2004年11月

■風邪を引いた martes,30,noviembre,2004
 朝から異常に寒くて、午後辺りからもうダメだった。元気そうなのにと言われながら、一時間早く退勤して、さて建物に入ろうと思ったら鍵がない。職場の机の上に置いてきたらしい。セキュリティに言ったが、埒が明かない。戻るか鍵屋を呼ぶかしかないと言う。仕方がないので職場に電話して、上司に鍵を届けてもらうことにした。感謝。そして、情けない。本当に迷惑な野郎だ。すみません。
 熱を測ったら38度6分。なんだか動悸がする。パブロン呑んで三時間くらい寝たら少しはよくなったけれど、これでは明日もわからない。昨夜散歩なんかしたからかな。
 11月の締めくくりはなんともひどい一日であった。

■音楽など lunes,29,noviembre,2004
 音楽をやりたい気分になってきているのだが、コンピュータがうまくいかず、半年くらい経ってしまった。アイディアはいろいろあるのだけれど、手をつけないうちに消えてしまっている。
 学校もあと残すところ4日。きょうは帰りに少し寄り道して、中華街で降りて飯を食い、市庁舎の辺りを通って、一番の繁華街であるダンダスウエストの広場まで行った。たいして寒くなかったので、写真を撮りながらゆっくり歩いた。
 ホームページの表紙をそろそろ変えようかと思っている。感謝祭とかハロウィンとかの頃の写真だから、もう古い。それに合わせて、今まで休んでいた日記才人の更新を再開しようかと思っている。ほとんどお客さんが来ないというのは、やっぱりさびしいものがあるから。

■Have a great holiday season!  domingo,28,noviembre,2004
 三食米飯が一週間継続中。体調はそれほど変わっていないのだが、脂肪分をほとんど摂っていないので気分的にすっきりである。身体がそういう食事を要求しているということだろうから、無理せずに続けていきたい。
 午後からエキシビション・プレイスへ。One of a Kind Christmas Show and Sale。入場券を安く手に入れることができたので、ものは試しと行ってみた。話を聞いて、物産展の大きなものかなくらいにしか期待していなかった。ところが、これが思いがけずおもしろかった。雰囲気は、秋にあったスタジオ・ツアーが一つ屋根の下で行われているといった感じ。つまり、トロントやオンタリオ、カナダ中のアーティストが一同に会して、作品の展示即売を行っているというイベントだった。体育館の何倍もある会場に所狭しと並んだ工房のテント。端から端まで見るのに1時間半くらいかかった。アートというか芸術というか工芸品というかなんというか、商品ではあるのだが、心のこもった良質な作品群という感じがして、見ていて飽きなかった。物は物にあらず。消費するのではなく、自分の生活の中に取り入れて消化していくイメージだろうか。今まで考えていたよりも、ずっと奥の深い世界だと思った。会場全体がクリスマスの飾りに包まれていることもあって、夢のような世界が広がっていた。ステージではちょうどファッションショーが行われていて、しばし見惚れていた。
 職場へのお土産にチョコレートを買った。店の人が三個も試食させてくれたので買わないわけにはいかなくなった。物を買うときには、どうしてもそういうちょっとしたやり取りが出てくる。それを楽しむ場でもあるのだろう。そして、それも含めての「買い物」なのだ。"Have a great holiday season!"という言葉があちこちで飛び交っていた。
 でもどちらかというと、買い手よりも作り手の気持ちのほうが気になるし、どういう苦悩があってそういう作品になったのかなあなどと想像しながら作品を眺めるのが好きなのだ。いつになるか、あるいはそんな日は永遠に来ないかもしれないけれど、いずれ自分が作るのだというのを前提として見ているのが自分の癖であり、おかしい。

■一週間 sabado,27,noviembre,2004
 あっという間に一週間が経った。はやすぎ。自分が経験したことを伝えようと必死になっているのだが、それがなかなか伝わらない。これは伝え方が悪いということなのだ。と、そう思うことがなかなかにむなしい。
 他人を好意的に見るにもほどがある。見切りをつけなければならないときというのもあるのだ。無力感。そして、脱力。おいあと三回で冬休みだよ。

■宿題 viernes,26,noviembre,2004
 スペイン語の語彙の45パーセントは英語と語源が同じだという。英語が母語の人にとっては新しい単語の意味も容易に想像がつくそうだ。もともとヨーロッパの言語は同じ語族だから、彼らがスペイン語やフランス語を学ぶのと、日本人が英語を学ぶのとでは難易度がまったく違うのだ。で、そういう難しいことを勉強しようとしたら、授業時間だけでは足りないのは当たり前で、家で一生懸命やらなければ間に合わないのだ。
 そんなことを考えていたら、「宿題」についての認識がどんどん変わってきた。今までは、宿題の意義はあまり感じておらず、それほどのものを課したことがなかった。だが、新しいことを身につけるには、学校だけではどうしたって間に合わないのだ。だから、何が何でも時間を作って一人で勉強する必要が出てくる。そんなことは、学生なら当然の話なのである。日本の学生の家庭での学習時間は最低レベルだというが、これはなんとかしなければいけない。学生時代に勉強せず、就職してから楽しめないというのはもったいない。逆にしていきたい。

