんまりうまくなかった。このせいかはわからないが、そのあと夜までちょっと気持ちが悪かった。5時過ぎから自分の担当の部分について説明をした。
 その後は直接英語に行った。あと1回で終わり。目の覚めるような緑色のセーターを着たメラニー先生が、おもちゃのバースデーケーキを用意してくれていた。電気を消してろうそくを吹き消した。歌を歌ってもらって、寄せ書きまでもらった。こんなふうに祝福されたことがかつてあったろうか。うれしかったが照れた。何も気の利いたことを返せないのがもどかしかった。「あなたの国では年齢をきくのは失礼か」という質問があった。「男性の場合は問題ない」と答えると、「じゃ何歳?」と聞かれた。きょうで37になった。皆は、そうは見えないという反応だった。だいたい30くらいにしか見えないそうである。でも、37か。自分の年齢を再認識してちょっと複雑な思いになった。
 帰りにMR.SUBでツナのサンドイッチを買った。店の人が何か聞いてきたので、"Everything's OK!"と言ったが、どうもとんちんかんな反応をしてしまったようで、すぐに会話が途絶えた。その隣にあったLCBOでビールを買った。カナダに来て2度目。店のおやじはこちらが"Thank you!"と言っても「ふん」てな感じの態度で、たいへん不快だった。ありがとうを言うべきはどちらのほうか。どちらも言うのがいちばんいいと思うのだけど。

■第2ステージ(2004,3,16 mardi)
 集録のCDを完成させ、複製にいそしんだ。そして、先週の文化祭に関するホームページを作ってアップした。という具合にきょうもパソコン仕事が大部分を占めた。
 5時過ぎ、ピアソン空港まで迎えに行った。そのままホテルまで送り、帰ってきた。夕方から雪が降り出して、日が沈んでからは嵐になった。車を運転していて、視界が悪くて怖かった。今の気温がマイナス6度で、体感温度はマイナス13度。きのうとは打って変わって、である。完全に真冬に戻ったみたいだ。帰宅後、近くの文房具屋、スーパーに行って買い物。ウェンディーズのハンバーガーの遅い夕食。
 なんとなく、気が引き締まったような感じ。第2ステージに突入という言葉が思い浮かぶ。変化を楽しもうと思う。