■Jesus Christ Superstar jueves,25,noviembre,2004
 初演は1973年ということだ。当時の衝撃といったら相当だったろう。もう少しレビューを読めばまともなことを書けるのだろうが、印象だけで記録しておく。あの有名なフレーズと現代に置き換えた設定というごく断片的な知識だけがあった。実際に観てみて、ほんとにすっかり現代劇なので驚いた。キリストの最後の一週間。素の台詞はほとんどなく、ひたすら歌だけで物語が流れていく。聖書のことはわからないが、おそらく忠実にしたがって構成されていたのだろうと思う。ユダの裏切りとキリストの磔刑。最初はちょっと眠かったのだけど、最後に鞭で打たれ十字架にはりつけられる場面はざわざわと鳥肌が立つようだった。話が話だけに全体的に明るさは控えめではあったが、ところどころ思いっきり派手な歌や踊りが出てきたりして、ミュージカルらしい楽しさは変わらなかった。それにしても、二千年経ってこんなミュージカルが作られるなんて、やっぱり奇跡としかいいようがないか。
 ストーリーはどうであれ、歌と踊りと人物たちの表情を見るとどうしようもなくわくわくした気持ちになる。それがミュージカルの好きな理由。英語だからといってその楽しさが減るかというとまったくそんなことはない。もちろんわかればわかっただけ感動は増すのだろうが。
 とにかく、ミュージカルを観ているときほど、ここに赴任できたことを感謝するときはない。日本の、それも地方の状況に比較しての話だが、ミュージカルをはじめ演劇やダンスなどの舞台芸術が人々の生活の中に浸透していると感じる。ブロードウェイのミュージカルからコミュニティのアマチュア劇団まで、裾野が大きく広がっている。舞台だけでなく、芸術に対する人々の意識の高さ、いいものをいいものとして認め合える土壌。そこから学べるところは大きい。
 人によって好き嫌いはあるだろうけれど、たとえ自分が好きでないことがらに対しても、その価値を素直に認め合えるような空気をカナダに来て強く感じる。人を虚仮にするような空気をあまり感じないので、そういうところがうれしい。以前日本のあるタレントがミュージカルについてぼろくそに言っているのを聞いたことがあるが、テレビであんなことをぬけぬけと言うのがどれだけ罪深いことかと思う。そういう芸風が一般受けする日本ってどうなんだろうと思ったりする。
 誰もが気分を害することなく楽しめる芸術やエンタテインメントが日本にもたくさんあるだろう。それらをもっと興していきたいものだ。ミュージカルといえば劇団四季だけが取り上げられるような状況というのはどうか。しかも、チケットが取れたらラッキーだなんて、あまりに悲しいではないか。それに、大都市近郊に住んでいながら仕事が忙しくて劇場に行きたくても行けないなんて、なんてもったいないと思う。日本的な勤勉を否定するつもりはさらさらないが、もっとさまざまな個人の楽しみが日本でも保障されたほうがいいと思うのだ。

■郵便受け miercoles,24,noviembre,2004
 郵便受けの鍵を開けようとしたら、鍵が鍵穴に入らなかった。それでセキュリティに見てもらったのだが、やっぱりどうしようもない。裏口から入って郵便物を取ってもらおうと思ったら、そこの鍵は郵便局員しかもっていないのだという。前の日に自分が開けたときには何も問題がなかったから、きっと誰かが間違えて鍵を入れて、無理に回して壊してしまったのだろう。結局、鍵屋に連絡してもらい、鍵の部分を新しいものに入れ替えてもらった。40ドル。全くの丸損。

■おにぎり martes,23,noviembre,2004
 おにぎりを作った。鮭を入れて、海苔を巻いて、でかいやつ2個作って弁当にした。パン以外のものを持っていったのは初めてだった。これは自分にとっては大事件だが、傍から見ればどうということもない。帰りにはとある東アジア系食料品店に寄った。キムチと豆腐と納豆と韓国海苔と玉子とナイロンタワシを買った。和食の夕飯も久しぶりだった。なんだろう。これは心境の変化かもしれないが、体調の変化でもある。

■初めて lunes,22,noviembre,2004
 徹底的に掃除。そして、洗濯。空も快晴。どういうわけか朝から米を炊く気分になり、何か月ぶりかでご飯に味噌汁の朝食。うまい。朝にご飯を食べたのは…。昨年の4月以来かもしれぬ。きょうは久しぶりに生活用品をまとめ買い。必要なものをメモして、一路スカボローのショッピングモールへ。雲ひとつなくひさしぶりの日光に窓全開で車を飛ばした。平日なのにウォルマートはたいへんな人。クリスマス前の買い物シーズンの今は夜11時までやっているらしい。きょうはカートを使ってたくさん買った。こういう日は年に一度くらいだな。
 目についたのは山になっている地球儀。値段は19ドルちょっと。2千円というところ。今まで日本でさんざん迷った挙句買うことのなかった地球儀を、ウォルマートで衝動買いしてしまった。家に帰ってから地球儀を眺めた。おもしろい。というより、世界地図ではぜんぜんダメなのだということが初めてわかった。どうしたって地球儀でなければいけない。一家に一つ、地球儀を置かなければならない。と、まじめに思った。物事は、立体的にとらえなければわからない。ただ、この地球儀、アメリカ製なので、アメリカの州は色分けされているのに、カナダは灰色一色なのが気に入らない。
 テレビの録画をしがてら、ちらちら見る。街中でよく見かける文字とそれが何語だったのかが初めてつながる。どの番組も音楽のビデオが入るので、いろいろな民俗音楽や流行曲が聴けてなかなか楽しい。どこの国の人が何語を話すのか。地球儀を見ながら調べていくとおもしろい。料理の違いなんかも調べたらおもしろそうだ。トルコの番組はやっぱりなんとなくヨーロッパ的な雰囲気がするから不思議だ。
 東洋、西洋とか、アジア、ヨーロッパとかいう分け方がいかに大雑把なものかというのが実感できる。アジアとひとことで言ってもほんとうに多種多様な文化がある。日本から見た「アジア」は、中国、朝鮮半島、日本に偏ったイメージが強く、それがインドだとインド周辺諸国こそ「アジア」ということになる。つまるところ、アジアなんていう一つのものはないのだと思った。
 それにしても、トロントという世界随一の多民族都市に住んでいながら、テレビを見て比較してみるまでそんなことすらわからずにいたとは情けない。自分がアジアや東洋という言葉を使うときの認識がすごく曖昧だったことが恥ずかしい。認識浅すぎ。違いがわかる男には程遠い。ましてや違いを楽しむ男になるにはあと何年かかるやら。
 夕方から学校にでかけた。初めてiPodをつけて外へ出た。それなりに楽しいが、すぐに邪魔になって取り外した。外を歩くときにステレオなんてぜんぜん必要ない。街の音そのものが快い音楽になって聴こえてくる。そのほうが何百倍も楽しいということがわかった。家の中でしかヘッドホンステレオを使わないのはおかしいだろうか。
 帰ったらアマゾンの宝箱が届いていた。これで「街道をゆく」全巻が揃った。「新撰組」といい、「伊達政宗」といい、「徳川家康」といい、カナダの地で初めて歴史のおもしろさに触れたような気がする。中学高校を通して僕は歴史の勉強がもっとも苦手だった。授業はぜんぜんつまらなかったし、点数もぜんぜん取れなかった。学生時代に出会っていればもっと違っていたろうに。この年になってようやく、おもしろいと思えるようになってきた。見方によっては、これだけの時間をかけて、おもしろいと思える自分になってきたということか。

■日曜 domingo,21,novembre,2004
 一週間が過ぎた。ほんとうにいろいろある。勉強勉強。これをどう生かしたらいいのか。この先どうしていけばいいのかは難しい問題。何度も書いているけれど、いまだにどうもピンとこない。

 現金なもので、休日にはまったく気分が違う。日曜日の朝のコーヒーのうまさは格別。だらだら過ごさずに、有意義な休日にしよう。

 各国語のテレビ番組の録画を始める。まずはアジア。タミル語、ベンガル語、ヒンディー語、プンジャビ語、シンハラ語、マレー語、ウルドゥ語、ベトナム語、トルコ語、アラビア語、広東語、北京語、韓国語。録っておいてよかったと思うときが、来るかどうか。

 楽器のことを英語で"musical instrument(ミュージカル・インストゥルメント)"、スペイン語では"instrumento musical"という。それに比べて、"Gakki"という音はとても美しい響きを持っていると感じる。 
 先月暴漢に襲われた指揮者、小松長生が所属するコスタリカ国立交響楽団のスローガンは" Que los ninos cargen violines en vez de armas " (子供達の手に、武器ではなくヴァイオリンを) だそうだ。ヴァイオリンのほうがずっと語呂がいいものな。
 それで思い出したが、沖縄の喜納昌吉が言っていたのは「すべての武器を楽器に」というメッセージだった。日本からも武器が輸出されるようになるらしい。今まではされていなかったのだろうか。
 ところで、ボーイング社。日本政府はお得意様だ。

■毎日 sabado,20,noviembre,2004 
 毎日毎日後から後から。よくもこんなに悩みの種が尽きないものだ。
 もっと来い。もっと来い。

■夢 viernes,19,noviembre,2004
 夢を見る見る。翌日のリハーサルをしているような感じ。密度濃い。
 他の誰も、代われませんて。

■あれこれ jueves,18,noviembre,2004
 異常な暖かさでちょっと気持ちが悪い。よく見ると、街路樹の葉の中にはまだ散らずに残っているものもある。ところが、葉の表面にはどれも黒い斑点ができている。これは病気ではないだろうか。

 一日を過ごす中で、これまでお世話になったたくさんの人たちのことを思い出す。あのときあの人はこういう気持ちだったのかなあなどと想像する。何年も何年も経って初めて、その人たちの意図を感じる。この鈍さったらないや。