■春の日(2004,3,15 lundi)
 平日と同じ時間に学校へ。マーチブレイクの間も1階の保育所は休みではないので、校舎に入ることができる。そこで、またパソコンの仕事。早く終わらせてゆっくりしようと思ったのだが、そうはさせてくれなかった。プリンタが動かなくなったり、メールの対応に追われたりして、目的のことにとりかかったときにはすでに10時近くになっていた。でもどうにか12時半には終えて、そのまま車で市内をぐるっと走ってきた。やっと、車で出かけてみようかと思える気候になってきた。天窓を開けて走ると気持ちいい。といっても、気温はプラスになったかどうかという程度。空も曇っていたが、それでも高速を走るとすごく気分がよかった。やっぱり春なんだ。
 去年のように、見るものすべてが珍しくていちいち興奮するようなことはなくなった。街並みも見慣れてきて、きわめて普通に通り過ぎている自分に気づく。気持ちの高ぶっていた期間は、けっこう長く続いていたようだ。あまり読み返そうとは思わないけれど、春夏の日記を見れば、おそらくは熱に浮かされたような記述を目にすることができるだろう。それもひとつの経過。しかし、この土地に慣れて、興奮も冷めて、それで飽きたとか、つまらなくなったとか思ってしまってはしかたない。今までとは違う面白さを発見できる段階に入ったと考えよう。同じようにやっていたんでは、2年目をやる意味はない。どんどん変わっていく。元の姿がわからなくなるくらい変貌する。極端な話、そのせいで祖国で生きられなくなってもかまわない。
 1年はなんとかやってきた。だからといって、この先がなんとかなるという保証は何一つない。いまこの時間、この場所で、自分がどう判断していくかにかかっている。
 ニュースを見ていると、言葉が聞き取れないにも関わらず、意味がわかるような感覚になる。それは映像のおかげだろう。目に飛び込んでくる情報量のほうが、耳からの情報よりも何十倍も大きいと感じる。わかるわかるなんて思っても、やはり気のせいに過ぎないと考えたほうがよさそうだ。
 Caillouというアニメがある。おそらく4歳〜5歳児向けの番組だと思うが、僕の英語の能力からするとここらへんがちょうどいいみたいだ。話も短くて、だいたい5分くらいで完結するので、レッスンのつもりで見ていると面白い。テキストさえ用意すれば、中学生の聞き取りにも使えるのではないだろうか。こういう子ども番組には、まじめに作られているものが多い。子どもは社会の宝だという認識を強く感じる。
 のどかな午後だった。明日からは、こういうゆったりした時間は過ごせなくなる。今週一週間は新ボスと旧ボスの引継ぎの期間なので、二人のボスに仕えるということになる。おそらく朝から晩まで気を遣う週になるだろう。僕のマーチブレイクは一日で終わり。
 そこで、ご苦労さんという意味ではないけれど、夜にはエルビス・コステロのライブに行ってきた。最初の予定では2月だったのだが、なぜかこの日に延期になったのだ。もし延期にならなかったら、ボスの送別会と重なって、行けなくなるところだった。そうして、新しいボスの来加の予定もはじめはきょうの夜だったのだが、明日に変わった。この辺り、実にラッキーな展開だった。
 ギターの彼と、ピアノの人の二人だけで、何十曲だかわからないくらいたくさん演奏した。席はちょうどステージの真横で、エルビスの左斜め上から、ステージと客席の両方を眺めることができた。8時を15分くらい回っての開始、そしてすべて終わったのが11時5分前。アコースティックとはいえ、じゅうぶんな迫力だった。そして、言葉はわからなかったがじゅうぶんにスピリットは感じることができた。すんげーかっこよかったぜ。

■パソコン(2004,3,14 dimanche)
 午前中はパソコンで遊び、午後からはパソコンで仕事。2時間で終わるかと思ったら、12時間かかった。さすがにイライラする。気がついたら晩飯も食っていなかった。研究収録をCDにするというのでいろいろとやっていたら、こんなにかかってしまった。9割は終了。しかし、残りは必要なソフトがこっちのパソコンに入っていなかったので作業を進めることができなかった。残念。やっぱり職場のパソコンを持ってくるんだった。
 ところで、文集やら何やら、本を作る手間とお金を考えたら、CDなりDVDなりにしたほうがずっと楽だし、安上がりだ。これからはどんどんこういうのになっていくんだろう。でも、こんなに薄っぺらなディスク1枚じゃ、ありがたみも達成感もあまり感じないかもしれない。

■お休みなさい(2004,3,13 samedi)
 きょうもいろいろあった。いろいろと書きたいが、そうもいかない。その最大の理由は、この眠気である。とにかく、眠ることにする。
 で、がーっと寝て起きたらすっきりした。あれこれあった一日なのに、「眠いから寝る」で日記を終えてはもったいない。そう、眠っている間に考えていたらしい。いろいろなことを感じた。それを表現するには言葉よりほかの方法がふさわしいのかもしれないけれど。
 組織の歯車としてやってきた。だんだん歯車らしくなってきた。それはいいとは思うけど、そんなことなんぼのもんよという気持ちもまた膨らんできた。ほんとうに大事なのは命やたましいの歯車であって、組織の歯車ではない。一人一人の人生と向き合うくらいの懐の深さがなければ、上に立つ者はつとまらないと思うのに、この日のボスとの話ではそこがぜんぜん噛み合わなかった。教育に携わる者の一人として、組織の歯車として通用する人間を育てたいとは思うが、それで満足するような人間に育てようという気持ちはさらさらない。
 視野が狭くなるようなら、いつだって飛び出してやる。そう強く思い続けよう。去る一か月前になって初めてこの街の息吹に気がついたなんて、正直僕には可笑しくてしかたない。目の前の人がお仕事上の歯車しかもっていないように感じられて寂しかった。
 