 なんとなく人間の表情とか身体の表現とかについて考えている。美しさの基準はところ変われば変わる。造作がきれいであればそれで美しいとされるところと、そうではないところとがありそうだ。

 遅くなった帰りに、モールに寄ってご飯を買った。その後ふらっと入ったHMVでCDを買った。聴いてみたら驚いた。さすがだなあ。やっぱり本物だなあと思った。
 世の中には歌のうまい人が多い。でも中には、どうしてこの人が歌手なんだろうと思うほど歌の下手な歌手もいる。ちょっと前の話。日本のテレビで、「3人のディーヴァたちの共演!」とかなんとかいう番組があったので期待した。ところが、一曲目の歌いはじめを聞いて思い切りずっこけた。その歌手は歌が下手だった。で、案の定二人目も三人目も同じように下手だった。これが今の日本を代表する歌手だっての?とても恥ずかしく思った。

■ステージ miercoles,17,noviembre,2004
 ステージに立つ人が美しいのは表情が豊かだからだろう。誰もが自分だけのステージに立っている。自分にはそこに立つ資格があるだろうか。さまざまに変わる表情、生き生きとした身体の動き。人間の魅力はそこにあるような気がする。

■ダンス martes,16,noviembre,2004
 言葉は一つ間違うと他人を傷つける元になる。そんなの百も承知。それでも毎日思い悩む。言葉を自由に操るなんて難しい。もっと直接的な手段はないだろうか。それは表情。それはダンス。だったりする。
 Toronto Dance Theatreの"Persephone's Lunch"を観に、ハーバーフロントに出かけた。試しにと行ってみたのだが、これがとても素晴らしかった。日曜日に行ったものとは違って現代の西洋のダンス芸術という感じだったが、パフォーマンスとして質が高いと思った。かっこいいし、美しい。女性も男性も造形を超えた、躍動しているからこその美しさというものを感じた。男らしさも、女らしさも、そして、人間らしさも、動きの中にあるのではないかということを考えた。客席をぐるっと見渡してみたが、東洋人らしき人は全部で二人くらいしかいなかった。どうしてアジアンが観に来ていないのかとても不思議に感じたが、表情より造形に美を求めるのが東洋の傾向だとすると、それは当然のことかもしれない。
 しかし、例えば日本の学校でも、担任教師が能面のような面で子どもの前に立っているとしたら、その学級はいずれ崩壊してしまうに違いない。それほど学校は表情がものをいう世界である。直接的な言葉ももちろん大切ではあるけれど、それ以上に教師の表情や動きはとても大切なものだ。どれだけ生き生きとした表情を持っているかということが、実は教師の必要条件だ。
 だから、洋の東西を問わず、身体表現の研究がもっと行われ、身体表現のもつ価値がもっと叫ばれていいのではないだろうか。ダンスから学べる点は大きい。
 ダンサーになりたい。今から、なれるかな。

■買い物 lunes,15,noviembre,2004
 家をいつもより早く出て、街を散歩しながら学校に行った。ほんとうはもっと早く出て何キロも歩こうと思っていたのだが、気がつくと5時でもう外はすっかり暗くなっていた。街はすっかりクリスマスの飾り付けがされていて、各店のショーウインドーがきらきらと美しかった。一年で一番の買い物の季節の到来だ。
 物を買うということに対して、なぜかいつも後ろめたさを感じる。欲しい物はすべて手に入れたいくせに、物を買うのは自分にとっては躊躇われる行為だ。この後ろめたさの正体はいったいなんだろう。
 物を買う意味はいろいろある。物でない何かの代償ではないかとか、作りたくても作るすべがないから買うのだとか。カネを使うことがカタルシスをもたらすこともあるだろうし、物に囲まれた生活や新しい物を常に買い換える生活に満足を得るというのもあるだろう。
 ところが、自分の場合は買う直前で思い留まってしまうことが多い。無駄遣いをしないという意味では都合がよい性質なのだが、必要な物でさえ買うことが憚られる。たとえば靴一足を買うのに店でさんざん迷う。そうして、決められないでいると、店にいることが堪えられなくなってくる。何でこんなところにいるんだと、馬鹿にされているような気分になって、結局は店を飛び出してしまう。もう二度と来るもんか、と思って、だいたいそういう店にはもう二度と行くことはない。一度買わずに店を出るともう数か月買わない、なんていうこともある。そうやって、自分の行動半径が少しずつ狭くなっていく。
 そんなことだから、ちょっと困る。困りながらもどうにか済ませてしまう。いかれて穴が開いて使えなくなるまで、履き潰すことになる。単なる貧乏性なのか、根が曲がっているのか。とにかく、すべてのタイミングが一致して、よし決定だというところまで行かなければ、物を買うことは絶対にない。
 服飾品やアクセサリーや家具など、いくらお金があっても足りないと話す人も身近なところにいるが、自分にはそういう感覚がわからない。しかし、もちろん買う物すべてに当てはまることではない。ソフトとかメディアとかいったものに対しては、むしろ財布の紐はゆるいほうではないかと思う。
 買い物を素直に楽しめない性分。素敵な物に囲まれたハイセンスな生活からは程遠いところにいるし、それによって損をしてきた部分も多い気がする。だからといって人とスタイルを合わせることはしたくない。
 だから、目に見えないものにこそカネをかけよう。そうして、ほんとにいいものは自分で作ろう。せめて何かを買うときには内面が形に現れるような物を買おう。と、そんな気持ちである。