■マーチブレイク(2004,3,12 vendredi)
 朝から雪が降り出し、学校に着く頃には辺りが真っ白になっていた。校舎の入り口のドアに大きなひびが入っていて、ケアテイカーのティムさんがビニールテープをはって応急処置をしていた。「子どもがやったの」と聞くと、「わからない」と言う。「銃弾の跡だろう」とまじめな顔で言うから、「ほんとに?」と聞いたら、「たぶん違う」と笑顔になって答えた。先週から今週にかけて、トロント市内では銃撃事件が相次いでいるそうだ。ギャングと何の関わりもない一般市民が路上や車の中などで銃殺され、これまでに3名が犠牲になっている。犯人は逃走中だという。
 きょうはやたら子どもたちの騒ぐ声が大きかった。それは明日からマーチブレイクに入るからだ。来週一週間、全国的に学校はお休みになる。明日の土曜日から数えて9連休。気持ちも浮かれるはずだ。ちなみに1学期は9月初めのレイバーデイの翌日から、クリスマスまで。2学期はクリスマス休暇後から3月のマーチブレイク前まで。そして、3学期はマーチブレイク明けから6月終わりまでとなる。夏休みが長いためにひとつの学期が短い。向かいの教室の先生ミスターKは、奥さんの実家のあるコスタリカに遊びに行くんだと、弾んだ声で話していた。
 マーチブレイクとは無縁の私共は蚊帳の外といった感じで、明日は明日でまた重要な局面を迎えるのである。宿題を背負ってきたのはいいが、もう午後十時を回ってしまった。いくらかでも進められばいいのだが。

■週の真ん中木曜日(2004,3,11 jeudi)
 火曜から週が始まるので、木曜はちょうど週の真ん中である。今週は火曜、水曜、木曜と会議が続いて、おまけに、期末なので書類の点検作業があり、その間を縫って土曜日に発行する通信の原稿を進める。一週間はほんとうに早くて、気持ちは焦り気味だった。だが、なんとかめどを立てることができた。書類350人分に目を通すのはなかなかしんどい。明日の午前にははんこつきまで終えなければならない。
 帰りの地下鉄が混雑していたので、一本待って乗ろうと思ったらそれもまた混んでいた。その調子で三本もやり過ごしたのは初めてだ。座って帰りたかった。だが、四本目やっと乗り込んだ車内にも席はなく、結局立って帰った。読み続けていた司馬遼太郎の「アメリカ素描」も明日には読み終わろう。隣駅で降りて、いつものフードコートで夕食をと思ったが、ここも混んでおり、どの店も人が並んで待ったりしていたのでやめた。
 家の近くのピザ屋で、ピザ一切れとコーラを買って、窓際のスツールに座り、外を見ながら食べた。ほかの客は一人もいない。街中にはピザ屋が乱立している。だが、それほど利用はしない。ピザ屋の窓際にはたいていカウンターがある。そこでおじさんたちがピザを食べているのを外から眺めては、どうもわびしいと感じていたのだが、待ち時間も少ないし、熱いうちに食べるとなかなかうまい。ピザ屋も悪くないと思った。

■キムチチゲ(2004,3,10 mercredi)
 いつもチャイナタウンにばかり行くのでたまには別なところと思ってコリアンタウンに行って飯を食った。ふらっと入った料理店。キムチチゲの定食。店のお姉さんが最初にお好み焼きみたいなのだけ持ってきたので、これは何かとたずねると、英語で「日本人ですか」という。そして、「チヂミみたいなものです」と答えてくれた。香ばしくて、とても懐かしい味がした。このチヂミと、鍋と、ごはんのほかに、おかずが5皿もついてきて、ものすごい量だった。白菜一個分食べたと思えるくらい。コリアンの店では失敗することはないとよく聞くが、ほんとにそのようだ。うまいし、量が多いし、安い。食べている途中で3回くらい、お姉さんが満面の笑みで「どうですか」と訊いてきたので、ベリーグッドを連発した。辛くて辛くて顔中汗だくだったのでちょっと恥ずかしかったけれど、ほんとに満足だった。おかげで元気が出たようだ。
 