■シダー domingo,14,noviembre,2004
 きのうの"cyder"を辞書で調べたら、正しい読み方はサイダーだった。なぜかシダーと読むと思っていた。

 "Sooryu Dance Festival"というイベントに行ってきた。各国の踊り。古典芸能から前衛的な作品まで、さまざまだった。日本からもいくつかの団体が参加した。意外なことに、前衛的なものより古典的なもののほうがおもしろかった。日本舞踊というのはあまり見たことがなかったが、他国のものと比較してみると、かなり洗練されていると感じた。

■宙ぶらりん sabado,13,noviembre,2004
 ビールだと思って飲んだら甘くて驚いた。ぺっぺと吐きそうになったがよく見たらそれはシダーだった。なんだシダーと思うとなかなかうまい。ビールだったらあんなにまずいビールはない。
 気がつくと眠りに落ちていて、いろいろな夢を見て目覚めたら2時。きょう一日で起きたことを脳が処理できないでいる。それだけのことをしているのか、それとも単に頭が悪いだけか。
 景色が急に白くなったことを人に話したら、それは葉っぱがなくなったからでしょうといとも簡単にその理由を解明してくれた。なんだ、そうだよな。むろん葉っぱが落ちたのは見ていてわかっていたけれど、それと印象の変化が結びついていなかったのだ。それは宙ぶらりんだぜ。あまりに宙ぶらりんの感性。

■冬げしき viernes,12,noviembre,2004
 ここ数日で街の景色が白く変わった。といっても、雪が積もったのではない。空気が乾いて、気温も下がって、なんだか色まで落ちてきたようなのだ。いよいよ冬の到来だ。秋が深まるとはいうけれど、冬が深まるとは言わないか。これからどんどん気温が下がっていくので、今はまだ冬の入り口だ。冬は深まるでなくて何と言うのだろう。春は何と言ったか。夏はどうだったか。どうしてもぴったりくる言葉が出てこない。
 冬には冬のいいところがある。こんな白っぽくなった景色を美しいと感じた。なんか冬もいいんじゃと思った。
 冬来りなば春遠からじという。では、冬がいいのは春が近いからなのか。いや、そうではない。冬は冬のもつ本質のためにいいと感じられるのだ。冬より前が秋であって、冬より後が春である。これらの特徴があって、それを含めて考えたとき、「冬もいい」のだ。冬がいいから、冬が続いてほしいと思ってはいけない。それでは、冬ではなくなってしまうから。同じ理由で、夏が続いてほしいと思ってはいけない。それでは、夏ではなくなってしまうから。同じ理由で、春が続いてほしいと思ってはいけない。それでは、春ではなくなってしまうから。とにかく、秋はもう終わってしまった。
 それは温帯地方特有の物語。この物語の中で生きようとすればこそ、それぞれの季節のよさに立ち止まることができる。僕がこれまで日本で見てきたものと、いまカナダで見ているものはよく似ている。季節の中で、あの日の僕といまの僕が二人で同じ場所に立って、同じものを見ている。

■リメンバランスデイ jueves,11,noviembre,2004
 戦没者追悼記念日。官公庁や一部の企業は休みだったようだが、学校は授業日だった。いたるところにある国旗。きょうは半旗になっていた。この頃テレビのアナウンサーは皆胸に赤いポピーの花飾りを付けている。そして、世界大戦の特集番組が放送される。アメリカでは、ベテランズデイと言うらしい。同じように赤いポピーを付けるのだろうか。
 "O CANADA"をオーケストラで聴くことができた。当然といえば当然だが、この歌を歌うときには皆しっかり起立するのだった。演奏が終わった後、指揮者が話を始めた。「ベテラン(退役軍人)の方は立ってください」と言うと、何人かのお年寄りが立って、拍手喝采を浴びた。先の大戦を戦って勝利したことは、今でも彼らの誇りであり、国民の誇りなのだ。ちなみに最後の曲は"God Save The Queen" このときも当然のごとく全員が起立した。
 勝ったから、負けたからという違いもあるだろうけれど、勝ち敗けに関係なく、自分の国のために戦った人々を大切にするのは大事なことではなかったか。今は亡き親戚のおじいさんから戦時中の話を聞いたことを思い出した。

■発信 miercoles,10,noviembre,2004
 南米の貧しさの話を聞いた。きょうは前半テストで、後半の40分くらいはリリー先生の出身国ペルーと先生の夫の出身国キューバの話だった。皆神妙になって聞いていた。貧困について、考えさせられた。どうして自分かここにいるかを、忘れていた。日本は貧しさとは対極のところにある。そういう国の人間が、貧困の解消のために動かなくてどうするか。なんのための発信なのか。帰りの電車で、いろんな思いが頭の中をぐるぐると駆け巡っていた。