■黒いうねり(2004,3,9 mardi)
 所詮一日でできるレポートなんてたいしたものではないのに、そんなことにひいひいいっていてどうするのか。出勤してから後書きを書き上げて提出。その後は今週分の原稿書きが途中まで。昼からは車で場所を移動し、学年末の面接と予算打ち合わせ。面接では、この一年間の自分の仕事についてあれこれ評価をいただいた。いいこともあればよくないこともあり。いくらほめられたとしても、ひとつよくないことがあったらもう、うれしくもなんともない。悔しさばかりがこみ上げてくる。そんなふうに考えることはないとわかってはいても、そうなる。これでは満足など永遠にできそうもない。自信など死ぬまでもてそうにない。結局は6時近くまでかかり、その場で解散。途中で食事して帰宅した。
 午後10時からは翌日のNHK昼のニュースの同時放送を見る。最近ちょっと気になっていたので、15分の時間配分を計ってみた。きょうのトップニュースから順に、「児童殺傷事件の元少年仮退院」9分。「佐藤前議員 容疑大筋で認める」1分55秒。「ゴミ置き場に手榴弾」1分20秒。「遺伝子スパイ事件被告審問」1分30秒。「為替と株の動き」45秒。そして、トップニュースの繰り返し、30秒。
 NHKオンラインの10日正午時点の最新ニュースと更新時間は次のとおりだった。政治「自民 憲法裁判所設置が大勢」8時20分。経済「経常黒字 7か月連続で拡大」11時58分。社会「児童殺傷事件の元少年仮退院」11時21分。国際「“特許侵害”とソニーを提訴」11時08分。地域「佐藤前議員 容疑大筋で認める」11時58分。スポーツ「ヤンキース松井 1安打1打点」5時58分。自民党のニュースでは、来年11月には党独自の憲法改正案が完成するという。参議院予算委員会はきのうから審議が始まっているが、それに関するニュースは朝以来アップされていなかった。
 そのほか、きのうは有事関連7法案が閣議決定され、今国会で成立する見通しとなっている。アサヒコムから、有事関連7法案の骨子を掲載。
【国民保護法案】
 住民の避難や避難住民の救援のため国と自治体、公共機関の役割分担や権限を規定▽知事は業者に医薬品や食品の売り渡しを要請、理由なく拒否すれば収用▽国民の協力は自発的意思で▽大規模テロにも準用
【米軍行動円滑化法案】
 自衛隊は米軍に物品・役務を提供▽政府は国民に米軍の行動情報を提供▽首相は米軍に提供するため土地・家屋を使用
【自衛隊法改正案】
 日米物品役務相互提供協定(ACSA)改定に伴い、自衛隊が米軍に物品・役務を提供する際の手続きを規定
【外国軍用品等海上輸送規制法案】
 敵国に武器などを輸送している疑いがある船を臨検▽合理的に必要な限度で武器を使用
【交通・通信利用法案】
 自衛隊や米軍、避難民が港湾や空港などを優先利用できるよう首相が管理者に要請・指示
【国際人道法違反処罰法案】
 ジュネーブ条約違反の行為のうち、刑法に定めのない重要文化財破壊罪や捕虜送還遅延罪などを規定
【捕虜等取り扱い法案】
 捕虜拘束や捕虜収容所設置の手続きを規定
 なんだかよく見えない。けれど、日本がなにか大きな黒いうねりの中にいるような気がしてくる。見ようとすれば見えるのかもしれない。ほんとうはなにもないのかもしれない。でも、なにもないとは思えない。知らされることを待っていたら、日が暮れてしまう。自分から知るすべを得なければ。
 海は広くて大きいが、自分が航海できるのはまだ内海だけで、外洋へは漕ぎ出すことができないままだ。
 ほかの人たちはどんなふうにものごとを判断しているのだろう。