■落葉rakuyou martes,9,noviembre,2004
 きのうの夜から気温が下がって、今朝の最低は氷点下4度だった。空気が乾いていて風もないので、それほど寒いとは思わなかった。学校に着くと、銀杏の葉っぱがばらばらと音を立てるほどに落ちて、昼ごろにはもうすっかり裸の状態になってしまっていた。いくら気温が下がったからといっても、あまりに激しい変化に、意思を持って自ら葉を落としているのではないかと思うくらいだった。地面に広がった黄緑の葉が朝日に輝いて美しかった。だが、こういう日に限ってカメラを持ってきていない。
 A氏からのメールによると、あの夜コールドウォーターの町には雪が15センチ積もり、今でもほとんど残っているそうだ。今朝の気温は氷点下10度。きょうは真冬日だったろう。もうすっかり冬の様相である。
 おととい日本でも北海道の北ではオーロラが観測されたようだ。僕はわからなかったけれど、同じように車で見に行った人によると、赤だけでなく緑色に光ったときもあったそうだ。時間が違っていたのか、単に気がつかなかったのか。オーロラの出やすい状態はきょうまで続き、天気さえよければ今夜も期待できるということだった。ちょっと夜中に行ってみようかなどと、少し本気で考える。どうもこの感じ、後を引くようである。またどうしても見てみたい。しかし、夕方からは雲が出てきたので、これでは無理だろう。明日も早くから仕事だし、ちょっとほっとしたような、残念なような。
 
■オーロラ lunes,8,noviembre,2004
 昨夜8時前、同僚のA氏から電話。今大きなオーロラが出ているからという連絡を受けてすぐさま支度し、車を走らせる。トロントから150キロくらい北、コールドウォーターという町に住むA氏とは、「オーロラ協定」を結んでいて、オーロラが出たら真夜中でも何でも連絡をしてくれることになっている。昨年は見られなかったので今年こそはという話をしていた矢先だった。よしきた、すぐ行きます。初出動に心が躍る。400号線を北に1時間と少しひた走る。トロント近くの空にはところどころ雲が浮かんでおり、街の光を反射して白く光っている。航空機が頻繁に発着するため、空のあちこちに宵の明星くらいのライトの明かりがあり、いつも星と見間違える。トロントから離れるにつれて空が暗くなり、星空が広がっているのがわかる。冷えた夜だ。バリーの町を過ぎると、道路沿いの照明さえなくなったが、オーロラが出ているのかどうかはわからなかった。A氏によると、出たと思ってもすぐに消えてしまうこともあるそうで、もしかしたらもう消えてしまったのかなと思った。
 コールドウォーターで高速を降り、小さな中心街を抜け、農道に入る。すると、東の空がぼおっと白く光っているのが見えてきた。お、あれがオーロラだな。さらに走って、牧草地の真ん中あたりで車を止め、エンジンを切って外に出た。周りに人工の明かりがほとんどないので、全天を見渡すことができた。月は出ていなかったが、だんだん目が慣れてくると木々と空の境が影絵のようにはっきり見えた。遠くで牧場の家畜や犬たちが盛んに吠えているのが聞こえてきた。いつもあんなに吠えるのか、オーロラが出ているから吠えているのかはわからない。とにかく、幻想的な雰囲気だった。オーロラというのはネイティヴ・アメリカンの言葉で、英語ではノーザン・ライツというそうだ。トロントは旭川と同緯度だという。そこから北に150キロというのはどこあたりだろう。普段はあまり考えないが、それほど北にいるのだということを思った。
 東の空から西の空にかけて、白くて淡い光の帯ができている。雲のようでもあるが、空は晴れており、星もたくさん出ている。ちょうど東にオリオン座が出てきた頃で、三連星の上の方からが光に包まれている。その白い光の帯は、真上に浮かぶカシオペアのWの南側を通って、西側の空へとのびていた。はじめは飛行機雲の幅が風で広がったような感じの帯だったのが、刻々と姿を変えていくのがわかった。それほど速い変化ではない。ちょうど雲が形を変えるときと同じように、気がつくと様子が変わっているのだった。東側の光が強いと思っていたら、西側も同じような強さになったり、今まで暗かった北の空に縦の光の筋がいくつも現れたりした。それに、ちょうど真上あたりから放射状に光の筋が現れたり、今まで白かった光が赤っぽく見えてきたりしたときもあって、そのときはおお、すげえと一人で声を上げるほどだった。テレビや写真で見るようないわゆる光のカーテンというほど鮮やかではない。もしこれが町中だったら、きっとよく見えなかっただろう。持っていったデジカメでは、撮影しようと思ってもとうてい写らない。それほど淡くやさしい光だったのだ。だけど、初めて見た正真正銘のオーロラには大感激だった。このときのことを忘れてはいけないなと思いながら、時間を忘れてしばらく空を見上げていた。寒くて頬がすっかり冷たくなった。もう10時を回った。かれこれ1時間近く眺めたことになる。もっと見ていたかったけれど、これ以上外にいたら風邪を引きそうだ。名残惜しいが、帰ることにした。
 晴れていた空が曇りだして、バリーの町に入った頃から白いものがちらちら落ち始めた。雪だ。積もることはないだろうと思っていたら、みるみる勢いが激しくなってきてあっという間に吹雪になった。前がほとんど見えないので、どの車も減速して走った。積もった雪でセンターラインもわからないほどだ。こんなになるとは思ってもみなかった。ガソリンも残りが少ないし、もしここで立ち往生でもしたらたいへんだ。こわごわ進むうち、サービスセンターがあったので給油をした。飲み物を買って一息ついて、また走り出す。雪も少しずつ小降りになり、視界もよくなった。来るときは1時間ちょいだったのが、帰りは2時間もかかった。トロントでは雨だったようで、路面が少し濡れていた。
 帰ってきてわかったが、ちょうどこの日に太陽面で大きなフレアがあり、低緯度オーロラの出現する可能性が高くなっていたのだそうである。ラッキーだった。連絡をくれたA氏には感謝である。できればまたいつか見てみたい。そのときにはしっかりと防寒着を着ていこう。