■休みも終わり(2004,3,8 lundi)
 朝はきのうの日記を直したりして逃避行動に走った。だいぶたってからレポートを書きはじめたが、とりかかりが遅かったくせに途中から集中できなくてだめだった。窓の外はずっと曇っていた。肌寒かったが、なんとなく春の気配だ。記憶と結びついているとしたら、言葉を覚える以前の何世代も前の記憶なのかもしれない。なんだか知らないが本能的にうきうきした感じというのがあるみたいだ。夜から飯を食いに少し出かけた。にが瓜と鶏の炒めたのをご飯にかけたものを食べた。にが瓜は食べた記憶がなかったが、食べたらやっぱり苦かった。何か体にいい成分でも入っているのだろうか。9日からはわが県の公立校の入試だという。今年から一週間ほど早まったのだ。遠いカナダの地から、彼らの健闘を祈ろう。で、帰ってきたら頭のほうがもう本日終了。後書きはあすの朝書くことにして、きょうはもう寝よう。

THE ADVENTURES OF A BLACK GIRL IN SEARCH OF GOD(2004,3,7 dimanche)
 昼前から雪が降り出し、あっという間に積もって辺りが真っ白くなった。結局きのうの予報は当たってしまい、また冬に逆戻りである。
 午後からハーバーフロントセンターで観た芝居はおもしろかった。幕間に黒人音楽とダンスが入っていたこと。シンプルな舞台装置ではあったが、光や布や、人々の体の動きが効果的に使われていたこと。いつもと同じく、英語であるため肝心のところまでは意味がわからなかった。まだまだ台詞を聞き取るのが困難なレベルなのだが、たとえ聞き取れたとしてもそれがどういうことを意味しているかがつかめないときがよくある。つまり、文化的な背景がわかっていないと理解ができないのだ。特に、言葉で笑いを取る場面には、言葉が聞き取れても何がおかしいのかがわからないことが多い。だけど、そんな自分でも十分楽しむことができた。
 この一年の経験からいうと、こういう演劇を観に来るのは多くが西洋系の人々で、アジアンはほんのわずかである。ミュージカルになると音楽の要素が大きいのでその割合は少し多くなるみたいだ。この客層の違いは、文化的背景が理解できるかどうかが深く関わっているのかもしれない。では、逆の場合はどうだろう。アジア系のイベントに来ている客層を思い起こしてみると、西洋系の人々の割合はかなり多いように思う。異文化に対しての興味・関心、好奇心といったものが、アジアンより強いのだろうか。今回のは特にタイトルが左右した面もあるだろうか。だがもしかするといちばんの理由は、経済的な余裕の違いということかもしれない。たしかにもともとのイギリス系カナダ人と最近の移民との間には職種や収入における差が厳然とあるようだ。いろいろと考えてしまうのだが、ほんとのところはどうなんだろう。
 日本人のことをいえば、たしかちょっと前に、年に一度も劇場に足を運ばない人が五割を超えるという調査結果が出ていた。劇場文化というか舞台芸術そのものが浸透していないということがいえるかもしれない。もちろん時間的ゆとりがないという状況もあるのだが、たとえ時間があってもそれを求める人の数が少ないということもいえるでのはないだろうか。いってみれば、劇場が一般庶民のものになっていない。
 できるだけいろいろな文化に触れたい。たとえ言葉や背景がわからないとしても、そこから何か感じとろうとすることは無駄なことではないと思う。言葉は大切だが、言葉以外のことのほうがもっと大切だ。理解できそうなものを選んで見るだけでは、文化的背景の異なる人どうしはいつまでたっても相容れることはできないのではないか。自分は移民でも学生でもなく、家族を抱える駐在員でもない。働きながらも研修中という身である。このような立場でここにいる人間はあまりいないだろう。このことに感謝してときどきはこういうところに足を運びたいものだ。
 芝居が終わると5時。いつの間にか雪はとけていたが、まだ降り続けていた。昼を食べていなかったので、チャイナタウンによって水餃麺を食べた。日本風のラーメンからは遠ざかってしまったが、代わりに中国の麺を口にすることが多くなり、味にも慣れてきた。チャイナタウンのそばにあるArt Gallery of Ontarioのミュージアムショップに立ち寄った。セールのため商品がものすごく安くなっていたのだが、気に入ったものはなかった。美術館の後ろの変わった形の建物がOntario College of Art & Designだということに初めて気がついた。家に着いたのは7時くらいだった。

■やや寒い(2004,3,6 samedi)
 今日は一転して寒くなった。とはいえ0度くらいのものだったろう。空は曇り、風が冷たかった。これからまた雪が降るというが、疑わしい。
 土曜日は特別だ。精神的にも肉体的にもがっくりきてしまうのが、ここの土曜日だ。今週が38週目。あと2回で今年度は終了だ。きょうの研究授業ではいろいろと勉強させていただいた。楽しいこともあったが、全体としては反省点の多い授業になった。あれこれ書きたいが、もう眠いのでやめておこう。

■生暖かい(2004,3,5 vendredi)
 午後から気温が急上昇して19時の気温が18度。こりゃ何ぼなんでも暖かすぎる。沖縄とおんなじだ。午前中は雨も降っていたので、きょうで表の雪はすっかり消えた。やっぱりこれは異常なのだろう。もっとも、まだ1回くらい寒波が来るからと誰もが言っている。
 明日は2時間連続の研究授業があるのだが、準備もなかなか進まぬうちにもう眠くなってきた。一通り通してみたから大丈夫かとは思うけれど、どうも感覚は鈍っているというのは否めない。授業できるのはうれしい気持ちも半分あるけれど、へんなプレッシャーがないわけでもない。ちなみに授業は中2、郷土の生んだ人気作家、タマゴ大好き高橋克彦の浮世絵に関する説明的文章だ。これを90分でというのだからかなり厳しい。でも、なるようにしかならない。これがオイラっすよと開き直ってやれればいちばんいい。というわけで一生懸命やろう。

■コーヒー(2004,3,4 jeudi)
 コーヒーを飲もうと思ってコーヒーメーカーをセットし、しばらくして愕然。なぜか台所の床はコーヒーまみれ。フィルターと豆をセットして水を入れたまではいいが、容器を置かずにスイッチを入れていたので、コーヒーがそのまま垂れ流しになってしまっていたのだ。なんという。こういうことがあるとますますばか度上昇だ。ま、いいか。いくら冗談でもあまりばかばかいっていると立ち直れなくなってしまう。こんなどじはいつものことだが、それでもばかはばかなりになんとか日々の生活が成り立っているのだから、そうそうばかにもできないではないか。そこそこ生きる力はあるということだ。コーヒーをこぼしたら、また淹れ直せばいいことだよ。
 ハルカリはひとまず置いておいて、スマップのベストを聴きだした。こんなにポップだったかなという印象。言い方を変えるとちょっとヤスい感じ。だけど、歌詞を聴いているとスゴいことを語っている。日本の10代20代がこういうところに共感しているとしたら、本気でこんなこと考えているとしたら、日本の未来はぜんぜん明るい。新しい感性の人たちが、新しい時代を切り開いていけばいいのだ。て、楽観し過ぎだろか。
 