■オフ domingo,7,noviembre,2004
 オフには何をしているかと聞かれ、スイッチがオフになるので何もしませんと答えた。何もしないというのは消極的な表現だが、とにかく、休みの日にすすんで人に会うことなんて考えられず。コミュニケーションなんて仕事で精一杯、だったりする。といいながら学校には通うのでそこは矛盾だが。今朝は早くに目覚めたらもう目がさえて眠れなくなり、あれこれ考えて、それは考える必要のないことだという結論に至る。そして昼近くになり、またうとうとしてしまう。
 これまで日記を書きながらもう一人の自分を肥大化させてきたのだろうと思う。彼との会話の記録がこの日記である。いっしょになって、外の人々とのコミュニケーションを一生懸命になってやっている。それが仕事の時間。
 休日は、そういうやりとりを一切なくして休む。自分から発信することをせず、外界からの刺激をありのまま受け入れようとする。カナダの文化や自然と触れ合うのは素晴らしい時間で、僕はこの偶然を本当に心から感謝している。
 一人じゃつまらないと言う人がたくさんいる。たとえば携帯電話が手放せないくらい、いつも誰かとつながっていたいような感覚。僕にはそういう気持ちが理解できない。他人に寄りかかってばかりでは、何もできない人になってしまうような気がする。一人の時間をうまく使えない人間はもったいない。目先の楽しみもいいが、もっと長期の計画で夢を実現することを考えてもいい。そのためには、自分が本当に何をしたいのか一人になって見つめる時間もまた大切だと思う。
 一人でいることについて、肯定的な気分と否定的な気分が交錯するのも事実だが、全体的にそういう自分を受け入れているし、悲観したり焦りを抱いたりすることはないと考えている。安易に妥協せずしたいことを追求してきたからこそ今の自分がある。そしてこの先にはもっと楽しいことが待っていると信じている。だから、これからもこの路線は変わらないだろう。途中で必要と感じれば何かを試みるだろうし、感じなければこのまま進むだけだ。

■土曜日 sabado,6,noviembre,2004
 自分なりに挑戦の日にはなったが、心残りのことも多かった。怒りを怒りのまま爆発させず、いつもより笑顔を意識したので、その点はよかった。終わってみれば昨夜の胸糞悪さも必要なこと。怒りをそのまま出すことは危険だ。噛み砕いて噛み砕いて温かな表現に変えていけば、自分を成長する糧にすることも可能だ。それで相手の理解を得て、その人の変化に結び付けられるかどうかはわからないけれど。いずれにしろ、一朝一夕では人間は変わらない。
 一週間はあっという間だが、過ぎたことをどんどん忘れてしまう。もっと確かな蓄積にしていきたいのだが。この休日は何も考えずゆっくり休もう。

グッチ裕三(本文とは無関係) viernes,5,noviembre,2004
 怒り心頭に発す。なんといっても相手は大人なのだから。おかげで3時間くらい発熱していたよ、この寒いのに。ここで怒りを顕わにしたらいけないんだろうな。結局こちらが至らないのだと、わが身を省みればよいのだな。
 何でも人のせいにしていれば思うようになると思ったら大間違いだ。こういう場合、言って聞かせなければならぬ。子どもじゃないんだよ。僕より年上の大人なんだよ。
 と、きょうはもう愚痴にしかならないわい。たまにはこんな日もあるわい。

■フエベス jueves,4,noviembre,2004
 去年とは考えているところが全く違う。仕事の中身が違うのだ。自分への全体的な要求として、去年と同じようには考えさせてくれない。もちろん、同じでいいなんていうほうが都合がよすぎるのだけど。これもまた勉強。自律神経が失調気味。経営のこと、カネのこと、そして人事のこと、今までは考えたこともなかったことを考えるようになった。去年はもっぱら先生頭。今年は先生頭と、先生でない頭が同居していて、現在は先生が隅に追いやられている状態。子どもたち相手に暮らしていた日々が懐かしい。
 いろいろなことを体験させていただいている。しかし、それがどういう形で役に立つのか、皆目見当がつかない。とにかく、もうここまできたら小さくまとまっているわけにもいかないと思う。人並みのなんたらかんたらなんてもう言っていられないのだし。行くところまで行こう、てどこに向かって進んでいるんだかもよくわからない。