■夢を見ずに眠りたい(2004,3,3 mercredi)
 月末までの予定を確認していったら、毎日何かしら特別なことがあることがわかった。年度末と年度始め、荒海に浮かぶ小船のよう。
 この体がばかであると書いたが、それにはいろいろな理由があって、眠いとか腹が減るとかだけならどうということはないが、そのほかにもいろんな異常を来たしており呆れる。最近の変化で困るのは耳毛の発毛異常。鼻毛が白髪になってきたり、頭の右半分の白髪が急に増えてきたりというのは実にナンセンスな変化だが、耳に毛が生えるというのはいったいどういうつもりか。はさみで切ろうと思って誤って耳を切ってしまい少し血が出てしまった。これだけすべてに耳を傾けようとしているつもりなのに体がそれを拒んでいるのだ。こんな自分の体は、ばか以外のなにものでもないではないか。
 そのほかにもいろいろな変化が起きていて、ほんとにばかだと思う。どうも僕は今まで自分の体というものを受け入れきれずに来てしまったようだ。それが自分への信頼感の欠如となっているのかもしれないし、何も生み出せない原因になっているのかもしれない。僕が生み出すことのできることといえば、首から上があればじゅうぶんなことばかりだ。今になってよくわかるのだが、僕はほんとうはダンサーとか俳優とかになりたかったのだ。
 今朝、幸せな夢を見た。現実には味わったことのない甘美な希望に包まれた幸福感。夢の中なら空も飛べるし、宇宙にも行ける。疲れを知ることもなく、踊り続けることができるのだ。いったいそんな夢を見ることばかり多くなってきたのはなぜだろう。僕に課された現実。攫みどころのない断片。どこまで僕を縛りつけようとしているのだ。いいかげんもう夢を見ずに眠りたい。

■眠気の中で(2004,3,2 mardi)
 朝は快晴できょうは温かくなりそうだと思っていたのだが、みるみる雲が広がってどんよりとした空になった。気温は上がったが、じめじめとしたあまり気持ちのよくない一日だった。夕方には早春というよりは晩秋というような雰囲気で、これから冬が来るかのように感じられた。
 仕事はそれなりに進んだが、全体的には満足できなかった。わかってはいたが、何をやってもボスの傀儡としか看做されないことを少し悔しく思った。おもしろいことに、今も担任をしていたときの気持ちとそう変わりはない。ただ対象が子どもではなくなっただけで。ただし、かれらがそう感じているはずもなく、もたもたしていると一週間はあっという間に過ぎてしまうのだ。そうやってもうじき一年がたとうとしている。10時を回ったところでもう眠気で朦朧とした状態。ほんとうにこの体はばかである。 

■Samul Nori(2004,3,1 lundi)
 韓国のサムルノリの公演があった。とても迫力があって、感動した。ちょっとまだ気持ちがおさまっていない感じで、表現する言葉が見つからない。あの太鼓の響きというのはどこの国のものでも心を打つ。太鼓だけに、太古につながる記憶が呼び覚まされるような気がする。サムルノリとは1978年に結成されたこのグループの名前で、後にこのようなスタイルでの太鼓演奏そのものをサムルノリと呼ぶようになってきたのだという。もともとの伝統芸能をアレンジして現代的パフォーマンスにしたのがサムルノリということになるだろう。
 男性6名のグループ。うち1名は後半の踊りだけ出てきた。インターミッションをはさんで2時間ちょっとのステージ。前半は、5名が横並びに座っての演奏。後半は、太鼓や鉦を叩きながらの踊りが中心。ステージの中央には祭壇があり、メンバーは土俗的な装束に身を包んでおり、演奏自体が神への奉納だという雰囲気を醸しだしていた。
 観客にはやはりコリアンが多かった。ざっと見て6割くらいというところか。たいへんな盛り上がりようで、リーダーの人が、「アンコールでは自由にステージに来て踊ってください」と声をかけたら、観客が何十人も登ってきていっしょに踊った。最後は会場が総立ちで拍手喝采だった。純粋に太鼓の演奏としてみてもすばらしいものだった。それに加えて、韓国からの移民の人々にとっては、故国への郷愁を誘うリズムや空気というのがあったのだろう。もし機会があったら、ぜひ聴きに行ってみてください。