 そんなことを言いつつ、夜にはエア・カナダ・センターへ。この切り替えの早さには呆れる。Avril Lavigneのコンサートに行ってきた。興味はあったのだが、十代の観客の中にオッサンというのはどうもなあと思っていた。しかし、日本で行くことなどまず無理だし、二度とないチャンスだろうと、チケットを手に入れた。会場に行くと、予想とは違ってなんと十代どころか小学校低学年くらいの子どもたちとその両親という組み合わせがもっとも多かった。したがって、小さい子の手を引いたおじさんおばさんもたくさんいた。その次に多いのが十代女子のグループという感じだった。子どもたちに大人気のアヴリルなのだった。
 7:30開始だったが、例によってオープニングアクトで2グループが演奏して、アヴリルの登場は9時10分頃からで、正味1時間半といったところだった。ピアノやギターの弾き語り、ドラムを叩く曲もあり。ギター以外はたどたどしかったが、健気に挑戦している感じがしてよかった。まだまだこれからの成長が楽しみなアーティストだ。
 会場全体が歓声に包まれ、曲のあいだ中アヴリルといっしょに歌う声が鳴り響いていた。親子で立って踊っている人たちもいた。ピンクレディーのときの現象をちょっと思い出した。子どもたちにとっては大丈夫かなというくらいの大音響。それにも関わらず、後半になると座席に突っ伏して眠っている子どももいた。終了後には、眠った我が子を抱えて帰る父母の姿が目に付いた。
 後になって、CDなんか聴きながらカナダのことを懐かしく思い出すんだろうなあ。

■身近な国 身近な人 miercoles,3,noviembre,2004
 選挙結果が確定した。どうして再選する理由があるだろうと思っていたが、再選してしまった。これからまだまだ、死ななくていい人が死ぬ。このサイトを読んだら、ますます気が滅入った。
 きょうも教室では選挙の話題。一人はしゃいで喜んでいたのは、中国に行ったことがないというチャイニーズ・カナディアンの女性だった。華氏911を観てブッシュが嫌いになったという人も何人かいた。先生の夫はキューバ出身で共和党のブッシュは嫌いなのだと言っていた。今のクラスには15人くらいいるのだが、先生を含めてすべて出身が違う。多くは移民だが、自分のような短期居住者もいる。そういうところだから議論になりやすいのかもしれない。もちろんお堅い話ばかりではなく、かなりの冗談も飛び交っている。そこに自分がいることが、とても不思議で楽しい。こんなふうにいっしょになって勉強できることは、トロントならではの貴重な体験だと思う。
 それにしても、国と国どうしは密接に結びついていて、この先どうなるかほんとうにわからない。あれだけのどかだったネパールも、今では危険な状態になっているし、8月に行ったグアテマラも、今では治安の悪化により危険情報が出されている。もしかすると、いっしょに学んだ人が悲しい思いをすることになってしまうかもしれないのである。そんなことはどうしたって嫌だ。隣の人の国がいつまでも平和であることを本気で願わずにはいられない。
 世界のどこかの国というのは、けして自分たちの知らない遠くにあるのではなく、この地球上のすぐ隣にある。アメリカ大陸は日本のすっかり反対側だが、そんなことは感じないほど身近である。同じように、あまり身近とは感じていない国も実は日本のすぐそばにあるのだ。

■選挙 martes,2,noviembre,2004
 帰宅して、ご飯を食べたらすぐ眠くなった。で、起きたら午前零時。テレビでは開票速報。今のところ、現職がリードしている。トロントにもアメリカの政党の事務所があるのかな。熱烈な現職支持の若者がインタビューに答えている。頬にBUSHと描いており、笑いながらポスターを掲げている。誰が大統領になろうと、枠組みは変わらないか。富める国とそうでない国、富める人とそうでない人。よその人のことなんて考えなくていいから、もう少し自分がしっかりやりなさい。そんな声も聞こえてくる。

■プリメーロ lunes,1,noviembre,2004
 寒いんだか暖かいんだか。建物に暖房が入って、外と内の温度差が大きくなった。着る物を外に合わせると、内では暑い。見れば外套を手に持っている人も多い。だけど、脱ぐほどでもないと思って我慢する。そのうちにまた、外に出てしまうのだ。冬場、寒さで外も歩けないほどになれば、暖房のありがたみは大きいと感じるだろうが、今はまだ早い。
 冬時間になり、夕暮れが1時間早くなった。学校に行ったら、アメリカの大統領選挙の話でみんな盛り上がっていた。自分の周囲やテレビの調子を聞くと現職への風当たりが強いように感じるのだが、結果はどうなることやら。一国の大統領が誰になるかによって、世界全体の流れが変わってしまうかもしれない世の中って、ひどくアンバランスだ。